彼の声13

1999年

7月28日

 何でだろう、Pascal Write 3.0で書いてからNavigatorで表示させると特定の漢字が文字化けしちゃうんですよね。で、林檎の花からCuTE 0.6というエディタをダウンロードしたら、これが使えるじゃん!6千円のワープロソフトよりフリーウェアのエディタの方が使えるぜ!作者の藤本 尚邦さん、あんたは偉いっ!でも、もしかして、こういうエディタって探せばほかにもけっこうあるんだろうか?ただ単に私が無知なだけだったりして(笑)。 ともかく、これでこのPowerBookにLinuxを入れなくてもよくなりました。せっかく苦労して入れても、例えば内蔵モデムが使えなかったりしちゃ うと(その可能性がなきにしもあらず)、疲れがどっと吹き出してしばらく立ち直れなくなっちゃうからね。とりあえず、Linux導入は安い中古の PowerMacでも買う機会が巡ってきたときに考えましょう。と、ここまで書いてきて、このファイルを保存してからNavigatorで見たらやっぱり 文字化けしてたなんてことはないだろうなあ。おい、頼むから文字化けするなよ、馬鹿野郎!

 やったー、大丈夫だったぜ!なるほど、ファイルを保存したときの音がキュートなんですね。
 
 

7月27日

 はははは、久しぶりにPC9821Xsを立ち上げました。結局、面倒臭いので新しい机は買わずに、今までオーディオアンプとラジカセを置いていたしゃが んで座る小さな机にPCを設置しました。しかし、PCの上にアンプとラジカセがのってその横に15インチCRTモニターがある光景はなんとなくカッコ良い かも知れん(勘違いか?)。実際つながっていないんだから意味不明ですけどね。で、今はFreeBSDのmuleで書いているんですけど、Wnn4.2で さすがに漢字の変換効率は悪いんですけど、やはりこの速さは快適ですね。やっぱ、Mac OS + Netscape Composerでは遅くてストレスが溜っちゃいますねえ。面倒臭いけどPwerBookにもLinux入れようかな(笑)。それから、そうだ、面倒臭い といえば、このFreeBSDはどうしようかなあ。せっかく買ったんだからWnn6にバージョンアップしたほうが良いのでしょうけど、どうせならOSごと バージョンアップして、最新のウインドウマネージャのGNOMEやKDEでデスクトップをカッコ良くしたい気もあるし、でも、今使っているWin95風の qvwmも軽くて設定が簡単だから捨て難い所もあるしなあ(笑)。ああ、それからLinuxマシンとLANでつながないとねえ。.....ひー、やること がいっぱいあって面倒臭いぜ!何だか、結局何もやらずじまいだったりして(爆笑)。
 
 

7月26日

 そういえば1999年の7月もそろそろ過ぎ去ろうとしていますけど、はたしてノストラダムスの大予言は当たったんですかね。期日がまだあと数日残ってい るので、ちょっとフライング気味ですけど、私の知った範囲内では、それに該当すると思われる出来事が2件ほどあります(強引なこじつけかもしれません が)。一つ目は以前にも一度この場で指摘しましたが、日本テレビの特命リサーチ200Xという番組で述べていた、7月が誤訳であり、本当は3月が正しい、 この線でいくと、3月に始まったNATO軍によるユーゴ空爆が空から降ってくる恐怖の大王と解釈できます。2つ目は、今月に起こった出来事で、空から降っ てくる恐怖の大王は実はケネディ・ジュニアだった説です(笑)。彼が空から降ってきて墜落死した結果、全世界が悲しみに打ち沈んだわけでしょう(本当に悲 しんだのは一部のアメリカ人だけかもしれませんが)。だいたい今まで当たったとされる予言だって相当強引な解釈(こじつけ)なのでしょうから、この(私の 妄想である)恐怖の大王=ケネディ・ジュニア説は結構有力なんじゃないでしょうか(笑)。それから、ああ、忘れちゃいけない、北朝鮮が今月中にテポドンを 発射すればそれが恐怖の大王になりますか(爆笑)。ま、月末までのあと数日中に思わぬ伏兵が登場して、「大予言」の主役の座をかっさらっていったらおもし ろいですけどね。ああ、まだあった、かなりスケールがちっちゃいですけど、案外この間のハイジャック犯が恐怖の大王だったんじゃないですか(笑)。
 

