彼の声60

2007年

5月31日

 猫はどこかから戻ってきたのだろうか。何が気に入らないのかわからない。君はそれを知ろうとしない。ただ闇雲に言葉を弄している。目的があるわけではない。昨晩は雨が降り続いていた。何となく居心地が悪いが、疲れているのはお互い様だろう。気疲れと身体的な疲労の相乗効果で、異常に眠くなる。一度目を瞑れば何十時間も眠ってしまいそうだ。また今日も雨が降ってくる。実際に夕立は強烈だった。すさまじい勢いで屋根を叩く。誰かはその光景に感動したのだろうか。つまらぬ成り行きには常に勘違いが絡んでくる。人々はそこで繰り広げられている騒ぎをどう見るだろうか。ニュース番組がありふれた演出を施す。予定調和の与野党対決の構図が飽きもせず繰り返される。それはお粗末極まりない右往左往ぶりだが、国会議員である前に大人であるべきだろうか。君には関係のないことだ。ただ騒ぐだけでは何の結果ももたらさないだろう。最初からボタンの掛け違いだったかも知れないが、君が知るべき情報は含まれていないようだ。感性が衰えている。そう思うのは誰の勝手なのだろう。言葉に詰まればまたそこから逃げ出してしまうわけか。紋切り型にはまることを拒否すれば痛みを伴うらしいが、誰かが首をつって死んだのも紋切り型のたぐいだろうか。痛いの最初のうちだそうだ。国会の話などどうでもいいことか。やはり逃げの一手しか選択肢は残されていないようだ。誰かがどこかで報いを受けているのだろう。他言は禁物だそうだが、君は話が横道に逸れてしまうのを恐れているらしい。余計はお世話に違いない。過剰な自信は自らに破滅をもたらす。それが破滅でないはずがない。反応がわずかに遅れてくる。だいぶタイミングがずれているようだ。思考に柔軟性が欠けている。君はそれだけの人間だ。ただ考えているだけかも知れない。むやみやたらと無駄なことを考えている。功利主義からは遠く隔たり、何の利益ももたらさない言葉の連なりにとらわれている。それでも爆発的な言葉の増殖を抑えているようだ。そこで何が謎なのか。謎が謎を呼んでいるはずがない。他に何か断言することでもあるのだろうか。どのようにそれらの言葉を受け取ろうと、たぶん何かの勘違いに違いないが、人違いということもあり得る。ネット上で検索した人名には興味がありそうだ。だが影は君の存在を認めようとしない。君の影ではないらしい。どこかに君の影武者でもいるのだろうか。同姓同名ということもあり得る。では本当に実際しているつもりの君はどのような憶測に関与しているのか。ネット上には荒んだ雰囲気が充満している。誰かが思い出したように何かの虜になる一方で、君は過疎地帯に追いやられそうになっている。せめて誰かが心を奪われている当の対象を知りたい。君は誰のことを述べているのか。君ではない誰かが意味の定かでない現象に関わり合っている。まだ何もわかろうとしていないらしい。車のエンジンがかからなくなり、ぼやけた頭でその原因を探っている。それは嘘だろうか。嘘でなければ夢幻のたぐいか。いつの話をしているわけでもない。それが出来事といえるかどうか確信を持てない。確信を持とうとしていない。現実に体験していることが幻であってほしいか。確か夢の中では空を飛んでいたはずだ。気がつけば背中から翼が生えている。そのとき誰かは天使のような姿を想像しているようだ。何をいくら語ろうと、それはいつもの作り話に違いない。君は次第に自らが何を語っているのかわからなくなる。それはまるで催眠術にかかったかのような成り行きだ。スローモーションのような感覚に焦れてきて、言語的な飛躍と省略によって意味不明に導かれ、文章の内容を軽視しがちになる。ただ言葉を連ねているだけで満足してしまい、内容などどうでもよくなってくる。現実に遭遇している出来事が意識に追いついてこないようだ。何かが起こる前にそこを通り過ぎてしまい、起こったときにはすでに遙か遠くへ移動している。それで何を知ったことになるのだ。自らに問うてみても何も出てこない。ただ遠くから見慣れた風景を眺めている。何を語っているわけでもなく、どんなに言葉を費やしても、それ以外を見いだすには至らない。そこに適用しようとしているは誰の論理でもありはしない。要するに君はつまらない人間になってしまったのか。現状の何を納得できるだろうか。君は出来事から遠ざかるために言葉を連ねているようだ。現世を忘れようとしている。それはあり得ないことだ。昨日のことが何も思い出せない君に何ができるだろう。別に昨日の出来事について語りたいわけでもないが、語れば語るほどさらに勘違いが深まる。またつまらないことを述べてしまったらしい。ならばそこでおしまいなのか。何を終わらせようとしているのか。何を述べても妄想の世界から抜け出ることはない。どうやら思い違いも甚だしいようだ。現状に対する否定的な見解が列挙されているだけだ。そんなに大げさなことなのか。何でもかんでも問題視している。目的を達成するためのやり方が間違っているのではないか。目的と呼べるものが何も見当たらない。


5月30日

 なぜが冗談が通じなくなっている。ただの気のせいか。夢の中で一暴れしたわけでもあるまい。まどろんでいる最中に起こされてしまう。意味を解せない。相変わらず内容に突き当たらない。争点は何もないだろう。そして君が話をしているわけではない。怒りが湧いてこない。理由がないのだからそれは当然のことだ。話の内容がどこにも見当たらないのも当たり前の成り行きに違いない。誰が死んで他の誰が生まれようと、この際そんなことは関係のないことだ。どの際でもなく、実際に何もないのだから仕方がない。たぶん何もなくても誰の知ったことではないのだろう。この世界には何の出来事もあり得ないような感覚なのだ。紛争地域では相変わらず誰かと誰かが殺し合いを繰り広げているのかも知れないが、それがどうしたというのだろう。誰に関係があろうと、それは他人事に違いない。ニュース関係者の仕事になるだけだ。人々はどこからはい上がろうとしているのか。スタジアムでイベントを観戦するために生まれてきたわけでもないだろう。だがそれを否定して何がおもしろいのか。見せ物や催し物だけで生きているわけではない。誰かにとっては誰かが邪魔のようだ。他人に生きる権利があるとは思えない。危ういところで何かを回避している。それは交通事故のたぐいだろうか。見定めようとしている現象が見えないのではどうすることもできない。突発的に何かを体験して、それについて言葉を弄して何を説明しているのか。何かが違っているのはわかっていることだ。それでも生きているのだから、そういう生き方はそれなりに尊重すべきなのだろう。仕事とはそういうものなのだ。金を稼ぐという目的に縛られている。何となくそこから逸脱しそうになるが、眠気が襲ってくるのでかろうじて踏みとどまっている。物事を難しく考えるのは良くないことだ。疲労が蓄積している。曇り空から未確認飛行物体が現れ、君の意思を確認しているらしいが、何を考えているのかよくわからない。何を確認するまでもなさそうだ。何も考えていないのかも知れない。それを理解するのにどれほど回り道を通ってきたと思っているのか。誰に語りかけているわけでもない。そんなことは誰も思っていないだろう。それは誰にとっても関心のないことだ。正気でないのは君のせいではない。誰もがいつかは消えていなくなる宿命なのかも知れず、それを拒否することはできないのだろう。いつかは自らの限界を認めなければならなくなる。覚悟はできている。いつの間にか空が晴れている。工事現場で労務者たちがうごめいているようだが、そこにどんな目的を見いだすつもりもない。それは目的ではないのかも知れず、目的でないとすると何でもないのかも知れない。どういうことなのだろう。面倒くさいだけか。何を見いだすべきか迷っているだけのようだ。何を述べても空想の産物になり、そのことごとくが現実感を喪失している。それではまずいとなると、他にどんなリアリティが示されるべきなのか。経済的な豊かさに溺れるほどでもなく、貧困にあえいでいるわけでもない。まさか心の豊かさとかいう妄想にすがりつくほど幼稚でもないはずだ。人が人として行動するには人であることを忘れなければならないようだ。人が人であるならば、人は皆犯罪者となるより他ない。ルールを破った者たちこそが、無意識のうちに人が人であることを物語っている。彼らは過ちを犯すことによって、人の本質を人々に向かって示している。欲望に屈して人道から外れた行為に及んでしまうのが人間の真の姿であり、だから人にとって人は忌み嫌われる存在となっているわけだ。しかしそれで何がわかったことになるのか。大半の人々は自らが人間であることを隠している。欲望に抗しきれなくなったとき、人が人として顕在化するだけで、普段はそれを隠して行動しなければならず、それがジレンマやストレスを形成しているようだ。だからいつも疲れていて、多くの人たちはその疲れを娯楽によって紛らそうとするが、その程度では満足しがたいか。ならばたわいのない理由が導き出されてしまうようだ。人生には目的があり、その目的に向かう理由がある。正気を保つためにはその程度で我慢すべきだ。その先を求めるのはおかしい。何を超えられようか。せいぜいが回り道の連続であり、わざとわけがわからなくなったふりをしながら、自らの限界を忘れて、その限界内で精進しているように装い、ついさっきまでやっていた無駄な悪あがきをなかったことにしたいわけだ。そんなことをいくらやっても無駄だ。限界は限界として君をこの世界に限定している。妄想ですらそれらの限界から生じているのであり、限界を超えて妄想しているつもりでも、現実感が伴わないことは明らかだ。その時点で鏡に映る己の姿をのぞき込んでいる自らを理解できなくなっている。何を考えようとそれは独我論の域を出ない。君はそこから一歩も外へ出られない。ただ自閉的に自らと向き合いつつ、自らの容姿以外を認めがたくなっている。強引に外へ出ようとすれば、そこで暴力が生じざるを得なくなる。他者との軋轢が我慢の限界を超えてしまうわけだ。


5月29日

 あれからどれほどの時が過ぎ去ったのか。何らかの現象について述べているのではない。知らないうちに背景が消失している。君のせいではない。何となく意味のないことを語っているうちに昨日が過ぎ去ってしまったらしい。それをいいことにさらに自意識から遠ざかろうとする。この世界から遠ざかれるはずがない。君は世界なのか。辻褄が合っていない。それは君の言葉ではない。彼の声はどこにも届いていないはずだ。それは君の声とは違うらしい。複数の意識が虚無の周りで絡み合っている。何が蛇なのだ。蛇までも意味を失っている。君は蛇ではない。そこに理由を求めるのはおかしい。本質を見失っている。何が本質だと思うだろう。少なくとも思っているそれが本質ではないことは確かなようだ。君は何かを語るのが面倒だったのではないか。語っているのが君ではないとすれば、一応は辻褄が合うらしいが、そんなごまかしをいつまでも主張するのは滑稽だ。冗談で語っているとすれば、それでもかまわないのかも知れないが、何が冗談なのかわからなくなるのはどうしてなのか。冗談の意味を解せなくなる。了解できかねる文章の意味を認めるわけにはいかないらしい。それがどうしたといえばそういうことでしかないが、どういうことでもないのなら、そんなことをいつまでも述べていても無駄だ。言葉をいくら費やしても、何も述べていないのと同じことになってしまうかも知れない。だからそれがどうしたというのか。何を開き直っているのだろう。わけがわからないのはお互い様のようだが、君の他に誰がいるのだろう。場が存在しない以上、そこに意識が生じることはあり得ない。不在の意識を介して何を語っているのでもない。君はさっきから沈黙したままだ。押し黙ったまま口を開こうとしない。投げやりな態度ですべてを放棄したくなる。すべてとは何なのか。すべての他に何があるのだろう。要するに何もかもが馬鹿げているように思われてくる。さらに文章の構成などに気を遣う必然性を感じなくなり、どうでもよくなってしまうような予感がしてくる。何故にやる気がしないのだろう。本来ならそこから先は意味不明となるはずだが、それの何が不明なのか。それはほんの付け足しに過ぎない事情が作用してそうなってしまう。今さら苦し紛れに嘘をついてもつまらないだけで、そこから何も始まらず、何を開始させようとしているのかさえわからない。君には現実が見えていないようだ。何もない現実を認めようとしない。たぶんそれが現実だとは思えないのだろう。そういう逃げ口上はただ馬鹿げているだけだ。ならばなぜ彼は首をつって死ななければならなかったのか。時事問題について述べる必要性を感じない。見え透いた問いかけには卑しさが顕れている。彼らはまだそこまで語っていないのではないか。彼らとはそんな種類の人たちなのか。それは昨日の話だ。今日は今日でそれとは違う風が吹く。彼らは風の話をしていたわけではない。言葉が風にたとえられたところで、それのどこに説得力が宿っているのかを問うのはナンセンスだ。文章としておかしいのではないか。そんな風に思っている君にはくだらぬ成り行きが似合いそうだ。それらの成り行きのどこがくだらないのだろう。文章を記している誰かは返答に困り、久しぶりに冷や汗が吹き出てくる。そんな大げさであるはずがない。ただわけがわからないだけで、それ以外はどういうことでもない。たとえそこで否定的な言語表現が連続していようと、そこから何らかの効果を期待するのが人間的な弱さを連想させるが、君のどこが人間なのか。人間であろうとなかろうと、たぶんそれで何を述べているのでもないのだろう。返答するのが面倒なので、そんな成り行きとともに、さらなる意味不明な言い回しを求めて、誰かは言葉を連ね、ひたすら周りの状況を無視しようとするが、それで何かに専念しているつもりになれるのだろう。ただむさ苦しいだけか。偽りの仮面がはがれそうになる。頭がいかれているのは、正気を保つ上で必要な成り行きかも知れないが、いくら自らの頭がいかれていると思いこもうと、それだけでは狂気の世界へ踏み込んだことにはならず、ただの冗談として片付けられてしまうのがオチだ。誰が何を片付けているのか。それは便所掃除のたぐいか。いったいそれで何を主張しているつもりになれるだろう。もし何も感じないのなら、それは目を瞑って耳をふさいでいる証拠になるだろう。だが現状ではそれでかまわないのではないか。言葉に詰まって苦し紛れの狂気ばかり振り回してみても、それらのすべては冗談と受け取られてしまい、そんな空振り続きの状況から本当の狂気が生じるだろうか。別に気が狂うつもりはない。何事にも本気になれないのが君の性分だったはずだ。しかしそんなつまらない事実を認めてどうするつもりなのだ。事実でなければ認められないわけでもなく、たまには見え透いた嘘を真実だと思いこんでほしい気もするが、そんな気まぐれもこの際どうでもいいことだ。ここには何ももたらされてはいない。


5月28日

 なぜ昨日になってしまうのか。まだ努力が足りないようだ。それは君のための努力ではない。誰がそれを求めているとも思えない。たぶん何が続いているわけでもないのだろう。さらに誰かは常套手段に訴えかけている。どういうわけかここまでやってきた。様々な妨害工作にもめげずに何かを乗り越えてきたらしいが、実感が何も湧いてこない。それは被害妄想のたぐいかも知れず、実際には外部から何の作用も被っていない可能性もなきにしもあらずだ。何のことはない、ただの妄想でしかないのだろう。誰がそれを決めつけているわけでもなく、何が確定しているわけでもないが、何となくそこから先がないような気がしてくる。君はそこで終わりなのだろうか。君が終わったら、誰がその作業を引き継ぐのだろうか。誰が何をやりたいわけでもないらしい。それはフィクションの中での事情に違いなく、何かしら夢を抱いて、それに向かって努力している者などいくらでもいるのではないか。君が知らないだけだ。しかしそれを知ってどうするのか。一度知ってしまったら後戻りができなくなる。それはどういうことなのか。わからなければわからないままでもかまわない。何となく何かを知ることに慣れていないようだ。それはどういうことでもない。冗談で述べているに過ぎないならば、そこから横道にそれていくだけだろう。やはり面倒くさい。そんな精神状態で何かを述べるべきではないのかも知れない。だがそれは君の精神状態ではなく、述べているつもりなのも君ではない。要するに君には関係のない状況で、君とは無関係なことが語られているわけだ。戯れ言にもほどがある。いつまで経っても無内容のままでは嫌気がさしてしまう。そこから容易には遠ざかれなくなるだろう。また何かが執拗に繰り返されているようだ。それは飽きるまでとかいう生やさしいものではない。飽きようが嫌気がさそうがお構いなしに言葉が連なってしまうらしい。それはもはや言葉ではない。言葉としての体をなしていない。そこで誰が何を主張しているとも思えず、実際に何が語られているとも思えない。やはり語るのが億劫になっているようだ。気がつけば眠たくなっていて、眠気が言葉を連ねる動作の邪魔をしている。それは自我による必死の抵抗かも知れない。虚無に操作されて、無駄に意味不明な言葉を連ねてはいけないのだ。今さら決まり切ったことを述べないでほしい。同じような言葉の繰り返しになってしまうのは退屈だ。だがそれを避けられない成り行きを押しとどめることはできない。好むと好まざるとに関わらず、君はそれらの成り行きを見守りながらも尊重しなければならない。一字一句逃さず隅から隅まで精査しなければならず、それは君の能力の限界を超える行為となるだろう。ならばできるはずのないことをやらせないでほしい。何気ない会話から何をくみ取ろうとしているのか。何かの徴候を発見したつもりになれるだろうか。君の心は病んでいる。その程度の病なら取るに足りない。死ぬのも生きるのも難しいが、死のうが生きようが、そんなことは君には関係のないことだ。あくびがひっきりなしに出る。相当疲れているようだ。たまに気がつけば誰かが自分に乗り移りながら、怠惰に傾きつつある意識を押しのけて、ひたすら言葉を連ねようとしている。そんなのは嘘だろう。誰かにとっては嘘に決まっていてほしい気がするようだが、虚無をまとった他の誰かには通用しない。君は未だ何者にもなれず、そこから一歩も前に進めずにいる。そしてなぜか息苦しい。病の徴候があるようで、言葉を連ねる作業から降りて、一刻も早くそこから逃げ出したいが逃げ出せずにいるようだ。そしてそんな作り話にも信憑性を感じられず、次第に何を語っているのかわからなくなり、終わりが近づいているのを予感させる内容を記していることに罪悪感すら抱いている自らに驚く。誰かの意識は逃げ口上的にそんなはずがないと思いたいようだ。それは何かの磁力なのかも知れず、文字を記すうちに引き寄せられている当のものに心当たりはなく、それが何なのか知ろうともせず、その場をそのままに放置しながら、何食わぬ顔で通り過ぎようとして、かえって泥沼の深みにはまってしまうような成り行きを呼び込んでいる。本当にそうなのだろうか。何が嘘で何が本当なのか、事の真偽を分ける明確な境界線は存在しないようで、何を語っているのかわからないのと同時に、自らがさらなるわけのわからなさを無意識のうちに目指していることに気づき、唖然とするどころか、それらの文章がすでに自らの手を離れ、自立的に動作していて、君には関係のないことを君自身の了解を得ずに記し続けているのが君自身であることを認めざるを得なくなり、本気でそんなことを述べているわけではないと思いこんでいる君を、それらの文章は裏切り続けているのだろう。だがそれがどうしたわけでもないだろう。何を述べようと君の勝手ではなく、君を無視して文章が構成されてしまう事態が取り立てて変ではないと感じるだけだ。


5月27日

 そんなことは知っている。今は夜だろう。夜でなければ昼に違いない。あと半日も経てば昼になる。蛍光灯が明るすぎる。電気を消せばいい。光と闇の狭間で何を見定めようとしているのか。季節は昨日と同じだろう。時間的には何をやっているはずなのか。すでに夜明けが近い。もう朝になってしまったようだ。数日後は曇り空だ。あと何年生きられるだろうか。それは病にかかった者が抱く思いか。君のことを述べているわけではない。誰のことを思っているわけでもない。烏は人の名を呼んでいるわけではない。何も思わない。動物ではないようだ。君は何とも思わないのか。誰の話でもない。ただ言葉だけが記される。他に記すことはないのだろうか。もはや手遅れなのかも知れない。何が手遅れかは追々わかってくるだろう。すでに内容のないことが記されている。それでさっきから笑っているのか。意味不明に違いない。何もないのだから仕方がない。たぶん何も記すことはできないのだろう。記しているのは君ではない。それは言葉ではないのかも知れない。何でもないことだ。ことでもないのかも知れない。君はそこにとどまっている。気温の変動に身体がついて行けなくなっている。誰かは何者にもなれなかったことを嘆いているのか。無駄な問いかけはどこにも響かない。空間が閉ざされている。言葉がそこら辺に散らばっている。文章ではないのだろう。君は何を知りたいのか。それがわからないとは言わせないらしい。誰が何を強要しているのか。誰かの要請でもありはしない。何ものにもとらわれない心というものがあるだろうか。ものではないのかも知れない。心はさらなる変化を被っている。受け入れがたい変化だ。言葉がとどくはずのない高みに何者かが住まう。仙人のたぐいか。よどみのない口調で何か指示を出している。独り言かも知れない。またしてもそこまで到達していないようだ。何が至らないのかを知りたいところだが、何を問いかけても返答はない。何に向かって問いかけているのか理解できない。わからないという逃げ道を保持している。どこまでもいけるはずがない。言葉に詰まってしまうのは必然のような気がする。またそんなところでもたついている。やる気がないのはお互い様だろう。今さら何を語れと言うのか。誰に言われてそんなことを述べているのだろうか。未だにわかっていないようだ。本当のところは何もわかっていない。だからその辺で立ち往生してしまうわけだ。わかろうとしないのだから、何を忠告しても無駄だろう。独りよがりな行動に訴えるのが君の基本姿勢なのだ。そこを外せないのは甘えというものか。何が何でもそれを仕上げようとするが、それは無理だろう。目が見ているものを頭が認識できない。それはものではない。靄がかかっているようだ。君はどこまでもそれを信じようとしない。その姿勢は頑なだ。死の病などではないだろう。単なる転落死なのかも知れない。死であることに変わりはないようだが、君はそれが馬鹿らしいと思っている。不可能だとは思わないのか。何が不可能なのだろうか。死ぬ前に時間を止めてみたい。君がそう思っているわけではない。意識が連続していない。過去にさかのぼって何かを肯定したい衝動に駆られているようだ。誰に迷惑をかけているのだろう。貴重な時間を無駄に浪費している。君の行為を非難しているわけではない。意識が君から離れられない。なぜ昼になってしまったのか。気がつけば意味不明な問いかけが連続している。追い詰められている。余裕が感じられない。風を感じて何を思うまでもなく、到達させようとする意志が感じられない。またもや眠気に勝てなくなる。誘惑に屈しようとしているらしい。逆風のまっただ中かも知れない。なぜそんなところで躓いてしまうのか。わかりたくてもわかり得ないのではないか。君は君自身を知ろうとして、誰かは知ることを阻もうとしている。だからそこまで到達できないのだ。わけのわからない成り行きであることは承知している。無理して終わらせようとしていることは見え見えである。しかし無駄に言葉を連ねている。そこまで行く必要はない。行ってどうするのだろう。いうまでもなく同じような言葉の繰り返しなのだ。眠気に逆らうと寿命を縮める。すでに耐用年数を過ぎている。そんなわけでいつもぎりぎりのところで判断を迫られており、必ず手遅れになる一歩手前で行動を起こすしか方法はないようだ。その時点ですでに手遅れなのではないか。まったく精神的に切羽詰まっていて、そこから正しい判断を下すのは至難の業だ。この世界ではなぜ間に合わない状況ばかりが繰り返されるのか。先回りしてあらかじめ準備しておけばそんな風にはならないのに、必ずそうは問屋が卸さない成り行きに巻き込まれ、思いがけない出来事に遭遇して、驚きあっけにとられ、次いで何らかの対処を迫られて、思い悩み右往左往しながらも、何らかの対処法を模索することになるわけだが、いつもぎりぎりのところでかろうじて破綻を免れるわけだ。君はそれをどうすればいいのだ。


5月26日

 気温が下がり雲が流れる。早く結果が出て良かったのではないか。言葉が出てこない。敵の敵は味方かも知れない。晴れた空以外は何も変わっていない。記憶が戻らない。それは記憶ではない。記録を残しておけばいいのだろうか。安易な妥協策だ。テレビを見なければ作業がはかどる。君は何を忘れていたのか。そこから遠ざかるわけにはいかないらしい。幻聴と幻覚との間に関連がある。すべては幻のようだ。言葉だけの問題かも知れない。言葉を記憶している。何かの記憶素子のようだ。何かが下火になってきている。一つのブームだったのだろう。他に意味はない。感じているのはどす黒い心だ。性根が腐っている。刺激的な言葉を投げかけているが、その対象が未定のままだ。餌に飛びついているのはどんな動物なのか。色素が沈着している。連想していた言葉に裏切られ、何ももたらされないことに腹を立て、誰かがどこかでわめいているようだが、遠すぎて内容を聞き取れない。聞き取れなくても内容はわかっている。これから文章にして示せばいいことでしかない。それが君の主張になることはない。理由を聞かせてくれないか。聞き手が見当たらないようだが、彼はどこへ行ったのか。彼ではなく君かも知れない。少しはこれまでとは違う成り行きに目覚めたのか。かかっている曲は相変わらずだ。それは君のせいではなく、誰かが曲目を増やそうとしないのがいけないのではないか。それでもいけているつもりらしい。エンジンの掛かりが悪いようだ。失敗は誰にでも訪れるものだ。夜空から幽霊が降りてくる。星座を眺めて何を思うだろう。思わぬ方角から流れ星が飛んでくるが、それはテレビの映像ではないか。またいつもの回り道にはまっているようだ。何でもない風景の中に画面が埋もれている。君が掘り起こそうとしているのは誰かの死体ではない。そこで小休止しているのは怖くなったからではない。冗談が現実味を帯びてくる。やっとここまで来た。今日は昨日より疲れている。自動的に睡眠モードに変わりつつある。何かのスイッチが入っている。気がついたときにはもう遅い。君は奈落の底へ突き落とされて、現世にはい上がってこられなくなる。何が嘘なのだろう。ここは現世だ。過去でも未来でもない。日付的は過去の時空に属しているが、作り話なのだから仕方がない。どうやらまだやる気になっているようだ。懲りない人間に明日はやってこない。懲りているのなら、もっと違ったやり方を試しているはずだ。君のことではない。誰を守ろうとしているのだろう。歌は無意味だ。それは歌ではないから無意味なのだ。何か矛盾していないだろうか。意味があろうとなかろうと、どちらでもかまわない。何を妥協しているのか。なぜ興味を持てないのか。月日が語っているのではない。歳月が積み重なっているのでもない。そこまでたどり着けない原因などない。理由もなくうねっている。丘の上から何を眺めているのか。わからなくなるのなら、君とは違う理由を導き出せばいいだろう。理由を回避できない。やはり君の話ではないようだ。それどころか何の話でもない。相変わらず何もない。何もないから困り果てる。君はそれらの成り行きを信用していない。疑惑の人が死ねば一件落着らしいが、安易すぎないか。無駄に言葉を連ねていた日々が懐かしい。今でもそうだろう。いつまでもやっていられないはずだが、何かが矛盾していて、そこで破綻している。君は何を望んでいるのだろう。苦しいと思うなら、その苦しみから解放されたいと願えばいい。叶うはずのない願いではないはずだ。頭の中で虚無が成長している。そんな妄想に意識を支配され、他に何も思いつかなくなりかけている。調子に乗っていると、思わぬ落とし穴にはまり、他に何もできなくなってしまう。他がないのだから、それは当然のことだろう。それは落とし穴などではなく、どこかの袋小路なのではないか。唐突にそれを認めてどうするのか。愚かであることはわかりきっている。愚かでなければ何もできはしない。何もできない現状をいかに回避できるだろうか。それが空想の結果だとは思えない。虚無から遠ざかるほど眠くなるのはどういうことなのか。君にはそれが認めがたい。人はただひたすら経験を積み重ねる。そこに意義や意味を見いだすのは本人の自由だが、遠からず裏切られるだろう。幻想や妄想以外には何も見いだせなくなる。経験が人間を凌駕してしまうわけだ。君は君でなくなり、単なる物語の登場人物に成り下がってしまう。たとえば他人に君の人生を語られてしまったらそこでおしまいだ。すでに生涯が閉じてしまった証拠となる。他人はさかんに君を忘却の彼方へと押しやろうとする。無視の対象としてしまうわけだ。亡き者とするとはそういうことだ。君は遠からず使用済みの人間となるだろう。もはや用無しということだ。それで何が報われたのか。人が消失するためには何が必要なのか。言葉はすでに君のものではない。君に作者としての権利など備わっていない。いつまで経っても君は単なる傍観者に過ぎない。


5月25日

 いい加減な言葉の付け足しはやめた方がいい。面倒くさいことは嫌いなのか。たぶんそれは嘘だろう。孤独な状況が精神的に耐え難いらしい。だがそれが修練だとは思わない。そこでどんな修行を積んでいるわけでもない。頭がどうかしているのだろう。ためらいがない。何を選んでいるのか。言葉は選べない。空気も選択の余地はない。腕時計を必死にのぞき込んでいる。死期が早まっているわけか。何かの亜流ならいただけない。軽はずみな芸術談義にはつきあっていられない。他に何を否定するつもりなのか。無駄に金を貯めているわけではない。有用な使い道などありはしない。君の金ではない。詐欺師のたぐいには何かがもたらされる。罪悪感の欠片もない。それは何かの断片に違いない。言葉がまともに組み合わさって、やがて何らかの文章を構成するだろう。誰かはその日の到来を夢見ているらしい。向こうから何かが近づいてくるわけではない。夜になっても風が止まない。気候的は夏だ。数日後には温度が下がる。もうすぐ来月になる。やめた方がよさそうだ。だがそれはやめられない状況に分類されるらしい。何をやめようとしているのか。面倒なので説明など省いてしまいたい。誰かの船が近づいてくる。まだ生き残る希望を捨てていないようだ。君は何を打ち砕くつもりなのか。苦痛とともに言葉をかろうじて繰り出している。そんな嘘はつまらない。無駄な時間を過ごしているようだ。また何かが繰り返されているらしい。水の落ちる音を聞いた。のどが渇いているのだろう。水ならいくらでも飲める。言葉とは無関係に飲める。飲んでいるのはコーヒーではない。何をためらっているのだ。あと数時間で夜が明けてくる。午前三時に目覚めている。それはいつの時間なのだろう。言葉に時間は関係ない。何かの調子が狂っているのかも知れない。動揺している。心が異変を感じ取っている。その場に応じた状況ではない。むやみに他人を刺激すべきではない。誰かの背中に包丁が刺さっている。ニュースでそんなことが伝えられていた。透視している。網膜剥離のたぐいかも知れない。君の言葉ではないようだ。蜘蛛の目に蛍光灯の光が映り込む。意識的には何かを買いたいらしい。街中を彷徨っている。通信販売で妥協してみてはどうか。常識外れの価格に驚いたふりをしてみる。誰がそれを買うのだろうか。聴いたこともない音楽だ。視聴ブースで気に入ったふりをしている。誰に伝えているつもりなのか。何かが断片化しているようだ。すかさず間を差し挟みたい衝動に駆られ、その間に熟慮したくなる。誰にとっても理解可能な文章に再構成したいようだ。どうか手遅れとは言わないでほしい。アブドゥル・イブラヒムが多すぎる。印象に残ってしまうらしい。いやが上にも感情が高まる。そんなしかけなのだ。誰かが弦楽器とともに叫び続ける。彼の名を知っている。君とは関係のない言葉の連なりを思い出す。まだ時間が残っているはずだ。見せしめに血祭りに上げられている。時間をひたすら浪費している。君の話ではない。君と彼とは特性が異なる。誰が気休めに死刑判決を受けたのか。今や死刑も大衆の娯楽の一部を構成しているらしい。公開処刑はタリバンの専売特許か。わけがわからなくなっている。安易に意味不明に逃げすぎている。曲がった首をただして、もう少しまともな意見に集約させたいが、やはり意味不明のままで済ませたくなる。たぶんくだらないことを述べているのだろう。なぜ興味が湧かないのか。多少なりとも勘違いがあるらしい。それを批判するまでもない。色眼鏡を通して見ていればいい。君たちは何を守ろうとしているのか。それは現状維持に結びつく。明らかな背信行為に違いない。なぜか良心が咎めない。何かがおかしいことはわかっているが、そういうやり方で何が変わるというのか。君たちは何を演じているつもりなのか。何ものにもとらわれない。感性がそれを要求している。でたらめな意味不明を求めているらしい。それはどういうことになるのだろうか。そうではないと思いたい。何を忘れようとしているのだろう。数ヶ月前にはどんなごまかしが横行していたのだろうか。それをすでに忘れている。なんのことやらまったく思い出せない。NHKにも労働組合があるのだろうか。放送が政府や与党のごまかしを忘れさせる。次から次へと問題が顕在化しているように装うが、そんなことはどうでもいいことらしい。与党幹部の開き直り発言を正当化していればそれで済んでしまうわけだ。あとは時が経てば忘れてしまうだけで、選挙になれば改革という名の現状維持が国民によって承認されるだけだ。そんな風にしか推移しない成り行きがいつまでも繰り返されている。言葉尻を捉えて非難を繰り返しているだけでいいのだろうか。そんなやり方ではだめだから現状があるのではないか。たぶん何が変わるわけでもない。いつまで経ってもそんなことが繰り返される。確かに何も変わるわけでもないが、それが変化であり改革だと思いこまされるわけだ。いつまで経っても似たような者たちが同じような発言を繰り替えているのだろう。


5月24日

 いつもながらの風景が目の前に広がっているようだ。予定調和の展開に呆れている。投げやりな態度を改めなければならない。明確な目的があるはずがない。誰の要請を受け入れなければならないのか。それは君ではないのだろう。肝心なところで君は責任逃れの態度に終始する。調子に乗って突っ走ろうとするが、途中から何かが違っていることに気づく。それは昨日見た夢かも知れない。感覚がとぎすまされているとは思わない。一度手に入れた能力を手放す気がないようだ。影はいつまでも何かに取り憑いている。その何かが君だとは思わないらしい。相変わらずの否定口調だ。いくら否定し続けてもそれを否定し尽くすことはできない。何かが低い水準で繰り返されている。映画は何を訴えかけているのだろうか。社会不安を煽って、そこから利益を抽出したい。何かに支配されそうになる話はありふれている。このままでは人類全体が危ないということか。地球温暖化もそのたぐいかも知れない。君は虚無に支配されている。何かと何かの悪循環を絶つ話もありふれている。なぜ同じような言い回しが氾濫しているのだろうか。しかしおかしいと思うのはおかしい。この社会はどうかしていると思っている君の頭がどうかしている。君は自らが抱いている妄想から抜け出せない。それは気のせいかも知れない。ありふれた話ならテレビに満ちあふれている。どの話も不完全だ。わざとそうしているのだろうか。人災も天災もすべては利用すべき対象だ。年がら年中再評価の嵐が吹き荒れている。なぜそんなところから目的が生まれるのだろうか。目的はその内容によらずくだらない。何という決めつけだろう。根拠も理由もない。それらを探すつもりがない。何が重要課題であるわけではない。逆境からはい上がってくる話もありふれている。なぜ普通に暮らせないのか。それが普通だと思っていればそれでいいのではないか。では何に反論すればいいのだろう。手がかりを見いだせない。きっかけをつかめない。それがきっかけだとは思えない。きっかけがないから今が続いている。君は何を願っているのだろう。知っていることは限られている。何が許されざる行為なのだ。何を述べても遅れを取り戻せない。宗教を過大評価すべきではない。何を問題視するにしても、それを宗教のせいにしていいのだろうか。また何について述べているのでもないような気がしてくる。現状の何が君にとって不都合な要素を形成しているのか。話が進まなくなる。君の偏狭なこだわりが報われるはずがない。実際にどのような報いを受けているのか。何を知ろうとしているのだろう。何を認めようとしないのか。誤謬の連続となる。わざわざそんなことまでやる必要はない。思い通りにならない構造なのだから仕方がないが、それはあきらめきれない成り行きをなぞっている。それとは何だろう。言葉の連なりが何を示しているのか。あきらめてみてはどうだろうか。もうやめた方がいい。そういう趣旨なら簡単に述べることができるらしい。夢が現実になろうとしている。夢が何だったのか忘れてしまったらしい。それで何かを否定したつもりになる。他にまだ何か伝えたいことがあったかも知れないが、今はもう思い出せない。安易な娯楽に心を奪われている。ただ見ているだけではないのか。空中を魚が泳いでいる。見たこともない光景を思い出したつもりになる。空想なのか想像なのか、適切な言葉が思い浮かばない。ひねくれているようだ。そんなに明日の天気が気になるか。しかし文章になっていない。ひたすら意味不明だ。そこで何に気づいたのか。我慢が限界に近づいている。それで何を語り、言葉で何を示そうとしているのだろう。何も示されていないようだ。実際には何もない。空想すら消失している。自意識はどこへ行ったのだろう。何かに蝕まれている。夜になり風が止んでくる。通りの鼓動を感じた気がする。それは心臓の音だ。竹藪が縮小している。君が君でないことを証明したくなる。話の脈絡が感じられないが、話そのものが不在だ。それらの内容を理解しがたい。しばらく呼吸が止まっていたらしい。ただ眠っていた。紋切り型から逃れようとしている。それは君ではない。確かに君ではないが、それを語っているのは君自身だ。思い違いも甚だしい。君は何も語れないはずだったが、それが君でなければ事情が異なる。何だかめまいがしてくる。誰かの首がぐるぐる回っている。肩こりのようだ。また電話をするのを忘れてしまったらしい。相手が不在なのだから、それはする必要のない電話だ。枝葉を数えて、樹木の全体を想像する。言葉がどこかで舞っている。宙に舞っているのは羽虫のたぐいだ。やっと始まりの近傍までたどり着いたが、すでに意識がない。忘れようとしても忘れてしまいたいことを思い出せなくなる。また数行先に罠が待ちかまえている。犬に噛まれて狂犬病になるわけでもないだろう。貧相な空想力に頼りきっているのはおかしい。言葉に見捨てられているわけか。君はさっきから首をかしげるばかりだ。


