彼の声62

2007年

9月30日

 慌ただしい日常に埋もれ、誰かは詩的な文章表現を見失っている。他に何を見ているわけでもないだろう。見ているのではなく、失っているだけではないのか。そんなのはもとからなかったことか。それは何かの決まり文句だろうか。なぜ先月の時空にとどまっているのか。そんなわざとらしい言い回しも今日で終わりにさせたいようだ。まったく冗談にもならないことを述べている。いつまで経ってもそんな調子で何かを述べ続けなければならない。もうそういうのはなしにしたいところだが、どうせ来月の月初めには同じようなことを述べているのだろう。いつまで惰性で続けていられるのか。そのときになってみなければわからない。いつか終わりが訪れる。そこで何かが途絶えてしまうわけか。いつまでも冗談で逃げられるわけもない。車内は蒸し暑さでうんざりするような空気に覆われ、誰もが長袖を着てきたことを後悔しているはずか。だがそれと終わりとどのような関係があるのだろうか。わざと関係のないことを述べて、少しでもどんよりとした曇り空での下の蒸し暑さを忘れようとしているわけか。外に出ればそれほどでもないことに気づくはずだ。しかしそれがどうしたわけでもない。何も感じられなければそこで行き詰まるというわけでもないらしい。君にはまだ述べなければならないことがあるようだ。だからといって何を急かされているわけでもなく、ひたすら迂回し続け、回り道の途中で道草を食い、まったく話の本筋に戻れなくなる。そんなことを述べているうちに電車の車内も空いてきて、蒸し暑さも少しは軽減したらしいが、そこから何が見いだされているのだろう。外は相変わらずの曇り空だ。聴いている音楽は二十年前のものだ。その曲だけだろう。他はまた違う年代になる。他に何を楽しんでいるとも思えない。また冗談でそんなことを述べているらしいが、それの何が冗談なのかわからないのもいつもの通りだ。郊外に建ち並ぶマッチ箱ハウスの一つ一つに誰かの人生が詰まっている。そういう表現は差し障りがあるようだが、見えているのはそれだけではない。何も見えていないと言ったら嘘になるだろうか。言っているのではなく、言葉を記しているのだろう。それで何を述べているつもりでいるのか。誰を見下しているわけでもなく、そんなことを述べている君には何もありはしない。それも嘘のたぐいか。曇り空の下で暗めの音楽を聴いていれば憂鬱な気分に拍車がかかるか。それもそれでその場の状況にマッチしているというものだ。要するに何を思ってみても、何を述べてみても、それはそれでそれなりのリアリティを伴っているのかも知れない。君はそんなところで生きている。それが君でないとは言わせないか。架空の登場人物ではないらしい。誰かでもない。たぶん君は君ではないのだろう。夏の日差しの下で太陽を呪っていたわけではない。語っている内容に現実感がない。気分の青さを青いと述べていては何のことなのかわからないか。そこからどうやって遠ざかるつもりなのか。わかっているのはそんなことではない。至上の愛はどこへ行ってしまったのか。まったくの的外れかも知れない。それは誰かの曲だ。何となく述べていることが支離滅裂になってくる。その程度で息切れ状態になってしまうらしい。やる気がしなくなる。いつの間にか曇り空が晴れてくる。日が射してきて暑くなってくる。先ほどの蒸し暑さとは質が違うようだ。たぶんもう秋なのだろう。それがどうしたわけではないが、人は誰でも狂うときがあるのだろうか。思いつきに理由は伴わない。何かが偶然に左右されながらも、何となく一定の方向性を伴いながら、文字の連なりとなってそこに立ち現れる。君が見ている風景に終わりはない。君自身が見ている途中で息絶える。風景はこれから先何十年にもわたって連なり続ける気配だ。あり得ない風景だ。いつの間にか架空の話になりつつあるようだ。その中では誰が何を語っているのでもない。風景が車窓から離れない。常に一定の速度で流れてゆく。音楽も延々と続いてゆく。あくびが出るほど退屈だ。高圧電線の下にも家並みが連なっている。電磁波の影響で癌になるだろうか。そんなことを心配するような立場ではないだろう。人はどこでも生きて行けるのであり、そしていついかなる時でも生命の危険にさらされており、何かの巡り合わせでどんどん死んで行く。そこからどんな真実が見いだされようと、それはテレビ画面が伝える程度のことだ。その場限りの適当な感動がもたらされ、時が過ぎれば忘れ去られてしまうだろう。そして忘れた頃にまたよみがえり、飽きられるまで性懲りもなく繰り返される。だがそんな否定のための言い回しが鬱陶しいのだろう。語っていて嫌になってしまうようだ。ならばその辺でやめておけばいい。何かもっと楽しそうなことを述べるべきか。本気でそう思っているわけではない。誰のことを述べているわけでもなく、誰から頼まれたわけでもないのに、そんなことを述べているだけか。遠くを見渡せば雲が山並みを隠しているようだ。


9月29日

 この世界のどこかに深刻な状況に陥っている地域があるらしい。それをメディアが深刻でない人々に伝えようとしている。たとえば君はそんな成り行きに感動している。そこでどんな行動に訴えかけようとしているのか。何かそれに同調したような言葉を繰り出せば事足りるのだろうか。あるいは彼の地域で命を落とした人々に哀悼の意を示さなければならないだろうか。他に何かやらなければならないことがあるはずか。まさか冗談でそんなことを述べているわけか。ならば君に何を語る資格もありはしない。ただ音楽を聴いている。君にできることはそれだけだ。それは気休めや気晴らしではない。そう思っていればそれでかまわない。君は毎日朝から晩まで仕事に明け暮れていて、他に何をやるどころではない。それの何が楽しいのだろう。では少しは楽しみにうつつを抜かさなければ人間ではないか。たぶん冗談でそんなことを述べているのだろう。冗談以外の言説などあり得ず、他に何も思いつかないようだ。それで何を語っているつもりなのか。つもりではなく、本当に何か適当なことを語っているのかも知れない。深刻な地域でも我関せずで暇つぶしにいそしんでいる人もいるはずだ。人それぞれであり、何をやろうと他の誰から文句をつけられようと、そんなのは君の知ったことではないのだろう。何と関係があろうとなかろうと、君は君自身とは無関係に言葉を連ねようとするだけか。それは君ではない。それとは何だろう。文章の言わんとしていることを知りたいのか。誰かがどこかで居眠りの最中のようだ。後から付け足されたエピソードとはそういうものだ。話の辻褄を合わせようとしていない。苦痛を伴うのだろう。考えあぐねて話の筋を放棄する。どうやら意味不明は怠惰の証のようだ。そこから先で頭が休憩中だ。何かを投げ出している。誰が何を知ろうとしているのでもなく、夢にも思わなかった成り行きを期待しているだけのようだ。たぶんそこで神経衰弱に陥っているのだろう。それが君のねらいだ。君は何を勘違いしているのか。人形使いにでも興味があるわけか。誰がそこで造形師と呼ばれていたのだろう。何と何を関連づければそういう答えに導かれてしまうのか。君には何もかもがわかっているはずだ。それが被害妄想に結びつくこともわかっている。それに気づかせて精神的に追い詰めようとしている。たぶんそれが冗談のなせる業なのだろう。いったんそう述べてしまうと、そこから先は意味不明になりそうだが、そういう几帳面さが誰かの思うつぼを形成しているらしい。たぶん誰かはそう思っている。そしてそんな予測を覆すような驚きをもたらしたいのだろう。何とか攻撃の対象を精神的に追い詰めたいわけだ。そうならなければ何も楽しくない。やっている意味がないというものだ。君はそれを利用して言説を展開しているつもりになる。そうやって今日も欲望の断片を餌をネット上に振りまいておけば、それに飛びつく輩が罠にかかるというしかけか。それはそれで楽しい。攻撃の対象も自らが罠にかかって喜んでいる。そういうわけで君はかなり鈍感の方だ。何を見ても何も感じないふりをしているようだが、それが強がりかどうかは、それらの攻撃の結果を見てみないとわからないだろう。そこから遠ざかりたいのに遠ざかれない。そんな冗談もそこでは有効だろうか。君はかなり頭が悪いのだろう。ネットに頭を侵されている。それがすべてではないことに気づいているのに、そこから離れられない。それが君の悪い癖のすべてか。何のことはない正常な精神が示す徴候をなぞっているだけのようだ。まったく突飛さがない。驚きが欠けている。冗談ではなく真面目なのだろう。ひたすら勤勉さに追従し続け、気がつけばつまらぬ老人になっている。誰もがそうなるように君はそうなってしまう。そしてその先には死が待ち受けていて、死が君の精神を分解してしまうだろう。それはそれでつまらない成り行きだ。ならば何かそこに救いを付け加えれば事足りる。それは冗談に対する信仰にでも結びつくだろうか。何やら宗教のたぐいになりそうだが、宗教には金がかかりそうだ。この世界では何をするにも金がかかる仕組みなのだから仕方がない。そういう成り行きに甘んじていると、何が起ころうと何とも思わなくなり、驚きの欠けた人格を宿している心を持つことになるだろうか。だが誰かはそういう言い回しの回りくどさに感動している。何を強調しているわけでもなく、何もないことを言葉が淡々となぞっているだけのようだが、そこからどんな驚きがもたらされるというのか。すでに驚いているのではないか。まったく信じられない速度でキーボードを叩いている誰かが目の前にいるらしい。よくそんな嘘をつけたものだ。至る所でつっかえていて、とても滑らかな動きとはいえない。だがそれでかまわないのだ。それでそういう文章が構成されてしまうのだから、それらの吃音的な文章も捨てたものではない。そしてそんなことを述べていると楽しくなってくる。まったく嫌がらせにも利用すべきものがあるらしい。何やらそれらのコメントに感謝の気持ちでいっぱいになる。


9月28日

 できないことをできるわけがない。また誰かはつまらないことを考えているようだ。頭の中で何かが消えている。何かわかっていることがあるすれば、それは日付が先月のままということか。何となく置き去りにされているような感覚を覚えるが、その間隔が縮まってきたようにも思える。それだけ今月に近づいたということだろうか。近づけば近づくほど痛みを伴ってくる。それと何か勘違いをしていないか。わかっていることを言葉で表現しているわけではない。誰のせいでもありはしない。誰が悪いのでも社会が悪いのでもない。そういう風になってしまうことに必然性があるだけか。アホみたいだが、それを受け入れなければその先へ進めないらしい。どうやらその辺で行き詰まっているふりをしている。それが演技というものだろうか。何を大げさに考えているのか。正当な評価からはほど遠い意見だ。隠喩として何を述べているわけではなさそうだが、それもいつもの意味不明と受け取ってしまえばいいということか。そこで述べていることにいかなる正当性もない。だがそれで何を否定していることになるのか。月夜の晩に誰かが吠えている。それはアフリカ系の声だ。そこからいつものように意味がわからなくなる。冗談半分で泥沼に足を踏み入れているようだ。だがそこで誰がもがき苦しんでいるわけもない。今し方目が覚めたところか。そうではないだろう。夜の時間帯に話を進めなければならない。他の誰かが本能に基づいて行動しているようだ。きれい事を述べているのが気に入らないらしく、さかんに誰かの欲望を煽り立てようとしているようだが、世の中にはそれ以外の言説があることが気にくわないのだろうか。何とか貶めたいのだろう。君はいったいそこで何を説明しているのか。わけがわからないだけでは気が済まないことはわかっている。だがそれ以外に何を述べているのだろうか。誰もそのことについては感知していないようだ。そんなことはいくらでも無視できる。無視されて何がおかしいのだろう。作り笑い以外のどんな表情を求めているのか。すべては演技に違いない。たとえ本心から何を述べていようと、それが演技になってしまう。もう馬鹿げた意地の張り合いはやめにしようではないか。リベンジとかいうくだらぬ言葉にしがみついている輩は人間のくずに違いない。今も冗談でそんなことを述べている。画面が心なしか傾いているようだ。何がそんなにおかしいのか。それを疑念に思っているわけではなく、ただの暇つぶしに心が傾いているだけらしい。それをどう加工しようと、もとからあった余裕を包み隠すことはできず、まったくの遊び半分で述べている実態が明らかになっている。それが何かの役に立つという偽善のいいわけを放棄している。だからそこに潜んでいる邪悪さを見透かされている。たぶんそれが何かを書く理由になっていないのだろう。君たちはこの世界の何を伝えたいのだろう。東南アジアの軍事独裁国家が行っている不正義を告発したいのか。身を挺して命を落として何かしら成果を上げたらしいが、彼はそこから何を導き出したのか。結論は先送りされている。そこには様々な利害関係が錯綜していて、とても君の思うような理想の国家を築き上げることは困難だろう。もちろん本気でそう思っているわけではない。ただ何かを述べ続けていると眠たくなってくる。だが答えが風の中にあるなどと無責任なことを述べていたいわけではない。たぶんそこで語られていることはすべて嘘に違いない。君の主張はそれとは別のところにありそうだが、それはどのような内容を構成すべきなのか。正しい答え自体が間違っている可能性があり、それをことさら強調したいわけではないが、何かを伝えるという行為が何らかの成果を上げていることが気に入らないのだろうか。そういう職業もあるということだ。君には彼らの思いを理解できない。自意識過剰の疑心暗鬼にとらわれている。歌でも歌っていた方が気楽かも知れない。だがそこに観衆などを想定しているわけではない。何をどう攻撃しても、それはそれで一定の成果を上げられるのだろう。ただそれだけのことだ。それだけのことに血眼になっている人が多すぎる。ところで君はどこの誰を攻撃しているつもりなのか。何にくだらぬコメントを付け加えなければならないのか。空疎な文章が君の標的となっている。そこでは馬鹿げたことが述べられていて、それが人畜無害であるどころか、まっとうな市民に害を為すような内容が提示されている。しかしまっとうな市民とはそのような基準に当てはまる人々なのだろう。試しに月給二十万ぐらいで職安に従業員募集をかけてみればいい。応募してくる十中八九は欠陥人間のたぐいだ。君はそんな嘘を真に受けることができるだろうか。格差社会がどうたらこうたら言っている人の気が知れなくなるだろう。しかしそこから何がわかるというのか、この世界には欠陥人間以外の人間がどれほどいるというのか。それらの人間のうちで自らがまっとうな人間だと勘違いしている人がどれほどいるというのか。


9月27日

 それはプラネタリウムではない。誰かが夜空を見上げているふりをしている。雨空を見上げて何を求めているのか。それは今から数日後のことだろう。他に何を思っているのでもない。疑わしいのはそんなことではない。取り立てて何ともないが、何か不満があるとすれば、それはこの世界に存在していることか。確実に誰かが実在しているらしい。その痕跡を文章が辿ろうとしている。そんなのは嘘に決まっている。知らず知らずのうちに遅れを取り戻しつつあるらしいが、すでに間に合わないことはわかっている。また馬鹿げたことを述べている。正気ではないのだろう。何が大切だと思っているのか。わからない。わかるわけがないと思っている。そういう成り行きには不満が残る。あくびをかみ殺しながら何を思いだしているのか。またしばらく無駄な時を過ごさなければならない。やっていることはたかが知れている。たぶん愚かなのだろう。情報が足りない。誰かは下世話なことしか述べられないようだが、それを嫌っているわけではない。毎日それを楽しみにしているのだろうか。わかるわけがないのかも知れない。世の中には何かがあるらしい。方々で不具合が生じていることは確かなようだ。インスタントコーヒーは苦い。ほろ苦いのではなく、ただ苦い。慣れてくればそれで済んでしまうわけか。嫌がらせのたぐいかも知れないが、それはそれでおもしろいような気もしてくる。ただわけがわからないだけでは面白味に欠けるらしい。それをどのように判断したらいいのかわからない。簡単に削除できるので後腐れはないようだ。何もかもが雨音にかき消されてしまう。何を聞いていたのか忘れてしまったらしい。言葉が君をよけて通る。歴史とは何だろう。発想が貧困だ。思わせぶりはもうたくさんか。何のことを述べているのかよくわからないが、何となくそんなことを述べているらしく、それが何だかわからないでは済まないような気もしてきて、付け焼きの知識を利用して、利いた風なことを主張しているつもりになる。それで何がわかるのだろうか。頭も気持ちも緩すぎる。それほどぬるま湯に浸かっているとは思えないが、何となくそんな気がしてくる。それに関して人にはどんな感情が生じているのだろう。もちろん何に関しているわけでもない。人は人と殺し合い、そうでなくても嫌がらせがしたいのだろう。未だ人という存在はそんな水準にとどまっている。誰かが権力の虜となれば、そこから暴力が生じてくる。直接もあるだろうが言葉による暴力もあるらしい。気に入らなければそうなってしまうのが、人の人としての弱さに違いない。君は人でないので、そんなものにつきあっていられないか。では人の他に何を否定すればいいのか。意味がわからないが、それに関して感想は何もない。だから何に関して感想を述べようとしているのでもないらしい。まともな反応を期待しているわけではないらしい。誰がそこにいるというのか。誰もいなければ何も想像しようがない。下界は長雨の季節に入ったようだ。雨に打たれすぎると肺炎になる。情けなくならないか。やはりそれでかまわないのだろうか。君はそこから遠ざかりたいようだ。またいつもの不可能に関する話をしたいらしい。そのままゴミくずのたぐいで終わってしまうのだろうか。それでもかまわないと述べていたではないか。本気になれないならそれでもかまわない。どこの誰が大げさなことを述べているわけではない。たぶん何を述べてもかまわないのだろう。ここはそれだけのことだ。偉そうなことを述べている場合ではないらしい。そういう論理ではないのだろう。論理ではなく何なのか。冗談でもなさそうだ。外ではただ雨が降り続いている。人の知恵は浅はか極まりないか。たとえこれから先に宇宙を旅しようと、そんなことはどうでもいいことかも知れない。人はいつでも破滅する。いかなる場合でも正解を選べない。否定している対象が間違っているのだ。それで何を余裕こいているのか。ここに至って何を語っていいのかわからない。まるで何かに打ちのめされてしまったようだ。君は何かに負けてしまったらしい。いつもながらのつまらない宣伝にはうんざりさせられる。何も物語っていない自らにも嫌気がさしている。誰かはそんな否定口調をおもしろがっているようだ。しかし歴史が繰り返されるはずがない。目的は何もない。ただ一方的に時間が過ぎ去っている。場所を移動している暇さえない。だがそれで困っているのは誰でもないはずか。人が人として成り立っているのは周りを取り巻く空虚のおかげか。何もないから人は人として存在できるはずだ。そこに何かがあればたちまち消え去ってしまうだろう。理由も根拠もありはしない。君は君でしかないことを再認識すべきか。今さら何を述べても無駄だろう。雨がすべてを流し去ってくれるか。そんな都合のいいことはない。ではどこで悩みを解消したいのか。調子に乗っている誰かをどうしようとしているのだろう。何をどうやろうと、してやったりというわけにはいきそうもない。


9月26日

 ずいぶんと回りくどいこと述べてきたようだ。何と戦っているのかわからなくなる。虚構の登場人物はマンガの中の敵が味方に見えてくる。虚無に魅入られているらしい。雨空が晴れ渡り、水面からのぞき込み、何かをねらっている。断片的な文字列だが、つながっているわけではない。どこで途切れているのかわからない。感覚がおかしいのだろう。雨音が聞こえてこない。耳が遠くなってしまったようだ。鼓膜の振動を神経が感じられないのかも知れない。いつものように嘘をついている。精神の鍛錬を要するような未来ではない。過去が重くのしかかってくるような現実でもない。焦点が合っていないようだ。軽い眠りの中で意識が遠のいている。頭の中で天予報が繰り返される。何を占っているわけでもない。たぶん何事もなかったということだ。何かやめる理由があるのだろうか。たとえば誰が総理大臣になっていたわけでもないし、それに替わって他の誰が総理大臣になったわけでもない。すべては架空の出来事だ。君は現実の出来事にさえ本気になれない。なぜ世界の国々は特定の何かを封じ込めなければならないのか。何に本気にならなければならないのか。実際にその立場になってみなければわからないのだろう。戦闘で多くの人々が命を落としている。そういう水準で物事を考えるのは時代遅れのようだ。人が殺されている現実を受け止めることができない。君たちは無駄なことをやろうとしている。別にどうということはない世界に暮らしているだけか。そんなことはいつの時代でも日常茶飯事でしかない。嫌ならそこから目を背ければ済むことだ。それで済んでしまえるくらい無責任が充満している。それを無責任とはいわないのではないか。ただの好き嫌いのたぐいだ。いったい何が争点となっているのだろう。君に語るべきことなど何もありはしない。そこで振り出しに戻ってしまうわけだ。賽の目を無視して先へ進んでしまう。なぜ政治家を脅さなければならないのか。現状の何に問題があるというのか。問題があるとすれば、それはこの世界には退屈で死にそうな人々であふれかえっているということぐらいか。無駄に長引かせている。アフガニスタンを放っておけない人々も中にはいるらしいが、それがどうしたというのだろう。何かメンツでもつぶされてしまったわけか。戦争の負けを認めたくないのかも知れない。そもそも勝ったり負けたりするような戦争ではなかったはずだ。いったんやり始めればいくらでも長引かせることができる。そしてそれがどうしたわけでもなく、ただ殺し合いをやり続けているだけだ。作戦も何もあったものではない。すでに作戦は失敗に終わっている。それ以上何をやればいいというのか。たぶん何をやろうと、それはそれほど重要なことではない。どこの誰が死のうと生きようと、そんなことは誰にも関係ない。またそれをやり続けてもやめても、後から思えばそんなことはどうでもいいことになるかも知れない。彼らは彼らで侵攻してきた外国の軍隊から祖国を解放するために戦っているつもりなのだ。他にもっともらしい理由などいくらでもありそうで、そこにそれらしい闘争があり、何らかの目的が生じているとしても、目的に殉じるほど愚かなことはない。君たちは目的に騙されている。そしてそれは受け入れがたいことだ。受け入れがたいことを無理に受け入れようとしても、それはできない話だ。たぶん外国の軍艦か何かに燃料を給油するしないとかいうのは枝葉末節なことに違いない。もういいんじゃないの、ということでしかないだろう。そういうことを真面目に議論しようとすること自体が馬鹿らしい。なぜそこから勇ましいことを述べなければならないのか理解に苦しむ。国際貢献とかなんだということを主張したがる人の気が知れない。何かそこにせこい損得勘定でも働いているわけか。中東地域からの石油の安定供給がどうのこうのいっているのかも知れないが、それは商売の話だろう。石油を売りたい国があり、それを買いたい国があれば、普通に商取引すればそれで済むのではないか。海上輸送にも一応は保険がかけられていて、商品がちゃんと目的の港へ届かなければ、保険会社が困るだけだと思うが、その他に何か対策を講じなければならないわけか。何かというとすぐに軍隊を差し向けなければ気が済まないというのも物騒な話だ。軍隊を繰り出して何を威張っているのだろう。誰かの妄想によれば、今度はニューヨークあたりに原爆でも落としてもらいたいのか。そうなればまた多くの人が死んでしまうのだろう。何となく馬鹿らしい話の展開に呆れている。もし本当にそうなったとしても、それはそれでどういうわけでもないか。ビンラディン氏もいつの間にか復活しているようだ。また平和な時代が訪れたら、誰かタリバンに破壊されてしまったバーミヤンの大仏を復元してもらいたい気がするのだが、ツインタワーの跡地にそれよりも高いビルを建てられるのだから、アメリカならそれくらいのことをやってほしいと思う。そういう余裕があるところに国としての魅力が宿ると思われる。間違っても日本にはできないことだろう。


9月25日

 たぶんそんな話をしているわけではないのだろう。実際には何も話していないようだが、沈黙に耐えられないので、何かそれとは違うことを述べてみようと思う。しかし間に合わせの言葉では間に合わない。だが何を裏切っているわけでもない。作り話の中では何かの衝撃に見舞われ、頭がくらくらしている。理由もなくいきなり何かの境地に達しているらしい。いったい何が迫っているのだろう。危険を回避しているつもりのようだが、総合的に判断して、もう話も終わりに近いはずだ。そんな大げさな判断を実施しなくても、そんなことくらいすぐに見当がつくはずだ。しかしそのときが来ても終わっていないとしたらどうするのだろう。どうもしないが終わりが近いことを確信している。間違っても始まったばかりではない。それでも続けていれば、いつか見たこともない幻影に巡り会えるかも知れない。誰かはそんな意味不明な期待に惑わされている。希望的観測の意味を知らないようだ。そんなことはどうでもいいことだろう。それはいつもの決まり文句に違いないが、何をぶち壊そうとしているのでもない。誰かは何を待ち続けているのだろう。すでに待ちくたびれている。必死さが足りない。わけのわからないことを述べようとして、何やら馬鹿げた言葉の組み合わせを模索しているらしいが、心の中ではあきらめの境地に達している。今さら何を語るつもりもなく、何も語れないことを悟っている。だが別に血迷っているわけではない。破滅の時はとうに訪れ、それをくぐり抜けて今がある。そういう認識が甘すぎるのか。提示された選択肢の中から何を選ぶべきか迷っている。たぶん何も選べないまま時間切れとなってしまうのだろう。そんな間に合わせの言葉には空疎な響きがつきまとう。それとは別の時空では、悲惨な境遇の誰かから怨念のこもった台詞を浴びせかけられる。君はそういう話を信じていないはずだ。ではそれは誰の作り話に含まれるのか。何かに手間取って無駄に時間を使ってしまったらしい。だがわざと遅れているわけではない。何となくやる気が失せてしまったようだ。そこで君は過去を忘れている。本当に何も思い出せない。それが嘘なら何か適当な記憶を思い出せるかも知れないが、それ以前に根性がねじ曲がっている。ならば思い出すのが面倒くさい。架空の意識は漠然とした状況のただ中にいるらしい。何を考えようにもとりとめがない。いったいこの世界は君に何をやらせようとしているのか。少なくとも君やらせようとしているのではない。機転を利かせてその場を切り抜けようとしているが、それがなかなかうまくいかない。もはや運にも見放されてしまったのかも知れれない。そんな状況を空想しているようだが、まったくリアリティを感じられない。まだ状況を十分に説明し切れていないのだろうか。言葉が足らないのかも知れない。しかしそこで行き詰まる必然性を感じられない。虚構として語るには内容が不十分のようだ。すでに何を語りたかったのか思い出せない。たぶんそれについて語りたかったのだろう。それは馬鹿げた内容になっている。ところでそれとは何だろう。何でもないからそれと呼ばれているだけか。それでは話にならない。要するにそれはそれでしかないということか。ではなぜ今の日付に追いつきたいのか。すでに今月中には無理だろう。そうまでして何も述べないつもりか。すでに述べているではないか。他に何をやっているというのか。ならば言葉の羅列によって何を間に合わせようとしているのか。何をやっているとも思えないようだが、それでもなお文章が構成されてしまう。ジャズとは何だろう。いきなりわけがわからなくなる。実質的にそれを聴いている現状がある。作り話的には沈黙の中だ。何も心に響いてこない。それは音楽ではない。だがジャズの話をしているわけではない。風の音を聞いている。木枯らしの季節が待ち遠しいか。すでに数日後は涼しくなっている。君はそこで判断を誤っているつもりだ。いつものようにわざとそうしているのだろう。時は気まぐれに過ぎゆく。音楽も気まぐれに途切れる。音楽プレーヤーのスイッチを押せばそうなるだけか。気持ち的にはそこまで来ているのに、なかなか前へ進めないようだ。気がつけば同じような言葉の繰り返しとなっている。ただわけがわからないだけではもの足りず、そこに色をつけてみたくなる。いったいこの世界の何に失望しているのか。君の思い通りにはなりそうもない。それでも人間と呼ばれる動物は生きている。君を置き去りにして時間だけが進んでいく。人と人の間から何かが出現しようとしているが、それは神ではない。まるで虫けらのような存在だ。他の何が不在というわけでもなく、どこに不在を埋め合わすような事物があるわけでもない。心は何ものにもとらわれない。無色透明な境地に近づきたい。そんなのはまやかしに決まっているだろうが、絶望にも希望にも振れない位置に誰かの意識を導きたいらしい。しかし何をわかろうとしていないのだろう。少なくともすでに終わってしまったことは承知しているはずだ。問題は何が終わってしまったのかを確認することか。


9月24日

 どうも調子に乗りすぎている嫌いがある。勘に頼りすぎると大きな失敗をしてしまう。他に何を信じていいのかわからないが、それも経験のうちだろうか。とりあえずほどほどのところで妥協しなければならない。それができればそれに越したことはないが、往々にしてそうならないのが世の常だ。うまいところで終わらせられない。だがそれがその場の成り行きなのだから仕方がない。結果的にそうなってしまった事実を受け入れるべきだ。しかしそこからどんな教訓を学びとればいいのだろうか。なぜかそれが失敗に終わったとは思えない。実際には数限りない失敗の連続かも知れないのに、少しも残念に感じられず、ならば失敗でもかまわないはずなのに、それが失敗だとは思わないのはどういうわけなのか。失敗を失敗として受け入れられないのか。そうであったとして何がどうなるのだろう。まだ手元に残った事物があるだろう。すべてを失ったわけではなく、ほんの些細な損害を被っただけで心理的に動揺している。だがそれで何がどうしたわけでもない。代わりはいくらでも補充が利くだろう。すでにそれらの失敗を忘れようとしているではないか。今までやってきた数々の失敗が経験を構成している。結果的に残るものは残り、失うものは失ってしまっただけか。そこで事物を破壊してしまったことが失敗と見なされ、それを再構築したくなってきて、それに向かって努力する気になれば、それはそれで失敗もそれなりに役に立っていることになるのだろうか。君はそこからどこへ向かっているつもりなのか。何をやり遂げようとしているのだろう。そんなことはわかりきったことか。誰に何を伝えようとしているのでもなく、何かを語っているつもりもなく、そんな予定調和の言説が君にはお似合いなのか。何を卑下しているのか。それが誰かの混乱した感情を示しているのかも知れず、ちょっとした理性の乱れに乗じて早く言葉を記さなければならなくなる。いったん開いたドアがすでに閉まりかけている。その間にほんの少し向こう側の風景を見たような気がしたが、もう忘れかけていて、次いで何をやろうとしていたのか思い出せなくなる。どうも馬鹿げたことを述べているように思われる。文字盤と針のなくなった腕時計を眺めながら、時間が経つのを忘れていたらしい。中身が空っぽのまま腕に巻かれているようだが、それはまるで用を為さないのに、捨てがたい魅力を宿しているようだ。百円ショップにでも寄って内部におさまる時計を探すとしよう。本気で探そうとしていないだろう。偶然の巡り合わせに期待しているわけだ。そんなものに遭遇しなければそれでかまわないはずだ。何をどうやってもそこまでたどり着くと思っている。それ以外の何を期待すればいいというのか。たぶん無駄なのにその無駄を体験したいのだろう。期待とは期待はずれを期待することか。期待はずれになってみればおもしろい。それをことさらうそぶくわけでもなく、淡々と成り行きを見守るしかないようだが、それが自分の体験として語られる段になると、とたんに力説する羽目に陥りそうだが、今はそれでもかまわないだろうか。いったいそこで何をやっているというのか。破壊と創造を交互に繰り返すとしても、それが何になるのか理解できなければ、それはまったくの無駄なこととなるらしいが、無駄でけっこうと思っているのだから、それは呆れた動作に結びつくかも知れない。何に呆れようと君の勝手だ。何やら問題意識を共有したいらしいが、それはまったく問題外のことでしかない。君にとってすべては壊れるために存在しているようだ。機械が壊れ人が壊れ社会が壊れ世界が壊れる。何が原因というわけではなく、各段階での破壊が相互につながっているわけでもなく、ただ壊れるままに壊れている。それがどうしたのか。壊れるのが嫌なのか。いったい誰が壊れているのだろう。今日もどこかで誰かが壊れている。君は壊れたくないのだろうか。誰が何を壊そうとしているのだろう。そういう言葉の循環は何かが壊れていることを正当化している。壊れかけの頭が何かを考えている。いつものフレーズがそこから生じてくる。君はそこから遠ざかる。架空の地上から飛び立ち、どこか得体の知れぬ場所へ降臨する。あり得ないことだ。言葉が君を裏切っている。何を無視しているのか。たぶんいつまでも関係のないことを述べているのだろう。君はそこから遠ざかれない。忘れた頃にまたその場所へ舞い戻ってくる。理由はわかっている。どうしても無視できない事物の存在を見届けなければならない。それも嘘の理由になってしまうのだろうか。だんだん呆れてものもいえなくなってきたようだが、やはり君はそこから遠ざからなければならないのか。ならばどうやってやめたくてもやめられない事情をねつ造できるだろうか。なぜそこまで突き詰めようとするのかわからない。どのように述べてもそんな風にしか事態は進行しないようだ。言葉が飽和状態に達して、そこで文章が行き詰まり、そんなわけで空白の時が訪れている。


9月23日

 まだ何かを語る気力が残っているのだろうか。何もないのにそれはないだろう。何について述べているのでもないのに文章が構成されてしまうのはおかしいか。さりげなく何かの影が上空を横切っている。君とは関係のないところで誰かと誰かが戦っているようだ。君がそこに関係するにはそれを読めばいい。フィクションは君の心を魅了するだろう。そんな嘘を平気でついている現状をどうすればいいのだろう。それも君には関係のないことか。述べていることが君には関係のないことだとすると、君の存在にはいかなる必然性があるというのか。何もなければそんなことを語る必要はない。必要もなく語っているとすれば、それは単なる気まぐれで述べていることか。それで話が行き詰まってしまい、また苦し紛れに虚無を持ち出してきて、それで何か適当なことを語っているつもりになれるかも知れない。だがそれでは虚しくならないだろうか。毎度のことながらもそんなことばかり語っていると、気が触れていると思われても仕方のないことだろうか。それは意味のない狂気と見なされるかも知れない。君にこの苦しみがわかるか。誰かがどこかで寝言をつぶやいているらしい。何が狂気であろうとなかろうと、そんなことは取り立てて驚くことではない。なぜならそれらすべては君には関係のないことだからだ。まったく身にしみていないようだ。語っているすべてが他人事のように思われ、そこからどのような興味にもつながらず、ただ状況に即した語りではなくなっている。さらにそこから逃げているわけだ。それだけのことでしかない。言葉から逃げるために言葉を弄している。君はそういうフィクションについてどう思っているのか。まだ意識は正気に戻ってきていないようだ。狂気を弄んでいるつもりのようだが、まったく本気になれない。それを真に受けることができない。どこで何が行われていようと、そこから遠ざかっていれば何とも思わないでいられる。そしてそれを利用して、さらなる無関係を言葉によって構築しようとしている。いつまでそれらの現象を無視していられるだろうか。たぶんいつまでも無視していたいのだろうが、それが叶うとしても、そこから虚しさ以外のどんな感覚を導き出せるだろうか。冗談でそんなことを思っているようだが、それを真に受けることができない以上、今さら何を批判しても無駄だろう。結局独我論的な言説さえも導き出せず、ただの意味不明に終わってしまいそうだが、それでも何を真に受けるわけにもいかない。そこで繰り広げられているすべては何でもないことだ。人は人でしかなく、神は神でしかない。フィクションの中ではどちらも架空の存在でしかあり得ない。現実の世界でもその大半は不在のまま、ただそれについて語られるだけであり、語られている間は何を示すこともない。いくらそれについて語られようと、実際に出現しない限り、それはいつまで経っても架空の存在の域にとどまる。要するにいくらでもあることないこと無責任に語ることができるわけだ。それらの言説の何を信用できるというのか。君はそこで何を見ているのだろうか。立ち現れた風景の中には人も神もいない。だいいちそんなのは風景ではない。模様が塗り込められた壁紙を見つめながら何を思っているのだろうか。要するに君は人とも神とも対峙できない存在になりはてているわけだ。ただ言葉を並べてそれを防波堤として活用しつつ、外部との接触を断っているつもりらしいが、そんな認識もありふれたフィクションの中に絡め取られてしまうように意図的に操作されている証か。絶えず何かを持ち出してきて、それについて語っているように装い、それらの言葉によって実際の現象から遠ざかる。それで何を述べているのかわからなくなり、否応なく導き出された意味不明を否定しつつも肯定せざるを得なくなる。はたしてそれが創造といえるだろうか。それでも何かを構築していることは確からしく、印象として何かを述べていることは確からしいが、その確からしさが意味不明なのだから、それはわけのわからない矛盾を物語っているのかも知れない。だがそこから何も出てこないのはどういうわけなのか。何が出てくることを期待していたのかわからない。何となくその辺が冗談に通じるところがあるのかも知れないが、君はそこで具体的に何を述べているのだろう。ただ矛盾や不具合を放置し続けている。何も成立させようとしていない。すべてが成り立ち得ない話だからこそ話になっていないのであり、それによってわざとらしい混乱を招いているようでいて、それが予定調和の範囲内におさまるような配慮が為されているのかも知れず、破綻を来しているようにも思われるが、それでかまわないところが調和なき調和として機能しているのだろう。要するにつまらないことを述べているのだろう。そういうやり方ならいくらでも可能なはずだ。確かにそれで継続の可能性を夢想することはできるが、実際に無内容を記し続けるとどうなってしまうのか。誰からも相手にされなくなってしまうか。


