彼の声93

2012年

11月30日

 ようやく先月の末日まできた。いったいどれほど遅れているのか。今日はいつなのか。知っているくせにそれはないか。別にすべてを知っているわけではない。今を生き延びるための哲学など持ち合わせていないか。現に誰かがここで生き延びているのではないか。中には死んでいる者もいるわけか。だが生き延びたところで、何がどうなるわけでもない。やがて死ぬだけか。いつの日かそうなるのだろう。他人を悪く言う人はいくらでもいる。悪口は日々を無難に送る上での潤滑剤か。別にそれが何のことわざでもないはずだ。今は夜だ。夜がどうしたわけでもない。完全に気が抜けている。それは何かの冗談だろうか。何が気に入らないのだろう。自動車教習場の箱庭の中で同じような教習車が点在している。遠くに見えるのは何の明かりなのか。何かがどんどん遠ざかっていくらしい。でも君は何も感じない。ラーメン屋のネオン看板が目に付くだけか。どこからともなく何かが闇の中から現れるが、それは何かの動物か。あるいは何かの生き霊だろうか。フィクションの中ではそういうたぐいも出現するのではないか。でもそれから君はどうなったのか。ただ黙って何かの画面を眺めているだけか。それでかまわないのだろう。そしてそんなふうに語っていればいい。やがて時が経ち、何もかもが失われ、ついでに君の命も尽きるのではないか。今目の前で何が燃えているのか。誰が火の玉になるとかテレビで言っていたはずだ。それから君はどうしたのか。何か適当に思いつくが、それが文章として示されることはないが、明らかにするのが面倒くさいのか。その辺は誰かの想像にまかせるとして、今ここで記しているこれらは何を主張しようとしているのか。誰の主張でもないことが記されているとは思えないか。誰が何を思っていようと、そんなことはどうでもいいことか。でもここまで記してきたではないか。それが取り立てて何を示しているとも思えないが、何となく記述が続いている。君はそれで満足だろうか。何を求めているのでもなく、何をどうしようとしているのでもない。

 ここからが問題だ。この世界は君を欺いている。そう思っているわけでもないのに、なぜそう記しているのか。誰がそう思っているのでもないからか。ところで君は誰をだましているのか。君の周りにいるすべての人間を欺いているのだろうか。でも本当の君などどこにも存在せず、ただ文章の中にこうして記されているだけで、それがどうしたわけでもないは毎度のことで、取り立てて君自身の特性が語られているわけでもなく、どのようなキャラクター設定を施されているわけでもない。ただの君であり、君という言葉そのものだ。だから何だというのだろう。意味のない話か。何か特定の意味を付加しようとしているわけでもないか。先日テレビで映画の『マトリックス』を久しぶりに見たが、なぜか大げさなアクションシーンがすべて無駄で無意味なような気がした。それらの暴力シーンをすべてカットして編集し直したら、ものすごく短い映画になるような気がする。実際にレンタルショップでシリーズ三部作を借りてきて、暴力シーンを早送りして見たら、かなり愉快なことになるような気がする。それは君の思い違いだろうか。なぜかそれ以外の場面が、映画の本質を物語っているような気がしたのは、やはり勘違いのなせる業だろうか。何だかわからないが、人が人と静かに会話しているシーンとか、一人で街中をゆっくり歩いているシーンとかが、何となく映画的な何かを示しているように感じられてしまうのだが、それはなぜなのか。今の君にわかるはずのないことか。でもどうでもいいことかもしれない。いつものようにテレビで細切れに見ただけで、すべてを見たわけでもなく、ちょっとだけ見て、すぐにチャンネルをかえて、別の番組を見て、また気まぐれで戻して、さらにちょっとだけ見て、そんな動作を繰り返しているうちに、眠たくなって寝てしまったようだ。そして後からそんんことを思ったわけで、真剣になって見ているわけでもないのはわかりきったことであり、要するにたわいない感想程度のことなのだが、なぜそう思ってしまうかを深く掘り下げて考えることなどあり得ないだろう。


11月29日

 語ることがないと思っているわりには、何とか記述を少し前進させることができたようだが、まだまだ遅れは相当なもので、先がまったっく見えてこない。一歩進んで二歩下がるでは、どんどん遅れていってしまうか。現状がそれなのだから仕方のないが、できればそろそろ潮目が変わって、少しは順風満帆といきたいところだ。でも何を記したらいいのだろう。それではだめか。でもそれがないと、どうしたらいいのかわからなくなる。今もそうなのではないか。要するに一夜明ければ元の木阿弥で、またそんなことを記しながら、適当にいい加減に苦悶することになるらしく、何だか先が思いやられ、そうやって無駄な言葉を記しながらも、きっかけが到来するのを待つしかないのだろうか。冗談も休み休みか。いったい何がそうなのか。人はすぐにでも利いた風なことが言える。世の中の風潮によって言わせられているわけだ。それはわかるが、それ以外のことがなかなか出てこないのはどうしたわけなのか。そもそも世間に逆らうのが難しいのだろうか。でもなぜ逆らう必要があるのか。利いた風なことを言わせられていると、次第に居心地が悪くなってきて、そういう成り行きに反発したくなってくる。そういうことなのだろうか。そして何かが違うという疑念が湧いてきて、何が違うのか探ってみたくなり、探っているうちにわけがわからなくなって、もうそんなことを探求するのが嫌になってしまう。そういう流れでそういうふうになってしまうは、何かの予定調和か。なぜそう思うのか。世間によって思わせられているわけか。結局それもそれで、そういうこととして受け止めるしかなく、自発的に何を考えているとも思えなくなり、自らの限界を悟ってしまうわけか。それではだめだろう。何かもっと起死回生の何かを繰り出せないものか。そうやってすぐに逆転満塁ホームランを夢想してしまうところが、救いようのない愚かさが露呈してしまっていることの証しか。それでもかまわないだろう。もういい加減にあきらめて、そういうことを延々と繰り返し述べていればいいのではないか。でもそうなってしまったらおしまいか。

 しかしそれらの何を批判すればいいのだろうか。君は世の中の何を批判したいのか。それがわからなければ批判しようがないのではないか。そうではないのか。では何なのか。何でもなければ批判する必要がない。今のところはそれでかまわないのではないか。またそんな冗談を述べているつもりか。ではいった人はどう生きたらいいのだろうか。それも冗談のたぐいであり、君が生きているように生きていればいいだけだ。それではわけがわからないだろうか。無理もなく、どう生きればいいかなんてわからなくて当然だろう。そういう問いではだめなのではないか。ではどういう問いなら答えが見つかるのだろうか。たぶん容易に答えが見つかるような問いなどには魅力を感じないのかもしれず、何だかわからないような問いに答えようとしている姿勢に、何となく惹かれてしまうのであり、要するにそうやって格好をつけているのだろうが、それもどうしようもない愚かさの表れかもしれず、そうやって答えを見出そうとしているうちに、その人の人生が終わってしまうのではないか。それも冗談のたぐいだろうか。何をどう述べてみても、結局は冗談のたぐいに終わってしまうわけか。笑っている場合ではないだろう。もっと君は自らの限界を自覚すべきか。そんなことを述べていること自体がだめなのだろうか。でもそうやって記述を前進させているような気になっているわけで、そう記しながらも、心の底からわき上がってくる自己嫌悪とともに、何だか自らに課せられた義務を果たしているような幻想に浸り、自己満足を得ているのではないか。こうして記された言葉が並んでいる画面を見ると嬉しくなってしまうか。内容などどうでもいいとは思わないだろうが、何か述べているような気がするだけでも、何となく知的な作業に携わっているように思われ、自尊心をくすぐられて、悦に入ってしまうのではないか。だからそれが冗談のたぐいなのではないか。どうせ思いもしないようなことを述べているつもりなのだろうが、そんなことはなく、それでも格好をつけているつもりなのだろう。だから笑ってしまうわけだ。


11月28日

 どうなるわけでもない。どうにもならないか。どうにかなるはずだ。どうにかしようとしているらしい。実際にどうにかなっているのだろう。たとえ答えられない問いが出てきても、わからないままでかまわないのではないか。なぜそんなことを思うのだろう。何も思わない方がいいか。それもおかしいのではないか。何か思い、何か考え、それを文章で示せばいい。そんな当たり前のことができていないのかもしれない。別にかまわないだろう。こんなことを記していること自体がおかしいのかもしれない。でも何なのか。何をどう記したらいいのだろう。わからないが、画面の前でいくら笑ってみても仕方ないか。何もないのだから、何もないなりに言葉を記せばいいだけだ。そんなのはごまかしに違いないが、何となく今はこれでもいいような気がしてくる。もう夜だ。本当に何かないのか。そういえばもうすぐ総選挙だろう。どうせ選挙は世論調査通りの結果になるのだろうから、あまり行く気がしないが、まさか自民党の安倍ちゃんが次期総理大臣か。二度目か。何だか愉快な感じだ。本当に建設国債を日銀に買い取らせるつもりなのか。そうなったらおもしろいか。笑ってしまうが、今の総理だって相当なものだし、いきなり公約破りの消費税率の引き上げだし、やっていることが破れかぶれで、冗談のような気がするのは、君の感性がおかしい証拠だろうか。そういうわけでもないのではないか。安倍ちゃんにしろ、これでいいノダの野田氏にしろ、何だかすごくぶっ飛んだキャラクターなのではないか。たぶんその傾向は小泉氏あたりからだろう。それは石原大ボケ老人と合体した維新の彼にも当てはまるか。でも彼は大阪市長のままで、選挙には直接は出ないようだ。その辺が滋賀県知事と同じくユニークなところか。たぶん国会議員の価値をそれほど重要視していないのだろう。それなりの頭数さえそろえば、後は政策を実現するための駒として使えばいいだけか。その辺の割り切り方が従来のそれとは違うところか。

 まあそんなにうまく事が運ぶはずがないとも思っているだろうし、まずはお手並み拝見となるのだろうか。すべては結果次第だろうが、どんな結果になろうとなるまいと、中国への対峙を口実にした日米同盟などは引き続き堅持されるだろうし、現状にあまり変化があるとは思えない。君が日頃から主張している脱国家などという考え方が広まる可能性などありはしない。たぶんそれはそれらの政治的な試みからは出てこない考え方であり、それが実現に近づく成り行きとしては、国家間の対立や競争が解消する方向での、いわゆる政治の弱体化や空洞化が進行することが前提となっているのではないか。人々が政治という行為に失望して、もはや何も期待しないようになっていく過程で、もう国家などなくてもいいのではないかと思うようになれば、次第にそういう風潮が顕在化してくるだろうか。そうなると同時に、各国での人々の暮らし方や生き方に、それほど差異がなくなってくれば、自ずから世界統一という方向で力学が働くような気もするが、いつそうなるかは、今のところ皆目見当がつかず、君が存命中は間違ってもあり得ないような気がしてくる。まだまだ中国やロシアなどは、国家を前面に押し出して、首脳たちは自国の繁栄を最優先に考えているようだし、一方中東では、アラブの民主化を利用して、イスラム教と国家を結びつけるような勢力も台頭してきているし、さらにイスラエルなどは、やられたらやりかえせの、武装孤立主義で凝り固まっている。そういうわだかまりみたいなものがなくなるまでには、これからどれほどの歳月が必要なのか、あるいは永久になくならないのであり、どこかで解消しても、また別のどこかで生じて、それが常に地域紛争の種となって、それを利用しながら糧ともなり、国家という共同体幻想が、いつまで経っても人々の心の中に巣くって、くだらぬ同胞意識とともに、人類の愚かさを特徴づける概念となってしまうのだろうか。できれば政治家はそこから少しでも外へと抜け出して、世界のすべてが和解する日を目指して努力してほしいような気がするが、今のところは自国民の幸福追求だけで手一杯といったところか。


11月27日

 それは君に限ったことではない。誰に限ったことでもなく、誰も彼もがこの世界が強いている何らかのくびきから逃れられずいるようだ。でもなぜ自由になりたいのか。もう仕事にも生活にもうんざりしているのだろうか。そういうことではないのではないか。またそれだ。何でもなく、君も彼もそれらの束縛から逃れられずにいることは確かだが、たぶん他の選択肢があるわけではなく、他を選べないから、こんな状況を強いられているわけで、そうやって与えられた現状に不満を抱こうとどうしようと、もうここで生きていくしかないということになりそうで、何だか何もかも打ち捨てて、勝手気ままな旅にでも出たいとは思うが、現状がそれを許さないわけか。そんな思いにとらわれていること自体が馬鹿げているだろうか。ではどう思えばいいのか。何も思わなかったのではないか。それは嘘か。嘘でも何でもかまわない。何をどう思おうと君の勝手だ。何もどうも思っていなくてもかまわない。君以外のすべてで事足りるはずだ。オバマだってアメリカでがんばっているではないか。笑っているのは君ではない。君とは無関係だ。それは当然のことか。ではもはや妄想を抱く気にもなれないということか。ただ言葉を記す。それだけのことで一生を棒に振っているわけか。そんな大げさなことではなく、これらは些細な楽しみに過ぎない。言葉を記さなければ被害妄想に苛まれ、鬱病か何かにかかってしまうところか。それも大げさか。たぶん記述をするしないに関わらず、要するにこんな状況なのだ。とりとめのない漠然とした思いにとらわれている。何をどうしたらいいのかわからない。君は他人を啓蒙する勇気に欠ける。それは冗談だろう。何でもないことだ。それはさっき記したことではないのか。少し戦略を見直さなければならないか。今さら戦略も戦術もありはしない。先が見えず周りも見えず、空気も読めない。ただそれだけのことだろう。そうなって当然の成り行きの中で生きてきた。

 いったい何がどうなれば気が済むのか。実際に何がどうなってみても、それは違うと感じるのではないか。しかしそれの何が違うのか。何も違わないのではないか。君は幻想を抱いている。この世界が今よりはよくなると思い続け、そうなるように努力しようと思っている。またそんな嘘をつくのか。君はこの世界のために何をしたというのか。それは大げさすぎる問いだ。でも何もしていないといったら嘘になるのではないか。確かに何かしたのかもしれないが、それによって何がどうなったわけでもなく、結果として何の影響も及ぼさなかったのではないか。それも違うだろうか。では何なのか。これからのことを考えよう。これから何をするつもりなのか。何も思いつかない。またそんな嘘をつく。少なくとも何かしらやっているのではないか。今もやっていて、それは言葉を記すことか。それだけではない。日々何かを考えているはずだ。その考えを記述によって表明しているわけか。馬鹿げているだろうか。それほど馬鹿げているわけでもなく、むしろ当たり前のことなのではないか。では何を考えているのか。君はこの世界をどうしたいのか。どうにもできないのにどうしたいもないか。ならばこの世界の現状についてどう思っているのか。何をどう評価したらいいのか。それも冗談のたぐいなのか。ちゃんとまじめに考えているのだろうか。そもそも何を真面目に考える必要があるのか。その必要がなければどうするつもりなのか。この世界がこの先どうなろうと知ったことではないか。たぶん途中経過ぐらいは知ることになるはずだ。別に絶望的な未来ではなく、いくら事態を楽観視してちょうどいいようなことでしかない。この先に何があろうと、たぶんそういうことでしかないだろうが、そういうこととはそういうことであり、そういうこと以外ではあり得ない。それは何かのごまかしか。君はそう思うならそういうことか。でもそれでは気に食わないのではないか。別に気に食わなくてもかまわないか。


11月26日

 まだだいぶ道のりがありそうだ。今日は寒い。風が強く、一時にわか雨が降ってきたが、今は陽が照っていて、北風が吹いている。そしてもう夜だ。なぜこうなってしまうのだろうか。自然の成り行きか。きっとそうに違いない。何を考えているのだろうか。何も考えていないのではないか。すべてが変わってしまったらしい。当時のことは何も覚えていないのだろうか。なぜそうなってしまうのか。理由がわからないのはいつものことだ。抜け出せないようだが、どこから抜け出そうとしているのか。そんなことはあり得ない。夜になったらさらに寒くなってきた。何がどうなっていようと、そんなことはない。あり得ないからこうなっている。だんだんだめになってきた印象だ。しかしこれは誰の体験なのか。君のではない。いくら考えても無駄か。なぜそうなってしまうのだろう。理由を考えてもだめか。なぜか寒すぎる。冬だから仕方ない。ちょっと違うようだ。こらえきれないのだろうか。昨日は何もできなかった。さらに遅れてしまったようだが、もうだめだろうか。今さら弱音を吐いてもだめか。でも苦し紛れに他人の悪口を言うのも気が退けるか。唐突にそれはないだろうか。でも他に何もありはしない。本当にないだろうか。そういえば昨今の政治情勢はどうなっているのか。選挙が終われば何か結果のようなものが提示されるのではないか。その後にこの国の総理大臣が選出され、また何やらかんやらやりたがるのだろうが、まあ何をやるにしても、やれることは限られていて、大して効果の上がらない景気対策でもやるのではないか。別に不景気でもいいのではないか。世界の他の地域が発展すればいいのであって、国ごとの経済格差が縮む方向に働いているのだから、著しく貧困に喘いでいる地域がなくなるまでは、欧米や日本は不景気のままでもかまわないのではないか。そんなお人好しなことを主張していると、足下をすくわれるだろうか。別にそれでもかまわないのだろう。君にはどんな影響力も備わっていない。世界を動かしているのは特定の誰でもなく、逆にすべての人間がこの世界によって動かされているだけか。

 でもそう言ってしまっては、他に何も言えなくなってしまうのではないか。勘違いでも思い違いでもかまわないから、この俺が世界を動かしてやる、とかいう誇大妄想を抱いていた方が、何となくマンガチックで健全なる精神の持ち主のような気がしてくるか。冗談には違いない。気分転換に空を見上げれば、曇っていて、今にも雨が降ってきそうな空模様だ。他に何を思っているわけでもなく、何を思いたいわけでもない。ただ言葉を記していればそれで気が済んでしまうわけか。まあ良識のない人間はいくらでもいるだろう。何も焦ることはない。もうそろそろ氷河期が到来して、世界的に寒くなってしまうから、温暖化防止も何もやる必要がなくなってしまうか。唐突に何を述べているのか。でもこれらの支離滅裂な記述は今に始まったことではない。そういうことではないのではないか。ではどういうことなのだろう。たぶん君自身がくだらない人間なのだ。でもそんなふうにして自らを卑下しても、何がどうなるわけでもなく、この世界はこの世界のままであり、君は君のままなのだ。何が変わるわけでもない。また空を見上げている。事故が起こって、救助に当たった人が記者会見でいいわけを述べている。助けられなかったのだから仕方がない。そんなテレビを横目で見ながら、何を思うわけでもなく、何か思っていることは確かなのだろうが、別にそれを記す必要もないのではないか。だから記すべき内容が見当たらなくなってしまうわけか。でも何とかここまで記してきたではないか。それがどうしたわけでもないだろうが、何を述べているわけでもなく、述べたいのでもなく、ただ何となく言葉を記しているだけのようだが、別にそれでかまわないわけでもないか。では何なのか。何でもなければここで終わりだ。冗談だろうか。君はこの世界に何を期待しているのか。そういうことではない。何もそうではなく、君はそんな記述ではだめだと思っている。それの何がだめなのだろうか。


11月25日

 今さらのごとく朝だ。人は絶えず付け込む隙をうかがっている。その点では動物なのであり、エサとなる獲物を探しまわっているわけだ。そして同時に人間は社会的な動物であり、絶えずそれが公正でかつ正当な行為であるかのごとくに見せかけようとしている。それが狡かったり卑怯なやり方だと思われてしまうと、他人から非難を浴びてしまうので、なるべくそれは避けたいところだ。ところで君は何を避けているのか。終わってしまうのがそんなに怖いのか。理由になっていない。ただの意味不明か。そうではないだろう。でももう夜だ。働き疲れて眠ってしまうところだった。絶えず何かが頭の中で変化している。そんな気がして仕方がないようだが、それもまた勘違いのたぐいなのだろうか。たぶんそれは君が知っている意味ではないということか。何が何だかわからない。そういうふうに記しているわけだ。だからわざと意味不明に見せかけているわけだ。小賢しいか。愚かなのだろうか。たぶんどちらでもあるのだろう。何でもないのだ。今もそう思っている。そうならないのだから、そうなってしまうわけだ。要するに何も語っていないのか。それは違うだろう。言葉を記しているわけだ。そうであるかもしれないが、内容がない。言葉の配置がおかしいのか。あるいは支離滅裂だと思いたいのか。何がそうなのか。壊れているのかもしれない。心が壊れているのか。簡単なことだ。簡単でないわけがない。そうならないからこうなっているのだ。語れないのだろう。結局のところはそういうことになる。たわいないだろうか。

 それどころではないのではないか。何が壊れていようと、とにかく記述を継続させなければならないのではないか。それは違うか。画像を見ながら何を考えているのか。それは画像ではない。そう思うならそれでもいいのではないか。実際に何をどう思っているわけでもない。何も思わないから記せない。そんなはずがないだろう。嫌がらせにもほどがあるか。そんなふうには思わない。思えないのではないか。どちらでもかまわないはずだ。そんなふうに思ったりはしない。なぜかそんな嘘をついている。いいわけではない。では何なのか。君の知ったことではない。君がそう思うならそういうことになるだろう。どうでもいいのか。投げやりなことを述べているようだ。はまっているのだろう。でも罠にはまってどうするのか。また眠ってしまった。目が覚めたら何もない。そんなふうに語っている。またそれは冗談か何かだろうか。冗談でも何でもないのではないか。何も語る気がしないだけか。ただ語れないだけかもしれない。でも言葉を記しているではないか。他に何もない。たぶんそれはそれなのか。何を述べているのか。これも一つのテクニックなのか。何がそうなのか。わからないが、もう翌月になってしまったらしい。12月になっているのに、11月の日付のままか。それもここ数ヶ月はそうなっている。それで持ちこたえているつもりのようだ。かまわないのだろう。何がかまわないわけでもないが、とりあえずかまわない。とりあえずはかまわないのだ。こうなっていることについては制御できず、歯止めがかからない。

 見えているのではないか。他人のやり方が見えている。荒んだ気持ちが治らない。被害妄想にとらわれている。もう心の病なのではないか。そうだとしても平静を保っている。では現状では何を受け流しているのか。ここには何もなく、どこにも何もなく、ここにすべてがあり、すべてがどこかにある。虚しいことだ。すべてが虚構なのではないのか。語るとすればそういうことになるだろう。語らなければそれでもかまわないか。君が何を語っているのでもないらしい。誰も何も語らない。物言えば唇寒しか。余計なことを言うと災いを招く。すべてが余計なことだったらどうするのか。だから人には言葉が余計なのか。でも言葉がなくなればその他の動物と変わらなくなる。今でさえ変わらない。何も変わらないだろう。何も変わりようがない。これ以上に何ができるというのか。何もできないからこうなっている。勘違いかもしれないが、こうなってしまっているわけだ。とにかく過剰に言葉を記さなければ、その先が出てこないらしい。まともな内容に至るには、無駄な言葉をその数十倍は記さなければならないのかもしれない。それも勘違いのたぐいだろうか。そうかもしれないが、現状ではそんなふうにしかやりようがないので、やってみるとしよう。これも冗談なのか。あるいはわざとおかしなことを語っているのか。あくびが出てくるが、やっているうちに馴れてくるのかもしれず、もうしばらくはそうやっていればいいような気もしてきて、何だかそれで前向きに言葉を記していけるのかもしれない。そんな期待が裏切られないうちは、それを継続させてみればいい。でも笑ってしまいそうだ。誰がだろうか。君ではないのか。


11月24日

 またそんなことを記している。ここからどうすればいいのだろうか。またそんなことを思ってみたりもするが、しばらくはこんなのでかまわないのだろうか。冗談が過ぎるだろうか。何がそうなのかわからない。何もそうではないのかもしれない。そうやってまた無駄に言葉を連ねる。無理なのではないか。いつもそう思い、一時思いとどまるが、結局続けざるを得なくなり、そのまま言葉を記してしまう。愚かなことか。何だかわからないが、ひどいことになっていた。だが気を取り直して今に至り、何となくそうなっているようだ。くだらないか。何がそうなのか。何もそうではないのだろう。相変わらずこうなっている。それだけのことだ。心が折れているみたいだ。でも今から語るとしよう。おもしろおかしく語ろうとしてはだめだ。つまらなそうに語るべきか。そうではないだろう。何も語らずに言葉を記せばいい。でも近頃はそればかりではないか。本当につまらなそうに言葉を記している。つまらないのだろうか。それはわからず、ひどいことになっているだけか。何だかわからない。やはりそうだ。どうせ疲れてしまったのだろう。何だか荒んだ気分となりそうだ。それも承知している。入ってくるすべての情報が嫌な雰囲気をまとっている。それは思い違いか。なぜなのだろうか。また鬱状態なのか。なぜそう思うのだろう。何だかやりきれない思いで心が満たされている。哀しくなってしまうのだろうか。でもいいではないか。結構うまくいっているのではないか。表面的にはそうなのだろう。実質的にはどうなのか。

 忍耐を要する。ひたすら耐えているようだ。仕方のないことか。何だかわからない。それだけのことなのに、疑わしく思われる。疑念を抱いているのか。ならば早く払拭した方がいい。君は焦っている。焦りすぎているのではないか。でも冷静に対処しなければならず、これが焦らずにいられようか。でも笑っている。まったくすごい日々が続いていて、これで精神的に深化したのならいいが、まだプレッシャーが強すぎるか。でも耐えているではないか。耐えられるうちは耐えていればいい。それだけのことだ。でもくだらない。そう思っているうちはまだマシな方か。変にひねくれて根性がねじ曲がってしまったらおしまいだ。そうならないようにしなければならない。君は試されているのだろうか。たぶん成り行き的にはそういうことになるが、何かそこに特定の人物による思惑が働いているわけではない。自然にそうなっているだけだ。そして君はそれに苦しみ、耐え忍んでいるわけか。でも笑っているではないか。笑いながら強がっているのか。確かにそうかもしれないが、それはフィクションの中でそうなっているだけで、現実の世界ではビビりまくりか。そうなって当然だ。なにしろそんなことの連続なのだから、精神的に参ってしまって当然なのに、それを何とか対処しているつもりなのだから、まったくご苦労なことだ。頭が下がる思いか。でもいつまでも恐れ入っていないで、何とか反撃に出た方がいいのではないか。まったく雲をつかむような話か。何の話でもないだろう。途中からおかしいか。でもどうにかこうにかここまで記してきたではないか。もう少しで終わるだろうか。

 でも仕上げが雑な印象を拭えず、いつも決まってとっ散らかってしまい、何を述べているのかわからなくなり、言葉を記しているうちに、次第にどうでもいいような気分となり、気持ちも散漫となり、根気が続かなくなる。ではもうこの辺でギブアップなのか。気晴らしにテレビドラマを見たいわけでもないだろう。でもそこから先に何かがあるらしく、そこまでいって確かめてみないと気が済まないたちで、これまでに何度も無駄足を踏んでしまったのだろうが、本当に何の役にも立っていないのか。そうとまでは言い切れないが、役に立つようなことをやろうとしているわけでもなく、ただ感動したいのだろうか。それも違うか。でも感動したら、何だか気が済んだように感じられるのではないか。それが気休めの効用か。そうとばかりも言えないか。これの試練なのか。それでかまわないのではないか。とりあえず立ち向かうしかないようだ。こんなことでしかなく、こういうことでしかない。もういいといえばいいのであり、よくないと思えばそういうことになる。受けて立つつもりもなく、受けて立たなければ、なおのことつけ込まれ、こちらが嫌な思いをすることになる。うんざりさせられるが、それがあちらの思うつぼで、嫌がらせのようなことになってもかまわないわけだ。なぜそうなってしまうのか。この世にはうんざりするような仕打ちが横行しているのだろうか。たぶんそうだ。そういう見方をすればそういうふうに思われ、それ以外が見えなくなってしまい、ますますうんざりさせられ、どうでもよくなって、荒廃した光景が目の前を覆うわけだ。それは悲惨な自業自得となり、打ちのめされた気分となってしまうわけか。


11月23日

 どうやら今月も記述が遅れたままになってしまったようだ。どうも日付が今日に追いつかない。気を抜くとさらに遅れていってしまい、窮地に陥ったまま、苦し紛れの意味不明を繰り出して、自己嫌悪に陥ってしまうらしい。馬鹿げた悪循環の繰り返しか。それでも言葉を記そうとしてしまうのだから、呆れてものも言えないか。それほどのことでもないだろう。でも自画自賛するようなことではない。否定的な見解が常時必要か。それも違うか。では何なのか。何でもないといえば、それはいつものことになり、元の木阿弥になってしまうかもしれない。だからそこから外れたいのだろうか。理由が意味不明か。相変わらずおかしなことを述べている。でも仕方がないだろう。他に語りようがなく、何も思い浮かばないのだから、こうなるしかない。それも違うような気がして、何だか無い物ねだりをしている子供みたいな心境になっているのかもしれない。それも違うか。何が違うのか。つまらないことを述べているのかもしれない。またコーヒーを飲んでしまったのか。別に胃が痛いわけでもないだろう。でも行き詰まり感が漂っているようだ。この際そんなことは気にする必要はないか。しかしこの際とはどの際なのか。それも違うだろう。では何が合っているのか。何も合っていないのであり、すべてが違っているのではないか。でもそれでは話にならない。そういう話なのではないか。つまりこれらは話にならない話か。ありふれているだろうか。

 何がそうなのだろうか。すでに夜だ。引っ越し先から首都高と関越道を車で飛ばして、ここまで戻ってきた。それだけのことか。カーナビの指示通りの道順できたから、首都高のどこをどう通ってきたのか頭の中で把握できていないが、今聴いているのはセックス・ピストルズの『ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン』か。関係ないだろう。でもそんな心境にはなれない。今さらノー・フューチャーであるわけがない。たぶんそんな君にも未来があるのだろう。残された時間が後数十年はあるのかもしれない。確かにそうだ。他に何がそうであるわけがない。すでにここまできてしまったらしく、後戻りできない状況なのだろう。すでにこんなに記してしまったようだ。何とかしなければと思っているうちにこうなってしまった。本当にこれで何とかできるのか。君の知ったことではないが、それは毎度おなじみのことだ。だからいったい何がそうなのか。空疎なことを述べている。それが君にはお似合いだ。それ以外には何も語れないのか。それとも語ろうとしていないのか。それは語る必要のないことだ。語る必要がない。それでは話にならないが、その通りなのだから、それを受け入れなければならない。夜は長い。言葉を記す時間もありそうだが、今のところは何も思い浮かばない。誰かがそんなふうに思っているのだろうか。しかしそれがどうしたのか。そんなふうにして居直る必要もない。要するに何も必要がなく、必要から見放されているのだろうか。

 そして寝て起きたら真夜中だ。昨夜は何を述べていたのだろう。また途中で眠ってしまったらしい。たぶんまた何でもないことを語っていたはずだ。とりとめのない内容となっている。君はもうだめなのだろうか。昔からそうだった。そう思いたいだけのようだ。まだ可能性がある。それも気休めか。何がそうなのか。寝て起きたらそんなことになっている。何でもないのにそうなのか。気分次第で物事の捉え方も変わるだろう。それでかまわないのではないか。またそれだ。またずいぶんと遠回りをしているようだ。他人の何倍も確かめようとしているのか。いったい何に興味があるのか。どのような認識に至ろうとしても、そこには勘違いが含まれている。すべてはゲームだ。そういう割り切り方も危険かもしれない。安易な競い合いを無批判に受け入れている。君にはそれとは違った方向性を打ち出してほしいか。だからそれが無い物ねだりなのか。大したことは何も述べていないはずだ。でもそこから逸脱したいのだろう。わけのわからぬことを記してみたいのか。それも一種の無い物ねだりか。そんなことを思っているつもりはないか。でもどこかに勘違いがあることは確からしく、思わぬところからそれを思い知らされ、思いもしなかった苦境に陥ってしまったりするわけか。それがおもしろおかしく、そこから愉快な気分に誘われてしまうこともあるのかもしれず、たぶんよくわからなくなってしまうのだろう。陸運局で自動車のナンバープレートを替えるのに、初めてで手順がわからずに一苦労だ。それでも悪戦苦闘しながらも何とか交換できて、それ以前に車庫証明の申請でも、警察の受付担当者が因縁を付けてきて、何だか外車を所有していると差別されるのかと思ったりする。