5月23日

 同じ場面がいつまでも繰り返される。大前提としてそのやり方はおかしい。何も感じなくなる。正気とは思えない。戦略的に間違っていることは明白だ。現時点では何がもたらされているのだろうか。何がもてはやされているとは思えない。場所がわからず、現状の何も肯定できない。だが見損なっているのではない。いったい誰を否定したいのか。思い通りにゆかずに、何となく焦っている。それは遠回りということだ。誰かは東に回帰するそうだ。それが君の行き先でないことはわかっている。何を求めているのかつかめない。どこまで行っても意識は同じような文章から逃れられない。言葉の組み合わせを変更すべきだ。また無駄でわざとらしい問いかけの連続になってしまいそうな気配を感じる。何か気になることでもあるのか。眠たいなら眠ってしまえばいい。それ以外にどんな選択肢を有しているというのか。頭上の蛍光灯がまぶしすぎる。雨が近づいている。数日後の天気だ。空が暗い。目的がわからない。誰もが目的から遠ざかれない。それで目的を果たしたことになるらしい。何にとらわれているのかわからなくなる。そのこだわりを説明できない。それらの結果を利用したいが、対応する言葉が出てこない。雨が降ってきたようだ。日付が間違っている。日付に意味はないのかも知れない。何となくそこに提示されようとしている作り話を放棄したくなってきた。話になっていない。君は相変わらず幻想を抱いている。負けを認めるわけにはいかないらしい。考え方がおかしい。何に負けているのだろう。また雨に打たれて風邪を引いてしまったのだろうか。大自然の驚異の前に屈している。それほど大げさなことではない。一夜明ければ雨も止んで、また蒸し暑い日々がやってくるわけか。なぜ疲れているのだろうか。また遅れてきたようだ。美しさには中身がない。それは安易な思考から求められた間違いだ。蝙蝠が飛んでいるが、それが吉兆であるわけがない。しゃれた言葉の構成だ。何について述べているとも思えない。心は何ものにもとらわれない。矛盾しているのは当たり前のことだ。飽きているのも当然の成り行きに違いない。考えることを放棄したくなる。空気が入れ替わっても、やがて夏がやってくる。結局暑くなるわけだ。気休めを求めているわけではない。気休めにならないから疲れてしまうわけだ。たぶん何でもないのだろう。気持ちがそこまで至らないのだ。誰もが気が狂うきっかけに遭遇する。常識から外れて、美意識にこだわり、何でもないことに神経を集中させていることに気づく。芸術は感覚的な奇形物を構成する。それを肯定的に受け入れられるだろうか。何にのめり込もうとしているのか。ただの日常をどうすることもできず、忘れがちな記憶をつなぎ合わせて、忘れられない思い出にしようとしているわけではない。そこから何かが違ってくる。どうにもならないことをどうにかしようとしているわけか。ため息が出てくる。何がもったいないのだろうか。そこまで来ていて、そこから先に足を踏み込めずにいるらしい。常識的な視点を失っているのかも知れない。冗談にさえなっていない。それは違っているのだろう。それだけではだめなのだ。実質的に何ももたらされていない。それがわかっていながら、そこから先へ進めない。視覚と感覚がずれていて、正気に戻る一歩手前で足踏み状態に陥ってる。本気でそんなことを思っているらしい。彼らには何かを伝えなければならない義務でもあるのだろうか。それが仕事なのだから仕方がない。意味のわからない話をしているそうだ。君はそこから影響を及ぼされようとしている。何を検討しているのかわからない。どうやって行き詰まり打開するつもりなのか。自分に何を問いかけても応答はない。なぜそんなところで止まってしまうのか。それらは批判すべき対象ではない。だが見聞しているつもりのそれらが何なのかわからず、それらについて具体的に何も述べられない。またややこしいことに言及する羽目に陥っている。それが行き詰まりの原因なのだろう。無理なのにそこから前進させようとしている。あてがないのに言葉を連ねようとする。やはりそれでは意味がない。何ももたらされていない。それがそこでの現実だ。そんな何もない現実が君を正気に戻す。誰がどんな妄想を抱こうと、この世界はこの世界のままなのだ。何に対しても興味を抱けないのは、それが妄想ではないということだ。確かに何もありはしない。この世界以外には何もない。画面が揺らいでいるのは気のせいだろう。枯れかかった草むらから、何が飛び出すわけもない。あともう少しのようだ。何を我慢しているのか。君はそれをわかっている。わかっているが理解できない。それらの出来事は何でもないことだ。何でもないが、そこから抜け出られない。数日後の昼はまた暑くなる。相変わらず文章はまとまらず、何も主張が出てこない。現状の何を改善すればいいのだろうか。何事にも真剣になれない現状に変わりはなく、そこから抜け出ようとする気が起こらない。


5月22日

 まだ途中の段階だろう。話はそこで止まっている。そこに勘違いの原因があるらしい。昔の人は君を軽蔑していた。今は君を敬っているわけではない。誰かの理想を目にすると、めまいを押さえることができない。川の流れのように、何を川の流れにたとえようとしているのか。気がつけばのどが渇いているので、とっさに水を飲む。何を夢見ても虚しいだけだ。それはわかりすぎるくらいにわかっているはずだが、まだ本気になっていない証拠だろう。今さら何を知りたいのか。知っていることならいくらでもありそうだが、無理をする必要はない。何も知らないことにしておきたい。それらの文章には何が示されているのか。少なくとも何かについて述べられている。やる気があるのかないのかわからないが、とにかく言葉を連ねてみよう。君がそう思っているわけではない。何のことはない、誰かは君の中に信じるものを発見しそうになる。ものとは何か。神がものであるはずがないか。やはり本気になってはいけないようだ。どこまでも砂漠が続いていると思ってはいけない。トンネルの向こう側にはまた違うトンネルが続いている。信じるに足る理由を見いだせないのはいつものことだ。それらの嘘が見え透いているわけがないだろう。目の下を虫に刺される。藪を抜けたら間伐を怠った杉林だ。なぜ歩いているのかわからなくなる。なぜ陽気にしゃべり続けているのか。時折くしゃみが止まらなくなる。興味のないことを述べるべきではない。まだそこまで到達していない。なぜそれについて語ろうとするのか。何かが君の邪魔をしているようだ。冗談半分に言葉を繰り出している。いい加減な言葉に連なりに不満を抱いているようだ。冗談だけではないと思いたいらしいが、思いに必死さが足りない。何を完成させようとしているのでもないらしい。生身の体を置き忘れてきた。思考がどこに宿っていようと、それが現実の力を欲しているわけではなさそうに思え、ただ考えるために考え続けているだけかも知れない。時間的にさらに遅れてくる。君の出現を待っている余裕がないらしい。無駄に言葉を弄して、性急に結果を求めている。それの何が無駄になっているのだろう。不必要な問いかけを多用している。それで何をごまかしているのか。述べていることは抽象的なのだろう。そんなのは嘘に決まっている。何に対して抽象的なのか、その対象が定かでない。この世界に何があるというのか。またそれだ。何もかもがあるらしい。君の目的となる対象を除いて、それ以外のすべてがそろっている。何もない方があるかにマシな状況だと思う。そこにないものはない。ないものは存在しないだけでなく、空想することすらできない。空想しているあり得ないものは、やがて目の前に現れるだろう。そんな嘘は信じられないというのなら、どんな嘘なら信じられるというのか。何の変哲もない音楽を聴いている。ジャズのたぐいに決まっているらしいが、当たり前のことを述べないでほしい。にわかには信じられない。何を信じれば救われるのか。救われようと思っていないのなら、何を信じても救われないだろうか。それで救われてしまったらどうするのか。世の中には思いがけぬきっかけが待ち受けている。君の策略は見え透いている。わかりやすい話の展開は避けがたい魅力を醸し出すだろう。何を避けなければいけないのだろうか。そのとき君は何に屈していることになるのか。くだらぬ問いかけの羅列に呆れかえっているだけだ。話はまだそこまで行っていないのではないか。進行状況を見誤っている。くだらぬ話の展開にうんざりしている。どこまでもまとまりに欠けているようだ。要するに話になっていない。君には才能がない。だからどうしたわけでもなく、ただ才能がない。それを誰が認めていることになるのか。君以外の誰でもないような気がしてくるが、君は君ではないと思っているようだ。話が破綻してから破綻しないように工夫を凝らそうとしている。鈍感なのだろうか。まだわかっていないことが多すぎる。今さらそれは遅すぎる。すでにどこへも逃げられない。行き詰まってから半日が経とうとしている。わかっていないのは誰かの方ではないか。正気を保っているつもりで正気になろうとしている。どんな言葉を繰り返し使用しているのか。使い古されたことわざを再生産しようとは思わない。単に意味がわからない。述べていることが理解できない。何を語ろうとしているのでもないらしい。いくら語っても何を語ったことにもならない。それは単なる帳尻あわせにもならない付け足しに過ぎない。そこから何を理解できるだろう。いつもの癖を再認識するばかりのようだ。それが君のやり方なのだから、それを認めざるを得ないだろう。だからいつものやり方を最後まで貫いてほしい。そこまでやれば本望なのではないか。志半ばというわけでもないはずだ。すでにゴールが見えている。時間的に間に合わないわけでもない。あとはそこから数歩歩いて、目的地に到着すればいいだけだ。何もない場所が目的地になる。


5月21日

 抽象的に理由を見失っている。それは言語的に間違っているのではないか。なぜそこまでとどかないのか。到達点が低すぎる。わからないが心の中で何かが増殖している。また冗談でそんなことを述べているのだろうが、疑念を抱いていることは確かなようだ。しかし相変わらず目的がない。だから現状を破棄したい。また誰かはくだらぬことを述べているようだが、君はそれについてどんな感想を抱いているのか。何を出し抜かれているのだろう。秘密など何もなく、見えているものはそれだけではない。それとは何だろう。君の言説は早くも意味不明に陥っている。ではそれをあきらめなければならないのか。わかっていることはそれだけだ。わかっていないからわかっているつもりになっている。わからなければわかるように努力すればいいだろう。とにかく何とかしなければならない。君はそこで何を読んでいるのか。何も読んでいないと述べておこう。それはいつも通りの成り行きだ。そうでなければ話にならないようだ。だからくだらなくなり、何を述べても何もかもが嫌になってしまう。またそんな嘘をついて間を保とうとする。言葉と言葉の間に何があるのだろう。それでは間になっていないのではないか。何も思わない時間と何もしない時間との間にずれが生じていて、二つの時間が重ならなくなっている。いったいそれがどうしたのか。自分でそれをわからなければならない。何が知りたいのかわからなくなる。知りたいのではなく、わかりたいのではないか。どちらともとれるだろうか。何となくそんなことを述べているうちに目が覚めてきた。昼は仕事に追われ、夜は言葉と眠気に追われ、考えている暇がないらしい。それで困っていることがあるだろうか。考えるいとまがほしいということか。何を考えていいのかわからなくなるだけだ。そんなことを述べているうちにも、言葉が君を裏切ろうとしている。文章に内容など要らないということか。それは誰の主張なのか。君が記している文章の中にそう読み取れる部分があるというわけか。君が何を表記しているのかについて、影は関心を持てない。君の影は君を見捨てているようだ。さらに何かが尽きかけている。さっきまで疑念が増殖を繰り返していたのに、なぜ今度は尽きかけているのか。人々はそれについて深く考えたりしないだけだ。なぜ戦う必要があるのか、それは生き残るため程度の答えで満足すべきなのだ。戦い自体が戦っている者の命を危険にさらしている。生き残るには戦わなければいいと思われるが、それに対しては、ただ戦って勝ちたいといえば、それが答えとなってしまう。戦っている相手に勝ちたいから、自らの命を危険にさらしてまで戦いたいわけだ。そこからどんな疑念が生じているというのか。君は戦わずして敗れ去りたいのか。物事を短絡的に考えすぎだろうか。どんな戦いに巻き込まれているわけでもない。何となくそれについて語るのが面倒くさくなってくる。そんなことはどうでもいいことに違いない。たぶん冗談でそんなことを述べているのだろう。やりたくないことはやらなくてもいいはずか。成り行き的にはそうもいっていられなくなるのが運命だ。運命とは何なのか。そこに何かやりざるを得なくなる宿命でも生じていて、何らかの作用によってやることを強要されているわけか。ではこれから何をやらなければならないのだろう。たとえば結果的に殺人事件の容疑者にされてしまう者なら、これから人を殺さなければならない。君の場合はどうなのか。君はこれから文字を記して文章を完成させなければならない。それとニュースで伝えられている殺人事件とは何の関係もありはしない。そしてそれについて何も述べられない君は何かと悪戦苦闘している。何かとは何なのか。それがわかれば苦労はしない。そこまで述べてきてまた疑念が湧いてくるが、そんな疑念など無視して先を急ごう。もちろん先を急ぐ理由など何もありはしない。気がつけばまた誰かが塩の歌を口ずさんでいる。歌の中の男は、自分の子供が自分と同じような職業に就かないように、ただ一心不乱に仕事に打ち込んでいる。金を稼いで、その金で子供を学校に通わせて、勉強して知識と学歴を身につけさせ、自分の置かれた境遇とは別世界で暮らしてほしいそうだ。何というありふれた話なのか。そんな環境から戦いが始まるらしい。馬鹿にしてはいけないのだろう。身の程知らずにもいい加減に気づいてほしいか。君自身が置かれている境遇とは何なのか。ただの何でもない世界に暮らしている。何でもありかも知れないが、やっていいこととやってはいけないことがあるらしく。もしやってはいけないことが発覚した場合には、ニュースで容疑者として紹介される仕組みだ。有名進学校の教師が五十歳の下着泥棒で、下着を盗みに忍び込んだ先が、かつての教え子の部屋だったそうだ。たぶん見ず知らずの他人からすれば笑い話のたぐいにしかならないだろう。その学校の教頭が記者会見の場で謝罪していた。誰かはそういう冗談を本気に受け取れない境遇にあるらしい。


5月20日

 ついに運命の神は君を見捨てたらしい。それが運命なら仕方がない。他の誰かの運命を借りてくるまでだ。その時点で君は運命の女神を見捨てている。冗談ならそれでかまわない。君はすでにそこから離れている。あてどなく文字を記すのが面倒になる。なぜ突然そんなことを思いつくのか。意味のないことを述べているのかも知れないが、君はそこから旅立つ必要に迫られている。物語的にはありふれた話の展開だろう。人はいつまでも同じ場所にとどまっていてはいけないらしい。ならば君の運命はどこへ消えてしまったのか。相変わらず君は画面の前に居座っているではないか。誰がそこから旅立ってしまったのか。今日はそれほど頭に負荷がかかっていない。いつもならおそらく面倒な事態に直面していたはずだ。話の中から何をくみ取りたいのか。君を理解させようとしているのではない。誰に何を理解してもらいたいわけでもないらしい。ただ旅先で行くあてがない。どこを見回してみても何の変哲もない街並みが適当に続いているだけだ。たぶん誰のためにこの世界があるのでもない。そんな思いを抱かせるだけの殺風景に囲まれている。わざとそんなことを述べている。面倒なことは嫌いなようだ。もうそろそろ出かけなければならない。人恋しさに誘われていると思えるだろうか。話をしたいとは思わない。君はそれらの運命を見捨てているはずだ。それがどういう成り行きを形成しているのかを知りたいが、誰がそれを教えてくれているというのか。ここは君の世界ではない。君はいつの間にか異邦人となって、どこでもない大地をさまよい歩き、架空の地平を目指して押し寄せてくる妄想に逆らいながら、必死に文章の継続をはかろうとするが、意味不明でそれ以外には何の作用も及ぼさないような事象に足を取られ、なんのことやらわからないままにどうでもいいような現象に巻き込まれ、唐突に射してくる陽の光を浴びてよろめき、自らが何を語っているのかわからず、君の意志を無視して繰り出される闇の言葉に動揺して、そこから先を容易には思いつけず、その辺で冗談に逃げたくなってしまうらしい。本気になってしまっては困るのだろう。何をもってそこで終われると思っているのか。状況は君をこの世界から引きはがそうとするが、それでとは違う力が君をこの世界に引き寄せようとして、君は相反する力の間でその身を引き裂かれようとしているようだが、君自身にも自らの身体を一つに保とうとする力が内在しているらしく、それによってかろうじて心身の均衡を保っているのかも知れない。冗談もそこまで述べれば気が済んでしまうのかわからないが、何となくその件はそれで終わりにしたい衝動に駆られ、話の途中で何かをやり残した気を中途半端に保持したまま、その先を目指してしまう。それで何がわかるというのか。外は新緑の季節らしい。その作業には終わりがない。何をどう語っても中途半端に思えてくる。それだけでは完結しないだけだ。言葉だけではだめらしい。文章には言葉以外に何が必要なのか。君は意味を解さない体質になっている。分からず屋というわけか。何も語らずに言葉を繰り出しているうちにあくびが出てくる。退屈をもてあましているようだ。晴れ渡った空はどこまでも青い。何事も君には似合わない。どのような状況になろうと、君にとってはどうということはない。何も感じないわけではなく、その時々でくだらぬ感情に心を支配されてしまうらしいが、思い詰めることが苦手なのだ。何も信じられないから長続きしない。なぜこの世界が存在するのかを問うてみても、問うている対象を見いだせないのだから、そんなのは無効に決まっている。君が感じているのは世界ではなく、夢想の世界でもない。気休めにこれが世界だとは思っていないだけだ。目的もなく時空を移動している。時間の経過と相対的な位置を変えているだけだ。心がそこまで追いついてこない。思いは過去の時空にとどまりながら、現状を否定的に解釈している。こんなはずではなかったと思っている。君はそこで何を探り当てたつもりになれるだろうか。感じているそれは何らかの鉱脈に行き着いた兆しなのか。何に到達したわけでもないだろう。どこにも到達することもなく、ただむやみやたらと言葉を繰り出しているに過ぎず、それで誰を満足さたことにもならないのはもちろんのこと、自分が自分の語ったことを見捨てているような感さえ漂っている現状を、言葉でどう捉えたら気が済むのだろうか。そんなことを考えているふりをしているうちに眠くなり、ついうとうとしていたら、目的地でもないどこかを通り過ぎてしまったらしい。それで何がどうなるというのか。何もかもが現状を構成しているだけだ。それが何もない現状だといえるだろうか。そんなことに関心を抱けない。君はまだそんなどうでもいい水準にとどまっている。自分がいない間にやけに外が騒がしくなっている。いったい何があったのだろう。君の運命は本来どのようなものだったのか。何になれて何になれなかったのかを知りたいところか。


5月19日

 余裕が感じられない。身体から心が外れている。心外とは違うらしい。こんな結果になるとは心外だ。何も感じられないが、状況的には最悪ではない。そこからどうなってしまうのか。時が経てばどうにかなってしまうのだろう。言葉が自然と積み重なる。何を予想しているのだろう。数日後の空は晴れている。雲一つ見当たらなくなる。継続が難しくなる。冗談ではないらしい。やはり文章になっていない。何も思いつかないのだから仕方がない。何かが違っているのはわかっている。それは予定になかった話の展開だ。言葉を繰り出すタイミングがずれているのかも知れない。つまらないいいわけに説得力は宿らない。誰がつまらないか否かを判断するのか。退屈にやられて勝手に血を吹いたわけではないが、誰が君におもしろい話をしてやってくれないか。誰かが冗談でそんなことを述べているようだが、君は何だか馬鹿にされたよう思われるらしく、不快な表情を顕わにする。それは過去の話に違いない。今さら馬鹿げたことを述べないでほしい。何を思いだしてしまったのかわからない。君はそこで誰の姿を見たつもりになれるのか。たぶん政治家が国家の制度を変革しようと思うのは、成り行き的には当然のことなのだろう。憲法を改正したいようだ。自衛隊という中途半端な名称の組織ではなく、正式な軍隊を持ちたいのだろう。彼らはもう何十年もそれにこだわっていて、国会で与党が圧倒的な多数派を構成している今が、自分たちの本懐を遂げる絶好の機会だと思っているようだ。NHKなどのメディアを利用して、さかんに集団的自衛権の行使が可能であるかのような憲法解釈を広めようとしている。彼らは戦争になったときのことばかり想定している。有事の際どうしたらいいのだろう。集団的自衛権の行使を否定していては何もできないではないか。そんなことではいつまで経っても心配事が尽きないか。やはりそういうたらればの主張はくだらないか。国家として他国に勝とうとしなければいけないのだろうか。このままでは悲惨な結末を想定せざるを得ないか。どうでもいいことだ。国家が国家に対して戦争状態になったり、突発的に軍事攻撃を被ったりする事態を嫌でも想定したいらしい。なぜ君にはそれが机上の空論だと感じられてしまうのか。国家は次第に無化されていかなければならないと思っている。そちらの方が荒唐無稽な考えではないのか。国家間戦争は第一次と二次の世界大戦で十分なのではないか。国民は納得できない税金の使われ方に怒っていればそれで事足りるだろう。その上に何で国家を守らなければならないのか。かつての植民地時代のように国家が他国を支配して何か利益を得るような状況が訪れるだろうか。なぜ莫大な労力を費やして他国を支配する必要があるのか。アメリカがアフガニスタンやイラクを占領したように、北朝鮮が日本を占領することができるだろうか。あるいは中国なら日本を軍事的に占領できるだろうか。いったい占領を正当化するための大義名分は何なのか。にわかには何も思いつかない。他国を軍事攻撃するより、貿易していた方が遙かに気が楽だ。たぶん商取引している現状を継続させていくだけだろう。北朝鮮のように破れかぶれ気味に自国の軍事力を誇示して見栄を張るのは馬鹿げている。いったい彼らに何ができるというのか。軍事攻撃できたとして、それでどうなるわけでもない。ただの意味不明でしかない。彼らの何を過大評価すればいいのかわからない。今どき国家に対してどんな幻想を抱くべきなのか。国家が国民に何をしてくれているのだろう。やって当然のこと以上ことを期待すべきではない。地球温暖化対策としてサマータイムを導入すべきとかいうのは面倒くさいだけだろう。しかしやって当然のこととはどんなことなのか。それなりの治安維持と、国民が経済的に悲惨な境遇にならない程度に支援することぐらいか。それと軍隊を持つこととの間にどんな関係があるのだろう。他国が軍事的に侵略してこないように、自国の軍事力を誇示しなければいけないわけか。現状でも世界でトップテン以内に入るぐらいの防衛費を計上しているのに、その上に何をやろうというのか。アメリカの下請け仕事でも世界の紛争地域でやらなければだめなのだろうか。その代償が松坂やイチローや松井がアメリカで金稼ぎができるぐらいでは割に合わない。いつまでも虎の威を借る狐のごとく日米軍事同盟ばかりにかかりきりになっているのは鬱陶しい。いつか当のアメリカから絶縁状を突きつけられてしまうのではないか。イラクで毎月百人前後の死者を出しているアメリカ軍は悲惨この上ない。自分の命令で何千人もの国民を死に追いやっているブッシュ大統領の心境を推し量ることはできないが、そんな行為を平然と続けられる国家はやはりどこかおかしいといわざるを得ない。考えるまでもなくそれは恐ろしいことだ。日本がそういう国家を見習うのは狂気の沙汰に違いない。ブッシュ氏から見れば北朝鮮の彼などは子供だましもいいところだ。独裁国家ごっこで多くの国民を虐げているとしても、やはりそれは子供だましのごまかしに過ぎない。だだをこねているだけだ。アメリカはそれを遙かに超える規模と予算を使ってとんでもないことを平然と繰り返していて、それでもこの国の首相と政権政党とその支持者たちは、日米軍事同盟を堅持しようとしているわけだ。そんな現状の中で憲法を改正して軍隊を整備して何をやろうというのか。


5月18日

 なぜかそこから逃げている。また無駄な問いかけと否定の言葉が連続している。戯れ言に未来はない。いくら待っても何も来ない。何に気づけばいいのだろう。機会がどこにも見当たらない。継続だけの文章のようだ。歌が君の心を揺り動かして、思いがけず彷徨い続けて漂流者となり、言葉は今でも嘘をついている。偽りの世界は97曲目に破綻を来すだろう。迷いが躓きを誘い、そこで逡巡している。時間的な順序が逆だ。君はどの場面を想定していたのか。心臓の鼓動が聞こえてくる。動揺の色を隠せない。心身が衰弱しているようだ。力を使いすぎている。警告を無視して暴走しようとしている。一気呵成に押しまくるつもりのようだが、今は文章を仕上げる段階ではない。何に躓いているのだろうか。足下に髑髏が転がっている。荒野に人影を見かける。幻想の荒野が果てしなく続いているようだ。それは驚くべき状況かも知れず、闇の中で何も見えないのに、何かに導かれるように勝手に歩き出している。なぜ意識はそんな見知らぬ場所で彷徨っているのだろう。何を幻視しているのか。それは光景ではない。実際には何も見えていないのではないか。そこへ入っていけない。気が散っているのではないか。語る要素が見当たらない。素材を探しているのかも知れないが、意識が言葉を受けつけないようだ。考えていることが抽象的で具体性に欠けている。力が入らないようだ。君はそこで何を見ているのだろうか。闇の中に君がいる。そんなことをいくら述べても無駄なようだ。所詮は子供だましの世界でしかない。どこかで落雷があったようだが、別に停電しているわけではない。夜だから暗いだけだ。君は理由もなくそこへ寄りつかなくなる。またいつもの回り道を通ってくるのだろう。だが最終的にここへ来るわけではない。山道は暗く上り坂がきつい。冗談でそんなことを述べている。藪の薄暗がりから突然何かが飛び出すが、君は至って無関心を装う。夢か幻でも見たのだろう。君たちは稼いだ金を何に使うつもりなのか。衣食住だけで満足するだろうか。なぜ生きなければならないのだろう。なぜ死ななければならないのか。そのどちらもがつまらない結末を予感させる。何を見て感動したらいいのだろう。同胞意識が欠如している。スパイダーマンの苦悩を理解できないか。いつの時代のヒーローもすべては奇形児なのだ。そこで何かをごまかしている。まともな神経を捨て去っている。正義の奇形児が悪の奇形児に同胞意識を抱くのは当然の成り行きだ。どちらも見せ物小屋の薄暗がりの中に生息している。君はそこで興味を失い、現実の世界に意識を向けながら、とりとめのない日常に埋没しようとしている。そういう成り行きが気に入らないのなら、どこかで正気を取り戻すべきだ。退屈な日々に耐え続ける。神はいつ降臨するのだろうか。何を信じているわけでもない。誰が御輿に乗っているのだろう。君は自らがかつて抱いた誇大妄想の内容を思い出せない。誰のことを語っていたのか。平和の断片が戦火の中に生じている。それは紙切れのたぐいだ。約束はふいにされ、誰かのごり押しも通じなくなる。まるですべてが水の泡となってしまったように思えるが、それでも君は結果に満足しているらしい。今日もまた無駄なことを述べ続けている。そんな結果が暗闇の到来を許している。またしても夜になってしまったらしいが、そこに何があるわけでもない。そろそろ就寝の時間なのかも知れない。まだ終わっていない。運命は君を迷わせる。運命に逆らうべきか従うべきか、どちらをとってもそれが運命だとしたら、どうしたらいいのだろうか。分水嶺に立っている。そこに岐路があると思いこんでいる。それは見せかけの岐路に違いない。どちらの路を選んでも結果は同じだろう。冗談でならそれでかまわない。すでに人格的な欠陥が顕在化している。さっきから何の話をしているわけでもない。君には君のやり方があるらしいが、それでは話になっていない。何もかもが断片化していて、言葉と言葉が組み合わされる前に、自ずから離れていってしまうようだ。文章としてまとまることを拒絶している。そして君は遠ざかりつつある。嫌になってしまったのか。まだその続きがあるはずだが、何となく中途半端にとどまりたいらしい。それが現状なのだから仕方がない。君には戦う理由がない。たぶん何と戦っているのでもないのだろう。慌ただしさの中で何もかも忘れてしまったらしい。それが君の日常なのだから仕方がない。今さら何を焦ることがあるだろう。いくら焦っても焦り足りなくなるだけだ。そんな精神状態では休んだ方がいいに決まっている。誰が何を決めつけているのか。それが弱音と受け取られることを嫌って、まるで子供の強がりみたいに振る舞って、頭がおかしくなる。まったく冗談では済まなくなりそうだ。しかし架空の物語はどこまで話が進んでいるのか。君が興味深いわけではなく、誰が誰のことを述べているわけでもない。途中からあらぬ方向に言葉がずれていることに気づく。それは方角ではない。


5月17日

 わからないことはわからないままに打ち捨てられて、誰からも見向きもされない。目的がそこにあるらしい。倫理とは何だろう。語りたいことが山ほどあるそうだ。誰の気を惹こうとして、そんなことを述べているのか。何を読もうとしているわけではなく、文章とは無縁の空を眺める。どこかに気持ちが引っかかっていて、ぎくしゃくした動作を経験する。何もなければ何も語ることはできない。虚空という言葉を使いたくないが、そこから何を見ているのかを知りたい。外では相変わらず雨が降り続いている。目指しているものが違うらしい。もうすぐ雨が止むだろう。何を考えているのだろう。それらの問いかけに意味はない。空が明るくなる。君が雨をもたらしている。君は神なのか。誰のことを述べているのだろう。妄想の世界で誰かがつぶやいている。霊はまだこちら側に来ていない。あちら側からこちら側の世界を眺めているだけだ。雨が上がって晴れている。昼になったらしい。今は夜だ。貧窮に耐えなければならない。何もないことを受け入れなければならない。否定が連続しているそうだ。人間に目的があるとは思えない。神に何ができるのだろう。何を支配しようとしているのか。それは空虚に違いない。何もないからそうなってしまう。その辺で一休みしないか。何もなければ休んでしまえばいい。休むのはいいが、そのまま永眠してしまわなければいいが。なぜそこで意識が途切れてしまうのだろう。人は働かなければ生きてはいけないそうだ。場合によってはそうかも知れないが、人によっては生きていかなくても済んでしまうだろう。誰かが病室で永眠しようとしている。たぶん面倒くさいのだろう。生きていくのが面倒くさいのではなく、病気に打ち勝つのが面倒くさいわけでもない。それについて語るのが面倒くさいのだ。何かに流されていく。水面で漂流しているのは枯葉のたぐいだ。意識がそれに重なるわけがない。空気と隔たっている。隔絶した地域に誰かが暮らしている。誰でもない。誰かがいないと文章を構成できないらしい。別れを告げることができない。思いこんでいるのは思いついたことだ。文法的には問題ないらしい。まだ本気ではない。弾けているのは枯れ草についた種だ。緊張感に欠けている。緊迫した事態ではないようだ。だいぶ重くなってきたようだ。それは文章ではない。わざと安易な気持ちになる。どこまでも去ってゆく。君は霊的な存在でさえない。何者にもなれず、どのような精神状態を写し取っているわけでもない。写真の一種だろうか。批評的対象ではないようだ。音楽的に不釣り合いだが、何のことを述べているのかわかりかねる。わかりやすい話ではない。だが君がすべてではない。この世界がすべてでないのと同じことではない。間違っているようだ。本気になれない。間違えた文章表現を改めるつもりがない。そんなやり方は安易なごまかしにしか結びつかない。空疎な言葉から離れられない。それをそのままにしておけない。惨めな気持ちでいっぱいになる。それで何を強がっているのだろう。少なくとも君には理解可能だ。誰と分かり合えるのか。間違いだらけの答案用紙に感動しているわけではない。答えが間違っている以前に、問いそのものが間違っている。それを問う必然性が希薄だ。足がつってしまったのか。それで魚を釣り上げられるだろうか。遠洋マグロ漁船に乗り込んでいる。君ではない。知識を披露する場が限られているようだ。浅はかなことを後生大事に抱え込み、あわよくばそれと心中する覚悟らしい。そんな機会がいつ到来するのか。何がうまくいっているはずもない。誰かが目の前を横切り、一瞬遮られた視界の先に虚空があるらしい。それとこれとは関係ないだろうが、それにもこれにも興味が湧かない。それにしても機会を逃し続けている。わざと誰かを泳がせている。その誰かがやくざであるはずがない。何が興味深い現象なのだろうか。途中で足取りが途切れている。自らのこだわりを全うしたいらしい。それで姿をくらましたわけか。京都に行けば鞍馬山があるそうだ。天狗とは何だろう。どこかに誰がいれば楽しいだろうか。そこにいない人物の姿を思い浮かべてみるが、それの何が楽しいのかわからない。またどうしようもないことを述べているようだが、何となくそれでもかまわないと思ってしまう。そこから巻き返しを図りたいらしいが、今さら君に何ができるというのか。それは以前に述べた台詞に違いなく、それを反復することに意義があるとは思えないが、何となく気分的には愉快な気がしてくる。どうしても朝日を拝む気持ちにはなれない。どこに罠が張り巡らされているというのか。不意に忍び寄ってくる眠気に惑わされている。君はそこで何を理解したのだろうか。言葉の乱雑さに呆れかえるだけではだめだ。迫り来る恐怖などに関わり合う必然性は感じられない。ゆったりと時は流れ、誰かの神経質な感情をものともせず、何かがよどみなく連なり、その連なった先にまたしても君の影が立ち現れ、ただ無言のまま佇んでいる。