9月22日

 どう考えても関わり合いのあることではない。何となくそれについてまともに語るのが面倒くさくなる。そこで誰の意志が優先されているのでもないように思えるのだが、この世界では何が栄えて何が衰退しているのか。誰かの意識は世間の流行り廃りに興味を持っているらしい。現実に多くの感性がとらわれている。確かに何について語っているのでもなく、そういう単純な問いはくだらないと思っているだけのようだが、そこでそんなことを述べる必要性を感じないのはどういうわけなのか。どこまで述べてもどこにも至らないような気がする。それらの言説はどこかへ至ろうとしているのではなく、ただ架空の大地を彷徨っているだけなのではないか。冗談で何を述べようと、それは天から君にくだされた使命ではない。偽りの神が君に何を告げようとしているのか知らないが、その言葉を信じてはいけない。信じる以前に新たな言葉を記さなければならなくなる。要するに語ろうとしていることを繰り出された言葉が裏切っているわけだ。現実を無視しながら現実を見据えようとして、無駄な努力に余念がない。そんなわけでかなり無理なことを語ろうとしているらしく、それはいつものことだが、何かおかしいと思わないか。何がおかしいのでもなく、現実の何もかもが無視されているのではないか。それがおかしいとは思わないのか。妄想のただ中で自意識は予定調和気味にそこから遠ざかる。まだ遠ざかりきれていないだろう。近景を遠景と見間違えているのだろうか。どこの庭園のただ中にいるわけでもないが、それで何をやっていることになるのだろう。やっているのではなく、考えているのではないか。そこからどうやって文章の終わりに到達すべきか考えあぐねている。これ以上無駄で無意味な試みを続けていくと、まったく冗談では済まなくなるだろうか。すでに冗談の域を超えている。何が冗談なのかわからなくなっているようだ。それについて誰かが何かを述べているのかも知れないが、相変わらず君のことを述べているのではない。少なくとも君は何について語っているのでもない。その架空の場から閉め出されている。たぶんそれでもかまわないのだ。そこにとどまる理由など何もありはしない。やるべきことはすでにやり終えているのだから、それはそれで仕方のないことだ。だからその場から遠ざかろうとしているのではないか。さらに迂回して虚無の場から遠ざかり、どこでもない魂の不在の場所で、何を目指しているのでもないような言説を構成しようとしている。それこそ虚無の思うつぼか。結果的にそういうことになってしまうのだから、今はそれを受け入れるしかないだろう。だがそれでかまわないのなら、今度はそこにとどまるべきではないのか。とどまってどうするのだろう。気休めに何を思えばいいのか。君に託された希望などどこにもありはしない。唐突に希望という言葉が出現する意味がわからないのだが、君の影はそこから何かの隙を突いているつもりのようだ。何かの機会をうかがっているのだろうか。それは終わりへの始まりか。ならば虚無が誰かの心を覆い尽くす前に、適当な文章を構成しなければならない。しかしそこから意味が出てこない。意味が通るようにしようとしているわけではなく、たぶんわけがわからないままでかまわないのだろう。虚無はそういうあきらめの境地に至るのを期待していたのかも知れないが、それに対して罪悪感の欠片もない。いったいそれで何が申し訳ないのか。その場の気分でそんな印象もありだろう。そして何も探れなくなる。苦し紛れの安易な批判に歯止めがかからない。だが思い悩むことはないだろう。先がまったく見えていないが、見ようとしているのは誰の目でもありはせず、どこから何を眺めているのでもないらしい。それではまったく事物を捉えられないだろう。いったい君は何について述べようとしているのだろう。さっきからそんな問いかけが繰り返されているだけか。それがどうなれば他がどうなるというのか。ただ何もわかろうとしていないだけのようだ。それでどこかの振り出しに戻ってくる。誰が双六をやっているわけでもない。目の前にはどこかの夜景が広がっている。ただそう思っているだけで、何をどう思ってみても、それがその場の状況であるわけがない。困惑したくないだけで、何となく終わらないための配慮がなされている。それで何がわかるのか。誰かが楽しそうにそうつぶやくべきなのかも知れないが、とりあえずそこでは無言のままだ。楽しみは後に取っておくべきなのか。わかっているのはそんなことだ。何の感慨もない。感情がどこかへ先回りしようとしている。なぜそんなところで待ち伏せしているのか。何の到来を期待しているのだろう。彼には終わりが見えているようだ。そう思っていると気が楽になる。それは現実から逃げている証拠になるらしいが、終わらない現実がいつまで続くのか誰にもわからない。一応はそこではそういう筋書きになっている。君は本当のところを述べたくないようだ。時に流されている。時流から遠く外れている。矛盾したことを好んで述べているようだが、それがどうしたわけでもないらしい。今さらそれはないだろう。


9月21日

 迷路を進んで謎解きに胸ときめかせて、自家中毒気味にありふれた意見を述べてみる。たぶんまたでたらめなことを述べているのではないか。それらの文字列は無意味を呼び込んでいる。それで何になれるわけもないだろう。誰かは文字を連ねることによって神になりたいのだろうか。それはくだらぬ冗談に違いないが、ここに及んで空白の時を過ごしているつもりになる。文章に意味を見いだせず、そう述べている意味がわからない。君は何もできはしない。それは的外れな意見だ。的そのものが消失している。すでに気づいているのだろうか。気がつけば画面に背を向けている。背後にも視線があるらしい。誰の背後に君の視線を想定しなければならないのか。それらの謎解きは暇つぶしのたぐいか。そう述べて何を批判しているわけでもなく、また後戻りできなくなってしまったようだが、誰かはあまり気乗りしない状況の中にいるようだ。そこで架空の対話が行き詰まっている。相変わらず意識が身体から遠ざかり続けている。何か秘密があるのだろうか。苦し紛れかも知れないが、それに関しては何も明らかになっていない。君はそこから何を予想しているのだろう。また嘘でもついているのだろうか。何を予想したところで、この世界がどうなるわけでもなく、これから先もどうにもならない状況に変わりはない。高をくくっていたわけではない。ありふれた状況に即しつつ、つまらぬ冗談を述べているだけのようだが、現実の世界では何が行われているのだろう。たとえば生徒は先生に何を教えるべきなのか。順序が逆であることは承知している。またどのような理由からたとえ話を持ち出しているわけでもない。それについて考えさせるものがあるらしいが、いくら考えても何も出てこない。所詮は付け焼きの知識だ。反論されればたちまちしどろもどろとなってしまう。それで何を述べていることになるのかわからない。まったくやる気が失せている。何もたとえ話になっていない。腕時計を改造したからといって未来にいけるわけでもない。ただ時間が進んでいるだけか。時刻を合わせればたちまち今に戻ってくる。そんなのは嘘に決まっている。だが何となく雰囲気的におもしろいことを述べているような気になる。錯覚だと思っているわけか。現実と虚構の間に言葉が差し挟まれ、何となくそれで気が済んでしまう。それらの物語の中では人が殺されなければならない。なぜそれに反発してしまうのか。たいていの謎解きには殺人事件が絡んでいる。そんな冗談のついでに、小さなひまわりの花が気にかかるらしい。腕時計の革バンドが水を吸い込んでふやけてきた。もうそろそろ使い物にならなくなるだろう。言葉が内容を見いだせずに迷走しているようだ。たぶん本気になれないのだろう。馬鹿げたことを述べている自分が信じられない。冗談でもそう思いたいようだ。俄に笑いがこみ上げてくるが、それは何かのごまかしに通じるものがある。何となく停滞している。時間的に切迫しているわけでもないだろう。何が故障しているわけでもない。気持ちが逃げているようだが、考古学者は古代に逃げたまま戻ってこない。それが現代における逃避のスタイルとして定着している。そんな嘘でも冗談になるだろうか。そこで何を見いだそうとしているのか。何も見いだせないから現実逃避に向かっているのではないか。だが現実から逃げているだけでは何ももたらせないことはわかっているはずだ。そんな偽りの言説に染まりつつ、本気でそんなことを述べているわけでもないことを確信している。しかし勘に頼ってばかりでは先がない。何も展望が開けないこともわかりきっている。しかしそう述べているすべてはつまらない冗談なのかも知れず、さらに冗談である以前に戯言のたぐいかも知れない。そこで終わって誰が困るというのか。同じような製品を同じようなメーカーが売り出して、それを同じような人々が買う。そこからどのような謎解きが生まれるのだろうか。何がありふれていると言いたいのだろう。格差社会について云々している人々はくだらない。誰もが使えない人間ばかりというわけではないが、単純作業しかできない中高年を高給で雇うわけにはいかない。馬鹿げた宣伝文句で人を募集するにしても、それを馬鹿げていると感じ取れる人間がどれほどいるというのだろう。それらのすべては実態を反映していない。その辺で満足いく結果を期待しているわけがない。つまらない仕事に夢を抱くほど馬鹿になりきれない人間はいくらでもいるだろう。スポーツは堕落するための娯楽だ。政治は虚栄心を養うための見せ物か。株価の上がり下がりに一喜一憂するには理性がありすぎる。そんなわけで誰もが馬鹿になりきれるとは限らない。お笑い芸人に無理矢理笑わせてもらうには何が足りないのだろうか。君の思い通りになるにはこの世界の構造は複雑すぎるか。身のまわりに響いているすべての音を聞き取っているわけではないが、何となくそれらの音には君自身の内部から聞こえてくる沈黙の音が混じっているらしい。またくだらぬ嘘をついている。


9月20日

 人を演じているのは影ではない。本心では予定調和を嫌っているようだ。粘土細工のような操り人形は、意識がないのに良く動く。気分転換を理由に当てはめて、誰かは娯楽にうつつを抜かしているらしい。そういう語り方はよくわからない。だがわかっていることは語りづらい。わかっているのはそんなことではない。何を否定しているのだろうか。誰からも相手にされないのだろう。何とか書かれた内容に反発して、してやったりという子供じみた自己満足に浸りたいのかも知れず、今さら何をどう述べていいのかわからなくなる。何を認めたくないのだろうか。偽りの心理ゲームにでも参加しているつもりか。それが君の思うつぼだとは思わないか。見知らぬ誰かの感情がどこで炸裂しているというのか。誰でもない誰かの感情が邪悪にきらめく。そんな表現はわけがわからない。君はそこで見捨てられているのかも知れない。温度変化について行けないようだ。ならば君はいつ死んでしまったのか。それでもわけがわからない成り行きだ。何がもとでそうなってしまったのではなく、そうならない成り行きを選べなかっただけだ。だから何事もわかったふりをしてはいけないのだろうか。ますますわからない話になってきたようだ。頭の中だけで何かを語っているふりを繰り返す。ふざけるのもいい加減にしてほしいか。ならば今度は東へ戻らなければならない。どこへ向かって歩いているわけでもないが、たぶんそれが気に入らないのだろう。君はそこで立ち戻れずにいる。そんなはずはない。すでにここに戻ってきているではないか。ここまで後退してきた。退いてくる途中で力尽きて、そこで死んでしまったはずだが、面倒くさいので理由もなく蘇り、何事もなかったかのようにそこに佇んでいる。人を狼にたとえてみても何も見えてこない。それは小説の題名か何かか。冗談に持ちこたえられなくなる。人それぞれで勝手な言い分があるらしいが、時間は常に過去から未来へ向けて進んでいて、逆方向にさかのぼることはできず、人が絶え間なく移動を繰り返すと、一方的にゴミが増え続ける。核融合反応が進行すると重い物質ばかりになる。それらの間にどんな関連性が認められるのか。でたらめなことを述べているようだが、君の話をしているわけではない。君とは誰なのだろう。心は暗黒物質に魅せられているわけではない。死体も社会が作り出した製品の一種なのだろう。なるほど死体には情報が詰まっているらしいが、誰がそれを活用しようとしているのか。子供だましの謎解き探偵がマンガの中に登場している。なぜそこで謎解きを繰り返しているのだろうか。読者の気晴らしのためにそんなことをやっているわけか。君には関係のない問いだろう。君は答えのでない問題が好きらしい。答えがわかっていてもわざとそこまでたどり着かない。この世に正論などあり得ない。わけがわからないままでけっこうだ。いつまでも執行猶予中のような中途半端な状況を継続させようとしている。そんなできるはずのないことを夢想している。そこで何を計算しているのか。形式的なことを述べている。四人の英雄たちがそれを求めている。たぶんそういう曲を聴いているのだろう。ただひたすらそれを繰り返す。差異と反復を知らない言説には用はない。君は無用な人間になろうとしているようだ。どこまでそれを探求すれば気が済むのか。一向に反省の兆しがない。ならばそれを探求とは言わない。また面倒くさくなりかけている。どうしても無視できないようで、さかんにちょっかいを出そうとしているらしいが、それが結果的に墓穴を掘っていることになる。何とか具体的な反応が生じてほしい。そしてざまあみろと天に向かって叫びたいのだろうが、それが幼稚な感情のすべてか。我ながら情けなくならないか。それでは神の意志など生じる余地がない。君が無神論者である理由がその辺にあるのかも知れないが、何となく馬鹿げているように思われる。そこから内部へ一歩も踏み出せない。危険でも何でもないのにその気が起こらないようだ。若かりし頃の思い出を歌っている場合ではない。それでもなお何を許せないのだろうか。いったい誰が誰を破滅へ陥れたというのか。そういう物語は古い時代に流行していたように思われる。今は何もない。何ももたらされていない。だから総じて評価に値するような言説はない。言説以前の問題として何を説明すればいいのかわからず、何事にも本気になれない理由もその辺に漂っている。どこの誰が首相になろうとそんなことはどうでもいいことなのに、メディアはそれを断じて認められないようで、さかんに話題作りをごり押ししているようだが、何となくしらけている印象を拭えずにいる。馬鹿げた予定調和を継続させなければ、自らの存在意義を信じられなくなってしまうのだろう。しかし美しい国づくりとはいかなることだったのだろうか。教育を再生させたかったようだが、そんなことを述べていた当人がまともな教育を受けてこなかったようで、とんだ醜態をさらす羽目に陥ってしまったらしい。


9月19日

 誰かとどこかですれ違う。階段で足がもつれて冷や汗をかく。そんな体験を言葉にすればそのときの気分を反芻している気になる。それの何が楽しいのか。君が体験している現実は物語にならない。君は置いてきぼりにされているらしい。その理由はわからない。道草でも食っていたのか。草食動物ではないだろう。本当はわかっているのにわかっていないふりをしている。本当にわからないのかも知れない。焼き立ての瓦にひびが入っている。パンか何かと間違っているのではないか。あり得ない話だ。物語の続きを知りたいところか。来週になったら雑誌が発売されているはずだ。どこかで連載マンガを読みたくなっているのだろう。読んでいる途中から何かを探している。何かがもたらされているらしい。光が散乱して、見たこともない影を形作る。君のことを述べているわけではない。言葉が循環している。あり得ない言語表現かも知れない。対象としての事物が消失している。またそこから遠く離れてしまったらしい。意識が文字を記している場所を捉えきれなくなっている。それが何を語っているとも思えない。何も始まらない状態が長引いている。気がつけば何も考えられなくなっている。そこから何を否定したらいいのだろう。本気になってはいけないのだろうか。花鳥風月がどうしたというのか。そこに何か決まり事でもあるのだろうか。何となく順序を無視しているようだが、何を直そうとしているわけでもなさそうだ。国民の信頼とは何だろう。誰が誰に信頼されようとしているのか。その努力が水泡に帰さないようにするにはどうしたらいいのだろう。別に言葉尻を捉えてそれを批判しようとしているわけではない。どこかに黒幕が潜んでいることになっている。話の成り立ちが黒幕の存在を必要としているらしい。それはありふれた物語的展開だろうか。どうしても何かを操作している意志が必要なのだ。だがそんなことを語ってその先をどうしたいわけでもない。フィクションのすべては幼稚な段階にとどまっている。無理にそれをもたらそうとしているのではないにしても、すでに終わりが見えている段階で何をやろうとしているのか。まさかそこから時間的にさかのぼって過去のエピソードを持ち出す気か。時間稼ぎも甚だしい。何とか終わりを回避するために講じた苦肉の策という感じだ。ますます現世から遠ざかる。君は火の鳥を見たことがあるだろうか。不死鳥のたぐいが何を誘惑しようとしているのだろう。そこに物語が生じる可能性を探っているらしいが、地道な努力が裏目に出ている。たぶん何について述べているわけでもないのだろう。何を予感していたわけでもない。予期せぬ出来事に遭遇している気がするが、それは何でもないことだろう。まだ何も語っていないようだ。依然として無表情を崩さない。しかし雨が何かを誘っている。そんなことはあり得ない。あり得ないからこそ現在がある。もしあり得ないことが起こってしまったら、この世界はどうなってしまうというのか。それをこれから考えようとしているわけではない。何をどう考えようと、退屈な気分から逃れられるわけもない。はじめからあきらめていたのかも知れず、神は何をどうする気もなかったのかも知れない。人は人であり、人が神の姿を自分に似せて妄想している現状がある。人には理想としての人が必要なのか。誰もそんなものは求めていない。誰もが欠陥だらけのままで生き続けている。それが個性として肯定されている場合さえある。勘違いも甚だしいか。制度と制度の狭間からそこから抜け出す出口が出現するだろう。人は欠陥だらけの制度を作り、妥協の産物として利用され、足かせとなって自らの動きを制限し続け、時には感動を呼び込むかも知れない。制度を覆せば英雄として祭り上げられ、英雄と呼ばれる役割を担わされて滅び去る。馬鹿げた話に違いない。自らの栄達を求めてがんじがらめの制度を利用しにかかる。他人を陥れて自らの利益とするわけだ。奇抜な策略によって制度の矛盾を突いて儲けている気になる。要するにゲームにはまっているわけだ。他人を出し抜いたつもりになる。それはつかの間の気晴らしになっていて、それで一安心のようだ。少しやり方を工夫すれば、自分も他人も生かして、それで丸く収まったような気にもなれる。それで自己満足に浸れるというものか。役割分担という使命を課せられ、社会の中につなぎ止められて、目的に縛られた人生を送らなければならなくなる。真面目になればそうなるより他はないだろう。嘘だと思うならその仕事を続けてみればいい。君はそこで馬鹿げた終末を呼び込んでいるわけか。なぜそれを肯定できないのか。感動できなければ人生の意味を感じ取れないか。それこそ馬鹿げた話に違いない。今さら運命にさらうつもりはないが、影は何とかそこから逸脱したいらしく、さかんに感動を拒否しているようで、人々が作り出す群れの雰囲気に染まらないようにしているみたいだ。無駄な悪あがきだろうか。それでも何かを信じているようで、近い将来に社会が崩壊することを期待し続けている。


9月18日

 秋が近く暗闇が深くなる。傍らで危険信号が点滅しているらしい。何を探しているのかわからないが、なかなか目的の事物に巡り会えない。誰かの宝物を銀行の地下金庫で見つけたわけではなく、これからコンビニ強盗にいくわけでもない。ただ迷路の出口が見当たらない。夢はそれから何を導き出すのか。目的がないのに目的があるように見せかけている。そんな演技は誰からも歓迎されていない。そこから離れたいのではなかったか。静かな船出を迎える。また誰かが嘘をついているらしいが、目くじらを立てるほどの嘘ではないだろう。目を閉じれば不協和音が聞こえてくるが、それはフリージャズのたぐいか。スティールドラムの音に幻惑されているようだ。誰もそんなものに興味はない。マンガの中では大冒険の旅へ出発した一行がどこかの港から船出したはずだ。それはいつの話でもなく、すでに物語の始まりから十年の歳月が経っている。別にそれを読んでいるわけではなく、ただのあらすじが画面上に提示されていて、それについて何を思っているわけでもない。ではわざわざそんなことを述べなければいいではないか。何も考えなければ何も出てこないが、考えれば考えるほど何も出てこない。どうやら君は夢の中で辛らつな批判にさらされているようだ。現実の世界では批判に値するようなことは何も述べていないはずだ。だがそんな思いこみはすぐに裏切られる。そのことで誰も君を批判したりしない。話になっていないので批判しようがない。それで心の奥底を見透かされているわけでもなく、もはやその手の危機的な状況からは脱している。適当なところで妥協を図っているようだ。確かに音楽との唐突な出会いが話になるわけがない。それこそが唐突なことだ。何の脈絡も感じられず、話の前後がまったくつながらない。なぜそうなってしまうのか理解できない。そう述べながら現実の出会いを避けているようにも見える。何となく文章の内容が他人との交流を嫌っているように感じられる。それは誰かの自家中毒なのかも知れない。自らが内包している毒によってその身を滅ぼす。そんな風にして虚無は誰かの心を内部から蝕んでいる。表情に病的な陰りを醸し出そうとして、見え透いた演技で訴えかける。誰かに見られていると思いたいのだろう。だから必要なものまでゴミ箱へ放り投げる。それで満足している。見え透いた演技では誰も満足しないだろうが、とりあえず満足したふりをしていればいいということか。それでも君は勝ち続けている。勝っていると思いこんでいるわけか。何に勝っているのかわからないが、とりあえず勝ったふりをしている。内心は虚しいだけか。何もないのだから虚しくて当たり前か。冗談で鬱状態を再現しているだけだろう。しかしいつ君が鬱になっていたのだろうか。君の話をしているわけではない。つまらない話なら願い下げにしてもらいたい。今さらそれはないだろう。まったく話になっていないように感じられ、それ以上は何も詮索したくなくなる。スランプの時が訪れているようだ。とりあえず間がないので、つかの間を求めて右往左往している。わざとそうしているのだろう。そこから抜け出すきっかけをつかめない。演技であることをいくら明かしても、それを真に受け取るわけにはいかないようだ。そう述べていること自体が馬鹿げている。君は話の内容を把握できていないようだが、それで何を述べていることになるのか。いったい何について言及しているのだろうか。少なくともこの国の未来について憂慮しているわけではない。それは苦し紛れの見解を求めている。何事も深く考えてはいけないようだ。国際貢献とはいかなることなのか。海上で無料ガソリンスタンドをやり続けることがそうなのだろうか。その手のボランティア精神を誰がどこで発揮すればいいのだろう。悪しき慣例を作ってまでやり遂げることがそうらしい。何となく説得力を感じられない。軍事クーデターで政権の座についたパキスタンの大統領を支援することが何になるのか。民主主義とは何だろう。結果的にそれはい良い方向へ進んでいるのだろうか。眠くなるような音楽に聴き入っている。すでに眠ってしまったらしい。この世界でいったい誰がテロと戦っているのか。少なくとも君ではない。面倒くさいのだ。誰かがテロと戦っていれば世の中が良くなるのだろうか。きっと良くなるはずだ。たぶん誰かが考えている正解はそんなところにあるのだろう。君はこの世界が良くなってほしくない。向上心の欠片もない。まったく眠気覚ましにもなりはしない。そんな嘘をついている者の気が知れない。それについて占い師の見解を聞きたくなる。耳を傾ければ相変わらず誰かの歌声がしている。もういい加減にやめてくれないか。耳にこびりついて離れないのは耳垢の一種かも知れないが、何を語っているのかわからないほど遠くまで来てしまったとは思えず、無理を承知で空疎なことを平然と語り続ける。そこまで来たら大したものだ。まったく誰からも歓迎されない招かざる客となっている。


9月17日

 今さら何に魅せられているのだろう。それはくだらぬ似非哲学問答だ。あからさまな答えの出現に一瞬たじろぐが、今やそれすらも脇に追いやられ、それがいつの記憶なのか定かでない。それとは何だろう。それを今から思い出すところか。記憶は誰かを闇の向こう側へ放逐する。光に包まれた世界が懐かしいようだ。ただのかすり傷だが血が滲んでいる。誰かが見ている光景はたわいない。なぜそんな成り行きになってしまうのか。何もないのに言葉が出てくる。事物の先に虚無がある。気がつけば空疎な言葉が並んでいる。数日後には今年最後の残暑に見舞われるらしい。それが何に対して打撃になるのだろう。問題の核心がない。問題そのものを理解できず、何を問われているのかわからない。とりあえず何を述べても意味がない。そこに生じているのは本当の意味ではない。たぶん君は架空の意味を想像しているのだろう。だがあまりにもくだらぬ内容なので感情的に否定できない。まだ終末に間に合うだろうか。何を未来の人々に託したいのだろう。それは冗談のたぐいかも知れない。無駄で無意味な言葉の羅列であり、結果的には虚無の勝利だ。君の言説がどこで認められているわけでもない。たぶん世界には終わりも始まりもないのだろう。それは宇宙の始まりや終わりとは無関係であり、人間の妄想から生じている世界のことだ。個人の欲望からこの世界が生じている。そんなことがあり得るだろうか。またくだらぬ嘘をついているらしい。説明がない。説明が説明になっていないような気がする。また何かを否定している。心がそれを押しとどめようとするが、それは無理というものだろう。否定の力は文章のいかなる修正も受けつけない。そこで君は何かを問いかける。無力な存在なのだから仕方がない。また間違っているのだろうか。語り方が間違っている。否定の力を見くびっていたらしい。否定作用はいかなる事象も否定せずにはいられない。放っておけばすべてを否定してしまう。それが文章をだめにするが、それでかまわないのではないか。今は何でもかまわないのだろう。それ以上でも以下でもないわけだ。だめなことを述べている現状がある。正しいことを述べることにこだわりはない。正しいことがだめなのではないか。またいつもの意味不明な矛盾を提示しようとして、くだらぬ思惑に囚われ、この世界の本質を見失いつつあるようだが、今はそれでかまわないのではないか。何かがわざとらしく循環しているようだ。君はそうやってだめな人間になりはてた。そういう物語なら興味を惹くだろうか。だが堕落しているのは君だけではない。ありふれた人々は皆堕落している。娯楽にうつつを抜かし家族のために働いている。だがそれの何が堕落なのか。またわざと辻褄の合わぬことを述べようとしているのではないか。悪あがきの一種かも知れない。どうやらこの世界では君自身の終末が迫っているようだ。はたして終末の後に君は存在しているのだろうか。安易に終末を弄んではいけない。言葉の意味として終末を意識できなくなる。それが本当の終末ではないからか。この世に本当の終末などあり得ない。妄想としての世界には終わりも始まりもない。それが現実の世界の延長である限りにおいてそうなのだ。君はそこででたらめなことを述べているようだ。そしてそのでたらめさに甘えている。何でもかまわないと思っている一方で、思考することを放棄しているわけだ。結果的にそうなってしまうのだから、それはそれで仕方のないことか。何かを考える上で、その土台となる思想がない。それについて君はどう思っているのだろう。それを否定することはたやすい。いくら否定しても否定し足りることはないだろう。ところで何を否定したのか。確か何でもかんでも否定する姿勢を否定したいのではなかったか。まるでとってつけたような不自然さだ。述べていることがぎこちない。本当にそう思っているなら、それは嘘に違いない。考え方がそこでねじ曲がっているようだ。紋切り型の闘病生活にいそしんでいる誰かは、それが不満でたまらないようだが、そんなのも嘘に決まっている。ならばそれらの言説は冗談で満ちていると勘違いしていたようだ。今さらそれはないだろう。何事も理由をねつ造しなければならないという強迫観念は願い下げにしてもらいたい。そんなところまで面倒を見きれないか。何事も無責任な立場で言葉を連ねたいらしいが、それでは何も説得力が湧いてこないだろう。それを何とも思わないというのなら、それはそれで楽しいことではないか。だがそれがどうやって冗談につながるというのか。何が冗談なのか判然としないが、その一方で何を述べているのかよくわからない。やはり君はその辺からだめになってしまったようだ。だめになってしまったから平然とそんなくだらぬことを述べられるようになり、それは喜ばしいことかも知れないが、相変わらず誰にとって喜ばしいのかよくわからない。まだ冗談が続いているのかも知れず、それがいつまでも続いてしまって、冗談の始まりも終わりも感じ取れなくなっている。ただ何かが続いているとしか思えなくなる。


9月16日

 何か夢でも見ていたのだろうか。日付は相変わらず数日前のままだ。何の進展もありはしない。確か作り話の中では誰かが君のことを気遣っていた。それだけでは話になっていないような気がするのだが、そこで意識は何かを喪失している。何かではなく具体的に何を述べていたのか。たぶんわけがわからないだけでは気が済まないのだろう。それは見知らぬ誰かの心だったかも知れないが、誰の心をのぞき込んでいるわけでもない。また面倒なことになってきた。その誰かは心の空洞でいもしない怪物の姿でも妄想していたのかも知れない。そんなことができるわけがない。君はそんなところで行き詰まっている。休息が必要だったかも知れないが、それだけのことに時間を使いすぎだ。何か忘れていないか。遠くから微かに声がする。それは君の台詞ではない。それが誰の台詞であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいことではないのか。なぜ声に耳を傾けないのか。少し頭は混乱を来して、誰かは気が触れているように思われる。なぜか言葉が言葉を飲み込んでいる。その精神の有り様が理解できない。さらに意味がよくわからないが、気休めに言葉を繰り出しているうちに、頭の中で何かが炸裂しているようだ。その爆風で意識がどこかへ飛ばされてしまったらしい。知らず知らずのうちに誰かが用意した作り話の中に迷い込んでしまったらしい。それもあり得ない話か。それについて説明を放棄しているわけを知りたい。ただ面倒くさいだけなのか。それでは説明になっていないことは承知しているが、本当にそれだけなのだ。何を開き直っているのだろう。どうもそこでやっていたことが、何も記憶に残っていないようだが、気まぐれに何をやっていたのか。作り話の中でその登場人物が気の向くままに行動していたわけではない。ただ何かのついでにそれ風の言葉が付け足され、それらの雰囲気を言葉がなぞっているようだが、内容は何もないらしい。現実の世界では身体が心を制御できていない。まったく文章として意味を担えない。でたらめなことを述べているだけか。そんなところで話を放棄しないでほしいか。ありふれた人間はありふれたことを言う。そうでなくても人間自体が言葉としてありふれている。ならば述べている内容の何もかもが無駄なのか。言葉によって偽りの事物が無駄に生成しているのだろう。それでもそこに書き記されているのは君の記憶に違いない。物語の中では誰の記憶から何を取り出そうとしているのか。その取り出し方が支離滅裂なので物語になることはないだろう。ではそれらの記憶の断片を用いて、誰かの外部から何を操ろうとしているのか。それは身体でも心でもありはせず、そこに記されつつある文字列のたぐいだ。ではそこで何がどうなってしまったのか。なぜそこで立ち止まってしまうのか。疲れているからだろうか。神経回路のどこかが焼き付いているのかも知れない。それでも画面上には何らかの文字列が表示されている。そこに記されている文字列に見覚えはないか。何か以前読んだことのあるような文章だったかも知れないが、同じような言い回しの連続は退屈だ。頭が退屈にやられているらしい。ならばそこから別の時空へ移動してみたらどうか。誰かは自らが述べていることの意味を求めている。意味ならそこにあるだろう。だがそこから続けて述べることができない。どうやら風が止んでしまったようだ。また忘れた頃にまた風が吹いてくるだろう。そうなるまではやはり意味がない。状況の変化に頭が対応できていない。何も変わらないというのは間違いだったのだろうか。はじめからそう思っていたわけではない。変わるときはいくらでも変わるものだろう。だがそれが何を意味するのかわからない。知ろうとしていたのはそんなことではない。わかっているのはわからないことだ。それをわかろうとしていない。そして放っておけば心がひねくれてくる。無意識のうちに話のどこかで辻褄を合わせようとしている。一時的にそれが無理でないと思っている。いずれ何をどう修正しようと何も変わっていないことに気づくだろう。そのときになってそれが気に入らないと思うわけだ。まったくの予定調和的な話の展開か。だからそのとき思いもしない状況の到来に頭を抱えているわけではない。内心自らの愚行に感づいていながら、わざとらしくしまったそぶりをしているだけだ。そういうところが気に入らないようだが、君はどこからでも遠ざかることが可能なのか。いったいどこから遠ざかろうとしているのか。別に大自然が醸し出す恐怖に直面しているわけではない。言葉遣いがおかしい。まだ他者に対する気遣いが足りないようだ。そこからぐれてしまうが、群れからはぐれているわけではない。人はいつも群れることを好むが、中にはそれを嫌って孤高の存在を目指している愚か者もいるらしいが、君もそれのたぐいなのか。しかし馬鹿な冗談では何も通じない。どこへ何を通じさせようとしているのでもない。ではなぜそこで間違ってしまうのか。それは見えているものを感じ取れていないからだ。そう述べていること自体が間違っているのではないか。何となくそこで思考停止状態のようだ。


