彼の声3

1997年

11月30日

 おそらくお互いわかりあうこともないでしょう。でもそれでいいんですよ。表面的なコミュニケーションで結構です。言葉と意味のすれちがいで構いません。お互いの接点なんかを捏造するのはなしにしましょう。その存在さえ許すことのできない他人が存在することを認めましょう。自分とはまったく別の人間がこの世に実在していることを理解しましょう。もちろん、自分の立場を他人に理解させる権利はあなたにあります。しかし、相手はそれを理解しないかもしれない。自分のことをわかってくれない他人の存在を容認できますか?容認しようがしまいがどちらでも構いません。ここはどちらでも構わない場所なんですよ。何でもありの言葉だけの空間なんです。言葉しか存在しない架空の世界です。ここであなたの常識が反映することはありません。ここでは常識は存在しませんから。ただ一方的に出鱈目な言葉が適当なタイミングで紡ぎ出されるだけです。別に何か特定の目的があるわけではないのです。何らかの特別なメッセージを伝えようとしているのではありません。ただなんとなく書いているだけです。意味のある内容などを期待しないでください。読んでくれなくても構いません。これは読むための文章ではありません。人に読まれることを拒否する文章を書いているのです。ただ書かれた文章です。読者の存在を想定できないレベルにまで文章の質を高めなければならないでしょう。もはや誰も読めない文章が完成するまで書く営みは続けられることでしょう。誰の視線をも拒否してどこからも見向きもされない文章が生まれる時に向かってこの行為は続けられるのです。それこそが究極の書く行為です。意味の伝達から解放された言葉だけの自由空間を構築するのです。それは死の世界かもしれません。しかし言葉は元から死んでいるのです。物質から言葉への変身する瞬間に死ぬのです。意味などというものは幻想です。所詮イメージでしかありません。何の価値もないのです。言葉に意味が付いてくるわけではありません。勝手に言葉から意味を連想しているだけです。そうやって言葉が死んでいる事実を忘却するのです。人間は自分の死を直視できませんよね。死の現実から遠ざかるために魂などというものを設定するんですね。人が死んでもその霊魂は不滅だとかの気休めを捏造してしまうように言葉に意味を設定してしまうのです。そんなのはごまかしですよ。言葉は言葉でしかありません。言葉は既に死んでいるのです。空気の振動となって発音されるか文字となって痕跡を残すだけであり、それが実体やら実質なんかを伴っているわけではないのです。とまあ、こんな出鱈目なことを書いてみました。ただ書いてみただけです。以上に述べたことについて別に真剣に考えているわけではありません。なんとなく即興で書いてみただけです、とどうでもいい言い訳を述べつつこの文章は終わります。


11月28日

 また何かくだらないことでも思い出してみようか。そう、記憶の闇の中から過去の断片を再結晶させるのさ。それが可能だと思い込むことが肝心さ。本当は何も語りたくないんだ、なんて本音を思わず漏らしてみようか。なかなか凝っているだろう。こんな感じで最初はやる気なさそうでけだるい雰囲気を演出するんだ。そしてだんだんマジになる。嘘だよ、マジなわけないだろ、こうやってはぐらかしの合いの手なんかを入れちゃうよ。ほら、もう何を語っているのか意味不明になってきただろ?これだよ、この感じだ、この軽快さが必要なんだ。もうどうでもいいのさ、どうなろうと知ったことじゃないよ、この先の展開なんか予測できないね、コントロールの放棄だ、どこへでも行くがいいさ。何も求めないし何も創り出さない。どこかわけのわからない場所に迷い込んでしまったんだ。ここから抜け出すことは不可能かもしれない。道がないんだ。自分で道を切り開こうとも思わない。何もない場所でただ散り散りに発散しているだけだ。言葉が断片化している。意味として再結晶化することもないだろう。記憶は闇のまま漂い続けているんだ。何かを思い出したのか?そんな事はどうでもいい、知らないし知り得ないだろう。どこかへ行きたいのか?ここではないどこかへ。それが逃避願望さ、何もかも放り出して現実を忘れたいんだろう。そうだ、夢を見ていたいんだ、夢を見続けていたいのさ、夢のまま生きて行きたいんだろう。でも今ある現実が夢だよ、いくらでも現実という夢を見続けていろよ。君に都合のいい夢ばかりじゃないはずさ、悪夢だって夢には違いないだろう。夢と現実に境界があるわけじゃないんだよ。世の中そんな都合のいい成り行きにはならないんだ。君は現実を夢見ているだけさ、自分にとって都合のいい現実をね。本当の自分なんてどこにもないよ、夢の中に偽の自分が虚構として存在するだけさ。ようするに存在することさえできないんだ。自分が存在しているように夢見ているんだ。ところで、今までの話はなかなかイカすだろ?あまりにも馬鹿げていてついて行けないかい?それでもいいよ、どうでもいいことさ、投げやりなんだ。もう何もわからないし、ただ錯乱を装うまでさ。本当は夢なんてどうでもいいんだ、もちろん現実だってどうでもいいけどね。何を言いたいかって言うと、何も言いたくないんだ。気の効いた冗談を飛ばすのにも退屈してしまうんだ。冗談なんて思いつかないよ。ジョークなんて無能者の言い訳さ。本気じゃない奴なんてゴミだよ。でも、こんな風にアジテートするとその気になる馬鹿がいるのだろうか?もちろん馬鹿であっても構わないよ。自分が馬鹿なのを自覚している奴は立派なものさ。でもそんなことでさえどうでもいいんだ。いちばん救いようのないのは真面目な奴だね。馬鹿より低レベルだよ。しかし、それでもいいんだ。すべては救いようがないんだから馬鹿でも真面目でも構わないんだ。すべてを肯定してあげよう。「これでいいのだ!」これはバカボンのパパのセリフだ。


11月26日

 誰でもいいはずさ、別に君でなくてもいいんだ、仮に君が今そこで仕事を辞めたって構わない、死んでも構わない、代りならいくらでもいるよ、え?才能がないとだめだって?君には君独自の個性があって、君は君でしかなくて取り替えがきかないだって?馬鹿だなあ、それは君が実際にその場所を占有している結果から生じている幻想だよ、君がいなくなれば誰か他の人が君の代りにその場所を獲得するまでさ。例えばその場所が居心地のいい場所なら、そこをめぐって複数の人間による獲得競争なんかが繰り広げられるんだろうけど、別に才能のある奴が最終的にその場所を獲得できるわけではないんだ。結果として獲得した奴が才能があると見なされるまでさ。だいたい同じ場所めぐる争いなんて同じような奴等が競うんだから、巡り合わせやタイミングの善し悪しで勝者が決まっちゃうって説明した方がより説得力があると思うけどね。でも結局そんな説明なんかどうでもいいことなんだよね。それにどこの誰が現在の君の立場になっていてもよかったのに、現実には君がその場所を占めていることなんて何も重要ではないんだ。君はかけがえのない存在などではないよ。移ろいやすく常に外界からの変化の圧力に晒されている現代の大衆社会が創り出した群衆の中のひとりが君自身なんだよ。だいたい君が自分の個性だなんて思っているのはもともと君自身の内部には存在しなかったものだろ?外の世界から影響された結果として身についたものを安易に自分の内部から発生した個性だと思い込んでいるだけのことさ。つまり、外からの変化を自力の変化だと思い込ませる装置が外界からの変化の圧力に無抵抗な群衆を大量生産させるわけだ。それこそが自分が群衆であることに無自覚な群衆を大量生産大量消費する現代社会の自然構造さ。そういう群衆が、自分が独自の才能や個性や思想を持った世界でひとりしかいないかけがえのない自立した人間だ、なんていう紋切型を夢見ちゃうわけだね。そんなことを考えた時点で既にありきたりな群衆のうちのひとりでしかないのに、ますます独自の才能や個性や思想を追求して行って、ますます群衆に溶け込んで行っちゃうのさ。こうして喜劇的に悲惨な末路をたどって「才能豊かで個性にあふれていて独自の思想を持った自立した人間」という群衆が大量生産大量消費されちゃうんだよ。まあ、外からやってきた変化によって自分が変化していることを素直に受け止めなくちゃね、そして自分が群衆の中のひとりでしかないことを積極的に肯定してみることだね。世の中には群衆しか存在しないんだ、君は群衆以外にはなれないよ、既に君は群衆の中のひとりじゃないか、そうだろ?違うとでもいうのかい?でも群衆であることを拒否するのも君が群衆である証拠さ。


11月24日

 スペースシャトルのニュースを見ていて思ったんですが、ようするに乗組員は究極の現場作業員ですね。ロボットアームを操作するミッションスペシャリストはユンボウ(パワーショベル)やユニックやクレーンのオペレーターと同じだし、土井さんのように宇宙遊泳をする人はまさに鳶職だもんね。そうするとシャトルを操縦している人は現場まで作業員を送り届けるマイクロバスの運転手さん(親方が多い)かな(笑)。こうしてみると宇宙飛行士は今世界でいちばん脚光を浴びている職人さん(肉体労働者)ですね。でも考えてみれば画家だとか彫刻家なんかの芸術家も昔はみんな職人さんだったんだよね(今もそうかもしれない、特に陶芸家などは)。しかし、芸術家と職人さんの違いは作っている物が実用品として役に立つかどうかだと思うけど、世の中では実用からはかけ離れたただ眺めるだけのオブジェを作っている芸術家の方が尊敬されちゃうんだよね。陶磁器なんかはそれに製作者の名前が彫り込まれちゃうと、それは芸術作品になるのかな。うーん、まあ芸術作品になるにはいろいろな要素があると思うけど、別にそれが美しいだけで芸術作品であるとは限らないよね。例えば織部や志野などのいびつな形の茶碗は、別に下手なんじゃなくてわざといびつに変形させることで味わいのあるゲイジュツになっちゃうわけだ。ピカソなんかはもっと凄いよ。何しろ彼の歪んだ絵を不快に感じる人が増えれば増えるほど、逆に彼は偉大な芸術家として世界に認められたわけだからね。アンディ・ウォーホルなんかもっと凄いよ、ただキャンベルのスープ缶を描いただけだよ。なんだそれ、でもそれがいいんだよね、よく言葉で説明できないけれど、それが良く思えてしまうんだ。他にもキャンバスをただ黒く塗っただけの人もいるよね、名前は思い出せないけれど。そんな「黒い壁」でもそれが美術館に展示されていると、なんとなくそれがゲイジュツだと思っちゃうよね。まあ、それは様々な紆余曲折を経てそうなっちゃったんだから仕方ないのだろうけど、最終的に「黒い壁」に行き着いちゃった人ってそれがいったいなんなのか、言葉なんかじゃ絶対説明できないよ。そうなると意味不明理解不能の世界だよ。描いた本人でさえそれについて皆が納得できる説明はできないんじゃないかな。こうなると月並みな言い方だけど、人間の作り出す物には様々なレベルで様々なヴァリエーションがあって、それらが様々な価値基準で評価されている、って言ったらいいのかな。でもやはりそういう説明では物事の本質から外れてしまうよ。何と言っていいか微妙なところなんだけれど、人間の理解を超えたわけのわからない物が人間によって生み出されてしまうことに、驚き、不快に思い、そして感動してしまうんだ。それから、自分の理解できる範囲内の言葉で必死になってそれを説明しようとして、その作品がもたらした自分の価値観が崩される恐怖から自身を守ろうと努力するわけだ。理解できない不条理よりも安心できる言葉の確実さにすがりつくんだね。しかし、こんな説明でもやはり本質からちょっとずれているかな。ほんと、うまく説明できないや。