5月16日

 何かの残骸に足を取られ、自らの影を踏んでしまう。それがどうしたのか。久しぶりに何かを問いかけているつもりらしい。当たり前のことを当たり前のように語っている。では何をひねくれているのか。秘密の人生などあるわけがない。いつものようにいい加減に言葉が連なっているようだが、たぶん何も語っていないはずだ。やはりいつもの成り行きに近づきつつあるようだ。疑念を払拭できない。そんなことを述べている意味を知りたい。違和感だらけの現実に埋没してしまう。それが君の主張ではない。主張とは何だろう。そういう問いかけが誤解を生む。それらがどうでもいいような日々なら、君はそこで何も思っていないのだ。疲れている。今は昼ではない。昼でなければ語れないことなどありはしない。ただ君の知らないことを語りたい。それは冗談に違いない。虚脱感に苛まれ、何も語る気がしなくなり、そこで誰かの歩みが止まってしまう。物語の中では死んでしまったはずだ。君は誰のことを語っているのだろう。確かに昼は仕事に明け暮れていたようだが、巡ってきたチャンスを生かせていない。それが絶好の機会であったなんて、にわかには信じられない。そこで何をやるべきだったのか。何を思いだしているのか知らないが、なぜか当たり前のことを述べてしまう。そんなのは嘘だ。そこから何が深まるわけもない。本気で述べているわけではない。君は何を利用して言葉の連なりを流通させようとしているのか。誰も君の言説を理解できないらしい。だから今そこで力を使い果たすべきではない。それは力ではない。単なる筋肉疲労だ。頭を使ってないようだ。見聞する何もかもが馬鹿げているように思われ、何を語る気もなくなって、自らの老いと衰えを自覚せざるを得なくなる。それも冗談で述べているつもりなのだろう。誰かが自らの誇りについて語っている。雨が降ったあとは晴れ渡り、晴れが長続きしないと次第に曇ってきて、やがてまた雨が降り出す。しかし天気の話をして心が満たされるわけがない。気分は相変わらず下降気味だ。最悪とまではいかないようだが、気乗りしないことは確からしい。そんな状況では、たたみかけるように言葉を繰り出すわけにはいかないが、それでどうということはない。そんな自分が情けなく思われる。どうやらその辺が限界のようだ。何も感じられないからどこにも行けなくなり、それがどこにも行けない理由となっている。理由が原因になるわけがない。なる場合もあるだろう。気がつけばまたおかしなことを述べている。おかしくて笑いが止まらなくなるが、何がおかしいのかわからなくなっている。それも嘘に違いない。そんな疑念を誰が晴らそうとしているのだ。それでも状況的にはしっくり来ている。限界を自覚しながらも、それが嘘だと思ってさえいる。わざとわけがわからなくなってしまうのだろう。それはいつもの冗談かも知れないが、たぶん君の話ではない。君はどこで何をやっているわけでもなく、仕事に明け暮れている。だから暇にまかせて語っているのは君ではないかも知れない。頭は数日後の蒸し暑さにやられている。少しオーバーヒート気味だ。無性に水が飲みたくなる。君は君を見失っている。戯れ言ではないのか。文章として意味をなさなくなり、投げやりな気分に心を支配されている。君はそこで終わりだろう。誰かがどこかで負け犬の遠吠えを耳にするだろう。話の中ではそういうことになっている。君は君をもてあましている。その存在を払拭できずにいるらしいが、それはどういうことなのか。どこかに君の存在に関する疑惑が生じているらしい。それは誰かの想像力をかき立て、誰でもないような君が、何らかの特性を備えて作り話の中に登場してしまう。そんなことがあり得るだろうか。そこに生じている疑念はとりとめがない。いわれのない中傷がどこに生じているのか。そういうタイミングでそういうことを述べるべきでない。文章の連続性を保てなくなる。端から不連続だ。意味をなさない言葉の連なりに呆れかえり、それに対する反撃の機会を探っているわけでもなく、何に対して反撃するつもりなのかわからなくなる。そろそろ反撃していいだろうか。しかし攻撃の対象が見当たらない。誰に攻撃されていたのかもわからず、どんな原因からそうなってしまったのかも、皆目見当がつかない。そんな白々しい嘘でその場を取り繕うつもりらしい。文章はますます意味不明だ。それが何を意味するのかわからない。何もわかろうとしてないのかも知れず、完全な失敗に終わろうとしている。それの何が失敗なのか。不細工でわけがわからない話の成り行きだ。そこからどうやって逃げるつもりなのか。何も見いだせない割には、それなりに言葉が連なっている。ただそれを肯定すべきかどうかわからない。問いかけの連続になってしまいそうなとき、そこで思いとどまって、あらぬ方向へ意識を逸らそうとしているようで、かなりの無理が文章の中に生じてしまっている。だから何を述べているのかわからなくなってしまい、そこからどう述べていいのかわからなくなる。


5月15日

 安易なことを述べているうちに雨が降り出してくる。そういう季節なのだから仕方がないだろう。安易なことを述べているのも季節からの影響を受けてそうなっているのかも知れない。実に安易な季節だ。くだらないことを述べている場合ではない。安易なのは季節ではなく、いい加減なことを述べている君の方だ。ならば君と季節と降り出してきた雨が文章の中で複雑に絡み合っていてほしい。勝手な言い分に違いない。しかし誰が嵐を呼んでいるわけでもない。またいい加減なことを述べている。そういう水準で何を述べても無駄だ。文章が何に対して有効に機能しようとしているのかわからなくなる。わからないからそんなことを述べている。雨が降り続いているのは数日後のことだ。それで願いが叶ったと思っているようだが、誰の願望が文章に反映されているわけでもなく、実態としては、その場の空気が君を操り、何か適当なことを述べさせる。本当にそうであったらおもしろいだろう。それから数時間後にはおもしろいわけがないと思う。雨が止んで何も思いつかない現状に気づく。君はそんな状況に不満を抱いているようだ。勝手な思いこみに至らないのは文章のせいではない。現実を拒絶しているようだが、それはどんな現実でもなく、そこからどのような認識も導き出せない。認識不足なのかも知れない。自らが窮地に追い込まれていることを理解できない。誰かは本当に窮地に追い込まれているようだが、君はその誰かとは無関係だ。何となく責任逃れ気味にそこから遠ざかってしまう。本気になれないのだから仕方がない。君は必死で文章を記し続けるが、内容に至らないだろう。それの何が不満なのか理解できないらしい。不満を抱いているのは君ではない。自意識はそこから戻ってこられなくなる。わけのわからない文章が迷路を形成しつつあり、次第にそこから逃れられなくなっている。遠ざかれないのだ。それはどういうことでもなく、どのような状況に陥っているのでもない。ただ矛盾したことを述べたいらしい。他に何も述べられなくなっている。冗談ではないが、冗談のような状況に陥っているのかも知れず、それが愉快でたまらない。述べていることが嘘でないことを祈ろう。それは君の言葉ではない。言葉にならず、文章を構成できなくなる。何もかもがあやふやに思われる。何を見聞しているのかわからない。何を求めているのでもない。それが何かを拒絶していることになるらしいが、嘘に決まっている。おそらく本心を明らかにできない性分なのだ。それは誰のことを述べているのでもない。すでに傷口がふさがり、痛みも自然と消えてしまったらしい。彼らは何が災禍を招いているのか理解できないらしい。たぶん娯楽に金をかけてきたつけが回ってきたのだ。ここに来てかなりの痛手となっているようだ。競争社会は格差社会に行き着いた。金貸し業者が馬鹿な人々から金を搾り取りすぎたようだ。メディア業者が商品の広告料で儲けている。単純労働では低賃金のままだが、そういう仕事に従事している者たちがいないと、人間社会は回っていかないらしい。資本主義には搾取される犠牲者がつきもので、それなくして多額の資産を形成する成功者は生まれない。低賃金の単純労働をなくす試みが積極的になされたことはない。仕事の質によって賃金格差が生まれるのは当然のことだ。そんな現状の何を述べても当たり前のことでしかない。それが今や全世界を覆い尽くしている資本主義の恐ろしさなのだろう。金銭的な成功を夢見る者がいる限り、その目的に応じて様々な金儲けの手段が考案され、より多く稼ぐ方法が脚光を浴びるたびに、そうではない方法で仕事している者たちの稼ぎが相対的に目減りするしかけとなっている。だから昔と同じやり方に固執している者たちは時代に取り残され、伝統工芸や伝統芸能などとしてメディアが肯定的に取り上げない限り、次第に社会の隅に追いやられて、今や低所得低賃金に甘んじているわけだ。メディアに低賃金の単純労働と見なされたら、その仕事はそれでおしまいだろう。それは一種の職業差別であって、それに従事している者たちは格下の人間と見なされてしまう。メディアが肯定できるような芸がなければ、それらはすべてつまらない仕事なのだ。だから人々はメディアを利用して自分たちが従事している職業を宣伝したい衝動に駆られるのであり、メディアに登場して自分たちのやっていることを必死でアピールする姿は涙ぐましい限りだが、それこそがメディアの食い物となっていることに気づかない。メディアは彼らの姿を情報として流通させ、そこから多額の利益を生み出すのであり、その利益は広く浅く嫌悪感を抱かれない程度に、普通の人々から搾り取られているわけだ。それは直接的にはNHKの受信料として毎月徴収され、間接的には広告料として毎日買う商品の価格に上乗せされていることになる。そんな風にして金を搾り取られるのと引き替えにして人々に何がもたらされるかといえば、それはただ幻想であり、要するに気晴らしの娯楽なのだ。何か心が豊かになったような錯覚に陥り、満たされた気分になるわけだ。


5月14日

 架空の人格が何かおかしい。君が管理している人格ではないはずだ。そんなものがどこにあるはずもない。気が動転してその場から逃げられなくなる。魔が差しているわけでもなく、誰が邪魔しているわけでもない。なぜ逃げようとするのか理解できない。自分から逃げているのかも知れず、闇が不思議がっている。君は闇ではない。闇に包まれているだけだ。架空の物語はすぐに終わるだろう。語っている当人がなぜか驚いている。何に驚いているのかわからないが、それが思いがけず驚きをもたらしている。そんなのは嘘だろう。簡単に否定すべきでない。嘘でなければ言葉にならない。そこから言葉がつながらなくなる。しかし依然として君の話ではない。その件については語らなくてもかまわないようだ。すでに気が済んでいる。気晴らしとしてこの世界を楽しんでいる。体験しつつあるのは、どうでもいいような世界になる。たぶん君の世界ではない。誰が世界をもたらしているわけでもない。闇が微笑んでいる。内面の向こう側に君の姿を確認している。それは闇ではなく、光の帝国だ。頭がどうかしているようだ。無責任な言葉に満ちている。心が満ち足りているらしい。安易なやり方だ。君は遠くから燃え上がる街を見た。まだ十分に幻影から遠ざかれていないようだ。言葉が意識についてこない。それでは物事の本質をつかめないだろう。思いついたそれぞれの言葉が分散しすぎていて、全体として文章になっていない。冗談のたぐいだろう。君のこだわりは尋常でない。いつまでも語り続ける。君は燃えさかる松明だ。冗談でそんなことを述べているのだろう。それが気に入らない。間違いと過ちの境目に空疎な気分が満たされている。過去に残酷な仕打ちを受けている人がいるが、そこで何を求めているのかわからない。何ももたらせない。床が傾いているのだ。疲れている理由を構造的な欠陥のせいにする。苦し紛れの言い逃れに近い。読む者たちを拒絶するような文章だ。腕時計が重すぎる。空が高い季節は秋だ。知性を感じられない。流行り廃りの文化ならその時代においてさかんになるのも衰退するのも当然の成り行きだ。言葉が言霊を有しているわけがない。文化とはいえないのではないか。君はわかっていないらしい。君は君ではないからだ。何を否定しているのかわからない。何も否定していないのかも知れないが、すべてを肯定しているわけではない。肯定できず否定もできない。どう判断していいのかわからない。考えるのが嫌になっている。また夜になってしまったようだ。仕事に明け暮れていたらしいが、いつ休息を取ったのか覚えていない。そこから遠ざかっているのは君ではない。君に心などありはしない。何を述べているかわからないのは当たり前のことだ。何も意識できない。君が何かを求めるべきではない。過ぎゆく時間が何かをもたらそうとしている。求めているものを受け取る必要はなく、もたらされたものを享受すべきだ。何かを肯定している理由を探りたいが、君は君自身の中で何を考えているのかわからないままだ。それで何がわかるはずがなく、何もわからないことを認めざるを得なくなる。やはり現実の世界から逃げているようだ。誰かがゲーム上で魔法の杖を探している。ジャングルでは極彩色の鳥がさえずり、そこから理由が導き出されるのを阻んでいる。見とれているうちに何を探っていたのか忘れてしまい、行き当たりばったりで刹那的な行動に身をまかせ、当初の目的を失って、何をやろうとしていたのかわからなくなり、それが君ではない誰かに課せられた使命であることを知る。君はつんぼ桟敷の除け者にされてしまったわけだ。少なくとも文章中では君が当事者ではない。何を述べているわけでもなく、何を思っているわけでもない。君はどこまでもそのままの自分でありたいらしい。何も述べられぬままに文中に登場し続ける。それが君でないことはわかりきっている。突然君の姿が見えなくなり、君が君を見ていないことが明らかになる。だが疑念を抱くには及ばない。それの何が矛盾しているわけでもなく、その映画は未来世紀ブラジルではない。資本主義的な消費欲求の虜たちにとっての譲れない主張は、すべての商業映画はハッピーエンドで終わらなければならない、という無様な信念だ。君が君でないことは、何に逆らった末に獲得した形式でもなく、ただ単に架空の人物にはそれ特有の人格が定まらないという事実に由来している。何かを語るのが面倒なのだ。それがやめる理由にならないところが、君にとっての人格的な欠陥を文中に構成しているのだろう。だからその場を立ち去らなければならない。冗談にさえならないようなわけのわからなさからどんな幻想がもたらされるわけもなく、君は黙ってそれらの文章を読むのをやめてしまうだろう。失望しただけでは物足りないらしいが、それでに何を無視できるわけもない。言葉が組み合わさって文章が構成されている事実を認めるか否かで迷っているわけではない。ただ何もない。それらの言葉たちは何ももたらさない。


5月13日

 そこに何かがあるらしい。誰かの気まぐれに惑わされながら、今はそう語る理由がないが、平常心を取り戻しているわけではない。時が流れ去り、嫌悪感とともに過去の記憶を失いつつ、そんな言葉の組み合わせに退屈している。たぶんまだ何も述べていない。今は数日後の朝だ。何もないのに何かがある。壊れているのは誰の心でもない。そのときの映像が心から離れない。意識にへばりついている。妄想のたぐいだろう。映像ではないのかも知れない。時計が狂っているのだ。記憶が定かではない。地面が乾いている。昨日と同じような成り行きだ。会話の中で本音が出てこない。それでも未来を見通しているつもりになる。やがて黙り込んでしまうだろう。安易すぎる。使い道のない感性だ。いつもの迷路に逆戻りのようだが、言葉に詰まって困り果てているわけではない。そこを抜け出しているつもりになる。どのような幻影を見せられようと、それは君とは関係のない時空で生じていることだ。誰が何を習ってきたのか知り得ないだけだ。何かに凝り固まっているらしい。言葉がうまく組み合わさらず、自然と目的のない語りに終始している。何を語っているのか定かではない。思い入れが足りないようだ。そんな理由では意味不明だ。目的がないことにこだわる必要はない。それが目的でないのだから、その先に何が待ち受けているわけでもないだろう。ただ現世に戻って来られなくなるだけだ。夢遊の世界で言葉が宙に舞っている。そこで何かを思い出している。君の語り口を知りたい。やはり知りたい理由を探しているようだ。同じような音楽が鼓膜に響いている。音の調べを記憶しているらしいが、それで何を言い換えているのかも知り得ない。霧に隠れて意識がぼやけてくる。それもあり得ない状況かも知れない。今は眠ってしまいたい。君に何を期待しているわけではない。何もないからそこで躓いている。そんなのは嘘だろう。あり得ない話ではない。反証するだけの材料がない。必死さが足りないのかも知れない。何かに対するひたむきな態度が欠けている。ならば誰かはもうすぐ死ぬだろう。君は彼の死を願っていた。密かに期待していた。実際にそうなったら狂喜するほどではないが、今でもそう思っているのかも知れず、実際に彼が死んだら君は喜ぶかも知れない。にわかに現実を帯びてきた話になりそうだ。彼は呪われているのかも知れない。誰かの作り話の中では確かにそうだった。君はそこからはじき出されてしまったはずだが、今でも未練があるらしい。それを信じていいはずがない。疑念とともに君は文章の中に構成されている。それは根拠の定かでない疑念だ。根拠を求めているのではないが、何を疑っているのではなく、すべてのおいて疑り深い。眠りに落ちたあとも夢の中でこの世界の有り様を疑っている。だがなぜやどうしてという言葉に興味はない。ただ気分が乗ってこない。他人が新聞を読んでいる。それがどうしたわけでもないが、活字の連なりが他人の興味を惹こうとしている。何がどうなっているのかを知りたい人が世の中には大勢いるようだ。それを横目で眺めながら、心の中では笑いが止まらなくなる。もはやいい加減にやめるべき時期に来ているようだ。成り行き的にそうなのだから、それを無視するわけにはいかなくなる。そんな戯れ言の中に君の本音が見え隠れする。気がつけばまただいぶ眠ってしまったらしい。眠たいから眠ってしまうのであり、他に理由を見いだせず、そんなつまらないことを述べている自らに否定的な印象を抱く。紙面上では事故や事件の報告がなされているようだ。涙を流しながらアルバイトにいそしんでいるつもりの演技を笑うべきではない。話が飛んでいるようだ。君に何ができるわけでもなく、客観的に何をどう判断しようと、感情に流されている現実の姿は隙だらけに違いない。なぜかすべてはありきたりの現実に包まれている。それは以前に語った話に酷似している。誰かがどこかで他人を殺め、金をかすめ取り、自分の欲望を満たそうとしている。それらのバリエーションが日常茶飯事のように展開しているらしい。それらの何に驚く必要があるか否かは、他の誰の判断を仰ぐまでもない。君が退屈しているつもりの日常の風景には刺激が足りない。それが当たり前のことなのだから、あえて他に何を求める必要はないように思われてしまう。しかしまだ彼の物語は終わっていない。これからいつまで続くかわからないが、何もないのに言葉が連なってしまうのは違うだろう。とりあえずそこから導き出される暫定的な結果を見定めなければならなくなる。退屈しのぎに何かを語っているというのは嘘だ。確かに嘘だが、そんな嘘をつかなければやっていられない。それらの回りくどい語り口に嫌気がさしているのかも知れないが、自分で語っておきながらそれはないだろう。馬鹿げた言葉の連続で気持ちが萎えてしまう。それでも時には理由のない言葉の組み合わせに驚き、感動に至ることもあるのかも知れない。まだ誰かの将来について述べていなかった。


5月12日

 目の前にはいつもの風景が広がっている。何か思うところがあるようだが、すでに数日後の夜になっている。せわしなさに我を忘れ、何も思いつかぬまま日々を過ごし、時折嘘をついているのかも知れないが、とりあえず何も述べるつもりもなく、そういう意味では目下のところ目的がない。どんな意味なのかわからない。それはおかしな言いぐさだ。それにしても何のために語っているのかわからない。気休めに言葉を並べている。それが気休めになっていないところが致命的だ。致命傷を負っても死なない君は矛盾している。君ではなく文章が矛盾しているのだ。君について述べているとは思えない。誰かがそれに異論を唱えようとしているらしいが、そんなことはどうでもいいことだ。それらのつまらない語りによって、何を認めてほしいわけでもないらしい。批判に値するような文章の内容ではない。危うくテレビ画面に釘付けとなりそうになる。それは昨晩のことだろう。そこから何の進展もしていないわけだ。それは君の話ではない。そして君に逃げ道などありはしない。そこからもがき苦しみながら、その場を取り巻いている空疎な何かを言葉で表現しなければならない。それが苦しみを伴っているとは思えない。そんなのは嘘に決まっているだろう。気まぐれにそんなことを述べているだけだ。君に反論の機会が与えられているとは思えないが、それが何の反論になるわけでもなく、決まり切った文章表現に意識が埋もれてしまうだけだ。そこで誰かの声が途絶える。お前はまだ破滅していないようだ。それは誰の破滅でもありはせず、同時に誰にとっても破滅であり続けるが、わざとくだらぬ矛盾を述べているだけだ。空隙をつかむような機会は永遠に到来しない。一瞬の間をおいて何事もなかったように再会させるつもりだ。君はいつもの世界で誰かと再会する。それが世界だとは思えないが、やはりそんなことはどうでもいいことだ。それで何を肯定しているわけでもないが、やがて何も真に受けられなくなるだろう。なぜそうなるのかわからず、そこで途方に暮れてしまうが、本気になれないのはいつものことで、安易な気持ちで何かいい加減なことを述べているつもりのようだ。何をわかろうとしても、それでわかったことにはならず、それは戯れ言と本音が絡み合っている証拠かも知れない。本気でそう思っているわけではない。脈絡のないつぶやきは果てしなく続く。それでも心の中で誰かのメッセージを優先させている。お前はどこにも行かないだろう。道標としてそこへとどまる続けるのだ。お前は誰かの道しるべとなるだろう。嘘だと思うなら、さらに生き続けてみるがいい。お前は死ねない。空虚に頭を侵されているが、少なくとも生きようとしている。それがお前の意志に違いない。この先は誰にも出会えない。何も見当たらない。歩みつつある地域は砂漠でさえない。砂や岩など君には似合わない。火星の大地ではなく、月面でもない。どこへも行けないのだ。そしてできもしない話の成り行きを言葉でなぞらなければ気が済まない。フィクションとはそういうものだろう。そこで目をつむれば自然と眠りにつくはずだ。そして夢の中で君がそれらの言葉から構成された文章を読み返して、あやふやな感想を述べている。つまらない文章だ。とりとめがない。あくびと交互に深呼吸を繰り返している。意味がよくわからないから、やる気がしないという結論に導かれたいらしい。数日後世界は退屈だ。いつものように現実と妄想が入り交じっている。それは夢ではない。文章には現世の何も反映しない。他人に好かれたくないのかも知れない。その代わりに何かに心を奪われている。君はその何かを文章で示せない。心を奪われているのは君ではないのかも知れない。そこから先に君の姿はない。また何を述べているのかわからなくなる。情熱が失せている。やる気がしない。誰かはそれをやる気と見なしている。やる気がないからやる気になっている。それはいつもながらの意味不明な矛盾らしいが、それで格好をつけるつもりのようだ。格好がつくわけがない。さらにわけがわからなくなる。言葉が続かないようだ。君にはそれらの成り行きが合っていないのだろう。似合わないということだ。状況が君そうさせている。だがそれでは感想にならないだろう。何についての感想を述べているのかわからない。無理に言葉を繋げようとするからそうなってしまうのだろう。そして見え透いた嘘をついている。それは何の代わりでもなく、ただ闇雲に言葉を並べながら嘘をついている。そう述べていること自体が嘘そのものだ。嘘だからそんな言葉の並びになってしまい、そしてそれも嘘なのだろう。だんだん面倒くさくなってきたようだ。投げやりになる一歩手前で踏みとどまっているつもりらしいが、それが君の文章だとは思えない。君はその何かを破棄しなければならなくなる。やめてしまいそうになる。馬鹿げた成り行きに終止符を打ちたい。できるはずのない妄想を抱いている。君の場合、努力とは荒唐無稽を追求することだ。


5月11日

 君は何かを封印しているらしい。もうわざとらしい問いかけはやめてしまったらしい。それしか文章上で表現できなかったのに、それをやめてしまったら何も残らないだろう。だからそれが馬鹿馬鹿しく感じられてしまうらしく、実際にくだらぬ内容なので、またいつもの冗談で片付けてしまう。だが容易には片付けられないはずだ。そこで何を考えているのでもない。時間が経っているが、忘れるほどでもない。何を忘れようとしているのでもない。それは昨日のことだろう。君は君を知っている。君ではない君がどこか異国の街を歩いている。ベルリンに天使が舞い降りた。昔そんな映画があった。天使は義眼の男と何か話していた。男は義眼だから天使の姿が見えない。それは嘘だろう。少なくとも片方の目では天使とは違う何かを見ているはずだ。君には世界を救う使命がある。それは唐突な冗談に違いない。別のスクリーンに映っている彼は、イタリアのトスカーナ地方で何かに出会ったはずだ。ノスタルジアは何か違っている。望んでいる風景を提示していない。君がそれを望んでいた。そこで死ぬことを望んでいたわけではない。それは何の物語でもなく、そんな映画など見ていない。君のことを述べているのではない。美しいだけでは何を述べていることにもならず、誰かはその場にふさわしい言葉の組み合わせを間違っている。致命的なミスを犯している。それほどのことでもないはずだ。ただそれ以外に何もない。それはいつもの決め台詞かも知れないが、今は忙しすぎて、感想を述べている余裕もない。たぶん本当に何もないのだろう。現に誰かがそれを認めている。認めているが、それでどうなるわけでもない。眺めているのは殺風景ではないが、うつろな目には何も映っていないようだ。君は完全にこの世界から離れている。君にとってこの世界は世界ではない。何かの一部に過ぎず、それは世界の一部ではない。ただ何を述べているのかわけがわからない。そしてそれを語っているのは君ではない。そんな偽りの現状について何か述べる機会が巡ってくるかも知れないが、今は夜だ。夜とそれとは無関係だろう。それとは君について述べている偽りの文章のことだ。それの何が秘密であるわけもない。何も隠されておらず、空疎な内容がそのまま提示されている。いつの間にか映画の話ではなくなっている。君はそれを理解していないようだ。思考が1980年代で止まっている。それ以降に物語は存在しないだろう。君の物語であるはずがない。君が文章の趣旨を無視しているのは、それを理解していないからではない。正しいと思われる行為を忘れてしまったらしい。正しいことをやりたいわけではなく、間違ったことをやりたいわけでもない。何もやりたくないのかも知れないが、それでも勝手に言葉が連なっている現状についてどう思っているわけでもない。要するに何も述べられなくなっているわけだ。回りくどい語り口でそれをごまかしているつもりらしいが、それはいつものことだろう。誰を責めているわけでもなく、君は至って無責任に語り続け、それが自分の言葉でないことに気づいている。それでこの世界を否定していると思っている。この世界のなんたるかをわかっていないらしい。現実の世界について語っていないようだ。外国で何を見聞してきたわけでもなく、この国の文化についてうんちくを述べられるほどの知識もない。だから具体的に何を述べているわけでもないことになるらしい。今はそれでいいと思っている節もある。やはり本気になれない。見るべきものが何もない。何に背を向けているわけでもなく、ただ思考を閉ざしているだけだ。考えるきっかけがつかめない。それで何を述べているつもりにもなれず、ただそんな現状を否定的に捉えているに過ぎない。言葉はどこにも向かわない。それが言葉ではないからだ。おそらく冗談でそんなことを述べているのだろう。言説を展開する上で、頼るべきものがない。文章を構成するための材料を欠いている。誰かの思考が語る空虚を言葉でなぞって、それが苦し紛れのいいわけをもたらし、そこから何を正当化しているわけでもないのに、否定的な文章の継続を、何もないことのいいわけとして正当化している現実がある。当然のことながらそれで何を述べていることにもならない。それで誰を馬鹿にしているのでもなく、今や君は本気でそんなことを述べているようだ。実質的には何も語っていないのに、フィクションの中では何かを語っているつもりらしい。とりあえずそこから目をそらしてはだめだ。正視することができないとしても、それを事実として受け取るべきなのだ。君は何について語っているのでもない。語っているのは君ではない。そんな言葉が執拗に繰り返されているようだが、そこにどのような理由があるわけでもなく、理由にならないようなことをいいわけとして述べているに過ぎないが、それで一息ついている余裕はなく、君はそこからさらに何かを述べているつもりにならなければ気が済まないようだ。それは虚しい試みになる。


5月10日

 考えれば考えるほど何も出てこない。そこが不思議なところだ。しかし何かが破綻している。システムとして欠陥を抱えている。それはシステムとはいえない。構造的に批判を受けつけない仕組みとなっている。何について語っているのかわからない。君はそこがわからなくなる。何を問いかければいいのか思いつかない。この世界を覆っている仕組みについて、何か明確な認識に至っているわけではない。なぜそうなってしまうのかがわからない。考えあぐねている。結果を予想するのは困難だ。そして早くもその結果に直面している。翌日は晴れている。朝から風が強い。そんな結果を期待していたわけではない。つまらない成り行きにがっかりして、何をやっても何も変わらないと思うようになるだろう。しかしそれで誰を見下しているわけではない。考え続けてはいけないようだ。何も出てこなければそこでやめておくべきだ。小手先のごまかしでは何ももたらされない。いくら考えても考える対象がどこにも見あたらないのだから仕方がない。不調の原因をどこにも転嫁できない。君が悪いのだ。君とは君でない君のことだ。下手なごまかしは見苦しい。それでも考えようとしている。だいぶ焦っているようだが、かつての安易な問いかけの連続には戻りたくないらしい。理由は定かでない。理由を考えようとしてないようだ。君は何も目指していない。ただひたすらどうにもならないところで粘っているようだ。ところで日本の政治家たちは国民を信用しているらしい。国民投票によって自分たちのやろうとしていることを支持してくれると思いこんでいる節がある。それは君の勝手な思いこみだろう。君は誰も信用していない。安易な性格だから仕方がない。それは誰の性格でもなく、君に性格などありはしない。そう述べて何を否定しているのかわからない。どうもそこから先へ進めないようだ。何も思いつかず、言葉も続かない。何となくその辺が引き際のようだ。終わりを認めなければならないらしい。思わぬところで躓いてしまった。そこでもがけばもがくほど罠に深くはまりこみ、容易には出られなくなってしまい、気がつけば数日が経っている。何を語ろうと何もできないことに変わりはないようだ。そして何となくそれでもかまわないと思い、さらに何もできなくなってしまう。言葉を繰り出すいとまがなくなっている。ゆとりを見いだせない。関心がない。たぶん憲法が改正されて日本軍が復活しても何とも思わないだろう。日本国民にはそれが似合っているのだろう。君は国民を馬鹿にしている。軍人は悲惨だ。上からの命令が絶対であり、逃げ場がどこにもない。陰湿ないじめが内部で横行していて、毎年自殺者も出ている。民主主義とは正反対の構造を有している。そしてほとんどの外国にそういう組織があり、日本にもそれを摸した自衛隊と呼ばれる組織があるわけだから、国民はその存在を容認せざるを得ないだろう。軍隊のある国家が普通の国家なのだ。日本も憲法を改正して普通の国家にならなければならない。そういうくだらぬ主張に反対する理由は何もない。人々が国民である限り、それは避けがたい愚かさの極みだ。国民が国民であることを願い、自分たちが国家を支えていこうと決意することが間違っているはずがなく、そこから愛国心も生じてくるのだろうが、そう思っている者たちが多ければ多いほど、くだらぬ世の中になっていくのだろう。国民とは愚か者の集まりなのだ。その理由も根拠も示せないが、何となくそう思ってしまうようだ。矛盾が矛盾であることを認識できない愚か者たちは悲惨だ。自分たちが国家に隷属していることに疑念を抱けないのだから、その愚かさに気づくはずがない。国民主権の中身まで深く考えたりしないようだ。選挙で投票することによって主権を行使していると思いこんでいるわけだ。実際に主権とはそういうものでしかなく、そこにどのような幻想も入り込む余地がない。実際に投票が行われれば事前の世論調査とさほど変わらない結果が出てしまう。誰が何を決めているとも思えない。正しい意見や説得力のある主張に耳を傾けることができない。まじめな人ほど馬鹿げた主張に同調する。国家という存在そのものが間違っているなんていう主張はナンセンスだ。間違っているのだろうが、その間違いが当たり前の世界に住んでいるのだから、当然のことながら、まじめになればなるほど国家の存在を自明のものと思いこむしかないだろう。わかりきっていることが間違っているはずがなく、間違っている理由も根拠も示されていないのだから、そんなわけのわからぬ主張は信用できない。君は自分が何を述べているのかわかっていないようだ。たぶんいつものように冗談で語っているのだろう。君は本気になれない。国家などという構成物の実態を真に受けるわけにはいかないらしい。そう述べる理由を見いだせない。何の根拠も示せぬまま国家や国民を否定し続けるのはおかしい。確かにおかしいが、そのおかしさをそのままにしておくわけにはいかないようだ。


5月9日

 何やら怠けようとする意識に逆らって強引に言葉が並んでいるようだが、それを読み返す余力がない。気力がないと述べた方がその場の状況に合っているかも知れない。実際に誰が何を読んでいるとも思えないが、言葉のバランスが悪い。さっきまでの勢いはどこかへ消えてしまったらしい。外界で何を見聞しても感性に迫ってくるものがない。君は天から下された使命を忘れている。それは芸術とは無縁の造形物だ。芸術にどんなこだわりがあるわけでもないが、視線を惹きつけるだけの要因を感じられないようだ。だが何を見ているとも思えない。目の前の光景を見ていないらしい。それでその場から逃れられたような気になる。何かに目覚めているのだろう。そしていつものように関係ないと思っているはずだ。自分に自信が持てない。信じられないわけだ。君はそれをわかっていないようだ。目に見える光景を無視している。現状に幻滅している。そこからどう行動すべきなのかわからず、どうしていいか考えあぐねている。世の中の底流を受け止めて、人並みの成功を求めているのかも知れないが、それはすでに果たされているのかも知れない。過去を振り返ればそういうことになる。冗談でそんなことを述べているようだ。戯れ言の噴出に歯止めがかからない。切羽詰まらないとやる気にならず、間が開いてしまうととたんに怠ける。誰かは他の誰のために戦っているのでもないらしい。それで戦っていることにはならないだろう。また何を批判しているとも思えない。少しは現状に対して前向きなことを述べなければならない。すべての事柄を理解しているわけではない。何かから圧迫を受けているようだが、それが何なのかわからず、わけがわからないまま、ひたすらそれについて考え込んでいる。何か妙案を思いついたつもりになりたいようだ。冗談ではないと思いたいが、確かに冗談を述べている場合ではない。できれば停滞の元凶を取り除きたい。誰かはそれに関して何か思うところがあるようだが、それを明かすことはできない。誰かの意図をはかりかねるが、おそらく何もないのだろう。ないものをあると言いくるめることの困難さでも実感しているようだ。疲れているわけではない。さもつらそうに振る舞うのはわざとらしい。本気で述べていない証拠になるだろう。それを述べてしまったらおしまいだったのかも知れない。他に述べることは何もない。そうかといってこの世の終わりが訪れているわけでもない。何もないことが空疎な気分を害しているようだ。それは矛盾している。人家がまばらな地域へと視線を移す。誰かはここではないどこかへ行ってみたいらしいが、すでにそこまで来ている。今や望みのすべてが実現しつつある。そんな嘘をついてみたかったようだ。何かをつかんでいるらしい。きっかけとなるような何かをつかんでいるつもりになり、そこからさらに言葉を連ねようとしている。過去にとってそこは未知の時空間なのだろう。もはやヒステリックな非難にさらされるほどの内容ではない。そうはならないだろう。どこまでも違うと思っている。関心がないのかも知れない。身体から毒が抜けるように、とげとげしい雰囲気が消え去ってしまう。君は未だに幻想を抱いているようだ。それで世の中が良くなる兆しを感じ取れるとは限らない。何かが確実に抜け落ちている。実感できるのはそんなところでしかない。何ももたらせない代わりに批判をかわそうとしているのかも知れない。あやふやな態度に終始している。どこまでもそんな案配のようだ。何かが覆い隠されている。遠くからそれを眺め続けていても仕方のないことだ。君には何もできはしない。だからそこから抜け出さなければならなくなる。空気が入れ替わってほしいが、それが叶うのは明日の晩になるかも知れない。それまでの間にわけのわからない話につきあう気力が湧いてこなければいいが、取り越し苦労に終わってしまうことを願っている。だが杞憂に終わらないのがそれまでの成り行きだったはずだ。すでに息切れ状態らしい。何を語っているのかわからなくなる。それでもどこから立ち去ろうというのではない。語るべき内容を見失っているだけだ。どうにもならないところまで語り勧めてしまったらしく、後戻りができずに困り果てている。それで誰の批判をかわしていることにもならないだろう。世の中に漂っている事象の何もかもを幻想や幻影で片付けてしまうのは虫が良すぎる。また安易な罠にはまっている。それを気休めで語ってしまうのはあまりにも愚かだ。徴候は以前から続いていた。言葉が君のもとを離れていってしまう。君はそれを食い止めようとしない。今は何もない。過去も未来もありはしない。何もないので気が抜けてしまう。運命の扉を開け放ってしまったらしい。そこで何を見たわけでもなく、ただのもぬけの空だった。未来をつかみ損ねている。ありもしない目的を見失ったふりをしている。君はあやふやなことを述べ続けるだろう。それが目的になり得ないから居心地が悪い。完全に精神の均衡を失っているようだ。