9月15日

 別にそれらの文章は意味の複数性を提示しているわけではない。気休めに記していけば、言葉はどこまでも組み合わさり、またそれに付け加えられるべき意味が適当に散乱しているようだが、それはどこへ到達するための努力なのか。文章はそこで意味を織りなさなければならない。それは何かの冗談だろう。ならば読み手が意味を決定すべきだ。今回はずいぶん投げやりに語っているようだが、語っている内容がだんだんいいわけじみてきた。何がどうなろうと本気にはなれない。たぶん今は損得勘定をやる段階ではないのだろう。それどころか未来永劫そうなのかも知れない。短期的な駆け引きが無意味だとは思わないが、長期的に見ればなるようにしかならないだろう。いくらそこで工夫を凝らしてみても、時が経てばそのとき行われていた駆け引きのことなど、簡単に忘れられてしまっているわけだ。時の経過とともに行為の重要度が薄れていってしまう。そしてそんなことをいくら述べてみても無駄か。しかし欲望とは何なのか。欲望の質感を言葉で示せるだろうか。どうも感情にまかせて突っ走ると、表現的には悪趣味もいいところだ。誰かはそればかり執拗に繰り返してきたのだから、今頃になってそれ相応の報いを受けているのは当然のことだろう。そこから嫉妬の心も生まれてくる。人はいくらでも奈落の底へ落ちることができる。君にとってそんな考えは到底受け入れがたいか。たぶんそれは考えでも何でもなく、ただの戯れ言に過ぎないのかも知れない。しかしならば何をそんなに焦っているのか。いつもそこから何かを得ているようだが、それに対してわけのわからないコメントを繰り返す誰かは、それらの空疎な文章に我慢がならないのかも知れない。だがそれは仕方のないことだ。たとえそれがマンネリであろうとなかろうと、そんなことしか述べられない現状がある。だからそれらの反応もありがたくちょうだいしておこう。現状では空虚から空疎が生じている。そんなはずがないと思うなら、それにふさわしい言葉を並べてみたらどうか。すべてがまったくの冗談だとは思えない。いくら馬鹿げていてもそれはそれで何らかの真実を含んでいるはずだ。それらの感性は何をずらしてその隙間に入り込もうとしているのか。そのいかがわしさは歴史的な実証主義とは相容れないものがあるらしいが、そんな冗談を述べていると腹が立つ人がいるようだ。そして何とか下世話な話題を持ち出そうとする。格好つけているんじゃないということか。だがそこから繰り出される紋切り型のルポルタージュには魅力を感じない。結果的には無難なアートとともに誰かの人格が成り立っているようだが、それを危険だと勘違いするところから芸術が生じていることには、わざと無関心を装っているのだろう。しかしそれならば芸術とは何なのか。そんな問いに意味があるとは思えない。意味などわけがないだろう。だがはじめから意味を求めているわけではなかったはずだ。ではなぜそこに生じている制度から逃れようとしているのか。しばしば君はそれが自由だと勘違いしているようだが、実態としてはそこから逃れようとする限りにおいて制度にとらわれていて、それらの文章に意味を付与することが制度だとは思わないが、そこで述べていることが破綻している現実に気づかない。何がそこで矛盾しているのだろう。わかりきったことを訊かないでほしいか。気がつけば時計の針がどんどん遅くなり、ついには止まってしまったようだ。電池がなくなったわけではないとすると、機械そのものに故障を抱えているということか。それでもそこで時間が止まったわけではない。それは当たり前のことだろう。君にはそれが何のたとえになっているのか理解できない。述べている途中で心が外れてしまったようだ。いくら思考を巡らせてみても、一向に言葉が意味に突き当たらない。意味不明でないことは確かなようだが、とりあえず冗談ではないと思っているだけか。ならばその程度の思考力で現実の何を捉えられるわけもない。そして何となくその辺で面倒くさくなってきたので、君はそこで目を覚まし、時間が深夜のまっただ中にあることに気づく。いったい夢の中で何を考えていたのか。それは誰からの嫌がらせだったのか。君の亡霊はいつまでも誰かにつきまとい、忘れた頃に蜂の一刺しのごとくに攻撃を加えてくるようだが、それでどのような結果を期待しているのか。何を強がってみても、人間としての業がそこから生じてきて、それと似たような反応しか示せないことは明らかなところだ。何をどのように結びつけてみても、言葉以外の何が示されているわけではなく、その言葉を受け止める側に未来が託されている。感情的な側面ばかり強調しても、それはそれでそんな文章として解釈されるだけだ。何がそこでの不具合を解決してくれるわけでもなく、かえって亀裂が深まってしまうこともあり得る。それが望むところだと思うなら、そのままそんな調子で話を進めてゆけば、そんなことに興味を抱いている人たちが集まってくる。


9月14日

 相変わらず気分が天候に左右される毎日を送っているようだが、虚無がそんな嘘に動じる気配はない。至って平静を装い、何に関しても無関心でいられるらしい。たまにはそんなはずはないと思いたいのだろうか。架空の眼に何が見えているわけもなく、そこからまなざしが対象に向かって延びている気がしない。それでも何かが網膜に映っている。それでも嘘のたぐいか。たぐいではなく本当に嘘なのではないか。だがそれでは退屈を紛らわすことはできないだろう。思考が及ぶ範囲を広げないと、同じようなことしか述べられなくなる。たぶん誰かはそれでかまわないと思っているのだろう。影はそれが気に入らないらしいが、誰かの意識は誰の思い通りにもならない。何を思うまでもなく、文章として記されているそのすべては劣化しているようだ。感性が摩耗していて、何も感じられなくなっている。それでも言葉が循環しながら空白に降り注ぎ、何やらわけのわからぬ文字列を構成している。世界の隅々に配置された人々は何に興味を抱いているのだろう。いったい誰によって人の意識は配分されているのだろう。神でなければ他に誰がいるというのか。まったく冗談にさえならないことを述べているようだ。それを本気に理解してはならない。冗談でなくともすべては冗談の範囲内で述べていることだ。その対象となっているのが、君の周りを取り巻いている虚無それ自体なのか。しかしそれの何を虚無と見なしているのだろう。それは事物であり情報であるだけでなく、それぞれがそれぞれに他の誰かの思惑によって操作されているように感じられ、それを行っている者の正体が神だと見なしてしまえるのだが、君は神を信じない。ただ理由もなくその存在を拒否している。ではそれがその場に生じている冗談のすべてなのか。神という言葉は冗談で使っているわけか。何も冗談になっていないような気がするのだが、そこからどうやって冗談に結びつけるつもりなのか、その辺が理解の範疇にないようだ。常に言葉が何かから逸脱している。そしてそれを意識する度に疲れる。すでに眠たくなっている。それを催す原因は無駄に言葉が詰め込まれすぎているからか。もはや文章とはなりがたい。意識は自然の鼓動に同調している。何かが音を奏でているようだ。音ではなく調べか。旋律の理論に適合しないから雑音に近い。それで救われた気分に近づけるだろうか。指先がプラスチックの表面に触れているうちに何を感じ取れるだろうか。それは冗談ではないのかも知れず、ただの感覚に過ぎず、言葉になるような現実ではない。心が虚構を受けつけなくなっている。言葉が構成するフィクションに反応しない。だがそれでもやることはわかっているようで、何かの巡り合わせの結果として、君を無視しながら文章が構成されている。そしてまたもや自己言及に行き着いている。業を煮やした影がその場に何もないことを物語っているつもりだが、本気に受け取れない雰囲気がある。しかし冗談ばかりではつまらないだろう。川は流れ時も流れ、場所も心から遠ざかろうとしている。要するにそこへとどまれないということだ。どこまでも遠くに流され、意識を解体する虚無の作用が優勢となり、乱雑さが増大して、やがてすべてを忘れてしまうだろう。自らが語っている内容をまったく理解できなくなる。はじめからそうなのではないか。過去の思いがそこで消失しているようだ。すでに感じ方が当時とは異なっており、当時の意識から導き出された顔はどことなく苦しがっているように感じられ、何やら引き潮に乗って沖へ流された溺死者のような風貌を思い出すが、それが何を意味しているわけでもなく、やはり何かの冗談からありもしないことを語っている誰かがそこにいるような気がして、思い出ではなくねつ造の趣をわざと醸し出しているようで、それが何の気晴らしにも結びつかず、かなり常道を逸脱して横道から獣道へと入り、まるで行方不明者のような気分を空想している誰かの姿をなぞりながらも、そんな嘘を真に受けようとはせず、ただその場の雰囲気をかき乱すようなことを述べている。そこから何を悟ることになるのか。何を予想しているわけもなく、どうなるべきか考えを巡らそうにも、そのとっかかりから躓いているような気がして、それに関する情報が頭に入ってこない事実を認めざるを得なくなる。そんなのも嘘のたぐいか。まだ直面している現実から逃げているような気がする。すでに君はそれ以上のことを述べているはずだ。それが作業の成果として提示されている。誰がそれを示しているのか知らないが、それを邪魔する者などいはしない現状に気づくべきか。いったい影はどこで何をやっているのか。何の出現を阻止しなければならないのか。睡魔の助けを借りなければ何もできない。だから今はそれくらいで妥協する必要があり、言葉を使って何らかの意思表示が為されている状況を受け入れるべきだ。眠気が途切れ途切れにやってくる合間に思いついたことがその場に表示されているわけで、それを隠蔽する理由はどこにも見当たらない。黙殺したければしていればけっこうなのだろうか。


9月13日

 まだ煮詰まっているのだろうか。おそらく文章を書く才能がないのだろう。気休め的にいいわけを述べるとすればそうなる。まったくこの世の何を馬鹿にすれば気が済むのかわからない。泥水の中を何が泳いでいるわけもなく、たぶんそれはいつの話ではない。そういう語り口が気に入らないようだ。何も思わなくてもいつものように時が流れ、夕闇が迫る頃家路につき、そんな嘘を振り払う気がしなくなり、何につきまとわれているわけでもなく、他の何をどうするつもりもなく、誰かは決まって夜に語り出す。当然語っている内容に君は含まれず、他に時間がないのだから仕方がないということで済まされる。書きかけの文章にはこだわりが感じられない。個人の意志を反映していないのかも知れず、無理に話の辻褄を合わせようとしていないようで、支離滅裂をそのままさらけ出している。何が面倒くさいのか、あるいは何をそんなに戸惑っているのだろう。文としておかしいことはすでにわかっているはずだ。苦しみぬいた結果として出てきたものがその程度ではがっかりだ。だが苦悩が永遠に続くわけがない。苦悩が終わる以前に命が尽きている。どのような経緯でそこへ至ったのか知らないが、烏龍茶だけでは体に堪える。ジャガイモの油揚げを食べながら、苦し紛れに関係のないことを述べている。そこに言葉を記す場所が残されているとは思えない。このまま同じようなことを延々と述べ続けるべきなのか。誰に何を尋ねているのだろう。偽りの悩みでは心が動かない。別に何を動かそうとしているわけでもない、という嘘も受け入れられない。ではどうすべきなのか。そんなことを述べているうちに、何かが煮詰まり続けて固形化してしまったようで、何かがどこかにこびりついて、その汚れが取れなくなっている。今は修正をあきらめて、それらの不自然な文字列を眺め続けているようだが、それについて何も感慨を抱けないことをいぶかしく思う。でたらめな話の中で何を思うだろう。まだ冗談の続きが残っているのだろうか。君には関係のないことだ。まったくつながらない。情報伝達がそこで途絶えているのかも知れず、それについて君は何も思わない。状況が君の言説を必要としていないのかも知れない。君はそのとき何を期待していたのか。そして今は何を忘却すべきなのだろう。それにしても数日後は暑すぎる。唐突に不安を抱いている。言葉になりようがない。心は虚無の支配に浸食されている。そんなはずはない。眠気を振り払うのがやっとで、他に何をやろうとしているわけでもない。そんな時間帯もあったらしい。何がそこでの事件となりうるのか。それは事件ではなく事故のたぐいか。まるでとってつけたような理由がほしいところだが、それは何をやるための理由になるのだろうか。やる気がないのに何をやろうとしているわけでもないだろう。そこで時間が途切れ途切れの意識を置き去りにして、どこか遠くへ流れていってしまう。それもそんなはずがないだろうか。そこで君が何を思っても無駄か。君の思惑を無視しして、言葉も君を助けようとしない。君が君でないような気になるのは、君に課せられた使命が君を裏切っているからか。なぜそこから遠ざかれないのだろう。何から遠ざかろうとしているつもりなのか。また遅れてしまいそうだ。時間を取り戻せない。それは君の時間ではない。それでも君はこの世界の存在を認めなければならず、自らが生きているのでも死んでいるのでもない、と思いたくても思わせないような何かに注目しなければならなくなる。それが今直面している現実なのだろうか。ならばもはや命脈は尽きているのではないか。なぜそう思うのかわからない。それは単なる言葉のあやかも知れず、使っている言葉の意味がわかっていないことも相まって、その場にさらなるでたらめが醸し出されようとしているらしいが、それでも何かを語っているつもりになれるだろうか。ただわけがわからないだけでは物足りないか。それを回避したければどうすればいいのだろう。直面している状況をどうしようというのか。誰の指図も受けつけないような成り行きに未来があるわけがない。別に催眠術にかかっているわけではないが、意志とは無関係に勝手に適当な言葉を記している。そうまでして言葉を連ねたければ、そんな現状を認めるべきか。それを認めたからといって何がどうなるわけでもない。今現在の状況がそうなのだから、そこからいくら遠回りしようと、今を超えた地点にたどり着くことはないだろう。しかし今の何に興味を抱くべきなのか。通りには人がまばらに立っている。あてもなく歩いているのかも知れない。何が目的だとも思えない。誰が君に話しかけようとしているのか。そんなことはあり得ない話か。君はただの亡霊だ。その姿が人の目に見えるはずがない。当初はそういう話ではなかったはずだが、現状の何を捉えることもできず、気がつけば文字を記す指先を眺めているだけの状況だ。だがそれで何に気づいたことにもならず、その場の殺風景を認めようとしないばかりか、進んでそれらの殺風景の一部になろうとしている。本気でそんなことを思っているのだろうか。


9月12日

 話はそこで終わらない。他の誰かに気を遣っているのだろう。ありふれた言葉が並んでいる。無理に続けようとしてもそこで行き詰まる。体調が思わしくないようで気分が悪くなる。それは昨晩のことだろう。それで何を否定したいのか。まだ何も話していないような気がする。架空の人格に含まれるそれぞれの意識がそれぞれに思いを抱いているらしいが、それが文章に反映されることはない。たぶん君には関係のない思いだ。結局どこから遠ざかっているわけでもなかった。死に至る病を患っている人には希少価値があるだろうか。しきりにがんと共に生きようとしているらしいが、それは誰に勇気を与える試みなのか。だがそう述べて何を問うているわけではない。世の中にはそういう成り行きの人が多いのだろう。今の君には関係のないことか。一時落ち込んだの体調は幾分持ち直している。一応は回復傾向のようだが、作業が進む気配は一向にない。何も思いつかない時間帯に入っているようだ。そんな現状認識にそれほどずれはない。そして本当にお別れの時間が迫ってきたようだ。今さら空を引き裂いて救世主が到来するとは思わない。それでも変わり身の速さは天下一品か。まだ秘密を知られているわけではない。隠し持っているものがそれほど有効だとは思わないが、少なくとも気休め程度の効用はあるらしい。偶然の巡り合わせが現状を混乱に陥れる。成り行きが期待を裏切っている。気力を振り絞って不具合を是正していかなければ、本当に終わりとなってしまいそうだが、今はそんな成り行きになってしまってもかまわない。それどころか執拗に終わらせようとして、何も施そうとしない。何もできないといった方がより現状に近い。今操作しているそれは万能の機械なのか。物語の中で誰が何を語っているのだろうか。様々な言葉が弾け、あらゆる方向に飛び散ってゆく。君はそれが罠だと知らずによけて、別の方角を見つめているようだが、周りを取り巻く風景の中で、何に興味を抱いているのだろう。それは物語が作り出した架空の風景だ。言葉が何かをねつ造している。君にはそう見えているらしいが、それが罠だとしたら、君の心象風景は誰によってもたらされているのだろうか。あるいはまったくの見当違いか。本当に眠たいのなら眠ってしまえばいいだろう。一つとして不完全の汚名を晴らす材料はない。そこで何が汚されているのかさえわからず、何に向かって努力しているのかさえ定かでない。まったく無関係な複数の文章を一つに統合して、それで何か述べている雰囲気を形成している。本気でそう思っているのだろうか。わからないがそう思っているのなら、それでかまわないのではないか。何の評価にも値しない試みなのだから、それはそれで当たり前のことだ。どこへも持って行き場のない文章なのだろう。だがそれで何を実現したつもりになれるのか。言葉の連なりは何も語りはしない。ただ連なっている以外に何を示しているのか。誰に読まれることもよしとしない。読む以前にまったくの出来損ないのように見える。読むに値しないばかりか、文法的に間違っているのではないか。だがそれがどうしたのだろう。わざとそう述べているとうそぶくつもりか。回りくどすぎる。いったい何について述べているのだろう。まだやる気になっているのだろうか。なぜそういう方向で話がまとまろうとしてしまうのか。まだ疑念の噴出が止まらないようだ。放っておけばいくらでも出てくる。それは際限のない疑問符の連続になる。そこから何歩先にも躓きの石が転がっていそうだ。それが罠だと勘違いするほどのことでもないだろうが、そこでわざと躓いて転んでみせるのもありがちな成り行きか。誰に注目されたいのかわからない。たぶんそのぎこちない動作には尾ひれがついて、大がかりでわざとらしい演技を伴った躓きを連想させてしまう。誰かは何事も大げさに見せないと気が済まない体質のようだ。そこまで来てしまったのだから他にやりようがなく、それなりの後始末をつけなければならなくなり、君はそこで必死になって具体的な事物について語ろうとするが、何もないのにできるはずもなく、挫けてしまってふてくされている。そして破れかぶれの雰囲気を醸し出して、その場をごまかそうとしているようだが、冗談はもう打ち止めだ。結局誰かに読ませられるような代物ではなくなり、いつもの意味不明でそれをいいわけとして活用したいらしいが、やればやるほど虚しさがこみ上げてきて、そこで行われているつもりの言葉のパズル遊びも、最後のひとかけらが合わずに苦悩している。はじめから完成できない文章だったのではないか。何をどう語ろうと、それが何について述べているわけでもないという点において、そこまで述べてきたすべてが否定されてしまい、そこからどのような修正も受けつけないような言葉の連なりを呈していることに気づかされ、もはやあきらめること以外にどうすることもできず、そうかといってあきらめてしまったらそこで終わってしまい、そこから先に言葉が続かなくなってしまうわけだ。


9月11日

 誰かの口から手短にドラマが語られ、それに関する心理ゲームが発動する。君たちは誰にかによって何かを見せつけられている。しかし何が語られようと馬鹿げている。そこには言葉以外に何もない。たとえば教育が再生したらどうなるのだろうか。何かそこに目的らしきものがあるとは思えない。手探り状態で冗談のたぐいが語られ、それに関して実感が何も湧いてこない。なぜそれほどまでに自由民主党なのだろう。人が変われば社会も変わるのだろうか。君はどこまでも政治的無関心を貫き通す。たぶん感情的になれないのだろう。相手をやっつけた気がしない。それは勝負ではなかった。通常の職務を遂行しているだけか。そこに至る前になめてかかってしまう。理論家が空想に耽っていてはまずいらしい。それはガラス瓶ではなくペットボトルだ。状況は最悪の結果を招きつつあるのだろうか。絵にならない構図かも知れない。だが今はそれを生かさなければならない。まったくのでたらめだが、何に反感を抱いているわけでもない。このままでは何もできなくなってしまうだろう。そんな嘘は通用しない。ではなぜそこから遠く離れてしまったのだろう。君は成功することを目指しているのではない。ただそこから遠ざかろうとしている。なぜそうなのかわからないが、とにかく遠ざかろうとしている。この世界から遠ざかりつつある。机の上が雑然としていないか。その調子で行く先も告げずに出て行くと、冬空の下で凍えている。それがいつの話なのかわからない。ひらめいた言葉は現在の時空からかけ離れているようだ。傷だらけの風情が気に入っているらしい。たぶん時間調整が利かないのだろう。ブレーキがどこにあるのかわからない。それらの夢は幻を形成している。嘘なのかも知れない。君は勝ち馬に乗ったつもりだろうが、焦りの色を隠せない。何が安定に向かっているはずもなく、やがて幻滅の時が訪れるだろう。遠からず失速するはずだ。そこには埋め合わせることが不可能な亀裂が走っている。青の風景は竜の到来を待ちうているわけではない。誰かが君を守っているような気がしてくる。だから机上の空論でもかまわないのか。理由になっていないが、そのときはそれでかまわない。わかりやすい展開を求めているとは思えない。誰もが過ぎ去ろうとしているのだろう。時が過ぎ去り人が過ぎ去り時代が過ぎ去る。やがて誰もいなくなってしまうだろう。予言が誰に向けられているわけではなく、誰に対して予言が告げられているわけでもない。それがすでに予言でなくなっており、現実をそのまま反映した言葉の連なりになっている。今や君が逃れようとしている世界の出口は完全に閉ざされている。引力が強烈に作用を及ぼしていて、誰も出口までたどり着けなかったようだ。だからこの世界で願いを叶えようとは思わない。それは誰の願いでもなくなってしまう。外へはみ出ることすらできない。決められたレールの上を一定の速度で移動してゆく。何について語っているのだろう。妨害が入っているのかも知れない。何のための妨害なのかわからない。それがなければ今頃はどこをほっつき歩いていることになるのか。何をやっている気にもなれない。幽体離脱のたぐいかも知れず、部屋の中には天井から君自身を見下ろしている君がいるらしい。それに関して科学的には何が証明されているのか。体に悪いのはアルコールのたぐいか。何を過剰に摂取しているのだろう。意識がそこまでたどり着けない。他にも何かがあったはずだ。そこに至っている理由が見当たらない。もっと忙しくなってほしいようだが、なぜそうやって現実を忘れようとしているのだろう。まだブレーキがかかっている状態だ。すでに心は虚無に引き寄せられている。何も見いだされないことに魅力を感じている。精神的に持ちこたえられそうにない。人ぞれぞれでそれに対する感じ方にも程度の差があるはずだ。真摯に耳を傾けるつもりはない。受け止め方にも考え方にも違いがある。その場合は誰の人格を利用すればいいのだろうか。他の誰を陥れるつもりで話を進めているのだろうか。まさか命がけでカードゲームに興じようとは思わないか。それはわざとらしい支離滅裂だ。もはや手の施しようがない段階まで来てしまっている。まかり間違ってもそこからの大どんでん返しはないだろう。だから安心してつまらぬ戯れに興じていられるのか。本気になれない原因がその辺にありそうだが、誰が本気になろうとしているわけでもないことも確かだ。この世界では本気になってしまった者から去ってゆく。人は永眠するためにのみ生きている。しかし誰に気を遣う必要があるのだろうか。雌雄はすでに決しているのではないか。誰もそこから浮かび上がれない。すべての人間がおぼれかかっている。空気が酸素不足なのかも知れない。それは君に課せられた使命ではなく、思い当たることは何もない。君は誰のために生きているのだろうか。自らの影のために深呼吸が欠かせないようだが、それで君が生かされているとは思わない。すでに影は死に体か。


9月10日

 寝ぼけ眼でどこかを見ている。まだその段階ではなかったようだ。他の誰かに順番が回ってきたようだ。瞬きしているうちに何がもたらされるのだろう。なぜそこまでやる必要があるのか。何をやろうとしていたのか忘れてしまった。そんな台詞は聞き飽きている。もはや台詞でさえない。言葉を発する前に沈黙が訪れる。ならば君はこの世界に何ももたらせないだろう。それも毎度のことだ。そこで行き詰まるのにも飽きている。現状において何をしくじろうと、そこからこの世界が始まる。世界は君の外にある。君がこの世に存在している理由はない。だがあの世にも存在し得ないとしたら、君の存在はどうやって証されるのか。実際はそうではないと思う。誰が何を証そうとしているわけではなく、そのような行為そのものが不在なのだから、従って何も証されない。実際に何がどうなっているわけでもないらしい。ただあるがままの現状がそこにある。だから何も証しようがない。自らによって繰り出された言葉が自分自身の思考が反映されるのを拒否している。しかし君のいわんとしていることがわからない。要するにタリバンもアルカイダももう少しリラックスしなければならないということか。どこからそんな見解を持ち出してきたのかわからないが、まったくの無関係だ。君の変わり身には意味がない。それらの言葉はこの世界と何の関わりもなく、ただ適当に連なっている。たぶんそれは嘘に違いないが、成り行きの必然性を求められない。意味がないだけではないか。そしてそこから立ち直るきっかけがつかめない。ならば無理に立ち直ろうとはせず、そのまま貧窮の時をやり過ごしていればいいのではないか。誰に向かって物申しているのだろう。誰でもなくても、それはそれでかまわないのか。ではなぜ気休めを求めているのか。誰がそれを求めているのだろう。たぶんそれとは無関係に意識は過去を思い出しているのだろう。そうしているうちに何に反抗しているのかわからなくなる。何かに逆らって言葉を繰り出している現状が馬鹿らしく思えてくる。できることならそのときを思い出してほしいか。だがそれで話がどうなるというのか。聴いているそれらの音楽が現状を反映していないということだ。夢とはそういうものだろう。だがそれは誰の夢でもなく、夢という言葉によって何か得体の知れぬ成り行きを空想したいだけなのではないか。文の内容に整合性が欠けている。ならば誰の名前をノートに書き込みたいのか。そんな話もあるにはあったが、死に神にはそれとは別の思惑があるらしい。名の知れぬ誰かは人の生死などに関わっている暇がないのかも知れない。いつもせわしなく動き回っているが、仕事がはかどっているとは思えない。たぶんそんなことに関心はないのだろう。気晴らしや気休めだけではどうにもならない疲れを覚える。何かに追われているのだろう。余裕を感じられないので無意識のうちに閉じこもろうとしているが、閉じこもる場所がない。君は甲殻類ではなさそうだ。そこで何を語っているのか知らないが、たぶんそれは誰の話でもありはせず、ただ閉じこもるのが面倒なだけではないのか。とりあえずその辺の事情は、主観に訴えかければいろいろな見解が導き出される。ただそうではないと思いたいだけか。君は相変わらず現実逃避に余念がなく、言葉の使い方も間違っている。やり過ぎているのだろう。それは映像表現のたぐいだろうか。冗談が過剰に生じていて、それにつられて瞳孔が開いている。わかりにくい文章表現だ。どうせでたらめなのだから、わかってもらわなくてけっこうか。理解する手間を省いているようだ。それですっきりするはずがない。どこまで自己流を貫き通せば気が済むのか。身勝手にもほどがあるだろうか。だからいつまで経ってもお手並み拝見とはならない。何が作り出されているわけでもないが、何がどこから生じているのだろう。人知の及ぶ範囲には何もありはしない。偶然が君の心を蝕んでいる。言葉が摩耗しているらしい。だが自業自得というわけでもなく、誰が招いた災禍でもないだろう。いきなり終わってしまうとも限らないが、誰がそんな展開を予想しただろうか。だからまだその段階ではないと述べていたではないか。痛し痒しでは何も示せない。水分の補給が足りないのだろうか。砂浜に波が打ち寄せている。言葉に病などありはしない。良い面と悪い面を足して二で割ってみても結論は出てこない。たぶん冷房が寒すぎるのだろう。それで何を理解しているわけではない。でたらめの限界を超えている。感覚が鈍い。疑問はいつも遅れてやってくる。その辺のさじ加減を忘れていた。今となってはもう手遅れだ。それでもまだ機会が巡ってくるのだろうか。気休めの時間がやってくること願っている。もう何も考えなくてもかまわない。何を肯定できるわけもない。導き出されているのはただの文章なのだから、あとはそれ読めばいいだけか。読んで納得するかどうかはともかく、美的なこだわりを後生大事に抱えていると、それがもとで破滅するだろう。


9月9日

 現状のとりとめのなさに打ちのめされる。別に息を潜めるような状況ではないが、さっきから何を押し黙っているのか。いくら急かしても何も出てこない。文章の行間から漏れる雰囲気は、期待はずれの様相を呈している。誰かの意識はそこから何を連想しているのだろう。たぶんそこで意味がわからなくなる。また嘘を記してしまったのならそれでもかまわない。言葉を書き記しつつ誰かにとっては、言葉なら何でもかまわないのだろうか。何を組み合わせても、そこに生じる意味の存在も無視している。闇の中に誰が潜んでいるわけでもない。何にうちひしがれようと、それほどふさぎ込んでいるわけではない。それらの労苦はいつか報われるだろう。言葉によって何を実現させようとしているのでもないにしても、嘘でもかまわないから少しはねぎらいの言葉を期待してもいいのではないか。もちろん本気でそう思っているのではないが、何となくそこから醸し出される否定体質を肯定してみたくなる。本当は冗談ではないのだろう。誰かは別の場所でしばらく考え事をしていたらしい。気のせいかも知れないが、秋の気配を感じている。少し早まってきた日没の時間帯に、くすんだ情景を眺めているつもりになる。エレベーターは五階で止まったまま動かない。十三階段の先に見えない階段が天へと延びている。誰かは首をくくる場所でも探しているのか。話の展開が早すぎる。何を途中で省略しているのか。俄には省かれるべき言葉を想像できないが、意味不明な妄想が誰かの心を脅かしている。それが冗談だと思われる。笑いをこらえたついでに妄想の内容を知りたくなるが、そんなものなどどこにもありはしない。そこで書き記しているそれ自体には何も含まれず、それらの文章は空疎な無内容を反復しているだけだ。それが何を脅かしているのでもない。たぶん何かの勘違いなのだろう。ただ言葉がつながらず、話を構成できないようだが、それでも自然と言葉が湧いて出る。要するにまったくのでたらめに違いない。見上げれば壁伝いに蜘蛛がこちらへ近づいてくるが、その小さな虫に何の脅威を感じることがあるのだろうか。しかしそれを省けば他に何があるというのか。何を苛立っているのだろう。今日も誰かがどこかから言葉を発しているらしい。遠すぎて顔が判別できない。それは顔ではないのかも知れず、何かの立て看板の可能性もあるが、たとえそれが工事中の看板であろうとなかろうと、顔のない君にとってはどうしたわけでもないが、そこから発せられているつもりの彼からのメッセージとは何なのか。携帯端末が表示しているそれらのメールは、盲目の君に何を伝えたいのか。それが何のためになるというのだろう。読んでみれば期待はずれだろうが、それをどうしようというのでもない。麻疹の一種だろう。誰もが一時的にうなされる。たぶんそこで何をためらっているのでもないらしい。誰かの秘密は隠し通されるべきなのか。それが秘密でなくなれば何の価値もありはしない。だからいったん公開されたただの情報に値打ちはない。君はまた嘘をついている。影はいつまで経っても現実の世界に戻ってこない。誰かが虚構を作り出している間に、行方知れずになってしまったらしい。数日後の空は晴れているようだが、いつまで経っても何もわからない。わからない状況を変えようとは思わない。たぶん他に記すべき言葉が見つからないのだろう。もう夏の蒸し暑さはこりごりだ。ならば後は秋になるだけだ。それとこれとは無関係だ。わかっていることをいちいち述べている場合ではないか。しかしそれ以外に何があるというのか。それがわからなければやめてみよう。ますますわからなくなる。何を感情的に反抗しているのか。冗談で述べているわけではない。何かを意識せざるを得なくなる。そんな表現はおかしいだろうか。今となってみれば美しい国とはいかなるものだったのか。なぜなのだろう。何がおかしいのか。何もおかしくはない。それが当然の成り行きなのだ。君は何を焦っているのだろう。それらの感情的な反応に感動しているのだろうか。そこにも意識があり、そこから人間らしい感情が生じていることに感動しているわけか。何とかしてその場を荒らしたいのか。それもうなずける話だ。狭い範囲で何かを主張している。それはどういうことなのだろうか。どういうことでもないのはわかっているはずだ。何を語っているわけでもないのもいつもの通りか。何となく難しい局面を迎えていると思っている。だがそれで何がどうなるわけでもなく、過ぎたるは及ばざるがごとしのごとく、過剰な言葉の噴出によってくだらぬ言説を維持継続しようとして、どうもそれを肯定したい気になっているようだ。要するに戯れ言でしかないだろう。そんな成り行きに頭が対処できない。何を動揺しているのか。何ももたらせないことに腹を立てているのか。だが何に憤ってみても仕方がない。現実に何もないのだからどうしようもない。どうしようもなければそこで終わらせたらどうか。それは価値のある提言だろうか。たぶん何を述べているのでもない。


9月8日

 何となく文章のつながりが難しくなってくる。いつまでもとりとめのない思いにとらわれているようで、誰もいないのに架空の誰かを引き留めようとしている。それはどういうことだろう。わざと矛盾させているみたいだが、意味が通らないのは毎度のことか。彼らは何と戦っているのだろう。見えない敵という敵がどこに潜んでいるのだろうか。ただわけがわからないようだが、それらの戦いに決着をつけようとしているのではない。できるだけ長引かせて、戦いを楽しんでいるのではないか。現状では決着などつけようがないだろう。もはや戦いに決着がつくのはフィクションの中だけか。それの何が気に入らないのだろうか。そうでなければどうなるというのか。確かに何もないだけでは話にならない。しかし何を思い悩んでいるのだろうか。誰が何を述べているのか。意識と自覚がない。自らが何を見聞しているのかわからなくなる。見たまま聞いたままの言葉を書き留めているわけではないが、おかしなことを述べて他人の気を引こうとしているわけではない。しかしかなりおかしい。でたらめに言葉を並べて文章が成り立つわけがない。それに関して何を考えているわけでもない。別にそんなことはどうでもいいことだが、何について何を述べたらいいのかわからない。誰かが君を呼んでいるようだが、それを無視してさらに道のない荒野を進んでいるつもりになる。現実からかけ離れた話だ。説教師には心が読めない。それは誰の心でもないから読めないのか。しかし何を張り切って演説しているのか。血気盛んな若者など少数派に過ぎない。この世界には何ももたらされない。それを大前提として認めなければならない。それは呆れた見解になるだろうか。わざと間違ったことを述べている。だがそんなことに気を遣っている暇はない。何に満たされているわけでもなく、水位が以前より上昇しているとも思えない。大雨の予感がしていたのは数日前のことだ。それから何日が経過したというのか。だが誰の心配が杞憂に終わったわけではない。君にとっては無関心なだけだ。その予感が当たっているか否かは君にとってさほど重要なことではない。時計の針が正常に動いていようといまいと、誰かの感覚は時とともにそこから遠ざかり、ただ忘却を利用して何事もなかったことにしてしまう。そういうやり方が我慢がならないようなら、出来事が起こった後の事後記入表でも作って、時間ごとの経過をそこに記入してみればいい。そこから何がわかるというのか。ただ怠けていただけでは済まぬ問題も浮かび上がってくるだろう。空に雲がせり上がってくる様を眺めていたのはいつのことか。またそれとは関係のないことを述べているらしいが、そこに何か問題があるとは思わない。そう思ってしまうことが問題なのだろうか。考えている内容が支離滅裂だ。まったく話になっていないようだ。脳裏をかすめている記憶を取り出せない。そんな話ではないはずだ。たぶん嫌がらせは嫌がらせを続けている本人を苦しめているのだろう。そのくずのような人格から悲惨な言葉が絞り出される。それで何を述べているつもりになれるのだろうか。くずにはくずがふさわしく、くず同士で意気投合したいのかも知れないが、そのすべては架空の域を出ない話となっている。なぜ人間はその程度の範囲でこじれてしまうのか。単に馬鹿なだけでは気が済まないようだ。君はそこから遠ざからなければならない。些細な感情の行き違いから亀裂が深まる。馬鹿げた冗談の応酬から気まずい雰囲気がもたらされる。誰もいないのにそんな言葉が響き合う。他に響いてくるのは屋根を叩く雨音だけか。それらの現実は冗談にもならない成り行きを構成したいらしいが、まったくわけがわからない。無理に語ろうとしているのがいけないのか。わかりきったことを述べないでほしい。とりあえず攻撃の対象となる架空の相手を想定してはいけない。しかし何が架空なのか。架空でなければならない理由があるのか。それはセンスの問題だろう。また外れているようだが、何が外れているのだろう。自問自答で何がわかるというのか。出てくるのは答えでなく、あくびばかりのようだが、眠たいことが何の理由になっているのか。眠たくなるようなことばかりを述べている。それは君の言説ではない。無理矢理繰り出された言葉がきしみをたてているようだ。それで誰の苦悩を表現しているのか。ごり押しばかりではらちがあかない。そんな厳しい状況に笑ってしまう。誰かはどうかしているようだ。頭がおかしいのではない。そういう現実逃避に意味はない。君たちは何を追悼しているのか。壊れたと思っていた腕時計が電池を交換したら動き出す。どうもその先に言葉を続けられない。テロで死んだ人は運が悪いのだろうか。その命は交通事故で死んだ人のよりは希少価値があるのかも知れない。死んだ人は待ってくれない。放っておけば忘却の彼方へと消え失せる。だから君の勝手な言動を認めるわけにはいかないらしい。それはまたしても理由になっていないようだが、それでかまわないのだろうか。何を求めているわけもない。