11月22日

 またここまできてしまったようだ。今さら何を語ろうというのでもなく、ただ言葉を記すだけならできるような気がして、何となく言葉を記してみるが、それだけでかまわないのだろうか。これも冗談のたぐいだろうか。これとは何か。そんなことはわからない。でも何か記していれば楽しいのではないか。これが愉快でいられようか。だからこれとは何か。実際には何のことでもありはせず、ただそんなことを記してみただけか。君が述べていることはよくわからないが、要するにそういうことなのか。何のことでもありはせず、気まぐれでそんなことを記してみただけか。また何かが繰り返されているようだ。果たして冗談の次は何だったのか。何でもない。次も後もなく、その場限りの即興で記しているようで、何の脈絡もありはしない。君はそこで灰になっているのか。唐突にそれはないだろう。相変わらず何がどうなっているわけでもなさそうだ。ただ何となくそんなことを記してみたくなっただけか。それでは話にならない。君では話にならないか。誰であってもそうだ。そんなことを語っているから話にならなくなり、言葉を記しているうちにうんざりしてくるか。それもそうだ。ならばもっと中身のあることを語ってほしいか。誰に向かって述べているのか。それがわからない。

 誰でもないのだろう。誰であってもかまわない。誰もそんなことは気にしていない。ただここでそんなことを記している。それだけのことだ。しかし何を見ているのか。夜空を見上げてどんな感慨を得たいのか。何でもかまわないのではないか。すべてを忘れ、新たな記憶を得たいのか。おもしろいことを言うものだ。誰が何を言ったわけでもないだろう。夜の闇が浅い。街路灯に照らされて、公園のベンチが光っている。そんなのは空想だ。実際に何を見ているわけでもない。目を開ければ何かしら見ているのではないか。それもそうだ。そうでなければ何なのか。切羽詰まっているわけでもなく、今日は今日であり、明日は明日であり、そして間もなく眠ってしまうのだろう。誰かが今から数時間後に眠ってしまう。それは当たり前のことのようで、当たり前でなくてもかまわないような気もする。実際のところあれは何なのか。あれとは何か。何もつかみきれていないらしい。君は何も見ていない。言葉が記された画面を見ているのは君とは別人か。そんなわけもない。では永久の眠りについているのは誰なのか。誰がそんなことを空想しているのか。そんなはずがなく、もう逃げても無駄だ。ここで君は終わりなのか。それも誰かが空想しているフィクションの中でのことか。別に眠らなくてもかまわないのではないか。でも寒い。

 冬の寒さに負けて眠ってしまいそうだ。そんな話でもない。面倒くさいのはわかっている。語るのが億劫だ。何について語ろうとしているのか。君が知ろうとしていることではない。君はそれについて何も語らない。君に語れるはずがない。でもそれを否定するだけ嘘になる。それとは何か。それは嘘そのものだろうか。誰がそれを欲しているわけではない。とりあえずのことであって、間に合わせの言葉しか記されていないはずだ。でもそれはその場限りの何なのだろうか。何でもありはしないが、そう記すと、何だかそれとは異なるか印象を得る。嘘だろうか。たぶん何が嘘でもないのだろう。何が嘘であってもかまわないが、嘘でなくてもかまわない。では何を主張しているのか。それに関してどこかで何かがつながっているのかもしれないが、今は定かでない。たぶん話にならないのだから、それでかまわないのかもしれず、いくら語ろうとしても徒労に終わり、君は疲れて寝るしかない。まだ明日がありそうで、明日に向かって努力しなければならず、夢の中でそんなことを思い、何が嘘であろうと、君はさらに前進するはずだ。でも前に進み出た先には何もない。そんな夢を見ているわけか。そうであったとしても、まだその先があり、君はその先で何かを語ろうとしている。それはどういうことなのか。まだ夜だ。夜明けは遠いか。夜が明ければどうなってしまうのだろうか。それは明日になればわかるだろう。当たり前のことだ。夢の中で何にうなされているわけでもなく、ただのフィクション以前の何かがそこで語れているように思われ、君はそれを求めているのかもしれない。


11月21日

 何をけなしているわけでもないようだ。では何なのかといえば、それは何かを賞賛しているのかもしれない。それとは何か。それとはそれだ。それ以外の何ものでもない。そこでは何がそうなのでもなく、何もそうではないのかもしれないが、とにかくそれはそれなのだ。それでいいのだろうか。一応の答えとしてそういうことにしておきたい。翌日は雨が降っていて、何か不吉な予感が的中したわけでもないが、面倒なことになり、彼は不快な気分のまま言葉を記しているようだ。それでどうしたのか。何か興味深いような出来事に遭遇したのだろうか。何でもないことだろう。別に不快になったところで仕方がなく、それはそれとして対処しておけばいいのだろうし、実際にそういう対処をしておいたところだ。だから何だというわけでもなく、この国の政治情勢がどういうことになろうがなるまいが、君には大して影響がないのではないか。それとこれとは無関係か。興味がないといえばそういうことになり、どこの政党が政権を担っても、大した変革などできはせず、選挙の時にやっている誇大宣伝に踊らされる人もほとんどいないだろう。

 もう国家はいいのではないか。世界各国の代表者や指導者的な役割を担っている人が主張していることは偏狭すぎる。やはりこれからは脱国家だ。冗談を述べるならそういうことになるだろう。冗談ではないのかもしれないが、イスラエルが選挙前にガザ地区を空爆して、数十人が犠牲となったら、アメリカのオバマが、イスラエルは自国を防衛する権利があるとかいうたぐいのことを述べていた。だいたい発端は、ガザ地区を実効支配しているハマスの軍事部門の責任者を、イスラエルがミサイル攻撃で乗っていた車ごと爆殺したから、ハマスや他の武装集団が報復のミサイル攻撃に出て、イスラエル領内に着弾して数人が死傷したわけで、国家の名を借りて人々がやっていることは、結局のところ自国民の命や財産を守るためなら、場合によっては他国民を殺してもかまわないということだ。事ある度にそんなことを延々と繰り返しているのが、あの辺で行われていることのすべてだ。何だか馬鹿げていると思わないか。まさか右翼の皆さんは、自衛隊を国防軍として、そんなことをやっている国々の仲間入りがしたいのだろうか。

 南のちっぽけな無人島を守るために、国防軍を現地に駐留させて、中国辺りににらみを利かせるのだろうか。それでは竹島で同じようなことをやっている韓国と変わらないではないか。まあそういうことをやるのは、国家としては正解なのかもしれないが、何だかやっていることがみみっちいような気がするのはおかしいか。国家が自国の領土を守るためには当然の行いといえばそうなのかもしれない。でも何だか了見が狭い。国家がある前に何かがありそうで、そちらを優先させて、国家という不毛な共通認識を弱められないものか。でもそこから先は夢想の世界だろう。どうすればそうなるのかわからない。何を模索しているのかもよくわからず、今のところは実現不可能な夢でしかない。しかし何が不毛なのだろうか。同じような人間が暮らしているに過ぎないのに、国家が違えば、くだらぬ争いごとが生じてしまう。なぜ争いごとがくだらないのか。無人島の周りに監視船を出して、拡声器で島の領有を主張し合うからか。国内のメディアが他の国のノーベル賞受賞者を讃えないからか。あるいは世界的なスポーツ・イベントで自国出身者が活躍してくれないと腹立たしいか。いったい日本人選手は何をやっているのか。そんな思いが募ってきたら、君も国家主義者の仲間入りだろうか。


11月20日

 さらに気がおかしくなったわけではない。たぶん興味がなくなったのだ。心がどこかに埋もれている。過渡期なのだろうか。つまらなくなったらしい。言葉が続かなくなり、その連なりが文章にならなくなる。何かの病か。すべてがバラバラだ。なぜ興味を持てないのだろう。なぜかくだらない。何がくだらないのかわからないのだが、要するにくだらないのだ。たぶんこれでも何かに導かれているような気がするのだが、それが何だかわからないまま、何となくくだらない気分となっている。やはり意味を見出せないみたいだ。語るべきことがない。少しは素直になったのだろうか。そう思うならそういうことにしておけばいい。だがこのままでは終われない。すでに終わっているだろう。終わっているから終われないのか。それも一理ある。少しくどいだろうか。文と文がつながっていないようだ。それでは文章とはならないか。何かおかしいようだ。何かがおかしいのだろう。でもその何かが何なのかわからない。そもそもそれがおかしいのではないか。眠たいのか。眠ってしまえばいい。さっさとそうしよう。そして寝て起きて、何を語ればいいのだろう。またそんなことを記しているようだが、もううんざりか。苛立ってみても仕方がないか。もう翌日の昼か。まだ何かが違うのだろうか。たぶん何も記すことがないのだ。だから終わっているということか。そうならないようにできないのか。今のところは万策尽き果てて、虚無の虜となっているはずだ。でも空は晴れて雲ひとつない。平和なのか。少なくともこの地域はそうだ。平和だからこそ、紛争地域に住んでいる人の痛みなどわかるはずがない。わからなくてもかまわないから、そうなのだ。焦ってみても、何も出てこないはずだ。何を見ても関心を持てない。見るだけではだめなのではないか。ではどうしろというのか。やめたらいい。言葉を記すのをやめるべきか。たぶんそういうことだ。しかし逆らってしまうのだろう。今もそうしている。やがて時が経ち、君もこの世界からいなくなってしまうだろう。この世界そのものも消失してしまうのかもしれない。すべては変わる。

 まるで生きていないようだ。活かされていない。暗い顔して何をやろうとしているのか。憤っているわけではない。気力がないのだ。そして何よりも疲れている。そんな気がするらしい。何も語る気が起こらない。昔からそうなのではないか。それは違うだろう。何が違うというのか。すべてが昔とは違っているはずか。そう思いたいのなら思えばいい。昔の曲を聴いている。昔から聴いている曲だ。それだけのことだろうか。何が変わったといえるのか。時代が変わったのではないか。死ぬ人は簡単に死ぬのかもしれない。死にたい人は死ぬのだろう。君はうまく生きているのではないか。それとは違うというわけか。何が違うのか。希望も期待もない。落胆しているだけか。その代わりに何があるというのか。無の境地には至らない。別に死にたいわけでもないのだろう。自民党の安倍氏が街頭でやっている演説内容を真面目に捉えることができない。たぶん何かの冗談でやっていることなのだろうが、それでも自民党の候補者に投票する人はたくさんいるのだろう。維新の会は論外か。でもそれを支持している人もたくさんいるはずだ。国家主義者の皆さんは元気が命だ。せいぜいが元気いっぱいでがんばってほしいか。せいぜいが余分だろう。どうか気を落とさないでほしい。ついでに気分を害さないでほしいか。誰かがギターを奏でている。飛行機事故で死んだギタリストの演奏のようだ。株価が上がったり、デフレを克服できたりすれば、それでみんなが喜ぶのだろうか。次はサックスとピアノの競演か。何を思っているのか。何も思わず、音楽を聴いている。いったい誰が困っているのだろうか。医療とは何か。制度を変えてどうするのか。より効率的になるわけか。その度ごとに不具合が解消されたりするのだろうか。そのつもりで改革を訴えているはずで、訴えている人の主張通りに事が運べば、制度が円滑に作用するようになるのだろうが、そうなっていないから今がある。別に何も矛盾してない。君は君自身について考えたことがあるのか。それ以外に何を考えているのだろうか。やはりその辺がわかりづらいようだ。どうでもいいことかもしれないが、いつまでもそんなことにこだわり、それについて考えている。


11月19日

 どうも吹っ切れていないようだ。まだ粘るのか。そんなはずがない。何も語っていないではないか。何かがバラバラだ。頭の中でそうなっているのだろうか。でもまだ間に合うと信じている。疲れているようだ。でも語ろうとしているのだろう。弱音を吐いている場合か。政治などに興味はない。またそうやって嘘をつく。でもそこから話が進まないではないか。いつもの悪い癖か。またどこかへ逸脱しようとしている。不意に本題へと入るわけか。虚を突いているか。だからそんなはずがないと述べている。フィクションの中ではそうだ。それも嘘か。さらに何も語れなくなる。画面の前に座ってから、もうかれこれ二時間が経過している。どうやら今日もだめらしい。心が逃げているようだ。それがおもしろいところか。それの何がおもしろいのか。またそうやってわざとらしく字数を稼ぐ。まさに愚の骨頂か。それでもかまわない。そしてまたわからなくなり、こんなふうになっているらしい。馬鹿げている。虚ろな目つきであるはずがない。鏡を見ているのだろうか。画面に映る何かを見ているだけのようだ。冗談のたぐいだろう。しかしこの現象は何なのか。これも自己防衛の手段なのだろうか。でもうまくいっていない。何がおかしいのか。具体的な事柄について語っていないようだ。だから何を語っているのかわからないか。語っている内容ならこの通りだ。それでかまわないのだろうか。堪忍袋の緒が切れるか。なぜだろう。さらに時が経つ。またさらに心が遠ざかり、何もかもが上の空だ。なぜ興味を持てないのか。別に気が触れているわけではない。ただ世の中の面倒くさいシステムの中であがき苦しみ、うんざりしているわけか。それとも笑ってしまうだけだろうか。疲れているだけかもしれない。でも何とかなっているのではないか。気休めとしてはそういうことになる。そこで眠ってしまったらしく、もう翌日の夜だ。何をどうすればいいのかわからないままのようだが、結局どうにかなっているのだろう。時が経ち、やがてどうでもよくなってしまうのであり、そのとき何を悩み迷っていたのかも忘れてしまう。

 人はやがて死んでしまうのだから、死ぬまでの間に何かをやっていなければならないのか。何もやらなければすぐに死んでしまうだろうか。とりあえず呼吸をしていないと死んでしまう。またはぐらかそうとしているらしい。それらのどこに争点や論点があるわけでもなく、何を争っているわけでもない。では何なのか。頭が痛いか。きっとそうではないのだろう。意識がそこから外れそうになっているのか。いつもそうだ。冗談なのだろう。そこから先への一歩が踏み出せない。何を躊躇しているのか。いったいどこで迷っているのか。嘘に違いない。何もないのだろう。それも違うと思われる。だから冗談に決まっているのではないか。もう終わりだ。何が終わるのだろうか。まだ外れていないらしい。誰に助けてもらおうとしているわけでもない。何とかまともな言葉の組み合わせにしたいようだが、これがなかなかうまく行かず、次第に焦ってきて、苦し紛れの安易な手段に頼ろうとしてしまい、途中でそれに気づき、あわてて削除してしまう。何を削っているのか。ゴミ箱には何が投げ込まれているのか。それは空疎な響きだ。空洞に何かが反響しているようだ。それは何かの音だろうか。何かの反響音には違いないが、はじめからやり直せないから、ここから記すとしよう。何の脈絡もありはしない。それは何かが崩壊する前兆音だろうか。何を想像しているのか。何でもない。いつまで経ってもそんなことでしかなく、否定的になってはまずいのかもしれないが、何となくそんな気分となり、ますます鬱状態となってしまっているようだが、心の中で何が鬱積しているわけでもない。では何を否定しているのだろう。この世のすべてか。冗談に違いない。冗談でもないのだろう。どうやら君自身が架空のゴミ箱の中に投げ込まれているようだ。もう用なしか。何の必要にかられてそうしているわけでもない。ただそれに気づかないだけだ。人はみんな気づかない。やがて忘れ去られる。君もそうだ。無視され気づかれなくなり、そしてどうにかなってしまうらしい。でもその存在を誇示しているわけでもない。虚無が存在しているわけでもない。そうではないのに、なぜそうなってしまうのか。


11月18日

 またいつもの夜になったらしい。そんなはずがないか。君にわかるわけがない。でも何とか言葉を記す時間がありそうだ。何を記すつもりなのだろう。またそれだ。そんなふうに語ろうとするから、中身を見出せずに語り終えてしまう。だから内容が定まらないうちから、語ってはならないということか。でもそれで納得するはずがなく、語る以前に、無闇矢鱈と言葉を記そうとする。時にはそんな嘘をついて、記された言葉の数を増やそうとする。どうやら堕落しているようだ。何がそうなのか。別にとんでもないことを述べているわけでもなく、わけがわからないわけでもない。ただくだらないだけか。一概にそうともいえないだろう。何もそうではない。何かがそうであると同時に、何もそうではないのか。またくだらないことを述べているようだ。そんなふうに思うなら、それでもかまわないのではないか。外は真っ暗だ。何も見えやしないか。別に何を見ようとしているわけでもない。実際に何も見えないのだから、それでもかまわないのではないか。昨日の昼は遠くを見つめていたのではないか。それがどうしたわけでもないのだろうが、遠くに見える山の名を思い出そうとしていたはずだ。たぶん何に熱狂したいわけでもないのだろう。テレビでサッカーを見ていた時間帯もあったはずだ。ネットでそれに関するニュースを読んでいたりして、まんざら興味がないわけでもないはずで、でも深入りしない程度の興味でもあるはずだ。だからそれがどうしたわけでもないというわけか。君の知ったことではない。なら誰の知ったことでもないのだろう。どうせこのままどこまでも言葉を記してみても、どこへたどり着くわけでもなく、架空のどこかで虚無に覆われた意識がさまようだけか。でも何かを捉えようとしているのではないか。今もそれについて語ろうとしている。見つめているのは虚空ではあり得ない。絶えず景色が移り変わり、心の中で何かが揺れ動き、誰かを動揺させようとしているのかもしれず、思いもしなかった結果に直面したりして、そのとき君は焦るのだろうか。そんなことまで想像する必要はないか。

 今ここで何を見ているのか。誰が何を目指しているのでもない。だから何もそこまで語る必要はない。そこまでとはどこまでなのか。誰もが無力な存在だ。この世ではそうなのか。でも未だに何が見出されているわけでもない。わけがわからないわけではなく、誰もそんなふうには思わないのだろうか。でも疑念が芽生えて、頭から離れず、ことある度に思い出され、戸惑わせるはずだ。なぜこんなことを記しているのか。そうではないからだ。何もそうはならず、何もかもがそうなっているわけだ。矛盾しているのか。でもそれが当たり前のことなのだろうから、君はいつも戸惑っているはずだ。そして信じられない。この世界を信用しておらず、人のためにあるのではないことに気づいているのかもしれない。すでに夢見るまでもなく、人々は自らが抱いている幻想にどっぷり浸かっている状態なのではないか。君自身はどうなのか。そこから離れているわけか。そんなのは嘘だ。君も夢を見ているのではないか。その中で何が現実なのだろうか。気が触れているのかもしれない。誰かがどこかへ出てゆき、それと入れ替わりに、他の誰かが入ってくる。そんなことを空想しているわけか。やはり何がどうしたわけでもなく、文章として成り立たないような記述をやめようとしているのかもしれない。でも可能な限り対応しようとしているはずだ。文章になるように努力しているということか。気が抜けているようで、まだ途中なのに、結果が見えてしまって、落胆しているわけか。それでも何とかしたということだ。今まさに何とかなりつつあるわけだ。それでも言葉を記している。やる気もないのに言葉を記している。しかしやっているのではないか。確かにそうだ。これはすごいことだろうか。大したことではない。でも気分転換になっているような気がする。だが依然として何でもない。まともな内容になっていないようだ。それが違うのかもしれない。この世のただ中で、この世のすべてを知り尽くそうとしているわけではないが、それでもおかしいと思っている。何でもないのにそうなってしまうわけだ。君はどこか得体の知れない地帯へと導かれているのだろうか。そうだとしても、何を語れるわけでもないか。


11月17日

 何となく機転が利くらしいが、それで得したわけでもなく、逆に知らなくてもいいことまで知ってしまった気がするが、これでいいのだろうか。いいはずがなく、何だか成り行きで脂っぽいものばかり食べて、少々胃もたれ気味か。でもまた食べたくなってきたようで、このままでは肥満体質になってしまうだろうか。なら食べなければいいだろう。もう買ってきたものはみんな食べてしまったのだから、食べ物など何もない。あとは絶食するだけか。そんな大げさなことではなく、ではどんなことかといえば、どんなことでもなく、何でもないことか。でもそれでは元の木阿弥だ。だからこうして出発点まで戻ってきた。そんなのは嘘だろうか。何が嘘でもなく、何も嘘ではなく、同時にすべてが嘘なのか。でもそういうのはごまかしのまやかしに違いない。どうやらまたくだらないことを述べているようだ。まったくそれでは埒が明かない。でもかまわないだろう。こうして言葉を記しているうちはこれでよしとしなければならず、これもできなくなったら、本当の終わりではないのか。そうかもしれないが、それでも何とかしようとするのだろう。君にはそれができると思っている。でも実際に何ができるのか。誰かがそんなことを記しているだけだ。それは君ができることではないのではないか。とりあえず君以外の誰もができるかもしれないが、君だけにできることとは何なのか。そんものなどありはしない。君にできることは他の誰にでもできるが、君は言葉を記すことができない。そんなのは嘘だろうが、そういうフィクションならおもしろいだろうか。いったい何を空想しているのか。何でもないといえば嘘になるか。嘘になろうがなるまいが、何となくそんなことを思い、別の時間帯ではそんなことなど何も思っていないのだろうが、何だかおかしくなって、笑い転げているわけでもないのに、そんな光景を想像してしまい、それが何だかわからないにしても、またわけのわからないことを記しているのかもしれず、それだけで愉快な気分となるらしく、誰かがさらにおかしなことを記そうとしているみたいだが、それは冗談に違いない。またそれだ。呆れてしまうか。

 今は何をやっているのか。漫画を読んでいるのではない。新聞を読んでいるのでもなく、テレビを見ているのでもない。それだけのことだろうか。いったい何を利用しているのか。落とし穴がどこにあるというのだろう。君はそこで何かを語ろうとしている。ただそれだけのことなのに、何やら思いとどまっているみたいだ。おかしいだろうか。たぶんことを起こさない方がいいのだろう。このまま黙って引き下がるべきか。何のことやらわからない。いったい何がそうなのか。その辺のところを改めて考えてみるが、どうもはっきりしたことを思い出せない。すべてがあやふやで、何がどうなったかのかさえ定かでなく、要するにそれが思い出せず、それについて語れないようだ。でも別に語れないからといって、苦しんでいるわけではない。むしろ気楽なのかもしれない。何も語らなくてもいいのに、誰かが言葉を記している。それだけのことなのに、何だか愉快な気分だ。正気ではないからか。話になっていないではないか。そういえば君は今度の選挙は投票にいくのだろうか。今のところはいく気がしない。今でさえそれなりに優秀な人材が国会議員になっているのだろうに、やっていることのことごとくが失敗しているような案配で、たぶん誰がやってもうまくいかないような気がして、それをとやかく批判しても仕方がないような気がするのは君だけだろうか。たぶんあれらの人々が、選挙で選ばれたたぐいまれなる人々なのだ。誰がやってもうまくいかないことを、一生懸命やっているのだから、それは奇特な人々なのだろうが、また今度の選挙で同じような人々が選ばれ、またうまくいかずに、メディアからの批判をその一身に浴びながらも、一生懸命努力することになるのだろう。たぶん今の世界で一番有能かもしれないオバマでさえ、アメリカの大統領として、やるべきことのほとんどがうまくいかずに、日々悪戦苦闘の最中なのだろうから、その辺で政治家の役割自体に限界があり、その限界を選挙民たちがわかろうとしていないだけで、現実にはできないことをやらせようとして、期待外れの結果に至っては幻滅し、ただ批判するばかりなのではないか。


11月16日

 何を考えているのか。たぶん何か考えているのだろうが、何となくそれは嘘のような気もする。本当は何も考えていないのではないか。何を考えるにしてもプライドがそれを許さないのではないか。それはどういうことなのだろうか。何も考えていないことの理由が、執拗にこだわっているせこいプライドだとしたら、それはどういうことになるのだろう。君の知ったことではなさそうだ。いずれにしても大逆転とはなりそうもない。今のところはそうだ。いつまでもそうなのだろう。そしてくだらない。頭がおかしいのではないか。何だか常識から外れているような気がして、それでもかまわないから無理に語ろうとすると、その後が続かなくなるか。実際にそうだ。結局何が何だかわからなくなってくる。君はそこで何を語っているのか。君にわかるわけがない。そんな君自身の姿勢が問われているのでもない。だが依然として何もない。何も語れないのに、何か語ろうとしている。無理だろう。近頃はそればかりか。でもそれは今に始まったことではない。日本語として意味が通らないのではないか。そこを何とかごまかして、何か述べているような感じにしたいところだが、どうもうまくいっていないようだ。だからプライドが邪魔をしているわけか。しかしそれは何のプライドなのだろうか。今までに何か誇るようなことでもしたのか。まさかひたすら意味不明なことを記し続けていることを誇ってみたいわけでもないだろう。だからそれが冗談なのかもしれず、本当はプライドも何もかもかなぐり捨てて、内容など何でもかまわないから、とにかくそれらの記述を継続させたいだけなのではないか。だからそれが冗談なのだ。実際にはそんなことなどこれっぽちも思っていないはずで、要するにどうでもよくなってしまったのではないか。ただ惰性で言葉を記しているだけで、記述自体に何の価値も見出していないはずだ。もう興味を失ってしまったのだろうか。自らのやっていることに関心を持てないのかもしれない。そんなはずがないか。でもそんな気がしていることだけは確かで、もう賞味期限切れとなってしまったのかもしれない。

 何がそうなのか。何もそうではなく、ただの気まぐれとその場の気分次第で、そんなことを記しているだけかもしれず、やはりそれがどうしたわけではなく、そんな事態に困惑しているわけでもなく、その場の成り行きでそうなってしまったことを受け入れる素振りを見せながら、さらの言葉を付け足して、その時の気分が何だかわからないようにしているらしいが、そうする理由が見当たらず、そんなことをやる必要もないこともわかっていて、なのにそう記してしまうのを止められないことに、疑念を抱くわけでもなく、そうなって当然だと思いはしないだろうが、何となくそうなっていることについては、何とも思わないようだ。相変わらず何をどう思ったらいいのかわからない。だからこんなふうにわけがわからないことを延々と述べているようで、これを止めて、まともな内容になるようにするには、まだ相当長い時間が必要みたいだ。だから今はこれを続けるしかないらしく、君もあきらめて、そんな成り行きをじっと見守っているはずだ。ここはそういうフィクションにしておきたいのだろうか。何だかわからないが、実際にそうなっていて、君は延々とそれを続けようとしているらしく、架空のどこかで何を続けようとしているのか定かでないが、とにかく続けて語ろうとしているのかもしれず、空疎な内容を延々と記している誰かに違和感を抱きつつも、その記述の中にしか登場できない自らの境遇を呪うでもなく、ただ淡々とそれらの成り行きを見守りながら、他に何をするでもなく、そこで何かを語っているつもりになっているようだが、それがそもそもの嘘偽りなのか。そうだとしてももうすでにここまで記してきてしまったのではないか。もうすぐのそれらの記述も完了してしまいそうで、もはや何を言っても無駄なところまできてしまったらしく、そんなふうにしか言葉を記せない誰かに呆れつつも、君はご苦労なことだとでも思っているわけか。しかし本当にご苦労さんなのだろうか。まだ十分に余力が残っているはずか。でもそれで何をやろうというのか。それは引っ越し前の準備や片付けか。


11月15日

 夜だ。数日後の今日も夜になる。たぶん昨日のこの時間も夜になったのだろう。別にそんな当たり前のことに感動しているわけではない。では何なのか。たぶん何でもないはずだ。現実と非現実がどこかで隔たっている。おかしなことを述べているではないか。意味がわからないのではない。また疲れたらしい。嘘をついているのか。そうかもしれないが、そうではないのかもしれない。どちらでもかまわないのか。そんなふうになるのは嫌か。別にかまわない。力が抜けているらしい。語るのが億劫だ。今さら何を語ればいいのか。別に語らなくてもいい。言葉を記せばいい。それも違うか。何が違っているのだろうか。語ればいいのではないか。今まさに語っている最中なのだろうか。たぶん語っているのだろう。語りながら言葉を記しているのか。そうは思わない。記された文章の中で誰かが語っているのかもしれない。それはここで記されたものでなくてもかまわないのだろう。だからわざわざ語らなくてもよく、他で誰かが語っているのだから、君はそれに耳を傾けてみたらいい。架空の存在ではあるが、一応は聞く耳を持っていることにしておこう。今はそれでかまわないはずだ。今でなくてもかまわない。そんなふうに語るなら、そういうことにしておいてかまわないのだろう。それで何とかなるとは思えないが、何とかしようとも思っていない。技術とは何か。レオナルド・ダ・ヴィンチのように描けたら、それはすごいことになるだろうか。描くのではなく、写真を撮ればいいのではないか。現代ではいろいろな選択肢があるようだ。絵でも写真でも動画でもなく、実際にその目で実物を見れば、それが一番リアルに見えるだろうか。でもそうなると技術とは何か。そこにないものを見せるために必要なごまかしのたぐいになるだろうか。そんなはずがない。技術は創造に関係しているのではないか。それを用いて何かを作り上げようとしているわけだ。今もそれをやっている最中なのだろう。

 架空の時空で煙草を吸っているのか。大麻ではあるまい。脱法ハーブか。物騒なことになってきた。冗談なのだろうか。誰かがそう思っているらしい。君は芥子の実を見たことがあるだろうか。大麻草ならその辺を探せばいくらでも生えていそうだが、芥子はどうなのか。芥子の実は食用らしい。君は何を空想しているのだろうか。アフガニスタン辺りにいけば、タリバンがアヘンを採取する目的で栽培していたりするのだろうか。たぶんその辺の景色を眺めているのだろう。冗談がきつそうだ。それでは皮肉になってしまうか。いったいそこで何を話しているのか。やがてみんなバラバラとなってしまう。古代人は惨忍だ。平気で他人を殺していたわけか。そこで戦争が行われていたのではないか。ニューギニア辺りではまだ首狩りの風習でもあるのだろうか。そこで何を目の当たりにしているのでもないが、想像の世界ではどうかしているらしい。やがて死んでしまうのに、今を生きているわけだ。その今があと何年続くのか。長い人で数十年は続いてしまうらしいが、君の場合はどうなのか。ほんの一瞬だ。その一瞬が積み重なって、時間が形成され、その時間内で誰かが活動している。その活動期間があと数十年だろうか。まったく本気になれない。結局彼はその時代に何をやっていたのだろうか。ただ何もせず、その辺をうろついていただけか。誰かとはえらい違いだ。そしてつまらないことに関わってしまったらしい。しかし何の話なのだろうか。すべてが断片的で、わけがわからないが、たぶん何でもなく、話にならないからそうしているのであり、本当は話でさえないのかもしれない。だが話でなければ何なのか。ただの言葉の連なりか。それが話なのではないか。誰もそんなふうには思わないだろう。何かを語ろうとして、語りきれなくなってしまったのではないか。君には語る才能がないらしい。そんなことを記しているうちに、またあくびが出てきて、さらにどうでもよくなってきたらしいが、結局そこで得をしたのは誰なのか。別に今さら損得勘定をして、何を蒸し返そうというのでもないだろうが、何となく馬鹿げているような気がして、もっとちゃんと話の筋道を立てて語った方がよかったと思っているが、結果としてそうならなかったのだから、それまでのことだ。