11月22日

 記憶の断片から何が構成できるだろうか、何を思い出そうとしているのだろうか、今のところ何も思い出せない、かつて何も思い出せなかったときが何度あっただろうか、何も思い出せなかったとき、自分は何をやっていたのだろうか、何も思い出せずに途方に暮れていたんだ、少なくとも途方に暮れていたことは思い出せる、今はどうなのか、今も何も思い出せずに途方に暮れているのではないだろうか、途方に暮れたままどうすればいいのかわからないのではないか、どうすればいいんだ、思い出すんだ、何も思い出せずに途方に暮れていたあのころを思い出すんだ、思い出してどうなるというのか、どうにもならない、ただ思い出せばいい、途方に暮れていた記憶を思い出せばいいんだ、あのころは途方に暮れたまま何もせずにただじっとしていたはずだ、何もやる気がなかった、今はどうか、今もやる気はない、ただこうやって書いている、こうやってやる気がないと書いている、しかしここからどうするんだ、ここからどのように展開させるつもりなんだ、何を書こうとしているんだ、思い出を書こうとしているようだ、やる気のない思い出、無気力な感覚、停滞していた気持ち、それを書き留めようじゃないか、書き留めることなんてできるのか、と書き留める、こうやって書き留めればいいんだ、これが思い出そうとしていたことだ、何も思い出せない思い出だ、としておこう、書き留めることを思い出したのか、そのつもりのようだ、これを思い出したんだ、このやる気の無さを思い出して書き留めたんだ、今書き留めつつあるやる気のない記憶が過去からよみがえりつつあるようだ、そうだ、こんな感じだったはずだ、この調子なんだ、こうやって無駄話を続けていたんだ、こうやって意味不明な文章の連なりを記入してきたんだ、こうやってごまかし続けてきたんだ、何の用途にも適合しないこれらの文章が生まれつつある、暇つぶしの娯楽にさえならないまったく内容の皆無な言葉の群れが今生成される、こんな記憶が過去のどこに存在したというんだ、まるでこれは偽りの記憶ではないか、でっち上げだろう、何かを思い出す振りをして結局偽の思い出を捏造してみせたのか、いや、偽の思い出ですらない、こんなものは思い出ではない、思い出せない思い出を思い出すことを口実にして嘘の文章を書き続けてきたんだ、汚いやり口だ、しかし、こうしない限りこの文章は生まれてこなかっただろう、もはやこんな風にでもしない限り書き続けることは不可能なのかもしれない、書き続けることの困難さからこのような苦し紛れのごまかしが生み出されたのだろう、だが、これは一度限りの貴重な文章でもある、こんな文章は二度と書けないのかもしれない、こんな内容のない馬鹿馬鹿しい文章は二度と書きたくないが、また書いてしまうとしたら、その時は更なる困難に直面する気がしてならない、その時が終わりの時かもしれない。


11月20日

 なんでだろう、またですか、そうなんです、またモノローグなんです、いつまでやる気なんですか、わかりません、少なくともまだ続ける気のようです、確かに既にうんざりしていることも事実です、こんなことやめるのが一番いいのですが、どうしても逆らってしまうのです、それがなぜなのかわかりません、たぶんわかろうとしないのでしょう、わかることを拒否しているのです、自分が書けない現実を認めたくないのでしょう、何もないのにこうやって書けてしまうことを自慢したいのでしょう、強がり痩せ我慢意地っ張りといった類なのかもしれません、でもそんな貧困なる精神でもこうやって書けてしまうのです、ゴミでしかありませんが、こうやって書けてしまうのです、さあ、今回はどのくらい書けるでしょうか、あまり自信はありませんが、適当な長さになるように努力してみます、と抱負を述べてみましたが、既に書いているみたいですね、とわざとらしく書いていますが、内心これで文字数が少し稼ぐことができた、とほくそえんでいるんです、でも既に次に書く言葉が浮かびません、どうしましょうか、まだ短すぎるのでここで終わるわけには行きません、何とか続けなくては、と焦っています、そうだ、ここで挫折して、話題を変えて、別の方向に話を進めてみましょう、どんな話題にしようかな、何か話題が浮かぶかな、うーむ、何も頭に浮かばないなあ、何も心に浮かばないなあ、どうしましょうか、そうだ、ニュースでも見てネタを捜しましょう、そういえば、エジプトで銃撃事件があったね、日本人を含む六十数人が死んだよ、イスラム原理主義ですか、武装闘争は出口がありませんね、原理を守るには過激でないといけないからね、過激であるためには自分の属する集団が他のすべてから際立った存在であり続けなければならないし、ただひたすらに過激で前衛でなければならない、それが永久革命闘争だ、本当に出口がないよ、組織が内部崩壊するまで過激な闘争は続くんだね、そこでは人の命より組織を維持するための原理が優先されるわけだけど、そのためには組織からの離反者が必要なんだ、裏切り者だね、裏切り者を粛正することが組織の内と外の差異の認識を構成員に自覚させるんだ、その差異が組織の原理なんだね、そういうことだ、我々は他とは違う選ばれた戦士だ、我々は同じ原理の下に同じ目的を遂行するために集まった同質の集団だ、しかし、我々の中には外からの誘惑に負けて目的の遂行を怠っている裏切り者がいる、そいつは我々の組織を別の目的に導こうと企んでいる、組織の転覆を謀ろうとする者すらいる、政府から派遣されたスパイも潜んでいるかもしれない、組織内の引き締めを図らなければこのままでは組織が崩壊してしまう、裏切り者を探し出せ、少しでも不審な行動をする奴がいたら直ちに報告せよ、人民裁判を開いて吊し上げだ、組織内の規律を乱す不心得ものは断固粛正すべきだ、疑いを持たれた人間は神に誓って人民法廷の場で自分で身の潔白を証明しなければならない、そこで証明できなければ有罪を宣告する、お前は有罪だ、罪状は組織に対する裏切り行為だ、裏切りは死を意味する、これが組織を維持するための内向きに作用する力だね、この力が強ければ強いほど、粛正の嵐が厳しければ厳しいほど、その反作用としての外に向かう攻撃性が強力になるんだ、命知らずの危険な集団になるわけだ、組織のためなら自爆も覚悟さ、死んでもいいんだ、死んでもいいならいくら残虐になっても構わないさ、死ねば神が天国に導いてくれるよ、何も心配することはないさ、すべては神の御導きだ、こうなるとやはり出口がないね、でもこれは単なる妄想から発生した創作だよ、イスラム原理主義とはあくまでも関係ないよ、言うまでもなく、イスラム原理主義集団のすべてが過激派であるわけでもないんだ、そのほとんどが地域に根差した心やさしい相互扶助組織みたいなのものなんだよね、病院や保育園などをやっているところもあるんだ、というフォローを入れておいて、イスラム教徒の皆さん、これを読んでも本気にしないでね、死刑宣告は御免だ、自分は命が惜しいよ、なんだか今回は恐いね、ぞくぞくしちゃうよ、こんなマイナーなページでもまさかってことはあるからね、安易に人の悪口は言えないね、もう遅いか。


11月18日

 簡単に言えば、世の中には互いに対立し合って両立し得ない様々なシステムや制度がお互いに絡み合って摩擦や軋轢を生じながら共存している、って言えばいいかな。ぜんぜん簡単じゃないね。でも単純化すれば嘘になるからこんな風にしか言えないよ。だけどこんな風に言ってみたところで何も解決しないね。解決は不可能だよ、それらを解決しようとすることは、実際に生じている対立や摩擦や軋轢を隠蔽することでしかないんだ。そう、隠蔽し無視して忘れ去ることだ。そんな事しかできないんだ。つまり解決は本当の解決ではないんだよね。でも実際そんな風にごまかしていないとやってられないんだろう。昨日北海道拓殖銀行の経営破綻が明らかになったけど、結局公的資金で預金者保護をやって、銀行がつぶれても預金や債権はそのまま別の銀行に引き継がれて、取り付け騒ぎは回避されるってわけだ。結構な解決方法じゃないか、たいしたもんだよ、資本主義も世界恐慌時代から比べたら少しは進歩したのかな?でもそれは一種のごまかしだよ、経営破綻をできるだけ穏便に済ませて金融システムを維持しようとするごまかしだよ。でも、そうしないと日本経済の国際的な信用が保てないんだそうだけど、そんなごまかしで信用が維持されるとしたら、国際的な信用秩序っていったい何なんだろうね?よくわからないね、株価はそれで一時的に急上昇したけど。まあ、中小企業ならいくらつぶれても知らん振りだろうけど、経営破綻したのが大手都市銀行だから周りに影響が広がらないようにそうせざるをえないんだろうね。表向きは自由主義市場経済の振りをしていて、いったん問題が表面化したらごまかしで取り繕うのが賢いやり方のようだね。それが安定経済を維持するためのとりあえずの最善策ってわけだ。でもそうやって現状維持の延命策ばかりやっているとあとが恐いよ。一部で生じている矛盾やひずみを隠蔽したまま放置し続けると、やがてそれが全体に波及して、仮に信用秩序そのものが崩壊したときに物凄い反動となって社会全体を覆うだろう。なんちゃって、まるで予言者みたいじゃないか、書くことがなくて困ったときにはこうやって評論家の真似事でごまかすのが一番だね。でも評論家の真似事で「書くことがない」という本質的な問題が解決できるだろうか?できないね、いくらその場その場で評論家の真似事をして取り繕っても、依然として書くことがない現実は変わりないんだよ。ほんとに書くことがないんだ、でも書いているんだ、こうやって一時凌ぎのごまかしで書いているんだ。つまりこうやって書くことは、書くことがない事実の隠蔽なんだよ。でも書くことがないことがそんなに本質的な問題なのかなあ?大体書くことがなかったら書かなけりゃいいじゃん、なんで書いてるんだよ?そこが問題なんだよ、書くことがないのに書いているのが問題なんだ。ありゃまあ、また問題かい?問題の捏造がうまいねえ、感心しちゃうよ。ようするに、こうやって問題を捏造しちゃうのが問題なんだね。まただね、また問題を捏造したね、ほんとに呆れちゃうよ、そういう無限問題捏造体質がそもそも問題なんだ、ってすかさず問題を捏造しちゃったよ、どうだい、呆れただろ?これこそ問題だね、問題の無限循環だよ、どうだい、カッコイイだろ?馬鹿なんだよ、ほんとに。