7月25日

 へ〜、日本の民主党は人気がないそうです。女性にもてないんだそうです。なんでも、セックスアピールがないとか(笑)。ああ、ようするにイメージ戦略で すか。世論調査の結果で話に説得力を持たせているわけですね。なかなか芸が細かいですね(うそうそ、毎度おなじみの手法)。で、セックスアピールのある人 といえば、例えばケネディ・ジュニアみたいな人?それで、こういう中身のない馬鹿な挑発に乗って、例えば芸能人崩れのインチキ・アドバイザーでも雇って、 わけのわからない人気取りキャンペーンとかを展開しちゃうのでしょうか、民主党関係者は。まさかねえ、それほど愚かじゃないよね。別に民主党支持者じゃな いですが、政治家が女にもてなくても(女性政治家の立場はどうなるんだ?レズビアンならいいとか?)セックスアピールがなくてもいいでしょう。多くは望み ません、とりあえずマトモで理にかなった発言をして、変節せずにその姿勢を貫いてくれればそれでいいんじゃないでしょうか。あ〜、あほくさい。でも、これ をあほくさくないと思う人が多数派なんですよね、今の日本では。
 

7月21日

  昨日は海の日ですか。わけのわからない休日ですね。まあ国民の祝日にもっともな理由があろうがなかろうがどうでもいいことですけど、自分は祝日とは関係の ないくらしをしているので、何のありがたみも感じませんが、これも一つの、国民は祝日は休めよ、という国家の意向に逆らった生き方の実践なんですかね (笑)。別に自発的にそうしているわけじゃないんですけど、と言いつつ、嘘です、実は昨日は休みだったんですよ。大体火曜と水曜が休みのときが多いから、 たまたま昨日は、自分の休みの日と国民の祝日が重なっただけなんですが、それがどうした、でしかありませんけど。ああ、意味のない文章だ〜。

  ところで、アメリカの株高は一体いつまで続くのでしょうか。以前、平均株価が1万ドルを突破したときは、もうヤバいんじゃないかと思ったんですが、それか ら更にアップして、いとも簡単に1万1千ドルの大台に乗ってしまって、この驚くべき状況には、シロウトの私はもうほとんどチンプンカンプン状態です。 ニュースでは、アメリカの好景気が持続しているから、としきりに説明していますが、それではたしてみなさんは納得できますか?まあ、大半の人は、アメリカ の株高なんてまるで関心がないし、興味ないんでしょうけど、と言いつつ私も、実はあまり関心はないんですが(笑)、他に書くことがないので、話題を見つけ て強引に書いているだけかも知れませんが、しかし、アメリカだけが突出したこの異常な株高に、他の国の人々はぜんぜん関知していないこの状況は、やはり、 かなり不気味な感じがします。まるで破局が訪れるまで知らん振りを決め込んでいるようにも見えます。本当はみんな破局がやってきたときに、次のようなセリ フをつぶやきたいんじゃないですか、ほうら言わんこっちゃない、ってね(笑)。そのときがやってくるまで、アメリカの株価が更に上がる度に、羨望混じりの ルサンチマンの炎を心の奥底にメラメラと燃え上がらせているのでしょうか、それとも不完全燃焼でくすぶらせているのでしょうか、日本市場の人々は。

  しかし、株にしても債券にしても土地にしても通貨にしても、それが投機(バクチ)の対象になっちゃうと、何か倫理感の欠如を感じますね。バクチに成功した 人だけがただ一方的に金持ちになり、それに失敗した人だけでなく、バクチに参加しなかった人までが相対的に貧乏人になってしまうような気がするんですが、 こんな風に考えていること自体が、すでに戦わずして敗北を認めたことになっちゃうんでしょうかね(笑)。バクチに参加しない奴はダメ人間みたいな社会は、 やはりどこか歪んでいると思いますよ。結局人間も弱肉強食の動物と同じであることを実感させられるだけですね。でも、このままアメリカに破局が訪れずに、 株価が更に上がり続けたら笑っちゃいますけど。それとも、案外、高値で安定することもありうるのかなあ?いずれにしても、私にはよくわかりません(笑)。
 