11月14日

 心が動揺している。そんな話にならないか。焦りを色を隠せない。そんなのも嘘だろう。では何なのか。ただの字数稼ぎか。それもわからないが、とにかくここまでやってきた。何がどうなっているわけでもなく、記述するのみの状況みたいだ。馬鹿げているのだろう。最近はいつもそうだ。ここから盛り返すわけにはいかないのか。それが無理だからこうなっている。闇の中で、暗中模索の日々だと思い込みたいわけだが、そんなはずもなく、何やら精神修養のために何かやっているみたいに思われ、ひたすら我慢の時を迎えようとしているみたいだ。それも馬鹿げているだろうか。そうに決まっているだろう。またそれだ。何が決まっているわけでもないが、そうに決まっていると思い込みたい。そうやってすべてを単純化して、物事を捉えたいのだろうか。それも違うか。それの何が違っているのだろうか。何も違っていない。たぶん何か違っているのだろう。ここはそう思うしかない。何も違ってなければ、ここに記述など存在しない。しかし意味がわからない。何かが違うから疑念が生じて、その疑念を言葉で表そうとしているわけか。もっともらしい理由だが、本当にそうなのだろうか。別に何の理由を探っているわけでもなく、唐突にそんなことを思いついただけではないのか。だから何だというのか。だんだん支離滅裂気味になってきたか。たぶん苛ついているのだろうが、でもさらにこの先は回りくどくなってしまうかもしれず、何もないのに言葉を記そうとすると、決まってそういう成り行きになるわけか。そうでもないだろう。またそれだ。いい加減にくだらないことを述べてしまい、もうすでにわけがわからなくなっているのかもしれない。ではもうだめか。ここであきらめるはずがない。あきらめられるはずがないのだろうが、少し意固地になりすぎているきらいもあるようで、それが君の取り柄といえばそうなってしまうのだろうが、君にとってはどうでもいいことで、わかる必要も同意する必要もないことだ。君はただここで記された言葉の連なりを眺めるのが好きなのか。冗談だろう。

 いったい何がそうなのか。何がそのいったいの対象となるのだろう。歴史は残酷だ。栄華を極めた者の転落が早すぎる。周りに敵が多すぎるのだろうか。それと比べる必要も必然もないが、君はまだこんなところで悪あがきの最中だ。もう呆れてものもいえないのはもちろんのこと、かなり疲労困憊しているようで、見るからに死にそうか。笑っていては話にならないが、これが笑わずにいられようか。あともう少しの辛抱だろう。辛抱しきれないか。でも別にこじれたらこじれたでかまわないのではないか。すでにこじている。何がこじれているのか。それがわからないのに、こじれているも何もないではないか。でも疲れていることは確かで、平静を装う気力もなく、何となく焦っているようだが、その一方で何となく兆しもあり、とりあえず一つ一つ手順を踏みながら、着実に前進していくしかなさそうだ。それだけのことか。それにしてはまだ道半ばで、ゴール地点の遥か手前でへばっている印象もなくはないが、果たしてこれでゴールへたどり着けるのか心配になってくる。でも今さら心配しても始まらないのであり、すでに遥か前に賽が振られていて、あとはやるだけか。実際にやっているのではないか。やっているからこんなに疲れているわけだ。でもまるで四面楚歌で針のむしろの上に座らされているみたいか。それは被害妄想というものだ。実際にどんな実害を被っているというのか。精神的な圧迫を受けているだけか。うんざりさせられているだろう。でもそれも思い込みのたぐいだろう。しかしそう思わせられてしまう環境の中にいることだけは確かなようで、何だか居心地が悪く、いつも嫌な感じがしている。この心の底からわき上がってくる不快感は何なのか。朝起きると口の中が苦くなっている感覚は何なのだろうか。もう相当精神的に追い込まれているような気がするが、それでも笑っていたいのか。でもいくら強がってみせても、度重なるストレスによってだいぶ寿命をすり減らしているのではないか。そうは思いたくないが、そう言われればそんな気がしてきて、さらに思い悩んでしまうだろうか。まったく馬鹿げているのではないか。それも違うか。何が違うのだろう。そんなふうに語り出したらきりがない。


11月13日

 雨が降っている。今は夜だ。もう翌日の昼ではないのか。昨晩は何をやっていたのか。言葉を記さずに眠ってしまったらしい。数日の今日は晴れて寒い。冬型の気圧配置なのだろう。それで何か思いついたのか。何がどうなっているわけでもないのは相変わらずだ。これからどうしたらいいのだろうか。ただ冬晴れの空を見上げている。そんな姿を想像しているだけか。他に何も思いつかない。でも安易な取引はしない方がいい。目の前にぶら下がっているエサをとりにいく気も起こらない。釣り堀の魚ではないのだから、もうしばらく静観するとしよう。とりあえずは努力すべきか。何のための努力なのかわからないが、ここは続けて言葉を記しておいた方がよさそうだ。黒猫が目の前を通りかかり、何か不吉な予兆を感じさせるわけでもなく、空に浮かぶ雲の動きが速くなっていることに気づく、季節風に流されているのだろうか。急に頭が痛くなっていることに気づき、脳梗塞の前触れか何かだとは思わないが、そのかすかな頭痛が悩みの種というわけでもなく、では何なのかといえば、他に記すことがないから、とりあえず記してみたまでのことか。くだらないような気がしてくる。また雲の合間から日が射してきたようだ。急に辺りが明るくなり、鳥のさえずりもうるさく聞こえてくるが、それとこれとは無関係だろうか。何だかわからないがそういうことらしい。何がそういうことなのか。風が弱く吹きつけているようだ。そして夜になる。相変わらず何も記すことがない。その代わりに記しているのがこれか。馬鹿げているだろうか。たぶんそうだ。疲れている。心が疲れているのだろうか。鬱か。そうかもしれないが、今は無視して言葉を記すしかない。ため息が出るが、頭の中は空っぽだ。またコーヒーを飲んでしまったようだ。バームクーヘンも食べて、少々胃もたれのようだ。ひねくれているのだろうか。誰がひねくれているのでもなく、たぶん架空の誰かがひねくれているのだろう。何とかしなければならない。でも何とかなるとは思えない。愚かか。そういうことだ。そうでもなければこうはならない。

 でもまだ言葉を記すつもりなのだろう。いくら愚かでもそれをおろそかにはできないか。馬鹿げている。必要もないのに記述を続けようとしている。やめたら楽になるのに、一向にやめようとしない。正気とは思えないか。正気であってもなくても、とにかく言葉を記そうとしていることだけは確かなようだが、やはりそれは正気の沙汰ではないかもしれない。やがて君はその顛末を知ることとなるだろう。それは何の顛末なのか。顛末とは何か。その一部始終とは何の一部始終なのだろうか。言葉遊びの一部始終なのか。だがとても遊んでいるとは思えず、もはやそれは苦行の域に達しているのではないか。だからやめた方がいい。何も思いつかないなら、いったんそこで記述を中断すべきだ。そうなるきっかけをもたらしたのは何だったのか。記述の遅れか。まだ数日遅れている。もう何カ月も遅れを取り戻せない。それでどう思ったのだろうか。ようは記述の技術的な問題なのか。それも馬鹿げた解釈か。いつまでも意地を張っていないで、素直に日付の連続性を放棄すればいいのだ。なぜそれができないのか。愚かだからか。でも愚かでなくなることなどできない。それもおかしな話か。それ以前は何がおかしな話だったのか。おかしな問いだ。わざとそうしているのだろう。こんなことではいつまで経っても埒が明かない。それでかまわないのだろう。そういう状態が記述を継続させる原動力となっていて、お粗末な話かもしれないが、何だかそれで救われているような気もして、気晴らしにもなっているのかもしれず、結果的に正気を保っている証しとして、それらの記述を継続させているのかもしれないが、それもおかしな話か。どうやらまた冗談になってしまいそうで、何となくくだらなく思えてくる。それでかまわないのだろうか。またそれだ。誰に同意を得ようとしているのでもなく、自らに言い聞かせているのかもしれないが、なぜそれでかまわないと思い込みたいのか。それ以外に心のよりどころが見当たらないのだろうか。それほど弱気になっているわけでもないだろうが、何となくそういうことにしておきたいらしい。


11月12日

 またこんな時間だ。今まで何をやっていたのか。何をやっていたわけではなく、何かやっていたのだろう。疲れているようだ。コーヒーを飲みたくなった。それから何をやればいいのだろうか。言葉を記せばいい。それだけのことか。それだけのことのようだ。また何かが外れているらしい。またそれだ。もう意味不明はいい加減にやめてほしいか。指が痛い。血豆ができたらしい。なかなか本題に入れない。本題がないのではないか。堕落しているようだ。それほどでもないだろう。確かにそうだ。こんなのは堕落のうちに入らない。では何なのか。何でもないことでしかない。でもそれではだめなのではないか。何でもないことをいくら記したところで、何でもないことに変わりない。何でもないから苦労している。何でもないこと以外はあり得ないのか。何があり得ないのだろうか。改めて問い直しても、何でもないことに変わりない。コーヒーの味がわからなくなった。うまいのかまずいのかわからない。何が良いのかもわからない。うまいのはこんな味だったのか。つまらないことだった。それは過去の話だったのか。誰かがかすれた声で思いっきり歌っているようだ。それだけのことだ。何かが失われ、何かが生じているのかもしれないが、たぶんそれは過去の話だ。誰から力をもらっているわけではない。何を食べているのでもなく、黙っているのでもない。君には過ぎたことだ。ただ沈黙するばかりか。だからそれだけではどうしようもないだろう。ではいったいどこで何がどうなってしまったのだろう。どうなったわけでもなく、ただ言葉を記している。戯れ事か。記述がそうなのか。内容としてはそういうことだ。何をやっているのかわからない。だから取り立ててどうということはない。君の知ったことではなく、誰の知ったことでもない。いつもの記述だ。君がそれを求めているのだろうか。きっとそうに違いない。君としてはそうなるしかないのかもしれない。何のことやらわからない。そういうことにしておきたいのか。だからいつもの内容となってしまい、これではだめだと思ってしまうわけか。冗談だ。

 途中で何かが変わってしまったらしい。またそういうことにしておきたいようだ。御都合主義もここで極まっているわけか。そんなはずがない。惰性で言葉を記している。そう思われても仕方のない内容だ。でも他に何もない。首を傾げても無駄か。でもそれで楽しいのではないか。くだらないことを延々と記していると、何だか愉快な気分となるようだ。なぜそうなってしまうのか。何もないからか。それとも語るべき何かから背を向けているのだろうか。そんなたいそうなものではない。でもそうならないと困るのではないか。でも批判すべきことなど何もない。まさか今さら政治批判でもしてしまうわけか。その気も失せたか。何の展望もなく、すべてに魅力がなく、生きる気力さえ失われ、そんな大げさなことでもないのに、何となくそんなことを述べてしまう。だからそれだけのことだ。そんなふうに感じないだろうか。間違っているのではないか。勘違いか何かか。それでもかまわないか。そんなはずがないと思いたいのか。いったい何を否定したいのか。そんな現状か。力が抜けている。歯を食いしばれない。嘘かもしれない。嘘ではないかもしれない。どちらでもかまわないのだろう。いつもそうだ。いつでもそう思っている。またそんな嘘をつく。何を手に入れたわけでもない。そういうことでしかなく、いつまで経ってもどちらでもかまわないのだろうが、そのどちらかもわからなくなっているのではないか。そんなことの繰り返しか。そこで何が繰り返されているのだろうか。記述だ。言葉を記しているわけだ。わかりきったことなのに、そんなことを記さざるを得ず、呆れてしまうが、そんなことがいつまでも繰り返され、君の心を支配しているわけだ。そんなはずがないと思うかもしれないが、実際にはそんなはずなのだ。現に今も言葉を記しているのではないか。そんなはずがないと思ってみても、そう記している最中だ。冗談か。冗談でもない。では冗談以前の何かか。冗談で以前も以後もないだろう。あったらあったで、そんなことはどうでもよくなってしまう。だから笑ってしまうのだろうか。そういうことにしておきたいのであり、実際にそういうことかもしれず、それを認めざるを得なくなる。だから冗談か。


11月11日

 相変わらずの相変わらずで、どうでもいいことの繰り返しでしかないようだが、それがくだらないと思うなら、そういうことになってしまいそうで、もう少し前向きに現状を捉えれば、少しは憂鬱な気分が好転するかもしれないが、それも一時の気分転換だと思うなら、やはりそういう気分に戻ってしまいそうだ。では何をどう思えばいいのだろうか。気晴らしは気晴らしに過ぎず、その気晴らしがここでの記述だと思うならば、やはりそんな内容になるしかないだろう。たぶんこんな調子でどこまで記しても、こんなふうになるしかない。でもあきらめるわけにはいかないのだろう。でもあきらめるとはどういうことなのか。記述をやめればあきらめたことになるのか。やはりその辺が何だかわからないか。わかりようがなく、わかるまいとしていて、要するに強情なのかもしれず、そうでなければここまで続かないのだろう。しかし最終的には何をあきらめ、何をわかろうとしているのか。その最終的な結論に至るには、どこまで記せばいいのだろうか。たぶんこの先いくら記してもたどり着きそうにないのだろうし、たどり着くべき地点もわからず、ただ闇雲に言葉を記しているだけで、目標も目的もなく、ただひたすら記すことで、何を得ようとしているのでもなく、その辺を改められずに、もはや制御が利かない状況となっているのかもしれない。それでかまわないのだろうか。いつもそうなってしまうが、それがここでの結論なのか。そのようだが、受け入れるわけにはいかないのだろう。絶えずどこかをさまよっていないと気が済まないのであり、もううんざりするほど道に迷っているのに、なおも迷い続け、逆に迷わなくなって、目的や目標がはっきりしてしまうのが怖いのかもしれず、そんな五里霧中の中に安住の地を見出したいのかもしれないが、それは愚かなことか。それでもかまわないと思いたいのだろう。愚かであってもなくてもかまわず、愚かであるか否かの基準を破棄したいのであり、そうやってどこでもないどこかでさまよいたいのであり、要するにそれが無い物ねだりを招いているわけか。冗談だ。受け入れ難い現実をそのまま放置して、何やらそこで痩せ我慢の最中のようだ。

 それも冗談のたぐいか。何もかもを冗談で片付けるのも強がっている証拠だろうか。そんなのはわかりきっているか。また以前と同じような繰り返しになっているのかもしれない。もうそういうのはいい加減に飽きているのに、気がつけば性懲りもなくそんなことを述べている。今語ることができるのはそんなことでしかないのかもしれない。それ以外に何があるのだろうか。何もないからそうなってしまうのだろう。そして何もないからそんなことを延々と続けられるのか。実際に続いているではないか。でも至って正気でいるらしく、こうして平然と言葉を記しながら、何だかニュートラルな精神状態なのかもしれないが、それだけのことで、そんな気分となってしまうらしく、それがどんな気分といえば、そういう気分でしかない。どこまでもとりとめがなく、記された言葉がどんどん分散していってしまい、記された内容は意味もなく無意味に近づき、それはただ言葉を記すための技術となり、そんな技術によってそれらの記述は延命されているのであり、そこから醸し出される虚無が、それらを支える生命維持装置となっているのかもしれず、そんな荒唐無稽な表現にリアリティがあるかどうかはわからないが、あってもなくても困ることはなく、では何に困っているかは、それらの過剰性に取り込まれて、精神錯乱を起こすような杞憂にとらわれることか。嘘だろう。調子に乗ってでたらめに拍車をかけているようで、それ以上語っていると、悦に入って天狗状態になってしまうだろうか。そこまで有頂天になる可能性はなく、それも嘘の類だろうが、嘘でも何でもかまわないから、とにかく記述を延長させようとする意識に、誰かの心がとらわれているようで、何だかそんな思惑に逆らって、唐突に記述をやめたくなってくるのも、それらの行為が招いた結果だろうか。そんな大げさなことではなく、ただの気まぐれで、その時の気分次第でやめたりやめなかったりするだけで、やはりそれもどうでもいいことの範囲内にある意識なのか。そう思っておいてかまわないのだろう。それ以上に何を記そうとしても、そんなこの延長上に記される内容以外に、得られるものは何もない。ではそれもわかりきったことなのか。そういうことだ。


11月10日

 この状況は何なのだろうか。馬鹿げていて話にならない。でも何の話でもないのだろう。人は誰も保守的になれる。それが本能だからか。別にそうではなく、世の中の仕組みがそうさせるのではないか。せこく小狡く立ち回って、周りに波風を立てずに、事なかれ主義に徹していれば、とりあえず自分の居場所は確保できて、それで現状維持は可能か。でも何だか虚しくならないか。君はいたたまれなくなっているのだろうか。誰がそう思っているのか。冗談でしかない。何だかわからないのはいつもの通りだが、わかろうとしていないのもいつもの通りで、これでは埒が開かないのもいつもの通りだ。君はいつもそうやって何かをはぐらかしている。わざとやっていることには違いないが、本気になれないのは今に始まったことではなく、要するにふざけているだけなのかもしれないが、真面目になれるような状況でないのもいつものことだ。ではその辺で行き詰まりか。たぶんそうだ。他に記すことなどありはせず、記せないからこうなっているわけで、その代わりに記された空疎な言葉の連なりを前にして、ただため息が出るばかりか。それでかまわないのだろうか。かまわないからそうなってしまうわけか。それはわかりきったことに違いない。たとえわからないと記したところで、それは常にわかりきったことなのだ。またそんな冗談を記しているようだが、そんなことを記しているうちに時が過ぎ去り、記していた内容も忘れ去られ、結局はどうでもよくなってしまうわけか。そんなふうにならないようにしなければならないか。それは無理だ。何も記せなくなってしまうか。現状でもそうだ。空疎な内容以外は何も記していないのではないか。その問いに反論する力が君にあるとは思わない。ではどうしたらいいのだろうか。ただ受け流していればそれでいいわけか。できればそうならないようにしたいのだろう。何だか難しい局面になっているわけか。別にそうは思わないが、くだらないことは確かで、そうではないような内容にしたいのだろうが、いつもそんな記述の繰り返しの前に敗れ去っているようで、成り行きとしてはそういうことらしい。だからそれでかまわないわけがないということか。

 今は夜だ。昨日の今も夜だった。昼は仕事をしていたのだろう。国会の口喧嘩も数日後にひとまず終息したらしい。まあ誰がどの党が勝利したわけでもないだろうが、解散総選挙をやってそれなりの結果が出たところで、誰がどの党が勝利宣言したところで、事態が好転するとは思えないか。アメリカでは現職のオバマが勝利して、また四年間大統領をやるらしいが、同じような成り行きが続くだけか。人々が政治に期待することは何なのか。漫画ではないのだから、夢のような世界の実現を期待しているわけでもないのだろう。しかし現状とは何か。国民から税金を取り立てて何かやっているだけのことで、その税金の取り立て方と使い道をいくらか変えたいだけか。それで何が実現するというのだろう。実現できるのは限定的な範囲内か。それでもやらないよりはマシだと思っているわけだ。何か達成すべき理念みたいなのもあるのだろうが、それを達成させるための努力とかが、たぶん評価されるべきものなのだろう。やっていて虚しくならないか。でも選挙で候補者が主張している内容は、日頃からマスメディアを通じて新聞やニュースなどの中で主張している内容とそれほど変わらないことであり、要するに利いた風な意見の範囲内で述べられていることだ。そんな内容の意見を耳にたこができるほど聴かされているのに、それを判断基準にして候補者を選ばなければならないのだから、何だかどうでもいいことのように思われてしまうわけだ。やれ脱原発だの自然エネルギー普及だの、日本再生だの経済再生だの農業再生だの、若者の雇用対策だの教育改革だの高齢者の福祉だの、そんなことをみんな主張しているのであり、以前から手を替え品を替え、言葉を選んで語り口を変えたり、何やら利いた風な意見になるように、耳ざわりのいいことを延々と主張しているわけで、たぶんそうするしかないのだろうが、そうしない候補者などいるはずがないのであり、そんな現状を打破できるわけもなく、とりあえず選挙にいけば誰かを選んで投票した方がいいわけだ。


11月9日

 またこんなところで停滞している。何がどうなっているわけでもなく、そこから出られずにいるらしい。この感覚は何なのか。ひねくれているのだろうか。いつものことに違いない。また用事が立て込んできて、面倒くさい事態となり、別にそれでもかまわないのだろうが、何となく浮き足立ってきたようだ。冷静になれないか。冗談なのかもしれない。でも別に不可能なことをやろうとしているわけでもないのだろうから、順番通りにこなしてゆけばいいだけだ。今それをやっている最中だろう。あと半月もすれば一段落するはずだが、実際のところはどうなんだろうか。まあそうなったら何か実感するのではないか。ならその時を楽しみにしながら、今はやるべきことを淡々とこなしてゆけばいいだけだろう。そのつもりなのだろうが、どうなることやらだ。笑ってしまうが、要するに今まさに何とかなっている最中のようだ。まあ冗談には違いない。しばらくぼーっとしていたようだ。もう疲れてしまったのだろうか。まだ道半ばだろう。焦ることはない。できなければできないでいいか。実際に何もできない。ただ言葉を記している余裕がないだけか。昼に新幹線の車窓から外を眺めている。冬が間近に迫っているようだが、別にそれがどうしたわけでもないだろう。何も感じることはないか。冬になったからといってどこかへ出かけるわけでもない。流浪の民ではないか。空に浮かんでいる雲の形に興味があるわけでもない。流浪の民だろうと定住民だろうと、必ずそこには生活がある。それは人だから仕方のないことで、社会があればしがらみがあり、そこから抜け出られずに苦しんでいるわけか。別に束縛されることがすべて苦痛を伴うわけでもないだろうが、何となく煩わしく、面倒な手続きに追われる日々の中で、何となく疲れているような気がするらしい。人はおかしなシステムの中で暮らしている。ある面では便利なのだろうが、別の面では不便でややこしく、行く手を遮り、自由を奪い、間合いによっては人の財産や命さえ奪う。

 今日は雲っていて富士山が見えなかった。でもそんなのもどうでもいいことか。もう夜だ。ただの夜だ。何があるわけでもない。本当に何もないのだろうか。あるいは何もないと思い込んでいるわけか。何かあるのだろうが、それに気づかないわけか。たぶん何かあったのだろう。それによっておかしくなっている。頭がおかしいのか。そうに決まっている。何が決まっているのか。馬鹿なんじゃないのか。それもそうに決まっているか。何も決まっていないのではないか。何を決めればいいのか。君が馬鹿であることを決めるべきか。決めたところでどうなるのか。それで何か決めていることになるのだろうか。たぶん決めているのだろう。もうやると決めていて、何もないのにやると決めている。だからこうなってしまうわけだ。どうも内容にたどり着かないまま、ひたすら空疎なことを記している。これはどうしたわけなのか。わからないが、わからないままの方がよさそうだ。うんざりしているわけか。うんざりするような出来事に出くわして、呆れてものもいえないような心境になり、それで終わってしまったのだろうか。なぜそうなってしまうのだろうか。そんなことはわかりきっているのではないか。決まりきっているわけか。愚かであり、愚かすぎるのではないか。それでもかまわないのだから仕方がない。君に何ができるわけでもなく、誰に何ができるわけでもない。せこく小狡く振る舞えば、みんなそういうことをやっている連中の仲間になれるわけだ。それでかまわないならそういうことをやり続ければいい。それだけのことだろう。いったいそれ以外に何ができるというのか。何もできないのではないか。ただ保守的になって、自己防衛に余念がなければそれ済むわけだ。本当にすごい世界だ。この世界はすごい。それはうんざりするようなすごさであり、手の施しようのない愚かさで満ちているわけか。何だかわからないが、現状ではそういうことになりそうだ。そんな現状を目の当たりにして、君は茫然自失状態のまま固まってしまったらしい。


11月8日

 ついにがらくたを探し当てたようだ。そんな大げさなものでもない。アレンジが大げさか。でもかすかに昔の面影も感じ取れる。その程度でかまわない。何せがらくたなのだから、見つけたからといって感動するわけでもなく、何となくこんなものかと思うだけのようだ。そんなわけでもう見限ってしまったようだ。何でなのか。ただのフォークソングでもよかったのに、ロックっぽく仕上げてしまったからか。ニール・ヤングなら平気でギター一本で弾き語るところか。それでもロックはロックだ。でもロックにこだわらなくてもいいのではないか。過ぎ去ったジャンルだろうか。でもジャズではない。ただのラップか。ヒップポップでもジャンル的にはジャズなのだから不思議だ。もうなんでもかまわないのではないか。そういうことにしておこう。何かが傾いているようだ。目の前で何かが起こっているつもりになり、それを覗き込んでいるふりをしているようだ。実際には言葉を記している。ターンテーブルの前に座っているわけではないが、気が変だ。また咳が止まらなくなる。そして眠ってしまうわけか。また翌日になってしまったらしい。まったくいつまで経っても遅れを取り戻せないまま、どうやら今年も終わってしまうのだろうか。また1カ月以上あるではないか。日々のたゆまぬ努力があってこその継続だ。でも何の目的で継続させているのかわからない。ただ言葉を記すことだけにこだわり、それで何かを台無しにしてしまうのだろうか。まさか影はそうなることを望んでいるのか。影とは何か。誰かの影なのだろうか。少なくとも君の影ではない。唐突に影という言葉が記されている。何でもかまわないのではないか。影だろうと君だろうと誰かだろうとかまわないわけか。ただそこに記されているだけの言葉だ。でもそれでは話にならず、何を語っているのでもないことになりはしないか。それでもかまわないと思いたいのか。冗談だろう。何も冗談ではないのかもしれない。君ならその理由がわかるのか。君も言葉だ。誰のための言葉でもなく、そんなふうに記しているだけに過ぎない。どうも途中からおかしくなっているようだ。わざとそうしているのだろう。

 きっとそうか。君に限って冗談以外はあり得ない。誰に限ってみても、そんな冗談は冗談のうちに入らないのではないか。では何なのか。ただ外れている。誰を煙に巻こうというのでもないらしい。少年漫画の中で戦っている人々のことを考えてみよう。なぜ彼らは戦っているのだろうか。読者をそこに引きつけるために戦っているわけか。君はどうなのか。そう述べて何を引きつけようとしているのか。虚無か虚脱感か。疲れているのだろうか。風邪疲れかもしれない。久しぶりだからなおのことか。では君が外れているのはどこからなのか。いったい何から外れているのか。常道から外れているわけか。常道とは何か。語り方が普通ではないということか。その程度の外れ方なのか。では何からどれほど外れれば驚嘆に値するのだろうか。別に他人を驚かせるために外れているのではないだろう。では何なのか。何でもないと言えば嘘になるだろうか。別に何から外れていようとかまわないのか。そうした予定調和の問答こそが外れている。何から外れているのだろうか。何であってもかまわないが、とにかく何かから外れているような気がするだけか。そういう語りが意味不明だ。わざとそうしているのではないか。たぶんそうなのだろう。久しぶりに『翼なき野郎ども』を聴いて、何だか考えさせられるものがあったらしい。別にニール・ヤングがそれを歌っているわけでもないだろう。では誰が歌のが似合っているのか。泉谷しげる本人以外にはあり得ないか。そんなわけでもない。矢野顕子が歌えばおもしろそうか。柄でもない。どこかのDJにラッパー辺りとコラボしてやってもらえばいいわけか。別に今風のサウンドにしてもらう必要もないか。では何なのか。何でもないと言えばそんなところだろうか。過去の話に違いない。過去にはあったかもしれない。今はどうなのだろうか。今もあるかもしれないが、今は今でそれとは別の何かがあるらしい。その別の何かを聴いているわけか。でもそこから先は趣味の領域だ。何も真に受け取れず、何だか冗談のような話となってしまい、その辺でリアリティを失ってしまうらしい。しかし君は何を探し求めていたのか。やはりそれは使い物にならないがらくたのたぐいだったのだろうか。


11月7日

 何だかおかしい。雨にやられてどうかしてしまったのか。そんなはずがなく、今は部屋の中だ。別に肺炎になったわけでもないだろう。ちょっとしたことで正気に戻り、また言葉を記しながら、音楽を聴いている。逆か。咳が止まらないか。今は大丈夫なのではないか。また何か思っているようだ。眠っているのではないか。また眠ってしまうわけか。言葉を記すのが退屈に思える。そんなのは嘘だろう。行き詰まっているのだろうか。胃が痛い。そう思っているようだが、だから何なのだろうか。きっと気のせいだ。別に別があるわけではなく、今ここにこんな時間帯の中で、意識を伴った何かがあるだけか。回りくどいか。とりあえず何だかわからないので、こういうことを述べているわけか。貧乏揺すりはやめてほしいが、別に何を嫌がっているわけでもない。時が経つ。そういうことなのか。他に何を感じているというのか。何も問えない。またそんな嘘をつくが、理由が見当たらない。誰かがあるとき千の夢を見た。それがどうかしたのか。やる気がしない。外れているのではないか。でもいいわけではだめだ。理由がないと先へ進めないか。でもそうする理由などありはしない。どうかしているようだ。聴いているのは誰かの何かか。心臓が鼓動する音か。上を向いているらしい。しばらく横になっていたようだ。何かの発作なのか。そうではない。風邪の治り際に咳が出る。そんなところだろうか。でもそこから悪化したこともある。用心深く風邪薬を飲み続けなければならないか。たぶん何かを引っ張っているのだろう。外では嵐が過ぎ去ろうとしている。そんなふうには思わないか。話ではないのだろう。何も語っていない。でも何とかするつもりのようだ。ここ数週間が山場か。でも別に盛り上がっているわけではないらしい。冷静でいられるだろうか。何のことでもない。だがだめだと決まったわけではない。話にならなくてもいいのではないか。勝手に決めつけないでほしいか。何を決めつけようとしているのだろう。もうだめだと思いたいのか。そんなふうになりそうな気配だ。アメリカの国歌を聴く。

 やはり話にならない。どうやらヨーグルトが食べたいらしい。でも今日は満月の夜ではないだろう。それとこれとは無関係か。だらけている。わざとふざけたようなことを記そうとしているわけか。とにかくわからない。何を記しているのだろうか。何も記していないわけではない。それはわかっているが、何か記さないと気が狂ってしまいそうか。そんなはずがなく、むしろ延々と空疎なことを記していることの方が、頭がおかしい証しになってしまうのかもしれず、今がまさにヤバい状況なのかもしれない。またそんな冗談を述べているようだが、本当に何もない。空にカラスでも飛んでいるだろうか。また関係のないことを述べているみたいだ。それは何と関係がないのか。少なくとも現在の政治状況とは無関係だろうし、そんなことを述べようとしているわけでもなく、何となくこうなっているだけのようだ。顔が歪んでいるような気になるが、誰に殴られたわけでもなく、気のせいでもないようで、たぶん嘘をついているだけだ。他のことで手一杯で、まともに語っている場合ではないのかもしれない。だからこうなっているわけか。こうして言葉を記していることに変わりはない。時折咳が立て続けに出て、止まらなくなってしまうが、そんなことはおかまいなしに言葉を記す。これはどうしたわけなのか。もう夜だ。いつもの夜でしかない。それ以外に何があるというのか。この世界がある。何もない世界であり、何でもある世界でもある。でもそれで何を語っているとも思えない。ろうそくの炎が見えてくる。ただの画像だろう。誰かがトランペットを吹いているようだ。そんな音楽を聴いているわけか。何もないわりには言葉がいとも簡単に記され、それが君を困惑させる。空疎な記述だ。それでも記しているのだから、そこで何らかのテクニックが行使されているわけか。そんなはずがない。では稚拙な内容となっているわけか。稚拙というより拙劣と表現した方がしっくりくるだろうか。どちらにしても話にならず、何を話そうとしているのでもないらしいが、こんな具合に記述をひけらかす。虚しい行為だろうか。それがたまらなく愉快だとは思えないが、してやったりというわけでもないだろう。