9月7日

 たぶん無駄なことを語っている現状を肯定しなければならないのだろう。数日後の空は曇っていて、ようやく蒸し暑さからも解放され、そんな現状認識はつまらないと思うが、そう思わなければ、何となくどこまでもおかしな雰囲気に包まれているような気になり、またそんなことを述べている現状を認めるしかなくなり、それが語っている自らの首を絞めていることを忘れてしまいそうだ。どう考えても何もない現状を打開するには至らない。だがそれで死ぬわけでも生きるわけでもない。生き残ろうとするならもう少し気の利いたことを述べている。死のうとしているならもう少し切羽詰まった緊張感に満ちているはずだ。それに関して何か思い当たる節はないか。苦し紛れでもかまわないから何か適当な事実を暴露してみたらどうか。衝撃的な真実というやつをもったいぶりながら語ってみればいい。それこそが冗談に違いない。馬鹿相手に本気を出せばそこから人気者への道が開けるかも知れず、そんなくだらなさに動揺するでもなく、まったくのでたらめに無感動が対峙しているだけで、わけがわからないにもほどがあるわけでもなく、何かが無制限に絞り出されているようで、それは尽きぬ言葉の連なりを妄想させるようだが、実際にはどうなるのかわからない情勢にある。何かが誰かの無我夢中に共鳴している。間違っているかも知れないが、それを押し進めようとしている。まだ間に合うだろうか。たとえ間に合ったからといってそれがどうなるわけでもないが、とりあえずぞこから自己満足がもたらされるのだろう。何の価値もない自己満足だ。そのようなやり方はまったく肯定できない。考えるいとまを与えないほどの時間の進み具合だ。急激に引き戻されているらしい。どのようなことも躊躇なく記されようとしている。とにかく何かを書き記せばそれでかまわないのだろう。そんなやり方がどこで通用するわけもないが、とりあえずのやり方としては正解なのだろう。結果的には間違っているのかも知れないが、その過程においては正解なのだ。それで間に合わせの文章が連なっている。やる気になっているのだからその流れを押しとどめることはできない。躊躇していたらそこで終わってしまう。それがそこで課せられているノルマなのかも知れない。だから居眠りしている場合ではないわけだ。君はそこで誰を裏切っているのだろう。幻想の未来を引き裂いている。架空の登場人物を省いている。だから物語になっていない。わざとわけのわからないことを述べている。それはどうでもいいことなのかも知れないが、それでも話をねつ造する気になっているらしい。何となく嘘をつきたいのだ。それで誰を陥れようとしているのでもないが、それでも嘘は嘘に違いない。現状では何をどう述べても嘘になってしまう。そんな現状に誰かの感性が埋もれている。それをことさらに掘り起こそうとは思わないが、それでも結果は結果として、それらの空疎な内容を受け入れなければならず、そこからしか前へ進む方法は見当たらない。見当たらなければどこかへ隠れているのかといえば、その可能性はあるのかも知れないが、それを探っているほど時間的な余裕はないらしく、ようやくここに行ったって切羽詰まった様相を呈しているようで、そんな状況の変化に驚くでもなく、とりあえず何かを述べながら突っ走っている現状があるらしく、それを認めようと認めまいと、そこにどのような内容があるとも思えず、結果として示されている言葉の並びを読んでいくと、それはいつもの自己言及だとわかり、何のことはない空疎がそのまま続いているだけだと認識されるわけだ。しかしそれでおもしろいだろうか。そんなことを述べていて楽しいか。そういう自己否定もいつもの成り行きだろう。要するに君はそんな風にも述べることができるということか。何となく当たり前のことを述べているだけかも知れないが、それにわざとらしく驚くつもりもなく、ただ淡々とそれらの作業をこなしている自らにねぎらいの言葉でも投げかければいいのだろうか。ますます頭がおかしくなっているような気がしてくるが、それも演技の一種かも知れず、そんな架空の演技を通して、架空の話に何らかの一貫性が備わってくるのだろう。君はそこで何を述べているのでもないということか。今さらわかりきったことを述べないでほしいか。だがそれで間を保っているのだろう。そこに生じている間から文章が言葉の構成物として目の前に浮かび上がり、何でもないようなことを述べている自らを、その存在の一部始終として感じさせるのかも知れない。今の君はそれで満足すべきなのだ。満足していれば、他の不満も自ずから浮かび上がってきて、それとの対比において向上心でも生まれてくるのかも知れず、それを利用しながら前進させていけば、そこから先が何とかなるような気もしてくるはずだが、それは独りよがりな考えでしかないのだろう。それによって何らかの前進が図られ、実感として前進しているような気がして、それなりの自己満足を得ているのかも知れない。


9月6日

 架空の世界では話を成立させるために誰かが何かをけしかけている。それで気まずい雰囲気というわけではないが、何となく無愛想な顔をしている。いつもの好戦的な口調はどうしたのか。影は何を生業として生きているのだろうか。秘密が明かされるのは物語の中でだ。すべては架空の話だ。語りたくもないことまで虚構の中で語られる。たぶん君は納得がいかないのだろう。なぜそんなところで躓いているのだろうか。そこからわざと遠回りしながらぎくしゃくしたいのか。そんな風に語ることができたら苦労はしない。何もないから苦労しているのはいつものことか。君はそこから話がどうなってしまうかわかっているのではないか。要するに話にならないわけだ。話を成立させる気がないらしい。だからいつものように横道に逸れて、藪の中で迷ったふりを繰り返し、何となく途方に暮れて、困ってしまったつもりになる。それで心臓が締め付けられるような胸の痛みに耐えているとは言い難い。そんなことを述べて何になるのだろうか。唐突な文章の出現に驚くでもなく、まったく脈絡を感じられないようだ。言葉遊びにもほどがあるか。遊んでいる風を感じさせないほど追い込まれているはずなのに、なぜか気が抜けている。どこからも力が湧いてこないようだ。だからそこから何が見いだせることもないのだろう。もちろんそれが何の理由になっているとも感じられず、どこでどのような結果がもたらされているのでもない。ただそんな現状を否定したいだけなのか。単に否定したいだけでなく、ただの冗談だと見なして思考の対象から遠ざけたいのか。だが何を遠ざけたところでいずれは戻ってくる。現状が君の心を蝕み、君を破滅に導くだろう。たぶんそういう物語なら感動するのかも知れない。しかし話の内容は何もない。感動のもととなっている出来事がどこにも見当たらない。心動かされるような体験とは無縁の暮らしの中で、感性が摩耗し、何も感じられなくなっているようだ。何がどうなろうと、誰かを突き動かすような原動力とはならない。君がやっていることはそこから遠く離れているわけではない。実際にやっていることといえば、地上の狭い範囲で動き回り、そこから自らの行動の根拠となる言説を導き出そうとしているだけか。君は何のために生きているのだろうか。その答えをねつ造するために行動しているわけか。だがそれが答えになっていない現実に気づくべきだ。そんなのは嘘だろう。嘘でなければ真実を構成できないなら、それは致命的な欠陥を抱えていることになるだろうか。それの何が致命傷として機能するのか。君は君自身をどうしたいのだ。何をどう操作すれば何がどうなるのだろう。たとえ何がどうなったところで、それが何になるというのか。ことさらに空疎な文章を長引かせるだけか。成り行き的にはそんな否定的な見解しか導き出せないようだが、何をもたらそうとしているわけでもなく、何をどう思っているわけでもないとしたら、それらの文章はただの無駄でしかない。それを否定するのは簡単なことだ。ならば否定できないような成り行きにもってゆかなければならない。君がそれらの空虚を肯定しなければ、すべては水の泡となってしまう。しかしそれがすべてではない。水の泡からも虚無が生じてしまうだろう。冗談でならそんなことも述べられる。冗談でなければ本気になるしかない。本気になれば気が触れて、正気の沙汰ではなくなってしまうだろうか。気分次第で冗談と見なしてみたり、それが苦しくなれば本気になってみたり、そのどちらもが空疎なことかも知れず、まったく実態を反映していないような気がするのだが、ならばそれ以外にどのような説明が可能かといえば、そんな説明などどこにもありはしないということになりそうだ。そんなわけで君が本気になれないのは明らかか。いったい現状の何に対して本気になればいいのだろう。君はそこで何を見極めようとしているのか。それは何かの感覚だろうか。ただ何もしないうちに時間だけが過ぎ去っているような気がしてならない。何もできないうちにそこから退散しなければならなくなる。まるで時間切れで強制的に退場させられるような感じだ。この世界では居場所がどこにも見当たらない。たぶんそれは幻覚の一種だ。逃げていては何もつかめないことはわかっているものの、これが逃げずにいられようか。先が見えているのにそのまま突き進むわけにはいかない。進んだ先にくだらぬ結果が待ち受けていることを知りながら、それを目的と見なしてしまうのは馬鹿げているのではないか。そんな疑念を払拭できないままに、結局はそこにたどり着いてしまい、予想通りの結果に感動するわけもなく、無理にその結果を肯定するのもおかしく思われ、それをどのように解釈しようと、否定的な見解以外にあり得ないような状況に直面しているわけだ。だからそこから何を導き出すつもりもなく、それに関して述べている言説そのものが空疎な内容に終始するしかないだろう。当分はそれを打ち破ることはできず、現状に甘んじているしかないのではないか。


9月5日

 気晴らしとは何なのか。嘘かも知れないが、君には現実が見えているはずだ。ならば今こそそこにある現実について語らなければならない。あくびだけもたらされる世界ではない。では何か緊迫した事態に陥っているのだろうか。自らの生死を賭して敵と戦っているのはマンガの中の登場人物だ。それを読めば読むほど現実の世界から背離する。だからどうしたというのか。戦場カメラマンは無駄なことを生業としている。たぶん何かを知らせたいのだろう。何か崇高な使命があるのだ。君には及びもつかぬ魅力の虜となっているのかも知れない。そこに見せたいものがあるらしく、誰かは他人の生き様を平面として切り取ってくる。絵になる構図というやつを探り続けている。それでは物足りないのだろうか。たぶんその絵が君を裏切っているのだろう。現実の別の面を見せてくれる。それは商売といういかがわしい取引に関する現実だ。誰もが事物を売買しながら生きてゆかなければならない。そしてその事物はどこからか奪ってこなければならず、それを奪い取ることで他の事物の価値を貶めなければならない。要するに高く買い取ってくれるところに奪い取った事物を売り飛ばさなければならなくなり、そこから疚しさが生じてしまうわけだ。その結果他の誰かに陰口をたたかれる羽目になり、罪悪感に苛まれるわけだ。だから自らがひどいことをやっていることに気づくべきなのだ。そういう成り行きなら興味を抱くか。しかし何事も中途半端で終わらせなければやりきれなくなる。そこで何を思ってみても後の祭りなのだ。だからそういう疚しさはすぐに忘れてしまえばいい。気づいた後は忘れ、忘れた頃にまた気づき、そんな繰り返しを経る度に慣れてきて、いずれ何とも思わなくなるだろう。他人を傷つけることに鈍感になってくる。テロとの戦いというお題目にいつまでもしがみついていると、哀れな末路でも待ち受けているのだろうか。国際貢献とは幻想のたぐいか。他国から良く思われようとしているだけか。君は何のために生きているのだろうか。何でもなければ生きている意味がないのかも知れないが、それでもかまわないと思うようになってしまえば、その先には何が待ち受けているのだろうか。たぶん何も待ち受けていないのだろう。他人を殺めることに何の意味もありはしない。他人を生かすことに意味があるとも思わない。目的に従順な人々にはそれに殉じなければならない使命が課されている。それは恐ろしいことだ。命がけの人々には死んでもらうしかない。修羅の道を歩んでみれば何かが見えてくるのだろう。だが見えたところでそれは君には関係のないことだ。世の中の役に立つとは虚しさを味わうことだ。幻想にしがみついていることを自覚できなくなる。実際に役に立ったからといってどうなるわけでもない。ただ理由を模索するのはおかしいのかも知れない。気休めにも気晴らしにもならない。それは哲学などという大げさな言葉を用いて説明できるようなものではない。ただの行為であり、何かをやっていると思いこむことに等しい。ただ人々はこの地上でうごめいている。そこにどんな目的を設定できるだろう。目的に沿って行動しているように装うことはできるが、それが何になるというのか。何かになっていると思いこみ、納得できる結果をその手中に収めたつもりになれるかも知れない。それが誰かの人生のすべてか。虚しいとは思わないか。思わなければそこで耳を塞ぐべきだ。目を閉じて何も見ないようにすればいい。それでも何かを見聞しているつもりになれる。他の大多数の人々と情報を共有しているような幻想に浸ることができるはずだ。しかしそれで何がわかるだろうか。時として何かをわかったつもりになれる。しばしば満足することもできる。それで楽しいか。楽しければ他の何を忘れたらいいのだろう。忘れられないことなど何もありはしない。何もなければ楽しいはずだ。ただ楽しむために生きてゆけばいい。だがそんな言葉に飛びつくほど純真な心を持ち合わせているわけではない。ならばそこからどうすべきなのか。仕事を続ければいい。続けていけばやがて他に何もできなくなり、嫌気がさしてその仕事をやめたくなり、やめてしまえば一時的に自由な気分を味わうことができる。それが誰かの物語を形成しているのかも知れないが、それがどうしたのか。何か感動するようなことを物語らなければならないのか。それで楽しいだろうか。楽しくなければどうするのだろう。どうもしなければ時が過ぎ去り、誰かの寿命が尽きて死が到来する。死んでしまえばすべてが終わりか。そう思いたくなければ輪廻転生を信じればいい。ああいえばこういうで、抜け道はいくらでも出てくる。だがそういう抜け道を利用しすぎると、何でもなくなってしまうだろう。こだわりが消え去り、虚無にとらわれた心を持つようになる。しかしそう述べていることは冗談ではないのだろうか。君は他に何か忘れていないか。忘れているとすればそれは何なのか。今さらそれを探ってどうするのだろう。どうもしない。


9月4日

 自らが招いた状況以外の何を批判することもできない。しかし状況とはどんな状況なのだろう。それほど落ち込むほどのことでもない。すでにどん底に行き着いているのではないか。それは何の底なのか。心の奥底をのぞいているわけではない。かなり粗雑なことを述べているようだが、そんなやり方で気が済むとも思えないが、他のやり方を模索したところで、誰の気が済むというのか。気が済む済まないの問題で何かを論じているとも思えず、述べていることが何の説明にもなっていないようにも思われる。実感としてはそんなところだろうか。君は何を見失っているのだろうか。文体などにこだわっているわけではないが、自然と気に入らないことを述べている状況のようだ。それが自ら招いた状況なのだろうか。まったく説明になっていないようだが、何をそんなに楽しんでいるのか。君とは別人の誰かがどこかで何かを楽しんでいる。それが嘘だとは思わない。確かに嘘ではないが、無理矢理話の辻褄を合わせようとしている。そんな調子でまたくだらぬ言説に終始するのだろうか。どうやら君は何もわかっていないようだ。たぶん誰のことを述べているわけでもないのだろう。それがその場にもたらされた文章だ。退屈ならそれを消去してみればいい。今さらそれはできない相談か。誰に何を相談しているわけでもない。君はそこから退散したくなり、遠ざかりたくても遠ざかれない理由を探し始めるが、一向に理由は見つからず、結局は途方に暮れたまま、その場で文字を記し始める。どうも何がどうなっているわけでもないようだ。目に映る風景を意識せず、何を空想しているわけでもなく、どこまでに続く時の流れに身をまかせるつもりもなく、場所も時期も定かでない記憶を呼び覚ますこともなく、何をやっているとも思えないような行為を続けているだけのようだ。何もわかっていないのだからそれは仕方のない対応か。現実に対処するような問題ではないのかも知れないが、いったい何が問題なのか。何を見つけ出したつもりになりたいのだろうか。そこに並べられた言葉はすべて予想外の結果から遠ざかっている。だが紋切り型とも思えない。取り立てて何について述べているわけでもないということか。この世界の出来事に文章が結びつかない。そんなことはどうでもいいように思われ、現実に対峙している意識が誰の意識でもないように思われてしまう。それが何を意味するかもわからず、意味という言葉が意味するところのものを感知できない。たぶん今は夜なのだろう。現実の日付から遠く離れて何を思うだろうか。意識のことを気にとめているわけではない。迷走しているとも思えない。迷う以前に走っていないわけだ。だが何に釘付けというわけでもない。何もなければ何ももたらせないことはわかっているものの、それでも何かをもたらそうとするのは矛盾しているようだが、それもわかっているとして、では他に何を語ることができるというのか。道に迷い行く先々で立ち往生して、ややこしい成り行きに業を煮やして道から外れ、今は道のない荒野で孤独を楽しんでいるつもりなのか。それで何がわかるというのか。もはや勘に頼るぐらいしかやりようがないが、つまらない冗談もその蓄えが底をつき、そうかといって今さら真面目になることもできず、自らでは何も立ちゆかないのなら、見知らぬ誰かとくだらぬ情報のやりとりでもしたらいいのかも知れないが、そういう自己卑下的な表現にも嫌気がさして、本気でそう思っているわけでもない意識を捨て去ることもできず、結局何がどっちつかずなのかわからなくなり、そうやって心が移ろいゆく状況を言葉で表しているのかも知れないが、現状とはそういうことなのだろうか。何がそこでの現状だと思っているのか。いつの間にかまた振り出しに戻っているような気がするのだが、次第に言葉を連ねるのが苦しくなっていく状況の中で、それでも継続をはかろうとする意志がどこから湧いてくるのかわかりかねる。ただのいいわけで済ましてしまえば事足りるようなことかも知れず、何を語っているのでもないように思ってしまえばそこで終わりかも知れない。思い悩むことなど何もありはせず、何もないから悩んでいるなどと語るのはおかしいのかも知れない。それは贅沢な悩みだろうか。贅沢でも何でもなく、そこから滲んでくる雰囲気が何かを裏切っているようにも思われ、その何かとは何なのかを言葉で示そうとする試みを何かが妨げているようにも思われるが、それがどうしたのだろうか。どうもしないが、どうにかしようとするとますますどうにもならなくなり、さらに何を語っているのかわからなくなるだけか。あくびとともに作業を中断したくなり、時間を気にしているように装いながら、これから何の予定もないのにそわそわし出すのはわざとらしすぎるだろうか。今の君にとってそれは見え透いた嘘だとも思えない。ならば今こそ本当に困ったふりをして、誰かに助けを求めるべきではないのか。別に助けてもらおうとは思わないが、偶然の気まぐれで助かってしまったら誰かに感謝しなければならない。


9月3日

 誰かは残り少ない日々に何を託しているのか。すぐに死ぬわけではない。どこでこの世界は閉じられるのか。世界の終わりに関してどんな疑念も抱いていない。夏に日焼けするのは当たり前のことだ。心の底が抜けている。鍋底が割れているようだ。それはコークスの火ではない。ならば闇の中で何を思う。言葉になっていないのではないか。この世界に関して何も思わないなら、それは君の台詞ではない。きっと何もないのだろう。心はどこかで壊れている。煉瓦の塀が所々で崩れかけている。敷石が浮き上がり、誰かのまなざしを釘付けにする。あり得ない情景の中へと導かれているのか。しかし目的が不明確だ。それで昨日より少しはやる気になったのだろうか。たぶん何もわからない。相変わらず何も語れない。それが近頃の決まり文句になりかけているようだ。そんな言葉を駆使しながらも、話がないのに話の本筋から外れた言いぐさに終始する。何を叫びたいのかわからない。架空の文章のどこかに誇大妄想が記されているらしいが、なぜそれを冷やさなければならないのだろう。今聴いているのはそんな曲ではない。しかし破滅とはどういうことなのか。実際には破滅の話にはなっていない。君にはそれがわかっているのに、それを認めようとしない。迷路とは何だろう。ひたすら自らのうちに閉じこもり、防御の体勢を崩さない。罠の他に何が張り巡らされているのか。よく見れば壁に貼られたポスターの中で誰かが微笑んでいる。意味不明に拍車がかかる。おかしな言い回しに終始している。表面的には冷却期間が必要らしい。神は信仰から外れている。神の話をしているわけではない。わざと支離滅裂を装っているつもりらしいが、本当に混乱状態なのかも知れない。何を記しているとも思えない。言葉によって作られた暗闇で誰かの目が光っている。それはどういうことなのか。どこかで光が屈折している。ますます述べていることがわからなくなる。何を取り戻そうとしているのか。成り行きがおかしな徴候を示していることはわかっているが、不吉な予感がしているとは思わない。意識しているのは誰の意識でもありはしない。意識は闇に包まれながら眠っている。夢の中で炎に包まれているのは何なのか。それは誰の意識でもない。何かを見とれている間に対象が溶けかかっている。この暑さはもはや残暑ではないが、陽の光が残響となって照り返してくる。具体的には何も述べていない。君は何を妬んでいるのだろう。かつての調子を取り戻せない。文章としての整合性がまるでない。偶然の巡り合わせに期待しているわけではない。言葉を繰り出していた頃の感覚を取り戻そうとしているわけではない。それはかつての話だ。何かいいわけじみていないか。まだ何も出てこない。君の影は完全に孤立している。だがすべては作り話の範囲内だ。影も虚構の意識をあてがわれているだけか。君の場合はどうなのか。何を検証すればいいのだろう。そういう難しい話ではないのかも知れない。ではそこで何が問題となっているのだろうか。何も思いつかないので、何も満たされない。考えられないのはそういうことなのか。それはどういうことでもありはせず、どうにもならない状況の中で何を考えているのでもないらしい。本当に何も考えられず、そんなことを述べているうちに、さらに頭の中がこんがらがってくるようだ。空っぽの頭蓋骨の中で蝉が鳴いている。くだらぬ表現だ。言葉になっていない。なぜそうやって後戻りしようとするのか。何がそこでの感情となっているのだろう。ただわけがわからないと思っているらしいが、君の都合がそこに反映されているようで、誰の意識がそう思っているわけではなく、わざとそう述べているだけなのかも知れない。何とか文章を構成しているが、頭の中が整理できていない。君は浅はかなのだろうか。誰かはこの世界をわかっていない。この世界は世界ではない。それが嘘だと思うならどうしたらいいのだろう。間に合わせの言葉が見当たらない。君にはどんな言葉の持ち合わせがあるというのか。誰が何を知ろうとしているのか。過去の君は今の君とは別人の誰かだ。本気でそんなことを述べているとは思わない。すべては気晴らしなのだ。だがそんな気休めの言葉を信じているわけではない。見つめている先には画面があるらしいが、興味がないのにテレビを見るべきではない。では他に何が気になっているのか。たぶん心の奥底では何もわかっていないのだろう。誰の心かわからない。それ以前の問題ではない。夜になって暑くなくなっている。もう取り返しがつかないようだ。何を取り返そうとしていたのか。疲れているのは誰なのだろう。その目に光が取り戻されることはない。だいいち文章としての整合性が考慮されていない。何の話にもなっていないようだ。辻褄合わせや帳尻合わせすら放棄されている。何も語らずにここまで言葉を記してきた。当然やっているのはピンボールゲームではない。貨物列車の最後尾で猫を見かけたような気がしたのだが、意味不明とはどういうことなのか。


9月2日

 暗闇に包まれて時間の経過がわからなくなる。誰の意識も感じられない。雨はいつ止むのだろうか。ありふれた天候に嫌気がさしている。そんなことはないはずだ。ではそこで何を述べているのか。誰かがどこかでそんなことを述べている状況がある。またいつもの作り話なのだろうが、そんなことはそんなこと以外にあり得ないだろう。同じ言葉を重ねて記す。意味のない行為に違いない。すでに雨は止んでいるのではないか。そんなことに興味はない。いつかまた雨が降ってくる。小雨程度で勘弁してくれないか。砂漠では意味を成さない。それが無意味というわけではないが、そこから漂ってくる意味に価値などありはしない。意味に価値を求めているわけではない。何の価値も見いだせない現状に呆れている。雨はいくらでも降り続くので、客観的には水不足というわけではない。雨が降らなくても海水は有り余るほどある。だから水が人を呼んでいる。一人でも多くの人間が溺れてほしいようだ。何もないというのは嘘か。当初はそういう話ではなかったはずだ。だが何がそこでの話になっているのだろうか。話ではなく言葉だ。またいつものようにわけのわからないことを述べている。近頃は何もないのに続けているので、同じような無内容ばかりで、要するに話がつまらなくなっているようだ。しかしそんな成り行きにどれほど苦労していると思っているのか。それは誰の台詞だろう。またいつものごまかしが生じている。そのうちどうにもならなくなるだろう。今がそのどうにもならなくなってしまった状態なのではないか。それが君のねらいなのではないか。何をねらっているのかわからないが、そうやって誰かの破滅を呼び込んでいる。ならば君ははじめから君自身を破滅させることをねらっていたのではないか。意識してそうしていたわけではない。無意識のうちに自らの破滅を呼び込んでいた。だがすべては作り話なのだろう。身のまわりには壊れかけの機械がありすぎる。誰もかもが壊れかけの機械のたぐいか。何を基準に壊れているか否かを判断すればいいのだろう。そう思っている時点で、すでに壊れているのではないか。まずは頭が壊れていて、次いで身体ががたがただ。膝関節の軟骨がすり減っている。会社はそこで働く人間の犠牲によって成り立っているのだろうか。今日も誰かが会社に殺されているようだ。それは悲惨な制度だが、幸福をもたらす制度でもある。誰かが死ねば他の誰かが幸せになるのだろう。それはありふれた見解だろうか。たぶんかなり馬鹿らしいことを述べている。それでは何を述べている範疇にも入らないか。何も思いつかないのだから仕方がない。そんな内容で妥協すべきか。学習能力が低下しているのかも知れない。現状から何を学んでいるのか。何も学んでいないのなら、頭がいかれているのだろうか。取り戻さなければならないものが多すぎる。いつそれが戻ってくるのか見当がつかない。まだそれについて区切りをつける段階ではないはずだ。終わっていないと思っているわけか。そろそろ終わらせなければどうにもならない。過去を引きずりすぎている。そろそろ停滞の時空から離脱しなければならない。できるわけがない。停滞は停滞として受け入れるべきだ。それを受け入れたらそれでおしまいか。君には生きる場所がない。それが場所ではないだろう。時は流れ、場所は君から遠ざかり、放っておけば君は置き去りにされてしまう。言葉を連ねるための余白が残されていない。すでに夜が明けている。様々な出来事が同時並行で進行していて、気がつけばどうにもならない状態になっている。神経がすり切れているようだ。何が馬鹿げていようとそれが現状なのだろう。現状では何も変わらない。何も変えられず、何を変えようとも思っていない。無理なのだから仕方がないのだろうか。無理なのにここまでやってきた。仕方がないでは済まないから継続をはかろうとしている。何が済まないのかわからない。それは意地か何かのたぐいか。意地でも何でもかまわないから、そんなことを述べている現状があるらしい。やはりそれはそんなことでしかないようだ。そこに居合わせた誰もがそんなことを思っているのかも知れず、それはいずれあきらめの境地に達してしまうのだろう。できるはずのないことをやろうとすれば、結果は自ずからそんな有り様を呈する。その時点で君に何ができるとも思えないが、それは君にもたらされた運命なのだ。そしてその運命とは何ももたらされないということだ。それが嘘だと思うなら、何か苦し紛れの行動でも起こしてみればいい。なぜそれが苦し紛れになるかといえば、それは現状で焦っているからか。その焦りを取り除くには何をやればいいのだろう。何もやらなければ焦りも自然と消え去り、平常心を取り戻すことができるはずだ。だが何もやらなければ何ももたらされない。そしてそれが運命なのだから仕方がないというわけか。そんな予定調和を受け入れることができるだろうか。受け入れられなければ、今まで通り焦ってもがいていればいいだろう。


9月1日

 まだ正気に戻り切れていないのだろう。どこへ戻りたいかもわからず、冗談で人生という言葉を使いたくなる。そんなわけでようやく日付的にも今月に入ったようだ。しかし大幅に遅れている。どうも現在の日付に追いつくのは永久に無理な情勢だ。だが誰かはそれでもかまわないと思っている。理由は何もない。理由を探るような状況でもない。それで何がわかるのか。冗談である以外に何を知りたいのか。たぶんそういうことではないのだろう。ただ何もない。そう思っているだけだ。そう思っているだけで実際には何もかもが存在している。確かに世界中を探せばたいていの事物ならあるに決まっている。だがそれを探そうとは思わない。今さらそんなものを探して何になるのか。探す気がないのにそれはないだろう。幻覚にとらわれているわけではない。それは嵐のたぐいか。空気はその地帯に何を引っぱってきたのだろうか。ただの風かも知れない。少なくとも山嵐ではない。それは冗談のたぐいなのか。なかなか本音が出てこない。無理なことはわかっている。無理でなかったら今頃どうなっていただろうか。ただ正気でないということか。それでは現状と何ら変わりない。変わらなければどうなるというのか。どうにもならないから変わらないわけだ。しかしそんなところで字数稼ぎをして恥ずかしくないか。それが君の本音なのだろうか。何が本音というわけでもなく、すべてが冗談であってもかまわない。それは勝手な言い分だ。何でそうなってしまうのだろう。自由な雰囲気にあこがれているのだろうか。どのような精神状態を装っていようと、気を抜くことができない。誰かが嵐のただ中を歩いているらしい。それがどんな空想に行き着くというのか。まだそんなところで立ち止まっている。情報は情報でしかないが、何かが近づいてくるらしい。それをさかんに伝えようとしている。実際に伝えている。誰かが何かを伝えようとしていて、実際に他の誰かがそれを伝えている。しかし君には関係のないことだ。なぜそこでそういうことを述べてしまうのか。あり得ない成り行きに向かっているのかも知れない。そんな深刻な状況ではなく、精神状態も安定している。いったい誰のことを述べているのか。頭が混乱していて文章も意味不明だ。それがいつものことだと思っていること自体がおかしいだろうか。おかしいのもいつものことなのではないか。おかしくなかったことなどあり得ない。否定が連続しているらしいが、それも適当な成り行きなのだろう。要するにここにいたってまだ停滞中なのだろう。何を述べようとしても結局そうなってしまう。具体的なことがない。言葉がそれを拒否しているようだ。拒否しながら拒否していることを述べようとしている。何となくうんざりしてくる。うんざりしているがそれが心地良い。感覚が矛盾しているのもいつものことのようだが、それも虚構が記されている証拠かも知れない。述べていることが現実から遠ざかっているのかも知れず、現実自体が虚構の一部となっているのかも知れない。虚構としての現実が言葉によって表現されているのだろうか。それで何がわかるのか。わかろうとしているのではない。ただ文章が記されているだけで、それがそこでの現状であり、そんな現状が作り話の中で構成されている。嫌気がさしているのだろうか。そうであったとしてもそれは当たり前のことだ。そんなことばかりなのだからそれで普通の状態なのかも知れない。目的がないのが普通なのだが、それでは何も述べられなくなる。だから何でもかまわないから架空の目的をねつ造しようとしているのだろう。それを達成しようとは思わない。本気になれないわけだ。本気になるという感覚がわからなくなり、同時に冗談で何を述べているとも思えなくなる。何をどう述べてもそれは誰の言説でもない。誰もがそれらの言説の所有権を放棄している。魅力がまったくないのだろう。それは魅力とは見なせないだけか。そんな調子でどこまで語っても何ももたらせないだろう。だがそれがどうしたわけでもない。外では雨が降り続いているようだ。嵐はその後どうなってしまったのか。数日後にはそんな話題で盛り上がっているのだろう。それとは関係なく君はどこまでも無言を貫いている。何に対しても興味を持てない。誰かの興味をつなぎ止めるつもりはないらしい。それが限界を示していて、文章自体が空疎で何も語らなくなっているのだろう。それは驚くべき内容になっている。そんなのは嘘に決まっているだろうが、何となく驚いているのかも知れず、それは誰の驚きとも合致せず、空疎な驚きとでも言い表せるのかも知れないが、それを誰がどう表現しようとしているのでもない。何となくそこから言説が導き出されて、それに何の意味があるわけでもないのだろうが、とりあえずそんな調子で言葉が連なっているらしく、それは何もないことを肯定しつつ、そういうやり方では何ももたらせないことにがっかりしているのかも知れない。だがそれでも君は何も語らないだろう。空虚のなすがままなのか。


8月31日

 何となく力が入らなくなる。たぶんどこかに良くなる兆しが見えているのだろう。だが悲惨な情景を見せられると調子が狂ってしまう。眉をひそめるとはそういうことなのか。一向に改善の兆しがないようだが、言葉のつながりがおかしいのはいつもの通りだ。そんなことを語って大丈夫なのか。何を語っているのかわからないが、発せられた言葉に実感が伴っている。何はともあれようやくここまでやってきた。架空の意識が何かの深淵をのぞき込んでいる。しかしそれが深淵である根拠を示せない。深淵であることが何か重要なことなのか。何について語っているのかわからない。言葉だけが先行していて、具体的な事物が見えてこない。そんな案配では先行きが不安になってくる。しかし他に何があるのだろう。さらに遅れてしまうだけか。とりあえず情報を伝達させなければならない。それはあり得ない話だろう。どこに神が宿っているわけがない。どうやら何ももたらせなくなってしまったらしい。架空の目標を見失っている。なぜそれらの状況を本気に受け止められないのだろうか。君が承知するはずもない。まったく承伏しがたい結果だ。感覚的に虚ろな目つきを求めている。わざとそんなことを述べているのだろう。君がもたらそうとしているのはありふれた言説に違いない。そこから何かがわかろうとしている。鼓膜がうねるような音の波を受け取る。未知の出来事を体験しているつもりになる。そういう処理の仕方が紋切り型の反応を招く。調子が狂っている。何かを妨害されているのかも知れない。何かが割れて何かを導き出そうとするらしいが、答えは未だに出てこない。紫の壁紙を連想させる模様だ。光の当たり具合を調整する必要がある。意識はそこから逃げだそうとしている。安易に自我を崩壊させているようだ。それに関して言葉を連ねるのは簡単なことだ。ただでたらめな内容を突き詰めればいい。体調が気候変動について行けなくなり、何かが次第に衰えてくる。それが事の次第を説明している文章だとは思わない。いったいどこに迷い込んでいるのか。精神などどこにもありはしない。文字を記しているだけのように思われる。一息ついている場合ではないらしい。なぜそれらの停滞から抜け出そうとしているのか。いくらもがいても罠から逃れることなどできないのではないか。では何をあきらめたふりをしているのだろう。今さら否定の連続を醸し出したいのか。何も脈絡を感じ取れない。それでも無駄に無駄を重ねていることが唯一の救いとなっている。何とかしようとしているようで、そうやって努力することが肝心らしい。少しでも正常な日付に近づけなければならない。それがさしあたっての目標となるだろうか。当たり前のことを述べているに過ぎない。どこから圧力が加えられているわけでもない。何も進んで消耗戦を繰り広げようとは思わない。それが何について語っているのかわからなくても、何らかの抑揚に基づいて言葉を繰り出していることは確かだ。しかしそれらの身体は何に射貫かれているのだろう。具体的な説明が皆無のようだ。たぶん目的は何もなかったのだろう。君はこの世界に何ももたらせなかった。それが今ここにある状況を物語っている。たぶんそれが何でもないのだろう。それとして意味を担えずにいる。何を見てそんなことを述べているのか。わけがわからないのはいつものことだが、今回はそれだけでは済まないような気がしている。まさか狂気の領域へと踏み出しているわけでもないだろう。要するにそれは血湧き肉躍るような体験とはならない。ただの無言に近い。君は難しいことを述べているような気になり、何となく相対的に優越感がもたらされたと勘違いしているようだ。それはどういうことでもなく、何となくそういうことなのだろう。しかしそれが何に対する助け船になっているのか。そこからますますわけのわからなさに拍車がかかると思えるだろうか。そんな言説以前の言説がもたらされている。現状とはそういうことだ。それで危機を切り抜けたと思いたいのだろうか。逃れられたのはほんの一瞬に過ぎず、さらに混迷の度を深めようとしている。状況的にどうしようもない。遠くからかつての感覚が戻ってくる。それが君にもたらされているわけではないと思いたい。なぜそれを拒絶するのだろう。もう少しで破滅を遠ざけられるのに、そういう流れに逆らってしまうのはどういうことなのか。そういうやり方では納得がいかない。後味の悪さを追求しているようで、少し戯れが過ぎるように思われてくる。それも冗談だと割り切ればその場を取り繕うことができそうだが、そればかり続けてしまうと、納得しがたい状況になってしまうことは確かだ。何についても感覚の希薄さがそこへのめり込むのを阻害しているようだ。どうやらそこで立ち止まってはいけないらしい。たとえそれが勘違いだとしても、実際にそこまで行けないのだから、そういう状況を受け止めなければどうしようもない。確かにどうしようもないが、そのどうしようもなさから何を学んだのか。