5月8日

 夕闇が迫るころ、誰かが物思いに耽っていた。心の中では何かが退潮傾向にあるようだ。天候的には久しぶりに晴れが続いている。また雨が降ることはわかりきっているが、それにしても暑い。馬鹿げたことを思いこんでいてはいけない。それは神の願いかも知れないが、あまり軽はずみな批判は勘弁してほしい。久しぶりに言葉で躓いている。攻撃口調にはよどみがない。何がどうなることを願っているのでもないが、それでも何かがどうにかなってほしいと思っている。君にそれがわかるとは思えない。それとは忘れてしまった過去のことだ。突然記憶がよみがえり、思いがけない事の成り行きに驚き、誰かは狼狽する。わざとらしくも見え透いた反応だ。何に逆らっているのかわからなくなり、それでも誰のことを述べているのでもないらしく、今はその何かが何なのかを知ろうとしている。誰かがそう願っている。誰もが抱かないような何かの到来を願っているらしい。それで何がどうなるとも思えず、実際にそこから遠ざかろうとしているのでもなく、それでどのような気休めがもたらされるわけでもないが、とりあえず誰かの意識はありのままの現実を受け入れようとしている。受け入れざるを得ない状況に追い込まれている。どう述べてもまともな文章にはならないだろう。背後から何を感じているわけでもなく、それは誰の視線でもない。気まぐれに記しつつあるのは、ただの言葉でしかなく、言葉が組み合わさって何となく文章になろうとしているようだが、それをあとから読む気がしない。結果的に君の努力は報われないだろう。わかりきったことを述べないでほしい。誰がそれを願っているのでもないが、少しはまともなことを述べてほしい。わかりやすい批判でもかまわないから、そこから遠ざからないでほしい。暑苦しい状況には耐えられない。精神が持ちこたえられそうもない。また危機を脱してしまう。一難去ってまた一難だが、そのことごとくを退けることはできない。そんな状況では誰の願いも聞き入れられないだろう。願いを叶えようとする気がしない。それでは願いではないだろう。実際には何も願っていないのかも知れず、何がどうなってほしいとも思わないようだ。それでは何も気休めにはならない。気休めに述べているわけではないが、鬱陶しい展開には嫌気がさしている。すでに夏なのだ。早く夏が過ぎて秋になってほしい。それが目下のところの願いのようだが、君とは関係のない話だ。人には千の夢がある。その中のどれかを削り、どれかを保持している。そこからまともな話に持って行こうとするが、目下のところは何も果たせていない。君はその中のどれも選ばなかった。かつてと同じようなドラミングだ。技術的に衰えを見せない。もう腕が上がらなくなり、何を叩いていたのか忘れてしまったらしい。批判してはならないことを批判している。わざわざそこから継続をはかろうとする。未来がないから現在がある。そういうわけではないと思いたい。まっとうな意見としては、過去があるから今があるらしい。今がなければ将来もない。君は当たり前の成り行きを理解しようとしている。つまらない話になってしまったようだ。夜は明日になっても続いているだろう。そこで何かおかしいと思ったそうだ。南方の島が地球温暖化によって海に沈む。食い止める必要のないことだ。そこで考えるべき内容を見失っている。島と一緒に何かが水没しようとしている。体がだるい。寝不足かも知れない。まだ長くて遠い道のりのようだ。認識すべきはそんなことではない。否定しようとしている当のものに取り囲まれていて、それなしでは生きられないのかも知れず、そこから先は嘘になりそうだ。周囲から押し寄せる蒸し暑さに負けて、結局何もやらずに終わってしまう。そんな成り行きは受け入れがたい。それが嫌なら、もっと別の方面に言葉の連なりを引き延ばしていけばいいだろう。しかし何のための道のりでもない。自己から剥奪した心までの距離を測ろうとしている。どこかで落としてしまったようだ。それでも一瞬記憶がよみがえり、誰かがしてきた悪事の数々を告発しようとしている。それは虚しい作業となるだろう。言葉を闇雲に連ねているうちに、次第にその全貌が見えてくる。まだそんなところで語ろうとしているようだ。無駄で無意味なことはやめた方がいい。苦痛以外の何ものでもない。読み得ない文章をいくら構成しようと、誰を振り向かせることもできはしない。君にはそれがわかっていないようだが、そんな勘違いからそれらの文章が生み出されていることは否定しようがない。何かが差し迫っている。緊急を要するかも知れないのに、手がつけられない。怠惰なのだろう。だから何について述べているとも思えず、音楽を聴きながら闇夜に向かって吠えることもなく、この世界の何を否定しようとも思わないが、結果的にそのすべてを否定しているような気がする。そういう成り行きなのだから、それを受け入れざるを得ない。君にはそれがどういうことかわかっているはずだ。


5月7日

 作り話の中では誰かの野望が達成されようとしている。そんな筋書きでは退屈だ。誰が愚かなのではなく、日本人と呼ばれる人種がおかしい。気が狂っているのかも知れない。君は流行り廃りの現象について行けなくなる。いつものように馬鹿げたことを述べていればいいのかも知れない。そしてくだらぬ反発でも招いていればいいわけだ。いったい誰を挑発しているつもりなのだ。それはへそ曲がりのたぐいだろう。本気になってはいけない。誰かが群れから突出しようとしている。言葉は自己表現のための飾りに過ぎない。本質が抜けている。しかし物事の本質を見極めようとするのは虚しいことだ。誰もが今ある現状に不満を抱いているのは当然のことだ。生ぬるい自足の中で不満を抱き続けるのは愚かなことだ。矛盾していることは楽しいが、その矛盾が命取りにでもならなければいいが。この世界はどこまでもこの世界でしかない。ありふれた現状に不満を抱き続け、それを誰のせいにもできないことからくる絶望が、人をあらぬ方向へと導くのだろう。真偽のほどは定かでなく、結果的にどうなることにならないかも知れないが、たとえ憲法を改正して戦争への道を突き進もうと、それで報われるのはほんの一握りの人々に過ぎず、それは現にイラクやアフガニスタンで戦争遂行中のアメリカの現状を見ればわかることだ。間違ってもその場で戦っている兵士は英雄などではなく、単なる消耗品に過ぎない。戦いの中で巡り合わせや運が悪ければ死んだり怪我を負うだけで、本質的にそれは名誉の戦死や負傷などではなく、ただ結果的にそうなってしまうだけのことだ。人が人殺しの道具にしかならない現状がある。それは夢とか希望とかいう生やさしさからは遠く隔たっている。そんな現状を維持するために戦争をやっている。それは戦争のための戦争なのだろう。だから戦争に幻想を抱くべきではなく、そこにヒトラーやスターリンの再来を期待する者たちは裏切られる。今の時代にアレキサンダー大王やハンニバルやチンギス・ハーンが実在できないのと同じように、ヒトラーもスターリンも過去の時代にしか実在し得ない人物に他ならない。今や国家は資本主義と堅く結びついており、絶えず損得勘定の範囲内でしか動き得ない。仮にその中で独裁的な権力を掌握している人物がいようと、夢や幻想だけでは無謀な行為には踏み切れない。またそのような人物が安易に登場するマンガや映画の中で、いくら妄想をふくらまそうと、それもありふれた娯楽の範囲内でのことだ。浅はかな者たちに妄想を抱かせて、それらの者たちから金をせしめようとする思惑に踊らされているわけだ。架空の戦いには話の中で架空の相手を屈服させたときの高揚感だけが麻薬のようにその享受者たちに浸透する。それが罠だといえば罠なのだが、そんな罠はありふれていて、程度の差はいくらでもあり、大なり小なりゲーム好きにとっては、日常の中で浴びている陽の光のようなものでしかない。そしてそのような現状に焦点を当てて、そこからいくら思考を巡らせてみても、現に今ある世界を補完することにしかならない。そんなことを考えている者たちがこの世界の一部分として構成されているわけだ。何を述べても気晴らしの娯楽以上でも以下でもない。メディアが鳴らしているつもりの警鐘を真に受け取れない現状がある。愚か者たちは死ぬまで愚か者でいてほしい。変に賢くなってしまってはまずいわけだ。そこから金を搾り取れなくなってしまう。そういう意味で国民は馬鹿なままでもいいと思っている輩もいるらしいが、何が馬鹿で何が賢いのか、そもそもその辺の基準が存在し得ないような気がする。要するに何でもありで、そういう惨状を真に受けたり、本気になってしまってはまずいのだろう。そして他意は何もない。ありのままの日常を過ごしている。そうする以外に選択肢はなく、どう考えても現状を変えるような出来事には遭遇し得ないような気がしている。別に激動の時代になることを望んでいるわけではないが、そこからどうにもならない願望が漏れてくるようだ。現状に対する不満が誰かをつまらぬ言動を発することに駆り立てている。それを誰でもない誰かが遠くから眺めている。いつまでもだまり続け、誰かの言動に対して肯定も否定も表さず、ただ無言で眺め続けている。それらの言葉にはまったく興味がないようだ。何に対してどう考えていいのかわからない。それは何でもないことかも知れず、何でもないことを考え続けるのには苦痛がつきまとう。国家とは違う枠組みの中で考えれば、国家固有の憲法などは狭い範囲内での決まり事に過ぎないことがわかるだろう。国家と国家の運営に携わろうとする者たちにとって、国家とは違う枠組みなどは認めがたいのかも知れないが、今こそ国家を単なる行政単位の一つとして捉えておかなければ、いつまで経っても二十世紀的な国家幻想から抜け出せないだろう。日本人とか日本国民とかいう言葉を一人歩きさせて、そこに伝統とかいう特殊事情を見いだそうとする限りおいて、人々はくだらぬ幻想の虜となる。たとえば日本人メジャーリーガーなるものにどれほどの固有価値があるというのだ。松井とアレックス・ロドリゲスを比較して、どっちが格が上なのかわざわざ考えてみるまでもないことだ。


5月6日

 遠くを眺めているようだが、そこに何が見いだされているわけでもない。目の焦点が合っていない。遠くで雉の鳴き声がしている。何に気づいたのかわからないが、時間的にはありふれた早朝だった。架空の場所では昨日の早朝から時間が止まっているようだ。現実にはそれからすでに数時間が経過している。数時間どころではなく、そのまま何も語らずに数日が経ってしまうかも知れない。その間にどのような出来事に遭遇しているわけでもないが、とりあえず状況を認識できるように努力しなければならない。自分の置かれている立場がいかなるものかもわからず、それ以外に何がどうなっているのでもなく、何をどうしようとしているのでもないらしい。それはありふれた状況に違いない。何を見ているのか知らないが、視点の客観性が欠落している。何をどう述べても、相変わらずそう述べる理由を導き出せないようだが、それは試練ではないはずだ。仮に試練であったとしても、誰がそれを課しているとも思えない。この世界で行われている行為の何を賞賛する気にもならず、君はそこからどう行動すべきか判断ができすにいるようだが、体勢はうずくまったまま、そこから動こうとしない。すでに心肺停止状態のようだ。心と精神の間に何が差し挟まれているわけでもない。今となっては何をどう述べてみようと、そこから何のリアリティも感じられず、安易な問いかけでその場を取り繕っていたころが懐かしい。冗談のついでに述べることがあるとすれば、それらの問いかけによってわかったことは、君が何を望んでいるわけでもないことだ。腐りかけた頭の中に靄がかかっている。それでも現状に対する批判なら簡単にできそうだ。日本の音楽は繊細でそつがない。ほどよい形式で軽くまとまっている。破綻があまりない。それが物足りないと思うなら、至る所で破綻を来している荒削りな音楽を選び取ればいい。セオリーを無視したものを追い求めているようだ。外国ではありふれている。たぶんそんなはちゃめちゃで玉石混合のごった煮の中から突出した才能が出現するのだろう。それは競争などという生やさしい環境からは出てこない。悲惨であることは楽しいことにつながるらしい。馬鹿げた逆境が人を人でない人として作り上げる。確かにそれは悲惨なことだ。それは妄想世界から生じた幻影に過ぎない。君の才能は馬鹿げたことを述べるためにあるらしい。やはり本気になってはいけないようだ。誰の目を見て語っているわけでもなく、眼が口ほどにものを言うはずもなく、間違ったことわざもどきでその場を取り繕えるとも思えず、何気なく夜空を眺めてみれば、何も思いつかない代わりに、意味不明な言葉の連なりが画面上にもたらされる。そんなことの連続に嫌気がさしている。嘘に決まっているだろう。冗談を続けるのにも限度がありそうだ。すでに冗談になっていないようだ。昨日の昼に風雨が強まり、それを眺めている誰かが思いがけない感想を口にする。風情がある。ありふれた言葉を使って何かを語っている。それは批判すべき対象ではない。あらゆる方向から現実が迫ってくる。相変わらず何を批判しているわけでもない。偶然に語っている内容はとりとめがない。それで何を喜んでいるわけもなく、文章が破綻を来している。それをやめる理由がない。やる気がしないだけだ。相変わらず何を語っているのかわからない。季節が移り変わり、雨が降り続く。何と何が関係しているとも思えない。理由があらぬ方向へ移動している。理由ではない。それが理由になっていないが、答えになっている。爪を切り詰めすぎたらしい。言葉で装飾している。いくら腕組みして思案を試みても無駄だ。それが試論となることはない。君に自由はあり得ない。意志が雨音に遮られている。あくびとともに体内から何かが出てくる。すべての文は孤立する。結果的に何を記しているわけでもないが、それでかまわないのだろう。言葉を記す理由に思い当たらない。そこへ至らないうちに原点に回帰する。空疎な思いにとらわれている。筆舌に尽くしがたいわけではなく、直接紙に文字を記しているわけでもない。いつものように何かが違っていると感じる。ただ疲れているだけだろう。そして気がつけば翌日になっている。そんなことでしかない。またいつもの遅れを取り戻す努力が始まるわけだ。誰が何を求めているわけでもない。それが君の思いこみだとは思わないが、何も感じ取れない状態が続いていることは確かなようだが、感覚がおかしいとは思いたくない。ただ普通に暮らしているだけだ。いいわけにもならないようなことを述べているようだが、それが何に対するいいわけなのかわからず、動物に囲まれて生きている人々が狂人でないことを祈りながら、北の大地から届く便りをあてにしているわけでもなく、そんな前後のつながりを無視した文章の中で、君がそのとき何を考えていたのかを推測することは困難であり、誰にとってもどうでもいいことなのかも知れず、その辺で一区切りつけようと考えている。


5月5日

 脈絡が何もない。それを見たいわけではないが、あとから悔やんでみても仕方がない。切り取った枝葉を燃やしてしまう。過去の時空で誰かがつぶやいている。君に未来はない。それは安易な断言に他ならない。他がないのだからそうなってしまう。その辺から次第に意味不明を感じ始め、そんな雰囲気が投げやりな気分を心の外へ引き出す。何が顕在化しているわけでもない。またやる気になってきたようだが、それが型にはまっているとは思えない。心はすでに紋切り型を取り逃がしている。自由に振る舞えない。気が抜けていた。それは何かの予言だったのかも知れない。未来を見通すほどの力ではないが、これから起こる何かを感じ取れていたらしい。偶然に思っていたことが起きただけかも知れない。なぜか水を飲みたくなる。なぜそうなのかわからないが、モーリタニアに行って、世界の眼を直に見たい。君は誰かに見つめられている。理由は何もない。ふと見れば紙に火がついている。これから起こる出来事だろう。それではないらしい。明日は雨が降るそうだ。昨日の記憶から離れられない。誰が君を見ているわけではない。文章はどこにでも食い込んでいき、誰かの本音をえぐり出すことができるかも知れないが、残酷な仕打ちには心が耐えられない。何も批判できなくなっているらしい。冗談で弱音を吐いているふりをしているようだが、その中身までは踏み込めないらしい。文章は核心部を避けて通ろうとして、意志薄弱な一面をいとおしむ。もはや精神とは呼べないだろう。君の心には何も響いてこない。それは文章の内容ではない。口の中が苦くなる。いつ正気に戻ったのかわからない。遠ざかって振り返るとただの文章だ。近づいて見れば何でもない。何を見ているのかわからなくなる。謎が謎を呼び、謎に誘惑されて幼稚な冒険譚を読んでしまう。子供ではない。君でもなく誰でもない。何も語らないうちから水を飲みたくなる。関係のないことを述べているらしい。何と何が関係するのかわかりかねる。理由があるのかも知れない。水を飲みながらかろうじて命を長らえている。いつ死んでもおかしくない。だが立て込んだ状況ではなさそうだ。蒸し暑い。雨が近いのだろう。君はそれが情けないと思う。非情になりきれていないようだ。何の必然もない。何を見つけたことにもならない。言葉ではないようだ。探しているものが見つからないようだが、何を探していたのか思い出せず、たとえそれが見つかってもそれに気づかないだろう。このままではいけないらしい。宝探しの大冒険が支障を来す。虚しい試みを繰り返しているのだろう。虚構の世界で宝石を探している。それを見ている君は部屋の中で蒸し暑さに耐えている。何がもたらされているわけでもなく、別の時間帯においては音楽を聴いている。宝探しに進展があったとは思えない。何に導かれているのでもないらしい。誰かは子供だましに胸をときめかせる。そこで終わりではないはずだ。多くの足で踏みしめられて死んでしまう。風景を写真で切り取ろうとしているわけだ。ご都合主義の話の展開が君をそこに足止めしている。何を求めていようと明日になってしまうだろう。明日になれば忘れてしまうだろう。まだ常軌を逸しているわけではない。今日中にけりをつけたくなってくる。まさか死ぬはずもない。運命を変えようとしているのではない。それは誰の運命でもないが、何を気にかけているのでもない。そこに何があるのでもなく、つまらないおとぎ話の中にありふれた思いが渦巻いているだけだ。ブレイブストーリーはネバーエンディングストーリーのパクリだ。現実にはそんなことはどうでもいいに違いない。思っていることは他にもあるらしいが、そんなことは誰からも無視されるだけのようだ。無視できるだけマシなのだろうか。何がマシなのかわからないが、どこで間違ったわけでもなく、それが話の展開なのだから、それはそれで仕方のないことだ。現実の世界の有り様に関して本気であるのなら、救いようのない話の展開にしなければならないのに、それをためらっていること自体が遊び半分なのだ。やはり娯楽とはそういうものなのだろう。そこに救いを求めるのは馬鹿らしい。馬鹿らしいから子供だましで我慢すべきなのだ。誰も我慢などしていないが、日付的にはそれで辻褄が合っているのだろう。大げさなことではない。現実には些細な行き違いの積み重ねでしかないのに、それとは別のフィクションの中に救いを求めるのはおかしい。わだかまり解消するには、現実の世界を描き出さなければならず、おとぎ話のご都合主義ではお粗末すぎる。だから君はそこで方向転換して、古びた写真の中へと逃げ込もうとするが、ありのままの現実から逃げられるわけもなく、まず言葉が行く手をふさぎ、次いで成り行きが君を現実の世界に押さえ込もうとする。君はそこで何も見ていなかった。何も見ようとしなかったらしい。わざとらしい誘惑にうんざりして、魅惑されているつもりで虚無のただ中へと入り込み、何もないことを受け入れ、空白に意味不明な文字を刻みつけようとするが、それで何を成し遂げたとも思えず、自らのやっていることのすべてが余計なお世話の範囲内にとどまっているように思えてくる。


5月4日

 また些細な間違いに気づいてうんざりする。状況は昨日と変わらない。そのとき何をしようと思っていたわけでもないが、君に気候変動を阻止することはできない。もう手遅れなのだ。暑すぎる。何を述べても戯言であることは承知している。それでも誰かは予言が好きだ。無責任に他人の未来を占い、言葉で占いの対象を脅してみせる。他人を自らの思い通りに操りたいのだ。それは穿った見方かも知れないが、将来を悲観させることで、これからやってくる時間を先取りしている。誰かの将来が思いの外悪化してほしいわけだ。そんな意地悪なことは言うまい。まだ君には時間が残されている。要するに誰かは破滅を望んでいる。しかし君は誰でもない。誰もが誰かであることを望んでいるわけではなさそうだ。それが誰になるかはわからない。巡り合わせが悪いのだろう。それはおかしいと思う。自らが記した文章がおかしい理由を知りたくないようだ。おかしいままに済ませたいらしい。あとから修正を施すのが面倒なのだ。面倒ならそこから動き出さなければいい。動き出さなければ死んでしまう。ならば死んでしまえばいい。そう述べて誰が死ぬわけでもない。何もかもが無効かも知れない。それは過去の出来事だろう。君は冗談を述べながら、かろうじて死から遠ざかる。今ではそれがいつの出来事だったのか覚えていない。何を思い出そうとしているのでもない。途中で心変わりしてしまったらしい。君はそこで挫折している。何かにつけ込まれているわけだ。隙を作ってしまったらしい。魔が差してしまったのだ。邪念を振り払い、またやり直そうとしているようだが、今さら遅すぎる。すでに心が揺れ動いていて、何かの誘惑に屈しようとしているではないか。思わず笑みがこぼれかかる。そこで笑ってはいけない。誰かが意味深な笑みを浮かべながらささやく。すべては枝葉末節な問題に過ぎない。何をわかったことにもならないだろう。君はカフェイン中毒だ。自己陶酔に至らず、コーヒーを飲みたくなる。外がやけに騒がしい。火事にでもなったかも知れない。まだ炎天下ではない。そんな妄想は意味にならない。まるでお経のような歌声だ。君がそれに気づいたわけではない。誰のことを語っているのでもない。それはいつもの話の展開であり、ただ内容を導き出せないだけだ。君の色ではない。何が何だかわけがわからない。そこまで至らない。出番がやってこない。爪がはがれ落ちる。ますます意味不明になってきているようだが、それは夢の中ということでごまかせるはずだ。無理だろう。文章の破綻を他の何で補えるはずがない。それで少しは目が覚めたらしいが、目覚めたときには遅すぎる。すでに真夜中に近い。君はすでに見いだされている。生身の肉体ではない。切り刻まれて精肉売り場でパック詰めされている。たぶん鶏肉のたぐいだろう。わけがわからないのなら文章に修正を施せばいい。それができないからますますわけがわからなくなる。冗談で述べているに過ぎない。疾走感が薄れて、吹きだまりに泥水がたまっている。ぬかるみに足を取られ、よろけた拍子に何か適当なことを思いつく。枯れ草の上で蟻に絡まれながら考える。そんなことはないだろう。まだ途中だ。トリックスターを軽蔑しているわけはない。そのごまかしの手段に感動したい。過去の人は未来を閉ざされている。せっかくそこまで来たのだから、終わりまで話題を提供し続けたいらしいが、ある時期を境にあの人は今という紋切り型に支配されてしまう。箪笥の引き出しにしまわれて、滅多に日の目を見ることがない。あのとき君はそれを覚えていたはずだ。今でもそれを覚えていてほしい。いい加減にしてほしいそうだ。もう飽き飽きしている。誰のねらいを解き明かしたわけでもないが、君はそんな思惑から遠く離れている。それは誰の思惑でもない。いつの間にか不連続な接合部を露呈させている。そのついでに目から火が出る。唐突に意味不明だろう。ねらいなど何もありはしない。胸一杯の愛がどうしたわけでもない。調子に乗りすぎている。誰の身の上話に興じているわけでもない。そこから逃れられないだけだ。それが本当の苦し紛れなら、誰かが納得するはずだが、君は至って無関心を装う。意識は無に還元されている。何の思惑も働いていない。目が覚めれば暗闇に包まれているだろう。力を失って、どこかへ崩れ落ちる。誰がそうなっているのか知りたいわけではないが、この際それが君でないことを祈ろう。理由が見当たらないが、何の理由も見いだせないままに、そうなってしまっているのだから、それはそれで嘘ではないのだろう。嘘でなければ安泰というわけでもないが、この期に及んで何を導き出すつもりもなく、何を語っているのかわからないままに、それらの言葉の連なりを提示するしかない。ただそこまで語っている。無について言及しているのかも知れない。そこに何があるとも思えず、何もなければそれが無だと見なしてかまわないのではないか。誰に同意を求めているのでもないが、成り行きとしてはそういうことでしかない。


5月3日

 なぜか日常の風景が復活している。そしてわざと間違ったことを述べている。現状とはそんなものだ。誰と何を競い合っているわけではない。夢を叶えるために努力したり、目標を達成するためにがんばっているとは思えない。誰のことを述べているのでもなく、何を批判しようとしているわけでもない。そこで躓いてしまう。歩幅が合わないようだ。他人の主張に同調できない。君は余裕で批判をかわしているつもりだ。普通に暮らすことがいかに難しいかを力説するつもりはないが、普通に生きていればそれでかまわないと思う。普通であることの基準などなく、ただそれが普通だと思いこんでいれば事足りるだろう。この世界は何のためにあるのでもなく、社会に目的などない。人々はただ幻想を抱いていたい。意味を探している。それは虚しい試みだ。死ぬまで無駄なことをやり続け、死んだあとも次の世代に目的を託そうとする。絶えず何かを知ろうとしていなければ気が済まない。そこには絶えず矛盾がつきまとい、その矛盾を忘れようとしている。無意識のうちに生存競争を繰り広げ、くだらぬ自己主張を他人に認めさせたがる。自分の存在を天に向かってアピールしているつもりなのだ。それが鬱陶しいなら、そこで沈黙すべきなのだろう。静かに暮らすべきなのだ。見通しがない。他に何をやっているわけでもない。それは哀しいことだと思う。何事にも本気になれない。すべての事象が馬鹿らしく思えてくる。君はそれがフィクションだとは思えないらしい。作り話の内容を理解できないようだ。実際にわかっていないことはいくらでもありそうだ。愚かな戯れに金をつぎ込み、馬鹿げた信仰に心を奪われ、幻想に支配されている。見栄を張りたいようだ。四六時中宝石を見つめていたい。何に価値があろうと、価値だけを追い求め、結果的に身を滅ぼす。誰かはマネーゲームにはまりたいらしい。画面上の預金残高が増えるたびに狂喜する。自分を見失っている。作り話に感動しているつもりのようだ。君に何ができるわけもない。幻想のただ中に住まう者は幻影をまとっている。中身が何もない。誰がそれをわかろうとしているわけでもなく、わからないことだらけの現状を忘れようとしているだけだ。強がりは断定口調で武装しているつもりのようだが、浅はか過ぎる。謙虚さのみじんも感じられず、横柄な態度で未来をつかみ取ろうと必死の形相で前のめりに突っ走る。それで何を求めていることにもならないのが悲惨だ。それでも生き残ろうとする。身も心もぼろぼろになりながらも生き残ろうとする。自らの行動が寿命を縮めていることに気づかない。警告など簡単に無視して、次の標的を見定めて、欲望に向かってまっしぐらに突き進む。幻影に過ぎないものを追い求めている自らの有り様を認識できない。君はそれでも仕事をしている。さらなる暇つぶしへと進むことができずに、自らに課せられたノルマを達成するために涙ぐましい努力の連続だ。そんな嘘をついている暇さえありはしない。君が語っているのではなく、何に語らされているのでもない。誰かはそれでも言葉を連ねて空白を文字で埋め尽くそうとしている。虚しい試みだ。虚しいがそれ以外に方法はない。それは何を達成するために必要な方法でもなく、無為に時間を過ごすためのやり方のようだ。それが嘘だと思うなら、とっくにやめているはずだ。わからないからそこから続けようとしている。自らが何をやっているのかを認識せずにはいられない。確認作業が残されていて、それを言葉で説明しなければならない。難儀なことだが意味不明に思われる。結果が伴わず、何をどうしていいのかわからなくなる。無理に話を押し進めようとしているだけだ。そう思われて納得しても始まらない。それももうすぐ終わるだろう。頭が混乱していて、何からどう語っていいのか迷っているようだが、とりあえずそれらの文章を読み返して、何かいい手だてを思いつかなければ、そこで終わりとしよう。何をどう述べても作り話には限界がつきまとう。それが作り話である限りにおいて、ある種の嘘を含みざるを得ず、話に含まれている嘘から話自体が破綻を来している事実を隠すことができなくなる。見え透いた嘘が誰の目にも明らかとなってしまい、何をどう言い繕うと、限界を乗り越えることができずに、そこで終わりを迎えてしまい、そこから新たに語り始めるためには、破綻をなかったことにして、また破綻に至る過程を性懲りもなく繰り返しながら、話の終わりに向かってわざとらしく語り始めなければならなくなり、そんなことの繰り返しに嫌気がさしながらも、いつもの道行きを言葉でなぞることしかできはしない。君はそういう成り行きに退屈しながらも、一方では安心している。いつものオチを期待しながらも、そうなってしまったときのために嘲笑の準備に余念がない。そんなわけで万事怠りなくそれらの儀式が年がら年中繰り返され、それが日常の一部と化していることに疑念さえ抱けないほどのマンネリ状態なのだ。それでは何を述べていることにもならないだろう。


5月2日

 まだ何かが足りないらしい。気まぐれで今日の日付を確認してみる。何を考えているのでもなく、何に満たされているのでもない。辺り一帯に空気が充満している。地球の重力に絡め取られている。身体も物質も何もかもが影響を受けているらしい。心がゆがんでいる。そう感じられるのは本気になっていない証拠だ。根拠は何もない。そこから意味不明気味に修正を施し、わざとわけをわからなくしてしまい、誰かの邪魔をしているらしい。確かに何かが阻害されているようだが、それが何のためというわけでもなく、誰に対して何を思っているのでもないらしい。そこでの記憶はすぐに消え去る。どのような思惑を抱いていようとそれは同じことだ。限られた範囲内でそう思わせられているだけのことだ。君に何ができるはずもない。何かをやっていると思っていても、それは君の使命ではない。天の使命に忠実であるはずもなく、そんなことはすでに忘れている。君は猿ではない。人でもなく、言葉に頼って生きているわけでもない。それが理由になっていないのが致命的だ。落ち着きが感じられないのだろう。画面に何が映し出されていようと、そこから遠ざかろうとしてしまう。遠ざかる理由を見いだせぬまま遠ざかろうとする。その気がないのかも知れない。何もなければ次の機会を探ってみよう。何かがあったらあったでそれに飛びつくこともない。だいぶお行儀がいいようだ。素知らぬ顔でそれらの出来事を素通りして、どんな機会をも取り逃がしているつもりになり、わざと何もないと嘆いてみせる。冗談ではないのだろう。冗談にさえならない。嵐は去ったようだが。また気まぐれにやってくるのだろう。気の向くままに流離い続ける。それは誰のことでもなく、単なる自然現象として片付けてしまいたくなるが、それでも理由を見いだしたいようだ。そうなる理由がほしいらしい。そしてたぶんそれは嘘なのだろう。理由を見つけ出すのが面倒なのだ。それでは文章にならない。そこで会話が途切れ、影を見失い、誰のことを述べているのかわからなくなり、何を慕っているわけでもないことに気づき、ただその場の雰囲気に踊らされている自分に嫌悪感を抱き、そんなことではいけないと思うようになり、次第に用心深くなってきて、結果的に無口であることを疎ましくも受け入れざるを得なくなる。そんな成り行きを体験してみたい。どうも作り話になっていないようだ。何を物語る気も起こらない。聴いている音楽にも飽きてくる。それほどまでに真実を追究することもないだろう。それほどまでとはどれほどまでなのかを問う気にもならない。誰かはそこで終わりにしたいらしいが、状況が誰かの思い通りになるはずもなく、現実に拒絶されつつ、妄想の世界で思い通りの成り行きを追求する気にもならず、何となく虚しさがこみ上げてくるようだ。いくら述べてもその程度の内容におさまってしまうことが歯がゆいらしい。それでも何を求めているのでもないことに変わりはなく、すぐにそこから遠ざかろうとしてしまう。意識が眠気に勝てないようだ。それは昨日のことだろう。何を邪魔されているのか心当たりがない。偶然に見いだされた機会を利用して言葉を繰り出している。それほど余裕があるわけではない。何か政治的なことを述べようとすると愚かな意識たちが反発するらしいが、曲がった首を元に戻すことはできない。閉鎖的な状況に応じて、さらに曲がり続けるだけのようだ。虚空のどこかに閉塞感が漂っている。見渡す限りの殺風景だ。床にちり一つ落ちていない。状況的には何も説明していない。空が曇り始める。誰かが雨を待っているらしい。空はなかなか本心を明かさない。何かを述べるのが面倒なのだ。それでも言葉が連なってしまう現状をどうすることもできず、気がつけば今日の日付になっている。それは天気ではない。日の光を感じられない。目が見えないようだ。複眼に近づきつつあるが、それは虫の目を連想させるだけだろう。何を述べているのかわからない。依然として君の意識はそこにとどまっている。どこへも行こうとせず、何も語りたがらない。文字と文字の間に何かが隠れている。それを誰が見つけ出そうとしているわけでもなく、そのまま放って置かれ、無視に我慢ができなくなった意識は、自然と身の上話のたぐいを語り出すが、関心を持てないことに変わりはない。何をやる必然性も感じられない。何もできないのかも知れず、実際に何もやろうとしていないのだろう。そんなわけで文章の中で本心が明かされることはないらしく、それは誰の本心にもならず、そうでなければ何もない現状に変わりはない。何が物議を醸しているわけでもない。始めから何もありはせず、何が始まっているわけでもない。あるのはただの退屈な世界だ。語っていることがわからなくなる。理解ができないらしい。理解ができぬままにさらなる言葉の連なりが到来している。そんなのは嘘だろう。次第に追い詰められているようだ。言葉的に限界が近づいている。それ以上は何も述べられず、嘘ではないらしい。