11月6日

 実質的には昨日から何もやっていない。嘘だろう。記している内容も空疎だろうか。それはわかっている。では他にわかっていることはないか。何もわからない。それも嘘かもしれないが、ここではそういうことにしておこう。さらに何だかわからなくなり、何かを把握できなくなっているようだ。何かとは何なのか。それを記述するのが面倒くさいのか。アホなのかもしれない。内容は空疎なままに言葉を記そうとしているからわけがわからなくなり、実際に何を語っているのかわからない。それだけのことだろうか。何がそうなのかわからないが、たぶんそれはこれらの文章なのではないか。でもさらにわからなくなる。たぶん何も語っていないのだろう。頭がクラクラしているみたいだ。気休めに何か音楽を聴いてみるが、不快な感覚が解消するわけではない。それどころかだんだん悪化してくる感じだ。この辺がやめる潮時だろうか。君にはそのタイミングがわかっているのではないか。ひねくれ者だから、わざと逃しているわけか。そんなに余裕はないはずだ。また寝て起きて言葉を記す。何もないのにそれはないか。でも記してみる。見たところで何になるわけでもない。ただ無駄で無意味なだけか。でも少し風邪が治ってきたような気がする。やはりそういうことか。何がそういうことでもない。もうこんな時間だ。とりあえず一晩寝たら、少しはよくなったのだろう。それでも何だかわからないままだ。何をどう記したらいいのかわからない。それが常態化しているだけか。なぜかすべてに興味がない。この世のすべてにか。そういうことかもしれない。鬱なのかもしれず、そのうち気を病んでどうかしてしまうか。今がその状態か。前向きになれないようだ。自分でどうにかしなければならないのに、どうにもできずにいる。ただ淡々と日々を過ごす。それだけのことだろう。気晴らしが必要なのだろうか。でも何を追い求める気にもなれず、そんなことを記しているうちにこうなってしまったらしい。自業自得か。

 でも言葉を記していることだけは確かなところか。それだけではだめなのか。そうだ。ではどうしたらいいのだろう。もう翌日の昼になっている。まだこんなところでこんなことをしている。何も見通しが立たない。そうではないだろう。反論する気も起こらない。何を批判されているのでもない。雨が降っているようだ。コーヒーが飲みたくなった。飲んでいるではないか。苦いか。雨音が邪魔だ。José JamesのPromise In Loveを聴いている。別にかまわないだろう。何もないのだからかまわない。今日も妄想を膨らませるには至らない。相変わらずコーヒーが苦い。味覚がおかしいのだろうか。病み上がりだからか。でもそれがどうしたわけでもないは相変わらずだ。次に聴いているのは311だ。何でジャンルがオルタナティブなのかわからないが、ただのハードロックにしか聞こえない。雨が小降りになってきたようだが、このまま続ける気なのか。機械はやがて壊れ、使い物にならなくなる。わかりきったことか。わかっているのにいつまでもそれにこだわって使い続け、結局苦労することになりそうだ。モアイ像がこちらを向いているようで、たぶん君に向かって何かを語りかけようとしているのだろうが、どうも言葉が正常に出てこないようだ。それでも何だかつまらないことを述べているらしい。雑音のようなしゃがれ声が微かに聞こえてくる。ここから出してほしいのか。画面に手を突っ込むことはできない。そんな嘘を記しているうちに、辺りが急に暗くなり、そこで意識がなくなったら都合がいいだろうか。そんなわけにはいかず、部屋の中で言葉を記している誰かの意識の中で、別の何かが作動しているらしく、今はそんなふうにしか語れないような気がして、試行錯誤も行き詰まり、限界を感じているらしいが、そんなことはおかまいなしに、さらに言葉をつなげて、それらの文章を台無しにしている。そんなわけがないか。黄昏れているのだろうか。そんなはずもない。では誰がどこへ向かっているのだろうか。それも違うか。何を記しても、そんなはずがないと思ってしまい、単にそうではないような気がするだけのようだが、それでは埒が開かない。でもここまで言葉を記してきたことは偽らざる事実か。


11月5日

 今からでは無理か。今でなくても無理なのではないか。風邪を引いてしまったのだろうか。のどが痛いからそうに違いない。君はそこで何を考えているのか。たぶん何か考えがあるはずで、その考えに基づいて行動しているのだろう。本当にそうだろうか。わざとらしく疑念を差し挟もうとするのも、何か考えがあるからか。でも思惑通りにいかないのがこの世の常か。また冗談でそんなことを述べている。本当は何の持ち合わせもないのだろう。何も考えていないわけではないが、何か特定の考えがあるわけでもない。なぜそうやって矛盾したことを述べようとするのか。どうでもよくなっているのだろうか。何がそうなのかわからない。もう少しの辛抱だ。あとからわかることもあるだろう。別にしどろもどろとなっているわけでもなく、そんなふうに語っていること自体に、何らかの思惑が絡まっているのではないか。君はそれを知っているつもりなのだろう。何も思いつかないのにそれはないか。どうせ後から思い出すのだから、今はわからなくてもかまわないのではないか。いずれ時がきたらわかることだろう。それもまた冗談か何かか。たぶんそうだ。何となくそう思う。そういうことだ。それでかまわないのかもしれない。そればかりだが、そんなふうにしか語れない。たぶん他に何もないのだろう。君は自らを信じているのだろうか。自らの行いが正しいと思っているのか。そうではないのかもしれない。今は間違っているが、最終的にはうまくいくと思っている。それはどういうことなのか。間違っているのに、なぜうまくいくのだろうか。それは君自身が知りたいところか。ただなんとなくそう思っているだけではないのか。そうだとしても後戻りはできない。もうすでにここまできてしまったらしい。

 どこまでいってもそんなやり方を押し通すしかない。それが勘違いなのかもしれないが、勘違いならそれでかまわないだろう。勘違いのままでいればいい。もう翌日の夜だ。別に機先を制したいわけでもなく、風邪でやる気を失い、何だか気が抜けている。くしゃみが立て続けに出て、市販の風邪薬は今ひとつであることを実感するが、他があるわけでもない。憂鬱な気分のまま、言葉を記し続ける。やる気がしない。そんなことを記すとますますやる気がしない。何だかだめらしい。だめならだめで、そういうことだ。話にならないのではないか。この世とあの世の境にいるわけでもない。深刻な状況でもないのに、うまく言葉が出てこない。それだけのことか。それだけのことだろう。勝手にバックアップが作動する。何かをアップデートしたからか。何でもないのに、そういうことだ。頭がぼーっとして、目がうつろかもしれない。何を見ているのか。画面上で何かが動いているらしい。そんなはずがない。まだ何も思っていないはずだ。無内容でもかまわないのではないか。うまくいかないことはわかっている。またそれだ。疲れているのだろうか。何とか風邪薬の効果がでてきたような気がするが、不快な感じは依然としてあり、嫌な気分のまま、音楽を聴いている。この感覚は何なのか。何でもない。よそ見をしている場合ではない。でもやる気がしないのはどうにもならないことか。よくここまで記してきたものだ。まともな内容にありつくまでには、まだだいぶ無駄に記さなければならないようだ。この状況を打破できずにいる。時間がどんどん経ってゆき、虚無が君を精神的に追いつめているわけか。そんなことではない。追いつめられているのは気のせいだ。気がつけば画像がこちらを見つめている。そんなのは嘘だ。気を抜くとおかしくなりそうだ。またもや現実逃避だ。それも嘘か。でもそんなことを記していると、何だか立ち直りかけているような感触を得て、そんなはずがないのに、陽気な気分となり、実際には空疎な内容を記しているとしても、それでかまわないような気がしてくるわけだが、君はそんな現実を折り合いをつけようとしているわけか。それで気が済むはずもなく、何とか違う内容を記そうとするが、どうもこの辺でやめておいた方がいいような気もしてくる。


11月4日

 どうもなかなか進展しないようだ。でも別に何を進展させようとしているのでもない。はじめから矛盾しているだろうか。何だかわからないが、何となくそんなふうに思われる。人は感動的な物語を期待する。目に小さなゴミが入ったのが気になり、盛んにこすっているが、一向に埒が開かないようで、あきらめてそのままにしておいて、そこから先に言葉をつなげようとするが、感動的な物語を記すには至らない。当たり前のことか。それとこれとは無関係だろう。確かにそうだ。ではなぜそんなことを記すのか。わけがわからないということか。いつものことだろう。何かうまい方法がないものだろうか。また勝手に探り当てようとしているわけか。別に宝探しをやっているわけではない。でも執拗にうんざりするような成り行きになってしまって、嫌な感じがする日々が続いているではないか。でもめげていないような気もする。やはり何とかしなければならないと思っているわけか。Watermelon Manを聴きながら、和んでいるのだろうか。コーヒーを飲んだら胃が痛い。それでどうかしたのか。今は痛くないだろう。何を強がっているのか。別に精神的に追いつめられているわけでもない。今は夜だ。また厄介な問題でも抱えているわけか。別に厄介というわけでもないだろう。でも問題は問題なのだろうか。どうにかなると思っている程度の問題か。それならそれで、そういうことでいいのではないか。いいとは思っていないが、何となくそれでいいような気になり、今はそれとは別のことを考えているのではないか。理由もなくため息が出る。疲れているだけだ。いつものことか。でもこの感覚は何なのか。すべてが終わってしまったような気になり、何もかもがどうでもよくなって、もう何もやりたくなくなっているのはどうしたことか。

 もう少し考えてみた方がいい。まだやるべきことが残っているはずだ。それが何だかわからないが、とりあえず考えてみた方がよさそうだ。頭の中がだいぶこんがらがっているようだが、そういう成り行きなので、そうなってしまうのだろう。またいろいろとやらなければならないことが立て込んできたようだ。何だか来週は忙しくなりそうだ。とりあえず来月には一段落つくのだろうが、それまでが大変か。まあなんとかなるだろう。心配してみても気を病むだけか。でも何だかおもしろおかしいことになりそうで、愉快な気分となっている。とても正気とは思えないか。君は年がら年中自分の正気を疑っているわけか。疑ってどうなるような精神状態でもないだろう。愉快な気分でいられればそれでいいのではないか。一時的にせよ何にせよ、明るい未来が開けているようなつもりでいれば、自然と気楽になれる。しかしどうなるかわかったものではなく、もししくじったらどうなるのだろうか。君の知ったことではないか。ただの形式的なことに過ぎないのではないか。書類上はそうなるだけで、実質的には何も変わらないが、それでも気晴らし程度の効用はあるだろう。その程度のことか。だからそこから思いがけない出来事が起こったら、なおのことおもしろおかしいではないか。そんなふうに期待していればその通りになるか。ならなくてもいい。期待している間は心がうきうきしているのではないか。そして期待外れに終わってがっかりしようと、夢を見させてもらったと思えばいい。それは冗談で述べていることか。別にそう思ってもらってかまわない。はじめから何の話でもなく、何を語ろうとしていたわけでもなく、ただそこで何かを操作していたに過ぎず、その結果がこうなっていて、少しわくわくドキドキしているのかもしれないが、冷静に考えてみればたわいないことであり、必然的にどうということはない結果をもたらしているわけだ。別にそれでかまわないのだろう。かまうかまわないの問題でもないか。


11月3日

 今さら何を思うつもりなのか。何をやるでもなく、語るのでもないはずだ。では何を思っているのだろうか。それは君の想像にまかせるとしよう。しかしなぜ日本は再生されなければならないのだろうか。今のままでもかまわないのではないか。たぶん今のままでは気に入らないのだろう。そういう政治宣伝のたぐいなのかもしれない。電車の中の電光掲示板によると、他でも人身事故が起きているらしい。何でも東武スカイツリー線内でも人身事故が起きているそうだ。観光名所の近くで飛び込み自殺でもやったのか。人身事故のすべてが自殺とは限らないだろうが、何だか不吉な夜だ。でもそこで終わりか。その後が続かなくなり、電車の中での記述をやめてしまう。なぜだろうか。今はその続きを部屋の中で記している。何がどうしたわけでもないのは相変わらずだ。君がそのわけを知り得るはずがない。ならばどうすればいいのか。そのまま記述を続ければいい。言葉を記していれば何かわかるはずか。そういうわけでもない。そんな気がするだけのようだ。何を語っているとも思わないのは相変わらずだが、何となく気が抜けていることは確からしく、もうすでに翌日になっていて、用事を済ませて帰路についている。別に昨夜は不吉な夜でもなかったらしい。人身事故など年がら年中起きているのだろうし、日に何件か起こるのもいつもことかもしれない。そんな世の中なのか。たぶん気に留める必要のないことなのだ。新幹線は昼でも混んでいる。運良く自由席で座れたが、立っている人が大勢いる。みんな何をしにいくのだろうか。スーツを着た人たちは仕事か。出張か何かだろうか。君もこれから仕事にいくわけだ。人はこんなふうにして地上でうごめいている。馬鹿げたことか。別にそうは思わないだろう。これが当たり前のことなのか。

 何を考えているわけでもないらしいが、しばらく言葉を記せずにいる。疲れたのだろうか。これといって記すことがない。頭痛がするのか。気のせいであってほしいが、もう長くないだろうか。またそれだ。君は心配症のようだ。別に長くなくてもかまわないだろう。もうやるべきことはやったはずだ。いったい何をやったというのか。少しの間だけ言葉を記したではないか。それが少しの間とは思えないか。そしてまた夜になった。コーヒーを飲みながら、言葉を記しているわけか。そんなはずがない。そう思っていればいい。とりとめのないことを記しているのは、いつものことに違いない。指が痛いのはなぜだろう。どうも以前にもらったiPod touchのバッテリーがだめになったみたいだ。数日も放っておくとバッテリーが上がってしまう。別に他があるからいいではないか。近頃はもっぱらパチスロゲーム専用となっていたやつだ。音楽ならiPhone 5で聴ける。でもUSBでつないで充電したままなら使えるだろう。近頃やっとビッグボーナスを数回出せるようになったのだから、使わなければもったいないか。しかし暇な時間にゲームに興じているようでは、さらに言葉を記すのが遅れてしまいそうだ。満員電車の中で重い物を持っていると、指が痛くなる。指が痛いのはそのためだ。唐突に指が痛い原因を知る。今になってなぜなのか。別に何を知ろうとしていたわけではなく、何となく知ってしまったわけか。でもそれがどうしたのか。なぜかIsley BrothersのPut A Little Love In Your Heartを聴きながら、何かひらめいたわけでもなく、ビートルズについて考えたいた時のことを思い出す。リボルバーのジャケットを描いた人のドキュメンタリーを先日テレビで見た。サイドマンとは脇役のことか。

 すべては複製されるためにあるらしい。オリジナルの価値を信じるのは愚かなことか。何を尊ぶ気も起こらない。コラージュとは何か。押し入れの扉に新聞や写真の切れ端を貼付けていた時のことを思い出す。なぜそんなことをやっていたのか。気が狂っていたわけでもないだろう。またとりとめがなくなっているらしい。何だか意味不明気味にうきうきしてきたようだ。それ自体が薄気味悪い。どうせまた何でもないのだろうが、これから何を語るつもりなのか。別に謎解きのたぐいではないのだろう。空を見上げていたらしい。それだけのことか。でも君はその時間帯に戻れない。別に時間をさかのぼらなくてもいいのに、何を思い出そうとしているのか。また紅茶でも飲みたくなっているわけか。ビートルズの話はどうなったのか。初期のShe Loves YouやPlease Please MeやA Hard Day's Nightなどをやっていた頃と、後期のロック風の曲をやっていた頃とは、明らかに違うことは誰もが感じるところか。当時の時代の流れが、ポップスからロックへと移行する過渡期だったのであり、ビートルズもその流れに乗り遅れまいとしていたわけか。1960年代後期のことであり、いきなりジミ・ヘンドリックスのPurple Hazeなんかを聴いてしまえば、誰もがビビるのではないか。何だこれは、と驚くだろうし、正直ついてゆけない気分となるだろう。本当にあれは何だったのか。でもジミヘンはそれで終わりで、数年後には死んでいる。ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ロバート・ジョンソン、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、カート・コバーンなどは、みんな27歳で死んでいるらしい。ちなみに尾崎豊は26歳で死んでいるようで、あと一年生きたら彼も世界的な有名人の仲間入りができたのに、惜しいところか。


11月2日

 どこまで話をさかのぼってきたのか。何を読み返しているわけでもない。どうせ読み返すのが面倒くさいのだろう。他人がどこかで何かをやっているらしい。そこで語られているのはそんなことでしかない。それでは不都合なのか。あるいは不満なのか。どちらでもないか。そんなことに興味があるわけでもないだろう。事件ならニュースやテレビドラマでやっている。では他に何なのだろうか。気に入らないことなら山ほどあるのではないか。それらでもない。希望とは何か。そういうことなら皮肉の一つも付け加えるべきか。なぜそう思うのか。うわべだけで何かを思っているようだ。君がやっていることはそこから生じているのかもしれない。そうやって誰かが言葉を記している。誰かとは誰なのか。君自身が問われているわけでもないらしい。それらの記述の中ではそういうことだ。では君は嘘をついているのか。なぜそうなってしまうのか。くだらないことをやっているとは思えない。むしろ真面目にやっている。本当だろうか。また君は嘘をついているわけか。相変わらず何を語っているわけでもない。もう夜だ。昨日の夜もそうだった。息苦しいのだろうか。もう先が長くないか。先とは何の先なのだろう。たぶん何かの終わりが近いということだ。それならそれでかまわないのではないか。中身のある内容は何も残せなかったのだから、そういうことなのか。いったいこれまでに何を語ってきたつもりだったのか。できることなら君はそこから外れたかったのだろう。今ここで何から外れたかったのかを考えている最中だ。もう遅い。そんなのは嘘だろう。また人身事故だ。久しぶりに電車に乗ったとたんにそれはないだろう。これは何かの巡り合わせなのだろうか。電車が止まっているうちに言葉を記さなければならないわけか。

 でも何も思いつかない。記すべき言葉が見当たらず、困り果てているわけか。くだらぬ状況だ。何でもないことなのに、何だか躓いているみたいで、別に罠にはまっているわけでもないのに、しまったと思っているような表情で、ちょっとそんな光景を想像してみるが、何を思い浮かべているわけでもなく、それらのどこからどこまでがフィクションというわけでもないことに気づき、やはり適当にいい加減に言葉を記すしかないと思う。それで何がどうなるわけでもないだろうが、それは暇つぶし程度ことだろうか。取り立てて何を語っているわけでもないことは、誰にとってもわかりきったことか。しかしこんなふうに語ってしまう状況は何なのか。とりとめがなさ過ぎるだろうか。それもいつものことだと思い、電車の窓から外の景色を眺めているようだが、何を思いつくわけもなく、今回はだいぶ間があいてしまったが、何だか一週間に一度電車に乗る度に、数回に一度は人身事故に出くわしているような気がして、なぜそれほどまでに人身事故が発生するのか理解に苦しむ。まさかそんなに自殺する人が多いのか。高崎線から埼京線にかけては特に多いわけでもないだろう。どうもアナウンスによると、運転再開見通しは一時間後らしい。よほど事故の後始末に手間取っているのだろうか。要するに今日の君が出くわしたのはそんな事故だったわけだ。これで明日の帰りにも人身事故で電車が止まったらどうしようか。明日は用事で遅くなるから新幹線で帰るので、その心配はなさそうだ。そんなことに気づき、ちょっとだけ安心するが、電車に飛び込むのは一瞬のことだろうが、かなり痛そうだ。ついでにそんなことも想像してみるが、まさか自分がその体験者になるのは勘弁願いたいものだ。

 電車が止まっている間に仕事帰りのサラリーマンがビールとつまみを買い込んでくる。かっぱえびせんやポッキーを食べている人もいる。君はイヴァン・リンスを聴きながら、何を思うこともなく、言葉が記されつつある画面を眺めている。何がもたらされているわけでもない。何も思わなくてもかまわないのではないか。冬の夜空に瞬くオリオン座でも想像してみるが、それがどうしたわけでもない。またビールとつまみを手に持ったサラリーマンが乗り込んでくる。少し冷えてきたようだ。みんな何を思い浮かべているのだろう。そういえば駅前で路上ライヴをやっていた若者は何を主張していたのか。歌っていた内容は利いた風な内容だったはずだ。若者特有の反抗心からそんな歌詞になるのだろう。不思議なのは前橋駅でも高崎駅でも、同じような内容を歌っている若者に出くわすということだ。たぶん誰も彼もが尾崎豊がかつて歌っていたような内容を歌っていることに気づかないだろう。それは若者特有の紋切り型的な思考形態から生じるものなのか。電車の中でビールとつまみで憩いのひと時を送っているような大人にはなりたくないか。もしかしたら駅前で尾崎豊のような歌を歌っている若者も、電車の中でビールとつまみで和んでいる大人も、そんな行為を強いるような何らかの制度の虜となっているのではないか。そんな大げさなことでもないか。たぶん君は冗談でそんなことを語ろうとしているのだ。またつまらないことを思いついたものだ。それも暇つぶしの一環か。どうやら予定よりも早く事故処理が終わったらしく、間もなく電車が動き出すみたいだ。これから混んできて、荷物を座席の横に置いて言葉を記すのもはばかられるような状況となりそうだ。ならばこの辺で切り上げた方がいいだろうか。そうするとしよう。


11月1日

 しかし何もない。たぶん何も語っていないわけではないのだろうが、これでも何か語っているわけか。わけではないが、また遅れてしまったらしく、夕方からかなり眠っていたようで、深夜に目覚める。何か記すことでもあるのだろうか。どうも頭の中で何かがリセットされているようで、何も思いつかない。そしてまたあくびが立て続けに出て、横になる。このまま眠ってしまうのか。たぶんそういうことだ。そういえばテレビを見ていなかったようだ。そんなどうでもいいことに気づくが、別にそこからテレビを見ようとしているわけでもないらしい。また横になってしばらく考え込んでいる。もうやめた方がいいのだろうか。またそれだ。何が正解なのだろうか。別に正解を探しているわけでもなく、正解を求めている問い自体が不在だ。そしてもう昼になってしまったらしい。本当に何もないのだろうか。数日後の今日は雨が降っている。ただそれだけのことだが、他に何があるというのか。君は何かから目を背けている。その何かとは何なのか。たぶんそれは君にとって大切な何かではない。あり得ないことか。何があり得ないのか。君にとって大切なことなど何もないということか。それもないだろうが、何が大切かはその時々で変わってくるということかもしれない。またもや見え透いた御都合主義が心の底からわき上がってくる。そういうわけでもないのか。何がそうなのだろう。とりあえず何だかわからないが、いったんリセットしてしまった後のリハビリとしては、こうして無駄で無意味なことを延々と記していくのが有効なのかもしれない。でもこれを読まされる側はたまったものではないか。無料だからかまわないか。

 しかし本当に何もないのか。取り立てて世界情勢に変化の兆しはなく、君がそんな大げさなことを考えているわけでもない。相変わらずあちらこちらで人が殺され、そんなニュースがメディアによって伝えられ、別に暗澹とした気分になるわけでもなく、ただ淡々と日々を送り、何を思うこともなく仕事をこなして、糧を得ているわけだ。それで何がどうなったわけでもなく、娯楽は娯楽でそれを楽しみにしているわけでもなく、楽しめない毎日ばかりなのかもしれないが、それも嘘かもしれず、本当はそれなりに楽しんでいるのかもしれず、そうでなければ絶望して自殺してしまうところか。でも自殺するほどの勇気も力も残っていないのかもしれず、何に期待しているわけでもないので、期待を裏切られて絶望することもないのかもしれない。とりあえず君が体験しているのはその日暮らしの毎日か。それはどういう意味なのか。あまり深く考える気が起こらないようだ。何事もなく無難に過ぎ行けば、それでかまわないのだろうか。そうなればなったで、そんなふうに生きていくだけで、テレビドラマのように何か深刻な事件にでも巻き込まれない限りは、平穏無事に暮らしているわけか。それ以外にどうなる可能性も思いつかず、たとえ思いがけないようなことが起こってみたところで、それを体験しつつある自分と今の自分は、別人のような気がして、実際に何かが起こってみないことには、何ともいえないところか。ではどうしたらいいのか。何か目標を持たなければならないわけか。いつもそういうありふれた結論に行き着くが、今ひとつその気になれず、そのまま平穏無事な日常に押し流されて、何も考えないまま、自らの寿命を全うしてしまうのかもしれない。

 君は退屈を持て余しているのだろうか。そんなはずがないか。仕事に追われる毎日か。そう捉えればそういうことになるのだろうが、別にやりたくてやっているような仕事ではなく、どちらかといえば嫌々やっているわけだから、あまり身が入らず、いつも一歩後ろに退いていて、冷めているような感じだ。それでもそれなりにこなしているではないか。それだけのことであり、それで糧を得ている割には、あまり重要視していないわけで、まったくふざけているとしか言いようがなく、そう思われても仕方のないことなのかもしれないが、他に仕事としてやりたいこともなく、世の中の仕事全般がくだらなく思えているわけでもないのだろうが、何となくそんなことをやっている場合ではないような気がしてしまうのは、どういうわけなのか。わけも何もないか。でも別に大金持ちになって世界中を観光して回りたいわけでもないのだろう。それもくだらない行為に思えてこないか。要するに人がやっている行為全般がくだらなく思えてしまうわけか。それなら人をやめなければならないが、人をやめて何になれるのだろうか。人は人で人以外の何者でもなく、それは当たり前のことだ。要するに君は世間をなめているわけだ。それも違うか。当たっているのかもしれないが、その時点ではそうであり、別の時点ではそうでもないような気がしてきて、ある時は世間をなめていて、またある時は真摯な気持ちになっているわけか。それにしてもこの世界には魅力を感じない。またそんな嘘をついている。でも嘘でなければ何なのか。別に本気でそう思っているわけでもない。この先世界がどうなろうと知ったことではないような気がするが、不快な人々が不快なことをやりながら、のさばっているのを見るにつけ、何とかしなければとも思うわけで、その時々で思っていることも異なるのだろうが、たとえ何とかしなければと思ってみても、君一人で何とかなるような世界でないことも承知しているわけだ。


10月31日

 何の感慨もありはしない。ただの記された言葉の連なりか。でも何とか月の終わりまでやってきた。日付としてはそういうことか。でもここで一休みだ。なぜだろう。やる気がしないのか。たぶんそういうことだ。何を語っているわけでもないのは相変わらずだが、それでやる気をなくしたのか。そうだとしても言葉は記しているではないか。それらしい。また別のことを考えている。何が別なのだろうか。そこまでたどって、何を見出そうとしているのか。思考が揺れている。そんなはずがない。本当のところはどうなのか。もう手遅れか。さっきまでの意識が記憶にない。だからそんなはずがないと述べている。意味不明だろうか。わざとそうしているのではないか。老人が何を見ているのか。ニール・ヤングが歌っている。君はどこを歩んでいるのだろう。この八方ふさがり具合は何なのか。そう思わなければいい。君は嘘をついているのだ。すでに決着がついてしまったのだろうか。それは何の決着なのか。何のための決着でもなく、ただの終わりでしかない。足首が痛むのはそのためなのではないが、何だかそんなふうに思われてしまうのは、それとは無関係であることを自覚しているからか。またわけがわからないことを述べている。紅茶でも飲んで目を覚ました方がいいだろうか。苦すぎて最後まで飲めないのではないか。量が多すぎるのかもしれない。たぶんそれも君とは関係のないことだ。ただでたらめに拍車がかかっているみたいだ。それもいつものことだとうそぶけるだろうか。でもうそぶくとはそういう意味で使ってもいいのか。その辺に勘違いがあるのかもしれず、君はそれとはまったく別の内容を述べているつもりではないのか。

 だからそんなことなどどうでもいいのか。また眠ってしまったのではないか。それがどうしたわけでもないのに、そんなことを記している誰かが、何を考えているかなんて興味がないか。君は投げやりになっているわけでもないのに、何となくどうでもいい気分となり、どこかで記されているフィクションの中をさまよっているふうでもなく、でもそれが何だかわからないままのようで、歩き疲れて右足の甲が痛くなっていることに気づき、やはりその原因をわかりかねているようだ。歩き疲れているのではなかったのか。さっきまでは眠っていたはずか。たぶん歩き疲れていたのは夕方のことだ。前橋も新前橋も駅までの道のりが長過ぎるのか。駅の周りに繁華街が集中している他の都市とはその点で明らかに違う。でもそんなことはどうでもよかったのではないか。壊れていたのだから仕方がなく、しかも代わりが新品で売っていない。外車のマフラーの奥にある触媒をヤフーオークションで手に入れて、その中古品をオートバックスで取り付けてもらっていただけだ。そんなふうになってしまうのだから、もはや廃車が間近に迫っているということか。それでも乗り続ける理由がどこにあるのか。わからないが、とにかく修理したのだからこの先も乗り続けることになるのだろう。やっていることが支離滅裂か。でも理由があるのだから、それに従ってやっていることだ。そういう説明自体が要領を得ない。わざとそうしていたのではなかったのか。込み入らせているわけではなく、他に記すことがなかっただけか。何でもいいからとにかく言葉を記さなければ終わらないようなことか。それでかまわないと思っているのだろう。いつものことだ。

 そしてここまでやってきたではないか。何が何だかわかっているつもりでも、とりあえずはわけがわからないふりをしておかなければ続かないようなことか。それとは何か。それが決まり文句なのだから、そんなことを繰り返し記していれば、困難な状況を切り抜けられるとでも思っているのか。ここはそういうことにしておこう。何でもかまわないから、適当にいい加減に説明しておけば事足りるのか。そんなはずもないが、何かがおかしくなっているみたいだ。時々動作がおかしくなる。精神に異常を来しているのか。そんな説明も成り立つ時がやってきたりするわけか。わけも何もありはしない。今のところはそうだ。単に目の前を何かが流れているだけだろう。時の流れは早い。そういうことでもないか。では何が違っているのか。深夜に音楽を聴いているだけか。説明になっていないのはいつものことだ。そういうごまかしがまかり通り、何となくそこで納得してしまい、やはり頭がおかしくなっているような気になるが、たぶん何に懲りているわけでもないのだろう。特に死期が近づいているとも思えない。この先誰が死んでしまうのか。まだフィクションがまともに語られないうちからそれはないか。いったい物語はどこへ行ってしまったのだろうか。どこでもいかずにここにあるのではないか。中古の外車を購入して、あちらこちらが故障しまくりながらも、何とか数回の車検を経てここに至っているわけだ。かなり痛い目に遭った時も手放さなかったのはなぜか。何となくなのだろうか。乗っていて同じ車種に出会うことが滅多にないことが、何だか優越感に浸っているような錯覚を生じさせているというわけか。馬鹿げている。しかしその馬鹿げていることが乗り続けている理由となっている。


10月30日

 もはや考えられない。何を考えられないのだろうか。また問いかけようとしている。無駄なのだろうか。何が無駄なのか。そういうことではないらしい。ただ何となくそんな気分だ。君はこれからどうなってしまうのか。まだ何の物語にも出会っていないではないか。依然として話の内容は空疎のままか。でもそんなふうに語っているではないか。そんなふうとはどんなふうなのか。またおかしくなっているみたいだ。たぶんそんなふうに思わなければいいのだろう。なぜそんなことを思うのか。また翌日の夜になってしまったらしい。ここから何を語ればいいのだろうか。語る以前の段階で言葉を記している。これではだめか。何を問いかけているのか。改めて問うこともないだろう。だめならだめでかまわないのではないか。だめなりの内容になるしかない。でも何かを探っている。探求というやつか。嘘かもしれない。嘘で済むなら楽なことか。そんなわけで探りかけていた何かを手放し、そこから先は何になるのだろうか。何にもならないか。だらけているだけかもしれない。遠い。何が遠いのかよくわからないが、とにかく遠い。遠くから何かの歌声が聞こえてくるような感じだろうか。たぶんそれはおかしい。でも何がおかしいのか明らかになりかけているのではないか。そう思いたい。嘘でもかまわないから、そういうことにしておきたいのか。でもそんなフレーズは聞き飽きた。また何かのラップか。誰が頂点を目指しているのでもないらしい。それは何かのスポーツか。虚しい努力だ。ごまかしに過ぎないのではないか。そう思うなら思わせておけばいい。でもすでに始まっている。そんな予感がしているだけだろうか。