8月30日

 言葉がどこへもとどかない。そんな夢を見たらしい。現実の世界では時間的余裕がない。何となく感覚がおかしいようだ。何気なく日付を見れば、まだ先月の時空で言葉を記している。どうやら文章が今月へ到達するのは気が遠くなるほど先になってしまいそうだ。そんなわけで何となく悲観的な気分が醸し出されているようだが、誰がその場に漂っている空気を読んでいるとも思えない。感覚が邪魔をしている。そしてどんなわけでもないが、君はまた誰かに出し抜かれているのだ。架空の心を働かせるとそんな気がするだけで、本当のところはよくわからない。その辺の事情を詳しく知ろうとするのが面倒くさいのか。何か言説的におかしいような気がする。それらの意識は真実の言葉を知らないのかも知れない。そして他の意識に投げかけるべき言葉を知らない。そんな言いぐさに動揺するほどナイーブではない。君について述べている言説のすべては空疎だ。現実の君はそこで誰について述べているのでもない。ではそこで言葉を記しているのは誰なのか。たとえば南から誰かやってくるが、その見知らぬ誰かについて何を語りたいわけでもない。それが君の返答になっているとは思えない。誰が君について語っているわけでもない。そんな風に述べると文章のつながり具合がおかしくなるだろうか。たぶん状況的にはそんなことを述べている場合ではないのだろうが、そんなことしか述べられない自分に腹が立つか。心が画面からいくら遠ざかろうと、言葉が勝手に記されている状況に変わりはない。文章は君の意識を無視しながら構成されている。そんな思いこみ自体が虚構なのだろうか。ますます意味不明に思われてくる。たぶん何を本気に受け取っているのでもないのだろう。現実と虚構の境目を感知できないようだ。そのように語っているだけか。君がわかろうとしている現実の出来事がそれらの文章中に見当たらないだけかも知れない。それが何を意味するのかわからない。何を理解できないと思っているのか。たぶんそれはどうでもいいことなのだろう。簡単に何かをあきらめているようだ。知ることを放棄している。それは致命的な過ちになりうるが、今のところはそれに気づいた風はない。わざとそんなことを述べているのであり、それは現実の認識を反映した文章ではない。ただわからないと思いこんでいる節もある。無駄に言葉が連なっている。それも苦し紛れのなせる業か。いつから不可解な意識にとらわれているのだろう。まだ窮地を脱していないような気がする。架空の意識は貧窮の時を過ごしているのだろうか。そういう処理の仕方に納得がいかない。もう少し謙虚になったらどうか。傲慢であるとは思えない。心が燃える朝焼けに包まれているというわけでもない。文章上には久々に意味不明がもたらされている。その認識も現実とのずれを孕んでいるのだろうか。理解を放棄するのはまだ早い。文章が何を妨げているとも思えない。言葉の記述が最優先事項のように思われ、意味をもたらすことは必ずしも重視されていないようだ。それで何を述べていることになるのだろうか。それらはこわれもののたぐいだろうか。注意しなければならないのはそれらの取り扱い方ではなく、そこで何が述べられているかでもない。何でもなければ何でもないということ自体が価値を持ち得ない。ただ意味がわからなくなっているだけか。明かりをともせばそれらの真相は闇の中に消え失せる。そんなはずがないと思うなら、その思っていることは嘘に違いない。なぜが文字を記す時間が早まっている。気がつけばいつになっているのだろうか。早朝にくだらぬ言葉を記している。それでもまだ終わったわけではないと思っている。思っていることは君をあきらめの境地に導いているらしい。それで何をどうしようというわけでもない。どうにもできないというわけでもなく、何かをどうにかしようとさかんに言葉を繰り出しているのは君以外の何者でもないが、君がそれを認めることはない。まだ確信が持てず、何を信じることもできはしない。それが何らかの信仰に結びつくのを阻止している。それとは何だろう。そんなところでまたとぼけるつもりか。そういうやり方が破綻を来している事実を認めるわけにはいかないのか。いつでもどこでも冗談ではないと思っているらしい。何をどうしようと言葉を記す行為を妨げるものではない。どのような行為もそこへつながっていく。要するにそこで何とかしたいわけだ。架空の意識がそんなことを述べているうちに、ついつい指先に力が入り、キーボードを叩く音が深夜の静寂をかき消して、現実の世界に漂う空疎な感覚を呼び覚ます。いったい君は何をやっているのか。今は自らの行いに疑念を抱き続けることしかできはしない。何となくそれらの行為が馬鹿らしく思われてきて、そのような現実を否定的に捉えたくなってくるのだが、そこからどうやって積極性を抽出できるのか。それができなければそこで終わるしかないだろう。実際に一区切りつけそうになっているのではないか。


8月29日

 誰かは誰かとうまくやっていけるタイプではない。気まずい雰囲気がそこで形成されているようだ。それが気休めなのか暇つぶしなのかわからないが、君は誰かに呪文を投げかける。返ってくる言葉が決まり切った文句だったらお払い箱だ。意味がわからない。ならばそこから何を導き出せるというのだろう。焦ってしまって封印していたものを開き損ねているようだが、それで困った事態になっているわけではない。その時点では君は君以外の誰かとして振る舞っている。だから何を述べても君に対して何を語りかけていることにもなりはしない。呪文などはじめから唱えられなかったのかも知れない。実際に呪詛の言葉を思い出せず、意識が今までにどこをどうほっつき歩いてきたのか思い出せない。過去が思い出されることはない。無理に思い出そうとすれば、それは君とは別人の過去となってしまうだろう。確かにそこでの記憶は作り話がその大半を占めていて、その歩みや軌跡はそれ独自の展開を有していたようだが、それは空想に基づいていたのかも知れない。いくら動き回ってもどこにもたどり着けなかったようで、そこで特定の何かを思い出す状況にはなかったはずだ。思い出そうとすればそれは作り話になってしまう。現実の歩みはそこで止まっていて、そこから先へは一歩たりとも進めない状況にある。そんなわけでようやく何かが終わろうとしているらしいが、何かとは何なのか。何でもないのかも知れないが、何かではあるのだろう。何かは現時点ではまだ具体的な事物になりきれていないのかも知れず、事物になる途上にあるのだろうか。そんな予感がする。そんなわけで終わりの予感以外には何も思いつかない。現状では終わりの他がないということだ。本当に何もありはしない。何かとは終わりのことなのか。ならばその予感が的中したということだ。予感とは何でもなく、ただの終わりである。しかしすでに終わってしまった時点からさかのぼって、今さらそれを思い出すのが面倒くさく、終わってしまったことを忘れて、またいつもの意味不明な展開に突入してしまっているようにも思われる。苦し紛れのようだが、まったく話になっていない。それでは話になりようがない。話がないのだからそれは当然か。では終わってしまって話がないので、そこから誰かを難しい局面に引き込んでみよう。誰が誰を引き込もうとしているのか。それ以前に難しい局面とは何のことなのか。あくびをしている場合ではない。少なくとも誰かは君ではないようだが、君以外の誰かの存在を見いだせない。君であって君でなければ話が矛盾してしまう。それとは関係のない話だが、街では赤ん坊が赤ん坊を作っているそうだ。ニュースでも見ながら作業をやっているのかも知れないが、実際にはそういう曲を聴いているだけのようだ。いったい誰がそれらの作業を終わらせてくれるのか。本当に何もやる気にならないようだが、それがそれが作業をやめる理由になっていないのもいつもの通りか。いつもの通りならその先をどうしようというのか。わからないから冒頭に戻るとしよう。昨日からすでに何度も戻っているが、一向にらちがあかない。嫌になるほど話の冒頭を経験している。嫌なら戻らなければいいが、そんなわけにもいかないのはどういうわけでそうなのか。わけなど何もありはせず、わけがわからないから戸惑ってしまうのもいつもの通りだ。要するにそこで行き詰まってしまったのであり、行き詰まったからまた冒頭に戻るとしよう。そこで休憩中らしいが、冒頭に戻ったら何か気分転換でもできたのだろうか。気分は躁状態というわけではない。のどがからからで水が飲みたくなる。そんなのは嘘だが、とにかく水が飲みたい。意味もなく水分を補給したくなる。水を飲んでいる間、闇の向こうから虫の鳴き声が聞こえてくるが、水と何の関係があるのだろうか。闇が君を死に追いやろうとしているわけではない。たとえ死の間際に近づいたとしても、君が自ら死を選ぶはずがない。ではなぜ唐突に死という言葉を使いたくなったのか。誰かは何をそんなに驚いているのか。それは架空の驚きに違いない。文章の中では実際には驚きとは無縁であり、そこに記されている登場人物は驚くきっかけをつかめずに、いつまでも無言を貫いている。君はそれを忘れていたようだ。そのとき何に驚けばその場の状況にマッチしていたのか。何かを思い出そうとしている最中においても、君の心はどこかへ流されている。精神の集中が持続せず、ついついテレビ画面に目をやってしまい、無駄な時間を過ごしてしまう。それで何か思いついたのだろうか。結果的に無為になれるとは思わない。過去において誰かが特別な存在へと変わったことはあるらしいが、君自身は誰にとっても特別な存在ではない。それは誰にとっての存在だったのか思い出せない。どうもいつまで経っても意味不明のようで、そのとき何を述べていたのか思い出せず、そんな思い出せない記憶とは無関係にわけのわからない思いこみによってくだらぬ作り話ができあがろうとしている。


8月28日

 何となくこだわりが消え失せた。常時切羽詰まった状況に身を置いているので、何も感じなくなってしまったのかも知れない。誰に助けてもらおうとも思わない。あとは状況がどうにかしてくれるのを待つだけか。本当に何とかなるのだろうか。君はそこで延々と立ち往生している。そんな気分ではいられないか。たぶんそれでもかまわないのだろう。もともとどうでもいいことだったのかも知れない。何かを述べようとするとすぐ疲れてしまって、何となくやる気がしなくなる。いつもだるい感じだ。その時点ではそんなことはどうでもいいのに、様々な紆余曲折を経た結果として、それはどうでもよくないことになってしまうらしい。そんな状況がその場にもたらされている。だからそこからどこへも展開できなくなっている。どうも未来がないようだ。それらの目では未知の時空が見えてこない。望遠鏡のたぐいが必要だろうか。君には何もわからない。だがそればかりではつまらないだろう。少しはわかったふりをすべきだ。利いた風なことを述べてみるべきだ。それはないと思う。それをやったらおしまいなのだろうか。冗談ではないと思う。できもしないことをやろうとすべきだ。なぜそこから逸脱してしまうのだろうか。君は何も見えていないようだ。過去の時空で彷徨っているだけか。何か適当なことを記している。それが適当でないと困るのか。その先に何を述べていいのかわからなくなる。気がつけば口の中が苦くなる。やはり何を述べているわけでもないらしい。何も開き直れない。まだ疲れているのだろうか。外気温が下がり続けている。意識がだめなら無意識に任しておけばいい。君の感性が試されている。だからこれ以上何を考えても無駄だ。今がそのときだ。聴いているのがそういう曲なのだから仕方がない。試行錯誤は誰かの演奏においても行われているようだ。まだあきらめるべきではない。君は着実に追い込まれている。そして疑心暗鬼に陥っている。今さら何を試してみてもわざとらしい。だから深夜という時間帯があるのではないか。少し無理をしなければならない季節となったようだ。無理が通るとは思えない。いったいどこを通すつもりなのか。何が夜を越えているのだろう。何をわかりたいのかわからなくなる。その辺に何かカラクリが潜んでいないか。誰がそこで除け者にされているというのか。思いつくまま脈絡のないことを述べている現状があるらしい。無意識とはそういうものだろうか。そうやって誰かの精神作用が君をこの世界から遠ざける。本当に遠ざかっているとは思えないか。それらの袋小路からどうやって抜け出したのか。冗談がものを言っているわけではなく、それには何らかの技術的な裏付けがあるのだろう。言語的な対処法があるらしい。誰かがそこで虚無に対峙している。そこで無言を貫き通す。何か気がかりなことでもあるのだろうか。あるならそれをやればいい。耳が遠いのだろうか。ならば音源に近づいてみればいい。それで何を試していることになるのだろうか。それが何らかの試行錯誤を構成している。やはり君は虚無から遠ざかっている。言葉の連なりが何かをもたらしている。今はそれを続けるべきなのか。冗談ではないと思う。機能の一部が壊れているのかも知れない。その辺で障壁が立ちふさがる。いったいそこからどこへ進めばいいのか。気がつけばだいぶ遠くまできたらしい。何かを置き去りにしてまでくるようなところまで来てしまったのかも知れないが、言葉の連なりに意味を見いだそうとは思わない。何らかの思いがそこに構成されていることは確からしいが、それが偶然がそうさせているのであって、誰の心がそこに直接作用しているとも思えない。だから早くその時空を通り過ぎなければならないと思うようになる。何も叶えられないのなら、そこにもたらされている文章のがらくたが破棄される前に記してしまえばいいだろう。深夜がもたらしている暗闇の力がそうさせているのだ。陽の光の下ではそんな具合にはいかないだろう。おそらくその時間帯では他のことをしているはずだ。君を文章から遠ざけておかなければそうなってしまう。現実の時間と空間が君自身に作用して、君以外の誰かに真実を語らせる。そんなはずはないと君は思うだろうが、それでも自らが除け者にされているとは思わない。他の誰に欲望があるわけではない。誰を陥れようとしているのでもなく、罠はどこにも張り巡らされていないようだ。見渡す限りどこまでも平坦な土地が広がっている。それはいつの記憶なのだろうか。そのとき誰かが大陸の奥深くに分け入っているはずだ。だがそれらの文章が何を想像させようとしているのでもなく、ただ誰かの気分次第で言葉がその場の紆余曲折をなぞっているに過ぎず、何か中身を伴ったことが述べられているとは思えない。君はそれでもかまわないのか。そういう成り行きなのだからそれはそれで仕方のないことだろう。今は好き嫌いを述べている段階ではなさそうだ。無意識の精神作用によってそこにもたらされている文字列をそのまま受け入れなければ先へ進めない。


8月27日

 思わず画面を見入ってしまう。人は人を殺す夢を見て、人に殺される夢を見る。造作もないことだ。たぶんやる気がしないのは魅力がないからだろう。いつまで経っても不具合を修正できない。そうなってしまった理由はいくらでもあるが、今さら何を述べても始まらないが、とりあえずだいぶ遅れてしまったらしい。君にはそれが気に入らない。何もできない時間が多すぎたのか。あるいはそのとき疲れていたのだろうか。とりあえず数日後には暑さも一段落して、秋雨前線がもたらす小雨まじりの空を見上げながら、強引に言葉を繰り出して文章を構成しようとしているらしく、まったく苦し紛れにもほどがあるが、近頃は奇をてらいすぎている感を否めない。何をねらっているわけでもないのに、自然とそうなってしまっているようだ。結果とはそういうものなのか。だが後から気づくのは間抜けであり、すでに遅すぎるような気もしている。たとえそれに気づいたとして、そこから何をどうすべきか、改善のための方策など何も思いつかず、ただなし崩し的にそれらの行為を長引かせることしかできはしない。そのとき君は慣性の法則に従っているわけだ。怠惰な時を過ごすことばかり考えている。どうやら君は君の名前を知っているようだ。安易な物語的展開の結末も知っている。そしてその結末に呆れているのではなく、感動しているのだ。たぶん君は君ではない。それはおもしろい話だ。おもしろいから感動している。頭がいいのだろう。それが誰の頭なのかわからないが、この期に及んで何を悟るべきなのか。すべては君の運命なのだ。では頭が悪いのは誰なのか。述べていることが矛盾しているではないか。それは誰の声なのだろう。誰でもなければ誰も裁けない。君にそんな力があるとは思えない。何を試そうとしても、すべては娯楽が引き留める。そういう運命なのだから仕方がない。人の死を弄ぶのが物語の本質だ。そうでないと誰も興味を示さないだろう。それは君とは無関係なのだ。君はその場から立ち去ろうとしている。何もなければ何も述べられない。何を繰り返し述べているのか。そしてとうとうどうにもならない状況を迎えてしまったらしい。なぜ終わらなければならないのか。君はそこで終わってしまうのだろうか。運命はそれらの現象とは別の出来事をもたらしている。辻褄合わせを放棄させられて、支離滅裂な言葉の連なりに誘い込まれ、それらの文章を読めないようにしてしまう。たぶん君は何か勘違いをしているのだろう。このままでは自滅か。何も修正できないようだ。成り行きは何もしない方向へ推移しているようだ。状況が君をそこから引きはがそうとしているわけか。実際に君には何もできはしない。何もできないから苦悩しなければならない。そんなのはおかしいか。おかしければどうすればいいのだろう。やめてしまえば済むことなのか。気に入らないのならやめてしまえばいい。しかしそれができないとしたら、他にどのようなやり方があるというのか。なぜできないのだろうか。いったい君は何に魅入られているのか。何の目的があるのだろう。ただだらだら続けている現状があり、それを継続することが目的と化している。それでは意味がない。しかし君は意味を導き出すことを放棄している。それはどうしてなのだろうか。ただの格好つけのたぐいか。それで格好がつくとは思えない。何か明確な目的がなければ誰も納得させられない。やっていることに意義を見いだせなければやっている意味がない。意味も意義も似たような意味ではないか。ではそこに意味を設定することが目的となりうるかも知れないが、それで何を示したつもりになれるのだろう。だがさらに続けようとすればやっていることがさらに無意味に近づいてしまう現状において、はたしてそれが可能なのだろうか。どうもその辺でわけがわからなくなっているらしいが、そこで気づいてみれば、述べていることも意味不明に近づいているように感じられてしまい、そこからどう体勢を立て直したらいいのかわからなくなってしまう。また冗談でそんなことを述べているらしい。君はそれらの文章の流れを見失い、全体像を把握できなくなってしまう。そしてただ闇雲に言葉を繰り出していることに気づく。何となくそこで突っ走っているように感じられ、そのまま走り続けてかまわないのかどうか疑問だが、そうしなければ継続は困難なのかも知れず、身の回りを覆っている虚無に対して継続の意志を示すには、そうやっていつまでも意地を張り続けることしかできないのではないか。しかしそれで何を継続していることになるのか。たとえば外側からそれらの作業をのぞき込むとすると、君はそこで何を続けているように見えるのだろうか。ただわけのわからないことを述べているだけなのか。それ以外に何があるというのか。もしかしたらそれは自己言及なのかも知れないが、そうだとしてもそこで語られている自己とは誰の自己なのだろうか。いったい君はそこで誰について何を述べているのだろうか。わかりきったことを訊かないでほしいか。たぶん君は君ではないのだろう。それがそこでの答えに他ならないが、何を述べているのか意味がわからない。


8月26日

 君にも自尊心というくだらぬ感情が備わっているらしい。パソコンも携帯も馬鹿らしい。テレビは無能だ。ラジオには画面がない。新聞は紙くずのたぐいだ。情報端末として何を選択できるというのか。とどのつまりそれはどういうことなのか。君は思い上がっている。そしてそれらの使い方をわかっていない。たぶん興味をそそられる話ではない。気がつけば誰かの首が曲がっている。そういう意味不明な嘘にも飽きている。だがそんなことは百も承知だ。何を語ろうと何が変わるわけではない。それも以前からわかっていることだ。君には何もできはしない。たぶんそういう意味で言葉を連ねているのではないのだろうが、未だに停滞している。いつまで経っても夢うつつなのだろうか。そんなはずはないだろうが、そこから抜け出すきっかけを模索しているわけでもなく、相変わらず疲れているだけのようだ。疲れているときは確かに疲れていたのだろうが、それの何が悪いのだろう。開き直っても何も出てこない。この場合はケセラセラという言葉が適当か。内容も意味不明だが、冗談だけでは通用しなくなってきたようだ。何をどこで通用させようとしてるのか。そういう認識に至るのがおかしいか。それがどういう認識なのかわからないが、とりあえずおかしければ笑えばいい。誰が笑ってくれるというのか。何を期待しているわけでもなく、ただ言葉を連ねている。そして夢の中では何かの羽音が聞こえてくる。遠くで鳥が羽ばたいているようだ。それは嘘だろう。また蜂に刺されたいのか。その手のご都合主義にも飽きているのではないか。ならば静かな夜に雨が降る。雨音がやかましく、結果的に静かでなくなる。時間的に何かが前後して到来しているようだ。それらの情景が矛盾しているとすれば、静けさと雨音が相容れないのだろう。他に気にかかることはないか。何もないので何かが何かになるだろう。それで文章を構成しているといえるのか。気分とはそういうものだ。あくびが眠気を誘っているわけか。ならばもっと濃い空気が必要だ。湿地帯で泥に足を取られ、それ以上動き回るのが億劫になる。そういう表現もわざとらしい。君の心を覆っているのは過去の記憶ではない。君の外にある記憶が誰かを呼び覚ます。あり得ない話だろうか。それ以前に話になっていないのではないか。話にならないのならどうしたらいいのだろう。どうもせず黙ってその場を立ち去るのみだ。誰かが忘却の世界に呼ばれているらしいが、君はまだその場で消え去るわけにはいかないらしい。だいぶ精神が圧迫されているようだ。何かが重力に逆らっていつようで、頭に血が上ってくる。それはいつのことだろう。その辺の記憶が定かでないが、そんなことはどうでもいいことか。どうでもよければ何も導き出せない。だから君はその場を立ち去らなければならなくなる。いくら抵抗を試みようと、いずれその場で消え去る運命なのだ。消え去ればどうなるというのか。消え去りたくなければ、二人一組で宝探しにでも出かけなければならないのだろうか。唐突に苦し紛れの意味不明が出現したらしいが、それで言葉は何らかの話を形成しているのだろうか。どこまで語っても子供だましの域を出ない話だ。誰もが行間に隠れた物語を空想したい。人の成り立ちを思い描き、それにまつわるエピソードに思いを寄せる。君は君の偽者のはずだが、影にも影なりの心が揺れ動いている。時として動揺の色を隠せない。公共性とは人畜無害であるべきことだ。それに対するまともな反論を期待しているわけではない。ただ話に脈絡が感じられない。腕時計の竜頭で傷ついてしまう。それはやけどの痕ではない。吟遊詩人にあこがれているわけでもなく、仕事に追われる毎日に嫌気がさしながらも、そこから抜け出せない運命を呪うわけでもなく、ただ状況に流され、心身ともに摩耗していって、人間的に何者でもなくなるだけのようだ。それについては何の感慨も抱けない。それはそれでそういうことでしかない。しかしそれで何を強がっていることになるのか。今さらとぼけてみてもわざとらしい。山頂は岩肌が剥き出しになっている。どこまで登ってきたのか見当がつかない。早くその場を立ち去りたいようだが、周りの景色が見えてこない。それでは何のためにそこまでやってきたのかわからなくなってしまうか。だがこれからどうなるにしろ、そんなことは君の知ったことではないのではないか。君は君で無目的を目的として立ち振る舞おうとしているだけだ。それは二重の意味で空疎なことだ。中身のない行為である以前に、行為そのものでさえない。しかしそれで何を説明したことになるのか。何もない状況を説明したところで何になるわけでもないが、たぶん何かを否定しているのだろう。それらの言葉の連なりは君が君自身になれないことを示している。そんなはずはないと思うかも知れないが、そんなこともどうでもいいことだ。どこでもない場所において不在の空虚から否定の力が止めどなくあふれ出てくる。そんなことはあり得ないが、それが勘違いかも知れない。


8月25日

 それは夢の中なのだろうか。何に気づいているとも思えないが、雨が果てしなく降り続いている。だが降り続いている最中はそう思えるだけで、にわか雨はやがて止むだろう。論理的思考によるものではない。ちぐはぐなことを述べている。何となくそんな気がするだけで、他に何を思っているわけでもないが、何か周囲がじめじめしていないか。雨が降れば湿気ってくるのが当たり前か。何を気にしているとも思えない。水晶体が曇っているのだろうか。誰かの目が身体から離れているようだ。君は雨が降っている最中に何をやっているのか。ずぶ濡れになっている。やっているのではなくなっているのだろう。ちなみに日付的にはそれは数日後の朝の出来事だ。他には何もない。何も思わず何もないのに冷静でいられるだろうか。理由になっていない。冷静になれるからといって、何がどうなるわけでもない。現状では何をどう判断していいのかわからず、判断しようがないのに判断を誤っているように感じられ、それも現状では仕方のないことだろう。現状とは何なのだろう。そのとき君が何をどう判断したのか忘れてしまった。そこで君は何に気づいているのだろうか。別に自己保身に走っているわけではない。不意に気がつけば、それに気がついている自らに愛想を尽かしている。感情がわけのわからない回り道を強いている。相変わらずまともな意味をもたらせない。言葉を記述しようとしている者は、この世界から満足のいく情報を得られずにいる。要するに無い物ねだりというわけなのか。君は何をねだっているのか。それの何が間違っているのだろう。それとは何なのか。間違っていることはわかっているが、季節が移り変わろうとしている。数日後に気づいたのはそんなことか。君は道理をわきまえない。早朝の路に人影はない。それは関係ないだろう。では他に何を心得ているのか。眼中にないことに興味を抱けるだろうか。何を強がっているのだろう。今はそんな言葉の並びに興味はない。たぶん本当に何ももたらされていないのだろう。約束が反故にされる瞬間に別の約束を思い出す。それは何のたとえになっているのか。盟約とは何か。誰と何の契約を交わしたのか。上の空で何に気を取られているのか。たぶん考えているのは他のことだ。いくら過ちを犯そうと、この世界の習わしなど関係ないか。誰かが思いつくままに言葉を並べて意味不明を装うが、意識は数日後の雨音を聞きながら眠ってしまう。そこで予知能力が発揮されているらしい。それともただ疲れているだけなのか。誰かが消え去る運命を予感している。寝ぼけ眼で繰り返し天気予報を眺め続け、それが気休めの暇つぶしになっていることを理解できずにいる。意味もなく映像に見とれているだけでは何ももたらせない。実際に何をもたらそうとしているのでもない。そんな欠陥をそのまま放置し続ける。欠陥とは何だろう。それに関して合理的な説明ができない。目下のところ何が論争の焦点になっているわけではない。しかし論争とは何なのか。唐突にそんなことを述べても、何もないのだから論争も何もあったものではない。ただ何かを語ろうとしている。真剣な話し合いでは何の進展も期待できない。今さら話し合いも何もあったものではない。君はすでにそれらの状況から取り残されている。それがどんな状況なのか考えている暇がない。文章の中に状況をねつ造できずにいるだけだ。現実の世界では足首をひねっている。それは虚構とは結びつかず、脈絡を感じられない言葉として処理される。この世界では何に気づいていないのかわからない。別の時空で気がつけば、そのときの状況は風が吹き荒れている。それはごまかしの目くらましとして機能するだろうか。繰り出された言葉に何を期待しているのか。他人を陥れようとしているのではない。ただ深夜になっても雨脚が強くなっている。それ以外の情報を得たいのだが、そのときの思考が役に立つとは思えない。たぶん矛盾をそのまま放置していないと出口がなくなってしまうのだろう。しかし出口とは何なのか。ここからどこへ出ようとしているのだろう。たぶんこの世界に出口などありはしない。だからそういう意味で出口という言葉を使うことはない。世界ではなく、もっと狭い範囲で、建物や道路などの出口ならいくらでもあるだろう。文章の脱出口などというものを考える必要はないのだろうか。君の思い通りにいくはずがない。後戻りできないのにその先へ進めないのはどういうわけなのか。すでにそこで間違っているのだろう。秋の長雨が近づいているだけのようだ。何を予想しているわけではない。ただ降り続いている雨が何かを予感させる。いったい約束とは何だったのか。すでに月末に近づいている。人それぞれには互いに譲れないことがあるらしい。そんなところで意地の張り合いをしているわけで、それが馬鹿げた結果をもたらしているわけだ。それを笑うべくもなく、そんなことは織り込み済みで、それを前提として冷静に対処しなければならない。放っておけば悪者に仕立て上げられてしまうだろう。そういう意味で言説は恐ろしい。


8月24日

 自らにわかりきったことを問わないでほしい。何をひたすら問うているのか。何事も大げさに語ればいいというわけではない。それが何を説明しているとも思えず、それらのまとまりに欠ける言説は、実際のところ言説にすらなっていないようだが、それらの何が思想の集大成なのか。それらの文章は思想とは無縁だ。別に何について考えているわけではなく、無理矢理思想を装うつもりもなく、ただ強迫観念が作用して無理に文章を構成しようとしているのかも知れないが、そこで何をいくら脅されようと、ありもしない出来事を前にして浮き足立つわけがない。自分以外の誰が自分に脅されているとも思えず、そのよう考えることは、成り行き的に何の脈絡も感じられないのだが、たぶん終わりの時には何もかも眼前に迫ってくるはずだ。そこで何が終わろうとしているのか。虚構のただ中では君の妄想が成就する時もそう遠くない。ならばこの世界の終わりの時も近いということか。しかしそれはおかしいのではないか。何かを思えばすぐにこの世界と自らの言説を結びつけようとする。それはおかしな傾向だ。近頃は何かと何かをすぐに短絡したがる傾向が顕著になってきたようだが、成り行き的にそこでは何かが省略されているようだ。誰が自意識過剰の虜となっているのか。過剰でない自意識などあるはずがない。たぶん君は何か格好のいいことを述べようとしていて、あるいは無理に言葉を繋げようとしている。だが語っている何もかもが稚拙だ。それらの結果には唖然とさせられる。言葉を記している誰かは、それらの文章を読んで素直な感動とは別の意味で感動している。感動しすぎて目がつぶれてしまいそうか。君は眺めてはいけないものを眺めていると思っている。ただの風景を眺めているだけなのに、それらは鑑賞に堪えるような絵ではない。そこには絵などありはしない。なぜ風景が絵に結びつくのだろう。またわざとらしく嘘をついているのだろうか。何がそこでの嘘になるのか。嘘でもなければ気が狂ってしまうだろう。しかしなぜ暑いのだろう。数日前は夏だからそれは当然だ。残暑が厳しすぎる。話になっていない。何の脈絡も感じられない。そんな無関係なことを述べて、何かの悪循環から逃れたいようだが、ただ場当たりに言葉を繋げて文章を構成しているだけでは、人間的な感情をもたらせない。今さら誰が感情を必要としているのか。ならば誰かはそこで何を語っているのだろうか。そこで苛立っているのは誰なのだろうか。冗談とはどういうことなのか。すべてが冗談だとは思わないが、わけがわからないだけでは気が済まないようだ。前置きが長すぎる。文章の無内容に精神が耐えられない。だが何を批判する気にもなれない。思考が狭い範囲内に限定されているのかも知れない。具体的には何を考えているのか。メディアは何を煽っているのだろうか。何か特定の意図があるわけではない。そんなことを述べている君は何かに取り憑かれている。しかしそれは魔物ではないだろう。言葉は争うための道具ではない。そんなごまかしは通用しない。文章が無内容なのは誰のせいでもありはしない。ただ言説を駆使して争うのが面倒なだけか。それほどの力量を有していないだけか。文と文のつなぎ目から何かが吹き出してくる。虚無は何を笑っているのか。真面目に語る必然性を感じられないのだが、それでも誰かは冗談では済まないような状況の到来を期待しているのだろうか。彼とはどうがんばってみても挽回できないような隔たりを感じるが、君はまだ何を述べているのでもないらしい。少なくともそんなことを思っているわけではない。では何を休んでいるのか。みるみる間に真昼の光景が遠ざかる。もはや文章の何を修正する気にもなれず、記憶の彼方で過去の思い出が認めがたい姿に変貌していく。今さらそんなことを述べても無駄かも知れないが、何もかもが無駄に過ぎ去って、君の記憶を形成する前に消え去ってしまうだろう。だから思い出しているつもりのそれらは過去の出来事ではない。無意識のうちに過去を創作してしまっているのだ。そんなわけで誰かには気づかないことが多すぎる。何もわかっていないようだ。いったい何がそれらの嘘を構成しているのだろう。言葉が嘘を構成している。それは当たり前のことなのではないか。ならば壊れた頭で何を考えているのか。修復不可能なほど粉々に分解されている。たぶんそれが何を意味するわけではないのだろう。その辺で文章が行き詰まっていることは確かだ。あまりの内容のひどさに呆れ果て、記しかけの文章を放棄してどこか遠くへ逃げ出したくなる。君は自ら記した文章をひたすら読み返している。何度読んでも理解不能だが、その中であり得ない出来事などどこにも見当たらない。すべては現に起こっていることだ。言葉の処理が雑だ。行間に見え透いた意図を感じてしまう。たぶんそれ以外は何も提示できないだろう。だがわけがわからないことに変わりはない。そう述べていることも冗談のたぐいなのだろうか。何を語っているとも思えない。