11月16日

 なんだか脈絡ないんだよね、適当に成り行き任せで書いて、ちょっと長くなったらすぐ終わりにしちゃうし、まったく、内容が支離滅裂だし、一貫性がないよ、まとまりがないよ、断片化してるよ、常軌を逸してるよ、悪質だよ、卑怯だよ、空虚な戯れだよ、創造する以前に崩壊してるしね、分裂してるし、欠落してるし、何もかもが不調和なんだよ。もう知らない知らない、やってられないよ、でも、この先どうなっちゃうのか考えると恐ろしいね、馬鹿馬鹿しいね、不愉快だね。でもなんで内容がないのにこんなに書けちゃうんだろうか?主題ってもんがまるっきり抜け落ちているじゃないか。何もないのになんで書くんだ?書く動機も素材も見つからないのに、まるで、書こうと思う前に既に書き始めちゃってるみたいだね、こうやって今書いているように。しかし書く以前に書かれたこれらの文章っていったい何だろう?また疑問かい?懲りないねえ、まったく、こんな疑問ばかりだよ。でも、いったい何だろう?って今までいったい何回書いてきたんだろうね?ようするに、こういう疑問によって文章を持続させているだけじゃないのか?結局何も語ろうとしないし、無意味な内容ばかりを書こうとしてるじゃないか。つまり、語ることに逆らい続けて語り、書くことに逆らい続けて書いているんだよね。そしてそこから、それがいったい何なんだ?という疑問が生まれてきちゃうのさ。でも、こういう説明自体が、それがいったい何なの?それに何の意味があるの?っていう疑問にまたもやつながっちゃうんだよね。まったくだ、すぐに安易な疑問に行き着いちゃうんだよね、そうだよ、無意味な疑問の永久繰り返しだよ、そうやってこのしょうもない文章を持続させているんだ。ふざけたやり方だよ、馬鹿な話だよね、でも続いちゃうんだよね。そう、続いちゃうんだ、まだまだ続いちゃうのかな?そうだよ、その疑問によって続いちゃうんだ、くだらない話さ、まったくだよ、まだ続ける気かい?ほら、そうやってすぐに疑問を発して続けようとするじゃないか、わざとらしいよね、もう少し続けたいんでしょ?ここで終わっちゃちょっと短すぎるような気がするんでしょ?できるだけ長く続けようとする魂胆がみえみえだけど、いい加減にしときなよ、もう終わった方がいいんじゃないの?往生際が悪いなあ、早く終われよ!じゃあもうすぐ終わるよ。でもさあ、おかしいよね、この文章。結局何も語らないまま終わっちゃうなんておかしいよね。ほんとに何もないのかなあ?何か書くべきことが他にあるような気がするんだけどねえ、真剣に語るべきことがあるんじゃないかなあ?それは何だろうか?わからないなあ、まったくわからないよ。しかし、なんでこんなに内容がないのかなあ?なんでだろう?呆れるほど内容がないじゃないか。なんでだろうね、わからないなあ、まったくわからないよ。もうこんな意味不明でクズみたいなことしか書けないんだろうか?なんでこんなのしか書けないんだろうか?いつかすばらしいことが書けるようになるんだろうか?わからないなあ、まったくわからないよ。ほんとに永遠の繰り返しにはまっているね、ほんとだよ。なんでこんなに繰り返すのかなあ?わからないなあ、ほんとにわからないよ。わかろうとしないし、わかる気もないんだよ。焦点がぼやけているし、無気力のままでいようとしているんだ。もうここまで来たら何の救いもないね、救いようがないよ、おしまいだよ。何も書く気が起きないから終わりだね。でもそれは、はじめからそうだったんじゃないの?はじめから書く気もないのにここまで書いてきたのさ。おいおい、それはとんでもないじゃないか、なめとんのか!さあなんのことやらわかりません、知りません、そんなこと気にしてません、無視です、ハイ、ただ書いているんです、現にこうやって書いているんです。


11月14日

 え、まだ続ける気なの?しょうがないなあ、じゃあ適当に書いちゃおうかな。ほんとに書いちゃうの?もう既に書いてるよ。でもいったい何を書いてるの?語ることについて語って、書くことについて書いているよ。またかい、安易なやり方だなあ、まったく。なんでそんなに書かなければならないんだよ、もういいじゃないか、これだけ書けば。もう書かなくてもいいよ、これ以上書くと死ぬぞ!さあどうだか、でもこんなので死んじゃったら笑えるね、でもなんで書くと死んじゃうの?もう既にこれ以上書いているわけだけど、いまだに生きているよ。まあ人はいつかは死んじゃうものだろうから、さっきの言動があながち間違いとはいえないけどね。じゃあいいじゃん、そんなことどうでもいいや、もう忘れようや。そんなの無責任だよ、そういう言い方は、ちゃんと落とし前つけてもらおやないか。何だその変な関西弁は?お前あほちゃうか。あほお?あほちゃいまんねん.....やめとこっと、だんだんあほらしくなってきたよ、これ。もういいだろ、こんなのやめてくれよお、お願いだからさあ。フフフ、弱音を吐いても無駄だ、続いてしまうぜ、ベイビー!君の意志なんか無視だよ〜ん、もう止まらないのさ、このまま地獄の果てまで続いちゃうよ〜ん、なんちゃってね、文章が適当な長さになったら終わりだよ〜ん、それまではこうやって無意味でつまらないおしゃべりが続いちゃうんだよ〜ん。何それ?だからさあ、これがいったいなんなの?こんなことやっていて何の意味があるんだよ!だから言ったでしょ、無意味だって。じゃあ何で続けるんだよお、やめろよ、まったく!それも言ったはずだよ、君の意思なんか無視だってね。貴様!地獄へ落ちろ!ここが地獄だよ〜ん、既に地獄へ落ちているんだよ〜ん。くそお!じゃあ天国へ行けよ!ここが天国だよ〜ん、何を言っても無駄無駄、ここは言葉の上の架空の世界なんだから何とでも言えるよ。でもそうやって君がしゃべってくれれば適当に話が続くんだ、ほんとにありがたいことだよ。でもさあ、本当にいい加減やめた方がいいんじゃないの?こんなことやって何になるんだよ、ただ無駄に労力使って神経すり減らしているだけじゃないか。こんなことやっても何にもならないことは先刻御承知さ、何にもならない無駄な事をやっているのさ、でも断言しちゃうよ、正当化しちゃうよ、これでいいのだ、ってね。いいじゃないか、何にもならないならそれでいいじゃないか、こういう無駄なことが好きなんだ、やっていて面白いんだよ。でもこの告白は半分本当で半分嘘だよ、本当はつらいんじゃないの?書くことが何もないもんだからこうやってごまかしているのはつらいはずだよね、本当のところ。しかしはじめからそもそも書く必要のあることなんてあったの?そんなもんあるわけないよ、世の中どうでもいいことばかりじゃないか、本当の書くべきことなんて何ひとつないよ、大体これは適当に言葉を並べて面白がるためにやっているだけのことでしかないんだよ。暇つぶしのための無意味で退屈な営みでしかないのさ。しかし、これはすべて嘘だね、結構その気になってマジでやっていた時が大半だったんじゃないのかい?さあね知らないね、どうだかねえ、そんなこともう忘れたなあ、とりあえず、なんだかんだ言っても結構書けたよ、じゃあこの辺で終わりにしようかね。


11月13日

 はははははっ!しかし通産省ってすごいこと言ってるね。温室効果ガスを1990年レベルまで削減するには原発をあと20基造らなければならないんだそうだ。でも温室効果ガスを削減して放射性廃棄物を増やしてどうするんでしょうね。そういえば『噂の真相』十二月号の小田嶋隆氏のコラムでは、それって禁煙して覚醒剤を打つようなもんだとか書いてあったっけ。それでもやっぱ、自分達の省益を守るためには太陽光発電だとか風力発電だとかのクリーンエネルギーを推進するなんて口が裂けても言えないんだろうね。例えば、東京のオフィス街のビルのすべての屋上なんかにソーラーパネルでも設置すれば、夏の電力需要の大きい昼間なんかに結構役立つし、米余りの減反対策としては、農協あたりが農家から土地を借りて田んぼにソーラーパネルや風力発電の風車なんかを設置して、そこで起こした電気を電力会社に売る事業でもやればいいと思うけどねえ(採算が合うかどうかは知らないけど)。まあ、そういうちゃっちいエネルギーなんかじゃ電力の安定供給は望めないし、コスト高だからはなから論外なのかな?あっそっか、電力会社の宣伝では原子力もクリーンエネルギーだったんだっけ。そうだよね、青森県あたりを核のゴミ捨て場にしちゃえば他の地域は安全無公害だもんね。これからも政府の補助金をばんばんつぎ込んで福島県や新潟県や福井県や石川県あたりにどんどん原発を造っちゃえばいいや(おいおい、行革はどうするんだ、財政再建は?)、心配ないよ、チェルノブイリみたいな大事故なんて絶対起きないよ、電力会社の皆さんが安全対策はばっちりだって盛んに宣伝してるじゃないか。万が一大事故が起きても東北地方や北陸地方の皆さんが迷惑するだけで自分には関係ないや。そのとおりだ!原発で地球の温暖化に歯止めをかけよう!それが世界に貢献するニッポンのあるべき姿だ!ゆとりある豊かな暮らしを維持するためには地球に優しい原子力!原子力はエネルギーの優等生!環境保護にも役立ちます!NGOの皆さん!グリーンピースの皆さん!聞いてますか?これからは電力業界と協力して明日の地球を守るために共に戦いましょう!人と原子力とのやさしい共生を夢見ましょう!でも、このまま原発が稼動し続けると、少なくとも今後数十万年は放射能レベルは下がることはないんだよね。例えば、ゴミ捨て場の青森県が廃棄物でいっぱいになっちゃたら危なくてりんごが食えなくなっちゃうのかなあ?それはまあゴミの溜り具合によるんじゃないの?それほど急激に廃棄物が溜まるわけでもないだろう。でも六ヶ所村には近づきたくないよね、今のところ安全だとわかっていても。そういうわけで、これからのトレンドは原発差別で決まりだね、原発のある市町村の皆さん、ご愁傷様です!ひどい!


11月12日

 何もないね、確実に言えることは何もないということさ、すべての必要から見捨てられているよ、純粋な空虚だ、現実から遠く隔たってこれらの言葉は存在しているみたいだ。これらは架空の表現であり、架空の文章だよ。「何もない」と書くことでかろうじて書き続けているみたいだね。そうだよ、でもこれ自体は確実な現実なんだよ、何の役にも立たない現実なんだよ。ただ書くことのみに役立っている感じだね。そうだ、これこそ空虚な文章だ、これこそ意味不明の倒錯だ、これこそ偉大な真実だ。それは嘘だ、偉大な真実なんかじゃない、貧しい現実だ、内容のない空っぽの世界だ、当たり障りのない言葉の羅列だ、慢性的な低血圧だ、見栄っ張りの虚弱体質だ、空疎な言葉の連想ゲームだ、埒のあかない永久腰砕けだ。こんなんじゃ何も始まらないよ、始まる前に既に別の文章が始まっているんだ、しかもその別の文章が始まる前に更に別の文章が始まっていて、またその前にも別の文章が始まっているから、まるで無限に別の文章が始まり続けているみたいだ。しかし、いったいいつになったら真実の文章が始まるんだろうね、もう待ちくたびれたよ、終わりもしないし始まりもしないまま無駄な時間とゴミのような文章が果てしなく続いているだけじゃないか、もううんざりだよ、しかもまだ続いちゃうかもしれないんだから本当に気が狂いそうになっちゃうよね。別に目的もないし書く必然性もないのに、なぜこんなに書き続けているのか理解に苦しむね。いったい何のために書くのか、その理由が見当たらないじゃないか。でも現実にこうやって書き続けているわけだ。何か書く理由でもないといけないのかい?こんなわけのわからないんじゃ許せないのかい?そうだねえ、例えば、くだらない日常の些細な出来事でも適当に味付けして書いているのなら安心するし許せるけどねえ、これじゃあねえ、こんな書き方じゃ一般の善良な小市民の皆さんは許してくれないよ。じゃあどんなのがいいのかな?そうだなあ、もっと低姿勢で素朴な性格を装って良識あるうんちくを垂れれば小市民の皆さんもきっと喜んでくれると思うよ。でもそんなんじゃ世間のお役に立っちゃうじゃないか、マズイよそれ、馬鹿なおじさんおばさんぼっちゃんじょうちゃんから間抜けな感想メールなんかがドッサリ来ちゃったらそこで終わりだよ。でも普通はそういう感想メールを期待して書いているんじゃないの、こういうものは?見知らぬ人からほのぼのとしたやさしさいっぱいの共感メールなんかが来ちゃったりして、こちらも感激してまけじとあまっちょろい御礼メールなんかを書き送っちゃったりして、そして、メールのやり取りをしているうちにお互いに友情やら愛情が芽生えちゃったりして、実際に会ってお話してみたくなっちゃって、感動のご対面を夢見ちゃうんだ。うっひ〜、気持ち悪〜い、恥ずかし〜い、ヤバ過ぎるよ、そういうのは。じゃあ何のために書いているんだよ?さあね、だいたい何のための文章でもないんだからそんなくだらないママゴト遊びなんかを期待してもしょうがないだろ。しかしそうだとするといったい何なんだろうね、この文章は?わからないなあ、まるでわからないよ、おかしいよね、まったく、どうかしてるよ。でもねえ、ひとつだけわかったこともあるよ。何?君って性格悪いね、最悪だよ。ありがとう!そんなこと言ってくれると、ボクちゃんウレシー!ボクちゃんカンゲキー!