 歌を歌っているのは、誰か有名な歌手だったかもしれない。それが過去の記憶の断片なのだろうか。だが話になりかけているふうもない。ではそこでそれは終わりか。何を説明しようとしていたのか。誰かの日記でも覗き込んでいるふりをしたいだけか。でもそれで何になるというのか。耳が遠いのかもしれない。ふとそんなことを思い、さらにわけがわからなくなる。わけなど何もありはしない。君の存在にわけがあるとも思えない。では何なのだろうか。おかしいのではないか。たぶんそれは確実にそうだ。でも何とかしようとしている。まともな内容になるように努力しているつもりか。でも何が笑いぐさなのか。そんなふうには思わないのではないか。では何なのか。それでも何とかしようとしているつもりか。別にその気になっているわけではない。要するにふざけているということか。何が要するにでもないだろう。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。また丘の上にある救急病院へ向かってくるのか。君の知ったことではない。曲名がジェフ・ベックだ。ギタリストがそうなのではない。それが何かのユーモアなのかもしれない。要するに即興演奏をやっているのだろう。それを装っているだけかもしれない。君はいい線までいっている。それはどういうことなのか。インプロヴァイゼーションというわけだ。それが正確な発音なのか。それとも誰かがジェフ・ベックの真似をしているだけか。横道もないのに横道に逸れている。そこには道がない。ならば藪の中か。何がそうなのでもないだろう。ただの戯れ言が集積している。それで何を装うこともできず、必死の形相で画面をにらんでいるわけでもなく、ただの無表情がどこかの平面に映っている。その程度のことか。

 でも何かがさばけているような気になり、その気になってさらに言葉を記してゆくと、何にぶつかるのだろうか。自らの限界か何かか。そんなはずもなさそうだ。では終わりに向かってまっしぐらか。君は数日後に交通事故で不慮の死でも遂げるのだろうか。そのつもりはないが、それが不慮の死なのだから、そうなったらなったで仕方がないだろうか。今はそうならないことを祈るしかないが、誰がそこで祈っているわけでもなく、何だか自らに訪れる運命をあざ笑っているかのごとくに、何だかいい加減に振る舞っているみたいで、何がそうなのでもなく、そんなことを否定したのかもしれないが、そこで黒い犬に出会うわけもなく、ニール・ヤングのライヴを購入中だ。なぜそうなってしまうのだろうか。二十曲で千五百円だからか。正確には曲が十七と映像が二つで、あと一つはブックレットみたいだ。歌詞カードか何かのことか。解説かもしれないが、どうせ読まないだろう。どうもやはりその気になっていないようだ。ちゃんとしたことを記せないまま、ここまできてしまったらしいが、深夜に野良犬が集団でうろついているようで、監視カメラに映っている。それと何が関係しているのか。この世界は閉じている。思い込みか。それは書物の外見がそうさせているだけだ。書物は別の書物によって生み出され、それを読んだ誰かが画面上に言葉を記している。でもなぜそれを読む必要があるのか。その大半は必要もないのに読んでいるわけだ。何気なく読んでいて、何となく読んでいる。そしてそれが何かの糧となることもなく、すぐに忘れ去られ、何かのきっかけで不意に思い出されたりすることはまれで、そのほとんどは忘却とともに知識となるのかもしれない。矛盾しているだろうか。要するに誰かはそうやって己のうちに蓄積した無駄な知識を利用しながら言葉を記しているわけか。そう思ってもらってもかまわない。


10月29日

 これから何を語るにしても、君がその続きを語れるとは思えないか。いったい何の続きなのか。また唐突に頭がおかしくなっているわけか。やはり何の話でもないようだ。空疎なことを述べている。それはいつものことで、それ以外はあり得ない。そんなふうに語るべきではない。たぶんそういうことだ。目の前を何かが流れている。投げやりな気分となっているわけか。今はそんなはずもない。何かが違っているのかもしれないが、それもいつものことか。ならばこのままでもかまわないだろう。そうならないようにしなければならないと思うが、流されているようだ。たぶんまた嘘をついているのだろう。その通りなのか。では次に記される言葉は、それでかまわないというわけか。何だか腑に落ちない。別に理解しろというでもない。では何なのだろうか。そろそろ暖房をつけた方がよさそうだ。正気ではないようだ。猿のことでも考えているんか。別に『猿の惑星』を見たわけでもないだろう。そうではなく、突然思いついたらしい。でも何がどうなっているわけでもなく、ただひたすら言葉を記そうとしているだけのようだ。君がわかっているのはそういうことではない。では何なのかと問うなら、それは何なのか。またそれだ。いい加減にそういうのはやめた方がよさそうだ。もう飽きてしまったのだろうか。まだ記すべきことがあるわけか。何を記したらいいのだろうか。その時点でおかしくなっている。何がおかしいのかわからないが、社会の中で生きている人には役割があるらしい。とりあえずはそういうことだ。それではまずいか。ならば今は何をやっているのだろうか。それだけのことか。

 何だか気が抜けているようだ。そんなに馬鹿げているわけでもないだろう。内容としては空疎だろうが、とりあえず言葉を記しているのではないか。しかしそれでかまわないのだろうか。悩み事が多いみたいだ。なぜそうなってしまうのか。まだそこまで行っていない。行くべき場所を間違えている可能性もなきにしもあらずか。そんなことではないだろう。焦点がぼやけているに過ぎないようで、何を語ればいいのかわかっていないまま、ここまで記してきただけか。また紅茶を飲んでいる。コーヒーを飲んでから紅茶を飲むと眠れなくなるが、それが誰にとって好都合なのかはわからない。そこにどんな役割があるわけでもなく、誰が社会の中で孤立しているとも思えない。安易に決めつけるべきではないらしい。君は既にそこで居直っている節もある。それでは埒が開かないだろう。でも何とかなっていると思い込んでいるのかもしれない。でもこれから何を掬い取るつもりなのか。ざるそば何かか。たぶんそうではない。何か勘違いしていることは確からしい。そんなふうに思っていること自体がおかしい。否定したいのではないが、おかしいことに変わりない。またつまらないことを考えているのかもしれない。何とかなるとでも思っているのか。この事態に出口などありはしない。でも待てばいいのではないか。何カ月でも何年でも待てばいい。寿命が尽きるまで待てばいい。でもそれでは待ちぼうけで、無駄な歳月を過ごしたことになりはしまいか。それでもかまわないと思いたいのではないか。もとから人生設計などとは無縁のはずだろう。ただ行き当たりばったりで生きてきただけか。

 なぜ後悔しないのか。身の回りで生きている者で、魅力的な人生を送ってきた者など皆無だからか。それもあるが、何が魅力的なのかもわからず、ただ適当にいい加減に生きているだけなのではないか。ため息が出そうだ。そんなはずではなかったと思わないのか。目が回ってくる。何だか知らないが、首も回ってくる。床に倒れそうになっているのだろうか。ベッドに倒れ込もうとしているわけでもない。では何なのか。何でもなく、未だに言葉を記している。どうも自分で状況を打開しなければならないらしい。でもそれで打開できたことになるのだろうか。ますます混迷状態に陥るだけか。迷うだけ迷って、気がついたらあきらめていたりして、何をやっているのかもわからなくなり、途方に暮れるばかりか。でもここまでやってきたではないか。道に迷っているだけではないのか。それでもかまわないと思いたいのか。またごり押しの気配だ。正気とは思えない。いつもの疑心暗鬼か。心配性のたぐいかもしれない。それとも被害妄想まで進みたいのだろうか。うまくやろうとしても無駄だ。必ずうまくいかなくなり、それが常態化して、嫌気がさして、それからどうなってしまったのだろう。こうなってしまったわけか。またため息が出る。のどの奥が詰まっているような感じだが、ストレスで癌でもできたのだろうか。そのうち転移して手遅れとなってしまってから気づくわけか。もう気づいているのではないか。何に気づいていようと、きっと気のせいだと思っているのだろう。それでかまわないなら、死期が近づいているということか。あくびが出るが、眠くなったわけではない。カフェインを取りすぎたので、朝まで眠れないかもしれない。でもそれが誰にとって好都合というわけでもないか。


10月28日

 何だかわからないが、誰かがその続きをやろうとしていることは確かなようで、そんな言葉を確かめながらも、君は疲れているようだ。まだ誰かは言葉を記すつもりなのか。もう深夜だ。昨日と同じ状況なのだろうか。そして眠ってしまい、深夜に目覚める。何も思いつかないだろうか。その通りだ。その代わりにくだらぬ自問自答が開始される。何の代わりなのか。たぶん何の代わりでもなく、そのものなのではないか。そこに君の不在があり、誰かが意味のないことを述べているわけか。別に君の代わりに述べているのでもない。君自身が誰かの代わりなのか。そういうわけでもないだろう。どういうわけでもなく、回りくどくなるだけのようだ。説明できないことなのかもしれない。ではそれに関しては何も語れないのだろうか。たぶんそうだ。そして何だかわけがわからなくなり、また眠ってしまう。翌朝に目覚めて、何も進んでいないことに気づき、何だか裏切られたような気になるらしい。自分自身に裏切られているのだろうか。そんなことでしかない。深夜に猫が起こしにきて、外に出てゆく。目覚めたのはそういうことか。今さら気づいてどうするのか。昨日の夜もそうだったのではないか。今さら何をわかればいいというのか。意味不明でもかまわないか。君がそう思うなら勝手にすればいい。架空の存在なら、何も思わなくてもかまわないのではないか。そんな問答自体がおかしいのかもしれない。でも寿命が尽きる前に何か行動を起こさなければならないわけか。今こそ機が熟したと勘違いしている。それは勘違いではないのかもしれない。少なくとも誰かがそう思っているのだろう。老人でも何かできるらしい。

 苦い紅茶を飲んでいるようだ。眠気覚ましか何かだろうか。何かとは何なのか。それが語る上での癖になっているだけか。どうもこの辺が限界か。何だかわからなくなる。無理に言葉を記さなくてもいいのではないか。そんな気になって、横になる。やはりこの辺が限界のようだ。しばらく横になるとしよう。やはり先月の壁は破れず、遅れたままになっているようだ。眠って起きて仕事をして、夕方になり、今はもう夜だ。今日もいろいろあったが、何だかわからない。たぶんそれについては何も言及しないのだろう。テレビをつければもうアメフトの季節だ。各チームが一週間に一回ずつやって、数ヶ月後にはスーパーボウルか。みんな様々なところで戦っているわけか。漫画の中の戦いも大詰めを迎えている。人は他人が戦っている光景を見るのが好きらしい。君も部屋の中でテレビを見ている。クイズ番組かスポーツ中継か。何を馬鹿にしたいのでもない。語ることがないだけか。腕時計も見飽きたか。冗談も程々にしておかなければならない。たぶんそれも暇つぶしだとは思っていないのだろう。でも君に覚悟ができているとは思えない。それは何の覚悟なのだろうか。石にかじりついてでも何かをやり遂げたいのか。それとは何か。相変わらずまたそれか。いつまで経ってもそれとは何かで止まっている。何も思いつかないのなら、それでもかまわないのではないか。君のやりたいことなんてどうでもいいはずだろう。しかしそれに反論する気が起こらない。確かにどうでもいいことではあるが、そのどうでもいいことが重要なのだろうか。何だかわからないことは確かだ。

 何をやり遂げようとしているのでもない。それは嘘なのか。何が嘘なのだろうか。たぶん嘘なんかではないのだろう。では何なのか。期待を裏切っているだろうか。いったい誰に期待されているのか。今さら何を思い出すまでもない。さっき思い出したそれは何なのか。なぜそれについて語らないのか。問われるまでもなく語っているはずだ。今日という日付に追いつきたいのか。語っているのはそういうことだろうか。君はそれを知っている。何も知らないはずだ。では何を知っているというのか。何も思いつかない。それではだめだ。そんなことでしかないらしい。たぶん何も思い出していない。それは昨日ことではない。アメリカの大統領選挙はどうなるのだろう。興味がないか。たぶんそんなことではない。人はなぜそんなところで生きているのか。何が正念場なのでもない。君とは関係のないことだ。今でもそんなことを思っている。まだ野球をやっている。またテレビでも見ていたのか。何に感動しているわけでもない。思いつくのはそんなことか。とりあえず今があるのだろう。人は人で人にはやることがあるらしい。君も人の中の一人に過ぎない。だから君にもやることがあるらしい。誰がそれをやろうとしているのか。こうして言葉を記している現実がある。正気とは思えないか。別に正気でそんなことを思っているわけではないが、何とかここまでたどり着いたらしい。何が正気なのだろうか。そういう問いが邪魔なのか。何が問いかけられているわけでもない。だが不思議な感覚にとらわれている。本当にこのままでかまわないのだろうか。ここに何を付け足す必要もない。ではこれがすべてなのだろうか。現時点ではそうか。


10月27日

 相変わらずこんなことを記している。それで何かが前進したのだろうか。でもこれで紅茶を飲んでしまえば眠れなくなり、朝まで鬱陶しい時間を過ごすことになりそうだが、ここで思いとどまった方が身のためか。すでに眠ってしまったようで、翌朝に目を覚ましてから記憶が途切れる。そんなはずがないか。今はもう夜だ。昼は仕事の最中で、そのとき何を思っていたのか忘れている。別に思い出す必要もないだろう。うまくいかない時はうまくいかないものだ。当たり前のことを述べている。何を見ているわけでもなく、述べている内容もたわいない。それがすべてか。でも問われるままには終わらない。俄には意味がわからないが、語りたい内容を見出せないことに変わりないようだ。だから何だというのか。数日後の今日は地方の大学病院にいる。待ち時間が長いからここで言葉を記しているみたいだが、空き時間を有効活用しているつもりになれるだろうか。でも相変わらず何を語っているわけでもないらしい。この期に及んで取り立てて語りたいことなど何もありはしないか。仮に何を語ったところで君の知ったことではない。すべてはたわいないことの範囲内か。もはやじたばたする気も起こらない。なぜうまくいかないのか。それはうまくいくはずがないからだ。理由もなく、何の説明にもなっていないことを承知しているようだが、人はいつでも惨忍になれる。そんなニュースを見ているわけか。惨いことをする理由もわけもたわいないことか。そうに違いなく、要するに無邪気なのだ。くだらないと言えばくだらないのだろうが、それが深刻な事態を招くに至り、何か手を打たなければと思うわけか。

 でもそこに至ってなお本気になれない。何となく馬鹿げているように思われる。それはいつも思うことだろう。だからこの事態は日常の延長上にあることだ。それもそうでしかない。非日常はテレビの中でやっているようなことでしかなく、その中ではすべてが作りごとで、人がよってたかってくだらぬ虚構を構築しようとしているわけだ。でもそれが興味深いのだろう。しかしそれは誰にとっても興味深いことなのか。そこで何かをやっていて、それを不特定多数の人々が眺めていて、中にはそれを見ながら興奮している人もいるのではないか。君はそんな説明で満足するつもりか。今はそれでかまわないのではないか。そんなことを記しているうちに眠くなり、またどうでもよくなってしまうらしい。話が膨らまないまま、何を語る気も起こらなくなり、何だか馬鹿にされているような気分になるわけか。それはどういうことなのか。単に興味がないということか。要するに非日常は気晴らしのたぐいなのだろうか。日常に退屈しきっているから、非日常の光景を求めているわけか。それも何かの強がりか。本気になれないというのも嘘で、君はその退屈しきった日常の中で苦悩しているではないか。やりたくもないことをやる羽目に陥り、それも遊び半分では済まないようなことになり、何だか真面目に努力しなければさらに嫌な事態になるような成り行きの中で苦しんでいる。でもあくびが出る。これが全知全霊を傾けてやるようなことなのか。そんな疑念を抱きながらも、やらざるを得ないような成り行きに嫌気がさしているわけか。

 それでもどうにかこうにかこらえているのではないか。心が折れそうになるのを何とか押しとどめ、破綻しないように、あれこれ策を弄して、日常の退屈な日々を乗り切っているはずだが、他に何も見当たらないのが辛いところか。でも腐らずに言葉を記しているではないか。何もないのに、何もないということを語っているはずで、それで何か語っているような気がしているはずだ。それで何かまずいのか。たぶんまずいのではないか。何も希望を見出せず、そうかといって絶望するような気分でもなく、ただ淡々と事態を眺めながら、それが他人事でもないのに、何だかくだらないこのことのように思われてしまうわけだ。しかし病院の廊下で何を記しているのか。待つ身は辛いか。それはいつか述べたことだが、どうしたわけでもなく、そんな何でもないことの積み重ねが、言葉の連なりを生じさせ、君の気晴らしに一役買っているのだろうか。別に気晴らしになっていなくてもかまわないのではないか。もう昼近い。脳波検査は一時間半かかるらしい。火災報知の赤ランプの前に長椅子があり、そこで延々と待ち続け、ひっきりなしに廊下を人が行き交い、たまに途切れることもあるが、すぐさま遠くから靴音が響いてきて、関係のない人が目の前を通り過ぎる。いくら検査したところで何の解決にもならないことは承知しているのに、やはり定期的に一通り診察して、経過を見なければならないらしく、それで何がどうなることもないのだろうが、後は薬をもらって帰途につけばいいようで、そんなことが繰り返されているうちは、周りの人も納得するのだろう。それで何かやっている気になりたいわけか。それはどうか知らないが、とりあえずそれで医療費がかかっているわけだ。


10月26日

 要するに何なのだろうか。無駄に言葉を記したいのか。それがおかしいことのすべてかも知れない。今現にそうしているわけだ。また眠ってしまったらしい。睡眠をとらなければいけないのだから、それは当然の成り行きだ。でもわからない。深夜に目が覚めて何を語ろうとしているのか。時間もない。おまけに何だろう。別に眠いわけでもないだろう。心はどこから外れそうになっているのか。何を煽られているのか。盛んに訴えている内容は何だろう。何でもないか。何だかわからない。それだけではないのだろうか。すべてがそうなのかもしれない。それが新たに生じた認識か。ならばまだ終わったわけではないようだ。これから事態を何とかしようとしているわけだ。そんなことに違いない。状況は君の方へとなびいている。それはどういうことだろう。そういうわけでもないのだろうか。そうなるには何かが足かせとなっているのか。考えられる要因は何だろう。たぶんうまく回っているうちはそれでかまわないのかもしれない。まかせておけばいいわけか。何もかもを自分でやれるわけではない。でもちょっとずつ時間が進んでゆく。少なくともそういう成り行きの中にいて、確実にそれはいえることだ。それで何をどうしたいわけでもないのに、結果的にそういうことをやりたいように思われてしまう。自意識がそこで生じているわけか。なぜそうなってしまうのか。別にそれが嫌なわけでもないのに、そういうことを述べてしまう。その辺がよくわからないところだ。君は君自身が考えていることを理解できない。

 いずれにしてもやるならあまり長くならない方がよさそうだ。そしてうまく立ち回ろうとしてはいけない。でもこれから何をやろうとしているのかわからない。ただ言葉を記そうとしているだけか。そうかも知れない。でもそれにも限界があり、今は停滞している。唐突にできなくなり、何も記せなくなる。たまにコルトレーンでも聴いてみるが、それでどうなるわけでもなく、引き出物のチーズケーキを丸ごと食べて、何となく気持ち悪くなる。何の脈絡もなさそうだ。関係のないことを述べても無駄か。支離滅裂なのはいつものことだ。食い過ぎで胃もたれ気味なのか。少し耳が遠くなってしまった。おまけに目が痛い。それも無関係だろうか。何と何が無関係なのか。そんなことを記している事実に驚くわけもなく、何が何だかわからなくなっているようで、また頭の中で何かがおかしくなっているわけか。それで説明になっているわけもないか。いったい何を語っているのだろう。たとえそれがわからなくても、そういう流れの中で何かを語っているのだろう。しかしおかしい。また用事が立て込みそうな気配で、何だか気が散って、まともに考えられないようで、このまま支離滅裂なことばかり述べてしまいそうだが、それでもかまわないのだろうか。君の知ったことではないか。誰に問いかけているのでもないことは毎度か。だからおかしく感じられてしまうのか。その辺も何だかわからないが、とりあえずここまで記してきてしまったのだから、このまま終わりまで記さなければならないだろうか。どうせそのつもりなのだろう。

 がっかりしているのだろうか。何に落胆しているのか。今日も空疎な内容しか記せないからか。今日ではないだろう。日付的には二日前か。そういうことではないらしい。ではどういうことなのか。近頃は無意識に頼り過ぎのようだ。それでうまくいっていると思っているのだから救いようがない。別に救われたいわけでもないのだろうが、この期に及んで将来なんてあり得ないのではないか。人の平均寿命の半分をとうに過ぎているのに、なぜ未来に希望を抱かなければならないのか。でもそんなことを考えている。ミシェル・フーコーなどは死ぬ数週間前に、自らの将来について語っていたではないか。人とはそんなものだろうか。要するに今を生きなければならず、今やっていることがすべてなのではないか。たとえ明日死ぬとしても、とりあえず今は生きているのだから、納得がいくように努力しなければならないということか。それは誰のためにやっているわけでもなく、自分のためにやっているわけでもない。たぶんそういう成り行きの中で生きてゆくしかないのだろう。でもそれで納得しているわけでもないはずか。現状に対して常に疑念を抱いていて、時には疑心暗鬼に陥っていたりして、思い通りにいかずに苛ついていたりする。思うような結果に至らずに焦ってばかりいるのではないか。いつもそうだ。それが現状への不満を募らせる結果を招き、ますます猜疑心にとらわれ、嫌な人間へと変貌していって、結局は偏狭でせこくて小狡い性格で固まってしまうわけか。そんな輩は世の中に掃いて捨てるほどいるだろう。世の中が絶えずそういう人間を生産し続けているわけだ。君もその中の一人なのではないか。


10月25日

 すでに言葉を記しているようだが、またおかしくなっている。立て続けにくしゃみが出る。それだけではおかしいことにはならないか。では何がおかしくなっているのか。何かがおかしくなっているはずだが、気のせいかもしれず、さらにどうでもいいことかもしれない。出だしからこれでは先が思いやられそうだ。それ以前にあきらめているのではないか。またそれだ。なぜ簡単にあきらめてしまうのか。何だかわからないが、その気になれない。がんばれないわけか。その通りだ。そして笑ってしまうらしい。たわいないことでしかないらしい。どうもそれだけのことでこんな具合となってしまい、その後が続かなくなり、心の中で何かが停滞している。意味がわからないだろうか。いい加減だから仕方ないだろう。君はそこで何を待っていたのか。少し考えてみるが、おかしいことに変わりないようだ。意味がない。言葉の連なりが意味を担えない。でも無意識が何を引き受けようとしているのでもなく、無責任に振る舞っている。何がそうなっているのだろうか。無意識こそが虚無の正体か。そんなはずがない。では何なのか。何かの間が介在しているのかもしれない。間とは何か。でたらめのたぐいだろうか。なぜそう思うのか。心の中ではまったく違うことを思っているのだろう。話がまとまらない。話になっていないのではないか。そんなふうに思うのはなぜだろう。またそれだ。さらに言葉が散らばってしまう。意味をなさないようだ。文章になっていない。それだけだろうか。何がそうなのか。君の知ったことではない。誰もそんなことなど知りはしないだろう。それは何かの技術なのだろうか。腹話術か何かのことか。そう思うならそういうことにしておこう。面倒なのは嫌いか。でもおかしい。

 この散らばりようは何だろう。ただ散らかっているだけなのか。君は掃除を怠っている。そんなふうには思わないか。何も本気ではないのかもしれない。正気だとは思えない。何がそうなのかわからないが、さらに意味不明となりそうだ。これで言葉を記していることになるのだろうか。何かが外れているようだ。それはないだろうと思うが、そういう成り行きなのだから仕方がない。何だか開き直っているみたいだ。なぜそうなってしまうのだろう。そればかりのようだ。あまり深く考えられないようだ。事を深刻に捉えるのはよくない。相手にされない方がいいだろう。向こうも相手にしたくないのではないか。向こうとは何なのか。闇の向こうに何があるのか。そういうことではない。たぶん誰もない。そういうことでもないのか。ではどういうことなのか。誰もそういうことだとは思っていないようだ。ではそれでかまわないのか。誰の同意を得たいわけでもない。意識がそこにないのかもしれない。ではどこにあるのか。どこにもないでは嘘になりそうだが、そういうことにしておきたいらしい。別に荒んだ気持ちになっているわけではない。ただ何となくアホくさくなっているようで、そこで何かが腐っているのかもしれない。でも別に腐乱臭が漂っているわけでもないだろう。ネズミの死骸でも見たのか。その横にゴキブリの死骸か。あとは骸骨の写真でも重ね合わせたら、何か得体の知れないものが生成するだろうか。そんなわけもないか。みんな土に還るだけだろう。枯れ葉が角に溜まっている。そこにダンゴムシが集まってきて、食べているらしい。でも君の空想は別の何かを示している。今はやめた方がよさそうだ。後が続かなくなるか。無理にそうすればそうなってしまうだろう。

 しかし改めて問うが、自由とは何だろうか。別に自由になることを目指しているわけでもないのに、なぜかでたらめに言葉を記すことで自由な気分を味わっているらしい。何か決まり事から解放されたような言葉の組み合わせが記されている。そんなのは嘘か。あるいは嘘でもかまわないからそう思っていればいいのだろうか。嘘であろうとなかろうと、今の君はそう思っているらしい。それはいつかの君と同じ心理状態なのか。いつかとはいつなんだろう。いつだろうとかまわない。いつでもいいのであって、いつでもなくてもかまわない。そんなふうに思っている限りはどうでもいいことだ。みんなそこから外れていってしまう。束縛されたいのか。自由という言葉に束縛されたがっているわけか。冗談だろう。冗談ではないが、冗談に決まっている。やはり面倒くさいのか。言葉を記すのが面倒くさいが、とりあえずここまで記してきた。やはりそれだけのことなのか。でもそれほど落胆しているわけではない。がっかりするような無内容かもしれないが、今はそれで結構なのだ。いつか何かのきっかけさえつかめば、自ずから内容も変わってくるはずか。またそんな期待を抱かせるようなことを思う。でもかまわない。どう考えてもそういうことなのだから、ここから出発しなければならない。そしていつかなんとかなるようにしたいわけだ。果たして期待通りに事が運ぶとは思えないが、それでもかまわないのだ。希望が失われているわけではない。いくらでもそんなことを抱いていればいいのであって、何も疑念を抱くような状況ではない。そんな感じで言葉を記していれば、そういう結果が自ずから求まり、それで満足すべきか。今はどうなのか。現状に満足しているわけか。満足している言えば嘘になるだろうが、不満がいくら鬱積していようと、それはそれで仕方のないことだ。それでかまわないとは思えないが、そういうことにしておきたいのではないか。これでいいのか。これでいいのだ。時にはそんな嘘をついてみたくなる。


10月24日

 また時間がない。眠らなければあるかもしれないが、眠ってしまうのでそれは無理だろう。笑っている場合ではないか。いつものことだが、もう夜だ。そしてもう深夜か。それでも何とかしようとしている。この世では様々な出来事があり、それが立て続けにやってくる。そしてどうも埒が開かない。気がつけばうまくいかないことばかりだ。そうなって当然なのだろうか。でも乗り切らなければならない。乗り切れなくてもかまわないのではないか。あまり深刻に考えずに気楽にいった方がいい。そうしないとおかしくなってしまうか。まあどうなるにしろ、時が経てば過ぎ去るようなことか。でも今を生きなければならない。だから対処しようとしているのだろう。実際に対処しているはずだ。それでいいのではないか。何とかなっているとことなのではないか。気に入らないが、そういうことらしい。これからもきっとそうだ。そのままで推移してしまう可能性がある。よくなるわけがない。でもそう悲観することもないだろう。よくはならないなりに、何とかやっているではないか。たぶんそういうことなのだ。あとは君が精神的に耐えていればいいだけか。今もそうしているのではないか。ならばこれからもきっとそうなるだろう。そういうことになるしかないらしい。そんなことの繰り返しなのだ。たぶんそれはわかっていたことで、想定内のことでしかないのだろう。だから君が君でいられるわけだ。それはどうか。疑念を抱いているのも君が君でいることの証拠か。割り切ることはできない。割り切れないからこうなっている。でもそれでかまわないのだろう。これ以上はあり得ない。そう思っていればいいだけか。

 一人で対処していると思ったら大間違いだ。だからこうなっている。間違っているのだろうか。いったい何を間違えているのか。さあそんなことはわからない。いつものようにわかろうとしていないのだろう。近頃はそればかりなのもいつものことだ。何だか途方に暮れてため息が出る。また意味不明気味に笑っているようだ。また音楽を聴いているのか。まったく気休めにも気晴らしにもならない。ここでは何も語れないのかもしれない。でもここでだめならどこでもだめだ。用事が立て込みすぎて気が散っているわけか。そんなはずもないだろう。君は無伴奏チェロ組曲を知っているはずで、その要領でそれぞれの用事をこなしていけば何とかなるはずだろう。そのつもりではなかったのか。事はそう簡単に行かないものか。それぞれの用事が互いに複雑に絡み合っているとすればどうだろう。そうなっていないことを願うだけか。それではだめなのではないか。絡み合っているものをいちいち解きほぐしている時間あるとは思えない。だが焦ることはなく、その場その場でその場の成り行きに従っていれば、うまくいくタイミングを見極められるかもしれず、そのタイミングに合わせて動けば、少しはマシな結果を得られるはずだ。しかし何を説明しているのか。何について語っているわけなのか。マイルスがトランペットに口をあてながら、こちらをにらんでいる。抽象的な印象だろうか。たぶん何のことでもない。その辺ではぐらかさないと収拾がつかなくなってしまうか。でも何のために言葉を記しているのでもないはずだ。ただそれを続けるために記しているのではないか。図星か。時にはそんな嘘をついてみせる。

 嘘ではないのだろう。今はそう思い、別の時間帯では違うわけか。でもそこで御都合主義が極まっているのでもないらしい。でもおかしいのではないか。何がおかしいのだろうか。今さら考えてみても答えなど出てくるわけがない。ただまともに語れないだけか。その通りだと思うが、他に何があるというのか。他人を馬鹿にするのは簡単だが、馬鹿にした自らの愚かさがさらに増してしまうことも確かだ。なぜ人は愚かになってしまうのか。そこに愛がないからか。冗談を言えばそういうことになりそうだが、ひねくれているので、また別の理由を見つけようとする。それはよくあるパターンだろうか。何がそうなのかわからない。しかし君はいつからそんなにぐれてしまったのだろう。昔はもう少しちゃんと説明しようとしていたのではないか。何だか説明するのが馬鹿げているように思われるのはなぜだろう。それ以前に何を説明すればいいのかわからない。そんなことだからまともな説明になっていないのではないか。でもそれでかまわないのだろう。今はそう思われる。良い意味でも悪い意味でもいい加減になっているのであり、力が抜けているのだろう。でも胃が痛い。さっきコーヒーをストレートで飲んだからか。さらに意味不明のようだ。そしてやる気が失せてきて、今日はこの辺でおしまいにしたくなるが、まだ何かが足りないだろうか。いったい君に足りないのは何なのか。やる気と根気と根性か。それらすべてが足りなくてもここまで記してきた。そんな現状認識が間違っているのか。それならそれで間違っていた方がいいのかもしれず、思い違いや勘違いをそのままにしておいた方が、より多くの言葉を記せるのではないか。でもそれで何になるのか。中身がなければいくら記しても空疎のままだ。でもそれでもかまわないと思う理由は何だろう。今のところはこれといって説得力のありそうな解答を持ち合わせていない。


10月23日

 何をやっているのか。今はもう夜だ。寒いか。もう冬が間近に迫っているのかもしれない。たぶんさらに言葉を記そうとしている。無理なのだろうか。別に無理に決まったわけではない。しかし何を語ろうとしているのか。それは世の中の不条理か何かか。現実の世界で起こっていることだ。そんなことには興味がないか。そんなこととはどんなことなのだろう。漫画の中では突拍子もないことが起こり、いつも現実を揺さぶっている。それは恣意的にゆがめられた現実か。そこに秘められた真実を明らかにしたいのか。でも実際にやってみると、そんなふうにはならない。内容にまとまりを欠いたまま今に至る。いったい何を語ろうとしていたのか。まだ遅れている。それだけのことだろう。だが別に鬼気迫る思いで言葉を記しているわけでもない。やはりそれだけのことか。いくらやっても時間が足りないらしい。だから無理に決まっている。それはわかっていることだ。君自身のミスか。眠たくて疲れているのだから仕方ない。様々な出来事の中で生きている。それもあるだろう。だからこうして何かを記しているわけだ。それの何が不条理なのでもなく、ただ用事が立て込んでいるだけか。そして記述が後回しになっている。無理もないことだ。だからもう限界だと思っている。でもやめられない。これは何かの悪循環か。そう思うならその辺でやめておいた方がいい。それができないなら、さらに言葉を記すべきか。冗談に違いない。ではすべてが冗談なのだろうか。またすべてか。それがおかしいのだろう。すべてではないからこうなっているのではないか。それも言えている。でもこうして何とかなっていると思ってしまうこと自体が間違いなのではないか。それも言えている。