7月19日

 人と人との関係を抽象化して考えることはできない。実際に出会った特定の他者との関係を一般論に還元して、そこになにやら法則めいた関係式を抽出してみ ても、それが必ずしも別の他者に適用できるとは限らない。そのような人間の性格や行動パターンのタイプ分類が役立つのは、そういう概念を研究する学問上で の場合が大半だろう。しかし、そんなことはわかっているはずなのに、ついついそれをやってしまうわけです。他人をわかったつもりになって安心したいから。 それが他人との思わぬいさかいの原因となる。そんなことは当たり前なんですけど、一般論としての他人とのつきあい方を伝授しようとするお節介な書物が、掃 いて捨てるほど本屋さんには溢れかえっています。そんな本などいくら読んでも無駄だとわかっていても、やはり、ついつい気休めで読んでしまうほど、人付き 合いにはいつも不安がつきまとうことも確かです。などと結局苦し紛れに一般論を述べてしまっていますが、嘘です、私はそんな本など一度も読んだことはあり ません。だから人付き合いが苦手なのだと思います。そのような本を一生懸命読めば、きっと、ありふれた社交辞令や世間話のひとつも話せるふつうの社会人に なれるのかもしれませんね(笑)。ああ、これもひとつの気休めですね。
 

7月18日

 夢って何だろう。夢とは他人の夢らしい。
 考えとはとても簡単なものです。それは概念ではありません。たとえあらゆる考えから概念を引き出すことがひょっと して可能であったとしてもです。私はミネリのことを考えています。彼は夢についてとてつもない考えを抱きました。その考え自体はとても単純ですし、またそ れを口に出して言うことも可能です。そしてそれは、ミネリの作品という映画的プロセスの中に既に関係づけられています。夢に関するミネリの偉大な考えとい うのは、夢がなによりもまず夢を見ていない人間に関係するというものです。夢見る者の夢は夢を見ていない人間に関係する。なぜそれが彼らに関係するのか。 なぜなら、他人の夢が存在するやいなや危険が起こるからです。人々の夢とは常に、我々を呑み込みかねない貪欲な夢なのです。他人が夢見ているということは とても危険なことなのです。夢とは恐ろしい権力意志です。程度の差こそあれ、我々は皆他者が見る夢の犠牲者なのです。それがどんなに上品な若い女性であ れ、彼女は、その魂によってではなく、彼女の見る夢によって、貪欲な存在となる。他者の夢には警戒しましょう。他者の夢にとらえられてしまったら、一巻の 終わりです。

ジル・ドゥルーズ「創造行為とは何か」鈴木啓二訳(批評空間 II-22)より

 ヒロスエはヒロスエの見る夢によって貪欲な存在となったわけですか(笑)。有名私立大学入学という世間並みのありふれた夢の大願成就と引き替えに、その 夢の本質である貪欲さ(建て前としては清純派アイドルは隠しておくべきもの)を公衆の面前にさらけ出してバッシングの嵐ですか。つくづく悲惨なおね〜ちゃ んでちゅね(笑)。あ〜、非道なことを書いてしまった(爆笑)。