11月11日

 ところでNHKスペシャル「街道をゆく」第二回を見たかい、ああゆうものはおじさんおばさんが見るものだから見てないかな、でも司馬遼太郎の思慮の浅さが露呈されて結構笑えるよ。何しろ遊牧の民モンゴル民族は欲望が削ぎ落とされて無いに等しいんだそうだ。そういうモンゴルの人々の純朴さにまた例によって司馬は大感動しちゃうんだ。確かに現代のモンゴルの遊牧民は貧しく見えるからそう思っても仕方ないけど、それは清王朝による抑圧政策で草原地帯に閉じ込められて戦意が骨抜きにされた結果だろ?チンギスハーンがどれほどの征服欲を持っていたか、また元のフビライがどれほどの富を抱えていたか司馬だって知っているはずだよねえ。そして現代のモンゴル人も次第に資本主義経済に浸透されて徐々に欲望多き現代人に近くなっているだろ?それに「街道をゆく」に感激した連中がモンゴル観光ツアーなんかを企画してそれがヒットしちゃったら、たちまち遊牧社会も金が物を言う欲望社会に変身だよ(確か数年前に皆既日食をモンゴルで見るツアーがあったよね)。つまり、政治的経済的な結果としての現代の貧しい姿だけを見てその民族が清貧だと賞賛しちゃうのは欺瞞でしかないということさ。それとも昔のモンゴル帝国のモンゴル人と今のモンゴル人は比較できないとでもいうのかな?でもそうだとするとモンゴル民族っていったい何?そもそもその地域に住んでいる人達について語るときに同質の民族として語るやり方に無理があるんじゃないのかい?それに司馬のロマンチシズムは恐ろしい事実を見落としているよ。司馬は遊牧民に飼われている家畜の立場になってものを考えたことがないのかな?家畜の一生なんて悲惨そのものだろ、まあ、司馬にとっては家畜の現実より夜空のきれいさや大自然の雄大さの方に心が奪われてしまうんだろうけど、テレビではガキの競馬レースで何十キロも走らされた挙げ句にゴールした瞬間に倒れてそのまま死んじゃった馬がいたね、羊なんかたまに来客があれば適当に殺されて食われちゃうんだからね、司馬もそういう羊の肉をたらふく食べたんだろ?家畜は人間にいいようにこき使われるままに一生を終わるしかないんだ、そうだよ、そういう遊牧民の家畜管理がそのまま国家統治や学校教育や会社経営の基となっているんだよ。国民や学生や従業員が家畜としか思われていないとしたら恐いことだね。でも実際、教会の牧師にとっては信者は迷える子羊なんだよね。君には思い当たるふしはないかい?


11月10日

 コップの底をのぞいて見てごらん、何が見える?底のガラスを透して向こう側が歪んで見えるだろう。その歪んだ風景が間近に迫ってくるとき、君は何を思い出すだろう?遠い昔の約束でも思い出したかい?あの時の約束は果たされないままうやむやになってしまったね。だけど今でも覚えているよ、しっかりと鮮明に脳裏に焼き付いているよ、君は忘れたつもりなんだろうけど、僕は忘れていない、僕は執念深いんだ、ヘビのようにしつこいんだ、いつまでも君を追いかけまわすよ、いつまでもどこまでも追いかけていくよ、別に理由なんかない、実は昔の約束なんかどうでもいいんだ、君を追いかける口実やきっかけさえあればそれでよかったんだ、僕の目的は君を追いかけることさ、君を追いかけることに情熱を傾けちゃうよ、カタルシスを感じちゃうんだよ、生きがいを見出したのさ、そういうことだ、君もこの意味不明の鬼ごっこに付き合ってもらうよ、え?僕が誰か知りたいだって?簡単に言えば僕は君の影さ、そして僕は君自身だけど別人でもある、ようするに僕は君の影だけれど君は僕の影だ、しかし別人だ、双子なんかじゃない、血のつながりはない、だけど相互に依存しあっているし交じり合っているんだ、ややこしい関係さ、僕は明るいところでは常に君の傍らにはりついている弱々しい存在だけれど、暗くなれば君のまわりすべてが僕になる、そうだ、僕は夜の暗闇となって君を包み込んで君の視界を奪い去るだろう、光のないところでは僕の力は全開になるんだ、暗闇が僕のすべてだ、光は僕を四散させる、日の光の下では一定の限られた場所に押し込められてしまうんだ、しかしそれは見かけにしかすぎない、僕は常に地球の半分を覆っているんだ、そして、夜空を見ればその勢力がいかに広大かがわかるだろう、光は常に点でしかないのにまわりの闇は無限の領域にわたって広がっている、計り知れない空虚が宇宙全体を満たしている、その暗闇が君につながっているんだ、その空虚の力から君は逃れられない、光の力なんて一瞬でしかない、持続することはできないんだ、後は闇の世界だ、圧倒的な暗闇の中で君は何もできずにただ震えているだけさ、先細りの貧しさに死ぬまで耐え続けるんだ、何の救いも何の報酬もないね、得られるものは空虚そのものだ、無限の暗闇だよ、その無限に広がる暗闇の中に光が点在するんだ、しかし君は虚空に散在する光の点しか見ようとしない、まわりの暗闇にはまるで関心がないかのように光り輝く星々を一心不乱に見ようとする、そしてより強く輝く星に引きつけられて自分勝手な名前をつけたり、星と星を線で結んて星座にしたりして、次第に君はこの無限に広がる天空を我がものとしようとする、君のみすぼらしい支配欲で天空までも征服しようとするんだ、ただ眺めることしかできないのに自分の意志を反映させたつもりなんだ、滑稽だね、不条理だね、矛盾しているよ、君は無限の闇が星々を輝かせていることに気付かない、光だけでは輝かないよ、まわりに暗闇があってはじめて光を認識できるし、星々の輝きが見えるてくるのさ。光は飛び飛びの点でしかないのに闇は連続する空虚な無限だ、君が直面しているのは目に見える光の点なんかじゃない、見ることもわかることもできない無限に広がる虚空の暗闇だよ、暗黒の世界が君のまわりを取り巻いているのさ、そこから逃げることなんてできやしないさ、せいぜい不安と絶望の中でもがき苦しむがいいさ、これは君に襲いかかる呪いの言葉だ。


11月8日

 まったく、いつまでもふざけていないで少しはまともなことを述べてみたらどうだい?じゃあ、暇つぶしに世のため人のために正義の主張でもしてみようかね。悪い奴等をぎゃふんと言わせないと腹の虫がおさまらないってか?「ぎゃふん!」自分は悪者だからぎゃふんと言ったよ、腹の虫はおさまったかい?それでもおさまらないのならそれはきっとお腹がすいているせいだよ、ご飯でも食べれば腹の虫もおさまるんじゃないの?う〜ん、いつもながら的確な助言をありがとう、じゃあお食事にしよう、みんな〜、ご飯だよ〜、せいぜい腹いっぱい食べてお腹の寄生虫を満足させてやりな、寄生虫を喜ばせるのが世のため人のためになるんだよ、理由は定かではないけどね。単なる口からでまかせ?そう、いい加減な思いつきだよ、なんとなく軽薄な気持ちになりたかったんだ、そうだよ、この感覚はブルーな気分だよ!ブルーな気分なんてなんだか訳ありみたいで超イカしているじゃないか。う〜ん、我ながらためになる話だなあ、この調子でがんばるんだ!世のため人のために寄生虫とお友達になるんだ。そうだ!世界は一家人類はみな兄弟!ついでに寄生虫とも義兄弟の盃だ!ようするにお腹の中に回虫が住んでいると免疫ができて花粉症にならないらしいよ。目黒寄生虫館の人がテレビでそう述べていたよ。そういうことで寄生虫も世のため人のために役立っているんだね。そうさ、花粉症になりたくなかったらお腹の中でサナダ虫を飼っていればいいんだ。どうだい、驚いたかい?ぎゃふんと言ったかな?それで?それがどうしたホトトギス?やったあ!その言葉を待っていたよ、そのツッコミがないと先に進めないんだ、ツッコんでくれてありがとう!鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、ってことさ、待った甲斐があったね。別に意味なんかないさ、寄生虫も一生懸命生きているんだ、少しは誉めてあげてもいいじゃないか、それが義理人情ってもんだろ?ベイビー、わかってあげてくださいよ、意味不明でもわかった振りをしてやるのが思いやりってもんだろ?渡る世間は鬼ばかり、弱いもの同士、お互いに肩を寄せ合って一生懸命助け合って前向きに生きて行こうじゃあ〜りませんか。う〜ん、泣かせるねえ、感動で涙がちょちょ切れちゃいますね〜。あ〜あ〜、またまた感動の大団円ですかあ?懲りないなあ、またもや終わりを装うんですかあ?いい加減このパターンはやめてもらいたいなあ。もうシラケが限界を超えてレッドゾーンに突入してしまうよ、もうすぐエンジンブローでリタイヤ寸前だ、何とかしないと取り返しがつかなくなるぞ、俺は真剣だ、別にふざけているんじゃない、君のためを思って言っているんだ、どうか俺の話を聞いてくれ、君の返事次第では地球存亡の危機が回避できるかもしれないんだ、君には未知の想像を絶する偉大な力が眠っている、その力は全人類を救うことのできる唯一残された希望なんだ、それを解放すれば今地球上に蔓延しつつある悪の炎はたちどころに消滅してしまう、その力を解放するには......ガクッ。どうしたんですか!しっかりしてください!死なないでください!教えてください!その力を解放するにはどうしたらいいんですか!どうすれば力が解放されるんですか!......あーあ、死んじゃった、今回もだいぶ書いたねえ、とりあえずこれくらい書けば十分だろう、もう飽きたからこの辺で終わりにしよっと、別に今の話に続きはないよ、ただ単に成り行きでふざけてみただけだよ、じゃあね、バイバイ。