 今度は昼間か。仕事の最中に何も思いつかず、合間に言葉を記そうとするが、どうもうまくいかないようだ。あともう少しで今日の日付に追いつくところだったのに、他の用事が立て込んで、またもや先延ばしになってしまったらしい。おかしいだろうか。別におかしくはないが、内容を見出せないままに言葉を記しているようだ。いつものことか。そして時間が経つ。それもいつものことだ。でもその後が続かない。そしてもう夜だ。時が経つのは早いものだ。そんなことを思っている場合ではない。渋い紅茶を一気に飲み干して、これから何を記すべきか考えるが、もうすでにこんなことを延々と記している事実に気づき、何だかどうでもいいような気になる。君にとってはそういうことか。誰にとってもそうだろうか。だから何だというのか。開き直ってどうするわけでもなく、ただそんなことを惰性で記しているに過ぎないようだ。しかしこの感覚は何だろう。感覚的にはだいぶ馬鹿げているようだが、果たしてこの続きを記す必要があるのだろうか。他人を馬鹿にするよりはマシか。すでに何かが過ぎ去っている。人も物も時も何もかもが過ぎ去り、やがてその先にあるわけのわからない何かに吸い込まれ、消えてなくなる運命なのか。面倒くさい成り行きだ。君はそんな忘却作用に晒され、別に風前の灯というわけでもないだろうが、何となくそんなことを連想する何かにつきまとわれ、また眠ってしまい、目覚めたら深夜になっている。この繰り返しは何なのか。もういい加減にやめた方がいいということか。この辺でさっさとあきらめて、次へ進まなければならない。進めるだろうか。進まないと、またこのままずるずると遅れていってしまいそうだ。何だかわからないが、空疎なことを延々と述べてしまったらしい。それでも追いつかない。いったい何に追いつこうとしているのか。たぶんその辺に勘違いがあるのだろう。やめた方がいいのに、深追いのし過ぎで、もはや何を追っているのかもわからなくなっている。そうやって何かを浪費し続け、気がついてみれば、どうなっているのか。まったくあてが外れているということか。だからやめた方がいいということか。


10月22日

 たぶんそれでも何か語っているのだろう。実際に語っている。少なくとも昨日は語っていたはずだ。きっと明日もまた語っているはずだ。今日はどうなのか。今日は無理だろうか。これで語っていることになるのか。そう思いたいが、そうではないのか。心情的には面倒だから、語っていることにしておきたいのではないか。それで何かに反しているのだろうか。それは心情ではない。では何なのか。考えてみるが、わからないようだ。単に言葉の用法が間違っているということか。そんな気がしてならず、何となくそう思われて仕方がないが、正しい用法は思いつかない。それだけのことか。しかし夕べは何を語ろうとしていたのか。また思い出せなくなっているが、嘘かもしれない。フィクションの中では思い出せなくなっている設定にしたいのではないか。何のためにそんな設定にしたいのか。そうではないだろう。でも何を否定しているのかわからない。設定がどうのこうの言うほど、話の構想がまとまっているわけではない。ではまた行き当たりばったりで語ろうとしているわけか。きっとそうに違いない。だから行き詰まってしまうのだ。でも別に語っていることがフィクションになる必要もないのではないか。それもそうで、そういうことに違いない。でもまた違いないと述べている。それが気になるのだろうか。そうでもないだろう。それに気づいただけか。ならばそんなことを述べる必要はない。でもそれを記している現実はどうするのか。削除してやり直す必要があるのだろうか。それもわからなくなり、そんなことを述べていること自体がおかしいことにも気づく。要するに記している内容にとりとめがないのか。

 いつまでも泥縄式では限界がある。でもその限界を利用していることも確かなところだ。そんなことを述べているうちに、また妄想を抱けるようになったのか。そんなことはわからないが、わかるわけがないのかも知れない。しかし自意識は何をわかろうとしてないのか。自らの限界をわかろうとせず、すでに限界を迎えているのに、それを無視して、さらに前進しようとしている。そういうことがわかっているわけか。そしてそれをわかっているのに、わかろうとしていないということか。矛盾しているだろうか。でもまだその時ではない。それどころかもう完全にやめ時を逸している。それはどういうことなのか。たぶんどういうことでもなく、すでに何もかもが終わっているのではないか。では完全にゲームオーバーなのか。たぶんそういうことだ。それなのに、慣性の法則に従って、惰性で続けているような気がしてならない。それも違うのではないか。実際にやれているわけだから、それをやれているうちは、やり続けていてもかまわないのではないか。でも何をやっているのか。やっているふりをしているだけではないのか。困った状況になったものだ。思ってもいないのにそう記す。それも嘘だろうか。何だかわからないが、嘘なのかもしれない。気が散って何もできなくなっているのだろうか。そういうわけでもない。ただとりとめがなく、その辺に何もかもが散らばっていて、文章としてまとめられずにいるらしい。そしてぐずぐずしているうちに時が経ち、何もできない現状を返られずにいるわけだ。でも仕事はしているのではないか。それに関しては決断の時が来ているわけか。

 もうやめなければならないのだろうか。でもすべてをやめてどうするのか。なぜすべてをやめなければならないのか。それもおかしな話か。やめられないのにやめようとしているわけでもなく、でも実際にやっていることが気に入らない。どうしたらいいのかわからなくなっているわけか。でも実際に気に食わないことをやっているではないか。だからこの先もそれをやり続けるしかないのではないか。気に食わないのにやり続けると、ストレスが溜まるだろう。その積もり積もったストレスを発散させる機会もなく、ただ鬱積した気持ちのままやり続けるのは、精神衛生上よくないのではないか。わかりきったことを述べないでほしいか。そういうことではなく、実はそのストレスがやり続けるための糧となっているのではないか。それも言えることか。でもそういうネクラなやり方も気に食わないのではないか。ではどうしたらいいのか。このままやり続けられる範囲内でやり続ければいい。それでは現状維持でしかないが、いつか転機が訪れるのではないか。もはや外部からの作用で変わるしかないか。実際に今も意識していないところで変わり続けているのかもしれない。こんなことを記していること自体からも影響を受けているわけか。何だか苛ついてくるが、要するにそれは思い通りにはいかないということになりそうで、どんどん思わぬ方向へと変化している最中なのかもしれない。君はそれを受け入れざるを得ないのか。拒否しているつもりでも受け入れていることになるのではないか。認められなくても認めさせているわけだ。それが外部からの作用であり、力なのではないか。そんなはずがないと思いたいか。それも思い通りにいっていないことの表れか。そうだとしてもかまわない。現にここまで記してきた。


10月21日

 何が悪いわけでもない。ただなんとなくそう思うだけか。そんなふうに理解している。それだけのことだろう。まだ何も述べていない。またそれだ。君はもう知っている。その話にとりとめのないことを。それが君の理解なのだろうか。誰の理解でもなく、君の解釈でもない。話などもとからありはせず、そこには記された言葉があるだけか。それさえもないのではないか。では何なのか。何でもないと述べたら嘘になりそうだ。では何と述べれば納得がいくのか。別に誰を納得させようというのではない。ではどうしたらいいのだろう。またそれも冗談か。実際のところはどうもしない。たださらに言葉を記しているだけか。それが何でもないことのすべてか。すべてではないかもしれないが、そのほとんどがそうなのかもしれない。それは受け入れ難い結果だろうか。そして今はそんな現状に落胆しているわけか。フィクションを操作して、そうならないような話にできるだろうか。なぜそうする必要があるのか。寝た子を起こすようなマネはやめるべきか。何でそれがそうなのか。問われているのはそんなことではない。では何なのか。それがわかればどうなるというのか。そんなふうに語るべきではないのだろう。ではどんなふうに語ったらいいのか。それがわかれば苦労はしない。現状は依然としてとりとめがない。何も語らないうちからこんなに記してしまったようだ。おかしいだろうか。おかしいに決まっている。もうこの時点で失敗か。失敗も成功もありはしない。そんな内容なのだから、そういう判断以前の何かか。

 しかし何かとは何なのか。いつもそればかりでいやに気にかかるが、何かの逃げ口上が何かなのか。それでもわからない。どうもここへきてようやく何かに気づきつつある。馬鹿げたことはやめた方がいい。君はそれらの記述が馬鹿げたことだと思うわけか。きっとそうに違いない。誰かが記しつつあるフィクションの中でそう思っているのだろう。でもそれは誰の空想なのか。少なくとも君ではない。誰でもかまわないのではないか。誰がそんなことを思ってみても、何がどうなるわけでもなく、何も始まらず、何も終わらない。だがそんな言い方はないだろう。ではどんな言い方がふさわしいのか。最悪だ。もっとけなしてほしいか。それも何だか虚しい気がする。気が抜けているらしい。待つ身は辛いか。宅配便を待っているようだ。そしてようやくきて、要らなくなったパソコンやモニターなどを回収業者へ届けてもらう。三十年前の8ビットパソコンは重かった。これで先週の文庫本や漫画本や雑誌に続いて、パソコンもデスクトップ型やブラウン管モニターが数台なくなって、だいぶすっきりした感じだ。まだまだ処分しなければならない物がありそうだが、引っ越しまであと1カ月あるので、何とかなるだろう。何とかしなければならないか。でもある程度のところまできたら、最終的には引っ越し業者にまかせるしかないだろう。もう契約してしまったのではないか。しかし十数年ぶりの引っ越しは疲れそうだ。仕方ないだろう。まさかこれが人生で最後の引っ越しとなってしまうのだろうか。先のことはわからない。

 押し入れから二十年近く前に描いた絵が出てきて、しばらく眺めている。何だか引き込まれそうになり、あわてて目を背け、また仕舞ってしまう。たわいない絵だと思っていたが、何だかおかしい。気になってまた出してきて眺めるが、これは何なのか。いったい当時はどのような心境で描いたのか。長期間にわたって少しずつ色を塗っていた記憶があるが、何の意図や目的があってやっていたことではない。外では雨が降り続き、部屋の中ではコルトレーンでも聴いている。大したことはない夜でしかない。今年の二月に買ったグリシンのインクルソーレを眺める。竜頭が壊れて修理出したのが数週間で戻ってきた。ただの腕時計でしかない。それでも眺めているみたいだ。デザインが気に入ったのか。そしてまた絵を眺める。それでどうしたのか。気持ちが落ち着いたりするのだろうか。何だかわからないが、君は何かの残骸に囲まれて生きているみたいだ。たぶんすべての人がそうなのではないか。アメリカの文化とは何だろう。空き時間にテレビを眺めていて、そんなことを思う。野球もその中のひとつみたいだ。おびただしい数のプレーヤーがマイナーリーグや独立リーグでやっていて、その中での競争に勝ち抜いたほんの一握りの連中が、メジャーリーグでプレーできるということか。莫大な金と労力と人材を浪費しながら、そういうものが成り立っているのだから、何だか正気を疑うようなことだ。まあヨーロッパの主要国でやっているサッカーなんかもそれと似たようなものだろうから、その辺にスポーツのおぞましい体質を感じ取ってしまうのは当然のことか。だがそういうのを肯定したり賞賛したりするのがメディアの使命なのだろうから、それ以上は言うまい。


10月20日

 何を思っているわけでもないが、何だかくだらぬ気分でいるらしい。くだらぬとはどういう気分なのか。どんな状況でも人は何かを求めているらしい。何を求めているのだろうか。漫画の中でも何かを求めている人がいるらしいが、それは作られた人だ。別にそれでもいいではないか。そんな漫画を読んでいるのだろうか。誰が読んでいるわけでもなく、フィクションの中で君が何かの書物を読んでいるふりをしている。それも違うか。では何を語ろうとしていたのか。意味のない話か。それでは毎度おなじみとなってしまいそうで、また記述はいつものパターンをなぞってしまう。そうならないようにした方がいい。でもできないものはできないだろう。ではつまらなくなるしかない。それでかまわないのか。たぶんかまわないのだろう。それでかまわないようだ。もうすでにつまらなくなっている。ならばあきらめるしかないのだろうか。何をあきらめようとしているのか。たぶんそこで何かをあきらめているのだろう。そんな冗談に続けて何を記す気も起こらず、さらに空疎な思いに満たされ、何かの継続をあきらめなければならない。何かとは何なのか。相変わらずそれがわからないようだ。わかるのをあきらめているのかもしれない。でもいつかわかる時が来るのではないか。それが今かもしれない。なぜそうやって期待を持たせて、次へとつなげようとしているのか。そんなことは考えない方がいい。だからそれが冗談なのではないか。また冗談に逃げようとしているわけか。でももう逃げられそうもない。言葉がそこで尽きている。

 しばらく黙ったままになり、何かを反省する仕草を見せつつも、それが嘘であることに気づく。そんなはずがない。またそれも冗談なのだろうか。冗談という言葉の意味をわかっていないのではないか。わからないふりをしながら、間違った用法を試しているだけか。そんなはずがない。そう思うならどうしたらいいのか。ただ思っているだけで十分か。何を思っているのだろう。弦楽器の演奏を聴いている。そんなふうに聞こえるだけか。では何がもどきなのだろうか。何かをやっているふりをしているらしいが、それが予定調和の自問自答を招いているわけか。ならばそんなふうに語るべきではない。もっと違った話の展開を期待したいか。それは無い物ねだりに違いないが、まだあきらめていないのだろうか。ついさっきまではあきらめていたのではなかったか。でも気が変わったのかもしれない。なぜそうなってしまうのだろう。やる気がしないからか。もはや工夫しようがないほどのどうしようもなさで満たされている。何が満たされているのだろう。頭の中が何かに満たされているのだろうか。何かとは何か。苦しくなるとそればかりのようだ。どうやらどこかで警告が発せられているのかもしれない。君はもう終わりだ。君の何が終わりなのか。たぶん何でもなく、すべてが終わっているのだ。すべてとは何か。すべてはすべてに違いない。そう思えば気が楽になるだろうか。嘘だろう。嘘に違いない。何が嘘なのだろうか。終わっているなどとはこれっぽっちも思っていないか。その証拠にまだ記述を続けている。

 でもだいぶ疲れてきたはずだ。これ以上は無理か。さっきから何も記していないではないか。具体的には何もない。何もないからこれがある。空疎なこれだ。これとは記述のことか。そうに決まっている。内容のある記述をあきらめているのに、さらに言葉を記そうとしている。それは愚かな試みか。たぶんそうだが、それでもかまわないのだろう。またかまわないを蒸し返して、同じことの繰り返しへと持ち込もうとしている。だからそれが愚かな行為なのだろう。わかっていながらそれを続けることは、もはや救いようがないか。そう述べて何を救い出そうとしているのか。結局は何も救い出せない。それもわかりきったことだ。そしてもうどうしようもないほどに愚かな行為を繰り返してしまったのではないか。こうなってしまうと呆れるしかない。自己嫌悪などとうの昔に失せて、画面の前で笑うしかなさそうだ。実際には笑っていないではないか。君ではなく、他の誰かが笑っているのではないか。それは架空の誰かか。でも架空では笑っていることにならず、現実の世界で実際に誰かが笑っていることを証明しなければならないか。しかしなぜそれを証明する必要があるのか。できないか。できるわけがない。それは証明の対象ではなく、実際に誰かが笑っているのを確かめれば済むことだ。それが確かめられなければ、笑っていることにならないか。そういうことではない。どこで誰かが笑っているとしても、それは君に関係があるとは限らず、君とは無関係なことで笑っているのかもしれない。でもそれがどうしたのか。また話がどこかへ逸脱していってしまったようだ。どうもとりとめがなく、何について語っているのでもなく、何に関して記しているのでもない。だから馬鹿げているのであり、それは笑うべきことでもなく、受け止めるべきことでも受け入れるべきことでもない。もしかしたら誰とも関係のないことを記しているのかもしれない。


10月19日

 ところで今日は何を空想しているのか。また話にならないような支離滅裂を目指しつつ、毎度おなじみの泥縄式で文章を導き出すつもりなのか。それはもういい加減に飽きてきたのではないか。でもやらざるを得ない。そう思っているのだから、そんなふうにして何かを紡ぎ出すつもりなのだろう。それは本当だろうか。ハエがこちらを伺っているではないか。友達になれるだろうか。殺虫剤はもう使い果たしてしまったわけか。何がわけでもなく、どんなわけを知りたがっているとも思えず、意識してねじ曲がろうとしているわけでもない。勝手にそうなってしまうわけか。またわけだ。わけなど何もない。そう思っておいて差し支えない。冗談だろう。それが冗談なのだから、そういうことになり、そこから先に何が待ち構えているとも思えず、今日もどこかを素通りしてしまい、忘れた頃になって、突然に何かに気づき、あわてて引き返すが、後の祭りだ。もう手遅れなのだろうか。今からでも遅くないか。だからこうして言葉を記しているわけか。またわけだ。何がわけなのかわからないまま、さらに先へと進んでみるが、何も出てこないようだ。だからもう手遅れなのだろうか。そう思うならそういうことにしておいていいのではないか。君はそうなることを願っていたはずだ。また後から余分な言葉を付け加えて、何かをずらそうとする。それに何の意味があるのだろう。とりあえず記していることに変わりはない。それが君の狙いか。狙いも何も、ただそうするしかないだけなのかもしれず、それ以外に選択肢がないのだろうか。

 それでもここまでやってきた。それが誰の自負なのか知らないが、そんなところで自信を持たれても勘違いもいいところか。では現状をどう捉えたらいいのか。何もないのに言葉を記しているに過ぎず、それが慢性化していて、まともなことを記せなくなっているわけか。それもあるだろう。だがそれ以外もありそうだ。何もないわけではないのか。それでもかまわないが、それ以外があってもかまわない。ではそれ以外とは何か。今記しているそれがそうなのか。さあどういうわけなのか。わけもなくそんなことを記しているだけのようだ。でもどこかに出口がありそうで、必死に探しまわっているようで、ようやく見つけたそれに向かって突き進んでいるとも思えないが、何となくそこから出てしまったらしい。ここ数日の出来事を総括すると、そういうことになるだろうか。別に総括するようなことでもないだろう。まだ先は長い。その途上でいくらそれふうの見解を構成してみても、的外れもいいところか。たぶん間違っていることも承知しながら、そんなことを述べているのではないか。そしてそれでかまわないと思い込み、勘違いに拍車がかかり、結果的に取り返しのつかない事態を招いてしまうのか。そうなったらなったでおもしろいではないか。そうやって強がってみせるのも予定調和の対応だろうが、それ以外に何があるというのか。またそれだ。どうやらそれ以外があるという思いは幻想に他ならず、本当は何もないのに、それを受け入れられないから、絶えずそれ以外があるかもしれないという幻想にすがりつきたいようだが、それも受け入れられないことか。ではどう思えばいいのだろうか。

 どうも思わずに、現実を現実として受け入れればいいだけか。現状がそれなのか。あるいは現状もそれではないのか。だから絶えずそれ以外の可能性を空想しているわけだ。またわけか。難儀なことだが、仕方がないと言えば仕方がなく、確かに仕方がないのだろうが、受け入れざるを得ない現実をあえて受け入れずに、そこで虚しい抵抗を繰り返しながらも、どんどん現実からずれていって、ずれまくりの心境を利用しながら、そこに差異を生じさせて、それを記述へと結びつけているのではないか。遥か彼方に飛行機が飛んでいるらしく、微かに爆音が聞こえたような気がしたが、それは幻聴だろうか。どうもそうではなく、次第に近づいてきているようで、音が大きくなったと思ったら、また遠ざかっていくような感じだ。何に気を取られているのか。さっきまでは何を語ろうとしていたのか。肩が凝る。そうではないだろう。面倒くさいのか。何を説明しているのか。それも違う。では何なのだろうか。心の中で何かが揺れ動いているらしい。そしてその後はどうなったのか。また用事が入ってそれにかかりきりとなり、それを済ませてから、さらに言葉を記そうとする。いったい君は何を語りたいのか。別に間近に迫った死期を予感しているわけでもないか。縁起でもない。笑っている場合でもない。なぜ突然そんなことを思うのだろうか。また別の用事が入り、さらにここへと戻ってくる。さっきから何をやっているのだろう。そんなことを具体的に記してみてもとりとめがなく、何を説明する気にもなれないが、しかし現状とは何なのか。目の前がちかちかしてくるが、何やら疲れているみたいで息切れをしている。さっきのが何かのきっかけだったのか。あるいはもう通り過ぎてしまい、きっかけを見失い、また元の木阿弥となってしまって、さらなる迷路が待ち構えているのか。笑ってしまうか。


10月18日

 チョコレート色した顔色をうかがいつつ、唐突にそんな嘘をついてしまったらしい。わかっているはずか。何がそうなのだろうか。わかっている。もっとマシなことを述べた方がいい。それもわかっているが、思うようにいかないのもいつもの通りだ。それでかまわないのだろう。決まり文句も記したところで、今日はどんなことを記してみようか。またそんな嘘をついて、実際には何も記さないつもりなのだろう。面倒くさいからそういうことになりそうだ。では何とかしようとしているのも嘘か。何でもかんでも嘘で片付けて、それで何を述べていることになるのか。何も述べていない。今度はそれでかまわないと思っているのだろう。今度コンドロイチンでも買ってみようか。膝が痛む。首をぐるぐる回しながら、次に記すべき言葉を思いつこうとするが、なかなか出てこないようだ。何だか今日も開き直っているみたいだ。いい加減に語りたいのだろうか。今語っているではないか。そう思うならそういうことにしておけばいい。何とかそれを理解している。何の最中でもなく、あくびが出る。眠たいのだろう。ひたすらくだらない内容を記しながら、今日の日付に追いつこうとしているわけだ。まったく無理で無謀な行為だろうか。でもそれが実現した暁には何をどう思うのだろうか。そんなことはそのときになってみなければわからないことか。それもそうだが、もう少し何か工夫をこらした方がいいのではないか。何だかこのままではこのままになってしまいそうな気配がする。それもかまわないのだろうが、何だかそれはおかしい。でもおかしいままでもかまわないのだろう。心はそこから離れているようだ。完全に投げやりな姿勢を取りつつあり、後はどうなってしまってもかまわないのだろう。そうならないようにしなければならないのではないか。なぜそう思うのか。まだ何か思うことがあるというのか。そうではない。そうでなければ何なのか。そんなくだらないことを問わない方が身のためか。黙って眺めていれば、自ずから自らにふさわしい話の展開が訪れるはずか。その機会を捉えて言葉を記せばいいのだろうか。そんな虫のいい話はない。ではどうすればいいのだろうか。

 たぶん何も考えていない。それはおかしいのではないか。それの何がおかしいのか。そういうことではない。そうやって考えているわけだ。何を考えているのだろうか。何か考えているのかもしれないが、何も考えていないと記す。それがおかしいわけだ。それの何がおかしいのだろう。そんなことを繰り返して記していることがおかしい。でもそれはわざとやっていることではないのか。そう思わせたいのだろう。何もないからそう思わせたいのか。そんな予定調和の問答ではだめなのだろうか。だめに決まっているだろう。さらにあくびが出る。暗闇の中で考えているようだ。またそれか。虚しい努力だ。それだけのことなのに、ひたすらそれにこだわっている。それもおかしいことのひとつだ。でもそうせざるを得ない。それしかないのではないか。だからそうしてしまう。そんなことはやらなくてもいいのにそうしてしまう。そうしてしまう理由があるわけでもなく、そういう成り行きを肯定しながら否定せざるを得ず、それが嘘だと気づきながらも、結果的にはそうしてしまうわけだ。矛盾していないか。わざとそうしている。矛盾を装うためにそうしてしまうわけか。そんなはずがない。それでも何かが動いているようだ。時代の流れを感じているわけか。そんな大げさなことではない。また咳き込むが、体調が優れないわけではない。でも何かがおかしいだろう。それを感じていながら放っておくと、後で取り返しのつかないことになる。だからそうなってしまえばいい。もうすでに手遅れかもしれず、残された時間内でそれを完成させなければならなくなる。本当にそうなってしまうのだろうか。実際はどうかわからないが、そういうフィクションならいくらでもありそうだ。その手のテレビドラマをさっきまで見ていたのではなかったか。またそんな嘘をついてみるが、しっくりこないらしい。語りたいのはそういうことではないはずか。でも現実にそんなことを記しているではないか。それを君はどうしようというのか。どうにもなりはしない。いったん記されてしまったものを削除するつもりもなく、ただ放置するだけ放置して、後はその場を離れてしまうだけか。でもそれでは何もしないのと同じことではないのか。その通りだ。その通りでもかまわないと思うのだろう。でもそれではだめなのではないか。


10月17日

 そこで何を見ているのか。また夜だ。何もない夜が毎日訪れる。それが失敗だと思うか。たぶんそうだ。いったい何が失敗なのか。そんなことを述べている時点で失敗なのかもしれない。でもここまできたはずだ。いったいどこまできたのか。架空の場所までやってきたのか。フィクションだから仕方がないだろう。何がフィクションなのか。意味がわからないか。それは賭けに勝った時の心境か。さらに意味がわからない。でも何となくそれでかまわないような気がする。嘘だろう。でもまだそれを続けるつもりらしい。まだ時間があると思っている。馬鹿げているだろうか。何がそうなのか。何もそうではない。でもフィクションの中ではそう思っているのではないか。誰がそう思っているのか。それは君に違いない。架空の君が架空の思いを語るつもりなのか。そんなことはないだろう。そうではない。別にやけくそなのでもなく、投げやりになっているわけでもない。でも言葉を記す理由がない。そんなはずがないと思いたいが、現実にはそうなのではないか。そういう話ではないだろう。何を拒否しているのか。知りたくないことを指摘されて焦っているのだろうか。誰が焦っているのか。たぶんフィクションの中では君が焦っているのではないか。なぜそう思うのか。でもテレビを見ている。それとこれとは関係ないだろうか。文章としておかしいのではないか。そんなはずがないと思いたい。冗談なのかもしれず、テレビを消して画面の前に向き直ったところか。どうやらこれから音楽を聴くらしい。それがおかしいのではないか。まずは言葉を記さなければならない。それができないのなら、音楽を聴くこともないか。そういうことではなく、ただ君は音楽を聴きたいだけではないのか。だから冗談だと思っているはずだ。すべてがそうか。すべてではないからすべてがそうなのか。それの何が何と矛盾しているわけでもないだろう。

 ただ雑なことを思っている。それを雑に記しているわけだ。意味が通らなくてもかまわないらしい。では読む必要のない文章を記しているわけだ。それは手厳しい指摘だ。思ってもいないことを記しているみたいだ。そんなことを思っていないのだろう。でも記している現実がある。そもそも思うとは何なのか。その辺からわかりにくくなっている気がしてならない。別にわかりにくくてもかまわないだろう。それを誰に読ませようとしているわけでもない。では何を焦っているのか。早く言葉を記さないと時間切れとなってしまうわけか。そんなことはない。そんなふうにならないように努力しているはずで、君はそこから遠く離れようとしているのではないか。それがよくわからない。文としてもおかしいのではないか。つながりを欠いているだろうか。何と何をつなげようとしているのか。それもわからないことのひとつだろうか。突然咳き込んでしまうが、何か病を抱えているとも思えない。気がつかないうちに手遅れとなりそうな気配も感じられず、健康診断を受けるのが億劫で、本当に手遅れになってしまったら、それはそれでそのときに考えればいいことか。だからそうなってからでは遅いのではないか。無理に生きようとしなければ、手遅れは手遅れで受け入れてもいいような気がする。後悔しないわけか。別に悔やんでも悔やみきれなくなってもかまわないのではないか。またそうやって強がってみせる。嘘だろう。では何なのか。何でもないからその辺は触れずにおけばいいのかもしれない。でもその先には何もない。それでも言葉を記してきたではないか。別に誇ってみせるようなことではないが、何となくここへたどり着いた。でも神の言葉を手に入れたわけではない。唐突すぎて意味不明だ。ではどうしたらいいのだろう。もっと空想を膨らませるべきなのか。それでも至らないところは至らないだろう。でも何とかしようとしていることだけは確からしい。すべてがそうだからか。それの何がすべてなのか。またそれだ。まれに起こる奇蹟をあてにしているわけでもないはずか。


10月16日

 いったい何を考えたらいいのだろうか。明日のことか。昨日のことでもある。それはおかしい。何が明日のことで、何が昨日のことなのだろう。そうやってかろうじて言葉を連ねている。馬鹿げている。たぶんそうなのだろう。何がそうでもないが、何事もそうなってしまい、そういうことで片がついてしまう。あり得ないことか。何を否定しているのか。自らがやっていることをことさらに否定する必要があるだろうか。自己否定にも限界がありそうで、あまり否定してばかりいると、それが心の病へと進展してしまったりするわけか。そうなったらおもしろい。余裕こいて強がっている場合ではない。他の何を馬鹿にしても仕方がないか。世間は世間であり、君は君でしかない。君が世間の何を馬鹿にしても、世間は君を無視するだけか。わかっているなら無駄な行為は極力避けるべきか。でもそれをやらないと話にならないのではないか。話にならないとはどういう状態なのか。今から君は何をやるつもりなのか。たぶん何かを語っているふりをしている。それだけのことか。でもいくら体裁を取り繕っても無駄だ。それを読めば心を虚無に取り込まれているのが一目瞭然か。そんなはずがない。いくら否定しても、肝心の内容がないではないか。それを指摘されれば返す言葉もなさそうだが、よくそれで言葉を記しているものだ。果たしてそんなことが可能なのだろうか。今やっているそれがそういうことなのではないか。

 わかっているならそれでいい。無駄で無意味なことを延々と記していれば、いつか誰からも見放されて、それをやめざるを得なくなり、その後はどうなってしまうのか。そのときになってみたらわかることか。もうすでにわかっているのではないか。それがこの状況なのであり、そんな心境に至り、絶望的な気分となっているわけか。でも笑っているではないか。笑いながらそんなことを記しているのは、何かわけでもあるのだろうか。あるいはそれ自体が嘘で、本当は真剣なまなざしで言葉を記しているわけか。いったい何が本当なのだろう。そういえば虚無からの作用はどうなってしまったのか。まだそれは続いているわけか。では虚無はいったい何を続けようとしているのか。フィクションの中でそんなことをやっているわけか。それの何がフィクションなのだろうか。記している言葉の意味がわからなくなり、何かおかしいと感じている。どうも虚無の意味をわかっていないようだ。あるいは虚無に関しては間違った解釈をしているのかもしれない。そもそも虚無とは何なのか。そんな問いを発していること自体がチンプンカンプンか。ではどう解釈したらいいのだろう。それがわかればこの停滞を脱して、まともなことが述べられるようになるだろうか。また何かの御都合主義に染まっている。何だかわからないでかまわないのではないか。本当にわからないのだから、それは認めるしかなく、そんな状況も受け入れるしかないが、ではこの先どう述べたらいいのかと言えば、このままでかまわないのだろうか。

 そうだとしてもここまできてしまったらしく、切羽詰まっているわけでもないだろうが、とりあえずの答えを無理矢理出して、次に進むとしよう。もはやわざとそんなことを述べているのが一目瞭然だろうか。それでもかまわないのではないか。またそれだ。そういう成り行きがいつものパターンであり、今やそれによりかかり過ぎのきらいがあり、それは予定調和の何かを形成していて、君をうんざりさせているのかもしれないが、とりあえずエンジンがかかってしまっている状態で、さらに言葉を記さざるを得なくなっていて、それを断ち切って一休みするには、急ブレーキでもかければいいのかもしれないが、そうなったらどうなってしまうのだろうか。実際に試してみればいいではないか。今がその最中なのだろか。何だかわからないが、さらに言葉を記しているようだ。今日は何だかおかしい。いつものことかもしれないが、頭がクラクラしている。ちょっと横になるとしよう。飛ばし過ぎはよくないだろう。限界を超えていて、キーボード叩いている指先に力が入りすぎているようで、手首が腱鞘炎になってしまいそうだ。なぜそうなるのか。理由などどうでもいいのではないか。気がつけば横道に迷い込んでいる。まったく油断も隙もあったものではない。でもそれでかまわないのだろう。それも言葉を記していることに変わりなく、それが君のやり方なのだろうから、今さら変えようがないのではないか。そうやってその場しのぎの連続で疲れてしまったわけで、ちょっと考え込んでしまい、そうなってしまった時点で、たぶんスランプに陥っているわけで、君としたことが、ちょっと軽率だったような気もするが、そんなのはよくあることで、強引に立ち直ったふりをしながら、今は何となくそれでかまわないような気がしているので、それで押し通すしかないのだろうか。そうなればしめたものか。同時に最悪なのかもしれない。