5月1日

 別に気にしているわけではないが、なぜか調子に乗っている。愚かなことだ。愚かすぎて話にならない。未練がましく空白に言葉を並べている。外は闇に包まれ、夜を感じさせるが、そこからどんな話が続くわけもない。悩んでいるらしい。それは誰の心でもなく、君の意識が現世に生きている誰に宿っているわけでもない。本気になっていないだけのことだ。誰かが広告を見つめている。他の誰かが見ている画面には何らの映像が映っているが、それがどうしたわけでもない。人は何を求めているわけでもなく、妄想に包まれた意識は自らのあるべき姿を思い描いているに過ぎず、それは他人とは無関係らしいが、誰の感情を刺激しているわけでもない。仕事に追われ、かなり神経をすり減らしているようだ。さっきまでの眠気はどこへ行ってしまったのだろう。見定めようとしている現実が見当たらず、見聞しているつもりの何が現実なのか、言葉で説明しなければならなくなるが、適当な言葉が見つからない。状況的にはだいぶ難儀な成り行きになってきたようだが、そこでへこたれるわけにはいかないらしい。どうしようもなく君は大人げない。今は海辺を移動しているらしい。それは歌の内容だ。何を述べても口からでまかせとはなりがたい。三十分も遅れている。そして申し訳程度のゆとりがもたらされている。君は本気で述べているつもりのようだが、それが心の叫びなら冗談に決まっているだろう。何も決まっていないなら、とりあえずでたらめに言葉を繰り出せばいい。それが心のゆとりにつながるように思われ、他に何を真に受けるつもりもないが、とりあえず今は本気で述べているわけではない。埼玉あたりで急勾配を経験する。作り話的にはあり得ないことだろう。もう少し冷静になった方がいい。誰かは風邪を引いてしまったらしい。近頃は寒暖の差が激しすぎる。季節が狂っているのかも知れない。そこまで来ているのになかなか暖かさが持続しないようだ。何がそこまで来ているわけもないだろう。君が見ている光景は幻ではない。ありのままの現実に過ぎず、そこにどんな言葉を差し挟んでも嘘になるだろう。今の君に何ができるはずもない。だからそこから遠ざからなければならない。それはいつもの意味不明的なフレーズだ。すべては冗談で述べていることだ。本気になってはいけないらしい。人は誰も流離う運命のようだ。誰もがそう願っている。嘘をつくのもほどほどに願いたい。そこで足踏み状態なのはわかっている。そんなことはどうでもいいことだ。それも痛いほどわかりきっている。すべてはどうでもいいことなのだ。まもなく終わりが訪れるだろう。終わりが訪れたあとは、いいわけ気味に何かが再開される。そんなことの繰り返しで歳月が積み重なり、積み重なりつつ崩れてゆくだけのようだ。そんな状況に耐え続ける。だが恐ろしいことは何もない。何が恐ろしいわけでもなく、凶悪な殺人事件などはサスペンスドラマの材料にしかならず、戦場での悲惨な殺戮はスペクタクル映画の題材だ。すべての興味深い現実が商売道具となりはてる。だが誰にそれを伝えたいわけではなく、本気でそんなことを思っているわけでもない。そこで何が示されているとも思えない。告発すべき内容を伴っていない。すべてがおもしろ半分の遊び半分のように思えてくる。真剣になる気はなく、まじめに考えるつもりもありはしない。興味がない。政治家が人間とは何かを考えてほしいそうだ。まったく興味がないのはどういうわけでもなく、それらは車窓から眺めている過ぎ去る風景に過ぎないのかも知れず、人間について考えているうちに人間そのものが言葉として過ぎ去ってしまうわけだ。そんなことに興味を抱けない。考えているうちに考えている当のものが消え去ってしまう。それが意識ではない。思考を拒絶する風景でしかない。奏でている当のものが君の意識の介入を拒絶している。だから何について考えていることにもならず、結果的に何を批判しているのでもない。批判に値するような内容を伴っていない。安易な水準にとどまり続け、欲望で人を誘惑しているだけのように思われてくる。そんな風に物事を単純化して考えるべきではないのかも知れないが、そうするより他に出口を見つけられないのだろう。それは相変わらずの紋切り型に近づき、同じような内容を飽くことなく繰り返しているだけだ。そしてまだその続きがあるらしいが、それに意味も新鮮味もありはせず、ただ言葉が連なっているに過ぎず、それを読み進むうちに飽きてくる。つまらないと思いたい。そうなればそれまでの努力が水の泡になって、次いで区切りとしての終わりが訪れ、終わりのあとに執拗な回帰が待っている。出発点に戻ってくる。永劫回帰というわけだ。まったく難儀なことだと思うが、そこから逃れられるとは思えない。君はさらなる深化と単純化に遭遇するだろう。言葉が深くなればなるほど、簡単な言い回しに収斂されて単純化する。それは避けられない変化のようだ。誰もがそういう成り行きに屈服してしまうのだろう。


4月30日

 何に気づいてしまったわけでもない。何かが唐突に到来しているようだが、それは虚無ではない。もはや虚無と戯れている段階ではなさそうだ。悲惨な人々がテレビ画面に映っている。そこから退場できずに消耗戦を強いられている。ひたすらしゃべり続け、意味をなさない反射神経に心を支配されているようだ。ただ眠い。それ以外の感想にありつけない。すでに来月になってしまったらしい。政治家が外遊に出て、どこかの国の政治家と親交を深めようとしている。内容は何もない。子供たちが電車の中で騒ぎまくり、学生たちはひたすら携帯端末の画面を見つめている。何のことでもありはせず、それを馬鹿げた日常の光景だと思ってはいけないらしい。何かを間違っているようだ。それらの光景に関心を持てない。そこには何もありはせず、居合わせた誰もが一時の平和を満喫している。戦争ではないのだろう。戦争はイラクやアフガニスタンやアフリカで行われている。それは遠い幻としか感じられず、同じ地球上の光景とは到底信じられない。君は映画でも見ていれば事足りる。君だけでなく、現実のデフォルメとしての虚構にうつつを抜かしていれば満足してしまう。それの何が悩ましく感じられるわけでもない。気に入らないのなら、そこから立ち去れば済むことだ。立ち去ってどこへ向かうわけでもなく、どこへ行っても地球上にへばりつきながら生きているだけで、何の新鮮味もありはせず、誰かは地形の多様さに目を見張っているらしいが、それで異邦人になれるわけもない。誰もが自らの故郷と地続きであることを願い、そこから遠ざかりつつも近づいてゆき、時にはそんなありふれた矛盾に苦悩してみせるが、それは見え透いた嘘のたぐいになる。それでもどこかへゆけば人の種類も多少は変わるだろう。気休め程度の変化を感じたいのなら、金が続く限り世界旅行へと旅立てばいいが、それは間違っても命がけの冒険とはならず、せいぜいが絵はがき集め程度にとどめておくべきだ。何事にも本気になってはいけない。何かに入れ込んで取り返しのつかない事態にでもなれば、そこにとどまり続けなければならず、そこから脱出するには、今度は遊び半分では済まなくなるだろう。命がけの馬鹿げた飛躍を妄想するようになってしまい、いつの間にか本気で行動する羽目になっていて、感情的に自らの置かれた立場を正当化している自らに気づく。それは愚かなことだ。フィクションとはなりがたい。何かを理解しているような気になり、それが馬鹿げた妄想であることは当然だとしても、それ以外に何を思うでもなく、常軌を逸して言葉を連ねている現実を認めがたい。さらに眠たくなってくる。そんなことはどうでもいいように感じられて、さっきまで何を語っていたのかわからなくなり、次第に自らに嘘をついていることを認めざるを得なくなる。何を語り続けているわけでもない。何が続いているわけでもなく、すでに途切れてしまった言葉の連なりを捨て去ることができず、無理に言葉を繋げようとしているだけかも知れず、それで何がわかるとも思えず、何をわかる気も起こらず、ただひたすらに意味のないことを語り続ける。それで気が済むわけもない。何を探しているとも思えず、気休めの出口を見つけられず、また振り出しに戻ってきてしまったらしい。わかっていることはくだらない。わかりかけていることは意味をなさない。わからないことはわからないままだ。それで何が見いだせるとも思えず、何も見いだせなければ、そこから何も語り得ないだろう。実際に語っているのは君ではない。苦し紛れに記された文章が何かを示しているとも思えず、何を巡って言葉が連なっているのでもない。ただ無性に否定したい。感性はそれらの現前を拒否し続ける。存在しようがなく、ありようがないのだ。それは不可能という言葉につながっているらしい。馬鹿げた無内容をこれ以上続けるわけにはいかないらしいが、それは誰の意志にもならず、誰のために何をやろうとしているのでもないことに気づくだけのようだ。それで何がわかるわけでもない。何をわかろうとしているのでもなく、わかり得たつもりになるのが嫌なだけだ。だから本気になってはいけないのかも知れず、それらの文章はいつまでも気休めの領域にとどまるべきなのかも知れないが、それで何がどうなるわけでもない。君はそれを理解しているつもりのようだが、実際には何もわかっていないことを認めよう。たぶんすべてが馬鹿げている。誰かは語り得ないことまで語っているつもりのようだ。君はそれを理解できない。それでも何らかの文章が構成されていると思いこんでいるらしいが、それで何を理解することもできず、ただそこに記された言葉の並びを眺めているだけだ。少しは休んだ方がいい。まっとうなことを述べる機会を逃している。言葉を連ねすぎなのだ。無為になりすぎている。気力を振り絞りすぎている。結果的に寿命を縮めている。それでは怒りなど何も湧いてこないだろう。誰に対して怒っていいのかわからず、自らの感性を自らですり減らしながら、消耗し続けているだけのようだ。


4月29日

 また天気がおかしい。天気とは無関係に頭もおかしい。雨に対する備えがおろそかになる。疲れているのに眠れないようだ。何をどう述べても違っているような気がするが、それはいつものことでしかない。傘を買った方がいい。気休めに冗談で茶を嗜む。冗談になっていないだろう。心は以前の文章を引きずっているらしい。戯れに何を思っているわけでもなく、気まぐれでもたらされた動作の何が愛なのではない。壊れかけの世界が愛おしいとは思わない。それがこの世界のあるべき姿なのだから、それを否定するわけにはいかないだろう。世界はいつでも壊れかけであり、不完全な有り様を醸し出している。そこから魅力が導き出され、芸術的な感性でも刺激するのだろうが、そういう成り行きが好きになれない。冗談に感じられてしまう。芸術家という存在は二十世紀が作り出した幻影に違いないが、そこから芸術家という職業に携わっている人々を貶める気はさらさらない。今なおそれが仕事として成り立っているのだから、それはそれで大したことなのではないか。人は誰でもその時代が醸し出している雰囲気につなぎ止められている。嘘をつくならもう少しマシな嘘をついてみないか。君はそれを拒むことができずに、無理矢理気分転換を図ろうと試みるが、何を述べても冗談にさえならず、それで何を成し遂げているわけでもない。横道に逸れてからだいぶ経つが、まだ正気を保っているらしい。その証拠につまらないことを述べている。また先月の時空に取り残されてしまったようだ。まったくやる気がしない。くだらぬ出来事にこだわりすぎている。たぶん誰かは暇をもてあまして何もできなくなる。理由になっていないだろう。暇がないから何もできないのかも知れない。無軌道のような振る舞いに見えて、その辺はちゃんと計算済みのようだ。わざといい加減に語り続けているつもりのようだが、そんなことは君の知ったことではない。君には何が憑いているわけでもない。ふざけた霊能者が口からでまかせで誰かを脅している。本気であるはずがない。これから何か適当な成り行きに巻き込まれようとしているのだから、少しは覚悟を決めてまともなことを述べてみたくなるが、そんなことは誰の知ったことではない。虫が飛んできて君の邪魔をしているだけだ。誰のことを述べているのでもないらしく、誰について語ろうとしているのでもない。君には言葉がついてこないだろう。何も語れなくなる。それについて誰も関心を払わない。意識して無視しているのではなく、言葉が伝わらないのだ。確かに君は面倒な成り行きに巻き込まれているようだ。試行錯誤を繰り返すことで何かがわかりかけてくる。何も君が積極的に建ち振る舞う必要はなく、ただ黙って待っていれば、自ずから機会が巡ってくるだろう。君にはそれがわからない。わからないからさらに無駄な言葉を連ねようとする。本当はわからないふりをしているだけなのかも知れない。だが妄想にも限界があり、やがてそれが妄想ではなくなるときがやってくるだろう。たぶん君はいつものようにそこから遠ざかる。理由もなく意味もない。何をやっているのでもない。ただ自然に遠ざかってしまうだけだ。それ以外に何か主張するようなことがあるわけもなく、ただ遠ざかろうとしている。振り返れば過去の情景が遙か遠くに消え去ろうとしている。そして振り向くのが面倒になるほど眠たくなる。意識が君の内部から抜け落ちていって、そのあとに何もない空洞が広がっている。誰がそれを眺めているわけでもなく、それ自体が君の妄想の一部なのだろうが、それで何となく視界が開けたように思いこんでいるらしい。君はそこから逃げ出せない。遠ざかりつつも目の前の虚無から逃げることができず、意味のある言葉の連なりをあきらめなければならなくなる。何を記しているのでもない。それが言葉だとは思えず、言葉以外の何かが見いだされようとしているが、それが何だかわからない。言葉でないものを言葉で記そうとすると、それは意味を伴った文章になるはずだ。そこで矛盾が生じている。君は何について述べようとしているのでもなく、何ら具体的な事物を見いだせず、ただ言葉が宙に舞っているように感じられる。宙の本質は虚無でしかない。そこで立ち止まって何を語ることもできなくなるだけだ。背中の傷がうずいて、無茶な過去の行動を思い起こさせるわけでもなく、言葉は実体のない文章を奏でながらも、それを記している君を排除しようと画策している。決して君の所有物とはならない。妄想の中身は何もなく、どこを探しても過去の記憶が見当たらず、君は語る内容を見いだせず、途方に暮れるばかりのようだが、それで何から遠ざかっているわけでもなく、意識はすでに目の前の虚無に飲み込まれて、抜け殻の身体が幽霊のように立ちつくしているだけのようだ。それで何を述べていることにもなりはしないだろう。すでに切り札を使ってしまったらしく、お手上げ状態をごまかすことさえままならず、何もせずに何を語ろうとしているのでもない。


4月28日

 気がつかないうちにあれから十年が経過したようだ。今でも昔の出来事を覚えている。覚えているがそれについて語る気にはならない。何に気づいたのかわからなくなる。一度は正気を取り戻したはずだが、そこから言葉がつながらない。見え透いた嘘をつかないでほしい。嘘ではないだろう。君を欺いている。何に納得するつもりもなく、疑念を払拭できるほどの材料はない。まだ気持ちが定まらない。現実を真に受けるわけにはいかない。何かがトラウマになっているのかも知れないが、文章の中ではそれも嘘になるだろう。頭が痛い。痛めた頭をどこかへ投げ捨てて、死体のままどこかへ逃げてゆく。フィクションだからそんなことを述べられるのだろう。実際に何を述べているのでもない。結果はすでに出ているはずだ。それらの出来事に出会うと、驚きのあまりそれ以後は何も述べられなくなるだろう。メディア的にはそういうことだ。なぜかそういう成り行きになってしまう。依然として何を述べているのかわからない。何を語り続けようと、そんなことは上の空だ。何も批判する気にはならず、そんなことはどうでもいいと思われてしまうが、そのどうでもいい対象について語る気が起こらない。横目で見ている当のものに魅力がないのかも知れない。感じられないことを言葉にできるわけがない。言葉は誰も所有できない。誰の手からもすり抜け、意識を透過して、どこでもないどこかへと消え去るだけだ。昔のことはもう忘れてしまったようだ。昔と比べて進歩しているわけではない。退化している部分もあるだろう。はっきりしたことは何も述べられない。誰もが馬鹿にされる対象とはならない。無理に批判すれば墓穴を掘るだろう。何かの曲がり角に来ているのかも知れない。すでに荒れ地を通り過ぎてしまったのだろう。相変わらずわけのわからないことを述べている。以前とは何かが違っているようだが、それでどうしたわけでもないらしく、何を語っているわけでもないことに変わりはない。この世界に興味を抱けない。くだらぬこだわりにかかりきりの人々が多すぎる。それでも誰かは生きており、何も述べられないことを利用しながら言葉を繰り出している。意識はさらにそこから遠ざかる。幻想を抱いていたのかも知れない。あきらめの境地に達する前に、何か興味深い現象に遭遇すると思っていたらしい。現実にはそんなことはお構いなしに何もない。老人に語らせてはならない。壊れてしまう前にこの世界の有り様を肯定したいだけだ。君はそうではないことを知っている。システムをいくら変更しても無駄だ。形骸化したものを再構築しようとしている。わざとわからないふりを繰り返す。頭で考えても言葉は出てこない。それが君の台詞ではないから言葉にならない。それもその場しのぎの嘘に違いない。冗談にならないから冗談でごまかそうとしている。たぶん考える必要はないのだろう。何をどう改正しても無駄だ。君にはそれがわかっている。戦争など起こるはずがない。戦争という言葉が脅し文句になっていた時代は過ぎ去ったらしい。まじめになってはいけないのだろう。たとえば国家が起こす戦争を肯定してみよう。宗教が馬鹿げていることを否定できない。異なる宗派や宗教を信じている者同士が殺し合いを繰り広げている状況を真に受けるわけにはいかない。すべては冗談の範囲内で起こっていることだ。国内の政治家も冗談で憲法改正を論じている。国家と国民と憲法は無関係だ。君はそうやって意味不明なことを述べている。最終的に冗談にならないから、今のところは冗談の範囲内なのだ。実際の戦場で無駄な血を流している者たちが愚かなのではなく、愚かになりきれていないから殺し合いを繰り広げているわけだ。だが人がいくら殺されようと、現状がどうなるわけでもない。センスがない。感性が時代遅れのようだ。馬鹿げた玉ころ遊びに夢中になっている輩も愚かには違いないが、それ以上に仕事をしながら生きてゆかなければならない状況が馬鹿らしい。死んでしまうのも馬鹿げている。何もしなければ死ぬはずがない。現実には何ももたらされていない。君の言動は支離滅裂に感じられる。どこまで本気なのかわからない。冗談で述べているのだから本気ではないのだろう。ただそれらの文章に修正を加えたいだけのようだ。それだけのことで本気になってはいけない。馬鹿げていることはわかっている。白日の下にさらされている。考えていることが幼稚なのだろう。何が不満なのかわからないが、それだけのことに心血を注ごうとしている者たちが哀れに感じられ、たぶん歴史を知らないのだろうが、成り行き的にはそれでもかまわないのかも知れない。それは信念とか情念とかの問題のようだ。要するにありふれているということだ。自主憲法を制定するというまじめさが情けなさすぎる。くだらぬ内容の文章を修正することに情熱を傾けている姿が情けない。語っているすべてが抽象的なのだ。それは娯楽のたぐいでしかないのかも知れず、そんな者たちに本気になってはいけないのかも知れない。


4月27日

 まだ傷が癒えていないようだが、そこまで手が届いている。それはいつもの作り話になるだろう。どんなに言葉を組み合わせようと内容に至らないことはわかっている。どこにも至らずに途方に暮れてしまう。また言葉が遅れてくる。数日前の出来事は記憶にない。失われた時間を取り戻せない。何をどう語るかはわかっているはずだ。言葉を選んでいる暇はない。さらなる遅延状態を克服しなければならない。あきらめることができない。それにしてもまだ終わったわけではない。終わってしまったのなら、そこで終わればいい。そこから何を始めることもない。気がつけば日が傾いている。鳥も眼がこちらをのぞき込んでいる。餌にありつけるかも知れないが、空は果てしなく、そこで何を見上げているのでもなく、夜空を眺めているのでもない。気がついたら眠っている。フィクションの中では誰かがハエになった夢を見た。君はカフカではない。気がつく前に何をやることもないだろう。自分が眠ってしまったことに気がつかない。そんなことはどうでもいいことだ。どうでもいいからそこから始められない。どこでもかまわないが、死ぬ前に言い残すことなどありはしない。誰が不死身であるはずがない。誰が何を見つめているはずもない。そして何を否定しているわけもない。拒否すべき状況ではない。たぶん矛盾しているのだろう。何も拒否できずに否定を繰り返している。それでは何も得られない。現実に対する問いかけが足りないらしい。何を目指しているのでもないことが足かせになっている。つまらないことにこだわりすぎているようだ。枯葉を踏みしめてどこかへ歩いていこうとしている。林の中で方向を見失い、行くあてを知ろうとしている。誰の意識でもないだろう。何かを阻んでいるものがあり、それを取り除かなければ先へ進めないらしい。それをやろうとすればするほど遅れてくるが、それでもやらなければ前進も後退もありはせず、その場に止まるより他はない。そういう思いこみに行動を規制されている。謙虚になりすぎているのかも知れない。何かがおかしい。頭もおかしいのだろう。冗談でそんなことを述べているようだが、実感としてはそれほど間違っていないだろう。相変わらず何も見いだせず、虚無の他に何ももたらせない。それが虚無だと見なしていることが勘違いかも知れない。空はどこまでも青いが、無駄な文章であることに変わりはない。虚無に染まった意識は変化を嫌っているようだ。いつまでも怠けようとしている。心の病だろう。獲物にありつけないようだが、誰かは狩猟採集民でさえない。心の隅に残されているのは陶芸的な記憶かも知れず、そこから何らかの現実を見つけ出さなければ、そのまま我を見失い、ろくろの回転によってその世界の外にはじき出されてしまいそうだ。述べていることがますますわけがわからなくなってくる、虚しさのただ中に誰かが存在しているようだが、馬鹿げたことを延々と述べて、それで気を紛らしているつもりらしい。わけがわからないのは偽装の一種だ。気がつけばまた嘘をついている。そんなこだわりを心から取り除くことはできない。すべてはフィクションなのだから仕方がない。君はそこまで至れないのかも知れない。心の境地を探ることを放棄している。意味がないと思われ、言葉が意味をまとうことを拒否している。それでも数日後の空は快晴だ。晴れた空が君に何をもたらしているのでもなく、爽快感とは無縁の意識を捨て去ることはできない。君は自らの役割を認識しているはずだ。不快さのただ中で何か適当なことを述べなければならず、それについて考察しなければならない。理由を明らかにすべきだ。一つの価値観に凝り固まっているわけでもなく、無価値なものを顕揚しようとしているのでもなく、何に価値があるのかわからないのでもない。あれが良くてこれが悪いという判断そのものを破棄しようとしている。明確な判断基準をどこにも見いだせず、焦点がぼやけていることは確かだが、それで何が困っているわけでもなく、何となくすべてを否定したい衝動に駆られることもあるにはあるが、それが間違いであることは承知している。ただ馬鹿げていると思われるだけだ。建物の裏手からカラスの鳴き声が聞こえてきて、君の思考をかき乱すが、何を考えているのかわからず、それが文章につながらないから焦りを覚え、それをカラスのせいにしたくなるわけだ。やはり何となく馬鹿げているようだ。どうやら焼きが回ってきたらしい。うるさく飛び回るハエは殺虫剤をかけて黙らせた。いつまでも遅延行為に身をゆだねているわけにもいかないだろう。感覚的にタイミングが合っていないようだ。勝つためには手段を選ばないのが世の習いなのだ。時として人の道を外れていようと、結果的に犯罪にならなければそれでかまわない。犯罪になったらなったで、覚悟を決めてやりたいことをやり通せばいいわけだ。そんなのはありふれている。状況判断を誤っているだけだ。君には何もできはしない。君自身が何もやらせないはずだ。君は君ではない。


4月26日

 何か勘違いしていたようだ。心の動揺がおさまり、次第に平常心を取り戻しつつあるようだが、それでも語っている内容がない。無理に言葉を記し続けると、何やら文章がつぎはぎだらけになりそうだ。どのように修正を施そうと、成り行き的にそうなってしまうらしい。この世界には暇がない。暇がないのに隙がない。それについて何も知り得ないつもりになっているようだが、少なくとも何かが足りないことはわかっている。わざとそうしているのだから、それは致し方のないことだ。君はどこかで躓いている。気に入らないことはいくらでもある。嘘をついているのは誰でもない。君は確実に嘘をついている。そうせざるを得ない状況のただ中にいるらしい。疲れていることはわかっている。わからないことはいくらでもあるが、それがどのような原因から生じているのかを知っている。たぶんそれも嘘に違いない。言葉を無理に繋げようとしているわけだ。しかしいつもの問いかけが出てこないようだが、何を述べてもそこから破綻を繰り返す。それにしても言葉がバラバラだ。何もまとまらない。やり方が違っているのだろう。架空の場では話し合いは拒否される。夢でも見ていたらしいが、それは簡単なことだ。別の場面で何かを見据えている。意識ではなく、無意識が冷静に物事を見定めようとする。言葉の使い方が間違っているかも知れないが、翌日の早朝は晴れ渡っている。すでにその翌日でさえ過ぎ去ろうとしていて、心の中で何かが固まっているようだが、天気とは何の関係もない。要するにまた誰かがつまらないことを述べていて、他の誰かがそれを知っている。たぶん君が躓いた原因を探っているのだろう。それ以外に何を目指しているのでもなく、それが文章の中に迷いと混乱を呼んでいる。一時的な気の迷いなのかも知れないが、それでどうなるわけでもない。すべては虚構だが、それが嘘だとしても誰かはフィクションの中に息づいている。やはりそれは意識ではない。意識がないのかも知れない。文章は君を裏切り続け、手の届かない遙か彼方へと遠ざかり、自己は完全に忌み嫌われている。それは理解の範囲外にとどまるだろう。理解を必要としないのかも知れない。何について述べているのでもなく、言葉の連なりは内容を見いだせない。それで文章と見なせるはずもなく、誰かは限界に挑戦して敗れ去ろうとしているわけだ。その誰かが君でないことを祈ろう。まったく辻褄が合っていない。作り話の中では抵抗勢力が反乱を企てていて、挙動不審者たちが同調しようとしている。意味がわからない。わかろうとしていないらしい。説明も聞かずにわかるわけがない。心は幻影を求めている。それが誰の心なのかわからないが、わけのわからないこだわりを貫き通すのはやめた方がよさそうだ。君はそれでも画面を眺めている。そのとき何を思い知ったのか思い出せない。睡眠状態で記憶がリセットされてしまったらしい。画像がぼやけてしまっている。まだやる気があるようだが、いったい何をやろうとしているのか、現時点では皆目見当がつかない。君の妄想につきあっている暇はない。黒くて大きなハエが蛍光灯の周りを飛び回っていて、それが幻影だとは思わない。どうやら誰かの意識は現実の世界に戻ってきたらしい。そこで考えるべき事象を見つけ、それについて説明しなければならなくなる。しかし面倒くさい。自意識がどのような幻想を抱いていても、それを真に受けるわけにはいかないが、何となくそこからわからなくなる。確かにわからないのだが、そんなときでもとりあえず自分を信じなければならないようだ。そこから逃げてはならない。逃げるなら逃げおおせるだけの自信が必要だ。しかしどこから逃げているのかわからない。少なくとも君が逃げているのではないのだろう。時間的にはすでに二日後の夜だ。もはや疲労を理由として停滞しているとはいえないだろう。その辺が君の限界なのだ。限界ならそれを超えて語り続ければいい。その程度の停滞で本気になれるはずがない。君はどこまでも停滞し続けることを望んでいるはずだ。本気になるのが気にくわないのだろう。それはあり得ない状況なのかも知れず、何を真に受けるわけにもいかないらしい。何が起ころうと君には関係のないことだ。君に関係があるのは空疎な言葉の連なり以外にはあり得ない。君が語っているつもりの文章に内容などありはしない。ただ適当に言葉がつながり、意味のない文章が構成されているだけだ。それで何が明らかになることもない。わかっていることは、それは違うと感じていることだけだ。何が違っているのかわからないが、何かが違っているらしい。それではだめだとも思っている。だめなら違うやり方を模索したらいい。述べることは簡単に述べられるが、それが改まることはない。次いで何となくそのままでもかまわないとさえ思うようになり、何のことはない、それまでの延長上に次の言葉がつながっていくだけのようだ。それで何がわかるわけもないが、何かをわかって風な言いぐさにもならないので、それはそれでその程度のことだと認めることしかできはしない。


4月25日

 何もなければ言葉がある。そんなことはない。テレビを眺めているうちに深夜になってしまう。いつの間にか眠ってしまったらしい。ハードルが低い。また理由を見いだせなくなる。それが理由ではないからだ。何を知り得たわけではない。またわけのわからないことを述べているようだ。それは誰でもありはしない。誰もそんなことは求めていない。そんなこととはわけのわからない言葉の並びが表示される画面のことだ。それが文章だとは思わない。誰が読んでいるわけでもなく、誰に読めないような文章なのかも知れず、そんな文章なら必要ないだろう。それがすばらしいわけがない。そんなことなど眼中にはないのかも知れない。何を語る必要もないのに語っているだけのようだ。破滅するためにはそんなやり方が必要のようだが、本気でそう思っているわけではない。そう思う以前に破滅している。君は破滅の対象とはなってないらしい。矛盾しているようだが、そんなことはどうでもいい。誰が破滅しているわけでもなく、気まぐれで言葉尻を捉えて何を批判しようと、そんなことは意に介さない。どこで間違っていようと君には関係のないことだ。君にはそれがわからない。それがどういう形状をしているのかを知りたくないようだ。ただ文章的に間違っていると指摘してほしい。誰に向かって述べているのでもない。それは自己満足の一種かも知れず、それを誰に見せびらかしているわけでもないのに、何となく自慢しているつもりらしいが、それはどういうことでもありはしない。君には理解不能だ。それらの何に価値があるとも思わない。組織の中での決まり事に振り回されている。誰に何を伝えたいわけでもなく、官僚主義に染まりながらも、それらの何に反対しているわけでもない。ただ馬鹿げていると感じている。やる必要のないことをやり続けている。それが文学ではないのだろう。社会に影響を及ぼそうとして言葉を操っているつもりが、それ自体が社会が要求している役割にはまっていることに気づかず、浅はかな思いこみを死ぬまで放さないようになる。言葉を放棄できないわけだ。言葉に頼りすぎて現実を見失い、時代に流されながら自らの役割を自覚してしまうわけだ。流行り廃りの中に幻想を見いだし、それを変わらぬものと理解してしまう。つまらないことを批判し、おもしろおかしいことに価値を見いだし、それ以外の事象を無視して、結果的に虚無の虜となってしまうらしい。それで何を述べているのでもない。政治的に無関心であることが我慢がならない。それはすでに織り込み済みの現状なのだが、一方で感性がそこからの思考的な飛躍を妨げている。それは状況がそうさせている。何をもたらそうともしていないわけだ。結果として何ももたらされない。決まり切った文字列が出力されることだけにとどまっている。それで満足し得ないのはもちろんのこと、わけがわからないだけでは物足りないと思えば思うほど、さらにわけがわからなくなってしまう現状をいかんともしがたく、そこから途方に暮れているわけだが、それでも言葉が連なってしまい、何に不信感を抱いているのかよくわからなくなり、それをわかろうとしないことが、それらの付け足し的な文字列の出現を招いていることを承知せざるを得なくなり、それらの承伏しがたい現状を渋々認めている意識をどこかへ投げ捨てたくなってくる。できるものならやってみればいい。今すぐそれらの文章を破棄して、また始めから語り続けるつもりのようだが、誰がそれを実行に移そうとしているのかわかりかねる。わかろうとしていないのかも知れず、それは誰の意識でもないのかも知れない。何を述べているのか理解できない。どのような理由も見いだせず、何のために語っているのでもないような気がしてくる。事実そうなのだろう。君にとって語る対象などあり得ない。誰のためでもなく何のためでもないような言葉の並びだ。そこから何を理解しようとしているのでもなく、どのような答えが導き出されるのでもない。そこには何でもない言葉がつながって、意味のない文章を構成している。君にそれが理解できるはずもなく、他の誰にも理解不能な文章となっている。人は人が作り上げたつもりの社会や制度に殉じようとするが、それらの献身的な態度は無意味だ。社会貢献とかいう言葉に踊らされているわけだ。何の報いも得られないだろう。言葉の報酬は虚無以外にはあり得ない。それは誰のためにもならないことであり、何のためでもない動作なのだが、そこから救いを求めようとするのは間違っていて当然だろう。他に間違いに気づく余地はなく、何の余地もない当たり前の現状に躓き、誰のためでもない行為が形成されている。だが過ちに快楽を見いだすほど落ちぶれているわけではない。ただ冗談でそんなことを述べているだけのようだが、何が冗談なのか気づかないままに、勝手に言葉が連なってしまう現状を止める手だてを思いつかず、そんな現状に飲み込まれ、そこから生じるさらなる無関心を利用しつつ、無意識を奏でているようだ。


4月24日

 どこへ行こうと心はここにある。それが心だとは思わない。話にならない。海までは遙か遠い。表層と深層で連携がとれていない。海中で暮らしているわけではないが、海水は塩辛い。少し塩分が足りないようだが、そこからどうしていいのかわからず、人影を追っているうちに、誰かが行方知れずになる。何の物語でもない。写真の中では人影がまばらだ。意味がわからない。そんなことを述べているうちに、何かの表面から意識が舞い戻り、また性懲りもなく遅れを取り戻そうとしている。無理なことはわかっているのに、そこから抜け出せない。運良く抜け出せればそこでおしまいだ。だから何も思いつかないふりをしているわけだ。そんな思いこみに説得力はない。気がつけば背後から声がする。何をしゃべっているのかわからず、振り返れば誰もない。他の誰かが振り向いている。その顔と名前が一致しない。沈黙が辺りを支配している。どこを見渡しているのでもないが、だいぶ難しい局面を迎えているようだ。またその台詞に遭遇してしまったらしい。夜になってしまったようだが、君には関係のないことだ。このままではいつもと同じ話の内容になってしまいそうだ。誰がそれを期待しているのでもないが、君が君に何を期待しているわけでもない。自分自身と折り合いをつけられない。それは君の台詞ではない。巷では何が語られているわけでもない。政治と選挙は結びつかず、政治家と政治も無関係だ。すべては制度の中で機能している機械仕掛けの装置に過ぎない。本質からはほど遠い。その中で何がきっかけになっているわけもなく、ただそこから意識が遠ざかる。誰かがさかんに喧伝している憲法や教育についての主張も抽象的な内容だ。しかし君はそれらの成り行きに向かって何を批判しようとしているのでもなく、具体的に何を求めているわけでもない。それは問題ではない。それらのどこに不具合が生じているわけでもない。すべては形骸化しなければならず、その過程で生じている些細な論争が世間で脚光を浴びているだけだ。そこで実質的な利益をあげようとする行為は間違っている。くだらぬ論争に加わって点数稼ぎをする輩は遠からず消え去るだろう。対話がない。それ自体が不可能なのだ。言葉を知らないようだ。そういうことではない。黙って現実を受け入れなければならない。外では雨が降っている。部屋の中で何を述べているのでもない。何を語ろうと具体性が乏しい。誰がやっても同じことだ。制度とはそういうものだ。そんな制度を崩壊させるには及ばない。制度を利用しながらせこく蓄財しようと、それはそれだけのことであり、依然としてそれで何を述べたことにもならない。つまらないのだから仕方がない。金儲けもそれが目的となってしまうと浅ましい。内容が何もない。それについて説明することができなくなる。言葉が出てこない。唐突に言葉がバラバラだ。何かにだまされているのかも知れないが、違っていることは間違いない。その場の正しさは別の場では間違っている。そこに己が存在しない。何かを見失っている。何を述べても無駄であることはわかっている。生ぬるいのであり、机上の空論でしかない。何に対する否定にも魅力を感じられない。あまりにも言葉に頼りすぎていて、身体の動作がおろそかになっている。目的が一つということなどあり得ない。目的ではない部分で意識が生じている。くしゃみとしゃっくりが同時に起こる。何を考えているのでもなさそうだ。考えがまとまらないことは幸いだ。それが自身にまとわりついている不幸の一部だとは思わない。何かに特化した者は、それはそれで優秀なのかも知れないが、それが似合っているか否かは、誰の判断を待つにも及ばない。そんなことで単純化したくはない。娯楽になってしまえばどれも同じようなものだ。安らぎや癒しを求めていようと、いちいち関心を向けるような価値はない。そんなやり方でどこへ至ろうとしているのではなく、至れるはずもなく、実際にはその場で幻想を追い求めていることにしかならず、自身が消え去るためにそうしているとしか見なせない。何かが間違っているのかも知れないが、そんな風にしか思えないのは確か実感だ。その認識を改めるつもりはなく、何をどう感じようと、それは未来の時空においては無価値だ。歴史の一コマにさえならない。英雄は過去の遺物であり、今からその役割を担おうとするのは時代遅れも甚だしい。そのせいぜいがプロスポーツ選手でしかない。馬鹿げた玉ころ遊びに一喜一憂しているわけだ。それが馬鹿げたことだとは感じないのだから、その場を支配する空気には悪意に満ちた麻酔作用があるらしく、幻想で麻痺した精神に正しい判断などできるわけがないのは当然のことで、誰もが怠惰のただ中でおぼれかけている。虚無の餌食となっているわけだが、それが心地良いのかも知れず、そこで思考を巡らせることがいかに困難かをわからせるには、後世の人々には相当の時間と労力を伴うだろう。それらの映像を見ても、ただの集団催眠としか映らないのかも知れない。