11月6日

 ほげほげにゃにゃにゃ、何かが変わるべくして変わるわけではないさ、劇的な変化なんてたいしたことはないさ。ドラマチックな展開なんてドラマチックじゃないよ。予測なんてどうでもいいことなんだよ。問題なのは何もかもが変化した後になってはじめてその変化が認識できるってことさ。例えば、世の中が実際に不況になってみないと不況になった事実はわからないんだよね。いくら事前に不況を予測したつもりでも既に手後れなんだよ。不況になってから対応策を検討することしかできないんだ。つまり景気予測は予測じゃないんだ。ただ調査した結果から景気判断しているだけなんだから、景気が悪くなると予測した時点で既に世の中は不況なんだよね。でも経済企画庁なんか景気が悪くなっていても景気は緩やかに回復し続けているとしか発表できないんだ。それって、アナウンス効果によってこれ以上景気が悪くならないように配慮しているつもりなんだろうけど、そういう無意味な配慮は却って官僚の無能さを露わにするだけであって、そんな小手先のごまかししかできない官僚に絶望して更に景気後退に拍車がかかっちゃうよ。なんちゃって、いかにも評論家風だろ?こんなしょーもない文章ならいくらでも書けるのかな?いくらでも書けるわけではないけれど、なんとなく楽なんだよね、こーゆーいい加減なのが好きなんだ。でも中身がないよ、言葉も死んでいるよ。まともな論理的思考が存在しないね。頭おかしいんじゃないのかい?要するに既に廃人なのかもね。こーゆー気の抜けたつまらない文章にはうんざりなんだけれど、もうこんなのしか書けないんだよ、内容はつまらないけれど書くのは好きなんだ。つまらないのなら書かなければいいんだけれど、なんとなく書いてしまうんだ、これが。もういいや、と思うんだけれど、暇つぶしに書いてしまうんだ、これが。今書いているように、こんなふうにね。そうだね、力の抜けたこんな感じがいいんじゃないのかい?と感じちゃうんだよ。別に思い通りに計算ずくで書いているわけじゃないんだけどね。ほんとはもっと勇ましいのが書ければカッコがつくのかもしれないんだけれど、やっぱりこんな感じになっちゃうんだ。我ながら情けないな、でもいいや、もうどうでもいいや、ほんとに。こんな情けないのでいいや、ほんとに。だらだらと書いて行こうか、適当に、何の目的もないけれどね。でも何かを繰り返しているような感覚なんだよね。それがなんだかわからないけど、頭の中で途切れることのない呟きが聞こえているのかもしれない。無限の繰り返しによってナチュラルハイになっているってことかな?そうじゃないな、何か作為的な演技だよ、わざとらしいよ、これは。惰性で書いているように見せかけているだけじゃないのか?無気力を装っているだけなのかもしれない。違うよ、ふざけているんだよ。すべてが嘘っぱちなのさ、こんな書き方じゃ怠慢だよ、ごまかしだよ。でもこれは労働じゃないんだからいい加減でも構わないだろう?だけど誠意があってもいいんじゃないのかい?もっと何か建設的に一生懸命努力しているように装わないと見放されちゃうよ。でもいったい誰に見放されちゃうの?知らない、そんなの。知らないよ。じゃあいいじゃないか、こんなのでいいじゃないか。こんなのでも読めるよ、たぶん。読めなけりゃ読まなければいいだろう。こんなの読まなくてもいいよ、なんちゃって、既に読んでいるってか?それはそれはどうもお疲れ様、ご苦労さん。じゃあこの辺で終わりにしてやるよ。う〜ん、グレートスペシャル傲慢な終わり方だね。


11月4日

 たぶん中断することはあっても完結することはあり得ないね。なにが?そんなのわからないさ、自分で自分のやっていることなんて知り得ないよ、ただ誤解しているだけだよ。その誤解が誤解を呼んで無限の混沌状態が記憶となって堆積していくんだ。しかもその記憶も風化したり摩耗したり組み替えられたりして絶えず再構成し続けるってわけさ。でもこんな説明じゃだめさ、説明したことにならないし、そもそも説明することはそのまま虚構の再構成にしかつながらないね。しかし説明し続けるんだよ、虚構でしかないのに、無駄な努力と知りつつ誤解を承知で説明するより他にないね。この説明で何かがわかるわけではないんだ。説明することが新たな記憶の再構成にフィードバックされて、多種多様な生産物を生み出すのさ。しかもそんな生産物なんか知らないし、知り得ないよ、いったい何によって生産されるというのか、それさえわからないよ。表面上は、説明することによってまた新たな説明を生み出しているわけだけど、それがなんなのか知らないしわからないんだ。その説明がいったい何だっていうんだ、それで何がわかるっていうんだ。最初の説明がないじゃないか、始まりがなければ終わりもないさ。その循環運動を説明することによって、循環運動の説明によって、説明を循環させることによって、運動自体をさらに円滑に動かし、説明自体もさらに円滑に説明するのさ。その円滑に回転するスピン状態からいったい何が飛び出すんだろうね、それがわかったりするのかい?そんなもの知らないだろう、知らないね、知ろうとも思わないよ。嘘だ、嘘の隠蔽だよ、それが技術かい?そうだ、それが技術だよ。知らない振りをしているだけさ、そうやってここまで虚構の説明の文章を続けてきたわけだ。しかしこれもある意味では虚構を説明しているよ。そう、説明までも虚構化しなくちゃ虚構を説明したことにはならないよ。でも別の意味では失敗しているね。だいたい何も説明していないじゃないか。しかし失敗し続けることが虚構の説明だよ。これさ、何も説明しないことが虚構の説明さ、しかもこれも嘘だ、嘘であり嘘の隠蔽だ、これこそ説明を説明することだよ。結局、無限の混沌状態なんて説明できないね。これは嘘の説明だ。これで気が済んだ?まだ書けっていうの?なにそれ?嘘でもいいからまだ書くのかい?続いちゃうねえ、まったく、馬鹿げているよ、これ。嘘だよ、なんで終わらないんだろうね?こりゃ止まらないな、止まりそうもないよ、暴走状態だね、ほんとに。回転するコマの模様が虹色になるとき、こんな気分になるのかもしれないね。これは説明ではないさ、こんなこと。いまさら説明する気も起きないよ。言葉の意味なんてもう知らないね。勝手に何処へでも飛んでいくがいいさ。無限の暗闇に向けて言葉と意味が散り散りに弾けていくんだろうね。もう跡形もないよ、すべては無限定だよ。これで終われるかい?まだなのかな?さあね、知らないね。すべては夜の出来事だよ。もう終わらなくてもいいんだね。そんなこと知らないよ。


11月2日

 ふにゃ、やっぱり書いちゃうのかあ、こりゃしばらくふざけたことしか書けないね。だってなんにもないんだも〜ん!じゃあ書くなよ、なんて怒られちゃいそうだね。そんなの知らない知らない、知らないも〜ん!や〜だも〜ん!書いちゃうもんね〜だ、くやしかったら馬鹿野郎メールでもちょ〜だい。と、あほなことを書いてますが、ほんとにあほで〜す。脳みそ死んでま〜す。うひゃひゃひゃひゃ、あ〜こりゃりゃ。まあすべてが繰り返しだね。ねじれているし絡まっていてほぐれないから元には戻らないよ。常に何かが始まり続けているから何が始まっているかもわからないまま行き過ぎた後に後悔するだけさ。元の地点には永遠に戻れないんだろうね。しかも今いる場所からも次の瞬間からは遠く隔たってしまうから引き離された思い出だけが郷愁となって脳裏にへばりつき続けるんだ。過ぎ去った日々をただ懐かしむ日々が死ぬまで続くんだよ。そんなのに耐えられるかい?実際に耐え続けているじゃないか、今そこで。そこからも追い立てられていく運命を呪っているじゃないか。それが死ぬまで続く後悔の感覚だよ。それが過去を思い出すことなんだ。そんな思い出なんか書き留めることはできないよ。失われた記憶がその瞬間瞬間に現在の記憶となって再構成されているだけだからね。その記憶の結晶は書く側から砕け散っていく運命だ。君は何かを思い出したかい?どのようにして思い出しているのかがわかるのかい?後悔の記憶でもがき苦しんでいるのは現在が過ぎ去ろうとしている証拠さ。未来においてまさに今過ぎ去ろうとしている現在の記憶でもがき苦しむだろう。それでもいつの日か君は自分の過去を正当化して栄光の歴史を捏造しようとするのかな?それは国家の歴史かい?それとも民族の歴史かい?君の勝手な想像力がそういうまやかしに化けちゃうのはいつの日になるのかな?まあ方法はいろいろあるようだからじっくり考えてみることだね。そう、めまいがするようなすばらしい遠大な計画だ、これこそ男のロマンだ、しかし完成する途上で君の寿命が尽きてしまうかもしれない、そうだ、君の息子を君好みに仕込んで跡継ぎにしてみるのはどうだい、君の誇大妄想が未来に引き継がれて、また不幸を背負った悲惨な人間がこの世に誕生するなんて考えただけでも身震いしちゃうよ、なかなかすばらしいことじゃないか、一子相伝なんて時代錯誤もはなはだしいけれどそこがファンキーなんだ。そうさ、君の息子はケンシロウ(『北斗の拳』)だよ司馬遷(『史記』)だよ。これこそ栄光の歴史の捏造だ。雷に打たれて焼け焦げた後から吹き出す樹木の緑のように君は死んだ歴史として復活するのさ。しかし、生身の肉体から文字や絵や彫像に変身するなんてむなしいことだね。でもそれが栄光の本質さ。


10月31日

 しかし、なんで終わったのにまだ続いているんだ?わかりませ〜ん。あきれてものも言えないな、まったく。ものも言えなかったら何か書いてくださ〜い。は〜い、わかりました、じゃあ書きま〜す。あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやいゆえよらりるれろわいうえをん、五十音を書きました、ばんざ〜い。おのれ、またふざけやがって、なめとんのか!は〜い、なめてま〜す、ペロペロペロ。うりゃ!おちょくりおちょくりおちょくりぼ〜ずだよ〜ん、きゃはきゃはきゃははははは!ところで今、巷では、みんなの期待を裏切るのが流行っているらしいね。サッカーの日本代表なんか特にすごいよ。試合をやる度に引き分けてファンを失望のどん底に陥れてるからね。でも、できればこのままずーっと引き分け続けてサッカーファンが呆然とするような展開に持ち込んだらさぞかしファンキーだろうね。しかもそれで得失点差なんかでぎりぎりでワールドカップフランス大会に出場できちゃったらなおのこと超ファンキーなんだけどな。しかし、そのような情けない展開にはある種の教育効果があるのかもしれないよ。自分たちの思い通りにならない現実に直面させられることで人は自然と謙虚な態度になれるんだ。自分たちではどうにもできない現実に途方に暮れたり去勢させられたりしてはじめて自分の限界を認識して冷静になれるのさ。でも結局はそれも長くは続かないんだよね。人間は常に動物的な生存競争の試練に晒されているわけだから、自分自身が生き残るための努力自体が自分の思い通りに行動させようとすることにつながるわけだから、そのような努力を通して謙虚な態度や去勢させられた過去なんかすぐに忘れ去られる運命さ。でもそこから戦略的に謙虚な態度を装って相手を油断させて自分の有利な展開に持ち込もうとするやり方が生まれることも事実だけれど。案外この先超低空飛行のままでフランス大会に出場できちゃったりするのかもしれないけれど、仮に出場できなくなっても、二千二年の日韓共同開催のワールドカップでは、カズあたりがそういう処世術を身につけてテレビ解説者になっていたりしていて、試合中に自分の過去は棚に上げて何処かで聞いた風な人生訓なんかを偉そうに開陳しちゃうのかもしれないね(ほんとにこの手のお話は気が散るからやめて欲しいんだよね、特にプロ野球の解説者ならびに実況アナウンサーの皆さん、こっちはあんたらの世間話を聞きたいんじゃなくて選手のプレーそのものを見たいんだよ、頼むからプレーの合間に簡潔にそのプレーを説明するだけにとどめて欲しいよ)。


10月29日

 終わりましたか。ついに終わりましたね。本当に終わりました。よく終わりましたね。終わった終わった終わった終わった。君も終わりだ。僕も終わりだ。あなたも終わりだ。私も終わりだ。終わりも終わった。終わること。しまい。死ぬこと。末期。まあ、それぞれの終わり、いろいろな終わり、様々な終わりがあるね。でもなんで終わるんだろうね、何が終わるんだろうね、どうして終わるんだろうね、どのようにして終わればいいのだろう、終わりかたに何か規則でもあるのだろうか、わかんないなあ。とりあえず難しいことは考えないで、レッツダンスかな。踊っていればそのうち終わるよ。君が終わらせてくれるだろう。君の力量を期待しているよ。そうだね、誰かが終わらせてくれるさ、彼はそれまで無責任に踊っていればいいのさ。彼には踊る空間があるらしい。その空間の裂け目から放射されるつかの間の光に目が眩んで君はうろたえるだろう。そう、君は焦っているんだ。ただ踊ることしかできない君は焦るばかりだ。だが君の焦りは本物じゃない、焦っている振りをしているだけさ。君の狼狽ぶりを見て誰かが喜ぶのが面白いんだ。でも面白がっている君を見ている彼も面白がっているよ。君の馬鹿踊りを見るのが彼の趣味なんだ。君が踊れば踊るほど彼の自己満足度は高まるだろう。彼は軽薄な野次馬だよ。でもいったい誰がこんなふざけた文章で踊らなくちゃならないんだろうね。うっそぴょ〜んだよね。踊れないよ、ゾンビのダンスだ、もう終わっているのに、既に死んでいるのに、こうやって変なのがうだうだ続いているんだからね。それにしても、いったい何処に踊る空間なんかがあったのかなあ〜。そもそもなんで踊らなけりゃならないんだろうか。わかんないなあ〜。誰か教えてくれるかい?でもそんな教えなんか期待できないだろうね。昔から教えなんてつまらないものと相場は決まっているからね。どうせ神の教えになっちゃうもんね。世紀末の終末思想なんかじゃ月並みすぎて踊れないよ。もっとハチャメチャな教えはないのかな。ショーコーショーコーショコショコショーコー、アサハラショーコーソングはちょっとだけファンキーだったんだけどなあ、それだけだったしなあ。そういえばアサハラお面とか白馬に乗ったショーコーアニメとかもあったっけ。後はアーチャリーに期待するか。みんなー、踊っているかい?