10月15日

 今やらなければだめなのか。なぜだろう。でもやらずに一日が経ってしまった。やることもないのではないか。でもこのままやらないわけにはいかない。もうすでに言葉を記しているのではないか。それがやっていることの証しか。そんなはずがない。それだけではだめで、語らなければならない。でも何を語ろうというのか。興味がない。語ることに疲れてしまったようだ。何も語れないうちにそれではどうしようもない。無理なのかもしれず、語れないままに終わってしまうような気がする。語ることがないから仕方ない。そう思えば気が楽か。元の木阿弥のような気がするが、これでいいのだろうか。きっかけをつかむまではこのままかもしれない。つかめるだろうか。それはわからない。そのときになったらわかるだろう。何だか根比べの様相を呈しているみたいだ。しかし何を我慢しているのか。無謀な試みだ。だからおもしろいのではないか。何をどう述べても、どうせ冗談なのだろう。そう思えば気が楽か。まあいくらでも待つとしようか。それが君の流儀なのか。さあ何だかわからない。

 そう思っていればいい。どうせ出口など見つかるはずがないか。だからそう思っていればいい。それだけのことだろう。結局はそういうことになり、君はそこで何かをあきらめているのかもしれない。だがそれで気が済むのか。ずっとこのままだ。たぶんそれでかまわないのだろう。だからあきらめていることになるのか。わかっているならそれでいいではないか。本気でそう思っていればいい。そう思っていれば、そのうち気が変わったり、何か別のことを語っていたりする時がやってくるのではないか。だからその時がくるまで待つとしようか。またそんな同じようなことを繰り返し述べている。気がつけばそんなていたらくなのだ。笑ってしまうか。言葉を記している誰かは笑っていない。それは困った事態か。でも君には関係ない。だからさらに語るとしよう。意味のない語りが続いてしまう。それでいい。何を肯定しているのだろうか。何かしら認め、それを真摯に受け止めなければならず、それによってそれとは違うことを述べられるようになるきっかけを呼び込むのではないか。そんな成り行きになったらおもしろいが、そんな都合のいい成り行きになるわけもないような気もして、今のところはどちらともいえないらしい。それは本当だろうか。何がそうなのか。何もそうではない。

 どうやらそんなことを記しているうちにも、数日後の今日が終わりかけているようだ。まだ時間があるだろう。さらに言葉を記して、せいぜい時間稼ぎでもやっていればいい。でもそれは何のための時間稼ぎなのか。そんなことをやり続けていれば、やがて何かが到来するとでも思っているのか。その気もないのにそんなつもりになり、その何かの到来を待っているみたいだ。でも何かとは何だろう。時間的にはあと二時間あまりで明日が到来するのではないか。それは当たり前のことであり、できればそんな当たり前のこと以外にも、何か興味深い出来事でも到来してほしいような気もするが、君の都合で成り行きが変わるわけもなく、さらに退屈な時間が付け足されるだけで、君はその中で何かを持て余し気味となり、何か気が利いた言葉でも発してみたくなるが、今のところはこれといって何も思いつかず、ただいたずらに無為の時を過ごすばかりか。だからそれが到来している何かなのではないか。退屈な時が到来している。そんなふうに思っていればいいわけか。何だかまたいつものごまかしではぐらかされているみたいな気分か。それでかまわないのだろう。それも今や決まり文句と化している。本当にそれ以外に何もないのだろうか。何とかするつもりが、どうやら虚無に敗れ去っているみたいで、またとりとめのないことを記してしまったらしい。


10月14日

 何を見ているのだろう。暗闇の中に何があるとも思わないが、目の前に暗闇が広がっていて、それを見るしかないらしい。実際に見ていないのかもしれず、見えていないのかもしれない。あえてそれを見ようとしていないのか。何か間違っていないか。夢から覚めた気分だろうか。何がそうであるわけでもない。気分転換かもしれない。焦っているのだろう。誰がか。君が問われているわけではない。では何を問うているのか。文章になっていないようだ。血だらけの漫画を見ながら、何かの断片を記しているらしい。それも嘘か。他に何が嘘なのか。わかっているのではないか。無理に言葉を記そうとしている。実際に記しているのではないか。君はそれをわかっているはずだ。ならばどうしたらいいのだろう。誰かが言葉を記している。そういうことになっている。それだけのことだろう。それでかまわないのではないか。今までに記された内容のすべては嘘だ。そんな嘘を記しても虚しいだけか。でもそれの何が見え透いているのだろう。そうではないだろう。ただの戯れ言か。しかし何が戯れなのか。別にそうでなくてもかまわないのではないか。頼りになるものは何もない。そう思いたいのだろうか。何を語っているのかわからなくなってきたようだ。眠たい。

 風邪を引いているのか。肺結核か肺癌か。そんなはずはない。咳が止まらないわけでもないか。では何なのか。何でもないのではないか。それに関しては何も記す必要もない。罠にはまっているのか。虚無の罠か。そんなものなどありはしない。アレルギーのたぐいかもしれない。もう何年も薬を飲んでいるが、いつまで経っても小康状態なのか。完治することはないのだろう。でも悪化しているわけではない。それだけのことか。普通に生活できる状態のままなのだ。それかまわないのではないか。鬱陶しいが、そういうことらしい。何かに触れているわけか。慢性的にそんな感じなのだ。そして気がつけば何かが遅れ気味となっていて、手遅れにならないうちに手を打っているようで、それがこれか。これというわけでもないだろう。寒くなったのでエアコンを暖房に切り替える。それで鼻が詰まって嫌な感じなったわけだ。それだけのことか。他に何を記すまでもなく、苦し紛れにどこへ逃げているわけでもない。またそんな嘘をつく。また気がつけばそんなことの繰り返しだ。それで何とかなっているのだろうか。現状はこれだ。何が現状なのでもなく、他があるわけでもなく、心が老化しているのだろうか。実際にそうなっている。そう思うからそうなってしまうのではないか。それはどういうことなのか。

 しかしこのまま黙っているとどうなるのか。救急車のサイレンの音が聞こえてくるだろうか。つながりがわからない。意味がないということか。何でもないことだ。語るとは本来そういうことなのかもしれない。何でもかまわないから語っているつもりになればいいのか。そんなふうにして君が語っている。それも君の思い込みなのか。ところで冗談はどうなったのか。突然そんなことを思いつくのも冗談のおかげだろうか。何を思いついたのか。これでいいのだ、というわけにはいかないらしいが、必要のないことだろう。何の脈絡も感じられず、そんなふうに思うばかりのようだ。記述自体が余分なのか。何を語っているわけでもない。読むに値しないことか。でもこのタイミングでこれなら許されるような気もしていて、さらに図に乗って、それを増長させるわけもないだろうが、何となくでたらめに拍車がかかっているようにも思われ、実感としてはこの調子であることが確からしい。でももう終わってしまうのではないか。それでかまわないのだろう。もとから何でもかまわないという姿勢を維持したいのだから、そういう結果を招いて正解なのかもしれず、だからそのままの調子を保ちながらも、同時に試行錯誤も欠かせないところか。そんな都合のいいようにはいかないことは承知しているだろうが、ともかくここまでやってきた。もう少しの辛抱だろうか。あるいはまだまだ続いていってしまうのか。


10月13日

 よくわからないが、疲れている。君は何を語ろうとしているのか。もう夜だ。はじめからやり直そうか。なぜそう思うのか。何も始まっていないうちからそれはない。遅れを取り戻せずに、あがいているわけか。別にじたばたしているふうはない。悪あがきの最中だと思うなら、それもいいだろう。語ることなど何もありはせず、目の前に荒野の光景が広がっているわけでもなく、ただ部屋の中で画面に向かって言葉を記しているだけか。それでは味気ないから、何か妄想を膨らませて、おもしろそうなことを語ろうとしてみたらいい。それは天啓だろうか。違うに決まっているか。ならば君は誰の言葉を聞いているのか。なぜそれが頭に浮かぶのか。そんなことはないはずだ。ただ音楽を聴いている。今はそれだけのはずだろう。それだけではまずいのか。たぶんこのままではまずいはずで、他に何か語る必要があるのかもしれない。

 でもまた眠ってしまったようだ。どうやら記述の継続はそう簡単にできることでもないらしい。そんなわけでまた行き詰まっている。語れるはずがない。無理なのだから、そういうことになる。ごまかしが通じない。無理だから仕方がないのか。体調を崩しているのかもしれない。ではもう長くないか。未だ働いているのだから、そんなはずがない。では何なのか。限界なのではないか。それはわかっていることだ。少し考えさせてほしい。そんなわけでまた眠ってしまったらしく、翌日の昼に続けて言葉を記しているが、時間がない。後は夕方からか。どうせくだらない内容になってしまうような気もするが、何とかやってみようか。これ以上遅れてしまうと、もう本当の終わりなのかもしれず、肩の荷が下りていいかもしれないが、やはりやれるうちは無駄な努力でも何でも挑戦した方がいいだろうか。しかにこの期に及んで何を迷っているのか。ここまで記してきたのに馬鹿げているだろうか。

 もうあきらめた方がいいのか。あきらめて、とことんいい加減でくだらないことを記した方がいいのか。それができるなら記してみればいい。できやしないか。それをやろうとする気も起こらないか。やはり疲れているのか。いいわけにも理由にもなりはしない。まともに語ることができないらしい。しかしこの世界は何なのか。なぜ君はそこから弾き出された気になっているのか。それ自体が虚構だ。考えてはいけないのだろうか。何を考えているつもりになっているのか。それがわからない。わかっているはずだ。また見え透いたごまかしを駆使して、それを終わらせようとしている。それで済んでしまうなら楽だ。どうせ済まなくなってしまい、何かまともなことを語らないと終わらなくなるはずか。そうなったら好都合だろうが、結局は泥縄式にやるしかないらしく、行き当たりばったりで言葉を記すことしかできないようだ。後は自己言及の繰り返しか。それではつまらない。つまらないが、それしかできない。そんなはずがないだろう。

 さてここからどうしようか。たぶん何も出てこない。ため息ぐらいは出るはずだ。このていたらくを何とかしなければならない。何ともできないか。いつものことか。君はこれから何をやればいいのだろうか。わかりきったことだ。それをやればいい。やっているそれがやるべきことなのか。それは君自身が知っているはずか。たぶんそれはやるべきことなのだ。迷っている場合ではなく、今ここでやらなければならない。たとえそれがごまかしの内容であっても、何にも増して記述を優先させなければならず、そうしなければ、君自身の存在意義がなくなってしまうだろうか。そんな大げさなことではない。ただそれをやめてしまうと張り合いがなくなってしまうのではないか。惰性でも何でもかまわないから、とにかく言葉を記さなければならない。嘘でもかまわないから、そんなことを述べていなければならず、それによって何がどうなるわけでもないだろうが、何となくそれで何かを前進させているような気になり、そうやっていることが何かのきっかけになればしめたものか。だからそれが泥縄式に思えてしまうわけだ。それではだめなことは承知しているはずなのに、あえてそんなふうに言葉を記して、自己満足に浸れるわけでもないのに、それを続けようとする。やはりそれは馬鹿げているだろうか。そう記して誰に問いかけているのでもないらしい。


10月12日

 今からでも間に合うだろうか。この状況で無理なのはわかっている。でも言葉を記すつもりなのか。何もない。空は曇っているようだ。でもすぐに晴れてくるような明るさか。君には関係ないだろう。日が射してきたようだ。つかの間だけか。言葉を記していたのもつかの間か。努力とは何なのか。無駄な努力をしてきたわけか。無駄だと思うならやめたらいい。なぜその程度のことがわからないのか。また君は冗談を述べている。何を目指していたわけでもない。でもそれが何も目指さないことのいいわけとなるだろうか。未だにその程度のレベルで何か記しているみたいだ。それで何か不都合があるのか。君にとっては好都合か。君とは誰なのか。それの何が好都合なのだろう。いつものように粗雑なことを述べているようだ。それが楽しいのか。気楽な感じだ。たぶん馬鹿げているのだろう。待つ身は辛いか。原因は自分にあるのだから自業自得だ。そういう成り行きになっているのだから仕方がない。どうやら一週間延期となってしまったようだ。大したことではないか。いつものように振る舞うだけだ。相変わらず何を語っているわけでもなく、何を考えているふうを装っているわけでもない。では何なのかと言えば、ただ普段通りに生きているということか。それで何がどうなるわけでもないが、平常心を保つことができそうだ。本当だろうか。何が本当なのか。ブックオフで大量の本を処分したら、二千数百円が戻ってきた。ただそれだけのことか。引っ越す前になるべく身軽になっておきたかったのか。そして数台の古いパソコンとブラウン管モニターも、来週あたりに片がつきそうだ。それで本当に何とかなるのだろうか。何とかしなければならないのだろう。それだけのことだ。

 柄谷行人や蓮實重彦の書物は処分しなかったのか。ハードカバーはほとんど残してある。CDも売らなかった。本は残しておいても読まないのではないか。何かのきっかけで読む機会が巡ってくるかもしれない。モーリス・ブランショの『来るべき書物』などは何度読んだかわからない。なぜそれほど読んだのか。今となってはわからないが、当時の自分には何かの勘が働いていたのかもしれない。しかし読んで何を理解したのか。もう忘れてしまっている。そういえば今年も村上春樹はノーベル文学賞の受賞はならなかったらしいが、まさかそれは蓮實重彦が『小説から遠く離れて』で村上の小説を否定的に取り上げたからか。その中で相対的に少し肯定的な評価だった大江健三郎は、遥か昔にノーベル文学賞を受賞したのに、蓮實重彦の評価がノーベル賞の選考基準になっているわけでもないだろうが、少しは影響があるのだろうか。そういえば蓮實や柄谷や、あるいはそれに類する文芸批評家のたぐいには、村上春樹の小説は否定的に取り上げられることが多く、自分もそれに影響されて、村上の小説は読んだことがない。でも日本のマスメディアの多くは、村上春樹がノーベル文学賞を受賞することを期待していて、今年も受賞しなかったのを残念がっているように感じられるが、なぜなのだろうか。読まずぎらいを改めて、一度村上の小説を読めば、海外のメディアも絶賛するその魅力に取り憑かれたりして、是非ノーベル賞を受賞してもらいたいとか思うようになるのだろうか。そんなことを笑いながら記している時点で悪意を感じる。君は本当に馬鹿野郎だ。正真正銘のひねくれ者か。別にそれでかまわないのか。大藪春彦や夢枕獏などを数百冊所有していた程度の者が、文学について語る資格などありはしないか。


10月11日

 足下がおぼつかない。だんだん足取りも重くなってきたようだ。なかなか追いつけないのもそのせいか。それは何かの比喩だろうか。比喩とは何か。そういえば柄谷行人の『隠喩としての建築』はどんな内容だったか覚えているだろうか。また読み返してみればいいではないか。書物を読む暇があればの話か。ともかく人は様々な経験が積み重なると、次第に足下がおぼつかなくなり、簡単によろめいてしまうらしい。だからそれは何の比喩なのか。単に年老いただけではないのか。素直に状況の変化を受け止めて、それなりに対応できているうちはいい。環境の変化に対応できなくなれば、後は自らの滅びを受け入れるだけか。どっちにしろ変化を受け入れるのではないか。君は機会を捉えて攻め込むつもりか。どこへ攻め込むつもりなのか。それは架空の場所か何かだろうか。またそんなことを述べながら逃げている。でも何から逃げているのかわからないか。それもいつものことだろう。どうしてもその辺がはっきりしないようで、まだその先があるのかわからないが、いずれははっきりしたことを述べられるのかもしれず、その時が来ることを期待しながらも、とりあえず今は、そんなふうにしか表現できないことを、歯がゆく思っているのかもしれないが、それにしても冗談にもほどがあるだろうか。具体的なことは何も述べていないではないか。いったい君は現実の世界で何をやっているのか。それはわからないでは済まないようなことか。ならば最初からそんなことを述べなければいいのだろうが、やはり述べてしまうところが君らしく、そんなふうにして記述を続けている現実が積み重なって、足下がおぼつかなくなってしまったのか。

 しかし何を語りたいのか。あるいは何を語りたくないのか。または何が行き詰まっているのか。たぶん記述が行き詰まっていて、それが常態化していて、苦しい以外は何と思わなくなっているのではないか。本当に苦しんでいるのだろうか。とても言葉を記すのに四苦八苦しているようには見えないか。でも誰が四苦八苦している様子を見ているのだろうか。そんなふうに語っている実態がおかしいか。でも誰がおかしく思っているのだろう。たぶんそれらはみんなフィクションの中で起こっていることかもしれない。要するに架空の登場人物が何か記そうとして行き詰まり、その四苦八苦している様子を他の誰かが見ているわけか。そういう話として捉えるならば、それほどおかしくもないか。しかし何でそんなことを想像しているのだろうか。他に何も思いつかないからか。君はそういうのが気に入らないのだろうか。君とは誰か。またそれだ。気に入ろうがどう思おうが知ったことではないか。それでもここまで記してきたではないか。ではおかしく思いながらも、何とか話に決着を付けたいのだろうか。だがそれは何の話なのか。また忘れているのだろうか。いったい何を忘れているのか。話の内容を思い出せず、しばらく考え込んでいるらしい。内容などもとからありはしないだろう。世の中には酔っぱらって取り乱している人もいる。千鳥足状態では足下がおぼつかないか。またそれだ。酔っぱらってトイレに行く途中で派手に転んだ人を見かけたわけでもあるまい。でも廊下で転んだ音は聞いたのではないか。そんな記憶もあるらしい。

 人はこの世界に何を期待しているのだろう。それは冗談か何かか。冗談では済まないから、世界のあちらこちらで紛争が起こっている。人は自分がやっていることを正当化したい。ヤクザがやっている違法行為も、当のヤクザにしてみれば、自らがやっていることには、それなりの必然性や正当性があると思っているはずか。要するに理由などいくらでもつけられそうだ。中には夢を追い求めている人もいるだろう。目標を掲げて、それに向かってまっしぐらに突き進んでいる人もいる。今いる場所に安住していてはいけないと思いたいわけか。遥か彼方に見える高みまで登っていってみたいか。途中に待ち受けている幾多の障害物を乗り越えて、苦労してやり遂げた時の達成感を味わいたいのか。言葉で先回りするのは簡単か。そう述べてしまうと何かが抜け落ちてしまう。実感が湧いてこないのだろう。実際にそれを体験してみなければわからないのかもしれない。今君はそれを体験している最中なのだろうか。ある意味ではそうであり、別の意味ではごまかしているのかもしれない。何をごまかしているのか。それらの尊い行為の邪魔をするために言葉を弄しているわけか。では君が語ろうとしていること自体が、目標の達成を妨げようとする障害物そのものか。そういえば語っているうちに、どんどん横道にずれていって、もはや当初に抱いていた目標など完全に見失われ、自らがやっている行為自体が、自らの意志に反するようなことになっていないか。それが君の狙いなのではないか。自分を自分自身から逸脱させるためにそんなことを語っているわけか。果たして語ることによってそんなことが可能なのか。それはやってみなければわからない。今やっているそれがそれかどうかはわからない。


10月10日

 こうなってしまってはまずいのか。いつもとは違う話の展開か。でも何が違っているのかわからない。それの何が無関係なのだろうか。夜中に何かを燃やしている夢を見る。家でも燃やしているとすれば、言葉を記している誰かは放火魔なのか。縁起でもない。そんなはずがない。それは嘘だろうか。しかしどうもおかしい。気のせいかもしれないが、気が抜けている。夜中に目を覚ます。眠れないのか。誰に問うているのだろうか。いったいこの世界はどうなっているのか。知りたいのはそんなことではないはずか。でも記しているのはそういうことだ。いつものことだが、馬鹿げているか。決まり文句をいくら記しても、何の感慨もないか。では何を記したらいいのだろうか。それがわからない。本当は知っているのではないか。誰が何を知っているのか。きっとそれは君に違いない。時にはそんな嘘をついて、何か語っているように装いたいのか。見え透いているのではないか。ではどうしたらいいのだろうか。間違っているようだ。現時点ではそれがわかっていることか。間違ったことを記している。それの何が間違っているのかわからないが、とにかく間違っているような気がしてならない。気のせいか。そうであってほしいが、もうこんな時間だ。そこから遠くない未来に何が起こるのか知らないが、とにかく急がなければならないらしい。ひょっとしてまだ夢の中で悪あがきの最中なのかもしれない。でも何か考えがあるのだろう。そんなことをやっているふりをしながら、たぶん何か考えているはずだ。だが見当違いの何をどうしたいのか。そうではない。それで標的の何かを射抜いている気になっている。

 そもそもそれが間違いのもとだったのか。だがそれとは何か。また執拗にそれだ。それがわからなければ話にならないのではないか。それでもわからないまま記そうとすれば、それは何になるだろうか。ただの意味不明な言葉の連なりか。その時の君の頭は何かに蝕まれている。感覚が錆びているのだろうか。そんなふうに思われるのはどうしてなのか。あるいは気まぐれにそんなことを記しているだけか。でもまた記すのが遅れてしまったようで、考えているうちに眠ってしまったらしい。これはどういうことなのか。もうおしまいか。君はついに何も語れなくなってしまったのか。もとから語れていないのではないか。でも言葉を知る記す側にとっては、そんなことは知ったことではない。さっさと君などお払い箱にして、また別の君を捜すまでか。別でも何でもなく、君という言葉は同じか。いずれにしても根気が続かないようで、すぐに眠ってしまう。このままではだめだから、栄養ドリンクでも飲んだ方がいい。そして少しずつでも前進させるべきか。まだすべてが終わったわけではない。そう思っていればまだ大丈夫か。ジョシュア・レッドマンのサックスでも聴きながら、何か思うところでもあるのだろうか。意味不明で逃げるのか。何を用いようとしているのだろうか。君のやり方はわかっている。こういう時はそれに限るか。早めに切り上げて、後は何事もなかったかのように振る舞うだけか。それでも何のことやらわからない。それを狙っているのか。まただんだん何かが復活してくる。しぶとく誰が生きているわけでもないか。それでもさっき飲んだ栄養ドリンクが効いてきているようだ。

 でもそんなやり方は見当違いもいいところだろうか。でも他に何があるというのか。何がでもなんだろうか。何かが一段落つくまでにはまだ時間がかかりそうだ。それまでには気が狂ってしまうか。そうならないように努力しなければならない。まだ越えなければならないハードルや山があるらしい。そう思っていればいい。実際に順序立てて、そのひとつひとつを確実に越えてゆけばいいのであって、何も焦る必要はない。もう気が遠くなるような遥か彼方ではなくなっているはずだ。それが目標でさえなく、何かの気まぐれで、それどころか伊達や酔狂でやっていることでしかないのかもしれず、やる必要もないのにやっている可能性もあり、大げさに事を構えるのは馬鹿げているし、気軽に余裕を持ってやっているわけか。それにしては力みすぎていないか。きっとそれは気のせいだ。もっとよく状況を観察すべきか。それにしてはさっきから歯を食いしばっていないか。きっとそれも気のせいだろう。別につまらぬ冗談を述べているわけではないが、暗闇の中で目を凝らして見ると、おぼろげながら何かの輪郭が浮かび上がってこないか。別に君が虚無の正体であるわけがないか。そうでないとすると何なのか。俄に動悸が激しくなり、顔面蒼白になって、その場に倒れ込みそうになり、ただごとでないような気になるが、そんな嘘をついてみても無駄か。もうとっくの昔にバレているのではないか。いったい何がバレているというのか。そんなふうに言葉を記していること自体がおかしい。無駄に時間を費やして、さらに何かをこねくり回して、他に何を述べたらいいのだろうか。もうすぐ何かが片づいてしまいそうだ。そうに決まっている。だから焦らずにいられるわけか。あるいはそれも嘘なのか。きっとその時の君は何かを理解しているのだ。


10月9日

 たぶんやる気になれない。でも言葉を記す気になっている。矛盾しているだろうか。どうせ空疎な内容になる。決めつけるのはよくないが、そんな予感がしているので、あまりその気にならない方がいいか。では寝るとしよう。記述はまた明日か。もう明日になってしまったようだ。すでに夜だ。疲れて何もできないか。さらに一日が経っている。こうして無駄に言葉を記しているではないか。だがなぜ無駄だと思うのか。また何かに逆らうつもりらしいが、何かの流れに逆らっているのだろうか。何の流れなのか。世の中の流れか。それではありふれているか。別にありふれていてもかまわないか。それらの文章は同じようなことの繰り返しによって成り立っているわけだ。だからありふれたことしか述べられない。君はすでに見放されている。何に見放されているのか。神から見放されているのだろうか。そうだとしてもかまわないのだろう。もう十二分に夢を見させてもらったか。いったい何の話をしているのか。ただの戯れ事か。何でもかまわないのだろう。とにかく何かを語っているふりをしなければならない。何もなくてもかまわないのだ。代わりに記された言葉があるはずだ。あり得ないことか。何だかいつものように気持ちがバラバラだ。でもそれで終わりではないはずか。まだその先があるというのか。果たしてその先には何があるのだろうか。まだ何も見えていないではないか。でも言葉を記そうとしている。気が狂っているのだろうか。そんなはずがない。至って正気か。確認するまでもない。でも馬鹿げているのではないか。それは仕方のないことだ。何もないからこうなってしまう。

 何もなくても何かあるはずだ。矛盾しているが、この世界は真空のエネルギーに満ちている。またおかしな理由をつけたそうとしている。真に付け加えるべきはそんなことではない。そう思うなら何かまともなことを語ってみせればいいのか。誰に向かって語ろうとしているのか。君がそれを知っているわけではない。誰も知らないようなことを語りたいのではないか。馬鹿げているだろうか。わかっているならかまわないか。では馬鹿げているついでに、君は何を知っているのだろう。知っているのはたんなる知識であり、他の何も結びつきようがないことか。一概にそうとも言い切れないだろう。知っていることだけでも大したものだ。ならばすべての道はどこへとつながっているのだろうか。それは言わずもがなか。でも別にこれからローマへと旅立つわけでもない。では何なのか。それを語り損なっているのはいつものことか。またそんなところで立ち止まり、考えあぐねている。どうも方法が思いつかない。立ち直る方法でもないか。では何なのだろう。現状ではそうなってしまうようだ。あきらめてしまってもかまわない状況なのに、まだあきらめていないようだ。調子に乗ってまた馬鹿なことを述べている。そんなことを空想しているのか。何だか気が散っているようで、記された言葉も互いの引力を振り切って、散らばってしまう。これでは話にならないではないか。しかし何を説明しようとしているのか。すでにおかしくなっている。自意識が正気を失いつつあるのだろうか。ただ記された文章の内容を把握できなくなっているのではないか。

 またかなり時間が経ってしまったようだ。もういいだろう。まだそれを続けるつもりなのか。続いていないような気がするが、それでも文章なのだから、その中で誰かが何か語っているのかもしれない。なぜそんなことを思うのか。怒りが込み上げてくるか。冗談だと思う。でも正気の沙汰でない。本当のところはどうなのか。まだわかっていないようだ。つまらないことにこだわるべきではないが、すでにこだわっているこれはどうなのか。なぜやめようとしないのだろう。何もかもが馬鹿げている。今はそう思うしかないらしい。時が経てばわだかまりも解消してしまうのだろう。そんな自然の成り行きに期待するしかない。まだそれが続いている。別に何がどうなってしまったわけでもないのに、困惑している。何を見ているのだろうか。静かに向き合っているのは部屋の中にある暗闇ではない。あるわけがないだろう。人も物も蛍光灯に照らされている。それだけのことか。そう思わないとすれば、この雰囲気は何なのか。だからそういうことではないのだろう。何事も君の思い通りにはならない。ただそう思っているだけか。それだけではないすれば、他に何を記せば納得がいくのか。何を記しても納得がいかないのならどうすればいいのだろう。どうかしているのではないか。でもどうかしているとしても、そんなことはどうでもいいのかもしれず、どういうわけでもなく、どうということはないのかもしれない。やはりそれだけのことなのか。だから馬鹿げているのではないか。それだけのことで手一杯なのだ。それは悲しむべきことでも喜ぶべきことでもなく、自然の成り行きに他ならず、黙って受け止めるしかないことなのかもしれない。人は老いる。誰もがそうなのかもしれない。


10月8日

 話の筋が通らないのは良いことか。すべてが意味不明であるよりはいくらかマシだろうか。それでも語ろうとしているのだから、そのような行為は肯定的に評価すべきか。あるいは冗談か。何が冗談なのだろうか。毎度おなじみの被害妄想かもしれない。その通りか。でもそれによって精神的に強くなったのではないか。でも嫌なものは嫌に決まっている。それで何とかしなければならないわけだ。しかし君に何ができるというのか。そういうことではないのだろうか。何だか違うような気がする。すべての要素を結びつけて考えると、当然のことながら被害妄想に陥ってしまい、自分が世の中のすべてから攻撃されているような気になり、腹が経って仕方がなく、何か世の中に対して仕返しをしたくなるわけだが、それが無差別殺傷事件のたぐいに結びつくわけか。なるほどそうなると愉快か。それのとばっちりを受けて、被害にあった人はたまったものではないだろう。ではどうしたらいいのだろうか。そうならないことを祈るしかないか。だいたいはそこまで至らずに、途中で妥協して、中途半端でありふれた結果をもたらす。それでかまわないのではないか。何事もほどほどのところで穏便に済まさなければならないか。しかしいったい何について語ろうとしているのか。あるいはすでに語ってしまったそれが、君が語ろうとしていたことなのか。何のことやらわからないか。だからそれでかまわないと述べているではないか。そういうことにあまり本気で対処すべきではないか。でもそれで誰が困るわけではないのだから、やはりかまわないか。

 画面の見過ぎで目が疲れてきたようだ。本当はそれほどでもないが、もう夜だ。昨日は何について考えていたのか。なぜそれを忘れてしまうのだろうか。思い出そうとしていないからか。それはない。さっきからしきりに気になって仕方がないのではないか。本当は違うが、そういうことにしておきたいのではないか。でも今までにいろいろなことが起こったはずだ。でもそれは興味を惹く出来事だったのか。もう忘れてしまったから、それはわからない。本当だろうか。君はまた嘘をついているわけか。都合の悪いことはすぐに忘れてしまったことにしたいらしい。それは冗談か。冗談でなければ何なのか。たぶん何でもないはずだ。それが現実なのだから仕方がない。君はそこで何を探していたのか。それも思い出せないことにしたいのか。何かがおかしい。それでは話にならないのではないか。しかしヤクザ映画が現実の社会のような気がするのはなぜなのか。頭がおかしいからそう思うわけか。それも冗談だろうか。それの何に衝撃を受けたわけでもなく、邪魔なやつが惨い殺され方をしないだけで、現実の社会の中でも、理不尽な扱いをされたあげくにおかしな因縁をつけられて、所属していた組織や団体を追われる者などいくらでもいるだろう。国会での与野党の攻防なども、ヤクザの縄張り争いのようなものか。たぶん人は社会の中ではお互いが敵同士なのであり、何かのきっかけで、すぐに他人のやっていることや言動が気に入らなくなり、それがいさかいのもととなって、こじれると殺し合いにまで発展したりするわけだ。