8月23日

 なぜ投げやりな態度になってしまうのか。どうしてその先を語れないのか。その先には何もない。またそんな嘘をつきながらも、その先について考えを巡らせ、何か思いついたふりをしてみる。冗談ではないようだ。目の前に広がっているのは何でもない。確かにそれは風景ではないが、誰がそれを見ていたのだろうか。画面の背景が変わるのは自動的だ。君は操作できない仕組みとなっている。認識を変える必要はない。それは誰の認識ともなり得ない。ただの空白に文字が刻まれる。くだを巻いているつもりはない。酔っているのは他の誰からしい。誰かの勘違いを見せつけられる。君の意識がそこで砕け散る。それが勘違いの内容か。すでに空っぽで何もない。それが許されない状況を構成しているようだ。誰にとって許されないのか。精神が乖離しているとはどういうことなのだろう。導き出されたそれらの言葉をどう組み合わせようとしているのか。被害妄想に陥りたいようだ。誰のせいでもありはしない。さらにやり方が違ってくる。何を修正しているのかわからなくなる。それは文章ではないのだろうか。言葉ではないようだ。文字がどこに記されているわけでもない。そうやって君を批判している。意味不明に思われるが、上空では強風が吹き荒れているようだ。要するにでたらめなのだ。たがが外れている。まともなことを述べられなくなる。誰に出会っているのだろう。その機会を消し去る。何かを利用しなければならない。空虚を利用し続けているといつか空虚に裏切られる。君はそこから遠ざかる。決められた手順を踏んで遠ざからなければすべてが破綻を来す。それで何を述べていることになるのだろう。君にはそれらの終わりがわかっているはずだ。そこに息づいている誰にとっても終わりが近い。正気を保てなくなるのはいつもの通りだ。狂ったふりを繰り返すが、それで気が触れていることになるのだろうか。文章上にその雰囲気を定着させるのは困難だ。ざらついた肌触りの他に印象などありはしない。それが虚無の正体だとは思わない。壁紙全体に星が描かれている。絵画ではないようだ。まだ描きかけのキャンバスに炎が近づき、それを燃やそうとする意志が働き、はさみで細かく切り刻み、それからどうしたらいいものか。誰が放火魔を演じているわけではない。はたしてそれが冗談なのか否か。さらに言葉が分散する。わかっていることはそんなことではない。ただそこに否定する対象を見いだせない。そんなやり方でかまわないのだろうか。その先に行き止まりが待ち受けている。空洞に何を満たそうとしているのか。何をまとめて捨て去ろうとしているのか。誰かがゴミ収集車を待ち続けている。今は収穫の時ではない。もうすぐ夏も終わるだろう。死ぬような騒ぎではない。断末魔の叫びなど幻聴だろう。繰り広げられる暴力はマンガの中に描かれている。単純明快な暴力の応酬に飽きてくる。なぜ必殺技でとどめを刺そうとするのか。殺そうとする瞬間がクライマックスなのだから呆れてしまう。君は滴る血を無視している。目がうつろだ。そういう表現形態に飽きているのだろう。誰かが君について考えている。君の存在を言葉で証明するつもりか。それらはすべて幻想に決まっているだろう。まだそこから抜け切れていないようだ。昔の印象にとらわれているようだが、そこから何をもたらそうというのでもない。ただ見つめている先に文章があるらしい。それを読んで感想を述べなければならない。現に見ている風景の中に誰かが記した文字が埋もれている。たとえば岩に刻まれた文字を読まなければならないのだろうか。どこかの地方のむごたらしい歴史をひもといて、そこから真理でも導き出すつもりのようだが、そういうやり方に道理が通っているわけがない。そこにどのような現実があるのだろう。君が醸し出そうとしている雰囲気とは無関係の成り行きが文章として記されているだけか。ではそこでの経緯とは何なのか。まるででたらめなことを述べている現状があるらしい。それを本心ではどう受け止めているのか。いったい誰の本心をねつ造すべきなのか。ねつ造したら本心ではなくなってしまうだろう。そういうごまかしによって誰かが生き長らえているようだが、そういうやり方にどうやってとどめを刺したらいいものか。できないことをやろうとしても、失敗に終わって落ち込むだけか。また画面の背景が変わる。何とか関係のないことを述べてその場を取り繕いたいようだ。見え透いた嘘でもかまわない。どこまでも果てしなく言葉が連なっているに違いない。それを目にしたら絶望的な気分になる。歯止めが利かない愚かさに唖然とする。それも冗談のたぐいと見なされる。本気でないことはわかっている。本心からは何も述べていないことも承知している。嘘とはそういういいわけかも知れない。本気ではないのだから何を述べてもかまわない、と開き直る余裕があるわけでもなく、本当に何を述べているのかわからなくなるが、それでもそれが冗談だと言い張る勇気が湧いてくる。だがそれこそわけのわからない成り行きに違いない。


8月22日

 それはあり得ない言葉の並びだ。少し戯れが過ぎるのではないか。何もないから嘘でもかまわないか。ならばでまかせに何かおもしろそうな現象に遭遇しているつもりになる。それは作り話に結びつくような成り行きになりそうだ。冗談でそんなことを述べているようだが、嘘なら何を述べてもかまわないのか。何となくその場の状況を理解している。だがもう手遅れだ。何も思いつかず、そんな弱音を吐いて見知らぬ誰かに助けを請う。君には誇りや自尊心がないのだろうか。現実からかけ離れた行為だ。冗談で嘘八百を記している。どうも停滞から抜け切れていない。空気が重く感じられ、晴れ晴れした気分からはほど遠い。冗談でいつまで間を持たすことができるだろうか。八方ふさがりとはこのことか。現実にそんな状況にあるわけがない。君は心にもないことを述べている。誰かの存在に恐怖を感じているわけでもなく、他の誰に脅されているわけでもない。ではそんなことを述べている理由を知りたくなる。いったい君は何をねらっているのか。まだ甘さが足りないようだ。何を調理しているわけでもない。砂糖でごまかすわけにもいかないだろう。誰かはどこからはじき出されたのか。たぶん君が求めている状況からはかけ離れている。永遠に止まらない機械などあり得ない。それらの制度が機械によって動かされているとは思えない。君は電子部品のたぐいか。そこで何を求めているとも思えない。コーヒーのまずさに耐えている。そこからどんな表現が生み出されるというのか。君が何を求めているのではなく、誰かが何を求めているのでもないのだろうが、それでもこの世界には何かがもたらされている。それは事件であり現象のたぐいのように思われ、それについて考えを巡らして、何か述べているように装えば、それで文章になるのだろう。それがどうしたというのか。力が完全に抜けている。まったく修正が利かないようだ。方向的に行き詰まっているのは承知しているが、そこから別の方向があるわけではない。水で薄めればいいというわけでもない。何が現実的でないのだろう。妥協しようと思えばいくらでもできるのではないか。だがそれで何がもたらされているとも思えない。何がそれに対する批判となっているのか。いったい誰を窮地に陥れる算段が錬られているのだろう。君にとっては誰も邪魔な存在ではないはずだ。もう戯れ事にも飽きているころだろう。腕時計の表面が傷だらけになっている。今は何時なのだろう。時間的に余裕があるとは思えない。君の他にその時間帯を利用している者などいはしない。たぶんあとから間に合わないことに気づくはずだ。だから今が肝心なのだろうか。だが君に料理の味などわかるはずがない。何の話をしているのかもわからない。筋が通っていないのだろう。何を物語る気にもなれない。夕方頃になると眠気がしてあくびが出る。それの何が物語になるのだろうか。それとは何だろう。複数の声が君を構成していることは確かだが、どの声も君に逆らってそこから遠ざかろうとしている。もうやっていられないようだ。戯れ言を記すのに嫌気がさしているらしい。ただわけがわからないだけではやっていられない。夕焼け空を見上げても何もない。蝉の鳴き声がやかましい。やはり冗談でそんなことを述べている。それでも傷口が徐々にふさがり、何事もなかったように振る舞える日も近いだろう。誰がそこで踊っているわけではない。それは奇妙なやり方だ。支離滅裂を装いつつも、現実にもそれに近づいているのに、そこから自己満足を得ようとしている。何らかの達成感がもたらされるらしい。しかしそれで何を先取りしていることになるのか。言葉以外に何が先行しているのだろう。心の核となる意志がない。君の目的を知りたいところだが、それについて君自身が何を述べられるというのか。引きこもりの一種かも知れず、外界との接触を断ちながらも、窓の外ばかり見渡していて、そこから何の目的も導き出せないことに苛ついている。そういうやり方自体がずれているのではないか。現実を見据える気がしないらしい。誰かは常にその無機質的な心を空っぽに保っている。冗談でそんなことを述べているわけではなく、案外本気で言葉の組み合わせから生じる幻想を信じているのかも知れず、それに対する畏敬の念すら抱いているのだろう。それは自然主義に通じるものがある。君は冗談でそんなことを述べているのかも知れないが、何が本気で何が冗談なのか区別がつかないところがある。わざと矛盾する主張を並置して見せたいのだろう。それについては真に受けるべきでない内容になりつつあり、誰に向かってそんなことを語りたいのでもなく、そこから生じる過ちや間違いをそのまま放置して、何となく何か適当なことを語っている雰囲気を醸し出したいだけなのかも知れない。それで文章としてまともだとは思えないが、それはそれでかまわないのではないか。事の善し悪しを判断する基準がない。だがいったんそんなやり方がまかり通ってしまうと、まったくのでたらめも許されてしまうだろう。


8月21日

 水を飲みすぎている。何かが内部からにじみ出てくる。墨汁のたぐいかも知れない。遠い岩山の頂から鋭い視線を感じる。誰かがそこから飛び降りようとしているらしい。今まさにどす黒い顔が木立の間から現れ出でるころだ。君は何を空想しているのか。実際に見えている夜景は君に何も語りかけない。たまに壁からカレンダーがはがれ落ちることもあるらしい。誰かが狂気の力を物語から授かるところだ。君はさらに馬鹿げたことを述べている。何が断片化しているというのか。緑茶の苦みが心地良いと思いたいなら、さっさと自動販売機に向かって歩を進めればいいだろう。誰かは清涼飲料水を求めている。それは君の空想ではないはずだ。誰か言葉の泉という辞書を知らないか。誰が崖から転落死したのか。君はまだその続きを語っていないはずだ。金がいくらでもあるわけでもないが、別に貧窮に耐えているわけではない。その場の空気が濃いのだろうか。言葉の過剰に歯止めがかからない。自意識過剰というやつか。それでもまだ語り足らないようだ。いったいどれほど言葉を連ねれば、まともな言葉の並びに行き着くのか。さっきから同じような言葉が自然とあふれ出てきて、適当に組み合わさり、虚無が何か語っているつもりらしいが、一向に興味を持てず、そこから無意識のうちにありふれた結末を求めている。最後はどうなってほしいのだろう。そこまで至れないのではないか。君はすでに結末を知っているはずだ。誰かがそこで死んでしまうらしい。死者の思い描く未来の姿に見とれている。誰かがそれについて何か思っているようだが、それは心ではなく、また心の他に何が痛んでいるわけでもない。製氷室の氷の香りが気に入らないのだろうか。若干頭が痛いのは気のせいか。だがそのタイミングで鬼気迫る表情などあり得ないだろう。職人気質というのは冗談である場合が多い。それは何のための技術なのか。何かを生み出すために必要というのなら、それを何かの機会に役立ててほしい。君はいつものようにそれが冗談ではないと思っている。その場その場でアドリブの連続となり、全体としては何のまとまりもない。唐突に四人の英雄が歌い出す。何かの本質から外れて、何かについて語ろうとしているらしいが、わずか三分間の演奏で何を示せるのか。ありふれたフレーズに乗ってありふれた台詞が伝わってくる。そしてまたつまらない反応が返ってくる。BGMとはそういうものだろう。それらの言葉は意味不明だが、今はそれを無視してかまわないのだろうか。何となくそれは違うような気がする。何を述べても批判の対象とはならないだろう。対話を拒絶する文章に違いない。感想すら述べられず、嫌がらせのような無視のための言葉しか提示できず、結局それで何を述べていることにもならないので、要するに意味不明なのだ。何がそこでの限界なのだろう。考えれば考えるほどわからなくなる。気がつけば以前と同じようなことを述べている。そこに限界がある。わかっているのはそういうことだ。限界がなければ気が狂ってしまうだろう。そのときの気分は躁状態らしい。そこから逃げてはだめだ。ところでどうやってふたを開けたのか。別にスイス製の高級腕時計を修理しようというのではない。現実にはそこから遠ざかろうとしている。逃げられないのに逃げている。君はわけのわからない矛盾を抱え込んでいる。だがこれ以上余分なことを述べるべきではない。何を欲しているわけでもなく、何から逃げようとしているのでもない。だからそんな語り方が気に入らないのだ。そこからは何も出てこない。それらの言葉が何をもたらしているわけでもない。いったいそこから何を語ろうとしているのか。まだ何も決めていない。君が語るための場所などどこにもありはしない。対決する予定の相手は何かの蜃気楼に取り囲まれていて、幻の虜となっているようだ。誰と誰が何を賭けて争う予定だったのか。賭することをいとわないような状況ではない。何を述べているのかわからなくなっているだけか。では目に見えている風景は過去に属するのだろうか。直に何をのぞき込んでいるのか。未来への妄想に焼き尽くされて心が空っぽになる。何が君の夢だったのか。捉えきれないスピードで何かがつっこんでくる。かろうじてよけきったように思えたのは、過去の思い出か何かだったのだろうか。誰かが黄ばんだ写真の中で微笑んでいるようだが、わかっているのはそんなことではない。事の真相がわからず終いになりそうになっているだけか。言葉の連なりが前方を塞いでいて、それらの文章の理解を妨げている。言葉が連なっていなければ文章にはならない。何も記されていない紙切れから何を読み取るつもりなのだろう。早くそこから退散しなければならない。君のすぐ近くまで破滅が忍び寄っている。星空など眺めている場合ではない。狂気にとらわれたくなければ、とにかくそこから遠ざかることだ。どうか速く逃げてほしい。それは誰の頼みなのだろうか。それも君の内部から生じた冗談のたぐいか。嘘に決まっている。


8月20日

 気がつけばだいぶ時が経っている。ふと見れば誰かがそれらの光景を眺めている。内陸部で砂嵐が吹き荒れている。だがそれは画面上の風景に過ぎず、心は何も思わない。そこで実際に暮らしている人にとって、それはどんな感覚なのだろうか。別に何を想像しているわけでもなく、次々に襲ってくる睡魔と戦っているわけではない。それについては何の感慨も抱けない。誰が悪魔なのだろう。悪魔ではなく睡魔なのではないか。だが睡魔は誰でもないだろう。眠気を魔物にたとえているだけか。それも冗談のたぐいだろうか。安易なやり方に違いないが、そんなに早く脱落できるはずがない。どこから逸脱しようとしているのか。現状ではただ空疎なことを述べている。目の前の景色が変わったらしい。番組が終わったのだろうか。気がつけば深夜になっている。疲れて眠ってしまったらしいが、架空の君は状況の変化について行けない。君の話をしているわけではない。では他に何が見えているのだろうか。その場の成り行き的には何も見えていないと思っているわけか。君が思っているのではない。誰かは相変わらず冗談を述べているらしいが、それがおもしろいとは思わない。たぶん思わないのも君ではないのだろう。しかしそれの何が冗談なのか。それとも君は嘘をついているのだろうか。別に誰が君の話をしているわけではないが、その内容も大したことはないようだ。誰の話でもないのだろう。そこで誰が何に見とれているわけでもなく、他の誰を出し抜こうとしているわけでもない。ではそれで何を語ろうとしているのか。それがわかったら苦労はしないか。それでは気休めにも気晴らしにもならないが、試しに目を瞑ってどこかあり得ない方角を指さしている自分に出会う。だが指しているそれは方角ではない。言葉によって頭を混乱させたいだけのようだ。誰かは混乱しつつも未来を目指して努力を惜しまない。どうやら努力しているのは君ではないようだ。ならば君の未来は君とは別人の未来だ。君には他に能力がないのだろうか。試しに誰かの未来を占ってみる。水晶玉に何が映っているのか。無色透明の中心部から明るくなってきて、掌をかざすと光が漏れ出てくる。空想とはそういうものだ。そこで何を空想しているのかわからないが、はたしてそれは未来の光景なのだろうか。何が果たされているとも思えず、あやふやな記憶に心を覆われている君は、いつまで経っても本当のことを語らず、その代わりに何か苦しいことを語ろうとしている。でもそれが断末魔の叫びに変わることはない。とりあえず占い結果を分析しなければならず、そうすることによって君には未来がはっきりと見えているつもりになれるだろうが、それは誰の未来でもなく、占いの対象が誰でもなければ、結局何を占っていることにもならない。なぜ途中で結論をねじ曲げようとするのか。とりあえずそれとは別の時空では、誰かがただ水晶玉を眺めているようで、あてのない空想を巡らしているだけのようにも感じられ、何ら客観的な結論には至っていないのかも知れない。嘘をつくのもいい加減にしてほしいか。現実に話の中ではそうなのだから、いくらそれを否定しても無意味だ。ならば批判の矛先を変える必要でもあるわけか。さっきまでは何を批判しているつもりだったのか。つもりなのではなく、そのつもりもなかったのではないか。では他に気に入らないことでもあるのか。君はそれらの無内容を気に入ってくれるはずだ。そこには揺るぎない確信が含まれていて、その確信とは君が架空の存在で、誰でもない誰かでもなく、ただの間に合わせの言葉として君が使われているにすぎない。文章の中の何を操作すればそんな結論を導き出せるのか。何が結論なのかわからない。そう語ることに目的を見いだせるとは思えず、目的がなければ手段を選べない。少なくともはじめから答えが出ているわけではない。わかっていることはすでに述べたはずだ。君はそこで未知の現象に遭遇している。なぜあきらめてしまうのだろう。結論はすぐそこに提示されているではないか。何かの近くまでやってきている。それは認めがたい結果なのだろうか。認めがたいが認めざるを得ない。すでに破綻が始まっているはずだ。それを免れ得ない。どうやって急場をしのいでいくのか。わかっていないのだからわからないままにして、わかろうとしなければいいわけか。それでも別の時空ではわかっているつもりらしい。状況が君にわからせようとしている。君は自らに理解可能な現象をその目で見させようとしている。それで何を見ていることになっているのか。話の中ではどこか見知らぬ荒野で何者かに遭遇しているらしいが、ちなみにそこでどんな会話が交わされたのか。そういう展開なら少しは興味が湧くだろうか。君は君自身が興味を抱くか否かを気にかけているようだが、それで何を述べていることになるのかわからない。だがその一方で言語的なごまかしによって窮地を脱したつもりになる。やる気がしないらしいが、語るきっかけがつかめないのはわかっている。


8月19日

 突然言霊が襲ってくる。目に映る光景とは何だろう。複数の身体から誰かの魂が抜け出てくる。君はどこから抜け出ようとしているのか。また冗談ではないと思っている。郷愁にとらわれているのではなく、見えているのはシベリアの夕焼けではない。この世のどこかにそのきっかけが埋もれているはずだ。今は精神的に追い詰められているので、それが口からでまかせだとは思えない。だがそれで何を語っているつもりになれるだろう。状況に対するこだわりが何も見えてこない。気がつけば何も思いつかなくなっていて、特定の固有名が出てこない。もう少し素直になったらどうか。そういうやり方が気に入らない。何をしゃべっているのかわからず、昨日の印象は何もない。ただ破れかぶれで文章を構成しているらしい。そんなわけで心境的には開き直っているようだ。そう述べて何をやり過ごしているとも思えないが、それは何に対する感慨になるのだろう。何が見えているわけでもない。画面を眺めている場合ではない。そこに何もなければ、無理に言葉を連ねざるを得ない状況に追い込まれるまでだ。誰かの心その日の天候でころころ変わる。賽の目はいくつが出ているのだろうか。誰が双六をやっているわけでもない。博打を打つのは時期尚早か。しかしそれでは何の作り話にもなっていないのではないか。意味不明の思わせぶりだけでは誰もついてこないだろうが、間が開けば何も思い出せなくなる。君はそこで何を思いだしているのか。たぶん何を知っているわけでもなく、現時点では何も知り得ないだろう。何がそうさせているのか。君はそこで何を知ろうとしているのか。誰かが架空の窮地に陥っている。またテレビを見ていたのか。しかし疲れていたのでそのまま眠ってしまって、気がついたら翌朝になっていた。それが話の内容とは思えず、それとは別の話がに適当な話されているのかも知れないが、現実の日常にドラマはない。失敗に終わった要因としては、その辺の認識が足りなかったのかも知れない。だがすでに言葉を連ねている。話が尽きているのに語ることをやめようとしない。何とか劇的に話を終わらせたいのに、まったく盛り上がらない。なぜ人々は劇的な話の展開を求めているのか。それは話を提供する側の思いこみに過ぎない。勝手な思いこみによってよかれと思うことを他人に押しつける。君はそれらをどうすることもできない。だから何かを割り引いて考える必要があるらしいが、それによっても何の進展も期待できない。そこで戯れにわざと行き詰まってしまう。強烈に相手を否定する感情がどこにも見当たらないらしく、頑なさに欠けているようだ。泥臭い展開とはどういうことなのか。伝統とは何なのか。それが何の伝統となっているのだろう。どうもそれについて説明できなくなっている。馬鹿げているとして切り捨てようとしているらしい。それ以外に明確な理由など何もありはしない。いったい何から利益が生じているのか。なぜそこから利益を絞り出せるのか。根本的なところが間違っている。君はそれを理解していない。それでも人々はそこで暮らしていかなければならない。たぶん餓死するような境遇にはないのだろう。都市の役割とは何だろうか。街は何からできているのか。人々は仕事をしながら生きている。メディアとは何なのか。君は何を伝えようとしているのか。まったく話になっていない。ただ言葉を羅列しているだけだ。話の色調に統一感がない。また気休めに壁紙でも眺めているのだろうか。あるいはカーテンの色でも気に入らないのか。煤汚れた日本的雰囲気に軽薄な構成を感じ取る。そこに醸し出される人為的な意図がわざとらしい。自然の風景を操作しようとして失敗しているような構成だ。しかしそれでも君の言葉は実際の風景とは無関係だ。そこで何と何が袂を分かっているのだろうか。語っている内容が空疎なのだ。だから文章の難解さを装いながらも底が浅い。わけがわからないのは本当にわけがわからないということだ。何を述べているのでもないらしい。現実にそうなのだから、今さらそれを否定しようがない。意味不明から遠ざかることはできない。具体的な事象について説明しない限り、偽りの難解さから抜け出ることはできないだろう。君はそれでかまわないのだろうか。君のどこに意識が眠っているのか。それが無関係なことを述べている証拠になるだろう。それは意識ではなく、誰の意思でもなく、思考することとも関係がない。出口のない迷路であるはずがない。考えがまとまらないうちに言葉が連なる。それがそこでの現象なのだろうか。君はそこから何をわかろうとしているのか。今や君はそれを知っているはずだ。知らぬ存ぜぬでは通らない。この世界の状況は君に何を伝えようとしているのではなく、それらの光景は君に何を見せているのでもない。ただそこはに何もないと思わせようとしている。だから君は何もないと述べているわけか。実際に何もなければ何も感じないだろう。それで君はかまわないのだろうか。そこまで述べて何を期待できるだろう。


8月18日

 なぜ汗をかいているのだろうか。つまらないことを考えているうちに暑くなってくる。確かに昼は暑い。暑いが意味はない。ただ暑いだけのようだ。しかしそれで何を語っていることになるのだろう。今さら何もできないというのは嘘に決まっているが、いつも決まって嘘をつくのはどういうわけなのか。自らが発した言葉が自らに返ってくる。言葉が自ら招いた現状をどうにもならないようにしてしまう。それがわかっているわけではない。だが少なくともそれに参加している各人の間で温度差があることは承知している。それらの現状にどのような結びつきがあるというのか。やる気がないというわけでもないが、隔たりがあるのことはわかっている。本当はわかっていない。目的とは何だろう。それらのどこに目的を見いだすことができるのか。それらとは何だろう。それらでなければならない理由などどこにもありはしない。そんなことを述べているうちに空疎な気分となっている。心がどこかで希薄に漂っているらしい。そんなことはあり得ない。言葉にすればあり得ないことでも示せるだろう。しかしそれを示して何になるのだろう。何にもならなければどうだというのか。複数の思いが頭の中を駆けめぐっている。思いつくのは意味のない疑念ばかりか。そんなことはどうでもいいことかも知れない。かも知れないのではなく、本当にどうでもいいことだろう。君は否定の力に逆らって無意味なことを述べている。それは無駄なことだろうか。無駄でなければ何になるのだろう。いつの間にか雨が降っている。外は土砂降りの雨だ。闇の中で誰の姿を想像しているわけではない。できないことはできないことでしかないようだ。否定が連続していてもかまわないだろう。心は何を包み込んでいるわけでもなく、それらの感情が表に出てくることはない。神経の細かい者には耐えられないような現象が連続する。君はそれに耐え続けられるだろうか。他の誰に耐えてほしいわけでもない。ただそれが何もないことのいいわけにならないように願っている。何もないのではなく、単に何も述べられないだけだろう。また否定の連続になってしまったらしい。誰かの頭の中では別のことを考えている。日付がこれ以上遅れてしまったらどうしよう。はたしてそんな心配が杞憂に終わる可能性がだろうか。今のところは何もありはしない。たぶん何も導き出せはしないだろう。君の思い通りになるはずがない。誰かがどこかで戦争の悲惨さを語りかける。そういう内容ではない。では眠ってしまってはまずいのだろうか。なるべく空疎な内容になるのを阻止しなければならない。文章の標的になっているのはあなたと私ではない。君と彼でもない。ただそうではないと願っているだけかも知れない。事件の渦中に参加することに意義があるとは思えない。誰かが語っている対象のそれが事件だとは思えず、その詳細を知ろうとする気が起こらないが、それは誰の本心から述べていることなのか。誰でもかまわないわけはないだろう。少なくとも何らかの意識が介在していないと話が成り立たないか。しかしそれは誰の武勇伝にもならない些細な挿話に過ぎず、それについて語るのも面倒になるほどのどうでもいいことだ。君は語る気になれないようだ。語る必然性を見いだせないのかも知れず、すでに何を語ろうとしていたのか思い出すのも億劫になっているはずだ。そんなはずがないと思いたい。だがそれらの文章上では誰の願いも聞き入れられず、どんな話もなかったことになってしまうらしい。結局君は何も語らず終いのうちに文章を記すのをやめようとしている。ただわけがわからないことにしてしまいたい。それが退屈な気分を醸しだして、君の背後をありふれた景色で彩る。この際何もなかったことにしよう。できるものならやってみればいい。まだわずかな時間が残っているはずで、今はそれを活用しなければならない。はたして残り物に福がやってくるだろうか。そういう話ではないはずか。どういう話でもなく、何を語ろうとしているのでもない。気がつけばまたそこへ戻ってきてしまったようだ。何を語ろうとしているのでもなく、語ることなど何もないとすれば、それらの文章は何を語っているのだろうか。矛盾していることはわかっているが、それも冗談の一種と考えれば、何かしら語っていることになるのかも知れない。それで何か不満でもあるわけか。不満だらけで何一つ満足すべき結果を残せていないようだ。何やらそれらの惨状に直面すると腹の底から笑いがこみ上げてくるらしく、誰かはざまあみろという心境に近づくらしい。結局君には何も語れない。そしてその代わりに空疎な言葉をさかんに記して、何も語れないことのいいわけとして提示しているわけか。ならばそれらの惨状はまったくのところ冗談ではない。しかし他の誰かによって文章を記すのを妨害する試みが企てられているはずもなく、ただ成り行き的に他の行事が立て込んでいて、それが作業を妨げる要因として作用していることはわかっている。それでも続けようとしていることは事実だが、無理に続けようとすれば内容を欠いた、空疎な言葉の連なりとなってしまうわけだ。


8月17日

 誰かはまだそんな場所でうごめいている。気が散って何もできはしない。そんな状況から誰かが立ち直ろうと必死にもがいているようだが、今のところ目立った成果は上がっていないようだ。気分はどこまでも空疎な雰囲気に包まれている。それが何を意味するのかわからないが、誰の想像に任せても意味不明から脱出することはできないだろう。空想はどこまでも虚しい行為だ。何を思ってみても現実がそれを否定しにかかる。しかし囚われの身というわけでもあるまい。妄想の虜というわけでもない。物語の中では金融業者が他人の資産を売り買いして莫大な利益を得ている。すべての利益の源泉は金貸し業者から発生するのだろうか。現存する業種の何をなくすこともできない。強権発動というわけにはいかない。黙って自滅するのを待つしかないようだ。資産運用という甘い罠にはまるのも、世の中の流行現象を受け入れた結果として肯定すべきなのだろう。資本主義は世界最強の宗教だ。誰もがその宗教に屈している現状を認めるべきか。今やそれ以外はあり得ない。君はそれらのどこから利益を得ているのか。働かなければ生きていけない現状を打開しようとは思わない。遊んで暮らすのは倫理的に許されないのだろうか。一度そういう身分になってみたいか。たぶん金がさらに多くの金を生み出すような仕組みを確立すべきなのだろう。カースト制の最上部まで登りつめてみたいか。今はどの辺でもがいているのだろうか。誰が悪魔の誘惑に屈しているわけではない。そういう中世的な言動は現状とマッチしていない。ところで宗教とは何なのか。資本主義の何が宗教的なのだろうか。拝金主義というわけでもないだろう。確かに誰もが金の力を信じている。それが電子マネーであろうと物質的な貨幣や紙幣であろうと、形態がどうであれそれらは商品と交換できる唯一のアイテムか。しかし商品とは何なのか。何が商品であって他の何が商品でないのだろう。仮想であれ現実の店舗であれ、商品として陳列されている物が商品なのだろうか。物であろうと情報であろうと、それが商品であるか否かは、実際に買ってみなければわからないか。結果的に売ったり買ったりできる物や情報が商品として機能している事実を否定しようとは思わない。しかしそれが宗教的な思いこみだとして、それを宗教的だと非難して何になるのだろう。宗教は否定すべき風習なのだろうか。資本主義を宗教に結びつけて葬り去ることなどできはしない。実際に誰にも葬り去れないからそのような仕組みが現存しているわけだ。だから今のところはくだらぬ妄想の域を出ない話をしているのかも知れず、話の進め方がまったく論理的でないが、他にどう語れるというのか。何か資本主義に代わる代替案を提示するというのも、結果的に虚しい響きを伴うだろう。人々の欲望を成就するのでなければ魅力に乏しい。金の力によって他人と差別化を図りたい。欲求不満の現状から金の力によって脱却したい。たぶんそれらの制度を支えているのはその手の欲望ではない。世のため人のために手持ちの莫大な金を使いたがる人々がいる。そういう美談を求める一握りの人々がそれらの制度を支えているわけか。そういう人々を賞賛する大勢の人々がいる。またそれは手持ちの金でなくてもよく、多くの人々から寄付を募り、集まった莫大な金を世のため人のために使いたがる人々もいる。そういう行為を否定できるだろうか。たぶんそのような社会貢献を否定する理由はないのだろう。しかし君は納得できない。君は何のために生きているのか。生きていくための理由を探しているわけではない。良い行いをして他人から尊敬されたいと思っているわけでもなく、これ見よがしの社会貢献を嫌っている節もある。貢献する必要のない社会などあり得ないか。ではなぜそこで人々が不幸な境遇に陥っているのか。どうして放っておくと貧富の格差が増大してしまうのだろうか。人々は夢を見ている。富を独占している一握りの層に入りたい。そういうたぐいの成功を夢見ている。世に自らの存在を知らしめたい。有名人になって世間から注目を浴びたい。それらの自己満足を否定するわけにはいかないのか。いったい宗教とは何なのか。外部の視点から眺めてみれば、すべての人間がどうということはない存在でしかない。わけのわからないことに価値を見いだしている。やがて死に行く存在でしかないのに、さかんに自己主張を繰り返す。人によっては死ぬ間際までそんなことをやっている。大勢で何を競い合っているのか。たぶん根本的におかしいのかも知れない。考えるべきでないことまで考えている。現実にそこには何もない。物々交換の手並みを競い合っても仕方がない。そこで何を信じればいいのだろう。どこに神がいるというのか。人々は神を信じているわけではなく、金の力を信じているわけでもない。それら全般についてある疑念を抱きざるを得ない。金を貯めてどうするのだろう。貯めた金を何に使うのか。たぶん何に使ったところで気が済むはずがない。君は金が現実に貯まっている状況に満足すべきだ。


8月16日

 夏の空に入道雲が成長する。もうすぐ秋になるかも知れないが、今のところは何の予兆も感じない。それとは別の場所では何もないことが誰かを追い詰めている。そのまま犯罪へと駆り立てるわけか。誰がそれを不吉な成り行きだと思うだろうか。ドラマの中では誰かが破滅する。そうならなければ話にならないのではないか。決まり切った展開を経て誰かが不幸になり、他の誰かを恨んで、自らの行動の指針を決定づける。そうならなければ話にならないだろう。そして感情的に自らの境遇を否定しなければならなくなる。衝動に駆られた行動の先に結末が待っているのだろう。制作者は衝撃的な映像を茶の間に届けなければならなくなり、凝りに凝った演出を物語の中に張り巡らして、何やら大げさな立ち回りを導入しなければ気が済まなくなる。それはいつの時代の話なのか。何となくその時代を象徴する現象を物語の中に定着させたいのだろう。何となくではなく確信犯なのかも知れず、それが自らに課せられた使命だと思いこんでいるのかも知れない。それが大げさな話の展開をもたらしているわけか。君はその続きを見届けたいのだろうか。まだ迷いがあるらしいが、その気はあるらしい。ではそこからこの世界について何を考えるべきなのか。いくら考えても原因と結果がつながることはない。時間も場所も前後している。たぶん未知の時空においてしらけているのだろう。虚無的な心境のまま、誰かはその場に何をもたらそうとしているのか。誰かとは誰のことなのか。途中から話の筋を見失って、気がつけばまた内容のないことを述べている。真昼の光景はどこまでも空疎な心をもたらし、それとは無関係に地上では人がうごめき回り、さらに無関係に空はどこまでも高い。それら間には何の関連もないだろう。そんな状況で人は君に何を告げられるのだろうか。君は神なのか。何を述べようとすべては無駄だ。実際にはそれほどのことでもないが、仕事に追われているうちに、すでに夜になってしまったらしい。なぜか気分的には余裕をくれているようだが、それほど時間をもてあましているわけではない。忙しかったのほんのひとときであって、語っているときと文字を記しているときが時空的にずれているのだろう。要するに関心がそれとは別の方角へ向いていて、余裕があるどころか時間に追われているような気もする。それでも今は何もできないわけでもないはずだ。近頃は闇雲に冗談を並べすぎている。そこにそれ以外の何が見いだされているというのか。空元気のたぐいかも知れない。そしてどんなに努力しても、なるようにしかならないこともわかっている。それが嘘であってほしいか。何を願っているのか知らないが、何か努力が報われるような状況がもたらされてほしいわけか。いくらがんばっても、そんなのは努力のうちに入らない。たぶん冗談でそんなことを述べているのだろう。反論したければ、それが冗談でないことを証明してほしいか。気晴らしに壊れた腕時計を腕に巻いてみる。君が求めているのはそんな時間ではない。面倒くさがっているうちに我を失いかける。それは幻想のただ中での出来事かも知れないが、他の誰かが君には関係のない幻想に包まれている。その場の雰囲気に合わせて、言葉が勝手に連なっているように感じられ、それが嘘であろうとなかろうと、そんなこととは関係なく、ただそうであってほしいと願っている。それはまったくのでたらめか。相変わらず誰が何を語っているのでもないらしいが、君は何を知っているというのか。苦し紛れなのかどうか定かでないが、突然支離滅裂気味に問いかけまくるが、答えは何も返ってこない。答えを求めていないことが明白になる。だがそれでも終わりまでには間があるらしい。始まりから終わりまでの間に何も起こらないはずがないが、いったいそこで何が始まり何が終わろうとしているのか。誰がそれを知っているつもりになれるだろう。少なくとも君は何も知らず、それどころかそれらの文章を読む限りにおいて、誰も何も知り得ないのかも知れない。少なくともそれらの文章には何も記されていない。だからまっとうな解読は無理なのかも知れない。ただ斜め読みしたあとに忘れてしまえばいい。そのような成り行きに逆らって読もうとすれば、誰かは気が狂うだろう。そんなのは嘘に決まっているが、他に何ができるわけでもないらしく、実際にはその先があって、君にはすでにそれに関して予定が入っていて、それをこなさなければ前進できない仕組みとなっている。だからそこからさらに遅れてしまうのだろう。言葉は君を待ってくれないようだ。それは何かの行事なのだろうか。それについては言葉を差し挟む場所が見当たらない。そこは君の時間ではないのかも知れない。君に何をやらせようというのでもない。ならば君が誰に似ているというのか。いつものようにまったく関係のないことを述べている。何の脈絡も感じられず、どこにも出口が見当たらない。解決の糸口がまるで見えてこないが、それらの文章は何を解決しようとしているのか。