 別のところでドゥルーズはこんなことも述べています。

 我々が、コントロール型とでも呼びうる一つの社会に足を踏み入れつつあることは事実です。ミッシェル・フーコーの ような思想家は既に、我々の社会ともかなりの程度似通った二つのタイプの社会を分析しています。その一つはフーコーが君主権的な社会と呼んだもの、もう一 つは規律・訓練的(デイシプリン)な社会と呼んだものです。彼は君主権的な社会から規律・訓練的な社会への移行の時期をナポレオンの登場と一致させまし た。規律・訓練的な社会は監獄、学校、作業場、病院といった幽閉の場の構築よって ― フーコーによるこうした分析の全ては、正当にも、今なお名高いものであり続けています ― 定義されました。規律・訓練的な社会はそれらを必要としていた。しかしこの分析はフーコーの読者のある者たちのうちに曖昧な反応を生み出させました。彼ら はこれが、フーコーが最後にたどりついた考えだと思ったのです。勿論そうではありませんでした。フーコーは一度として、規律・訓練的な社会が永遠のものだ とは考えたことはなかったし、事実そのことをきわめてはっきりと述べてもいます。いやそれどころか彼は、我々が新しいタイプの社会に入り込みつつあるとい うことを現実に考えてもいたのでした。勿論何年もの間、規律・訓練的な社会のあらゆる種類の残滓が存在し続けました。しかし我々は既に、自分たちがそれと は別のタイプの社会の中にいるのだということを知っています。その社会は、バロウズが提唱した言葉に従って ― そしてフーコーはバロウズに心から敬服していましたが ― コントロール的社会と呼ぶのがふさわしいでしょう。我々はコントロール的社会に入ろうとしている。そしてその社会は、規律・訓練的な社会とはかなり異なっ た形で定義づけられるのです。我々の富を監視する側の人間は、今もこれからも、もはや幽閉の場を必要としなくなっています。監獄にしても学校にしても病院 にしても、既にそれら全ては、絶えざる議論の対象の場となっています。例えば自宅での療養を普及させた方がよいのではないかという意見が聞かれます。そ う、おそらく、未来はそういう形になるでしょう。作業場も工場も粉々に崩れ去ろうとしています。下請け制度や在宅労働の方がましなのではないかというわけ です。あるいはまた、監獄以外に人を処罰する方法がありはしないかと人は問います。こうしてコントロール的社会は、もはや幽閉の場を通過することがなく なってしまうのです。このところ、学校と職場を一度に行い得たらいかに素晴らしいかということを主張する議論が生まれつつあり、四、五十年後には更に展開 していくでしょう。しかし、この種の議論は気をつけて見守る必要があります。生涯教育というものが我々の未来の姿であり、それはもはや、必ずしも一つの幽 閉の場に生徒たちを集める必要性を伴わないものになるでしょう。しかしその生涯教育を通じて、学校や職業がどのような性格を持つようになるのか、それを知 るのは興味深いことです。コントロールは規律・訓練とは違うものです。例えば高速道路を用いて人は幽閉を行おうとはしませんが、それを作ることで実は次々 とコントロールの手段を増やしてもいるのです。それが高速道路の唯一の目的だなどと言うつもりはありません。しかし、際限なく、しかも「自由に」、全く幽 閉されることなく延々とまわり続け、それでいながら完璧に管理(コントロール)されているということも起こりうるのです。そしてそれこそが未来の我々の姿 なのです。

(同)

 ああなるほど、 近頃流行りの学級崩壊という現象は、これまでの「規律・訓練的な社会」が制度疲労を起こしている顕著な兆候なんですかね。だとすると、未だに「幽閉の場」 としての学校にしがみついている教育関係者は、脳味噌が化石化しているということですか(笑)。また、「我々の富を監視する側の人間は、今もこれからも、 もはや幽閉の場を必要としなくなって」くる、ということは、要するに盗聴すればいいわけですか(爆笑)。いや〜、自民・自由・公明の各党の共通政策は、こ れからの「コントロール的社会」にぴったりの政策ですよ。次の選挙で自自公が勝利すれば、いよいよ我が日本にも「コントロール的社会」が到来するわけです ね。サイレントマジョリティのみなさんも、自分たちの共通の夢である、明るく清潔な活力ある社会が実現されて大喜びになることでしょう。そうです、実験室 で人工的に作られた迷路の中のネズミや金網のトンネルの中のモグラのように、何の不自由もない快適な生活が待っているのです。せいぜい在宅介護を受けなが ら生涯学習でがんばってください。
 

7月14日

 しかし、HTML文のタグが複雑になるとNetscape Composerが使いこなせなくなるので、muleを画面がフリーズしないようにだましだまし使いながら書いていくしかないようです。

  で、翻訳がいい加減かも知れないという昨日の続きなんですが、今回は、同じ曲を別のミュージシャンが歌うと、その人の ルックスや歌い方で日本語の対訳もまるで変わってしまう実例を、私の持っているCDの中から紹介しましょう。厳密にいえば、元の歌詞も少し違っているよう なんですが、これは笑えます。

  まずはじめは、白人女性シンガーソングライターであるキャロル・キング、そして続いて、その彼女の曲をカヴァーした、見 るからにギャング団のようなこわい風貌の黒人ソウル・ファンクグループであるアイズレー・ブラザーズの順でお送りします。

BROTHER, BROTHER

 Oh, brother, brother, brother
I know you've been layin' back a long time
But I love you like no other
Oh, brother of mine

 I've been watching everything you do
And I've been wishing only good for you
All you've got to do is just to want it to
And it's gonna come ... it's gonna come to you

 Oh, brother, brother, brother
I know you've been hangin' on a long time
But I love you like no other
Oh, brother of mine

 You have always been so good to me
And thought you didn't always talk to me
There wasn't much my lovin' eyes could not see
And I don't believe you need all your misery

 Oh, brother, brother, brother
I know you've been hangin' on a long time
You know I love you like on other
Oh, brother, brother, brother
Talkin' about you, brother


私のお兄さん

 兄さん
うちのめされたままでいるのね
愛する
私の兄さん......