4月23日

 それで楽しいと思っている。追い詰められているようだ。どこかでずれているのだろう。予感が的中している。何か無駄な悪あがきをやっているような気がしてくるが、それでも続けてゆかなければならないらしい。理由はない。そうする理由を述べられないようだ。いつもながらのとりとめのない状況だ。君は待つことしかできない。機会が巡ってくるのを待っている。たぶんその機会は永遠に訪れないだろう。何をやる機会なのかわからない。誰かと出会う機会かも知れないが、何に巡り会うかはそのときの成り行き次第だろう。今は何を予想する気にもなれない。相変わらず理由が何もない。そこで君は途方に暮れ、何をやっていいのかわからなくなるのはいつものことで、それ以上に何もやっていないわけではない自らを承知していて、それがくだらぬ気休めを招いているわけだ。たぶん仕事でもやっているのだろう。時代に感性が追いつかない。冗談で述べているのだろう。冗談でなければ、まともなことを述べるしかない。現につまらぬことを述べている。天然水は雪解けの味がするそうだ。広告にどのような意味があろうと、それはおかしい。気を惹くための言葉は卑しい。慣れ親しんだ言葉から離れられず、それがつまらないと感じつつも、そんなことしか述べられない。嫌悪感を抱いているのだろう。そこから解き放たれようと思い、さかんに試行錯誤を繰り返すが、何となくそれは違うような気がしてくる。何が悪いわけでもなく、かといってそれらを肯定できるはずもなく、昔の感覚を思い出そうとしている姿が痛ましい。誰のことを述べているわけでもない。誰かに当てはまるような気にさせるだけだ。そんな者はどこにもいないのだろう。君はそこから遠ざかろうとしている。それは何かの思い違いかも知れないが、何となく遠ざかりたくなってくる。現に遠ざかっているではないか。それの何が不満なのかわかりかねる。考えようとすれば何も思い浮かばず、何も考えなければ何も思いつかない。ただそんなことはないと思いたいだけなのだ。どうしようもなく大人げない。無い物ねだりもいい加減にやめてほしい。意味がつながらない。君には何もわからない。何がまことしやかにささやかれているのかを知りたいが、どこからも何も聞こえてこない。限界であることは承知している。限界でなければ何か思いつくはずだ。他に何があるわけでもなく、限界の他には何も思いつかない。そのとき君は夢を見ている。夢の中で窮地に陥っているが、夢から覚めたらいつもの日常だ。そんなことが毎日に繰り返されて、それがどうでもいいことだと思いこんで、夢を見続けていることを忘れようとする。現実はそうではない。そうは思わないわけだ。間近に危機が迫っているとは思えない。このままではいけないとも思えない。惰性で生きている。見聞していることが身にしみてこないようだ。何も思い出そうとしない。危機的な状況だった頃の記憶を捨ててしまったらしい。そんなことができるわけがない。できるか否かではなく、現に忘れてしまったようだ。君は確実にそこから遠ざかっている。遠景で何が行われていたのか理解しがたい。そして今や何不自由なく暮らしているわけでもないが、本気になれなくなってきていることだけは偽らざる現実のようだ。そこまでたどり着く前に冗談を述べてしまう。苦し紛れなのだから仕方がない。息が続かないらしい。気配を感じられない。影がない。かげりを感じ取ろうとしているわけでもない。何を述べているのかわからず、ただ言葉が乱雑に並んでいるとしか思えない。感性がどこへ導かれようとしているのか気にかかるところだ。見定めるべき事象が見当たらず、それについて言葉を費やすこともできず、批判などとはなおさら無縁になるが、それでも何かしら述べている事実を受け止めることができない。真摯な態度ではない。ほど遠いのであり、それが遠ざかっていることを実感させられる。演じているのかも知れない。何かの芝居のようだ。ひたすら何もないと述べていたいわけだ。それは本気になれないことの裏返しか。裏も表もありはせず、君はそこから遠ざかる。ひたすら遠ざかる。目にゴミが入ったようで、ひたすら涙が出てくる。嘘をつくのはやめてほしい。あくびが出てくる。虚無に射抜かれている。罠にはまっているのだ。知らないうちに近づいている。この世界の有り様を批判しなければならなくなる。空がみるみる曇ってきた。いつの話なのかわからなくなる。何かの光景を眺めているわけではない。ただ眠い。春なのだから当然だ。競い合いを否定するわけにはいかない。拒否することは負けを認めることだ。負けられなければ罠にはまるだけだ。つまらぬ争いごとに人生を費やす。そしてありふれた答えが示される。勝ったの負けたのとはやし立てるメディアに煽られ我を失う。馬鹿な人々が勝因だの敗因だのを分析しているつもりになり、空疎な解説を真に受け、何かを知った気になるわけだ。たぶんそれがもたらされる知識の大部分なのだろう。それが気に入らない。


4月22日

 おかしいと思うなら、そこから修正を施せばいい。誰かが枝を刈り込みすぎたけやきを眺めている。意味のない風景に思い入れを付け足そうとする。余計な言葉だ。風が強い。誰かの断定口調が気にかかる。枯葉が地面を覆っている。脈絡を感じない。雲の切れ間を探している。実現性が乏しい。無駄な時間を過ごしてきた。棘があるらしい。言葉が停滞している。底の方がよどんでいる。なぜかその機会が巡ってきてしまったようだ。それがなぜだかわからないが、とりあえず言葉を連ねていかなければならない。唐突の印象もぬぐえないが、何となくそうなってしまうらしい。意識はまだ昨日の時間帯でうごめいているはずだ。それで何がわかるわけもなく、何について答えようとしているわけでもない。ただそんなことを述べている。だから今朝の話はなかったことにしよう。話を続けるのが面倒なのだ。それは想定していた話の展開ではない。何が何だかわからないのはいつものことに過ぎない。本当にそんなことを述べているだけのようだ。それで何の気晴らしを期待しているわけではなく、この世に未練があるわけでもなく、あの世の存在を信じているわけでもなく、死ぬことにも生きることにも魅力を感じない。どこにも至れない。それらの文章に出発点も終着点もありはしない。またそう述べることにどのような価値を見いだしているわけでもない。ただ何もない。それを素直に認めなければならない。人々はただ仕事をしているだけで、それ以外は余暇を過ごしている。何を期待しようと、それはそれなりの結果に至るだけだ。この世界には何もない。この世界以外は何もない。それは当たり前のことだ。そこからどのような希望が生まれるわけもない。時には何かを美しいと思い、気まぐれに心を奪われ、酔狂でそれに関わろうとする。現実には底が知れない。それは心ではない。奥底など幻想に過ぎない。だがそれで何を否定しているわけでもなく、幻想も幻影も肯定せざるを得なくなる。他に何もなければそうなってしまうだろう。そこに生じた心の隙を巧みに利用している。誰のことを述べているのでもなく、君はどこにも存在し得ない。君は意味を解さない。文章がつながらず、記しつつある文章はいつも意味不明だ。それは君にできることではない。君はただ現状を否定することしかできはしない。君はそれを知っている。わかっていながらそれ以外に手が届かないことに憤っているらしいが、それこそ無い物ねだりでしかない。また何かが省略されているようだ。たぶん何かを説明しなければならないのだろうが、面倒くさいのでわけがわからないことにしておこう。おかしいと思っているのに、それをそのままにしておいて、わざとらしく否定してみせる。そうではないはずだ。何かから逸脱しているのだろう。人間などには眼中にないらしく、さかんに世間で流行っている事象を馬鹿にしつつも、自分では何も提示できない。君の知っている範囲では文章にならない。何かを凝視しているようだが、そんなふりを繰り返すだけで、何も目に映っていないのかも知れず、それで自己否定に逢着していることに呆れ、気が滅入ってくる。そうではないと思いたい。そうでなければどうにでもなってしまうだろう。スポーツを見ることにいかれた人々を考えてみる。誰かがやっていることに感動したりするわけだ。何らかの動作を人並み外れてこなせることに興味を惹くのだろう。そういう人々を英雄扱いして大げさに騒ぎ立て、彼らの一挙手一投足を文字や映像などの情報にして配信して、それで商売をやっている人々がいる。それがどうしたわけでもない。多額の金銭を与えてそういう人々を集め、そして対戦させる。興行という商売だ。そんな光景に目を奪われ、他に適当なことを考えつつ、たぶんそんな商売なしではこの世界は成り立たないのだろう。それは枝葉末節なことだ。しかしそれにかかりきりの人も多い。君は音楽を聴いている。政治の話などに興味はない。たぶん政治家も仕事をしているのだろう。その仕事にいちゃもんをつけておもしろがっているわけではない。国家や行政単位ごとに競い合いをしていると思いこんでいる者もいるらしいが、そんな風に考えてみるのもおもしろいのだろう。馬鹿げていると思うのは勘違いのようだ。あるべき姿などを追い求めるのは虚しいことだ。現にある状況を受け入れなければならなくなる。たとえ馬鹿げていようと、それを認めざるを得ない。政治家の主張も虚しい。その地域で産業を振興させて、そこに暮らす人々を豊かにしようとしているらしいが、それは経済的な幻想なのだろう。たとえ実質が伴っていようと、またそれで誰が喜ぼうと、人々に夢を見させようとする行為はくだらない。何となく心が荒んでくる。君は実質を伴ったファンタジーが気に入らないらしい。それは悲惨なことだ。何もなければ夢も希望も生まれない。どのようになりたいと思っても、本当にそうなってしまったら悲惨だ。それが人々が望んでいる幸せのあるべき姿なら、なおのこと悲惨だ。


4月21日

 何かが違っているように感じられるのはいつものことだが、それをそのままにしておけないようで、さかんに思考を巡らせて、それを突き止めようとしているらしい。わからない。どうも違っている。何も違っていない。そんな気はさらさらない。わかろうとしているようだがわからない。顔が土気色だ。ごてごてした感触だ。誰のことを述べているわけではない。感性が及ばない。感覚がない。何もありはしない。いくら否定してもそれは違う。否定したくないのかも知れない。炎が風を感じて揺らめいている。そこに生じている何らかの法則性を理解したいらしい。余分なことでしかない。無駄なことを述べている。すべてが無駄なのだ。空回りしているわけだ。そのような試みから抜け出られない。どこまで行っても背景が見えてこない。すべては滅び去る運命なのだ。それは決まり切った成り行きの一つだ。どこまでも何もない。人影が見当たらない。現実の時間帯に戻ってこられなくなる。それは別の時間帯での出来事だ。時間の問題なのかも知れない。解決できるとは思えない。壊れかけの構造を立て直すわけにはいかない。壊れたままにしておきたい。まともなことを述べるのが面倒なのだ。言葉から解放されたくない。抵抗を感じている。急いでいるらしい。どこへも届かない。その場の成り行きを把握できていない。この世界には無限の奥行きがある。何を述べているのかわからない。どこから来たのかもわからない。君が生じた経緯を知らせてほしい。何ももたらせはしない。そのままの状況では何も見いだせない。導き出されるべき言葉を知らない、君の姿はどこにも見当たらない。わけのわからない言葉の並びに苦悩する。どう読み解けばしっくりくるのだろう。それは音楽ではない。いくら趣向を凝らしても、それを明かし得ない成り行きになっている。そういうことではないはずだ。君は見いだされるべき人間ではない。消失すべき人格を有している。その理由を知りたいところだが、にわかには何も思いつかないので、それはその場限りのくだらぬ思いつきと見なされてしまうだろう。何もない状況にひたすら耐え続けなければならない。軽薄な人々はすぐに忘れ去られ、興味のない文章も忘却の彼方へと消え去る運命だ。だから君は何も語ることができなくなり、それが理由になっていないことに気づくべきだが、わざと真実が見過ごされているようだ。どこかに見落とされた事実があり、その事実を巡って謎が深まり、お調子者がついついそれについてくだらぬことを述べてしまう機会も巡ってくるだろう。秘密とはそういうものだ。たぶん何を語っていることにもならないはずだ。ただぐるぐる回っているだけで、どこにもたどり着かない。要するに何も見えていないわけだ。世の中の有様を眺めるのが退屈に思えてくる。人々は馬鹿げたことにこだわりすぎているのかも知れないが、こだわらなければ何も見いだせない。だから幻想に頼りきってしまい、現実を認めようとしなくなり、そこから先に一歩も踏み出せなくなってしまう。わかっているのはその程度のことだ。まったく馬鹿げている。奇蹟など起こせるわけがない。君にそんな力はない。あるのは言葉の並びをいつまでも眺めていることだけだ。廃人である。嘘をつくのもいい加減にやめたらどうだ。どこからかまっとうな警鐘が鳴らされる。だがそれで何を見定めようとしているわけではない。意に介さないのだからどうにもならない。何事にも動じない。息をしていないのかも知れない。死人に口なしだが、やる気がないだけで死んでしまうわけにはいかない。直立不動というわけでもなく、猫背で歩く姿は迫力に欠けている。わけがわかろうとしてはいけない。あと数年でそこから退場してしまう。黄昏れているようだ。誰もがそこからいなくなってしまうだろう。馬鹿げているのだから仕方がない。行動を起こす理由がない。何をやっても同じことだ。何度試みようと同じような結果になってしまう。行き詰まっているわけではない。つまらないと思う。蛍光灯の光がまぶしすぎる。仰向けになれない理由を探している。蒸し暑さに耐えられず、たまらず目をさます。そういう理由ではなさそうだ。何もできない理由を探しているわけではない。十一日間彷徨うことのどこに意味があるわけでもない。何もなければ途方に暮れる。どこからも理由が生じてこないような状況の中で、何か述べていることの意義を見いだそうとしている。それは不可能に違いない。君には何もわからない。だからおぼれかけている。言葉が君を裏切っている。どのように言葉を並べても、それは君の文章ではない。闇雲に文章を構成しているだけで、何かを成し遂げたつもりになっているようだが、それではどんな必然性にも巡り会えない。それは君の使命から逸脱している。脱線しつつ道なき道につっこんでいき、気がつけば藪の中で立ち往生している。だがそれで何に気づいたことにもならない。それはごまかしようのないごまかしだ。見え透いた嘘をいつまでも繰り返している。


4月20日

 状況がそれを許してくれている。まだそんな体質が抜け切れていないが、一息ついている暇はない。死の影におびえている。それは妄想のたぐいであり、いつか現実に転化されることもあるだろう。残念ながら今のところはそんな状況にはないらしく、ただ早朝に目が覚めてしまっただけのようだ。誤算があるとしたら、疲れて眠ってしまったことだ。それ以外はいつもの通りのようで、休日も取らずに仕事に励む毎日が巡ってくるらしい。絶えず何かが繰り返されている。そのときが近づいている。過去においてはそうだった。今はそのただ中にいる。何かの逡巡が繰り返されているようだ。たぶん何も考えられない。わからないのだから仕方がない。気分が沈んでいるようだが、翌日の空は晴れ渡っている。つかの間の天気らしい。問いかけることに疲れている。それは虚空に向かっての問いかけに過ぎないからだ。誰に対してなされているわけでもない。幻想から覚めてしまったらしい。感覚がおかしいが、何かをやらせようとしているらしい。君には何らかの使命がある。勘違いも甚だしいが、それは仕方のないことだ。その場の情勢に応じた言葉の連なりになっているのだろう。君にはできないことだ。できないのに勝手に言葉が連なっているのはいつものことだ。君自身が文章に通じていないらしい。そんなことはあり得ない。何やら迷路を構成している。意味を失っているのかも知れない。それは現実ではない。言葉が現実を捉え切れていないのだろう。何を述べているのかわからない。君はそれを知っている。君ではないのかも知れない。簡単に自暴自棄になれるわけがない。簡単にはなれないから、自暴自棄になった場合は危険だ。冷静になれるなら、少しは違うことを述べられるかも知れないが、何が違っているのかわからない。また以前と同じようなことを述べている。わけがわからない。何を見てきたのかわからない。何かに影響を受けている。だから何もありはしない。言葉にはできない。それは言葉ではないからだ。君は何も語れなくなる。それは君ではないからだ。君は何も求められていない。だから何かを残さなければならない。それは君に課せられた使命だ。本気でそう思わなければ何も残せないだろう。本気になれないから何もない。何もないから何も残せない。だがそんなのは理由になっていない。理由を求めているわけではない。君にはそれが理解できない。それはどういうことでもなくそういうことでもない。何でもないわけだ。だからそこに理由があるはずがない。話が矛盾しているかも知れない。平気でそれを認めている。そうしなければ何も続かないだろう。君は何かをつかんでいる。無意識が君を守っている。それはどういうことでもないが、何を守っているのでもない。それで守っていることになるわけだ。そこから当たり前のように疑念が湧いてくるが、そんなのは無視するしかないだろう。それがその場での運命なのだから、君はそれを受け入れるか否かしかない。運命に逆らいたければ逆らっていればいい。そのとき君は言葉を取り逃がしている。決定的な言葉だ。君は天が自らに課した使命を拒否しているはずだ。何かが地に堕ちる。隕石か何かかも知れないが、それが君の頭上をかすめるとき、君は何かに気づいたふりをするだろう。面倒くさいのでそんなのは拒否する。やっていられない。やっていられないから言葉が君の意向を無視して連なっているわけだ。君に何かを知らせようとしているようだ。そんなことをやっている場合ではない。結局何ももたらせないようだ。つまらないことにこだわりすぎている。そんなことを述べているうちに、何を探していたのか忘れてしまったが、君には関係のないことだ。それはいつもの台詞に違いない。決まり切った言葉のつながり具合にがっかりしてしまう。意表を突いた話の展開にはなりがたい。どう考えてみてもつまらない。相変わらず何も思い浮かばず、意識が文章から遠ざかっている。取り立てて馬鹿なことをしでかしているわけでもなく、至って平穏な毎日なのだが、それでいいとは思わない。今が危機的な精神状態のようだ。しかしそれで君が驚くとは思わない。ただそんなことを述べているだけで、自分の精神状態に関しても無関心を貫きたいらしい。理由は何もない。過ぎ去った時間を取り戻すことはできず、過去に何を述べていようと、今の君には興味の範囲外だ。君はひたすら沈黙を守り、何も語り得ないふりを繰り返す。今の君に何ができるわけもなく、何を語ることもできはしない。だから言葉が連なっているのであり、それは君には関係のない内容だ。君はできるはずのないことを思い描き、話の成り行きを捨て去ろうとしている。誰かが君に関して語ろうとしている得体の知れない何かは、海の藻屑として消え去る運命なのではなく、誰もそんなことを思っているわけでもないことが、記されようとしているだけかも知れず、それは何の代わりでもなく、それ自体として固有の言葉の並びを示していて、それを君が読んでいるわけだ。


4月19日

 何かに反発している。気がつけば以前と同じような語り口だ。さらに考えている。考えられないはずだ。どこまでも語り続けようとしているわけではないが、そんなことはどうでもいいだろう。この世界はくだらない。我々は渋々それを認めなければならない。それは嘘になるだろう。何かを明かそうとしている。それは君の主張ではない。結果的に見れば間違っていたわけだ。事件を目撃したつもりで映像を眺めている。焼け跡から遺体が見つかったそうだ。どういうことでもない。言葉の本来の使いから逸脱している。言葉を使って何か適当なことを主張しなければならない。それができていないようだ。君の台詞はそこで終わりだ。自然と接続詞を思いつくはずだ。その場に合わせた文章を導き出せる。また途中が省かれている。誰かが雨を呼んでいる。雨乞いをする季節ではない。住んでいる地域が違っているのかも知れない。眼に力がない。君はどこまでも愚かだ。被害妄想も甚だしい。たとえ波紋が広がっていようと、人々はそれを求めている。公正中立性に関して過度な幻想を抱くべきではない。それを否定している。人は暴力によって黙らせられる。それを肯定すべきではないそうだ。人は談合によって利益を得る。そんなことはお構いなしだ。関心を持てない。何も認められない。説明する気さえ湧いてこない。どんどん遠ざかっていくようだ。現世では仕事をしていたらしい。そしてまた遅れてくる。それらの揺り戻しはどうしようもない。何をねらっているのでもなく、ただ言葉を連ねることができなくなってしまっただけだ。宿命とはそういうものか。それはまるで変光星のようなものだ。もうすぐ寿命を迎えるのだろう。君はそれを覆したい。そこで最後を迎えたくない。だから気力を振り絞って何かを語らなければならなくなる。状況的には無理なはずなのに、無理ではないと思っている。無理を押し通さなければならなくなる。そんなことの繰り返しだ。疑念や問いかけに飽きているのだ。いつまでも遠ざかっているわけにはいかないようだ。時間は待ってくれない。すぐに流れ去ろうとしてしまう。何もなかったことにしたわけだ。できるはずのないことをやろうとしている。それをやらなければならない。そこで止まってしまうわけにはいかないが、それでも無理だと思っているのか。さっきまで何か夢見ていたような気がする。それを君は待っていた。待ちくたびれて意識が途切れてしまった。しばらく眠ってしまったようだが、夢を見たのはそのときだ。記憶がない。何かがよみがえってくる。何かに押し戻されている。妄想の断片をどこかに置き忘れてきた。またいつもの曲が流れてくる。不吉な音の連なりを聴いている。君にはそれが可能らしい。少なくとも不可能ではないようだ。すべては過去から生じている。それがすべてでないと述べることはできない。すべてはすべてなのだから、認めようがなくとも認めざるを得ない。今は深夜なのだから、いくら真昼の時空を探してみても、そこへたどり着けるはずがない。妄想はそこで終わらず、それらの文字列にさらなる困難をもたらそうとするだろう。意味が通らなくなってしまうわけだ。何を探していることにもならない。句読点の付け方を間違えているようだ。一杯の茶で息を吹き返して、眠気を振り払い、何も思い浮かばない状況をやり過ごそうとしている。そこから無理が生じてしまうらしい。寿命が尽きるそのときまで何かをやっているのは当たり前のことだ。そんな大げさなことではないはずだ。見えている光景はそれほど悲惨ではない。やる気になればできる範囲内のことなのだろう。それができなければどこかへ行き着いてしまう。その行き着いた先が何もない時空間だとすれば、そこが彼岸なのかも知れない。此岸では今日も人々が右往左往している。情報に踊らされ、制度に縛られ、何かをやっているように思いこまされている。それは誰のせいでもなく、彼らの自業自得であることは明らかなのだが、それでも被害妄想にすがりつき、さかんに不満の矛先を政治や経済状況のせいにしたがるのはいつものことだ。そんなことしかできないからそんな状況になってしまったことを誰もが認めたがらない。認める以前に責任転嫁してしまうのだから、それは必然的な成り行きになっている。君にはそれが我慢ならないらしいが、君にとっても何もできない状況に変わりがなく、ただ不満のはけ口を求めてくだらぬ妄想にすがりつき、そこでおぼれかけていることに気づかず、音楽によって耳をふさぎ、他に何も聞こえないふりをしているわけだ。他に何があるわけではない。被害妄想ならいつでも抱くことが可能だ。それが現実逃避の罠であることに気づいているが、罠にはまると気分がいい。責任逃れから解放された気になって、他の誰かをさかんに批判していることを恥じたりせずに、偽りの前向き姿勢を肯定できるようになるらしい。そうなってしまったらもはや手の施しようがない。君はあちら側の人間に近づいている。気分がいいのはそのためだ。


4月18日

 君はいつまで経っても本気になれないようだ。たぶん考えすぎなのだろう。何を考えているのかわからないが、いくら休んでも疲れがとれない。そんな体質はありふれている。ありふれていて楽しいだろう。意味がわからなくなるが、それは何かの紋切り型になる。嘘をついているようだ。本当は一日も休んでいない。いくら休んでも時間は待ってくれない。誰を待っているわけではなく、誰を待たしているわけでもない。ただ気乗りがしない。何かを怠けているようだが、気分次第で怠けていれば、簡単に終われるかも知れない。終わってしまえば楽しくなってしまう。気持ちはご機嫌のようだ。意味がわからない。わかっていないのは意味ではない。言葉ではないのかも知れない。言葉と言葉の間に何かが差し挟まれ、なぜかこうなってしまう。そこで何かが待ちかまえている。誰かの顔が思い浮かぶ。その先の光景が見えてくるようだ。終わってしまった理由を知ろうとしている。できない理由を知りたい。何もしていないのに、何もできていない。なぜかそれで楽しくなって、偽りの有頂天状態だ。心が病んでいるようだ。話の内容はどこまで行っても抽象的だ。行くはずがない。どこへも行きはしない。君にはそれがわからない。言葉がまとまらず、話の内容とはならない。あまりにもとりとめがなさすぎる。そこに誰かの思惑が働いているらしいが、その辺でやめておいた方がいいのだろう。できれば無難な線に落ち着きたい。下手に言葉を連ねてしまうと、どうしても逃げられなくなる。どこへも逃げられない。それと何かが結びついているようだ。人の死はくだらない。撃たれて死んでニュースになる。そういう意味でくだらない。どうなっているわけではない。どうにもならずにそうなってしまうわけだ。どうにかなってしまった方がおもしろいが、それでは作り話になってしまうだろう。君に何が託されているとも思えない。誰かは言葉を操りすぎて、内容的にはただ馬鹿げている。そんなフィクションはくだらない。誰が何を読んでいるのでもない。怒りの矛先はどこへも向かわず、自滅したがっているのだろう。矛盾しているはずがない。何の野心も持ち合わせていないが、君はその顛末を知っている。逃げられないのだ。逃げている余裕がない。どこまでも情報が追いかけてくる。最近はつきまとわれて離れられない。君にはそれがわかっている。幻影のまなざしに射抜かれている。それは冗談に決まっているが、その正体を知っている。君に居場所はない。それがわかっているから何もできなくなる。だからもう少し謙虚になったらどうだ。誰かがどこからか口を挟んでくる。現実を見据えて、その現実に関わっていかなければならず、そこから言葉を導いて文章を構成しなければならない。君はそれを理解している。そうなることを願っているわけだ。たぶんそれは過去の話だ。過去のある時期において、何かが起こることを期待していたわけだ。本当は何も起こらなくてもかまわなかった。あのときはそうではなかったはずだ。雨が止んで虹が出る。それを待っていたわけではない。偶然に見かけたそれを必然的な成り行きと思いこむ。それで何を知り得たわけではない。過去には限界が横たわっている。それが過去なのだから仕方がない。話を中断できるとは思わない。話になっていないだろう。それが話にならない。そこで終わることは認められない。終わってしまっても認めない。だから悲惨な努力は終わらない。それを認めたくないのだろう。何も認められないから、終わりを認めようがない。変幻自在であるはずがないが、それでも何か適当なことを語っているつもりになれる。それが努力し続けた結果なのだから受け入れざるを得ない。遠ざかれずに近づきすぎる。夢の中で何かがせり出してくるが、焦点が合っていない。眼がどこかについているのだろう。何か適当な言葉を探し出したつもりになり、そこから文章を構成している。そんなことしか述べられない。言葉が現実を再現している。わざと嘘をついているつもりらしい。心がそこから離れている。必要とされていないのかも知れない。隔たりがある。何かと何かの間に隔たりがあるようだ。何を求めているのでもない。ただわけがわからない。そんな風には思わない。君の心ではない。文章が間違っている。やる気がしないのだ。さらに馬鹿げている。何となく馬鹿げている。そういうことではない。まともに語るのが面倒なのだ。まともではない。まともになりたいのだろう。そんなことはどうでもいいことだ。どうでもいいからまともになりたいわけだ。あまりにも中身がない。中身ではないのかも知れない。何でもないから中身ではないのだろう。つまらないことを述べている。現実とはそういうものだ。現実でなくてもそういうものだ。ものであると同時にことでもある。そういうことのようだ。そうでもないと思いたいのだろうか。ただわからない。そして君は宿命の意味を知っている。何がわからないかも知っている。終わりの意味も理解しているはずだ。


4月17日

 なぜか戻されてしまう。揺り戻しの強さが尋常ではない。何に流されているのかわからないままに、さらなる困難に立ち向かわなければならない。本気で述べているわけではない。たぶんそれは君の思い違いだろう。それが困難だとしたら、すでに君はそれらの試みをやめているはずだ。少なくとも何かに気づいている。何も語らなくてもいいのに、強引に語り始めている。意味がない。言葉遣いを少し変えたようだ。以前とは明らかに違う。何か断定口調に近づいている。雨が降ったり止んだりで、状況にとりとめがない。何かに耐えていたはずだ。状況が巡ってくるのをひたすら待ち続けていたらしい。そして機会に乗じて一気にけりをつけたわけだ。そんなやり方がいつもうまくいくはずがない。その時々の状況に応じてやり方も違ってくるだろう。だから注意深く成り行きを見守らなければならない。うまい具合にはまれば、何とか窮地を脱することができ、さらなる困難に向けて体勢を立て直す余裕が生まれる。冗談ではない。いつもぎりぎりのところで生き続けている。何となく馬鹿げているように思われるが、それはそれとして真摯に受け止めなければならず、言論の自由がどうのこうの主張する余地は残されていない。とにかくやらなければやらないようだ。くだらぬ会話にもそれなりに相づちでも打っておけば、とりあえずそこは丸く収まりそうだ。人々が構成する社会にはそのようなどうしようもなさがつきものだ。何とかそれをやり過ごしながら、その場しのぎの言葉を繰り出して、その先に立ち現れる何かを見極めようとしている。紋切り型の対応では何を理解したことにもならない。理解しようとしているのではなく、そこを通過したいだけなのかも知れず、目の前に迫ってくる障害物を避けたり乗り越えたりして、何とか現状をやり過ごしているつもりになる。そこに立ち止まって理解しようものなら、たちまち虚無のペースに巻き込まれて、言葉の迷路にはまって抜け出られなくなる。そこには何もありはしない。あるのは虚栄心と自己顕示欲の複合体としての人格だけだ。何かを体現しているのかも知れないが、あいにくそんなものにつきあっていられるほどの許容力は持ち合わせていない。そういう愚かさの体現者には早々に退場願うしかないだろう。あまりにも鬱陶しい。この世に理想などありはせず、あるのは相対的な差異だけだ。その種の鬱陶しさは大なり小なり持ち合わせているものだが、それが前面に出てくると耐えられないものがある。いくらニュースを見聞しようと、そこから出てくるものは、上っ面だけの理解以前の軽薄さだけだ。それがすべてだめというわけではないが、そんな内容を第三者に向かって語りかけようとする者たちは鬱陶しい。押しつけがましい。人の生き方などを規定してもらっても、必ずそこからはみ出してしまうだろう。しかしそれで何のことを語っているわけでもなく、それは単なる雰囲気について述べているに過ぎず、そこから教訓じみた言説が導き出されることはない。結果的には何も語っていないのかも知れない。それでも追い詰められている。周囲は徐々に袋小路に変貌していく。何を語ろうと無駄なのだ。何らかの悪意が働いているようだ。誰かの成功に対する妬みや嫉みを認めなければならなくなる。そうでなければ話にならない。誰もが正義に殉じることなどできはしない。そんなことをやる必要さえない。悪意に基づいた心を持っていてもかまわない。それは役割分担の中の一つなのだろう。在り方としてそんな人格など掃いて捨てるほど存在している。敵役としての悪意の持ち主に対抗する正義の心にも落とし穴があり、誰かが聡明であれば、他の誰かは愚かでなければならず、聡明でありたいと願う者は指導者的な役割を担おうとして、そこから愚かな教育者が多数出現している現状があるにもかかわらず、他者に対する自らの優越性を妄想し続け、さかんに目下の者を探していて、そういう輩を発見したら狂喜し、目下の愚か者に向かって指導したがるわけだが、愚か者が愚か者を指導しようとしても、たいていは相手にされない現状もあり、それでもその手の似非教育に執着しようとすれば、自らの愚かさにさらなる磨きがかかり、結局どうにもならない精神の持ち主になってしまうだろう。そういう成り行きはくだらない。くだらないがそれを避けて通ることはできない。自制心を失った者たちには似つかわしい人格なのかも知れないが、やはりそういう者に出会うと鬱陶しい。そういう者たちがこれ見よがしに繰り出してくる無意識の攻撃に耐え続けるのにも限界があり、こちらから反転攻勢に出なければならなくなる機会が必然的に巡ってきてしまうわけだ。そういうくだらぬ現象に関わり合っていると心が荒んでくる。やむにやまれず暴力に訴えかけてしまう者の気持ちもわからなくはない。実際にそうなってしまうのだから、それはそれで仕方のないことかも知れず、それはそれで適当に後始末をつけて、その先へ歩を進めてゆかなければならないのだろう。


4月16日

 また雨が降っている。いつまでも降り続いている。何も見当たらないが、結果を見定めなければならないだろう。結果そのものを見失っている。何も見えていない。そこまで来ていない。意識が次第に遠ざかる。それは意識ではない。いつもの矛盾であり、何かの不一致だ。長く言葉を連ねられない。説明の回りくどさに呆れかえる。回りくどいのではなく、説明になっていない。言い表していないのだが、それでも歳月が積み重なる。それを否定したい。ずれていってしまうらしい。思考作用が途切れている。光が眼に飛び込んでくる。表現ではない。破綻の原因を知りたい。それは誰が見た光景でもない。想像力が枯渇している。精神からの作用を感じられない。意味がない理由を知りたい。それが意味に近づく。正気になりきれていない。本気だとは思わない。確かに本気ではない。雰囲気を楽しんでいる。何ももたらせはしない。苦労している。言葉と言葉がつながらない。遠ざかれば見えなくなる。遠景と近景の間に意識がある。雨に打たれて危うく風邪を引くところだった。人間引き際が肝心のようだ。引退の先に死が見え隠れしている。次の台詞がどこからか跳ね返ってくる。何か適当な言葉を繋げようとしていた。今は過去に属していて、それは嘘に決まっているが、かまわないような気がする。そこで何かが冗談を構成しているのだろう。すでに風邪を引いている証拠か。そんな風に語るべきではないのかも知れない。声がざらついている。文章になっていない。声と文章は関係ないだろう。なぜそんなことを述べているのか。どうやら素直に限界を認めなければならないらしい。息苦しいので深夜に目が覚める。準備ができている。睡眠の時間のようだ。いつのも問いかけを省略している。そこまで至れないのだろう。何かを切り刻んでいるようだ。冗談ではなく冗談を活用したくなる。意味がわからないのはいつものことだ。それが試行錯誤なのだろう。それでも幻影が見えているらしい。暗闇の中にその先の光景が見えている。ただの空想だろう。何かを思い描いている。妄想に逃げている。幻影を引きずっている。文章の中にまでありもしない光景が見えてくる。それを言葉に結びつけなければならない。気分が乗ってきたわけではない。気力が続かない。記しているそれが気力に連動していないのかも知れない。何かを述べるのが面倒なのだ。そのときの気持ちを説明できなくなってくる。その必要を感じないのだろう。意識がついてこない。言葉ばかりが先走っている。眠たくなっているのだろう。盛り上がりに欠けているようだ。気分が乗ってこない。問いかけようとしない。問いかけることに抵抗を感じている。このところは不用意に問いかけすぎだったようだ。それは最近の問題ではなく、構造的な欠陥なのかも知れない。過去から連綿と続いている欠陥だ。軽快さが欠如していた。君のタイミングではない。言葉を繰り出す手間を省いている。それが破綻を呼び込んでいる。目指すべき文章になっていない。何も目指していないのだ。心を言葉が素通りしている。何かが透けて見えてくる。説明を拒んでいる。説明する必要から見放されている。心苦しく息苦しい。居ても立ってもいられなくなる。少し横になった方がいい。また終わりかけているようだ。そんな成り行きに疑念を抱いている。さらに言葉を連ねようとしている。無駄な浪費に違いない。無駄でない浪費などないが、それでも何かの役に立っているのかも知れない。気休めや気晴らしのための文章だ。卑下しているのではなく、そのままの意味合いがあるのだろう。冗談のたぐいだ。よくそれに気づいたものだ。注意深く前進し続けている。勝手気ままに休んでいる。いい加減に言葉を連ねている。それらのどれかに真実が宿っている。嘘に違いない。嘘であることと本当であることとの間に事実がある。おかしな表現だ。頭に血が上っているようだ。本気になってはいけないらしい。深夜に雨が降り続いている。単調な言い回しに終始している。目論見は君のものではない。思い通りの展開ではない。退潮傾向を示している。過ちは間違いではない。間違いすぎているのかも知れない。正しいに決まっている。壊れたスプリンクラーから水が吹き出る。床下から泥水が吹き出てくる。正しい行いには息苦しさが伴う。まだそんなところで道に迷っている。その先に道が続いている。鍵盤を叩いている。そんな音を聴いている。楽しいのは思い違いの一種だ。壊れているのだから仕方がない。冗談になっていないようだ。それが冗談だとは思えない。冗談でなければ何になるわけがない。気持ちがぐらついているようだ。心が動揺している。心臓発作ではない。揺らいでいるのは幻想による。気がつかないうちに朝になってほしい。何かの惨状を忘れていたつもりだ。いきなり思い出してたじろいでしまう。現状はいつでも惨状に違いない。最悪の季節に突入している。本気でそう思っているわけではない。言葉の綾ということだ。そんな範囲内でおさまっている。