10月27日

 さらにまた続けちゃうのかい?もう何もないよ、何もないときはまた例のごとくおふざけの始まりかな?じゃあ適当にふざけてみようか、と思ったけどほんとに何も出てこないからこれで終わりにしちゃおうかな。思えばよくここまで続いてきたねえ、これが感無量ってやつかな、と感動しちゃえばいいのかな。また感動かい?よく感動でごまかして文章を続けちゃうねえ、以前にもこれと同じ手法でふざけていなかったかな?う〜ん、やはりカンドーのワンパターンは不滅だよ、ボクちゃんカンドー!またボクちゃんかい、いい加減ボクちゃんには飽き飽きしてたんだけどねえ、やはり困ったときには、ボクちゃん参上!が助け船なんだろうね。ハー、意味ないね、つくづく。ハー、意味ないね、つくづく、も意味ないよ。同じ言葉を二度続けるこのような手法が無意味の強調ってやつかな、ハー、意味ないね、つくづく、これで三度目だよ。やはり同じ言葉は三回続けないと気が済まないんだ、これがボクちゃんのしつこさだね。そうだ、この執拗さが文章を長く続ける秘訣であり、この文章を読んでいる人をあきれさせ、うんざりさせる原因だ。しかし終わりの文章がこんなふざけた文章だとがっかりさせられるね、もっと何かカンドーするような内容にならないものかね。いつまでもごまかしとおふざけばかりではいやになっちゃうよ。おや、前の文はひらがなだけでできているね、こりゃ驚いた、カンドーしちゃったよ、これこそ本当のカンドーだ、偉大なカンドーだ、教師生活二十五年、かつてこれほど感動したことはありません。また教師生活二十五年ですか、いまどきど根性ガエルなんて誰も知らないよ、馬鹿だなあ、これで二回目だよ、まさか三回目もあるのかい?三回つまらないギャグを繰り返せば気が済むのかい?じゃあ四回繰り返した方がいいのかい、その方がもっとしらけるよ、そうさ、教師生活二十五年、これほどしらけたことはないさ、さらに、教師生活二十五年、これほど馬鹿なこともなかったよ、これで気が済んだ?あきれたよ、ほんとに四回もやるとはね、これこそ終わりにふさわしい行為だ!これこそ偉大な栄光の歴史の終焉だ!これこそ世紀末にふさわしい馬鹿馬鹿しい倒錯のおふざけだ!ボクちゃんカンドーだ!もう感動の涙で何も言葉が浮かばないよ、本当にこの馬鹿な営みもこれで終わりにするよ、読んでくれた人ありがとう、もうお別れだ、さようなら。


10月25日

 まだ続けるのかい?しかし、人間の欲望や自然破壊までも自然のせいにしちゃうのはちょっと無責任だね。少なくともそこに人間が介在しているんだから、人間の側から何らかの解決方法が示されるべきじゃないのかい?じゃあすべてを人間のせいにして、人間が地球上で生存するためには自らの欲望をコントロールして自然との共生を目指すべきだ、なんていうイデオロギーに傾倒すべきなのかな?でもそれも人間が人間による環境破壊を目の当たりにして、このままでは人類が自滅するかもしれない、という危機感から自然に発生した動物的な自己保存本能の顕れだろ?あれまあ、また動物の本能で説明しちゃうのかい、人間が自身のコントロールを試みることによって自然破壊を食い止めようとすることは人間の知恵であり理性じゃないのかい?いや、知恵も理性も本能から発生したものだよ、本能から枝別れしたのが知恵や理性だ。そもそも理性と本能の間に境界を引くのは一種の学問的な方便だよ。物事を説明するためには原因を何処かに設定しておけばわかりやすいから、状況によって原因を自然においたり人間においたり、はたまた本能にしたり理性にしたりすれば、なんとなくその場は説明できちゃうわけだ。だけどそれでは物事の根本を説明したことにはならない、しかし、物事の根本なんかそもそも説明できるわけがないからね。人間は何でも見通せる万能神なんかじゃないし、そもそも神自体が人間の想像物でしかないんだからそこに人間の限界があることは事実だよ。まあより単純化して説明するなら、人間が大量繁殖した結果として自然破壊が起きた結果として自然保護が叫ばれるようになったわけだけど、だからといってそこから何らかの根本的な解決方法が導き出されるわけでもないし、ここで何を説明してもどうなるものでもないってことかな。とりあえず環境問題においては利害のぶつかる奴等が互いの政治的経済的な妥協点を模索するくらいしか方法はないね(自民党みたい)。せいぜい経済的に余裕のある奴等は環境保護運動に精を出してくれよ、あんまり金もうけばかりやっていてもどうせいつかは死んじゃうんだからほどほどにしておけよ、なんて言っても無駄かな?金持ちの目的は金を溜めることにあるわけだから、そいつらが死ぬまで金を溜め続けて社会には貧富の差が拡大して、やがて貧乏人達の不満が爆発して革命でも起きちゃったりして。まあ、そうならないための方便として慈善事業や環境保護運動があるわけだけど、マルクスも金持ちのボランティア精神について少しは言及しておくべきだったかね?


10月23日

 あーあ、まったく、強引にわけのわからない展開に持ち込んで勝手に何処かへすっ飛んで行っちゃうんだからあきれてしまうなあ、ほんとに何処に行っちゃったんだろうね、もう戻ってこないのかなあ。さあね、たとえ戻ってきたところで今まで通りにはいかないことは確かだよ。世の中は常に変化しているんだ、今のままで現状維持なんてやろうとしてもできっこないよ。でも不可能に挑戦するのが人間の性なのかもしれないよ。何しろ今の日本の政府や国会なんかは現状維持を図るために行政改革を唱えているんだからね。現状のままでいいのなら何も改革する必要なんかないのに、現状のままではまずいから改革を唱えざるをえないんだろうけど、実際に改革されちゃ困る人が改革を唱えているわけなんだから最初から改革なんか不可能なのに改革せざるをえないんだから、世の中ほんとに不条理で矛盾しているよ。ともかく、国民の人気取りのためには改革を断行しているように見せかけなければいけないのが苦しいところだね。でも実際には現状維持がみえみえで行革法案のインチキがばればれなんだけど、今度は国民が現状維持を望んで選挙で自民党に投票しちゃうのさ。まあそれに異を唱えるのはせいぜい良識派を気取ったり無関心を装ったりして投票をボイコットしたつもりで実際には現状維持を追認してしまう馬鹿ぐらいなもんだろう。彼らは他の政党や候補者に投票する勇気は持ちあわせていないところが悲惨だよね。それってなんだかとんでもない袋小路だなあ。でも大丈夫、世の中そんなに甘くないね、実際には現状を維持しようとすればするほど変化してしまうものさ、そもそも現状維持という言葉そのものが不可能なんだよ。決して人間の思い通りにはいかないのが大自然の偉大なところだよ。そう、たとえ人間が今ある生活環境の現状維持のために自然の保護を必死に訴えても、自然の方は当の人間の動物的本能(利潤追求の欲望)を使って環境破壊を促進させるのさ。なるようにしかならないのが自然なんだから、人間が滅びようが栄えようが自然にとってはどうでもいいことさ。自然は常に人間を超えた存在だよ、せいぜい人間にできることといえば現状維持のための改革(不条理で矛盾している)を繰り返していくことだけだよ。今にとどまるために未来に向かって歩いていくという矛盾を永遠に繰り返すんだ。でも例えば、地球環境の現状維持のためには未来に向かって温室効果ガスの排出を削減していかなければならないだろうけど、過去の地球においては今よりもっと温暖で海水面の高い時期なんていくらでもあったんだから皮肉だよね。そうだね、人間の都合で何をやってもそれは結局自然現象の一部でしかないのさ、たとえ自然破壊をいくらやってもそれは人間が自然の一部でしかないことを証明するだけだね。


10月21日

 さらにごちゃごちゃした奇怪な文章になってきたね。もはや意味不明の錯乱状態だよ。まったくもう、秋になってカラッとした気持ちのいい晴れの日が続いているのに、文章の方は湿り気を帯びてどんよりした重たい雲が垂れこめてきて今にも雨が降り出しそうになってきたよ。そろそろ破滅の日も近いんじゃない?破滅の日?破滅の日って何の日?破滅の日はコントの日だよ、これから突然コントが始まるのさ。ほら、こんなに文章が軽くなったじゃないか、なかなか軽快な展開だろ?文章の湿り気なんてコントを使えばすぐに退散さ、すっきりさわやか気分爽快だよ。でも何処がコントなの?それを待っていたんだ、君のそのツッコミでコント成立だよ。えっ?そんな安易な展開でいいの?ちょっと強引すぎないかい?それに今国語辞典でコントの意味を調べたら、コントとは風刺と機知にあふれた短編小説ってなっているけど、この文章の何処が風刺が利いているんだい?何処に機知にあふれた部分があるのかな?だいたいそれに、これがそもそも短編小説であるわけないよ。ほ〜う、用意がいいじゃないか、それにわざとらしいツッコミだけどなかなかいいところに気がついたね、鋭い勘しているよ、もうお手上げだ、君には花丸をあげよう、大変良くできました、えらいなあ、その調子でがんばってくれたまえ、君のような優秀な生徒を持って先生は大変誇りに思うよ、教師生活二十五年、かつてこれほど感動したことはないよ、先生は今猛烈に感動している、感動し過ぎてもう銀河の果てまで飛んでいきたい気分だ、さようなら、先生は君たちとの学園生活の思い出を胸一杯に詰めこんでこれから気ままな一人旅に出るんだ、もう帰らない、先生は後ろを振り返らない主義なんだ、過ぎたことはきれいさっぱり水に流して忘れよう、そうだ、先生は御都合主義の軽薄男だ、さあ、新しい人生のはじまりだ、蛍の光窓の雪、これから未知の世界に向かって魂の旅立ちだ。そうだ!運命の翼で羽ばたけ!何処へでも勝手に飛んでいけ!それが貴様にはお似合いだ!貴様にはうんざりしていたんだ!帰ってきたら殺すぞ!ボクちゃんは仲間と公園でママゴト遊びでもしているよ、砂場でトンネル堀りをしているといつの間にやら夕暮れだ、もうおうちに帰らなけりゃ、おうちに帰ってご飯を食べてお風呂に入ってテレビを見ておねんねさ、じゃあね。