8月15日

 今さら何をどうしようというのか。何を述べようとしているのか知らないが、未来の時空にもたらされている粗雑な何かを、そのままにしてしまいそうになり、時間的に追い詰められていることを忘れて、ひたすら文章に修正を加えていると、さらにおかしな言葉のつながり具合が発覚してしまう。きりがないようだ。だが誰に見られているわけではない。ではそこからごまかしが始まってしまうわけか。しかし何を嘘で塗り固めようとしているのか。まったく性懲りもないどころではないが、わざと間違った表現を多用したい気になってくる。破れかぶれといったところだろうか。それでも意識は目に映っている光景を信じようとしているらしい。しかし気分が今ひとつ乗ってこない。懲りていない自らにどんな自覚を促しても無駄だろう。もはや面倒な自意識を捨てて、とりあえずそこに生じている言葉の支配を受け入れなければ、何も述べられなくなる。何を述べているのでもないことを肯定しなければならない。そうやって誰かは罠にはまってしまうのだろう。だがそんなところからこだわりが生じるはずがない。何かにこだわっていられる状況ではないらしく、そんな馬鹿げた言葉の配置に言葉を失う。しかし言葉を失ったことを確認しながら言葉を記しているのはどういうことなのか。本気ではないということか。それが答えになっていないことはわかっているが、現状ではそれでもかまわないのだろう。さっきからひたすら何かが繰り返されているようだ。頭の神経回路上を微弱な電流が走っている。それは誰の想像なのだろう。誰でもかまわないのだろうが、黙っているとひたすら黙り込んでしまう。今度は誰を黙らせているのか。虚無から逃れるためにも、何かアクションを起こした方がいいだろう。誰でもない誰かが何かを述べている場合ではない。場合でなければ、そこでどんな場合を想定できるのだろう。何を述べているのかさっぱりわからない。それはいつの時代の言説なのだろう。今はいつの時代なのか。君は過去の重視して今を無視しているようだ。そんなのはでたらめに違いない。まだ本気になれないのだろうか。まったくどうでもいいことを述べている現状があるらしい。何かを見失ってからだいぶ経ってしまったようだが、そろそろエンジンを始動させた方がいいのではないか。そんな話をしている場合ではない。感覚に少しぶれがある。少しどころではない。そんなことはわかっている。昼に外を見れば空は晴れている。そんなこともわかっているだろうか。夕立が止んだらしい。今はそれから数日後の夜だ。誰かが遅れてやってくる。それは数日後のことだろうか。見ればわかることか。何を見ているのか。君は虚無に魅入られている。それは安易で不確かな見解だろう。説得力のある根拠を提示できない。だいいち方向が間違っている。向きが逆だろう。そういう方向ではないような気がする。しかし逆ではないだろう。どのような言葉に共鳴しているわけではない。また何かの冗談に引っかかっているわけか。宇宙の秩序とは何だろう。人間とどのような関わりがあるのか。幻想なのかも知れない。ならば君はこの世界から何を学んでいるのか。自分を取り巻く周りの状況から何一つ学んでいない。そんなのは嘘に決まっている。意識はまだそんなところで停滞している。そこから離れられないようだ。まだ目覚めていない。そこにとどまっている現状について、何かこだわりがあるらしいが、まともな内容を導き出せないなら、いい加減にやめてしまえばいいだろう。しかしその場面では何が正解なのだろうか。やるべきかやめるべきか、そんな選択肢などどこにもありはしない。何をやったり何をやめなければならないのだろうか。時がうやむやのまま流れてくる。誰が岐路に立たされているとも思えない。決断を下す理由を知ろうとしない。今がいつの時間帯なのかわからなくなる。虚構が事実を反映していない。そこで何が流れ去ろうとしているのか。答えを求めない問いかけの連発は単なる時間稼ぎにしかならない。実際に何がもたらされたわけでもなさそうだ。何もかもが馬鹿げているように思われる。そこで何を感知しているのだろうか。何が馬鹿げていると思われるのか。それらの言葉の循環具合が馬鹿らしい。どこにも出口が見当たらない。闇の中で無意識が目覚める。それはあり得ないことだろう。闇を切り裂いてここまで進んできたわけではない。今さらながら何にこだわっているのかわからなくなる。ひたすら継続することに執念を燃やしているらしいが、現実の時空でそんなこだわりはどこにも見当たらない。君はそこで何を考えているわけでもなく、何を考える必要性も感じないばかりか、実際に考える以前の段階で、何らかの行動の中で思考停止状態に陥っているのかも知れず、絶えず考えるより先に行動しなければならない状況の中で、勘を働かせている現状がある。いったい何について考えたらいいのだろうか。この世界はこのままでかまわないのではないか。これ以上何がどうなってほしいのか。


8月14日

 何となくさらに遅れてしまうらしい。下界の状況はどうなってしまったのだろう。何かを見失っている状況に変わりはない。おかげでまったくやる気がしない、というか何も見えてこない。よろめき回ってどこかにぶつかりながらも、かろうじて立っているのがやっとの状況だ。誰が砂利道で転んだわけではないが、どこかで地面が揺れているらしい。地震が地球の反対側で起こったのかも知れないが、それは貧乏揺すりのたぐいだろうか。神は何も示さない。君の冗談はいつも意味不明だ。いったいいつまでそれを続けるつもりなのか。冗談でやっていられるわけがない。語るのに飽きて、いつまでも無言を弄び、さらに罠の奥底にはまりこむ。そんな状況に嫌気がさし、しびれを切らして正気に戻ろうとするが、今さらそんなことができるわけもなく、結局何をやろうとしているのでもない。誰が現状では何もできないと思っているわけか。何もない状況から何を学ばなければならないのだろう。他人の行いを馬鹿にしても無駄だ。いくらでもそこから立ち去ることができるだろう。誰がそこから立ち去れるというのか。君の非難はいつも的外れであり、そんな台詞を用いて誰のことを呪っているわけでもなく、たぶん言い回しが回りくどすぎるのだろう。実際には何を述べているわけでもない。他人を馬鹿にするにもほどがある。それを承知でそんなことを述べているのだから、わざとらしく思えて当然だ。何が当然なのか理解不能だが、そんなわけでとても本気になれるような状況ではない。君は自分を見失っているようだ。自分という者の価値がわかっていない。価値とは何だろう。それは誰のことを指しているのか。現状ではそれらの文章が何を示しているとも思えない。君は君から抜け出てどこかへ消え去りたくなるが、仮にそこから離脱できたとしても、何と何が分離していることになるのだろうか。自我も自意識も定かでない。君自身がそこへ現存できなくなっている。その存在が希薄すぎるのだろうか。思考がないのではないか。何を考えても、何も考えられない状況に変わりはない。そんなくだらぬ矛盾状態を真に受けることができないが、それの何がくだらないのかわからない。誰かが君の出現を妨害しているようだ。君の妄想にはもう飽きたのだろうか。たぶん何をやろうとしてもその気になるタイミングが早すぎるのだろう。何もかもが遅れてやってくるように思われる。それは焦っている証拠だろうか。焦らざるを得ない状況に追い込まれているのではないか。実際心理的に追い詰められている。言葉を組み合わせて何を表現しようとしても、意味を見いだせない。そんなことを述べて何になるのだろうか。それらの光景を眺めているだけで自然と言葉が出てくるわけもないか。結局は毎度のことのように空白の時がやってくる。考える必要が見当たらなくなり、何もできなくなるわけだ。そして心はどこへも移動できなくなる。それは誰の心なのか。そのような状況がどのような結果をもたらしているのだろうか。現状では何もない。何も感じられず、何がもたらされているとも思えない。言葉の連なりには迷いが生じていて、その先にどんな言葉を繋げようと、それが不満に思えてくる。それが現状なのだろうか。さっきから同じことばかり述べているような気がするが、架空の日付から数日後には雨が降っているようだ。確かにそれの何が現状だとも思えない。どんな原因によってそうなっているとも思えず、そんなことを述べている君の意図がわからず、誰かが数日後の雨空を眺めている。架空の明日はまた蒸し暑くなるらしい。君はそのとき何を語ろうとしていたのか。君に語るときがやってくるとは限らず、またそのときがいつだったのかを思い出す機会が得られるとは思えない。はたしてそれは過去だったのか未来なのか。架空のそのときを利用してどんな台詞がもたらされるのか。こんなことになるなんて夢にも思わなかった。それは誰の実感なのだろう。こんなこととはどんなことなのか。語られているすべては虚構で、現実には何も発していないようで、それについて何も考えておらず、その先に何のあてもありはしない。たぶんその時点で終わっているのかも知れない。ならば開き直るべきではないか。もはや何を述べてもかまわないのではないか。それらの経緯は過去のていたらくを嫌というほど見せつけている。やはり言葉に意味などありはせず、誰の魂にも響かない文章が続いているようだ。君はそれで何を知っているつもりになれるのか。何も知らないから困っているのかも知れないが、何が君に関係ないのかもわからない。ただ意識はこの世界と何の関係も持てないようだ。気がつけばどこか上の空なのだろうか。唐突の津波情報に驚くわけもなく、小雨まじりの空を見上げて、それが今ではないような気がしてくるが、今は時間が問われているわけではない。それは文章の質だろうか。何を述べても戯れ言のたぐいに変わりはない。文章の質云々以前の問題でおかしいのかも知れない。かなり馬鹿げたことを述べている。


8月13日

 君にとっては厳しい結果が続いている。過去の戯れ言から生還できずにいる。何かが違っている。それは語っている内容ではない。願ってもない機会を台無しにしているようだ。そしてもう終わりが近いのかも知れないが、そこで何が終わろうとしているのだろう。時間ならまだ続いている。言葉はどこまでも遅れ、文章はどこまでも引き延ばされる。まったく終わりが見えてこない。数日後はさらに晴れている。いつまで灼熱の季節が居座っているはずもなく、黙っていれば夏も過ぎ去ってくれるはずだ。あと何日でもない。誰でもない誰かは相変わらず何も思わない。君はがらくたのような心身を抱えている。その目は何を見ているとも思えず、生気を感じられない。時は流れ季節は移り変わり、この世界に何ももたらされないことに憤るわけでもなく、ただ視線は窓の外に向けられている。状況は一向に改善する気配さえなく、他に何を感知しているわけでもない誰かは、空疎な思いに心を支配されているらしく、何も思わない日々が続いている。だが架空の意識で何を思うことができるわけもないだろう。また意味不明な逃げをうっている。誰かはまだ正気に戻れないようだ。きっとそれも嘘に決まっている。そんな台詞がどこから出てくるのか。そこから何を修正しようとしているのだろう。修正すべき言葉が見当たらない。誰かが何を見つけようとしているのでもない。腕時計についている革バンドの表面がすり切れ、合成革であることがばれている。何かにぶつかったらしい。腕がしばらくしびれている。まだ精神的に立ち直れていないようだ。自覚が足りないのだろうか。いったい何に目覚めなければいけないのだろう。冗談でそんなことを述べている。すでに意味の定かでないことを述べている。君のこだわりには意味がない。自らが何にこだわっているのかわからないようだ。たぶん情念など入り込む余地がないのだろう。誰かが生きている現実の世界には何もない。誰かの興味をそそるための娯楽さえない。この世界に好奇心などあり得ない。少なくとも君が抱いている好奇心ではない。あるのはいつもの否定口調だけだ。自己満足のための趣味ではない。何がそれと違っているのだろう。それとは何なのか。それが何でもなければそれではないはずだが、それでもそれがそれだとしたらそれとは何なのか。人々はそこで何を求めているのだろう。たぶんそれは理解する必要のないことかも知れない。それを知ることはできない。夢を見ることが重要だとは思わない。それとは夢ではないのか。映像の中で架空の戦いを繰り広げている架空の登場人物たちは幻影の中で何をやっているのだろう。それが夢だとは思わない。妄想の中で誰かが人体実験を繰り返す。絶望的な結末を描こうとする。虚構のすべては過去からの引用だ。陰惨な歴史をフィクションとして未来へ投影したくなる。誰もが血のにおいをかいでみたくなるのだろうか。それともすでに当てが外れていることに気づいているのか。言葉は君を裏切らない。どのような魅惑からも逸脱して、心をどこへも誘わないだろう。それで裏切っていることにはならないのか。際限のない裏切りかも知れず、すでに文章は無内容に到達しつつある。文章にさえなっていないのではないか。そんな嘘も意味不明だ。何を述べているとも、何を見破っているとも思えない。腕に蛇が巻き付いているわけがない。腕時計の竜頭が外れそうだ。だが何に気づいたわけでもなく、君は性懲りもなくそれを見定めようとしている。何も見えていないのではないか。その場の思いつきには不自然な印象が伴う。苦痛に顔がゆがんでいるのかも知れない。到達できるはずのない地点で誰かが待っている。ところで今はどこまでこぎ着けたことになっているのか。大洋を航海しているわけではなく、難破船の残骸にしがみついているとも思えない。身体から毒の成分がにじみ出る。状況的に行き詰まっているのだろうか。それは毎度のことのように思えてきて、何もない部屋の中に水かが流れ込んでくるような幻影にとらわれる。外は土砂降りなのか。漂ってくるのは雨の香りではない。どうやらまだ夢の中らしい。夢の中で誰かに呼びかけられたような気がして、目が覚めたら朝の四時だった。それにしても人は殺し合いについて語るのが好きだ。戦争の悲惨さについて訴えかける老人たちが話す内容は決まってそうだし、大衆娯楽の時代劇でもそればかりだ。ニュースでもそんな話題が好んで取り上げられる。それを伝える者は誰でも無意識のうちに殺し合いを煽っているのだろうか。しかしそれの何が結論となっているのだろうか。意味がないか。君は何も感じないだろう。外では風が出ている。本当に雨が降るのだろうか。とりとめのない文章がもたらされているようだ。そこで何を語ろうとどうでもいいことでしかない。虚脱感とともにあきらめの思いに行き場を見いだせない。それはいつものように誰とも無関係な状況をもたらしているのだろうか。それを知ってどうするのか。誰かは何を知ろうとしているのか。


8月12日

 たぶんわけがわからないでは済まないのだろう。誰かがそこで困っている。本業とはまったく関係のないところで挫折している。無視すればそれで済んでしまうのではないか。それで何を知ったのか。もとから秘密などありはしない。ただそれが似合っていないようだ。何かが徐々に変化してくる。気相とは何だろう。後追い的に文体も変わってくる。それも間違った表現らしい。そこに何が欠けているかはわかっているつもりだ。無駄な動作が多すぎる。理性だけではわからないことが多い。理性の他に何があるというのか。見え透いた嘘をつかないでほしい。論理的思考が役に立たない。暗闇の中では何も見えてこない。些細なことにこだわっているうちに大局を見失う。しかしそれが君にとって必要かどうかはわからない。きっと数日後も晴れているのだろう。相変わらず君は現実から逃げている。これ以上の継続は困難なのだろう。自然の成り行きは決まり切っていて、そこから逸脱すると疲れる。今さらさらなる飛躍を目指しているのか。わけがわからなくなる。成り行き的には信じられない。植物のような成長が生じているのかも知れない。だからもっと冷静になるべきだ。はじめから何を目指しているのでもなかったはずだ。それを知りながら君は何を仕掛けようとしているのか。すでに万策尽き果ててお手上げ状態のはずだ。雰囲気だけで何を醸し出そうとしても、言説が具体性をまとうことはできない。下界は幻想に満ちているようだが、君の頭上から何が降ってくるわけもない。いくら高みを見上げても何も思いつかないだろう。夏の日差しが照りつけてくる。何が容赦しないのか。誰も容赦などするはずがない。では何を待っているのだろう。雨はだいぶ前に降っている。それは雪ではない。頭痛がして一時的に耳が遠くなる。それも作り話の一部を構成しているのだろうか。物語れないのだから作り話にさえならない。語っているそれがまるで話になっていない。話とは何だろう。語るのにだいぶ苦労しているようだが、それでいいはずがない。しかし何がいいのかわからないのだから、今のところはそれでもかまわないのではないか。それが何に対する反論になっているというのだろう。たぶんつまらないことを言説として積み重ねて、その場しのぎの文章を構成しているようだ。くだらないと思う前に何かやることがないか。趣味が悪いのではないか。しばし沈黙が訪れているようだ。いったい何について語ればいいのだろう。それも冗談のたぐいだろうか。誰かがくだらない紙芝居を見せつけている。それで何を批判しているつもりになれるだろう。具体的に何を批判したいのか。色の組み合わせが不可解だ。徐々に壁紙に染みがにじみ出てくるが、それは何かの映像に違いない。本気になれないのなら、それを文章で示すべきだ。何かわかった風な表現を目指してみればいい。そうすれば自ずから答えが出てくるはずだ。結果は君に嘘をつかない。結果を嘘と捉えてみてもかまわないが、その嘘に裏切られたとき、君はどんな反論を用意できるだろう。格好をつけられない。それでも何か目星をつけているらしいが、言葉を記している当人がそれに沿った回答を期待しているとは限らない。目下のところ何も答えになっていないのではないか。わからなければそれでかまわないが、その時点で何をわかったつもりになれるというのか。どのような結果が出ても、君はそれを退けようとしていて、何もかもを否定するつもりで、ひたすらそんなはずがないと思っていたいわけだ。要するにはじめから否定ありきなのだろう。しかしそれで何を単純化しているのか。そこから何を理解したいのかわからない。誰に理解できるような文章ではない。全体としては単なる混乱の極みとして片付けられるかも知れないが、そこから何か読み取るべき重要事項などあるわけか。まったくのでたらめだろう。そう高をくくっていて正解だ。そんなことを思っているうちに誰かが対立する他者と和解にこぎ着けたらしい。そんなのは嘘に決まっている。でたらめな語り手は少し苛ついているようだ。聴いている音楽がいけないのだろうか。くだらぬ嘘はもうこりごりか。まだ懲りている顔ではない。棺桶の中から誰の顔を見上げているのか。死相のぞき込んでいる者なら誰彼かまわず呪いをかけたいらしいが、あと数分で火葬されてしまう。その状況が滑稽なら死んだ後でも笑ってほしい。顔面を矯正する必要があるようだ。場をわきまえず影は何をつぶやいているのか。少なくとも黒い冗談はいただけない。そんなところで調子に乗ってきてははた迷惑だ。たぶんビタミンとミネラルが不足しているのだろう。そんな君には無関係なのだろうが、どこかの老人が肺癌にかかっているようで、闘病生活の最中らしい。木漏れ日から誰かの幻影が浮かび上がり、君の行く末を心配しているように見える。気のせいに違いない。いい加減に作り話らしくなってほしいようだが、依然として話になっていない。ただぐしゃぐしゃに言葉が散らばっているとしか感じられない。


8月11日

 気がつけば足の爪が伸びている。遠くで何かが炸裂しているようだが、気のせいかも知れない。眠れないうちに深夜の時間帯はとっくに過ぎてしまった。それはいつのことだろう。何か物足りない。何に関しても何も思わず、さらにそれから数日が経過してしまったようだが、そこに至る過程が省かれている。そことはどこなのか。そこに至ってもはや何もないといういいわけは無効か。何かが置き去りにされている。耳が遠くなり、夏の暑さで溶けかかった心に風穴でも飽いているのだろうか。青息吐息とは何だろう。何をそんなに焦っているのか。作り話の中で焦っているふりをしている。そういう嘘はなかったことにしたいが、昨日と同じようなことを述べているのがそんなに気に入らないか。まだそこから抜け出ることができないらしい。状況が切羽詰まっている。そう思っているのは君だけだ。君は何かを切実に願っている。その願いは誰にも聞き入れられないだろう。わけがわからないでは済まないような状況をもたらしたい。それのどこから責任が生じてくるのか。今さら何を述べても無駄だ。相手の思うつぼか。架空の場所に相手がいるわけがない。思いつきだけで的外れなことを述べているらしい。それに関して何か反論があるのだろうか。そこで争う理由がない。何でもないことのようだ。だからどうしようもない。とりあえず誰もそこには至れないだろう。ただ毎日そこを通り過ぎているだけだ。誰もが満遍なく通り過ぎている。時間軸上で立ち止まることなどできはしない。ならば通り過ぎること自体に意味はない。意味がなければそう語る理由さえありはしない。そこには何も見当たらない。君はそう語って落胆するだろう。語ることの意味を見つけられず、戦うことの意味がわからないようだ。誰が戦っているのか。何をはぐらかしているのでもなく、ただ語ることから逸脱している。述べていることが理解できない。正気の沙汰でないように思われ、文章が短く切れすぎている。何かが細切れ状態で提示されている。唐突に無意味な文章を見せつけられると、平常心ではいられない。文章のどこかに修正を施さなければならなくなる。しかし何をいつまで否定しているのだろう。黙って通り過ぎることができないほどお節介野郎でもあるまい。今日はかなり不自然なことを述べている。論理的に言葉を配置できない。感情に流されているわけでもないが、なかなか自らに終わりを告げられない。それを言い出せないからそうなる。だがそこに死が迫っているわけではない。そことはどこだろう。いったい何を否定すべきなのか、それを知りたいわけでもないだろう。ただ状況が君を見捨てようとしている。ひたすら馬鹿げたことを語っている現状に呆れかえる。そこからどう立て直すべきなのか。何もわかっていないのではないか。すべては真夏の夜の夢と潰え去るわけか。表現がおかしい。さらに意味がわからなくなる。わざとそうしているのだろうか。ただ疲れている。それが誰かの口癖になっているのかも知れず、何かをやっている途中からさかんに疲れたとつぶやいている。まだ本当に疲れていないうちから疲れたはないだろう。どういう状態が疲れたのかわからなくなる。ただそんな現状を否定したい一心でそんなことを口走っている。しかしそれが現状を構成しているわけで、疲れている現状を疲れたとつぶやくことによって確認したいわけだが、今さらそんな嘘は通用しないか。今は何をやっているわけではなく、休息の最中なのではないか。そしてこれから相当疲れる作業が待ち受けているわけだが、そんなことばかりでは現状を改善するには至らない。どこへ至りたいわけでもなく、どこへも至らないことがそこでの終わりを物語っているのかも知れず、何も物語らないうちから終わっている現状を言葉ではどうすることもできない。言葉はすでに記されている。お前はすでに終わっている。お前とは誰のことになるのか。それは口癖のたぐいだろうか。そこで何をはぐらかしているのだろう。はぐらかされているのは君の方か。誰かをはぐらかそうとする以前に自分が自分の記しつつある文章にはぐらかされている。そんな意図などどこにもありはしない。真夏の日差しにやられて足下がふらついているようだ。誰かはそれからどこへたどり着いたのか。この世界に魅力が感じられない。たどり着いたのは部屋の中だ。冷房が効いていて救われた気分になる。ならばまだ何か語ることがあるだろうか。あくびまじりに言葉を記している。何を記しているのか記憶にない。それは昨晩のことだ。確か昼の作業が一段落して、体の節々が痛み、心地良い疲労感とは無縁のだるさが残っていたはずだ。体が異常に重い。君はそこで何を思いだしたのか。何か忘れ物でもしてきたかも知れない。冷房が体に堪えるが、外へ出れば蒸し暑さに耐えられない。それらの文章に希望は何もなく、絶望とも無縁の無感動を呼び込んでいるらしい。いくら言葉を連ねても何がどうなるわけでもないが、それをやらないわけにもいかないらしい。


8月10日

 誰かが空振りを繰り返す。わざわざそんなところから出発することはないだろう。動力源から微弱な振動が伝わり、ほつれたひもが切れかかっている。ついでに気力も切れかかっているか。そこに記したいのはそういうことではない。やる気が失せているのは毎度のことだ。誰かは何かを勘違いしている。それが何を知らせているとも思えない。どこにきっかけがあるのだろう。それは何をやるきっかけなのか。やはりそういう話ではないようだ。何を探しているわけでもなく、それらの試みは失敗だった。いつまで経っても応答がない。遠くから望遠鏡でのぞいてみれば、視線があらぬ方角を向いている。まるで関心がないらしい。何も見当たらない。やる気を失い、さらに言葉が遅れてくる。そういう失敗ではないだろう。もう追いつくのは無理なのだろうか。君はどこへ復帰するつもりだったのか。何も導き出せずに苦悩しているようだ。この一週間で何が変わるというのか。もう何日前なのか見当がつかない。そこに存在している意味がない。いくら焦っても現状は変わらない。どんどん遅れてしまうだけのようだ。現状に押しつぶされそうになっている。精神的に限界のようだ。何がもたらされているわけでもないだろう。君のことを述べているわけでもない。状況を把握できていないようだ。風景を見飽きているのだろうか。眺めているだけでは物足りないか。君はそれを理解できない。ただ何もできないとは思わない。それを否定したいだけだ。否定させるような状況になることを望んでいる。今さら何を述べているのだろう。君はそこで現実の何に関与していたのか。そこに現実があるわけではない。切実な願いがあるわけでもない。画面上の出来事が君を無視している。君には感心がないのか。わざとわけのわからないことを述べているようだ。何が続いているのか。何も見えてこない。やはり何もないわけか。君が問題なのではない。君を捜しているわけでもない。確かに何かが切れかかっている。後戻りが利かないらしい。とりあえずそこから先へ言語的な展開を試みなければならなくなる。嘘でもかまわないから何かを語らなければならなくなる。しかし何を追い詰められているのか。いい加減に開き直って、ひたすらでたらめなことを述べていればいいのではないか。そんなくだらぬ誘惑に駆られ、自暴自棄になりそうになる。眠いのだから仕方がない。そして命を削って作業を行っているような気になる。思い違いもいいところか。君はそこで取り返しのつかない失態を演じている気になっている。そんな作り話にも飽きている。何を語ろうと、根拠が希薄に感じられてしまうのが致命的だ。君はそこでの蒸し暑さに耐えられるだろうか。すでにその身に苦難と災いが降りかかっている。逃れようがない場所で、誰かと誰かが押し問答を繰り返す。実際の動作に言葉が先行してしまうのはよくあることか。言いがかりもいいところだ。何ができるわけもなく、実際に何をやろうとしているわけでもない。ただ蒸し暑い。放っておけば汗だくになりそうだ。そうなったらどうしよう。現状ではそれを回避することはできない。君は何から遠ざかろうとしているわけでもない。視界がだんだん狭くなってきたのはなぜなのか。何もあらゆることに興味を持てと主張しているわけではない。なぜそうなってしまうのか理解できない。ではそこで誰が何を述べているのだろうか。君のことではない。誰もそこへとどまれずに、外に押し出されてしまう。そこは絶えず何かを語らなければ成り立ち得ない場所だ。あり得ない場所のようだ。同じような言葉が循環している。それではつまらないが、それが作業なのだから、それ以外にはやりようがない。どのように語ろうとそうなってしまう。工夫など入り込む隙がない。個人的にはそれでもかまわない。今や君は多数の人格を持っている。それこそがあり得ない話だ。君たちは何を試しているのか。前回は不発に終わっている。あり得ない話はあり得るようになってのだろうか。安易に様変わりするわけがない。何が安易だと認められるのか。しかし誰もが植物人間になっているわけではない。さらにあり得ない状況を空想してみる。会話を楽しんでいる誰かと誰かがこちらを振り向いて、同時に悲鳴を上げる。何に気づいたのかわからない。自分たちの置かれている立場をわかっていないらしい。しかし何があり得ないのか。何もかもがあり得ない。それは安易な嘘に違いない。君はまだ断言口調が直っていないらしい。いくら語ってもそこから遠ざかれないでいる。言葉の連なりはなぜそんな場所に回帰してくるのか。ありふれた日常に浸りながら頭が変になるわけがない。誰もがそこでやるべきことをやっているはずだ。自らの責任を果たそうとして、ひたすら努力している。それの何がいけないのだろうか。君にはわかっているはずだ。そこから逸脱しなければ何も語れなくなる。その場に言葉は要らない。要らない言葉を操りながら何かを述べているつもりにはなれない。内容はかなり馬鹿げているはずだ。


8月9日

 相変わらず何を求めているわけではない。現実が空想を乗り越える。くつろげる時空ではない。言葉と言葉の間に関係のない言葉を差し挟む。カフェインの取りすぎだ。体内が飽和状態に達している。ならば希望は君の側にはない。運も金もない。今さらそういう嘘は見苦しいか。暑くて寝苦しい。それは幾分真実かも知れない。インスタントコーヒーが酸化している。数ヶ月間放置されていた。それは昨晩のことだ。つまらないことを考えているうちに朝になる。昼は晴れて暑い。翌日も晴れて蒸し暑いのだろう。それ以外は何も感じない。ただ暑い。嫌になるほど暑い。夏だから仕方がない。仕方がないでは済まないこともあるのではないか。君は何に反発しているのだろう。自らが近視眼的でないと思っているわけか。それらの誇大妄想には意味がない。そこに意味を生じさせようとしているわけではない。紅茶の飲み過ぎか。話の方向性が見えてこない。夜空を見上げて花火でも想像しているのか。誰かが望遠鏡をのぞき込みながら超新星を探している。数日後にはそれを見ているはずだ。何を痛がっているのだろう。体中がかゆくなる。夢を見ているわけではない。アレルギー症状のようだ。汗をかくと何かにかぶれてしまうらしい。疲労とそれに伴うストレスから免疫力が低下している。それはでたらめな状況分析だろうか。そこで問われているのはそんなことではない。だが誰と誰が議論を戦わせているわけでもない。荒れ地に花が咲いている。それはわざとらしい意味不明に違いない。脈絡が感じられない。何かから遠ざかっているような感覚を意識する。いったい感覚は何から離れているのだろうか。そこから話が進展しない。君が話したいわけではない。何の話をすればいいのかわからなくなる。何も考えられないのではないか。何もないはずだ。では何をもったいぶって語ろうとしているのか。やはりそんなことはあり得ない。どこで精神を集中させているわけではない。何がおもしろいとも思わない。何が降臨しているわけではない。文章の中では誰と誰が出会うわけではない。とりあえず文字が記されている。内容を求めているとは思えない。争いごとをなくしたいのだろうか。誰の意志が介在しているのか。そういう話ではないのか。どこかで狂いが生じている。感覚がおかしい。そこに感覚があるとは思えない。とにかく人間という言葉は嫌いだ。そこに至る脈絡が感じられない。なぜそうやって回りくどく語ろうとするのか。語るべきことが何もないからか。話の設定が不在のようだ。何もないからすぐに横たわりたくなる。誰かがそこで眠っている。あり得ない話をしているわけではない。話そのものがあり得ない。感覚的には数日後の外に存在しているようだが、あいにく空は曇っている。星空を見逃してしまったらしい。誰もそのことについては語ろうとしない。そのことの内容を理解していないのかも知れない。無理なのは始めからわかっていたはずだ。そんな状況下で何を語れるはずもないだろう。いったい何がこの世界を構成しているというのか。誰の見解も間違っている。誰もこの世界を捉えていないらしい。言葉を繰り出す対象が違っているようだ。そこに関与しているつもりの人それぞれが他人とは違った捉え方をしている。互いに相手を意識しているらしい。誰もいないのに誰かいると思っている。誰かの影が脳裏に焼き付いている。意味は何もない。君のことを語っているわけではない。何がおもしろいと思っているのか。必要とされていないのかも知れない。見つめている風景とそこから生じている言葉との間に関連はない。たぶん仕事でもないのだろう。語る内容が仕事とは無関係に生じている。君にはできないことを誰かがやっている。誰にもできないことが空想となって物語を形成する。だがそこで何が語られているわけではない。架空の語りは君の存在を無視しているようで、その辺の事情は君にはわからないことでしかない。気分でものを語ろうとしているようだが、ものとは何なのか。何も認められず、それがおかしいと思っている意識すら信じられなくなる。ではいったい何を信じればいいのだろうか。誰かが何かを信じている。それは何だろう。信じているからといってどうなるわけでもない。君には関係のないことか。どうやら自意識のうちですべてが解決済みのようだ。だが解決したからといって何がどうなるわけでもない。君には何もできはしない。何も語らずに何もできはしない。それではらちがあかない。だから何もなくなってしまうのか。たぶんそれらの文章は君から離れていってしまったのだろう。それはかなり以前のことだ。以前から君は言葉を記すことに飽きていて、興味を失っていた。目的が見当たらない。夏の空は青い。ごまかしようのない虚無に取り囲まれている。冬になったら夏の暑さを思い出すだろう。君は王ではない。トランプに興じているわけでもない。それはゲームとは違うようだ。昔はそれを勘違いしていた。誰もがゲームに参加できると思いこんでいた。