4月15日

 始める前からやる気がしないのは毎度のことだ。そこから何を抽出しようとしているのか。エキスではない。神髄とは何か。言葉は大げさな意味を求めている。岩陰から何かが飛び出す。クロスオーバーとは何か。謙虚になることは難しい。エキスパートの役割とは何か。達人とは違うのだろうか。賢人と猿人の違いはどこにあるのだろう。誰かがどこかで直立二足歩行を試みる。君はそこで恐竜になることを夢見ている。それは精神的な退化現象だろうか。話はまだ終わっていないのだろうか。それは君の話ではない。君に関する話はとっくの昔に終わっている。その土地は乾燥地帯のただ中にある。話が進展するはずがない。何を思いついたのかわからない。人が地表面上でうごめいている。それだけで話になるとは思えない。何を改善したいのだろうか。ただのおふざけが繰り返されているだけか。バラエティ番組を見ているわけではない。何を批判したいわけでもないらしい。くだらぬ予感にうろたえる。なぜそんなところで転んでしまうのか。楽しければそれでいいのだろうか。まだそんな水準にとどまっている。何を見上げているのか。どこから飛び降りるつもりなのか。君が知っている世界ではない。君に知られてしまうほど単純な社会ではない。そこでは何がどうやって構成されているかも不明だ。わけがわからぬまま暮らしている。心は怠惰な生活によって荒んでくる。退屈にやられて勝手に血を吹いたのは誰だったのか。そんな内容の歌を知っているだけか。それで何を知っていることになるのだろう。昔の記憶がふとした拍子によみがえってきているだけか。そんな風に語るのはよくないことだろうか。ただの支離滅裂だろう。人々は死ぬ準備でもできているのか。人々ではなく君はどうなのか。なぜ生き残ろうとしているのか。何を試みているのか意識がない。無意識のうちに何かを語ろうとしている。それは何かではなく虚無についてかも知れず、結局は毎度おなじみの繰り返しになってしまっているわけか。そんなのは試みのうちに入らない。死ぬほどの苦しさなど体験しているわけではない。何をもたらそうともしていないようだ。言葉以外に何があるのだろうか。それ以外のすべてがあるのだろうが、それらは君の意識では捉えきれない物事に違いない。本気の怒りがわき上がってくるような時代ではない。そのような状況には生きていないようだ。なぜ君は部外者でいられるのか。馬鹿げたことを述べている人々を眺めているだけか。なぜ前向きに生きていられるのだろう。無駄だと思ってしまったらそこで終わりかも知れないが、この世界にそれらの行為は当てはまらない。ただおかしいと思っているだけで事足りてしまいそうだ。馬鹿げたことを述べている。堕落の極みにあるのかも知れない。もちろん本気で述べているわけではない。何をどう述べても現状からはかけ離れているようだ。現状が言葉にならない。ありのままでは文章を構成できないらしい。だからありもしない作り話をねつ造しようとする。そんな嘘でも信じてもらえるだろうか。いったい誰に何を信じてほしいのだろうか。それは嘘のような本当の話か。その時点で信じられなくなるだろう。その先に何を続けて語ればいいのかわからなくなり、苦し紛れの転調を繰り返し、結果的に話になっていないことに気づきながらも、それでもごり押し気味に言葉を連ねてしまうらしい。無駄なことをやり続けている。君にできることはそんなことでしかないわけか。それが結果だとは思わない。結果に至れないだけか。何がそこでの結論なのだろう。なぜそんな知ったかぶりを平気で開陳できるのか。人前で意見を述べる立場にはないはずか。それは別の時空でのやりとりとなるだろう。話が飛んで精神も病んでくる。わざと仕掛けてきているのだろうか。何もなければそんなことは述べられないはずか。シナリオ通りというわけにもいかないらしい。そこに何らかの固定観念が作用しているのだろう。民主主義とはいったい何なのか。言葉で飾り立てて、何かやっているふりをしているだけか。民主主義という言葉自体がおかしい。馬鹿げているように思えてくる。どうすればいいのだろう。無関心でいればそれで済んでしまうわけか。正解の一つとしてそんな対応があるらしいが、そのように強いている原因は何なのか。なぜ民主主義に幻想を抱けないのか。メディアと政党によってがんじがらめの情報操作が行われているから、そこに幻想を投影する隙が見つからなくなってきているわけか。知ったかぶりの意見を述べることもはばかられるような状況だが、何を述べても、述べている当人が馬鹿のように思われてしまうのはどういうことなのか。自らが何もできないことがわかりすぎるくらいわかってしまうから、無関心でいる他はあり得ないように思えてくるのだろうか。現実問題としてそうなのだから仕方がない。はたしてあほくさいことをやっている者たちを支持できるだろうか。どう見ても馬鹿の集まりのようにしか思えないのだが、制度的にそうならざるを得ないのだから、それはどうしようもないのではないか。君がその立場になってもそうなってしまうのだろう。そんな状況でも投票に行けというのは酷な話か。必然性が何も見当たらない。


4月14日

 調子が狂っているようだ。何もやらないうちに同じような言葉に遭遇している。それは死人の言葉だ。断言できる。嘘でもかまわない。何を見つめているのか。何も利益を求めないことは何につながるのか。何に答えるつもりもない。目的を見失っているらしい。意識はいつもの言説に溶け込んでいる。馴染んでいる現象の何に魅力を感じているのだろう。文章は意味という病に冒されている。状況説明はいい加減にしてほしい。そんなのは嘘に決まっている。それは苛立ちではない。目の焦点が合っていない。それは何年前の曲なのだろう。聴いているふりをしている。きっかけを探す必要はない。軽いノリで深刻なことを述べようとしている。できるはずがない。何かが途切れているのかも知れない。何かを失ってしまったようだ。それは何でもかまわないのだろう。そこまで至れない。どこで途切れているのかわからず、何を語っていようと、それはどうでもいいことのように思われる。まだ終わっていないのだろうか。誰の心理状態を反映しているわけではない。ただそれは文章ではない。何を否定しようと、何を述べているのかわからず、混乱の極みを呈している。冗談でしかない。あまりにも暗い。明かりをつけたら何が現れるのか。また振り出しに戻れるだろうか。何をやり直そうとしているのだろう。何も見えていないのではないか。ただの暗闇だ。終わりの風景を通り過ぎている。気がついていなかったのだろうか。やる気になれないのはどういうことなのか。何をこねくり回しているのか。だんだん馬鹿らしくなってくる。そんなやり方で納得できるだろうか。納得するためにやっているわけではない。何ももたらされはしないだろう。イスファファンの寺院に行ったことがあるだろうか。そんな曲を聴いている。わざとそうしているのだろう。見失っているのは何なのか。何を成し遂げようとしていたのか。文章になっていない。何かを削り取れない。言葉はまだ終わらない。否定表現が連続している。周囲は重苦しい雰囲気に包まれていることだろう。説明が不完全だ。本気で語る気があるのだろうか。何を盛り上げているのか。それはスポーツか何かのたぐいに違いない。意味が宿らない。先行きに見通しが立っていない。免疫ができていないらしい。それは免れ得ない状況だ。曲がった首が元に戻らない。どこまでが君の限界なのだろう。何かを超えていると感じているらしいが、それが限界だとは思わない。そこまで到達してないのだろう。まだ何も語られていない。誰について語っているのかもわからない。わざとそうしているのか。冗談でなければそれは誰のせいなのだろうか。君には何の責任もない、とはいえないはずか。では落ち度はどこにあるのだろう。不在の誰かに責任をなすりつけているのだろうか。なぜ対決の場面に遭遇してしまうのだろう。その方が話としてはおもしろいと思われる。まだ最後の望みが残っている。そこで何かに巡り会っているのかも知れない。主人公が窮地に陥らない話は話ではない。なぜそんな決めつけがまかり通るのだろう。君に話のおもしろさがわかるわけがない。何もないから語ろうとする。あくびとともに言葉が記される。目に染み入るような光景ではない。奇岩の風景の中に人々の好奇心が捉えられている。中には神の存在まで感じてしまう者も出てくる。静けさが岩に染み入るのはいつの時代の感性なのか。確かにまだ終わっていないようだ。発電効率を重視するなら原子力発電が一番だそうだが、そこからもたらされるの不信感だけか。危険な物質を取り扱う者たちには隠蔽体質が染み込んでいる。そこには馴染みの光景が広がっていて、国ごとに優劣を競わせて、その結果に一喜一憂する者たちが構成されている。それらの話には紋切り型がつきものだ。勝手な決めつけと自説に都合のいい事例が列挙されていて、馬鹿な人々がそれを読んで説得力を感じてしまうのだろうが、馬鹿が世間の大半を占めているとしたら、物事は馬鹿な方向へ突き進んでいくのかも知れない。それで何が楽しいのだろうか。まだそんな場所まで到達していないということか。何を見定めることができるのか。現実は現実として現実問題として力説する言説を受けつけないだろう。あまりにも荒唐無稽というわけでもないが、逆に中途半端な事実に寄りかかりすぎなのかも知れない。君に何が見えているのだろうか。月光に照らされて、日の光を感じられない架空の草花が浮き上がる。それは君の眼ではない。見つめている対象が違っているらしい。だまされてはならないが、すでにだまされている者たちにそんな警告は通用しない。ただ馬鹿げていると思われる。目を開くこと自体が億劫に感じられ、用をなさない瞳は興味のない光景を取り込もうとしている。君に何か用でもあったのか。それは叶えられそうもない願いなのではないか。意識はそこから遠ざかり、生身の実体を捨て去り、文字を記すためにこの世から消滅する。嘘か冗談か、どちらなのか。君は君ではない人格を誰かと共有しているようだ。


4月13日

 何かが弱々しく響いている。眉間にしわを寄せ、何を考えているふりをしているのだろう。まだ君からのメッセージを受け取っていなかった。架空の大地のどこかにくさびを打ち込まなければならない。そして君が抱いている妄想の全容を明らかにするつもりだ。ある時は子供のように話し、またあるときは老人のように振る舞い、その実体を隠し通しているつもりのようだが、そんなフィクションを信じられるだろうか。君は何を読んでいるのだろう。それは文章ではない。そこには何もありはしない。君さえ存在していない。なぜ何も思い描けないのか。現時点ではそうなのだから仕方がない。たぶんそんなはずがないと思っているのだろう。にわか雨は去り際に砂埃を呼び込み、砂埃はさらに大きな嵐の到来を望んでいる。それは見たこともない光景に違いない。現時点での君には思い浮かびそうにない言葉の連なりだ。君はまだそれを追い求めているのだろうか。空疎な言葉の連なりは何をもたらそうとしているのか。魅力を感じられそうもない。何となくそれが君のねらいだったような気がしてくる。それは文章でさえない。どんな文章ももたらされはしない。それで何に対抗しようというのでもなく、対立するために対峙しているつもりの当の対象は目の前から消え去っている。あるのは空疎な雰囲気だけだ。それは誰によってもたらされたものでもなく、誰の存在によって生じているのでもない。何かの不在によってもたらされているのかも知れないが、それは忘れ去られた何かなのだろうか。それと何かが結びつくことはないだろう。意識がそれを拒否している。拒否せざるを得ない状況に追い込まれ、現にそうしているのだから、その上に何を望むことがあろうか。何もかもが灰燼に帰すまでは永遠の時間が必要だ。誰が何を望んでいようと、時の流れがそれを無効にしてしまうだろう。望んでいた状況が到来したときには、すでにそんなことはどうでもよくなってしまったときなのだ。だから目的を成し遂げようとする試みには虚しさがつきまとう。人にはそれぞれ分相応の結果があてがわれる。誰によってあてがわれるのでもなく、あてがおうとする主体が不在なのに、結果としてあてがわれるわけだ。そこには何の根拠も理由もありはしない。それが結果なのだから、あとはあてがわれた者たちがそれを受け入れるか否かだ。誰がその者たちに審判を下したわけでもないのに、ある者はそれが気に入らないと騒ぎ立て、またある者は嘆き悲しむ。自らの運命が受け入れがたいのか。自らに下された罰とはどのようなものだったのだろう。自らとは誰にとっての自らなのか。君には関係のないことらしい。運命などすぐに変えられるはずか。誰が自らの運命を変えようとしているのだろう。君はそこで何をしているのか。他人の運命を弄んでいるのは神にのみ許された遊技だろうか。君はそこで何を演じているのか。別に遊んでいるわけではない。なぜ遊んでいる必然性があるのだろうか。では何が必要とされているのか。飢えた人々には食べ物が必要とされるが、それは冗談のたぐいかも知れない。本当に必要なのは死だ。それは誰にとっても受け入れがたい運命だろうか。物事はそんな単純な成り行きでは終わりまで至れない。飢える以前に飽食の時代があったはずだ。飢餓のただ中に生まれた者たちにとってそれは空想可能な作り話か。食いきれないほどのごちそうに囲まれた自分の姿を思い浮かべて、そこから先に何をやろうとしているのか。作り話の中では、君にはどんな人格が割り当てられているのだろうか。寝違えたらしく首筋に違和感を感じている。話の成り行きを飛び越して、意識はどうでもいいような言葉の連なりに突き当たる。その中に迷い込み、何となく満たされたような幻覚を覚える。君が見つめている光景は見慣れた荒れ地でしかない。山を切り開き、赤土の段々畑のような斜面が造成され、何が建つかと思えば、数十年後にはそこにマッチ箱のような家並みが広がっている。人の願望が中途半端な幻想と結びつき、何となく自己実現が達成されたかのような高揚感に満たされて、そこに住み始めた頃の夢と希望が、数十年の歳月をかけてみすぼらしさを実現しているようだ。君に住む場所などありはしない。さまよい歩くだけの人生が待ち受けていて、まるで吟遊詩人が詠んだのごとき言葉の連なりを夢見つつも、現実にもたらされた灰色の文章に虚脱状態を強いられ、そんな状況に何を思うでもなく、また同じような行為を繰り返している自らに呆れかえり、笑う以外にあり得ないような自らの境遇に絶望するでもなく、それの何が不満なのか自問自答を繰り返すでもなく、そんな作り話に満足するような心境にもなれず、それの何がありふれているのかわからず、それについて何を分析しているわけでもない誰かを馬鹿にするでもなく、何も語らないよりは、くだらぬ作り話で気晴らしにありつこうとしている自らを卑下したいわけでもなく、曲がりなりにもそこに何らかの内容が語られていることに安堵して、肩の荷を下ろしているわけでもない。努力はいつでも報われない虚無感を呼び込むものなのか。


4月12日

 何となく説得力が感じられない。社会契約論とは何か。人々は何にはまっているのだろうか。おかしな成り行きにはまっているわけか。君は庶民でも大衆でもなく、国民でもない。それの何がおかしいのかわからない。そんなことには興味がないのかも知れないが、気休めにそうなってしまった理由を知りたいか。何に気づいていないのだろう。別に時空で気がつけば、誰かは曇り空を見上げていて、それについて君は何を思うこともない。また別の時間帯において誰かは怠惰に流されて、退屈を紛らすために何かをやらなければならなくなり、ふとしたきっかけで気晴らしのための文章を記そうとして、ひたすら努力しているらしいが、感性は大幅に遅れてしまうようだ。何が生き甲斐なのかわからなくなる。だが時間はまだ残されている。それは何をする時間なのだろう。君は実際に何をしているのか。過去の時空においては何かを述べていたらしいが、今は何をするために存在しているのか。誰がそこにいるのだろうか。何を述べているのかわからなくなっているらしいが、これから何をやるかによって君の心境が変化するだろうか。そんなことを見極めたいわけではない。では他に何を記しているのか。そんな文章はどうでもいい。それは誰の文章なのだろう。心境が変化するか否かはそのときの成り行き次第か。だが結果的に心境の変化がもたらされるとして、その時点で過去と何が異なっているというのか。何をどう語ろうと、それはいつもと同じ言葉遣いなのではないか。そこで何を見いだしたつもりになれるだろう。何を思ってみても、空疎な気分がもたらされるだけか。そこに何があるわけでもなく、それらの心には内面さえありはしない。何もなければどうなるのだろうか。どうにもならないから何もないのではないか。そういう意味で君の予言は当たっていたのかも知れない。予感とは何だったのだろう。簡単にそれらを否定してしまえるらしい。話の筋や前後の内容を無視して、それらの経緯を省略しながら、いきなり何もないところに誰かが登場してしまう。見え透いた嘘をつかないでほしい。いくら虚無について説明しても物足りないが、それを誰が説明しているのか。それとは何だろうか。虚無とは何なのか。何でもなければそれが虚無の正体か。では正体とは何か。本当の姿がない場合、はたしてそれが正体といえるのか。心の隙を突いて虚無が到来している。成り行きも途中の過程もなく、いきなり空疎感に心が覆われる。理由がない。なぜそうなってしまうのかわからず、誰かは途方に暮れたふりを繰り返す。宗教とは何だろう。なぜ神を信じなければならないのか。それはどんな話の筋を構成しているのか。何がそこで形成されているのだろう。そうではないだろう。では何を否定せざるを得ないのか。何を終わらせられないのか。それではまたいつもの成り行きになってしまうではないか。誰もがくだらぬ目的を達成させるために意地を張っているだけか。そんなことではないはずだが、とりあえずそこからわかったこととは何なのか。文章の中では未だに何も見いだされていないらしい。君は相変わらず知り得ないことを知ろうとしている。そんなものを追い求めて無駄に言葉を弄している。それで何がわかるというのか。何もわからなければどうなってしまうのか。何もわからないからこそ未来に対する期待が生まれる。それがわかってしまえば何も変わらないということか。何を変化させようとしているのだろう。いつもとは違い、調子が狂っているのかも知れない。いつまでもつまらぬ動作にこだわりすぎている。そんなことでは言説の内容がつまらなくなるだけか。それは言説ではない。何かの病だろうか。では病としての言説は、いったい何を目指しているのだろう。無駄な言葉とともに、それらの文章はおかしな言説につきまとわれている。それがなければ物足りないように感じられ、それなしではまるで詐欺にあったかのようか。何がそれなのか。真実を覆う嘘の衣は未だに健在だ。正確に機能している。正体を隠しおおせているのかも知れない。そこからどのような政治形態が生まれようと、それらの何が理想なのでもなく、神は何を理想として提示することもできはしない。一連の差別発言にはどのような真意が含まれているだろうか。それの何が大義名分なのだろう。名ばかりの民主主義の中に、帝国的な政治体制も含まれるのだろうか。民主主義に価値があるとすれば、それは何だろう。誰もが容易に金儲けができるような環境を維持するためには何が必要なのだろう。かなり馬鹿げたことを述べているのかも知れない。そこで自己実現がなされてしまうこと自体がおかしいのではないか。目的などあろうはずがなく、人々が目的と呼んでいるものは皆幻想であり、真実を隠蔽するために編み出された目くらましの一種なのかも知れない。だが君はそれは違うと思っているらしく、誤りを正すことを怠りながらも、そこに近づこうとしている。そしてそれが虚無だとは思われないようだ。思いたくないだけか。


4月11日

 そんなところで力尽きてしまうのか。気がつけばやる気が失せている。無理をしすぎたのだろうか。なぜそんな状況のただ中に意識が存在しているのか。君は深い眠りの中で夢を見ているのだろうか。現実を受け入れられないらしい。頑なに拒絶しているようだが、それで何がわかるのか。何を否定したいのか。何に直面しているわけではないが、それが現実であることを認めたがらない。さらに粘ろうとしているらしい。それではいつもの意味不明だろう。君に何がわかるのか。何をわからせようとしているのだろうか。もうだめだということか。そんなことは遙か以前からわかっていることなのではないか。何も語れなくなった時点で終わっているはずか。何が終わっているのだろう。話が終わり、文章もそこで終わるべきのようだ。ではなぜそれを実行に移さないのだろう。その辺で制御回路が断線しているのかも知れず、それをいつまで経っても修復しようとしないから、今ではそれが自然の成り行きのように感じてしまうようだ。当たり前のように言葉を連ね、それが無内容であることも気にならない。それがごく当たり前のことのように感じられてしまう。外ではまた雨がぱらついている。君に何ができるというのか。何をあきらめているのだろう。空疎な言葉が連ねられている現状がある。そんなことは以前からわかっていたはずだ。フィクションはいつでもご都合主義に支配されている。しかしそんな単純な言いぐさはくだらないか。世の中にはそうでないフィクションなどいくらでもあるのではないか。中にはそれをフィクションと呼べない話まであるのかも知れない。作り話でなければそうなのだろうか。そういうことではないのかも知れない。君はどんな話が構成されることを望んでいるのか。そこで何をねつ造しようとしているのか。君に何がわかるというのか。それは君ではないかも知れない。ならばそれはどういうことなのだろうか。要するに話になっていないということか。冗談のたぐいだろうか。なぜ人々はそんな場所に群れ集うのか。それは何かの繁殖地かも知れず、そこから何かが湧いて出てくるのだろうか。それは何なのか。湧き水のたぐいだろうか。どこからともなく冗談が湧いてきそうだが、それの何を解していいのかわからない。容易に解釈を受けつけない環境に誰かは直面しているらしい。環境ではないだろう。自由に言葉を連ねているつもりらしい。それは同じような言葉の繰り返しか。飛翔せずに低回している。思索に耽っているふりをしているだけのようだ。内容が何もない。内容の充実を目指しているのではないらしい。何かを拒否しているようだが、それが何なのか示せずにいる。実際には雰囲気だけの文章となっていて、形骸化が著しく進行している。それは何についての分析なのか。やはりそうではないと思いこんでいるわけか。それは誰の思いこみなのだろう。何となく白々しいことを述べているようだが、それは目くらましの一種だろうか。それで何を述べているつもりになれるのか。それは何かの惰性から生じている文字列に違いない。だが君は意に介さず、そのまま続けてしまうのだろう。言葉とはそういうものだ。誰の言葉でもなく、どんな言葉を繰り出そうとしているのでもない。君にはどんな言葉も似合わない。無言でいることもできはしない。何が君に沈黙を強いるのか。そんなのは嘘に決まっているだろう。強がりはその辺でやめるべきなのか。そこから先がわからない。らちがあかないようだ。何かが循環しているだけなのか。血液のように架空の脳内を同じような言葉が循環している。それで何が楽しいのだろうか。乗りかかった船を下りてしまったらどうなるのだろう。それは何のたとえなのか。君の本心を知りたいところか。何が本心でもないか。そんなものはもとからありはしないのかも知れず、何もなければ何ももたらされないのかも知れないが、それでも空疎な言葉が連なっている。そんなことはあり得ないか。あり得ないのだから、そんなこと自体が存在しないのかも知れず、そんなこととはどんなことなのかよくわからなくなっているのかも知れない。言葉的にいかれている。ついでに頭もいかれているのかも知れない。だがそれでごまかした気にはなれない。何をごまかそうとしていたのか。さっきから君は何を述べているのか。何について語っているのだろう。雨音を聞いているのかも知れない。言葉の連なりと君は無関係なのか。その辺がよくわかっていないようだ。理解が足りないらしい。意味不明なのだから仕方がないか。無駄なことを述べているらしい。断続的に雨が降り、雨に打たれて誰かが肺炎になるだろうか。それとも雷に打たれて焼けこげるか。想像力が貧困なのか。言葉はすでに出尽くしている。それは言葉でさえなく、単なる文字の連なりだろう。別に暗号文を解読しているのではないにしても、何となくそれで済んでしまう状況に近づきつつあるのかも知れず、結果的につまらないことを述べてしまったようだ。それは予定調和の結果だろうか。


4月10日

 無理を押し通してとうとうここまでやってきた。無理なのになぜ架空の大地について語ろうとしてしまうのか。物語がどこにあるとも思えず、誰のことを語っているのでもないが、到底許容しがたい結果を導き出しているとも思われない。いくら粘ってみても、君は不在のままだ。言葉は君の存在をこの世からはぎ取ってしまったらしい。そんなあり得ない嘘を信じているのは誰なのか。君が不在なのにどうして言葉を連ねられるだろう。己の影が必要だと思っている。それは嘘偽りのない心境に違いないが、それを無視して君の不在を逆に利用しながら、何のことでもないことを述べようとしている。それはいつもの矛盾であり、不可能な文章の在り方を提示しているだけか。時間的に余裕ができて、気が抜けてしまったらしく、思わぬところから心に隙が生じているのかも知れないが、それも成り行きのバリエーションの一つに違いなく、黙ってそんなどうでもいいような成り行きを受け入れざるを得ない。気がつけばあくびが連続しているらしく、他に何が出ているわけでもないが、口から出かかったそれをかみしめて、かろうじて車窓の外を見れば、外界は春のまっただ中にあるのだろうか。人々はそんな世界に住んでいる。そこでは興味のないことが日々行われていて、君の不在に気づくこともなく、毎日せわしなく動き回っているらしい。そこで何を利用しようとも思わない。言葉を弄する必要もなく、ただ眺めているわけだ。それらの光景に溶け込もうとしている。たぶんそれは人格ではないのだろう。そんなものは必要とされていないのではないか。何に道化ているわけでもない。過ぎ去った祭りなど永遠にやってこなければいい。人々はどこに集まりたいのか。群れる場所を探して辺りを彷徨っている最中か。そこで何が見つかるのだろう。いったい何を見つけようとしているのだろうか。安らぎなど無一文の価値もないか。何か矛盾していないか。それを価値とはいわないだろう。何も持たざる者などいはしない。ホームレスでさえブルーシートにくるまれている。それは悲惨なことかも知れないが、何も持たないよりは人間として存在する余地がありそうだ。だがそんなことを述べて何になるのか。気に入らないのなら、そこから飛び立ってしまえば済むことか。君は鳥ではない。架空の翼は大地につながれているはずだ。ならば大地とともに飛び立てばいい。そんなことはどうでもいいことだろう。センスが疑われている。君はどさくさ紛れに何を述べているのか。それは何のどさくさなのか。映画とは何だろう。それが映画であるはずがなく、眺めている光景に人為的な思惑が含まれているとは思えない。そこでうごめいているそれぞれの間に関連性を見いだせない。それを馬鹿の一言で片付けられるのかも知れないが、そこで終わってどうするのか。では終わるべきタイミングがいつ巡ってくるのか。君にとっての関心事はそんなところにはない。ただなぜそうなってしまうのか理解できないだけか。たぶんその先に結論が置かれていて、その結論を蹴飛ばしながらその先に前進を試みているのだろう。ならば見えている光景にそんな経緯を当てはめられるだろうか。何が経緯なのか。成り行き的には話はどこへ向かっているのだろう。まさかそんなことに命がけなはずがない。どこに何を見いだせるわけもなく、何を見いだそうとそれは幻影とは何の関係もないただの風景になるだろう。そんな風景の中で人々がうごめいている。ある者は本を読み、またある者は携帯電話の画面を見つめ続けている。それで何を眺めていることになるのだろう。いくら眺めてみてもこの世の退屈さ以外の何を感じ取ることもできないだろう。他に何をしようとしているのか。相変わらず何を述べているのか判然としない。言葉を組み合わせて文章を構成しているつもりらしいが、それが文章になっていないような気がしてくる。その辺で文章が破綻しているのかも知れず、そのような誤りをなかったことにするには、それらの文章を終わらせなければならないのだろうか。おかしな論理かも知れないが、それに納得したつもりになって、その先にどんな言葉を繋げていくつもりなのか。何となく途方に暮れてしまったように思える。わけがわからないだけではなく、意味を伴っていないのかも知れず、何についても語っていないのだろうか。そうかも知れないし、そうでないかも知れない。そんなまとめ方はないのではないか。なぜそんなことを述べているのだろう。何を述べているつもりにもなれず、そのうちに眠気が忍び寄ってきて、気がつけばさっきまでの記憶がどこかへ飛んでいる。やる気が失せているということか。結局それ以上は何を押し通す気にもなれず、その辺で妥協してしまいそうになり、わけがわからないうちにそれをやめてしまい、やめた先にまたわけのわからない言葉を連ねようとしてしまう。そんなことの繰り返しから逃れるためにそれらの試みが始まったのではなかったか。それはどんな試みだったのだろうか。今となっては、そのとき何を述べようとしていたのか、その痕跡さえ消え去ってしまった感がある。


4月9日

 それで首尾よく目的を果たしたつもりになれるだろうか。何も述べられなければそこで終わりのはずが、何の加減かわからないが、何となくそんなことを述べている現状があるらしい。それがどういうことかはわからない。そこに何を付け足しても違っているような気がするが、とりあえずそんなことを述べているようだ。外を見れば空はどこまでも青い。それで何が不都合なわけもないが、そこからどんな徴候を導き出せるだろうか。別に気が狂っているわけではないらしい。何を述べてもしっくり来ないのであれば、それは何かの気のせいなのかも知れないが、いつまでもそんなことをやっているわけにも行かないだろう。さらにそこから何らかの内容を導き出さなければならないが、そんな余裕がどこにあるのだろう。余裕がなければ何も考えられないわけか。それはどんな余裕なのかわからないが、心の余裕は怠惰に流されるために使い果たされるのだろう。切羽詰まらなければ何も考えられないのは、さっきまでの状況とは相容れない論理でも導き出せるだろうか。君はそこで何を考えているのか。それはどのような冗談にも当てはまらないか。何をおどけて見せたところで、それが何になるわけもなく、どのような結果とも結びつかないだろう。ことさら結果を求めているわけでもないが、だいいちそれでは対話になっていないではないか。見上げてみれば建物の外壁に植物が植えられている。それで何を取り乱していることもならないが、何に感動しているわけでもありはしない。そんなことを述べるためにそのような状況のただ中に存在しているわけでもないが、なぜ投票に行く気がしなかったのか。それらの結果は何を示しているのだろうか。気分が優れないのはどういうわけなのか。君はどんな状況になることを願っているのか。何か政治的な状況の中に気にかかる点でも発見したのか。それがすべてではないのだろう。すべてでないことの何が気に入らないのか。そんなことはわかりきっていることで、それを述べるために言葉を弄しているわけでもないこともわかりきっているが、そんなことをやって何になるのだろう。何をどうしてほしいのか。さあなんのことやら思い当たる節は何もないような、この世がどうなろうとそんなことは知ったことではないような、君の知ったことではないのはわかるような気はするが、要するに誰が何をしようと、どうなるわけでもないような気がするだけか。すべてはそれだけではないと思われる。それがすべてでないことはわかりきったことだ。もう少し謙虚になって、物事のありようについて考察を巡らさなければ、何を述べていることにもならないか。簡単に断定してはならない。判断する前に何か忘れていることはないか。市民マラソンやオリンピックなどをエサにして、大衆の人気取りに余念がない者に、どう対処すべきなのか。君個人が何をできるわけもなく、ただ黙ってそれらの光景を眺めているしかやりようがないのかも知れない。君はただ高い税金を払って、それで勘弁してもらえばいいのか。いったい彼の引き立て役を買って出たピエロたちに何を託せばよかったのか、それが今ひとつわからなかったことだ。とりあえず何も知性が感じられない。たぶんそういう馬鹿相手の人気取りをいくら批判しようと、何の効果も得られないのだろう。そういう現象にちゃんと対応するには、それなりの準備期間が必要で、もはや個人の力ではどうしようもなく、またいくらそれに対抗するための人員を組織化して戦略を練り上げようと、そういうやり方には自ずから限界が見えてくるだろう。今のところは彼が老いて寿命を迎え、この世から退場するのをじっと待つしかやりようがないのだろう。要するに君は嘘をついているわけだ。たぶん彼をあと何年も生かしておいてもかまわないのかも知れない。オリンピックが実現するまで生かしておけばいい。常に非難を矢面に立たせておけば、それで事足りるのかも知れない。不謹慎な発言も大いにけっこうなことか。彼に何ができるわけもなく、やっていることはこれまでにやってきたことの延長上にある。それ以外に何ができるのだろう。君はその場に存在していない。それはついたての役でも果たしているのか。それとは彼のことなのか。君はそこでどんな状況を分析しているつもりなのか。目的とは何なのか。ふと外を見れば遙か遠くの地平線上に雪山を見たような気がした。移動中に見た記憶がある。今は家並みに隠れてしまってわからないが、それを探しに行くわけにもいかず、ただいまは目的地に向かって移動の最中なだけか。そんなことを述べているうちに急に視界が開けて、見渡す限りの畑の向こうには山などありはしない。幻影だったのだろうか。それも君の嘘に違いない。とんだ回り道をして、さっきまで何について述べてしまったのか忘れてしまったようだが、それはわざとらしい紆余曲折に違いない。はじめから老人の選挙戦などに興味はなかったのかも知れず、すべてはくだらぬ事象として片付けてしまえる程度のことか。