10月19日

 なんだかわけのわからないことをごちゃごちゃ書いているなあ。これもある意味では鬱陶しいんだよな。憂鬱な文章だよ。じめじめしていて湿り気があるのかもしれないね。湿度が高くて不快な気分だ。何やら情念がこもっているようだ。言葉の運びに軽快さがない。その特徴は人間とコンピュータの違いで説明できるかもしれないね。コンピュータは動作の完全性を目指して作られているから常にバグを修正する方向で進化し続けているのに対して、人間は常に間違える方向に、バグが拡大する方向に進化し続けている。そう、人間とコンピュータを比較すること自体が既に間違っていて、しかもその間違いを正しいと認識してしまうこと自体も更なる間違いを引き起こしていて、これこそがバグが拡大する方向での人間の進化だ。つまり、わけのわからないことをごちゃごちゃ書いているこの現状が既にバグが拡大しつつあり、この文章自体が人間の間違った方向での進化を証明しつつあるらしい。でも、これとはまったく正反対の現象でも人間は進化するよ。それは、脳みそが意味に食い荒らされて固定観念のロボット状態になる人間のコンピュータ化であり、自分が自身をコンピュータ化していることに気づかないまま、更なる思考や行動の単純化合理化目指して神経を研ぎ澄ましているつもりなんだ。その競争社会の強迫観念が精神の歪みを生じさせて、さっきとは別方向でバグを拡大させるのさ。それによっても人間の進化の方向が間違ってることを証明しているよね。更に言えば、人間のコンピュータ化は人間の思考パターンや行動パターンの単純化であるのだから、同時にそれは人間の動物化でもあって、自然環境に溶け込んだ野生動物の思考パターンや行動パターンにより近づくことでもあるんだ。つまり、人間はコンピュータ化されてより単純になることが逆により自然状態に近づくことでもあるんだ。しかも単純になることが人間の進化でもあり、それが間違った方向での進化であるにもかかわらず、人間の進化の方向の正しさを証明しているわけだ。これこそが人間の倒錯した本質を如実に示しているね。要するに、ごちゃごちゃわけがわからなくなるのも単純になるのもどちらの場合でも人間の正しい進化なのさ。つまり、コンピュータが人間に近づくためには単純化と複雑化の複合体としてわけのわからないバグだらけの暴走状態モードを積極的に取り入れなきゃね。でもそうなると役に立たなくなるよ。


10月17日

 何とか役に立たない不能の文章にならないものかね。勇ましいのは嫌いなんだ。何かを告発するような文章じゃいけないな。何かの役に立つような功利的な文章じゃだめなんだ。気休めのための遊びのような文章にならなきゃね。やはりより一層の軽薄さが必要かもね。一切の有用性から解放された、内容のない表面だけの文章に近づかないと面白味がないんだよな。文章に中身や深みなんかがあったら鬱陶しいだけだよ。憂鬱な気分になっちゃうね。世間のお役に立つようじゃその文章はもう終わりだよ。文章は文章自身に近づくべきだし、言葉は言葉自身により一層近づくべきなんだ。文章や言葉から意味が発生するようじゃだめなんだよ。意味不明でわけのわからないへんてこりんな文章にしなくちゃね。すべての意味を完全に排除したところに文章の憩いが訪れるだろう。意味の重さから解放された言葉の自由な可動性によって文章が文章自体に溶け込んでしまうのさ。それはもう夢のような光景が展開されて、目も眩むような言葉の迸りでほとんど脳死状態になっちゃって、やがて呼吸も止まって心臓停止に至っちゃうんだ。もはや臓器移植する暇なんてないんだよ。おまけにすぐに腐りだしちゃってあっという間に跡形もなく消滅しちゃうんだ。つまり、あまりにもすばやいんで文章の憩いは誰にも認識できないんだ。それはその瞬間だけにしか存在しない雷光のようなものであって、次の瞬間には何事もなかったかのようにまた平凡な意味を伴った退屈な文章に退行しちゃうんだ。世間にはびこっている退屈な読み方によって文章そのものが腐っちゃうのさ。言葉から意味という名のウジが湧き出しちゃうのさ。何しろ近頃は頭の中にハエがブンブン飛び回っているような奴ばかりだからな。文章を読む以前に既に脳みそが意味に食い荒らされちゃっているからな。そうなるともう固定観念だけのロボット状態だね。そうなったらもう終わりだよ、でも世の中はそういう終わった奴らに牛耳られているんだろう。やはり文章の憩いなんて幻想でしかないな。まあせいぜい倒錯した言葉遣いとひねくれた文体で遊んでいるよ。すべては見せかけだけさ、何もかもが抜け殻でしかないよ。文章も言葉も既に死んでいるんだ。


10月15日

 しょうがないな、この倒錯の言葉遊びもいつまで続けるつもりなのかな。でも人間が生きて死ぬのにも何か目的があれば少しは救われるかな。洒落やロマンがあれば気晴らしにはなるかな。じゃあ暇つぶしに歴史に思いでも巡らせてみよう。そして日本の歴史にロマンを感じちゃうんだ。例えば縄文人に日本人のルーツを夢見ちゃおう。でも縄文時代にはこの地は日本だったのかな?だめだなあ、疑問を感じちゃだめだよ、ロマンを感じるにはそういう疑問は無視しなくちゃ。別に日本が昔から日本じゃなくても縄文人と呼ばれる人達が日本人じゃなくても構わないんだよ。はるか昔に人が住んでいた痕跡が見つかればそれを日本のルーツにしたくなるのが人情ってもんだろう。歴史が長けりゃそれだけ一層ロマンを感じちゃうものさ。やっぱ日本も中国の歴史の長さに近づきたいよね、日本にも昔から文化が栄えていたことを主張したくなるのが現代人の人情ってもんだろう。竪穴式住居でも石器時代でも文化は文化さ。そうだよ、縄文式土器は一万年も前から存在するんだ、世界最古の土器なんだよ。やっぱこの世界最古ってやつがしびれちゃうよね、世界に自慢しちゃえるよ。歴史が古いだけで現代人は鼻高々なんだ。アメリカの歴史なんかたかだか二百数十年なのに日本には一万年の歴史があるんだぜ!すげーだろ!でもアメリカにも先住民がいたんだよな、それを考慮に入れると日本と同じくらいの歴史になっちゃうね。大丈夫、アメリカ大陸に先住民がベーリング海峡経由で渡ってきたのはせいぜい二万年前、日本には既に六十万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっている!やった!北京原人と同じくらい古いぜ!アメリカに勝った!でもなあ、どうせならアウストラロピテクスと同じくらい古い人骨でも見つかればいいのにね。そうだ!日本を人類発祥に地にすればいいんだ!これで日本は世界一!昔から自分の一族の家系図を持ち出して自慢するほど悲惨な奴はいないってね。考古学者は悲惨な奴等の集まりなのかな。


10月13日

 例えばこんな嘘をついてみよう。人間は死ぬために生きている、より良く死ぬために、より深く、より静かに、より安らかに死ぬために生きている。なんだかカッコイイ目的だろ?死ぬのが生きるための目的だなんて洒落てるよ、ロマンを感じちゃうね、あこがれちゃうね、しびれちゃうよ。これがいわゆる無の境地ってやつかな。それってなんだかキザでいやみかもしれないけど、民族や国家に思いを馳せちゃうシバリョータロー君よりはマシかな?なにしろ彼は、日本ではとうに途絶えた千年前の風習が韓国では今なお生きづいていることに感動しちゃって、韓民族の伝統と慣習の根強さを脳天気にほめたたえちゃうんだ。この地では有史以来五十回もの異民族の侵入があったにもかかわらず今だに力強く朝鮮民族は存在している、これがもし他の地域であったならとうの昔に跡形もなく滅び去っていただろう、だってさ。民族が存在していようが滅び去っていようがどっちでもいいのに、歴史の結果に確かな根拠を見出そうとしちゃうところが軽薄だよ。民族やら国家という現代の尺度から過去の歴史を説明しようとしちゃうんだからね。たかだか百年前に生まれた民族や国家という概念で千年前の王朝を説明しちゃうところに無理があるんだよ。その無理を自分の勝手な想像力で埋め合わせちゃうんだから歴史と観光の旅って無邪気なもんだよね。しかしはるかな歴史に思いを馳せちゃうのって何なんだろうね?後先のない老人のロマンチックな誇大妄想なのかな?これも老人性痴呆の一種なのか?でもやっぱ君もシバ君の本を読んでカンドーして妄想の旅に出ちゃうのかい?街道を歩いて過去の歴史に思いを馳せちゃうのかい?まあせいぜい趣味や遊び程度でやるなら文句はないけど、憂国の士になって「日本人はどこから来てどこへゆくのか」なんていう捏造された今日的諸問題のひとつについてうん蓄を傾けないようにしてね。せっかくシバ君が死んでせいせいしているのに、うっとうしい二番煎じはみっともないしうんざりだよ。でもNHKスペシャル「街道をゆく」を見てカンドーしちゃう人は大勢いるんだろうね。いやだな〜それに影響されてまた似たようなインチキ野郎が出現しちゃうのかなあ〜。


10月11日

 君は君でしかないけれど、君は常に君以外の人間になろうといている。君の思い描く君のイメージは君じゃないよ。君が君であっちゃ困るんだろ?君は。君の思い描く理想の君は今のままの君じゃ決して満足しないはずさ。どうしようもなくみすぼらしくて貧相な現実につなぎとめられて身動きが取れない今の君を許せないんだよ。そう、こんなもんじゃなかったはずさ、もっとすごい奴なんだろ?ほんとの君は。そうだ、何かが君の邪魔をしているんだ、君の知らないところで何かよからぬ陰謀が企てられていて、君は罠にはまってしまったんだ。そうだよ、君は悲劇の主人公だよ、そして今ある醜い現実を怨んでいるんだ。はっはっはっ!君はこのままいじけたルサンチマンで終わるのかい!死ぬまで現実に押しつぶされたままなのかい!惨めだな!そうさ!君はこういうふざけた挑発に怒り爆発だぁ!許せん!もう絶対に許さないぞ!今に見ていろ俺だって!貴様の悪事をとことん完全に暴いてやるぜ!そして貴様を世間の晒し者にしてやるんだ!俺様をなめんなよ!今こそ俺様の本当の実力を見せてやる!…君の誇大妄想ってざっとこんなものかな?まあがんばってね、僕が野次馬になって周りで囃し立ててあげよう。そうだね、味方がひとりでも多くいれば君も心強いはずだろ?僕が味方になってあげるよ。そして君と僕との友情の証しに、君が死んだら追悼文でも読んでやろうじゃないか。君の偉大な死に栄光あれ!君の勇気ある行動に幸いあれ!君のその英雄的な死は決して忘れないよ、と言いながらすぐ忘れちゃうんだ。僕は忘れっぽいのさ、君の英雄的な死なんて今では誰も思い出せないよ、勝手に死んでいてね。僕はまたルサンチマンの犠牲者を捜し出してそいつと善意の連帯を形成しよう、そいつと魂の友情を誓い合うんだ。そうだ!今こそ立ち上がるんだ!くだらない現状に拒否の弾丸を撃ち込もう!そして世界の歴史に君の偉大な足跡を刻みつけようじゃないか!君の誇大妄想に栄光あれ!