 君はそこで何かに気づいてしまったのかもしれないが、あまり荒んだ気分になるようなことを記すべきではない。できればいきなり真正面からの対決になるのを避け、何とか穏便に事を済ますつもりでいるようだが、そううまくいくだろうか。その辺が腕の見せ所かもしれないが、それ以前に笑ってしまって、何だかわざとうまくいかなくなるようにしてしまうかもしれない。今まで苦労して築き上げてきたすべてを台無しにして、いきなりどこか遠くへ逃げてしまうわけか。何を放棄したいのか。無責任に振る舞いたいわけか。そしてその場の成り行き次第では、喧嘩になってもかまわないと思っているのだろうか。また何だか愉快な気分が心の底からわき上がってきて、またそんなやりもしないことを記して悦に入る。嘘に決まっているだろう。まだそんな成り行きになるほど事態がこじれているわけではない。そう思いたいところだが、誰が何を思っているのか知るよしもない。それとなく探りを入れて、想像してみるだけの段階か。でもそこまでいくかどうかは、今のところわからない。まずはどうすべきなのか。そんなことを思っているうちは本気でない証拠か。またどうせ何もやらないうちに、うやむやになってしまうのだろう。そして気がついたら何をやろうとしていたのか思い出せなくなっているわけか。たぶんそうなる以前に何か行動を起こしているはずで、また状況が変化している可能性もあり、結局取り越し苦労に終わってしまうことだってあるだろう。すでにこの時点でかなり変動しているようで、気がつけばそれらの状況が君に有利に働いているではないか。もちろんそれはフィクションの中でのことか。


10月7日

 どうも言葉が組み合わさって文章となり、ひとつにまとまる気配がない。てんでバラバラな状況が続いている。それも妄想の中で起こっていることなのか。誰が妄想を抱いているのか。別に力まかせに何かを構築しようとしているわけではないが、どうしてもうまくいかない時は、そういうやり方でごり押しするしかないだろうか。いったいそこで何を考えているのか。この世界には人が多すぎる。そのすべてをひとつに束ねることなど不可能か。でもひとつに束ねてどうするのか。何か特定の思考に従わせるわけか。そういうのは現時点では考えられないことだろう。世界が様々な国家に別れていて、それぞれの国家が独自の制度を設けていれば、その中で人も様々な考え方を抱きながら、分散できるだろうか。多種多様な人間が共存するには、現状のままでいることが一番好都合なのだろうか。この世界がひとつの制度の下に統合されてしまったらどうなるのか。映画のマトリックスを思い出すが、それは次元の違う話だろうか。でも時が経てばだんだん統合されていってしまうのだろう。では国境紛争で息巻いている偏狭な国家主義者が生き残る道はないか。いずれその地域独特の文化なども薄れていって、世界中が均質になってしまう時が訪れるだろうか。世界のどこへ行っても同じような人に出くわすわけか。そこまで事態が進展するまで君が生きているわけがないか。後数百年先のことだろうか。二十世紀末のインターネット普及が、その端緒となるわけか。いつか本当にそうなったらおもしろい。

 たとえそうなったとしても、宇宙背景放射における揺らぎ程度のメリハリはあるのではないか。どのような世の中になったとしても、身勝手に振る舞いたい輩は存在するだろうし、それを個性だとか呼んで尊重したがる者たちもいるのではないか。画家のピカソみたいなのが出現したりするわけか。それほど極端でなくても、君程度のはいくらでもいるはずだ。この世界には人が多すぎる。数十億人もいれば、国家の制度がどうであろうと、その中にはいろいろなのがいるだろう。それだけのことだ。例えばノーベル賞受賞者がその国から出れば、その国のマスメディアは得意になって騒ぎ立て、それがまるで国威発揚になるかのごとき勘違いを振りまくが、馬鹿げた行為だろうか。それも一過性のことで、数十年前のノーベル賞受賞者なんて、誰も関心がない。その人の業績をことさら賞賛してみても虚しいだけか。どうでもいいことなのではないか。でも君も数十年前のジャズを聴いているのではないか。そのミュージシャンの業績を利用している。過去のノーベル賞受賞者が発見した理論や技術を利用して、何かやっている人などいくらでもいそうだが、結局人は過去の人から受け継いだ何かを利用しながら生きているわけか。それはありがたいことだろうか。ただそういう文明の中で生きているということか。でもそんなことに気づいてどうするのか。どうもしないが、何かを再認識すると、何となく気が晴れたような感じになるわけか。君はピカソの絵を眺めて何を思うだろうか。ただ目の前に絵があるということ以外に、どんな感慨を得るだろうか。

 冗談としてなら納得できそうだ。本気になっていないことだけは確かか。そして相変わらずどうでもいいような気分となり、その場を立ち去り、何かのきっかけで思い出すこともあるだろうか。それもそれだけのことだ。ところで今は何を思い出しているのか。そういう逃げ方は苦し紛れか。君はどこから逃げているのだろうか。この世界からか。逃げられるはずもない。妄想の世界に意識がとどまっていようと、それもこの世界の一部に違いない。だから面倒くさいのか。何が面倒くさいのだろう。言葉を記すのが面倒くさい。どうも精神の集中が長続きしないようだ。それは君に限ったことではないだろう。何を急いで雑なことを記しているのか。丁寧なことをやるのが面倒なのか。嫌になってしまったのだろうか。誰かが捉えているこの世界の状況が、君にある種の虚しさをもたらし、そして投げやりなことを述べるように仕向けているわけか。それにしてはおかしい。どうせ本気ではないのだろう。語る気がしない。語ること自体が馬鹿げているような気がする。でもそれで何がどうなっているというのか。たぶん急ぐ必要はないのだろう。やがてすべては静まり、そこには誰もいなくなり、君は清々した気分となり、和んでしまうわけか。どうやら眠たくなってきたらしく、そんな気分を楽しんでいるみたいで、さらに外れようとしているらしく、そこに虚無を付け足して、すべてを台無しにしようとしているみたいだ。だからもういいのではないか。そろそろ仕上げといくか。後は記述作業を放り出して、どこかへと遠ざかっていくまでだ。もう得るものは何もないし、気になることも取り立ててない。


10月6日

 また雑なことを述べているようだ。でも暗闇の中でその続きを記しているわけではない。まだ電車の中か。まだ暑い。目が見えるようになったのか。もとから見えている。でもだいぶ視力が落ちているはずだ。免許証の更新で眼鏡をかけなければヤバいか。まだだいぶ先のことだ。それでも気がかりなことでもあるわけか。なぜそんなことを述べてしまうのか。まるでおかしい。近頃は特定の話題について何も語れなくなっている。この世界では何が起きているのだろう。出来事など数限りなく起こっていて、そのすべてを君の意識が捉えられないだけか。でもおかしい。興味が湧いてこないのはなぜか。何についてどう述べたらいいのかわからない。そのだいたいが、それがどうしたわけでもないと思ってしまい、気にもとめないまま、さっさと通り過ぎてしまう。すぐに忘れてしまうわけか。そして何も省みることがない。本当に何もないのだろうか。わざと見ようとしない光景を見なければならないわけか。どうやらその勇気がないようだ。そういう述べ方が気に入らないことはわかっていて、嘘をつくならもっとマシな中身を提示してほしいか。しかし中身がないのがここでの語りのはずだ。勝手に決めつけないでほしいか。そうならないように努力している。それができればの話か。それから長い時間が過ぎ去った。今はもう何とも思っていない。何がそうなのかわからないままなのはいつもの通りだが、そんな雰囲気だけでも感じてほしいか。でもかなりおかしく、結局はでたらめに頼るしかないらしい。君はさらに語る必要のないことを語ろうとしているようだ。まさかこれからか。もう時間がないか。

 無駄な前置きが長過ぎて、何を述べようとしているのかわからない。本当に文章がめちゃくちゃか。馬鹿げているのは当たり前で、頭の中がごちゃごちゃしているようで、とてもまともだとは思えない。何かがおかしくなってしまったのだろうか。でも昔からそうだったのではないか。今までそれに気づかなかっただけか。それどころか昔はもっとマシなことを語っていたような気がする。なぜおかしくなってしまったのか。そう思えるようになったのはなぜだろう。これも良くなる兆しと考えていいのか。その逆なような気がするが、もうどちらでもかまわない。こうなったらいくところまでいかないとまずいような気がして、中途半端にもっともらしいことを述べる方がヤバそうだ。だから自己言及だろうとなんだろうと、とことんそれをやるしかない。まだ吹っ切れた感じではなく、どこかで何かが停滞していて、淀んだ意識が疑念だらけの問いとともに、心の中で時には共存していて、また時には互いに互いを消し去るための算段でも巡らしているのか。そんなことはないだろう。君はまた何か荒唐無稽な妄想でも抱いているのだろうか。漫画の中の誰かみたいにそれは世界征服の野望か何かか。そんなはずがない。仮に妄想やら野望やらを抱いているとしても、それを明かすつもりはなさそうだ。バレたらヤバいからか。冗談に決まっている。たぶん何でもないことだろう。それについて語るのが面倒くさいのか。それはいつものことだ。でも誰を煙に巻いているわけでもなく、煙に巻こうとして巻けるような力もないはずか。では何なのか。ただ述べていることがおかしいだけか。そう受け取ってもらってかまわない。それ以上でも以下でもない。

 駄文がさらに駄文となりそうな気配だが、何だかそれでかまわないような気がしてきて、要するに無気力の極みなのかもしれない。それは嘘か。たとえでたらめであっても、言葉を記す気力はあるらしく、必死こいて言葉を記し続け、ついにというか当然のごとくというか、何となくここまでやってきた。それがどうしたわけでもないのに、ウエス・モンゴメリーのギターを聴きながら、愉快な気分となっているわけでもないが、それでもこうして言葉を記しているわけで、それがどうしたわけでもないのに、こんな感じとなっている。馬鹿げているだろうか。でもかまわないか。もとからそのつもりで、気がふれているかもしれないが、その振動幅を調整しながら、何とか正気を保っているつもりらしい。だからそれが余計なのか。余計なお世話をする気も起こらないか。そうではない。面倒くさいだけのようで、それもいつものことだ。どうやらまたおかしくなっている。頭をかきながら左右を見渡すが、別に何も変わったところはない。だから何がおかしくなったわけでもなく、君の頭がおかしいのは昔からだ。今までそれに気づかなかっただけか。それとも気づいていながら、気づいていないふりをしていただけか。何のわけがあるわけでもない。理由など何もなく、その場の気分次第でそんなことを述べている。それがおかしいわけか。そうなって当然の成り行きだ。そんな成り行きの中に出口が見えている。でも出口から出たらどうなってしまうのか。まさか君自身がこの世から消滅してしまうわけでもないだろう。それは現実にそうなってみればわかることだ。今はまだその段階ではなく、それ以前の試行錯誤の最中なのだろう。絶えず何かを模索し続け、常に新しい表現を試しているわけか。そんなはずがあるわけがないか。でもわからない。


10月5日

 映画を見て、世の中の本質を理解したような気になる。何から学んだわけでもないが、心にこたえる。今日は空が曇っている。一時的なことだろう。そして相変わらずここには何もない。それがどうしたわけでもなく、いつものことで、何もない理由などどうでもいいはずだ。そのついでに言葉を記す理由が見当たらない。それでもどうせまたくだらないことを述べているはずで、何やら記している言葉に一貫性がなく、てんでバラバラになっているかもしれないが、そこで何か思い出しているような予感がする。今はそれを思い出せないらしい。焦らず待っていれば、いつかそんなことを思い起こすだろう。君はあのとき何を考えていたのか。わかっていたのはそんなことか。でもそれが結果だとは思えず、それでは何もわからない。そういうことなのか。君はわかるはずもないことをわかろうとしている。それもいつもの無駄な努力なのか。しかしそれは何のための努力なのか。何がまだ道半ばなのか。いったいこれから何をやったらいいのだろう。君の知ったことではない。それもいつものことか。首をぐるぐる回すが、別に肩が凝っているわけでもない。たぶん思い通りにはならないのだろう。それは当たり前のことではないのか。でも何とかうまくこなしているはずか。すべてにおいてそういうわけでもないのかもしれないが、それでも何とかなっている。気のせいだろうか。気のせいでなければ何なのか。勘違いかもしれないが、それも気のせいの範疇に入るのだろうか。目が痛い。それだけのことだ。

 他者に対して配慮がない。それはお互いさまだろうか。たぶんうまくやろうとしているのだろうが、自己顕示欲が邪魔をして、他者から疎まれ、今はひとりぼっちか。君に限って、そんなことがあるはずもないか。誰に限っているわけでもないだろう。世の中が馬鹿げているのだろうか。独りよがりにそう考え、ますます孤立していってしまうか。今は楽しい季節だ。読書の秋か。冗談だろう。返答できないらしい。虚空に向かって何を叫んでいるわけでもなく、現状に飽きているわけでも呆れているわけでもないが、ただ気がつけばため息をついている。こんなことを延々とやり続けていていいのだろうか。眠たくなってきたようだ。昼休みがあったはずだが、疲れが取れていないらしい。またしばらく記述が滞っているようで、何を考えあぐねているのか定かでない。もうやめた方がいいだろうか。やめるにしては中途半端か。あくびの連続でやる気をなくしているようだ。こんな精神状態では何とかなるはずもない。今は何も語らずにおくとしよう。また気分転換のきっかけでもつかめたら、その時は何とかなるのではないか。今がその時だとは思わないのか。実際に何とかなっているだろうか。君にわかるわけがないか。記しているそれを読み返してみればわかるのではないか。何ともなっていないだろうか。では今がその時ではないということか。なぜそう思うのだろう。君の知ったことではない。別に周囲から孤立していてもかまわないのではないか。誰が孤立しているのだろう。そんな輩はいくらでもいるはずか。

 きっとうまくいっていないのだ。それならそれでかまわないと思いたい。仮にうまくいっていなくても、今のところはどうということはない。たぶんいつかうまくいく時が来るだろう。電車の中でふと見上げれば、何かの広告が目につく。英語に自由になろうだそうだ。英語から自由になろうということではないのか。自由になって解き放たれるということか。英語など習わなくてもよくなって、英会話教室など不要になるということか。でもそれは英会話学校の広告だ。それの何が矛盾しているわけではない。たとえ英会話など不要だと思っていても、何か習い事でもすれば気が晴れるかもしれない。まるでお経のようなラップだ。君はそこで何を聴いているのか。何も聴いていないはずがないだろうが、それが音楽であるとは限らず、時としてそれは何かの騒音かもしれず、不快な思いをしているのかもしれない。それにしても音量が小さい。もう少しヴォリュームを上げた方がいいか。電車の中だから仕方がないのではないか。イヤホンの性能がいまいちなのか。でもこの程度でかまわないのかもしれない。だいぶ混んできたようだ。もうそろそろ言葉を記すのをやめた方がいいか。もう少しで何とかなりそうなのに、内容がまたいつものパターンに陥っている。これではだめだろう。でもだめならだめなりに、区切りのいいところまで言葉を記さなければ気が済まないらしい。まったく律儀なことか。でも内容が内容だけに、すでに失敗しているはずだ。くだらない成り行きとなっていて、この先にいくら記しても、こんな感じになるしかなく、もうこの辺でやめておいた方がいいだろう。


10月4日

 無理に語ろうとしたら、いきなり意味がわからない。そういう成り行きなのだろうか。やはり君はフィクションの中で語っているらしい。だがそんなことがあり得るだろうか。それは嘘かもしれない。でもおかしい。また物語れなくなっているようだ。具体的に何をどう記したらいいのかわからなくなり、いつもそこで行き詰まってしまう。笑っているみたいだが、当人は深刻に考えているわけか。何でもないことだ。本当に何もない。だがことさらに深刻ぶっても仕方がないような気もする。何もないから何でもないのか。そんなことはわかりきっている。何だかたがが外れているようで、力が入らず、何も記す気にならないのは毎度のことかもしれないが、でもそれでかまわないような気がするのはなぜだろう。君にはまだ未来があるのか。何かの可能性に賭ける機会が訪れるのだろうか。何もないような気がするが、何か思いがけない出来事に出くわして、俄然やる気になったりするのだろうか。なぜそう思うのだろう。つまらない現実に嫌気がさしているのか。そうではないだろう。でもそれもあるかもしれない。しかしたわいないことだ。くだらない成り行きに呆れているのではないか。そういうわけでもないだろう。思い通りに行かないだけか。何がそうなのか。何もそうではないから困ってしまうのだろうか。ではさっきから何を述べているのか。何か記しているらしいが、気乗りしないようで、惰性で記しているような気がして、そんなことではだめだと思いつつも、何か限界を感じているようで、やはり言葉を記す気にならず、それでも記そうとするから、そこで葛藤が生じて、何だかうまくいかない予感がする。

 それでも言葉を記している現状があり、それが自己言及の罠にはまっているのを承知で、なおも語ろうとするが、やはりおかしいだろうか。それはすでにわかっていることだ。ため息が出るが、それがどうしたわけでもなく、つまらないニュースを見ても、心が和むわけでもなく、音楽を聴いても、その場しのぎの精神状態が改善する兆しは見られず、少しは癒やされているのかもしれないが、やはりそれだけのことのようだ。そしてわからなくなり、何も記せなくなる。でもこうして記しているではないか。さっきまで眠っていたのか。君が眠っていたわけではない。何でもかまわないから、少しは言葉を記してみたらどうか。今記しているそれではだめなのか。たぶんそうだ。ではどうしたらいいのだろう。それをやめろとは言わない。むしろそれを続けるべきか。その気になるまでつまらないことを延々と記してみたらいい。飽きても呆れても、さらに言葉を記すべきか。まだ何かが足りないような気がするはずだ。いくら記しても足りない。足りないから記さざるを得ず、そんな理由が偽りであることも承知しながらも、さらに言葉を記すべきか。まったく馬鹿げているような気もするが、そういう成り行きなのだから仕方がない。君はその先へ歩を進め、どこか得体の知れない地帯へと、その一歩を踏み出さなければならない。冗談か。そんなはずがないと思われるが、きっと気のせいだろう。別にそこで笑う必要もない。でも述べている内容がおかしいことに変わりはない。そんなことなら、別にかまわないではないか。そうなってしまうのだから仕方がないが、何でもかんでも仕方が無いで片付けてしまうのは、御都合主義の極みか。

 きっと何かあるのだろう。何もないが、何かあると思っている。映画を見て衝撃を受けたのか。人が大勢殺されている。それだけのことだろう。恐ろしいことか。戦争にでもなれば、もっとたくさんの人が殺され、実際にアフガニスタンやシリアではそうなっているではないか。暴力はとどまることを知らない。それは漫画の中でも映画の中でも現実の世界でもそうだ。でも君はそこから影響を受けているわけだ。悲惨な死に方を見せつけられて何を思うだろう。ある環境下では人が簡単に死ぬわけか。でも見ているのはフィクションではないのか。実際にも簡単に死んでいるはずか。君ならそれを知っているはずだが、知っていたとしても、あえてその事実にふれようとしないだけか。架空の存在でしかない君にそれを期待するのはおかしい。ではどうすればいいのだろうか。もちろん君の知ったことではない。要するに世の中にはどうにもならない事実があるということか。君にはどうすることもできない。甘っちょろい平和主義者にも同じことが言えるだろうか。君はそう思うならその通りだろう。死に近づき過ぎれば、やがて近づきすぎた者も己の死を受け入れなければならない。そんなことはわかりきっている。物語としてもそういう成り行きなのだから、君もいずれは受け入れなければならないわけか。そうだとしてもなおのこと逆らいたくなるのが、別のありふれた成り行きか。ではそうならないようにするためにはどうしたらいいだろうか。なるべく死に近づかないようにすればいいわけか。君は鈍感だ。それに関しては愚鈍なのかもしれないが、どうも気がつく前に死んでいるような気がする。そんな成り行きもありふれているだろうか。別にそれでかまわないのではないか。物語はいつもありふれた経過をなぞりながら、その終局へと向かうのが、そのありふれたパターンのはずか。だが君は相変わらずそこで何を述べているのか。


10月3日

 誰かが言葉を失う。また冗談ではないのか。ならばそれは何かの映像だろうか。だが失われているのは音ではない。何かの音が聞こえているはずだ。そこで虚無が言葉を取り戻そうとしている。それはあり得ないことか。何かの勘違いかもしれない。誰がそう思っているのだろうか。君ではない。だからそういうことではない。たぶんそうだ。別に何かのドラマの中で誰かが無口になっているとは思えない。部屋の中には何も見当たらない。引っ越した後ではないのか。心と意識が暗闇の中で何かを考えているらしい。そんなはずもないだろうか。では何なのか。たぶん何も語っていない現実があるらしい。それも違うか。では心は何を求めているのだろうか。自意識は何を感じているのか。それは問われるべき何かではない。では何なのか。今は何でもないでは気が済まないか。気が済んでも済まなくてもかまわないのではないか。今はそう思う。でも思っているのは君ではない。では君はどうしたらいいのだろう。君に問う必要はないか。そんなくだらないことはいちいち問わない方がいい。それとこれとは別問題か。でもそれの何がくだらないのかわからない。何もくだらなくはないのではないか。ではどうすればいいのか。くだらないと思わない方がよく、そんなことは問わない方がいい。今さら何を否定したいわけでもないだろう。でもそれはおかしいのではないか。また蒸し返そうとしているようだが、いくら言葉をこねくり回しても、自己言及の罠からは逃れられない。そんな語りでは無理だ。たぶんそうではないのだろう。ではこれでかまわないのか。これの何をどう評価すればいいのか。わからなくなったまま、さらに言葉を記そうとすると、さらにおかしくなってしまうだけか。そんなことはないだろうか。だから何がそうなのか。単にでたらめに言葉を記しているだけか。そういうことなら、頭がおかしいのではないか。テクノロジーが世界平和をもたらす。テレビ画面上で誰かが高らかに宣言している。映画の中でのことだろう。それも君とは関係ないか。そんなことは嘘ではないのか。それの何が嘘なのか。問われるまでもないことであり、すべてが白紙に戻される。君はそこで何を削除しているのか。

 試しに何をやろうと、冗談を口走った次の瞬間に何が起こるだろう。そこで誰かが落胆したらしい。しかし君は何なのか。まったく説明になっていないようだ。何を説明しようとしているわけでもない。冗談にしてもおかしすぎるか。おかしいのは誰かの頭か。今はおかしいを通り越して、完全に変だ。君はついに何もかもがおかしくなってしまったと感じているのか。目頭が熱くなり、目が痛くなる。語ろうとしていたのはそんな話ではなかったはずか。だからもういいのではないか。すべてはでたらめに決まっている。だからすべてを削除してしまったのだろう。時にはそんな嘘をついて、誰かの気を惹こうとしているわけか。たぶん方法はいくらでもあり、それが何の方法なのかわからないからいくらでもあるのであり、目標や目的を決めたら、方法は自ずからひとつとなってしまうのだろうか。でも別にそうならないように努力しているわけでもないだろう。いくらでもある方法は方法ではなく、ただ当てずっぽうに何かを試しているだけではないのか。闇雲な試行錯誤は何ももたらさない。でも結果を求めないのであれば、それでもかまわないのではないか。しかしそれでは何をやっていることになるのか。何もやっていないのと同じことだろうか。でもやらないよりはやっている方がマシか。だがそれでやっていることになるのか。そう思えばやっているつもりになれる。それだけのことか。他に何を期待しているというのか。失敗しているような実感を得たいのか。得たいのは何かをやり遂げた達成感であり、失敗するよりも成功する方が自己満足を得やすいはずだが、誰も好き好んで失敗したいとは思わないか。ならばこれらの記述は何なのか。完全な失敗作か。記し終えれば達成感に浸ることができるのではないか。結果はどうあれ、一応はそうなるはずで、どう読んでもまともな内容ではない文章を記しているのだから、とても成功しているとは言い難く、落胆の色を隠せないが、それでも一応は記し終えたのだから、それで満足なのではないか。だが誰が満足しているのだろうか。少なくともそれは君ではなさそうだ。


10月2日

 雑な気分で何かを記している。何でもないのにそれは冗談かもしれない。おかしい。相変わらず何がどうなっているわけでもないが、とりあえず夜になっているようだ。今まで意識はどこで何を思っていたのだろうか。そういうことではない。では何を思えばいいのか。それも違うか。ではどうしたらいいのだろう。ところで何を記せばいいのか。そんなことを記しているようではだめか。たぶんだめなのだろう。でもだめなりに記してゆくつもりか。それがわからない。今のところは何も思いつかないようだ。何か別ことをやっているらしい。作り話の中ではそうしているわけか。そうではない。だが何を否定しているのか。何だかわからないが、また誰かがつまらないことを述べている。君はそれについて何を語ればいいのだろう。そんなことはわからない。何もわからないのに、それだけわかるはずがない。またそんな嘘をついているようだ。それの何が嘘なのか。たぶん何も嘘ではなく、別に誰が嘘をついているわけでもないのかもしれないが、では嘘をついているということ自体が嘘なのか。それも違うようだ。興味がないのかも知れず、誰がどこで嘘をついていようと、そんなことには興味を抱けないのだろうか。別にかまわない。そんな思いとは無関係に言葉を記せばいい。目的は言葉を記すことなのか。それだけではだめか。そういうことではない。すでに飽きているのかもしれない。こんなことを記していると嫌になってしまう。

 なぜこういう成り行きになってしまうのだろう。はまっているのだろうか。何にはまっているというのか。すべてにはまっているのではないか。何だかわからないが、はまっているらしい。ではもうおしまいか。そのとき君は新たな認識を得て、考えを改めなければならない。何でそうなってしまうのか。それが必然であり、そういう成り行きなのだから仕方がないのか。きっとそうに違いない。何だかわからないが、結果的にはそうなっている。それでかまわないと思うしかないのだろうが、同時にそうではないとも思えてきて、まるで夢でも見ているかのようにも思えてくるが、きっとそれは悪い夢ではなく、心地よすぎてどうにかなってしまうようなことでもないだろうが、とりあえずはそんな成り行きに従わなければ、その先へ進めないような気がして、受け入れざるを得ないような心境に至っていることも確かで、そのまま言葉を記しているわけか。それにしては何を語っているのか定かでないようだ。そうならないようにしなければならないのだろうか。それは無理か。実際にそうなっていて、それを覆せないからそうなっているわけだ。ならば君にはもう可能性がないのだろうか。それは君がどうなる可能性なのか。そんなことを記していれば満足なのだろうか。それともまた嫌気がさしているわけか。いつものことだ。でもそれで安心していていいのだろうか。いつものことではまずいわけか。ならば他に何をやれるというのか。またそれだ。

 それもいつものことらしい。嫌気がさしてしまうのも、それでもかまわないと思うのも、どちらもいつものことのようだ。ではどうしたらいいのだろうか。そう思うのもいつものことか。すべてがいつものことであり、どうやら君はいつもの成り行きから逃れられないようだ。だからいつものように思い、いつものように言葉を記せばいいわけか。そう思うならそうすればいい。実際にそうしているのではないか。今回はいつものことだらけで居心地が悪い。それもいつものことなのか。要するに自家中毒気味に言葉を記している最中のようだ。だが意味はそれでいいのか。また言葉の使い方を間違っているだろうか。君がそう思っているのではないとすると、誰が思っているのか。いきなりそれはないか。さらにおかしくなっているようだ。でたらめに言葉を記している最中か。できればそうならないようにしたいが、今は無理なのだろうか。しかしいったい何について語っているのか。何かのたがが外れているみたいだ。修正できそうにない。何やら行き詰まっている。否定的なことばかり記してしまうらしい。それが現状だからそうなってしまうわけか。ふと音楽を聴くのを忘れていることに気づく。聴いていると気が休まるらしい。そんなことを語っている場合ではない。首を傾げながらあらぬ方角を見やると、そこに何が現れいるわけでもなく、もとから何の出現を期待していたわけでもないので、それが当たり前のように思われ、何も思わず正面に向き直ると、そこには画面がある。誰かが言葉を記している最中だったのではないか。


10月1日

 何とか数日遅れで今月に入ったようだが、どうも今後も遅れを取り戻すのは難しいみたいだ。何となくやる気がせず、何を記しても無駄なような気がする。君は孤独なのか。冗談ではない。そんなことが思い出されるが、それは遥か昔の出来事か。そんなに昔でもないはずか。では何なのだろうか。またいつもの意味不明に違いない。何がそうなのかわからないまま、また無駄に言葉を記そうとしている。おかしいだろうか。でも別に頭がおかしいわけでもないか。泥縄式とはどういうことなのか。別にこれがそうだとは思えないが、まだしばらくはこんな具合になるしかないようだ。もうだめなのかもしれない。そう思うならそういうことだろう。完全に独り言の範囲内で無駄に語っている状態だが、他はあり得ないらしく、今後はひたすらそうせざるを得ないのだろうか。何が今後なのか。別にそれでもかまわないのではないか。もっと自信を持つべきか。何とかなると思っていれば何とかなるものだ。嘘だと思うなら、それを続けてみれば、自ずから結果にたどり着くはずだ。しかし結果とは何なのか。当たり前のことだ。何の変哲もない普通の日々の中で、仕事をしながら、合間を見つけては言葉を記している誰かがいるらしい。それだけのことだろう。それ以外の結果を見出せないようだ。だからつまらないのだろうか。そうではない。君はもう知っているはずだ。それは結果ではなく、また何かに至る途上にある。その先に未知の出来事が連なっているわけか。だからそれは当たり前のことだ。

 そして何とかしなければここまで来られなかったはずだ。あきらめる必要はないということか。なぜそう思うのだろう。君はまだあきらめていないはずだ。何をあきらめる必要があるのか。それがわからないうちは、あきらめようにもあきらめることすらできないのではないか。しかし見え透いているだろうか。そうやって君は嘘をついているのだろうか。それの何が嘘だと思うわけか。どうもその辺にごまかしが絡んでいる気がしてならず、君は何かに気づいていながら、あえてそれを明かさずに語ろうとして、何となくその辺で違和感を抱かざるを得ないような、そんな疑念をぬぐい去ることができないようだ。しかし明かされていないそれとは何のことなのか。それではない。たぶんそういうことだ。それではなく、それでさえないのではないか。要するにそれは何でもないことか。だが何でもないとすると、それは嘘になり、それが特定の何かとなると、やはりそれも嘘となるのではないか。では何なのか。冗談のたぐいだろうか。またそうやってごまかそうとする。焦れったいがその辺をはっきりさせようとすると、必ず取り逃がしてしまうらしく、それは何でもないが、何でもないと見なすと、嘘になるような何かなのかもしれない。では何なのか、と問い続けることが可能な何かなのだろうか。でもそれでは埒が開かない。それでかまわないのだろうか。埒が開かないままだから、まだあきらめていないということか。そういう予定調和は嫌いなようだが、何となくそんな気がするのなら、それでかまわないということか。

 何がかまわないわけでもないが、とりあえずはそういうことになりそうだ。嘘でもごまかしでもかまわないのであって、嘘とごまかしで真実を語ることだってできそうだ。フィクションの語り手は皆そうだろう。無論そこで何が真実かなんて問題ではなく、語っている状態をいかに保つかが、言葉を記している誰かの腕の見せ所なのか。そんなはずがないと思いたい。またその場の思いつきで文と文を粗雑につなぎ合わせ、何か述べているように装いたいのかもしれないが、君の知ったことではないのか。ならば君はそこで何を語っているつもりなのか。そういう問いかけ自体がおかしいか。それともわざとおかしなことを問いかけて、読んでいる者を煙に巻きたいのか。それでどうなるというのか。たぶんどうにもならず、何とも思われないだろう。どうせ語っているすべてはごまかしに違いないか。それも嘘に決まっている。そんなふうにくだらぬことを記しながらも、違和感が増すばかりの状況に業を煮やして、そこから何か修正を施して、まともな内容になるようにしなければならないのか。あるいはもう手遅れで、何も施しようがないから、もはやそのまま終わりまで意味不明やごまかしのごり押し状態で突っ走るしかないのか。たぶんそれも誤った認識から導かれた勘違いに違いない。頭をかきながら、何とかしようとしているみたいだが、どうやらなんともならないのはいつものことらしく、これもいつものことだが、それでかまわないと思い込むしかないようで、そんなわけがわからないことを語っているふりをしながら、何やらそこに記されたおかしな内容を肯定している誰かが、今も画面を覗き込んでいるわけか。君は呆れているようだ。