彼の声174

2026年

4月1日「わかっていないこと」

 何かわかっていないことがあるとすれば、それが自分には関係のないことであるなら、わかっていなくても安心できるかというと、関係ないのだからわかっていなくてもそれほど深刻な事態でもないと思うにしても、関係ないかどうかなんて、それがわかっていないなら、というか何がわかっていないのかが、自分に関係のあることかどうかもわからない場合、深刻な事態かどうかもわからないし、そこで話の前提が崩れてしまうような不安感に襲われるわけでもないが、わかっていないことが自分に関係のあることかどうかなんて、そう簡単にわかるわけでもないなら、あまりわかっていないことについて心配するのも、杞憂に終わる可能性も高そうで、心配するのではなく、何がわかっていないのかをわかろうとするのかも知れず、それもわかっていない内容にもよるだろうが、わかろうとする過程でわかってくることもわからないままになってしまうことも出てきて、そこでわかっていないこととわかってきたことの仕分け作業をやっているような感覚が得られるなら、少しは安心できるかも知れず、安心したくてそんなことを考えていたり、わからないことを調べていたりするなら、そんな作業に没頭している限りで、気が紛れるかも知れないが、何もわからないうちからそんなことを想像してみること自体が、何だか想像するだけ無駄なような気がするが、先行きを懸念するのは誰でも気休めに心配するようなことだから、何かのついでにそうなってしまうのだろうが、心配の種が何かの利害関心に囚われていることでしかなければ、それも誰もが資本主義市場経済の中で暮らしているからだと達観してみたところで、そこから何かもっともらしい思いつきに至るとも限らず、その逆に、あり得ない妄想に囚われている可能性も捨てきれないから、それが何なのかを考えてみれば、おおよそ偏見や固定観念や先入観などのこだわりに行き着きそうで、それが自分に特有のこだわりなのか、それとも世間から有形無形の影響を及ぼされた結果として妄想される集団的な共同幻想の類いなのかも、どちらであっても勝手に頭の中で自分の都合に合わせて、それらが混じり合っているのかも知れないから、そうなっている限りでそんな世間の一部として自分の頭の中で自意識が構成されていることに思い至るかも知れないが、それがどうしたわけでもないと、またもや調子に乗って達観してみたところで、いくら何を達観してみても自らの愚かさを拭い去ることなどできはせず、結局だから何だと開き直ることしかできないようで、最近は連日イランがどうしたアメリカがどうしたイスラエルがどうしたとニュースに気を取られているうちに、それとは別のところで何かが絶え間なく進展しているようで、それが何だかわからないでは話にならないが、例えば、仮想通貨に量子リスクがあるとかないとか、暗号解読のハードルが低下する恐れをグーグルが研究者の論文の中で警告しただのと、さっそくメディアが話題を提供しているようで、米グーグルの研究者が、将来の量子コンピューターがビットコインなどのデジタル資産を保護する暗号技術の一部を、従来想定より少ない資源で解読できる可能性があると警告したそうで、ビットコインなど持っていない人には関係のない話だと軽くみておくと、何か将来においてとんでもないことになるかどうかも、確かにそんなことなど現時点ではわかりようがないが、グーグルは差し迫った崩壊を予測するものではなく、業界に対応の時間を与えるための警告だと位置付けたそうで、自社のセキュリティーシステムを2029年までに全面的に耐量子暗号へ移行する計画を示しているそうだが、そんなのは以前から言われていたことだから、そんな話題をなぜメディアがこのタイミングで取り上げたのかと考えてみたところで、その意図など自分にはわかりようがないから、現時点は何でもないことには違いないだろうが、今さら取り立ててそんなことを知りたかったわけでもないし、たまたまネットでニュース・メディアを見たら、そんな話題が目についただけで、それこそが自分には大して関係も関心も興味もないことだと、今のところはそう思うしかないが、では他に何を知りたかったのかというと、それもニュース・メディアに気を取られているうちに忘れてしまったのかどうかも、この時点では思い出せないわけで、ここでそんなことを思い出す必要さえ感じられないのだから、完全にそれらのニュース・メディアによって、何かをはぐらかされているような気もしないではないが、すでに何を考えていたのかも思い出せないのだから、それが聞きたいことや問題の核心を意図的にずらされて、問おうとした何かを得体の知れない何かによって、適当にあしらわれて煙に巻かれていることになるのかどうかも、その得体の知れない何かの正体もわからないのだから、そんなふうに思ってしまうこと自体が、自らの勝手な妄想に過ぎないとしても、何かによって、あるいは何かから影響を及ぼされて、現時点ではあり得ないことを妄想してしまうのかどうかも、それが何なのかといっても、やはり依然としてそんなことなどわかりようがないのだが、こうやってわざと何かの本筋とは違う話をしてごまかしていると受け取られるなら、本筋とは何なのかもわかりようがなく、それに対してもどかしさや不誠実さを感じるならその通りで、いくら問うてもまともに答えなど返ってこないから、かえって問うたびに謎が深まりそうで、その謎が何なのかもわかりようがなく、自身が直面している問題から逃れるために、ひたすら答えを避けて、それに取り組むのを先延ばしにしているとも思えないが、こちらはそれを追及しているのに、話をはぐらかされている場合、相手は本音を言いたくないのか、その話自体をそこで終わらせたいと感じている可能性が高いそうだが、何がそうなのかといっても、元から真剣な話などにはなりようがなく、その種のニュース・メディアがどんな話題を提供していると考えても、それが需要に応えた話題かどうかも、それがユーチューブ動画なら再生回数や高評価などによってわかるだろうから、再生回数を稼げそうな話題を提供する方向へと自然と動画の傾向も推移して行くだろうと推測できそうだが、それが何なのかといっても、その種の動画を視聴しているうちに、自然とそんな傾向がわかりそうで、そういうことの繰り返しからその方面での市場のコンセンサスも形成されてくると考えておけば無難な感じがするわけで、そんなふうにしてその種の動画を視聴するたびに、そちらの方面へ意識も関心も誘導されて行ってしまい、それが何なのかといっても、ただ単にそういう話題に興味や関心が向くように仕向けられていると考えればその通りのような気がするのだが、たぶんそうなったところで、自分の自意識がその種の話題に慣らされているに過ぎないから、そういう方面に向かって自意識が構成されてくるとしても、やはり何でもないことなのではないかと思ってしまうのだが、たぶんそれも自分の利害などに直接かかわってくることだとは思えないわけで、自分とは関係のない社会のどこかで見ず知らずの他人が活動していることをメディアにいちいち伝えられても、そこから自分にとってその活動が有利に働くか不利に働くかなんて、そんなことを思いつくわけでも考えられるわけでもない限りで、自分とは無関係だと思うしかないのだろうが、それも気づかないところから自らに何らかの影響を及ぼしてくるとしても、そんな影響などたかが知れていると軽視できるかどうかも、影響を及ぼしてくる物事にもよるだろうから、その辺はその物事が何なのかによって自らの対応も変わってくるだろうが、話の内容は相変わらず取り止めがないようで、何でもないようなことを述べているに過ぎないわけだ。