10月9日

 でも世の中つくづく救いが無いよね。休息する場所も無いし、憩いのときも無いよ。何もかもがびっしり詰まっていて隙間がないのかもしれないね。すべてが連続していて途切れることがないって言ったらいいかな。そう、何もかもすべてが存在していて夜も昼も休みなく活動し続けるんだ。息が詰まるような無限の世界だ、しかもそのすべてを把握することはできないのに、断片的にしか認識することしかできないのに、存在するすべてにつながっていてなにものからも逃げられないんだ。でも、なにものからも逃げられないのに逃げているように装う振りはできるんだよね。何もかもがすべて存在する厳しい現実世界から逃避して自己の内面のイメージの世界で自閉できるんだよ。それは虚構の世界でしかないけれど、休息する場所であり、憩いのときも過ごせるよ。そこで救われたりしちゃうんだ。何しろ、そこでは自分の思いついたものがその都度すべてだから途切れ途切れで隙間だらけだからね。まるで実在しないイメージの世界なんだから、自分が思い出さない限り向こうから強迫的に迫ってくることもないし、気楽なものさ。こちらが勝手に都合のいいように思い描けばいいんだよ。思い描いてごらん、そうすれば君の理想の楽園が心の中に出現するよ。なんて素晴らしい世界なんだ、こんな素晴らしい世界は現実には存在できないよ。君の好き勝手な享楽の世界に乾杯だね。そうだ、君の享楽のイメージを限りなく膨らまそう、いくら膨らましても心配御無用さ、誰も文句なんか言わないよ、そこは君の天国なんだ、君がその世界の王様なんだ、創造主だ、神様だよ、やりたい放題やってくれ、イメージの楽園で心置きなく遊んでくれよ。そんな君は人畜無害な人間だし、毒にも薬にもならないどうでもいい奴だけれど、群衆の一部を構成する塵や芥のような存在だけれど、君にとっては世界でたったひとりの君なんだ、せいぜい勝手に生きて勝手に死んでくれ、それが君のイメージの外に存在する唯一の現実であり、唯一の真実だ、それが救いも休息も憩いもない君の存在している世界の掟だ。


10月7日

 君は他人と面と向かって対話できるかい?君には他人と正々堂々と対等な立場で対話できるような環境が与えられているのかな?例えばそこに自分の仕事上の利害関係が絡んでくると途端に対等な立場ではなくなるよね、客とセールスマンの関係みたいに。他にも親子や夫婦や先輩と後輩や教師と生徒の関係みたいに、対等な立場を取り得ない非対称な社会関係はいくらでもあるよね。でもそういう様々な社会関係を背負っていても、お互いの信頼関係を築けば対等な立場で対話できるようになったりしちゃうのかい?友達関係みたいに?なんだか嘘っぽいね、それって社会的に優位な立場にある奴の許容の範囲内でしか成り立たない虚構だろ?使用人が主人の立場を脅かすような言動に出たらそこで信頼関係は終わりだよね。要するに対話する者同士の社会関係が維持される範囲内でしか対話は成立しないってことさ。それが君に与えられた環境であり限界だよ。その許容範囲を超えたら対話ではなく対決になっちゃうのさ。罵り合い嘲り合い、時には暴力に訴えちゃうんだよね。なんだか情けないよね、そんなことになっちゃうと。自分の了見の無さや偏狭さがむき出しのまま露呈されちゃうのって悲惨なことだよ。最初は余裕たっぷりにおとなぶって微笑を浮かべながら話しているのに、突然真っ赤になって大声で怒り出しちゃうみっともないおじさんて結構いるよね。案外そういうおじさんに限って「人間はお互いの信頼関係の構築が大事だ」なんて真顔で目下の者に訓示を垂れちゃうんだよ。「人間通」にも困ったものだ、早く大人になれよ、なんちゃって既に大人なんだから困っちゃうんだよね。でも世の中そんな世間知らずの甘っちょろい奴ばかりじゃないよ。君と対等に対話しているように装いながら君の自尊心をくすぐって、君の油断に付け込んで君を自分の利益になるように操縦しようとする悪どい奴はいくらでもいるだろう。でもそういう詐欺やペテンが無いと日本経済は動いていかないね、馬鹿な消費者が営業の甘言に騙されてローンを組んで借金してまで商品を買わないと経済成長は見込めないものね。もう後戻りはできないよ、そうだ!破滅に向かって暴走だぁ!ひたすら商品を買え!破滅したら自己破産で逃げてね。


10月5日

 でもさー、双方向性って何だろうね。討論や対話が形の上では双方向性なのかな。だとしたら、そんなものは昔からずーと行われてきたことだし、今更特に重要視するほどのことでもないと思うんだけど。それにテレビ番組が視聴者の意見を取り上げるのは、視聴者に媚びて視聴者の望むような番組にして視聴率をアップさせたいという番組制作者側の勝手な思惑でしょう。要するに「インタラクティヴ(双方向性という意味で使っているらしいが、英和辞典で調べると[相互作用の]というきわめてありきたりな意味)」っていう言葉のイメージで何かカッコイイことを述べているような錯覚を視聴者に与えたいんだよね。なんだかインチキくさいよね。そういえば「マルチメディア」もマルチ商法(ねずみ講)みたいでヤバそうだけど、結局、テレビだろうが新聞だろうがインターネットだろうが、それらはただ一方的に自分達に都合の良い情報を発信しているだけじゃないかと思うんだ。つまり、それらは、様々な言葉や映像や画像を駆使して情報の受信者を魅惑し誘惑して商売に結び付けて利益を回収するための装置なんだろう。それが受信者の望むような言葉や映像や画像なら、受信者もそれらから快楽を得て満足して、結果として発信者と受信者の双方が利益を得てハッピーエンドで一件落着だぜ!それがマルチメディアの提供する双方向性の理想像ってわけだ。それって昔ながらの商売とどう違うのか?要するに商品が「製品」という物質から「情報」というイメージにかわっただけで、情報は製品に比べて輸送コストがかからないからそれだけ効率よく利潤が得られるってことか?でもねー、そうやって情報産業が効率よく利潤を上げて肥大化していっちゃうと、相対的に製造業(農業漁業も含む)の方にしわ寄せが来ちゃうような気がするんだよね。だって金は天下のまわりものだろ?情報産業ばかりに利益が集中しちゃうと製品コストがそれに食われちゃっていくら物を作っても利益が上がらなくなっちゃうような気がするんだけどね。人間って「情報」というイメージだけでは暮らして行けないよね。でも将来は製造業はすべてロボット化されちゃったりして、人間はただコンピュータの画面を見ているだけが仕事になっちゃうわけ?そうなると情報産業も製造業もやっている仕事内容は変わらなくなるってか?


10月4日

 あ〜あ、またしょうもないことやっているね、ニュース23。キャスターが事件について意見(コメント)を述べるべきかどうか、という設問で視聴者の意見を募集して、それに対してチクシ君がまたしょうもない意見を述べちゃってるよ。だいたいそんな設問じゃ視聴者の意見が予定調和に陥るしかないだろう。それは、報道の客観性を追求するならキャスターの事件に対する偏った見方考え方が視聴者に影響を及ぼすからよくない、という意見と、事件について視聴者が考える上でキャスターの意見が参考になるし役に立つからよい、の二種類しか存在できないのはわかりきったことじゃないか。たとえ一日千通もの意見が寄せられても内容は同じだし、実際に番組で取り上げる意見もこの二種類になるしかないよね。そしてそれに対するチクシ君の意見も、世の中には様々な意見があってもよくてキャスターも様々な種類の人間がいて様々な意見を述べてもいい、となって、人間の多様性と考え方の多様性という紋切型を披露しちゃうんだよね。ぜんぜん多様じゃないよ、視聴者もキャスターも誰も自分独自の意見を述べられないじゃないか、世間に流通している紋切型を自分の意見と錯覚しているだけだよ。まあそれが当り前だよね、ああゆう設問にはああゆう答えしか生じないんだ。それは人間の多様性や考え方の多様性とは別問題だよ。それは視聴者の意見を求めてそれに答えるというニュース番組の構造自体から発生する設問であり回答なんだよ。それがインタラクティヴであり双方向性というならそんなのはまやかしだよ。何も変化しないし誰も傷つかないようなら何をやっても無駄だよ。そんなことじゃ、視聴者とキャスターの貧しき連帯を深めるばかりだよ。でもまあそうやって貧しき連帯によって「国民の世論」を形成しちゃうのがニュース番組なんだから何を言ってもしょうがないよね。要するにこんなことを述べても無駄なんだよね。


10月3日

 それにしても、国際情勢や国家論なんてどう論じてみてもまるでリアリティを持ち得ないね。それは当然さ、日々の生活に追われる一般庶民にとっては、それらは、どうでもいいような漠然とした焦点の定まらないまなざしでテレビを眺めながら聞き流したり、新聞や雑誌を退屈まぎれに読み飛ばすために必要な一種の潤滑剤なのさ。彼らは退屈な日常を見慣れた風景のように忘れ去るためにテレビを見たり新聞を読んだりするのであって、それらは遠い別世界の物語として人間の記憶を奪い去るためだけに日々更新され続けるんだ。均質で似たような情報の大洪水に晒されていると、過去の記憶なんか何もかも忘れ去らなくちゃ容量オーバーで脳みそバーンになっちゃうもんね。そうだよ、自分に直接の利害関係の無いものは忘れるのが一番だよ。それに、どうでもいいことは忘れるのはもちろんだけど、いやなことも早く忘れたいよね。でも早く忘れたいいやなことは忘れられないんだよね。忘れたつもりでも思いがけないきっかけで思い出しちゃって、またいやな気分になっちゃってますます忘れられなくなっちゃうんだよね。そうなんだ、でもそれはそんなに悪いことでもないのかもしれないよ。つまりそれは、忘れられないいやな思い出が彼の身勝手な健忘症に彼自身を抵抗させて彼を彼自身に縛り付け、結果として彼を無味乾燥な情報の大洪水から守っているんだよ。結局、何でもかんでも都合よく忘れ去ることなんてできやしないんだ。いくらテレビや新聞を使って忘れ去ろうとしても無駄なんだ。過去は現在を飛び越して未来につながっているんだ。いつかある日ある時、何の前触れもなく突然、過去に被った傷口から鮮血が勢いよく吹き出すかのようにつながっているんだ。そうだよ、過去は君の身勝手な健忘症を非難するために未来に出現するんだよ。君が君自身でしかないことを思い出させるために、君が、過去においても現在においても、そして未来においても、君が忘れようとしているどうしようもなくくだらない君でしかないことを君にわからせるために、絶えず君に向かって出現し続けるんだ。


10月1日

 まあヤクザ理論も結構だけど、別にアメリカだけが一方的にヤクザなわけないよね。日本だってヤクザ仲間なんだから、アメリカも日本もヤクザ同士お互いに対等の関係で仲良くやって欲しいよ。ハシモト君もあんまりアメリカの子分みたいな態度をとっていると他の国々(ヤクザ)から嫌われちゃうよ。例えば中国や台湾や韓国や朝鮮やロシアとも、せいぜい外交ゲームでなあなあの関係を保って経済的に互いに持ちつ持たれつの関係を強化していけばそれでいいんじゃないのかい?わかりきっていることだけど、軍備増強して見栄や意地の張り合いをすることが破滅への第一歩だよ。でも国家って、馬鹿で従順な国民どもに危機感を煽って馬車馬のように働かせて税金を搾り取って軍備増強して、それを外国に見せびらかすのが好きだからね。それで国家としての威信を保つことができるってか?日本も見栄っ張りだから国連の常任理事国になって大国としてカッコつけたいしね。まあともかく先立つものはカネだね、カネがないと見栄を張れないよ。軍備増強する前に行革で借金を減らすのが先決なんだよね。案外行革で失敗して経済も破綻して日米軍事同盟の強化も単なる空手形に終わるんじゃないのかな。だいたい国家なんて既に国民から見放されていると思うんだけどね。いまどき馬鹿で従順で馬車馬のように働く国民なんて存在するのかね?北朝鮮じゃあるまいし。戦争になったらなったで知ったこっちゃないだろう、勝手に戦争をやっていろよ、巻き込まれたら勝手に死んでいるからさあ。いや、死ぬのはいやだからまずは逃げるかな、まあどっちにしろ戦争になったときに考えよう。でも国家のために死のうとするような奴は馬鹿だよね。自衛隊員だって給料もらって戦争ごっこの予行演習をやっているんだからね。でも朝鮮半島あたりで戦争になれば戦時景気で日本の経済が持ち直すんじゃないのかな。他人の不幸は蜜の味っていうから、日本の政治家や財界関係者の皆さんも密かにそれを期待しているんじゃないの?ってことで今回は評論家の真似ごとでお茶を濁そう。