4月8日

 またしても朝になってしまったようだ。毎日朝になっているのだからそれは当たり前のことかも知れないが、やろうとしてできないまま朝になってしまうのはしゃくに障るらしい。そこで思考が止まってしまう。なぜ何も思いつかないのだろうか。何をそんなに焦っているのか。わからないことは意味不明なままに作用し続け、君の心を惑わしているのはもちろんのこと、そこから先を読もうとすれば、読んでいる文字が表面から浮き上がり、空中で浮遊し続け、君が読むのを邪魔しているように思えてきて、そんな空想をものともせず、さらに読もうとすれば、勘違いはさらに傲慢に心を揺さぶり続け、あらぬ妄想とともに誰かの心を虜にしようとかかってくる。それはどんな思い違いなのだろうか。下手に感情が動作している証拠となるかも知れないが、何を思っているのでもないとすれば、誰かが抱いている思惑を打ち破ってこちらへやってくる現象は、君の心にどんな影響を及ぼそうとしているのだろう。それは文章の中だけに顕れる感情なのかも知れず、現実の世界では何とも思っていないはずか。君が何に気づいていようと、こちらでは何もやらせないための包囲網がさらに狭まり、君は窮地に追い込まれてしまうのだろう。どこへも行けずにそこから抜け出せなくなってしまうらしい。妄想は現実を無視し続け、君をあらぬ方向へと誘っているようだが、この期に及んで何に臆する気にもなれず、がんじがらめの状況から脱出する手間を惜しんで、そこへ平気でとどまり続け、気がついたら何も得られていない現状を受け入れつつも、反省するでもなく、さらに動きを少なくして、暗い感情を抱きながら日々を過ごしているのだろうか。それで何がわかるというのか。それは文章を記すための素材となりうるだろうか。そこでは誰が何をやっているわけでもなく、気分次第でうごめいているだけかも知れず、それをいくら承知していようと、不快な気分が晴れることはなさそうだ。君はそんな風にしてさらなる破滅を呼び寄せているらしい。そしてくだらぬ嘘をつきたくなってくるようだが、それはその場に生じている構造的な問題なのか。そうだとしてもそれをどうすることができようか。君に何ができるというのか。ただ滑らかに言葉を並べていくことしかできはせず、それによって問題が解決に導かれるとは到底思えず、ただ何かが錯綜しているだけで、何の前進にもなりはしない。君は本当にそこから前進したいと思っているのだろうか。できなければどうするのだろう。できるまで無駄な努力を惜しまなければ、それは果てしない努力となってしまいそうだが、それで何がわかるわけもなく、くだらぬ冗談とともに自我が崩壊してしまうような気がする。何もかもが気休めをもたらし、それで安心したつもりになりたいらしく、冗談ではないと思いつつも、ついついそれに頼ってしまう自らが情けなく思えてくるようだが、それ以外にどんな気休めがあるというのだろう。たぶんその辺からしどろもどろになりつつあるようだが、それを無視して強引に言葉を連ねるとすれば、もはや冗談では済まなくなり、たぶん正気ではなくなってしまうだろうが、君はそれを望んでいるのではないか。そんな風にしながら言葉を連ねることしかできないのではないか。それは冗談ではないか。それで誰の気持ちを解するわけもなく、それに対するいいわけも無視しながら、強引に言葉を引き寄せ、自らのうちに想いを打ち立てようとして、それがくだらぬ代物だと知りつつも、それで何となく一安心を装っているらしいが、そういうごまかしがまともな言説の生成を阻んでいるのではないか。それで何がわかるのだろう。自らのくだらなさに気づくべきだろうか。気づいたからといって何を述べられるわけでもなく、そうかといって実際に述べている無内容を肯定する気にもなれず、どっちつかずの思いは行き先を見つけられず、行くあてもなくその場に積もり続け、やがてその重みに耐えきれなくなり、さらに自我が崩壊する危機に直面してしまうわけか。そんな述べ方ではくだらなすぎるだろうか。それを判断する基準がないような気がするが、何をどう判断しようと、それは間違いになってしまうような気もしてくる。すでにその時点で無理に無理を重ねているのかも知れず、その無理をさらに押し通そうとすれば、それでどこに突き抜けても、そこで力尽きるだけか。やってみなければわからないだろうか。すでにそれをやっている最中なのではないか。結果的にそんな状況を受け入れなければならないらしく、さらにあわただしい羽目に陥っているようだが、そんな風にして我を忘れて作業に打ち込めば、その間だけはくだらぬ感情やそこから生じている妄想を忘れていられるかも知れず、そんな心境になるのを期待しつつ、そこから先に歩を進めているような幻想を抱いていられるかも知れない。君は今まさに前進しているような気になって、何かわけのわからないことを口走りつつ、ようやくそこから遠ざかり始めたのかも知れない。それが勘違いでなければ幸いだが、実際のところはどうなのか。


4月7日

 結果を求めているわけではない。そんなことはわかっていたことか。何がわかっていたのだろうか。数日後の結果を予見したつもりになる。たぶんちゃんとしたことを述べているのだろう。彼はまっとうな人生を歩んでいるのかも知れない。何かから解き放たれて、自由な心境を得たつもりでいる。耳障りな説教など無視してしまうのだろう。他人がどう思っていようと、自分には自分の進むべき道でもあるのだろうか。しかしその自分とは誰のことなのか。何に見とれているのか。夜の風景の中に何を探し当てたのか。別に喜悦するほどのことはない。そんな言葉をさっきまで忘れていた。君に何ができるわけでもない。人にどんな役割があろうと、それを無視することもできる状況にあるのかも知れない。ではなぜそれを無視しないのか。何かの機会を得たらしい。そんなはずがないと思いたいのだろう。それは誰の心境でもありはしない。何が心境の変化なのだろう。別に政治の話をしたいわけでもなく、世界情勢について語ろうとしているのでもない。何がどうなろうとそれはどうでもいいことなのかも知れず、すべては君には関係のないことか。君に必要なのはどんな情報とも隔たることか。なぜそこから遠ざかろうとするのか。たぶん馬鹿げているように思えるのだろう。勝ち続けることは破滅することか。他人はどう思うだろうか。それについて何か考えがあるのだろうか。何も思い浮かばないのはどういうわけなのか。何を信じているのだろう。相手に対して隙を見せている。それが君の振る舞いに直結しているとすると、そこから何を想像できるだろう。本気ではないのかも知れない。現実を捉え切れていないのか。だから知ったかぶりはやめてほしい。どんな諫言も雑音にしか聞こえなくなる。それも冗談のたぐいなのだろうか。わかってくれないのなら、そのままの姿勢でもかまわない。君に何がわかるというのか。わかりかけていたことを取り逃がしている。そんな認識にうろたえているわけでもないが、どこから何がもたらされているわけでもなく、すべてが現実の一部を形成しているだけかも知れない。わけのわからないふりをしていようと、君はそれを痛いほどわかっているはずだ。何を痛感しているというのか。そんなことはどうでもいいことか。言葉を連ねる必要性を感じないらしい。君に何がわかるというのか。何もわからなければどうなってしまうのか。どうにもならない以前にどうにかなっている。それは君のあずかり知らぬ経緯でどうにかなっているのかも知れず、それについては完全につんぼ桟敷となってしまったらしい。述べている意味がわからない。わからないことばかりのように思えてくる。そこから何も出てこないような気がする。心の内側からではない。誰と誰が何を競い合っているのか。君にはわけのわからない言葉の連なりしかないのだろうか。それを所有しているわけではない。まだその先の状況を語らずにいたらしい。行き詰まりの先にそれとは別の行き詰まりがある。君にはなんの権利もない。それについて語る必要がないのだろうか。語っていることの意味を問いたいが、どこから何が返ってくる気もしない。誰の意識もありはしないようだ。君が導き出そうとしている空虚は、誰にとっても関心の薄い現象に違いない。誰かの無表情が何を訴えかけていようと、亀裂がさらに深まるばかりか。そんなことはわかっているはずか。感情の移り変わりを誰の文章が体現しているわけではない。少し頭を冷やして考え直さないと、そのまま流されていってしまうだろう。それが誰にとって好都合なのか。誰の主張を取り入れているのだろう。何を語るまいとしているのだろうか。そんなことはとうに忘れてしまったらしい。死人が君を手招きしている。それ以外の何に気づいたわけでもない。文字の並びから何か浮かび上がってこないか。気がつけばどこへも移動していないようだ。相変わらず以前と同じようなことを述べている。それは何かの呪文だろうか。誰に向かって呪いをかけているのか。何やら賑やかな音楽を得て、荒んだ気持ちも幾分解消されているらしい。少しは前向きなことを述べないと気が滅入ってしまいそうで、二度と立ち直れなくなってしまう事態は避けなければならない。本当にそう思っているのだろうか。今の君に何を忠告しようと馬耳東風か。正気を取り戻すには至っていないようだ。そんな嘘は毎度のことで、だからもう嫌になってしまったのだろうか。まだそこまで行っていないのではないか。どこかへ行きそびれていることだけは確かなようだ。死ぬ気にも生きる気にもなれないのが率直な感想か。何に感銘を受けているわけでもないが、何を読んでそう感じてしまうのか。何も読まなくなってから久しい。では遠慮なく振る舞うこととしよう。理由は不明のまま、何を述べているのかもあやふやに感じ続け、はっきりしたことは何も述べられなくなっているようだ。今は数日前の夜に違いない。闇夜に曇り空を見上げながらどこかへ移動している。他に思うことはない。


4月6日

 何を迷っているのだろう。意識の中で何かが凝固している。それを外界へ取り出すことができるだろうか。外の空間に意味が宿る。それはどんな意味だろう。君は何を見つめているのか。そこで何を知り得たのか。それを見つめているのは誰の瞳なのか。相変わらず妄想のただ中で言葉を弄している。何も見えていないようだ。君はそこから消え去ってしまうのだろうか。それは誰の言葉でもありはしない。またそこから修正を施さなければ、何を述べているのかわからなくなる。まだ目が覚めないのだろうか。夢を追い求めているとは思えない。具体的に何について語りたいのか。外では雨が降り続いている。なぜ君はそこに行かなかったのか。争いごとに参加するのが嫌いなのだろうか。権利を行使しないのはどういうわけなのか。気がつけばそんなことはどうでもよくなっている。君には何も理解できない。理解できるような話ではない。なぜ反撃に出なければならないのか。それが反撃だといえるだろうか。同じことの繰り返しでしかない。他に何を語るつもりもなく、ただそれだけのために言葉を連ねているとすれば、それは何だろう。何を否定したいのか。そこから抜け出ようとしてはいけないのだろうか。なぜ遠ざかろうとしているのか。限界がありそうだ。動ける範囲内で動こうと試みる。そんなわけにはいかないらしい。傷口から血が吹き出ている。それはマンガの中での光景だろう。真実を語っていない。事実に基づいた描写ではない。飽きているのだろうか。誰かは文字を記すことに飽きている。それが真実の一部をなしているらしい。君には何も変えられない。それは真実だろうか。傷口が痛むか。話が具体性に欠けているのはいつものことだ。まだそこまで行っていないだろう。何を理解しているのか。まだ何も語っていない。君はいつまでも負け続ける。それは誰に下された予言なのか。何が間違っているのだろう。一時的に雨が小やみになってきたようだ。順序が違っている。残された時間は誰のためにあるのでもない。何も見たらない。そこに解決の糸口が見えている。何を否定しているのか。あのときのことを今でも覚えている。君の話ではない。雨に濡れているだけか。なぜそんなことを述べているのだろう。理路整然としたことを述べてみたいものだ。意表を突いているだろうか。誰の感性を刺激したいわけでもない。君に何がわかるというのか。何もわからないまま、謎が深まってしまったらおもしろいか。それは謎ではない。理由になっていないのかも知れない。利いた風なことを述べている。なぜそんなことをやろうとしているのだろう。紙を破いてゴミ箱へ放り込む。つられて言葉も分散している。紙片に記された文字を繋げて、ありもしない話をねつ造したい。もう手遅れだろう。君は寒いのか。桜の季節ではない。文節変換に逆らっているのか。それで何がわかるだろう。外では雨が降り続いている。もうすぐ明日になりそうだ。まだそんなことにこだわっているらしい。現状を把握できていない。そこから一歩が踏み出せない。足の指先が痛んでいるようだ。わざとらしく首をかしげてみる。なぜそんなことをやっているのだろう。ただ言葉を連ねているだけか。それが奇妙きてれつな行為だとは思えないが、そこから遠ざかれないのは疑心暗鬼に駆られているからか。とどまることもできはしない。何をしてほしいわけでもないはずだ。何もできないからこそ、君はそこへとどまっているのではないか。それで安心できるだろうか。血がしたたり落ちている場面がおぞましいわけではない。ただ眠くなっている。目を閉じれば何が見えてくるだろうか。眠っている自らの姿を想像しているらしい。まだ意識はあるはずだ。どこへも行っていないようだが、そこから何を語ろうとしているのか。相変わらず無内容に固執している。それが君の意識でない証拠を導き出したい。何を血迷っているのだろう。まだこの期に及んでいないのではないか。それはどういうことなのか。死人の血では何ももたらせない。どす黒い墨絵を想像させる。意味がよくわからない。自然と行き詰まっているのかも知れない。ありもしない出会いを空想している。そこで誰に出会ったのか。何に遭遇したのだろう。驚きの色を隠せない。それは嘘に違いない。驚きを打ち消したいようだ。何も立派な人間になろうというのでもないらしい。くだらぬこだわりに殉じて生涯を送りたいのか。それが目的になっているのだろうか。ますます真意を測りかねる。嘘でないとすると、さっきまでも嘘はどこへ行ってしまったのか。なぜそんなことを述べたがるのか。さらなる困難に直面してしまうか。執拗に言葉を連ねている原因はどこにあるのだろう。まだ終わっていないのだろう。少なくともそう思っているようだが、どこからそんな認識が湧いてくるのか。無理を強いているのかも知れない。無理なのにさらなる文章を用意したいらしいが、それが難題だと思うなら、やめてしまえば済むことかも知れない。心にもないことを述べているようだが、それは誰の人生なのだろう。


4月5日

 まただいぶ間が開いてしまったようだ。現実の出来事から隔たっている。こだわるべき事象を知らず、何かに気づいていないようだ。結果的に君は何にこだわっていることになるのか。何を何から説明すればいいのだろう。それによって何かがもたらされるかも知れないが、そこにどのような思惑があろうと、誰かにはそれを利用する手だてを思いつけない。何もないのだから仕方がない。空疎なことを述べている理由を知りたいが、それを知ってどうするのか。たぶん何かからの作用なのだろう。そこから導き出されたどんな問題も枝葉末節なことか。たとえば豪腕とは何なのか。まるでサーカスのようなやり方に違いない。何かを見つめている気でいるが、まるで目の焦点が合っていない。君は君に出会ったことがあるだろうか。自然と意味が抜けていく。まだ力が抜け切れていないようだ。いつものようにくだらぬことを述べている現状がある。君はまだ嘘をついているのだろうか。そんな説明をされてもちんぷんかんぷんである。遠くから雨音が聞こえてくる。それは何に似ているのだろう。それらの形状は何を示しているのでもない。そんな風に述べているねらいを知りたいが、どこにねらいがあるのかわからない。語る目的がわからないか。たぶん最後は余分な言葉で締めくくられているはずだ。まだ終わっていないようだ。意味をなさないことを述べていたいらしいが、そこで取られている戦術が意味不明か。戦術とはどんなときに用いられるべきなのか。戦いを挑んでいる当のものに巡り会えない。そんなことがあり得るだろうか。首をかしげたくなるか。おかしいのはいつものことだろう。何がおかしいのだろうか。今さらそんなことは教えられないか。誰に何を教えてもらいたいのか。途中でやめてどうするのだろう。なぜそれに気づかないのか。何に気づけばいいのだろう。君が必要としているのは空虚などではない。愛とは何だろう。冗談のたぐいか。どこまでひねくれているのか。わざとそんなことを述べている。君にできることはそんなことではない。さらに言説を展開させなければならない。それは怠惰のなせる業か。何が退屈なのだろう。世間の話題について行けないか。それは誰の責任でもありはしない。あまりにも話の筋ができすぎている。死ぬほどの騒ぎではない。痛みが取れて肩の荷が下りて、肩こりでも治ったつもりになれるだろうか。説明が省かれている。失敗がつきものだ。失敗したいのではなく、成功したくないのだろうか。意味がわからない。何をどう述べても自己責任なのだろうか。ならばやめてしまえばいい。そんな台詞は聞き飽きたか。冗談で述べていたことが本当になってしまったのかも知れない。何が実現したというのか。現実に目を向けてみればわかることか。切磋琢磨といういがみ合いから何が生まれてくるのだろう。今さらごまかしがきくはずがない。様々な思惑が絡んでくることは確かだ。考えることを拒否している。それでは文章がつながらないだろう。それで楽しいか。海鳴りの音を聞いてみたい。それは嘘だろう。何となくそれでかまわないような気がしてくる。君はそこで何を忘れようとしているのだろう。思い出すべきことを忘れようとしている。また言葉が矛盾しているようだ。収集された情報が間違っていたのかも知れない。その誤りにまだ気づいていないらしい。そんな文章がどこにあるのだろうか。それは文章ではなく、文章以外の何かだ。いいわけじみた願いのどこが虚無を呼び寄せるのか。いつもそうではないと述べている。冗談で遊んでいる場合ではないだろう。どこからそんな言葉が導き出されるのか。それらの固有名を覚えきれないらしい。対決になっていないようだ。なぜか老化に歯止めがかかっている。君は意味を解さないことによってわけのわからない文章を記し続けている。それがごり押しにつながっている。無駄な言葉を組み合わせて何らかの文章が構成されていると思っている。それで何が地に落ちているのだろう。あるいは完全に気が狂っているのだろうか。そこまで考えたことがないのはどういうわけなのか。ならば何が冗談ではないのか。どういうわけでもなく、冗談であるわけもない。要するにすべてを否定したいだけか。そんな結論はありふれているだろうか。不快さのただ中に答えが提示されているようだ。君には何もできはしない。何を問いかけても何も返ってこないだろう。誰が返答に窮しているのか。なぜそんなことを述べているのか。それが返答でないとすると、何に対する答えを期待していたのだろう。まだ何を知りたいのか不明か。まとまらない文章にどんな結論が宿っているとも思えない。まったくちぐはぐなことを述べ続けているようだ。話の辻褄を合わせようとする気が起こらない。読んでいて退屈に思われてしまったら、そこで終わりなのだろうか。つまらない文章はまだ終わらないようだ。どうでもいいようなことが無気力気味に並べられている。その気にならないのだから、それはそれでそんな結論で満足すべきなのか。


4月4日

 そのとき君は何を耳にしたのか。動物のようなうなり声が微かに聞こえてくる。何とか認められたいのか。見当違いも甚だしい。絞り出すような低い声にはくだらぬ感情がこもっている。だまされてはならない。誰が誰をだまそうとしているのか。知識はどんなことに活用できるのだろう。言葉として意味を拒否している。人格そのものが認めがたい。それは誰にとっても災いをもたらすだろう。まるで意味をなさない言動か。今度は誰に標準を定めたのか。言葉は占い師の商売道具なのだろうか。架空の人格は真昼の閑散とした街中で何を知り得たのか。したたり落ちる汗は力仕事の証か。異なる時空が文章上で重なり合う。君は夢を見ているのではないか。あり得ないことを書き連ねる。ついでに何を覚えるのだろう。一瞬耳が聞こえなくなる。騒音で苛立ちが活性化される。無理をしているらしい。現実に動じないふりをしているが、頭が重いのは気のせいだろう。見えないところから何かが出てくる。まったく言葉になっていない。何かに感染しているのかも知れない。それが物語だとは思わない。カリスマ的な指導者に向かって何を語りかけているのか。さっきから一向に話が見えてこない。冗談で何か意味不明なことを述べているのだろうか。闘争の果てに矛盾が明らかになる。闘争こそが誰かが目指すべき目的を具現している。目的とは何だろう。君たちはなぜ立ち上がらないのか。少なくとも君に立ち上がる機会は残されていない。やはり冗談なのかも知れず、あまりにも事情に疎くなっているのだろう。馬鹿馬鹿しいとさえ思っている。君が黙らなければ他に誰が黙るのか。いったい誰を黙らせようとしているのだろう。誰の顔を思い浮かべているのか。物語は君を無視している。何も語らないうちに、季節が過ぎ去ろうとしているようだ。君はそこから遠ざかる。それはいつもの使い古されたフレーズに過ぎない。要するに意味不明なのだ。どこまでも何を語っているのかわからないままだ。それ以外に何を知ろうとしているのだろう。知りたくもない事実を突きつけられて焦っているのだろうか。首筋を伝って自然と冷や汗が流れ落ちてくる。誰かがそんな光景を思い浮かべて悦に入っているらしい。それこそ意味不明そのものか。現実を否定したくない。言葉の大地から何を絞りだそうとしているのか。何かを掘り起こそうとしているのかも知れない。あるいはその場の空気をつかみかけているつもりなのか。売り文句などあるわけがない。君にはそれが似合っている。あるのは空虚だけか。なぜ興味を持てないのか。それが何になるのだろう。それとは何なのか。それはいつもの繰り返しだ。具体的な事象をつかめない。意識は何も捉えられない。あるのはただの空虚だ。それも繰り返しの一種なのか。言葉が自然と繰り返されている。意識を無視しているようだ。他に何をしてほしいのだろう。また同じ言葉を繰り返さなければならない。要するにそこから離れたいのか。破滅を回避できなくなるだろうか。虚無がいっそう膨張しているようだ。同じ言葉を繰り返し記すことでそれがなされる。君にはうってつけの役割だろう。何を再生させたいのか。標的はそれとは別にあるのだろうか。何をねらっているのかよくわからない。何もねらっていないのかも知れない。それともやはりねらいは別のところにあるのか。君の目的を尋ねているつもりらしい。行間から何を見いだそうとしているのか。誰が何を告白しているわけでもない。今は懺悔の時ではない。裏声で何を歌っているわけでもない。不意に思い出したそれは、次の瞬間には忘れ去られている。それは誰の都合なのか。君に何がわかるというのか。決まり切った文句の中に何が紛れ込んでいるのだろう。ひたすら何かを描き続けている。それは誰の意志なのか。いつまでも続けられると思っているわけか。若さとは何だろう。また冗談を差し挟みたくなってしまったらしい。そこに何かが封じられているらしい。君はまだそんなことにこだわっているのか。さらなる回り道が待ち受けているのだろうか。まったく文章になっていない。群青色とは何か。残り香とは何なのか。工場の煤煙が懐かしくなる。それは信じられない光景だろうか。どこに火を噴く煙突がそびえ立っていたのだろう。天然ガスの炎だったかも知れない。ところでさっきまでのこだわりはどこへ行ってしまったのか。曇り空を見上げているのは君ではない。君の存在した時空ではない。なし崩し的にそれを認めざるを得なくなる。それでわかったことになるのだろうか。それで何をわかり得たのか。単調な言葉の連なりにどんな想いが託されているのか。過去の時空で誰かが言葉を連ねているようだ。それは誰の執念から生じている文章なのだろう。何を念じているのかわからない。この世の中がどうなってほしいのか。すべては娯楽に結びつけられており、それとは逆に仕事は軽んじられている。楽しみをもたらすことができないそうだ。何と何を比べているのか意味不明か。君に仕事などありはしない。それは事実か。


4月3日

 それについてどう語れば無難なのか。それが見当たらないようだが、それをどうすればいいのか。そういうことではない。ただそのときどういうことを述べていたのか思い出せない。安易に思い出すべきではないのかも知れず、まるで熱病にうなされているように振る舞うべきではないのだろう。そういう話ではない。それについて誰が熱く語ろうと、語っている当の内容がくだらなければ、それはどうでもいいことだ。君はまだ寒いのか。春はどこへ行ってしまったのか。寒さに震えながらたき火にあたっているわけではない。精神的な苦痛も時が経てば薄らいできて、たぶんいつかは下火になるのだろうが、加熱し続けているうちは、そんな状態を受け入れなければならないのか。何がそこでの問題なのか。それで何が変わるのだろう。重大な現象だとは到底思えない。結局自らを飾り立てることに懸命のようだ。他者に対して優位に見せかけるためには、とにかく格好をつけなければならないのか。それは自己満足に過ぎないのかも知れないが、気分がいいということは至上の価値なのだろうか。いくら自己満足を夢見ても、それは妄想のたぐいかも知れない。だが妄想であろうとなかろうと、気分が優れないのは困ったことだ。自己満足でもかまわないから、少しはおもしろいことでも述べてみたらどうか。つまらないに決まっている。決まっているならやめてしまえばいい。しかし君はそこで言葉を裏切っている。それはどんな言葉だろう。ただ嘘をついているだけか。ならばそこから嘘について考えなければならず、それを思考する必然性を言葉で示そうとする。そんなことができるわけがない。できもしないことをやるべきではないが、これがやらずにいられようか。結局はまるでとってつけたような言説に終始している。君は現実を甘く見すぎているのだろうか。切羽詰まってもう破れかぶれの気分か。なぜそうなるのかわからない。冷静に考えてみれば、語られていない事情がありすぎるような気がするのだが、それを今さら語る気にはならない。何をそんなに打ち消したいのか。このままでは誰が何を語りたいのかわからない。誰に何をわからせたいのか。わからなければ何か他に分析の対象でもあるのだろうか。何を分析しようとしているのか。現状分析ならくだらない。現状の何を否定すればいいのだろう。どこかで何かが崩れ去ろうとしているようだ。君に何がわかるのか。それを知りたければ、さらに言葉を連ねてみることだ。ひたすら語りたければ、虚無に近づかなければならない。安易に内容など求めるには及ばない。君は近寄るべき対象を間違えている。そこには何もないだろう。何もないから言葉があるのではないか。そんなのは屁理屈もいいところだ。何かの寄せ集めのような文章の中にどんな真意があるというのか。何がそんなに気に入らないのか。再構築できるわけがない。組み立てるための材料がない。語るに値する素材はどこにあるのだろう。何も思いつかなければそこで終わりか。他にどんな選択肢もありはしない。君はそれを知っている。終わりの季節を経験済みのはずだ。終わったあとから始めているのではないか。だがそれがどうしたわけではない。そんな風に語り出さなければ、そこから先へは進めないのではないか。先に進んでどうなるわけでもないか。どうしたわけでもなく、どうなるわけでもない。ただ走り続けている。そんな雰囲気を感じ取っているだけか。それがどんな雰囲気なのか説明が必要だろうか。誰かは説明済みだと思っていた。文章を記すのが面倒くさいのか。ならばなぜそこまで記してきたのか。そういう述べ方は好ましくない。君が語ろうとする何もかもが気に入らない。それが現実に基づいていないからか。そんな理由のもととなった文章が見当たらない。何を指し示しているのか。誤謬だらけなのが気に入らないのか。そんな問題ではないはずだ。問題そのものを探し出さなければ、何も述べていることにならないのだろうか。ではこの世の何が問題なのだろうか。何を長引かせているのだろう。言葉はどこからどこまで連ならなければならないのか。君に何がわかるというのか。くだらぬ意志を捨て去るべきなのか。何をしようとしていたのか。捨て去るべき意志を見つけられず、何もできずに目が覚める。現実とはいかなるものだろうか。何も語れない現実があるらしい。誰に助けてほしいのだろう。君が助けられるわけではなく、他の誰も助けられない。それがそれらの文章が述べていることだ。君はどこへも行かない。それが現実なのだから仕方がない。何もできない現実の中で、言葉を連ねることもできはしない。そんな話をどこかでしていた記憶がある。それは誰の記憶なのだろう。君には何が見えているのか。誰かと誰かが我慢比べをしている。馬鹿な話だが、それを乗り越えなければならないようだ。だが敵を倒して乗り越えたことになるのか。そういう話ではない。君はそんなマンガを読んでいるだけだろう。現実はそうではなく、どんな敵も受けつけないような話なのだ。


4月2日

 どこかで状況が切羽詰まっているらしい。君はなぜそんなに語りたがるのか。語りつつある君にそんな疑問は似合わないか。似合うに合わないの問題ではなく、何が問題なのかわからないだろうか。結局人は自分にとって都合のいい解釈を求めたがるものだ。それがそこでの罠なのかも知れず、いったんそこで躓いてみなければ自らの思考的な欠陥に気づくことができないらしい。しかし何をそんなに浮き足立っているのか。世の中はそんなことばかりではないはずだ。しかし破滅のきっかけとなりそうな事象をそのままにしておくわけにはいかないだろう。それがどのような結果をもたらそうと、その結果を真摯に受け止める必要があるのかも知れない。そしてそこから先につながる展開を見極める必要があるのかも知れないが、まさか誰もが破滅の一歩手前で踏みとどまろうとしているわけでもないはずだ。何もそこまで待つ必要はないだろう。そういう話のくだりには必然性が伴わない。まだ具体的には何も述べていないではないか。さっきまで何について語ろうとしていたのか。今さらそれを思い出そうとしているわけではあるまい。苦労して現在の日付に近づこうとしているようだが、そんなやり方はもう廃れてしまったのではないか。だから怠惰に流されたふりをしながら、何を語ろうとしているのかわからなくなる。語る理由が見当たらないのはいつものことだろう。だからそれは乗り越えるべき苦難ではないのかも知れないが、他に気になって仕方がないことでもあるのか。さっきまで何を考えていたのか。気がつけば思考が偏った方に向けて発動しているらしい。それの何が問題なのか。そんな生ぬるいやり方では目的を達成できないか。結局うまいやり方を思いついても、そのときだけの効果しか得られないようだ。そんなことをいくら述べても無駄だろう。勘違いは誰にでもあることか。誰かがつまらないことにこだわりすぎているのはすでにわかっていたはずだ。わかっていながらそれを放置し続けたのは誰の落ち度になるのだろうか。君はそこからどのような修正を施さなければならないのか。いったい何を反省しているのだろう。何か反省すべき点を思いつくだろうか。誰に何を課しているのか。それでうまくいくはずがない。君は知っていてそれを放置し続けてきた。それでどんな結果がもたらされたのか。見たとおり知ったとおりの結果か。何を見たわけでも何を知ったわけでもない。ならばそこから延々といいわけが続いていくのだろうか。何を述べているのかわからない。つまらぬ同情を惹こうとしているのではないか。確かにそういういいわけもあったかも知れず、今それを思い出したところか。とっさに何を引き出しているのだろう。すでに破滅の言葉は取り除いてしまったのか。呪詛に惑わされるべきではない。惑わされているのは誰なのだろう。惑わされているとすれば、それは誰にとっても必要のない言葉だからか。虚無が何をもたらしていようと、それはどさくさ紛れに出てきた言葉でしかない。そんな状況で君に何ができようか。機会は失われ、何かをやるべき時はすでに過ぎ去ってしまったのではないか。ではもはや取り返しのつかない状況になってしまったのだろうか。今頃になって君にとやかく言われる筋合いはないか。そういう意味不明な文章に対する応答は後回しにしてほしい。だがそれで何を語っているつもりになれるのか。それを誰が知りたいのだろう。君に何を語る時間が残されているのか。どこに言葉を記す余白が残されているのだろう。さらにつまらないことを述べているようだ。なぜそんなことには興味が湧かないのだろうか。誰が何をやろうとどうでもいいと思っているのは、君がその場に立ち会っていないからだ。それとこれとは状況が違うだろう。ただわからないだけではそうはならないはずだ。目的がどこにあるのかわからない。君にはそれがわからない。たぶんそんな言葉の連なりでは意味をなさないのだろう。何を述べていようとそれは無駄な言葉の連なりだ。そんな風に述べてはいけないのかも知れず、そんなことはわかりきったことだろうが、そんな成り行きしかもたらせないのだとすれば、それは当然の結果なのだろう。結果でさえなく、結果以前の過渡的な状態なのかも知れないが、そこから先がどうなっているかは、実際にそこへ行ってみなければ何ともいえない。しかしいつになったらそこへたどり着けるのだろう。まだ当分は迂回路の途中で道に迷っているだけか。ではさしあたってそれについて何を述べればいいのか。そればかりでは退屈な文章となってしまい、語っている途中で嫌気がさしてくる。何もない苦難をどうやって乗り切るつもりなのか。ただ黙って災難が過ぎ去るのを待っているだけか。そんなことが誰に可能なのか。見えている惨状を見て見ぬふりをしている。そこにとどまるべきではない。だから君をさらに遠ざけなければならず、その遠ざかりの途中で、言葉を組み合わせて、何か述べている風を装わなければ納得しないらしいが、誰を納得させようとしているのだろう。


4月1日

 やっと今月に入ったらしいが、相変わらずの無内容だ。いったい世の中の何を批判したらいいのだろうか。見聞する何もかもが馬鹿馬鹿しいとは感じないが、それに近い心境を装うのは容易なことだろう。要するに嘘をついているわけか。つまらぬゲームに夢中になるわけにはいかないのか。参加してみればそれなりにおもしろいはずだ。なぜ何もやる気にならないのか。それは冗談のたぐいだろうか。ただしゃにむに突っ走ってきたわけではない。いいわけとは何なのか。それがどんないいわけと見なされるのか。いったい何に絶望すればいいのだろう。悲劇の主人公を演じるような話の内容ではない。ただ何もない。では希望とは何だろう。何が起こることを期待しているのか。それは天災のたぐいだろうか。地震ならいくらでも起こるだろう。誰に課せられた使命でもない。苦難をくぐり抜けることではないらしい。論点も争点もないような世界に暮らしている。まったくお話にならない。何を馬鹿にする気も起こらず、何を顕揚しているわけでもなく、何を賞賛する気も起こらない。それが否定的な態度に結びついているのだろうか。何を否定しているつもりになれるだろう。意識は内にも外に向かわず、どこを向いているわけでもない。何もあるわけがないだろう。何かあるとすればそれは何なのか。ため息混じりに何を思っているのか。そんな言葉遣いはやめた方がいいだろうか。気がつけばそんなことを述べているらしい。それは誰でもない誰かの意識のようだが、そんな意識を利用して、空疎な言葉ばかりが自然と連なっている。文章上に怠惰な気分が漂っている。本気になっているとは思えないが、今こそ真実を語らなければならないのだろうか。気がつけばやけに辻褄を気にするようになっている。何かに言葉が共鳴しているらしい。それは君の意識だろうか。君にどんな思惑があるのだろう。何を持ち合わせているというのか。たぶん虚無以外のすべてを持ち合わせているのかも知れない。そんな嘘は通用しないか。何を通用させようとしているのかわからない。同じような言葉を組み合わせて、それとは違う文章を構成したいらしい。今はいつなのか。夜になれば自然と眠くなるだろう。君は感情の持ち合わせがない。ひたすら無感動を装い、斜めからものを言い、斜に構えながら皮肉をかろうじて醸し出す。今の君にはそれがやっとだ。それは何かの呪文だろうか。何を呪っているのだろう。何もなければどんな感情も湧いてこない。それは真実の無感動なのか。そうなってくれれば気が休まるか。ありもしない心境に染まることもないだろう。君はそこで何を見誤っているのだろうか。見損なっては困るものとは何なのか。チンドン屋のたぐいか。うるさくて気が休まる暇がない。何を強要しているのか。それがすべてではないだろう。すべてでなくとも、ある種の疚しさを導き出せるか。感情にまかせるわけにはいかないか。それのどこが感情なのだろう。素早い身のこなしとは言い難い。変わり身の速さも時には必要か。修復不可能なほどの隔たりでもねつ造したいのか。わざと無視していることがバレバレだろうか。仮にそうであったとしても、それをやめるわけにはいかないらしい。今さらの寛容さは負けを認めることになるだろうか。誰が誰に負けたことになるのか。ただの殴り合いに明け暮れるマンガの登場人物にはなりがたいか。ならば君はそこで何を発見したのか。それ以外の状況が導き出されている。それとただの虚無とは思いたくないか。では何なのか。何でもなければ、ただの誤謬に過ぎなくなる。何かを適当に間違っているようだ。矛盾した言葉の組み合わせを導き出せて満足しているわけか。少しは期待していいのかも知れない。何を期待しているのでもなく、期待の外に絶望があるわけでもなく、どうなることを期待することもなく、ただ期待しているだけか。この世から何がなくなってしまうのだろう。何を待っているわけでもなく、何の到来を期待しているわけでもない。しかし何を否定しているのかわからない。まともになることを拒否しているのか。まともになるとはどういうことなのか。いっぺんにやろうとしても無理なのか。何をやるつもりでいたのだろう。何ができるわけでもない。ただ文字を記しているだけか。それは偉大なことでも酔狂なことでもなく、何でもないことだ。君が何を知っているとも思えない。ならば君はそこから何を述べるべきなのか。述べる理由が見当たらない。それはアルファでありベータである。理由になってないだろう。文字を記す理由を探しているわけではない。理由もなく何を述べているのか。君には覚えがある状況に近づきつつあるようだ。君はいつどこで破滅したのだろう。くだらぬ予言にひれ伏すときが訪れるのだろうか。何をそんなに恐れているのか。何ももたらせないことがそれほど恥辱であるはずがない。誰もが知っていることだ。知っていながら何も述べようとしないだけか。ではそれについて君は何を知っているのだろう。何を知らないふりをしているのか。