8月8日

 誰かは時々あり得ない事態に巻き込まれる。彼はどこで何をやっているのだろう。まだ君の影は正気に戻っていないのだろうか。君に訊いているのではない。誰に何を訊いているのでもない。戯れの先に虚栄心がぶら下がっている。それが言葉だとは思えない。それらの空想にはゆとりが感じられない。まるで破れかぶれで先走っているようだ。投げやりな態度で心が染まっている。何も生き急ぐ必要はない。ならばそこでトラブルに耐えているのは誰なのか。君ではないということではない。わかっていることはそれだけではない。少なくとも何かにかぶれているらしい。そこから先に君が閉じこめられている。だがバビロン捕囚とは違う。突拍子もない無関係な言葉を繰り出しながら、何かが横道に逸れているらしい。横道どころではなく、道のない藪の中を誰かの影が突き進んでいる。しかしそんな幻想に何か意味があるのだろうか。意味がなければどうなってしまうのだろう。どうにもならずに無意味な文章が続いてゆくだけだ。現状で意味のあることは何も述べられない。現状でなくとも何も述べられず、現状そのものがないのかも知れない。それは現状ではない。君はそんなことを述べて自らのうちに何を呼び込んでいるのだろう。何もなければどうなってしまうのか。それでもこの世に存在しているといえるだろうか。誰の実在を証明したいわけでもない。政治には興味が湧いてこないが、それはどういうことなのか。たとえば首相の安倍氏がいくらがんばったところで、どうなるわけでもないことは明らかなのではないか。人々は彼に何を求めているのだろう。いったいこの国をどうしてほしいのか。特定の政治家や政党が何をやろうと、この国の体制は何も変わらないような気がする。目先を変えるなら次の衆議院選挙で与野党を逆転させて、政権交代させた方がいいのかも知れない。たぶん政権交代したところでどうなるわけでもないことを、この際国民は自らの投票行動によって証明すべきではないか。特定の政党や政治家に肩入れしたり、過度な期待や幻想を抱くべきではないことをわかった方がいいだろう。今や政治の季節が終わりつつあることを自覚すべきだ。何となく闘争の時代ではないような気がするのだが、そうかといって融和とか和解とかいう表現も似つかわしくない。それらの言葉は闘争が一定期間続いた後に妥協の産物として現れるものだ。現代は何に対する闘争も成り立たない時代なのではないか。イスラエルとパレスチナによる紛争を見てもわかるように、闘争自体が不毛な結果しかもたらさない。それらの地域はアフリカの紛争地域と同じように時代から取り残されている。では今は何の時代なのだろう。あえていうなら現代はプレゼンテーションの時代だ。ひたすら企画を提案した説明したりしているだけで、自分や自分が属する組織や団体のアイディアを大勢の聴衆を集めた場で見せびらかしたいわけだ。そのための準備として年がら年中企画会議ばかり開いている。たぶんそういう状況を否定すべきではないのだろう。世の中が平和な証なのかも知れない。そして多くの人たちが、それで利益を生み出していると思いこんでいるうちは、そんな時代が続いてゆくのだろう。そんなわけで君はこの世界に何も期待していない。政治家や政党にも期待すべきことは何もなく、ただ人々にわけのわからない幻想を抱かせるべきではないと思っているようだ。教育によってそういう馬鹿な人間を大量生産すべきではない。そんな世の中の現状を理解させればそれで事足りるのではないか。前首相の小泉氏によるはったりパフォーマンスに乗せられて馬鹿踊りを繰り返していた人々の姿が目に浮かぶか。もういい加減ああいうのはなしにしてもらいたい。それに対する賛否も含めて、マスメディアが活気づくような言動を操る人には軽薄さばかりが醸し出される。そういう役割はお笑い芸人で事足りるだろう。だが何もシリアスに振る舞えといっているのではなく、自己や自我を強調する演技じみた態度がわざとらしく感じられるだけだ。それに対応する適当な言葉としては、ウザいということになるのかも知れないが、ウザいという言葉を頻繁に使うやつほど、ウザく感じられてしまうのは、その言葉自体がそれを安易に使用してしまう者を標的にしているのかも知れず、そういう言葉を使ってその対象となる者を否定する行為が、かつてそれとは逆の肯定するために使われたナウいという言葉を使っていた者と同様に、それらの流行語に染まれば染まるほど、他人から野暮で軽薄な印象を抱かれてしまうということか。そしていくら現代がプレゼンの時代だとしても、言葉や画像や映像を駆使して他人に夢を抱かせるようなまねをしてはいけないのではないか。実質が伴わずに、幻想ばかりが充満しているような状況は鬱陶しい。何となく虚しい気分になる。確かに必要以上に夢に向かうべきではないのだろうが、必要以上の必要とはどの程度なのか、その辺がよくわからないが、とりあえず分別をわきまえていた方が無難だろう。


8月7日

 ここ数日間は頭の中で何かがこんがらがっているようだ。とにかく考える前に行動しなければならない。何を焦っているのかわけがわからないが、下界では忙しすぎて何も思いつかない日々が続いているようだ。君の影は何をねらって行動しているのか。何を探しているとも思えず、ただ道路に沿って街並みが連なっているだけで、獲物などどこにも見当たらないのではないか。グリーンランドの沿岸でアザラシを追いかけているのとはわけが違うか。見ず知らずの誰かがそこまで遠征しているらしい。しかし君自身が忙しいわけではない。狩猟採集生活には興味がないらしい。では君はそこで何を見ているのだろう。バニラ味のアイスクリームが食べたくなる。たぶんそれは幻覚のたぐいだが、今はそれどころではない。気休めと焦りから何を空想しようと、晴れた空からは何も降ってこない。今は黄砂の季節ではないようだ。いくら春先を思い出そうとしても、すでに興味を失っている。きっかけがつかめないようで、さっきからまったく言葉が出てこないが、代わりに何が出てくるわけもなく、ただとりとめのない思いにとらわれている。しかし何もないとは言わせない。自らを取り巻いている状況について何か適当なことを言うべきなのか。誰に脅迫されているのだろう。君に何を強要できるわけがない。虚無は君自身だ。そこで何と戦っているわけでもなく、ただそこには何もない。そこ自体が不在の場所に違いない。どこにも何も見当たらないのだから、現実にそんな場所があるとは思えない。想像力が枯渇して、もはや架空の場所を空想することすらできないわけか。それで何を述べていることになるのか。それらの見解に何か不満でもあるのだろうか。文章の内容が気に入らないようだが、だからといってそれをどうしようというわけでもなく、これからどこへ向かってゆくわけでもない。つまらないいいわけに詰まったら、もと来た道を引き返すだけか。その時点で言説的な行き詰まりをどうすることもできない。それでいつもの苦し紛れというわけか。まだそんなことを述べている。それは誰に対して為された評価なのだろう。君は何もわかっていない。その時点ではそうなのだろう。確かにわからないことが多すぎる。君の何を誰が評価しようというのか。そんな精神状態で翌日は何を思うだろう。すでに翌日の午前中だ。誰が何に興味があるとも思えない。状況はただ自然な成り行きを呈している。心に染み入るような言葉はない。頭が重い。目の前に何かが眠っている。自分が眠っているのではないか。目が覚めたら夏空の下で汗をかくだけか。今は冷房が効いていて寒いくらいか。それで何がわかるというのか。君はいつでもその他大勢の中の一人に過ぎない。誰もがそうなのかも知れない。一時的に目立つ者でもそれは変わりない。人間が地上にうごめいている。いったい人々は何を思っているのか。何かしら思っているのだろうが、その大半はありふれたことだ。そうでなければそれらの群れ社会は立ちゆかないだろう。しかしそんなことをいくら思ってみても虚しいだけだ。人類を動物の群れと考えるのはおかしい。感覚や水準がずれている。君は人間を貶んでいるのだろうか。誰かの頭の中にはわけのわからない情報が集積されている。それらの情報が組み合わさった結果として生じているフィクションが君を支えているらしいが、そんな言説を真に受けることはできない。君は君自身の頭で考えていて、その考えをもとにしてフィクションが構成されているわけだ。しかし虚構とは何だろう。それらの文章は物語でも何でもない。それは君の求めに応じて構成された世界だ。ではそこで君は何を求めていたのか。その結果としてそこに虚無以外の何が生じているのだろう。何か特定の観念に基づいてこの世界が構成されているわけではない。誰の意思が反映されているとしても、それは部分的な範囲内にとどまる。すべてを思い通りに操作することはできない。わかりきったことを述べないでほしいか。だがそれが何かの糸口となっているかも知れない。技術的な不具合は常に改善の対象であり、その方面で現に技術革新が為されているのだろうが、それにつれて人間そのものの質も向上しているわけではなさそうに思える。人々はいつもあやふやでありふれている。一時的に生じている目的にはかなっているのかも知れないが、それで何が変わったわけでもない。変化し続けていることは確かだろうが、何がよくなっているとも思えない。ただ行動や思考の内容が進化したり退化しているだけか。そしてそれはつまらない観念に結びついている。そんな風に考えるのは馬鹿げているのかも知れない。確かに馬鹿げているが、少なくともそれは何かの風景に溶け込んでいる。誰かの思考は風景を構成したいようだ。君は心の深淵を理解したいらしい。だがそこは理解する必要のない場所だ。ただ誘われるがままに到達しようとしているだけかも知れず、無意識の助けを借りなければ、心の奥底をかいま見ることはできず、仮に苦労してかいま見たとしても、そこには何もない。すでに君の興味はその地点から退いている。


8月6日

 気力でも使い果たされているのか、何となく言説的にくたびれているようだが、部分的には虚構だ。真実などに興味はない。この世界にある意識は何も感じない。さらにおかしくなってしまうらしい。事実ではないらしいが、それは昨日の出来事に違いない。何かを思い出そうとして思い出せない。しばらくうとうととしていたようだ。気がつけば首が曲がっている。それは何かの夢に違いない。夢だと気がつかなくてもそうかも知れない。そしてやたらと冗談半分につまらないことを述べている。やる気がしないのならそこから降りれば済むことだ。ならば途中下車となるらしいが、どこに降臨したらいいのだろう。君は神ではない。そういう話ではない。この世界ではそんなことは起こらない。何をいくら経験しても興味が湧いてこない。ただ疲れるだけか。だいぶ疲労が蓄積しているようだが、それでも君は争いごとを避けている。疲れてくると不毛な言い争いに終始してしまうらしい。それを避けるにはどうしたらいいのか。言葉を記すのはもうやめればいい。その荒んだ土地から一刻も早く脱出すればいいだろう。それができなければそこでのたれ死にか。投げやりな気分でそんなことを述べている。それとは別の方向を目指せば、今度はそれが気に入らない。そんな精神状態で君が死ぬはずがない。すでに死んでいるのかも知れない。それは君とは別人だ。適当な文章によって、今はなき精神がそこに集約されていた。そこに記されている言葉の中で、いったい何が精神と呼べるものなのか。それらすべてが誰かの精神を反映していると主張したいわけか。何となく安易にそう思いたくなるようだが、何やら過去形で語ることが習慣となってきた。今はそれも精神の抜け殻でしかないだろう。それは冗談のたぐいだろうか。それが誰から生じたものであろうとなかろうと、それで気が済むはずがない。物足りないのなら、あるいはくだらないと思うのなら、君自身が文章の極めつけを見せてくれないか。そういう方向で語っているのでないことは明らかか。何に言及しているのでもないような気がする。どのような過去があろうと、語っているのが過去の冗談では物足りない。ちなみにそれはどんな冗談だったのだろう。そこから先には何もないだけか。冗談ではなかったのだろう。さっきまで何を述べていたのかわからなくなる。やはりそれは冗談ではなかったようだ。そんな冗談を打ち消して、とりあえずいつまでも一日遅れというわけにはいかないらしいが、そこで死に損ないの誰かの手を借りるわけにも行かない。君はまだ死んでいないはずだ。ならば心の中で誰かの屍がよみがえったことにでもしておこう。まったく虚構にさえ結びつかぬ言葉の連なりだ。現実と虚構の間で差異を見いださなければならないようだが、それが面倒なようで、いつまで経ってもあやふやで退屈なことを述べている。今はそれでもかまわないのか。単にかまっていないだけのような気がする。細かいところまで眼が行き届かない。それがそこでの実感なのだ。もう少しいい加減にやった方がいいのではないか。そこで冗談を突き詰めるなら、ほら吹き気味にやろうと思えば何でもできると思うことが肝心なのだが、その手の浅はかさが信じられないとすれば、君はそこで何をやるべきなのか。やろうと思っても何もできないだろう。それが現実なのか。わざとらしくそんな現実に直面している風を装い、次いで何がそこでの現実なのかわからなくなる。嘘偽りを述べすぎて、言葉を記しているに指先が軽くしびれてくる。この先誰かが破滅するとすれば、予知能力はまだ有効かも知れない。力とは何だろう。顕在化しているものの中に力と呼べるものがあるだろうか。思考力が減退している。それは未知の力というわけではない。ただどうしようもなく眠い。快眠したくなる。指先のしびれは退いているが、今度は筋肉痛が長引いている。君はそこで何をやっていたのだろう。それはつらい作業のたぐいか。ありふれた状況なのだろうか。まだそこまで行っていない。窮地に陥っているとは思えない。それどころか自らの勤勉さに驚いている。眠たければ寝てしまえばいい。すでに就寝時間帯のはずだ。深夜に近づいているのだろうか。時間的にはそんなところか。そこを飛び越えてどこかに行ってしまいたくなる。時間など気にしない世界へ行ってみたくなる。逃避願望が強まっている。現にうつむいて下を見れば、そこに逃げ道が続いていることに気づくだろうか。ここに至って何を求めているわけではない。眠たいが寝たいとは思わない。その思いが矛盾しているとは思わない。君はそこであきらめてしまうのだろうか。何をあきらめようとしているのか。何かの終わりが近づいているのかも知れない。しかしそれが予感のすべてではない。何かが始まろうとしているようだ。新しい時代の幕開けと呼べるような記念的な出来事でも起こったわけか。そのとき君は誰に向かって嘘をついているのか。新しい時代の到来は嘘ではない。何かしら希望を持たなければやっていられないではないか。


8月5日

 誰かができないことをやろうとしている。気が抜けているのかも知れない。暇がないのに暇つぶしにつまらない内容の日記でも読むとしよう。かゆいので虫さされの薬が必要か。痛し痒しというわけでもないはずだ。血液の流れでも停滞しているのか。死んでしまう。それでも言葉の分散に歯止めがかからない。意味がないのはいつものことか。あるとき誰かがソファーに座って何かを眺めている。見渡す限りの荒野は君に何を語りかけているのか。そんなのは嘘だ。だが決まり切った嘘だとは思えない。誰かが少し調子に乗っている。何かが余分だ。すべてが余分か。それはこれから記す言葉になるだろう。文章の中ではすでに誰かが余計なことを述べている。少なくともきれいなことを述べているわけではない。気分が乗ってこないようだ。そこで何がありふれているわけでもない。すべての事物がありふれているわけではない。ただ新鮮な感覚を失っているだけか。何を見聞してきたのか知らないが、過去の記憶はどこへも行かない。そこからどこへも逸脱できない。逸脱しようとしていないのではないか。誰に向かって問うているのか。魅惑とめまいが同時に訪れるはずもない。何の変哲もない夜に何を思っているわけでもない。危機など簡単に乗り越えられる。それが危機だとは思っていないのだろう。自信過剰になれる根拠など何もなく、ただ疲れているのかも知れず、どのように述べても投げやりな雰囲気が出てしまう。さっきまでそこで何を退けていたのだろう。今はわざとつまらないことを述べている。夏の空を見上げているうちに何かにかぶれてしまったらしい。数日後の夜に何を思い、どう記すつもりか。予定は何もない。行き当たりばったりで何を述べているわけでもない。だから今の君には何もわからない。政治に関しても無関心を装っている。それが君のねらいなのだろう。自らが何もわからなくなったように振る舞い、不要な屁理屈をこねるのを防いでいるのだろう。それは何かの挑戦だろうか。そんなことは君の知ったことではないが、何に挑戦しているのかについては心当たりがあるはずだ。またいつもの不可能への挑戦か。そんな戯れ言は聞き飽きた。過去はこの際どうでもいいが、そのときの君だけがそれを感じ取っていたわけではない。終焉を乗り越えようとしているわけではない。いつまでも考えていてはらちがあかない。そのとき君たちは何を期待していたのか。まだ結果は出ていない。未だに昨日の時空で行き詰まっている。外では派手に雷が鳴り続いている。こんなはずではなかったはずか。ではどんなはずだったのか。誰かの予想は簡単に裏切られ、そこに何がもたらされているわけではないことが幸いだと思うようになる。苦労して何とか難局を切り抜け、ようやくここまでたどり着いたらしい。心がまだ追いついていない。この世界はまだ中途半端な状況なのか。見方によってはかなり馬鹿げているが、たとえ馬鹿げていようと、それを否定する気にはなれない。君もこの世界の一部だ。誰かの妄想に賛同しているわけではない。では昨日の状況的にはそれをどう解釈すればよかったのか。この世界はどうなってしまったのだろうか。君が感じているのはこの世界ではない。どの世界でもなく、世界でさえないのかも知れない。気がつけば昨日の段階での雨が止んできたらしい。小降りになってきた。そしてさらに心が遅れてくる。空洞の容積がさらに増してきたらしい。そして何もできずに一日が経ってしまったようだ。心はそこに立ち止まって何を思いだしているのか。君は何をやっているわけでもなく、取り立てて何もできないわけでもない。感じ方が以前とは違っている。何かが違っていることは確かなようだが、それを記しつつある言葉の連なりに反映できない。虚脱感に浸されている。何かの作用で浸食されつつあるらしい。なぜやる気が出ないのだろうか。何かをやれる精神状態ではない。狂気を弄んでいるわけでもなく、何もない現状が長引いている。そして今となってはそんな嘘もわざとらしい。仕事で手一杯なのだからどうしようもない。というか疲れているのだろう。さっきからまぶたが重くなっている。心身ともに限界を超えているのに、その上に何をやろうとしているのか。自らが記しつつある文章の全体を把握できなくなってしまったらしい。君はそうなってしまった理由を知っている。しかし理由を記して何になるのか。ただ怠けたくなっているだけだろう。不毛な作業はもうやめにして、少し休息を取った方がいい。その場の思いつきで何を受け継ごうとしても、受け継ぐべき思考を間違えている。その場でいくら考えても何もまとまらないはずだ。君はそこで死んでしまったのかも知れない。そんな筋書きの作り話を記してみないか。誰に向かって挑発しているのか。とりあえずそれは君の台詞ではない。架空の人格の所有者など誰でもかまわない。その名前自体が意味を成さない。君は過去において何と呼ばれていたのだろう。それは近所の犬の名前に似ている。それも嘘のようだ。


8月4日

 昨日の君はそこで何をやっていたのか。眺めているのは庭園の風景だ。テレビの画面上に移りゆく風景が映し出されている。つられて心が移ろいゆく。そんなはずはない。そう述べて意図的に何かを隠蔽しているのかも知れないが、具体的なことは何も述べられない。その代わりにどこかの公園で鹿が飛び跳ねている。それではまったく代わりを成さないだろう。またありもしない幻想を抱いているのだろうか。あるいは言葉を連ねられるなら何でもかまわないわけか。別に気が動転しているわけでもない。それほど鬱状態になっているわけではないが、やる気が出ないようだ。それらの何を批判できるわけもないだろう。しかしそれでも何とかしなければならない。相変わらず言葉が分散していてわけがわからない。読む気がしなくなる。朝から蒸し暑い。鳥が目の前を横切る。あわてて何をしているのか。秘密とは何だろう。君の秘密ではない。そこで何を語ろうとしているのか。少々やり方が見え透いているだろうか。危機感を煽っているのは誰の意向が働いているからなのか。関係のない言葉で何かを表現しているような気になる。肉を切らして骨を断つ。それは何のたとえなのか。頬に熱い風が吹きつける。翌日の天候はそんな感じだろうか。また昨日の時間で言葉が止まっている。どこかに不具合が生じているようだ。そんなことはわかっている。人は誰でも自分だけの宝物を欲している。誰かが冗談でそんなことを述べていることも承知している。壁に落書きが刻まれる。大量生産されるありふれた商品なしでは成り立たない社会に暮らしていながら、自分にしか手に入れられない貴重品を求めるのは欺瞞のたぐいだろうか。その貴重品とはいったい何なのか。君への愛か。誰かが大爆笑しているようだ。それで君は何を手に入れたつもりになれるのか。君のことを述べているのではない。そこで何を否定していることになるのだろう。君自身には何もとどいていない。だがとどく予定のそれはどのような出来事でもない。何がそこへとどく予定だったのか。いつもの空虚か。話になっていないのではないか。戦争の話はつまらない。誰かがそこで馬脚を現す。偽り以外の何ものでもないからか。それは君に差し向けられた何かだ。そこで何らかの作用が生じているに違いない。何が冗談ではないのだろう。考えている暇はない。危ない橋を渡っているとは思えない。誰の話でもない。次第に口数が少なくなり、やがて黙り込んでしまう。真夏の日々が長続きするはずがない。君は工夫を凝らしているつもりのようだ。やる気もないのにその気になっているふりをする。何かが果てしなく続いているわけではない。何かの途中で何を思いついたのか。何もないからそんなことを述べている。誰かが山に登る。それで気晴らしになるだろうか。遭難して行方知れずになりたいわけではない。誰にも状況が見えていない。何をつかんでいるわけでもない。述べていることが首尾一貫していない。それらの言葉によって誰を呪っているのか。呪術を唱えているとは思えない。誰にどのような仕打ちを受けたのだろう。さらに遅れてしまうことはわかっていた。少なくとも感動するような話ではない。文章が支離滅裂なのはわかりきったことか。そうする以外にあり得ないのだから、それはそれでそういうことなのだろう。事件はそこで幕引きとなり、ありもしない真実がうやむやになる。誰かが何かを欲している。これからこの世界はどうなってしまうのだろうか。つまらない結末なら要らないか。君はそこで裏切られたような気分に襲われる。それもあり得ない話か。ならばどうすればいいのか。君はその顔を嫌っている。まだ何も現れていない。それは言葉ではない。言葉になりきらないうちに記されてしまう。君はそこでどんな幻影に出会ったのか。今こそそのときの光景を思い出さなければならない。しかし天のお告げでもないだろう。心が天啓に打ち砕かれたわけではない。何もできなくなってしまったようだ。何かを裏切っているようだが、相変わらずわけがわからないままに状況が推移している。言葉の連なりが誰の想像力をかき立てているわけでもない。だが平静を装うには言葉の並びが奇っ怪すぎる。君は何に呪われているのか。なぜそういう結論に至るのかわからない。推論が粗雑すぎる。影が誰の話をしているわけでもない。回りくどい手順を踏んだ末に導き出されているのはただの意味不明だろう。そこからどんな幻想が出てくるはずもない。もうすでに約束の時間には間に合わない。だからこのまま空疎なことを語る以外にはあり得ないわけか。しかしどんなわけでもないだろう。馬鹿げた話をしているとは思わない。話以前のでたらめにあっけにとられている。馬鹿げているのはそんな行為とは無縁のでまかせか。だが行為とは何なのか。君は君自身をあらぬ方向に分散させようとしている。しきりにあり得ないことを語らせようともしている。だが言葉が君の意向を反映しているとは思えない。ではそこで何が組み合わさっているのか。少なくともそれは虚無ではない。


8月3日

 勘が鈍っている。それは誰の名前でもない。中途半端な詮索は要らぬ誤解を招く。わかりかけてきたことがわからず終いとなってしまう。やり方が間違っていたようだ。何をやるにも手順があるらしい。それが馬鹿げているとは思わないが、君はそこで何もできはしない。何かの順番を間違えたのだろうか。言葉が滞っているようだ。それは実感から生じている言葉なのか。何となく嘘に決まっているような気がする。大地は誰に何を語らせようとしているのでもないようだ。水面が陽の光を反射する。誰かの心は美的な感覚を求めているのかも知れないが、飢えに苦しんでいる人にはわからないことだ。依然として冗談が通じないらしい。君のことを述べているのではない。わからないことは他にもありそうだ。誰もそれをわかろうとしていない。だからその場の勘に頼るのはよくない。そんなことは誰にもわからない。それらの言動や行動の何が間違っていたのだろうか。まともに語ることをよしとしないようだ。あてにならない推量に惑わされ、絶えず現状を避け続け、そこから何を探り出そうとしているのか。空気がよどんでいる。濁った水が流れてくる。上流は土砂降りかも知れない。それは君の記憶ではない。誰の文章を読んでいるのでもない。誰を惑わしているのか。言葉が君から遠ざかる。事件が起こっているのはテレビの画面上でのことだ。幻想に悩まされているのもそれを見ている誰かに過ぎない。君には関係のないことなのか。いったい世の中の仕組みはどうなっているのか。そこに場違いな台詞を付け加えたいのだろうか。時間がゆったりと流れている。川面を照らす陽の光も誰かの影を避けて射してくる。やはりわざとおかしなことを述べている。体中がかゆくなってきたわけではないが、少年が語る必要のないことを語っている。戦争について語る人々が語っている内容は抽象的だ。戦に言葉は要らないのかも知れない。ただ相手をたたきのめせばいいだけなのか。その場から遠く離れた地域に住んでいるのにそれについて語るのはおかしい。それらの言説はそこに至る成り行きを無視した抽象性をまとっている。要するに実際に起こってしまった戦争に無関係な立場にある者たちが語っているわけだ。彼らはそこで情報屋をするほどのしたたかさは持ち合わせていない。商売を成り立たせようとしないから正義の側に立っていられる。だから戦争に対して現実感に欠ける非難を繰り返せる。たぶん利害関係を持っている者たちならそんなことは言わないだろう。日々が闘争なのであり、その延長上に暴力をふるう必然性が出てくる。敵を作りその敵を殲滅しなければならない立場になるわけだ。争いの渦中にいない者にとってそれは愚かすぎる行為なのだろうが、やっている当人たちにとってそれは切実な問題となる。短期的にそれは生きるか死ぬかの賭けであり、長期的には来るべき平和な世の中でどのような立場を占有できるかが今の行動にかかっている。他者に対して自分たちが相対的に有利な立場になりたいわけだ。そのためには今目の前の敵をたたいておかなければならない。邪魔な者たちは消えてほしいと思うだろう。それが自己実現を達成させるためならなおさらだ。たとえ相手をその手で殺めようと、そうしている自らに正当な理由があると思いこむ限り、それを実行することが正しい行いなのだ。自らがくだしているむごい仕打ちに心が動揺して、一瞬ためらいが生じてその手を弛めようものなら、今度は自分が殺される羽目に陥ってしまうかも知れない。だから要らぬ雑念は追い払い、目的のためには手段を選ばず、目的に向かってまっしぐらに突き進まなければならない。たぶんそんな作り話が感動を呼ぶのだろう。それらの抽象性はそんなところからくるらしく、平和な社会でぬるま湯に浸かりながら世界情勢について利いた風なことを述べている人たちにはできないことかも知れないが、そこで何を語ろうと現実感が伴わないのは致し方のないことか。君は音楽を聴きながら画面を見ている。今日も昨日と同じく本気にはなれない内容になりそうだ。精神の集中も途切れてしらけ始めている。気晴らし目的で買ってきたマンガを読んで何を思いついたのか。戯れ言についでに真剣なことを述べようとしているわけでもあるまい。人間の攻撃本能とは何だろう。それらの本能が戦争の何を非難しようとしているのか。冗談で述べてはいけないことだろうか。いったい君はその場において相手を打ち負かすために必要な武器を持ち合わせていると思っているのか。何がそこで必要とされているのだろうか。衝動的な感情にまかせて語気を強めるのは馬鹿らしい。だらだらと不要な言葉を組み合わせて意味不明を装っているのも愚かなことか。理由がないのだから仕方がないだろう。どこかで何かが壊れているのかも知れないが、心の中に穿たれた空洞に何が住まっているはずもなく、それが虚無だと思いこむこと自体が勘違いのなせる業だと感じつつも、君は他に何を見いだすこともできずに、どこかへ没してしまうらしい。


8月2日

 数日前の雨空の下で誰かを待たせている。時空を超えて誰が到来するわけもない。作り話の中ではいいわけなどありはしない。言葉でごまかしてどうするのだろう。他にごまかせるものなど容易には思いつかない。とりあえず前に進むには障害物が多すぎる。その気になればいくらでも虚構を提示できるかも知れないが、それほど嘘に魅せられているわけでもない。数時間前は何をやっていたのか。今は反応がない。誰かは夕焼け空を眺めている。画面の模様が奇っ怪な色彩に変化する。夜空の下で蝉が鳴いている。真夏のようだ。君はそこで何を見ているのだろう。誰かの思いとは裏腹に言葉がばらばらに連なる。君が語っているのではない。心が壊れているのだろうか。何を問いかけているとも思えない。本気な人々にとっては冗談では済まないのだろう。しかしすべてが嘘なのだから仕方がない。それでも冷静に対処している。腹の底から何かが湧いてこない。そのときの感覚がおかしい。理不尽な反応に腹を立てているようだが長続きしない。それほど感情的になれないようだ。雲の切れ間から誰かが下界をのぞき込んでいる。おかしな表現に戸惑うはずもない。それは君の心ではない。苦し紛れのでたらめを、誰かに見透かされているような気がするのは思い違いだろうか。誰の思い違いなのか。そこで誰が何に関して述べているのかわからない。本当に行き詰まっているのは誰なのか。この世界が行き詰まっているとは思えない。人の思いなどはねのけてしまう。思っていることが安易すぎるのか。人でない君に人の心の内など推察する必要はないだろう。そういう結論に至る過程が見えてこない。ただ唐突にそんなことを述べてしまう。そこに至る成り行きがない。文明は滅び、文化は忘れ去られ、そして人間という言葉は無意味な存在へと沈んでゆく。存在していることに何の価値もありはしない。誰もがこの地上から消え去らなければならない。すべてが滅び去らなければ終わりの時は到来しない。そんなことはあり得ないか。君が不在であるはずがない。君はこれまで何を見聞してきたのか。時間がまるでない。それは何をするための期間だったのか。怠惰に過ごしているだけではまずかったのだろうか。まだ終わってしまったとは思えないが、もう手遅れかも知れず、これから何をやろうと無駄なのだろうか。君には何が残されているというのか。時間がないというのは嘘か。やはりそれは何をやるための時間でもないようだ。そしてそこに何かをやるきっかけがあるとも思えない。君の前には何も巡ってこないようだ。あるのは空疎な言葉の連なりだけか。それだけではないと思いこみたいようだが、それ以外に何があるとも思えない。そんなわけで君はそこで立ち往生している。それはあり得ない話か。話自体が存在しないのだからあり得ない。だから別に世界の終わりに立ち会っているわけでもない。終焉という言葉が古すぎるのかも知れず、終わる必要のないときに無理矢理終わろうとしているだけか。それでも誰かは外見だけの美しさに固執している。それがおもしろくてたまらない。醜態をさらしているのはどこの誰なのか。だが他人の不幸に喜んでみてもつまらない。何となく当てが外れているような気がする。見当違いの方向を探しているわけか。しかし探し物は何なのか。何でもなければ探す必要はない。何か特定の対象がなければらちがあかないだろう。文章として成立しないのではないか。探すべき目標に向かって努力しなければならなくなり、そんなことをやっているうちに、何かを忘れてしまうだろう。何かとは何なのか。何でもなければ何かではないのではないか。ならば君はそこで消え去る運命だ。探している対象が君であるはずがない。それらの文章に本質的な問いかけなど記されているはずがない。人間に本質があるとは思えない。それが人間という言葉である限りにおいて、君がその言葉を利用しながら人間の本質に近づけるとは思えない。ただ言葉とともに音楽を聞き流しているだけか。何も発音できずに沈黙に覆われている。それでもそこから何かしら語ることが可能なのか。すでに語っているそれは何なのか。誰かが語りつつあるのはそれではないような気がしてくる。誰かと君の間に接点はない。空間的にはねじれの位置にあり、時間的は未来と過去で隔てられている。そのままの無関係を保ちつつどこまで進んでも、興味を惹くような現象には巡り会えないだろう。それがそこには不在の君のねらいなのか。だがそこから遠く隔たっている君に遠隔操作などできるはずもない。直接的にも間接的にも影響を及ぼしているわけではない。君はこの世界の住人ではないらしい。作り話の中ではそういう設定なのだから、作り話自体が話になっていない。それはわざとらしい矛盾を形作りつつも、そんな矛盾など気にもとめず、誰かはそこまで語ってきたようだが、それの何が行き詰まりなのか。ただ馬鹿げたことを述べている。そしてそういう認識を捨て去りたい衝動に駆られ、さかんに現状の中で何かを探しまくっているようだが、その何かが言葉に結びつかないままだ。一向に文章が意味不明なのだ。


8月1日

 後から考えてみればそれは馬鹿げた目標だった。作り話の中では誰かと誰かが力を合わせて困難に立ち向かう。君には興味のない話に違いない。作り話のように単純な成り行きで現実は成り立っていない。それはあり得ない話だろう。本当にそうだとすれば、君はどこかで嘘をついている。真実をごまかさなければそういう話にはならない。ならば真実とは何だろう。何が作り話には欠けているのか。たぶん君は正しいことを述べていないはずだ。では何が正しいことなのか。目標を見失うことが重要なのだ。まっとうな人格の持ち主なら、夢の遙か手前で立ち止まらなければならない。君は結果的に好機の到来を逃してしまったらしい。何も千載一遇というわけでもないだろうが、ふとしたきっかけから生じた偶然の巡り合わせによって、その場に訪れた絶好の機会を利用しなければならなかったのに、それを無視してやるべきことを怠ってしまったようだ。夢の中ではいつもそんな場面に遭遇しているのだろうか。ちなみにそれはどんな機会だったのか。今となっては何もわからない。ただそんな気がしただけで、なぜかそのときはその気が起こらなかったようだ。何もやる気がしなかったらしい。そしてそれは嘘だったのかも知れない。それ自体が作り話だったのではないか。本心がどこにあるのかわからないが、本当はどうでもよかったのだろう。君はいつまでも本気ではない。ならばそれはただの嘘に過ぎなくなる。本気ではないとすると、何か勘違いをしているようだが、それも嘘に違いない。そんな機会などどこにもありはしない。たとえあったとしても、それではつまらない。なぜつまらないのかわからないが、この際だからわざと機会を逃して、何もなかったことにしてもいいような気もする。そんな心理的な余裕がどこにあるのだろうか。君に心理などありはしない。では君はそこで終わりとなってしまうのか。なぜ唐突に終わってしまうのだろう。終わる理由がわからないが、つまらないから終わってしまうのかも知れない。よくわかっているではないか。要するに屁理屈を並べるのに飽きてしまったということか。そこで笑う必要があるらしい。わけがわからないから笑うしかない。たぶんそこから始めなければならない。何を始めるのでもなく、とりあえず何も始めずに語り始めなければならない。ありふれた不可能に挑戦している暇はないか。そういう話ではないだろう。本当に何も始まらないとすれば、いったいそこで何があり得るのか。いくら探しても何もありはしない。くだらぬことを語っているうちに、何を探していたのか忘れてしまったらしい。マンガの中で発揮される超能力のたぐいには勝ったが、夏の暑さに負けている。炎天下に耐えているうちに何もかも忘れてしまったようだ。ならばもうあきらめがついただろうか。この期に及んで何をあきらめる必要があるだろう。ではこれ以上何に耐えなければならないのか。口をついて決まり切った台詞が自然と出てくる。それはもっともらしい意味をまとっている。少なくともそれを語っている誰かは人間的に成長しなければならない。未だにすべてを嘘だと思っているようだ。疑心暗鬼にとらわれて、誰かは気休めに何かを思う。ありふれたことを漠然と思い浮かべてみる。いったいこの世の中はこれからどうなってしまうのだろうか。どうにもなりはしない。答えなどどこにでも転がっている。行き詰まりのただ中でくだらないものを見ている場合ではないが、はたしてその状況から言葉が出てくるだろうか。少なくとも本音は出てこない。何となく気持ちをはぐらかしているようだが、耐えるのにも限度がある。貧困にあえいでいるわけでもないが、何に困っているのだろうか。最近は述べている内容が回りくどすぎる。たぶん何かに逆らっているのだろうが、何となくそんなことはどうでもよくなっている。くだらないことを述べながらも、性懲りもなくここまで来てしまったらしいが、いつまでも見え透いた嘘を述べている現状は何とかならないものか。いくら文章を書き換えてみても何ともならないだろう。そしてそこから嘘が始まるわけだ。始まりようがない状況から語り始めようとしている。いくら語っても冗談では済まないだろう。冗談で済ませられたらそれは奇蹟に違いない。成り行きがどうなろうと一日遅れの現状は変わらない。ぼやぼやしていると二日遅れになってしまいそうだが、相変わらず外は晴れて蒸し暑い。梅雨明けの夏空の下では当然のことだ。はたしてそこから遠ざかるための方策を思いつくだろうか。夏はどこまでも夏でしかないだろう。何が実現可能なのか理解できない。そこで何が果たされているというのか。約束が果たされたとはとても思えない。まだ何か物足りないような気がする。虚無は何かを惜しんでいる。出し惜しみはよくない。何も出てこなかったことにしてほしいか。少なくとも君は幽霊ではない。たぶんそんなこともどうでもいいことなのだろう。幽霊でも亡霊でもなく、生身の人間でもありはしない。ただ冗談でそんなことを述べているに過ぎない。