 まいにち気にしながらいるわたしなの
心から倖せを祈っているわたしなの
"希望"だけは失わないで欲しいの
そのうち必ず明るい日はやってくる

 兄さん
思案にくれる日々なのね
愛する
わたしの兄さん......

 幼いころから
かげになりひなたになり
見まもってきてくれたのを知っているの
ひとりで苦しむ兄さんをみるのはつらい

 兄さん
思案にくれる日々なのね
愛する
わたしの兄さん......
きこえる?......

 対訳:福田英子


BROTHER, BROTHER

 Brother, brother, brother, yeah
(Brother, brother, brother)
I know you've been
Laying back a long time
Oh but keep laying
A little longer, brother, yeah
(Laying, brother)

 Oh brother, brother, brother
(Brother, brother)
I've been watching everything you do
(Oh yes, I have)
And I've been wishing, oh
Wishing only good for you
All you gotta do is just want it
And it's gonna come (It's gonna come)
It's gonna come (Oh yeah)
To you (Gonna come to you)

 Brother, brother, brother, yeah
(Brother, brother, brother)
I know you've been
Laying back a long, long time
(You've been laying back)
I love you, I love you like no other
(Love you like no other, yeah)
Oh brother, brother, brother
(Brother, brother, brother)
Oh yeah (Yeah)

 You have always been so good to me
(Oh yes, you have)
And though you didn't always talk to me
There wasn't much
My loving eyes could not see
(Oh and I don't believe)
And I don't believe, I don't believe
Don't believe you need
All of your misery

 Oh brother, brother, brother
(Brother, brother, brother)
I know you've been
Laying back a long, long time
(You've been hanging on)
But keep hanging, hanging
(Keep hanging)Hanging on, brother
(Hang on a little longer)
Oh brother, brother, brother
(Brother, brother, brother, brother)
Oh brother, brother, brother
(Brother, brother, brother)...


ブラザー、ブラザー

 ブラザー ブラザー ブラザー
(ブラザー ブラザー ブラザー)
ずうっと
ぶらぶらしてるようだな
どうせならもう少し
ぶらぶらしていればいいさ ブラザー
(そうしていろよ ブラザー)

 ブラザー ブラザー ブラザー
(ブラザー ブラザー)
君のことはいつも見ている
(ちゃんと見ている)
君には幸せに
なってほしい
心から望めば
望みはかなうもの (望みはかなう)
いつかきっと (きっと)
かなうだろう (君の望み)

 ブラザー ブラザー ブラザー
(ブラザー ブラザー ブラザー)
長いことずうっと
ぶらぶらしてるようだな
(ぶらぶらしてしてる君)
誰よりも君を愛してるんだ
(誰よりも愛してる)
ブラザー ブラザー ブラザー
(ブラザー ブラザー ブラザー)

 君はいつもやさしい
(とてもやさしい)
しょっちゅう話をするわけじゃないが
温かく君を見守る僕の目は
なんでもお見通しだ
(僕は思っている)
僕は思っている 思ってる
そんなみじめな暮らしは
君には似合わないと

 ブラザー ブラザー ブラザー
(ブラザー ブラザー ブラザー)
長いことずうっと
ぶらぶらしているようだな
(君は待っている)
こうなったらそのまま
(待ち続けろ) 待てばいい ブラザー
(もう少し待ってごらん)
ブラザー ブラザー ブラザー
(ブラザー ブラザー ブラザー ブラザー)
ブラザー ブラザー ブラザー
(ブラザー ブラザー ブラザー)

 対訳:内田久美子

 しかし、白人女性が歌えば、「わたしのお兄さん」になって、黒人のおじさんたちが歌えば、「ヘイ!ブラザー、イェイ!」みたいに なっちゃうところが面白いです。それにしても、キャロル・キングの対訳者は言葉使いがおかしいですよね。「わたしなの」なんて、てめえ、カマトトかよ!と 思わず叫びたくなっちゃいますよ(笑)。いい曲なんですけどね。もったいないなあ。

  それで、私はこれらの対訳を読むまでは、てっきり亡くなった兄弟に捧げた歌なのかと思っていたんですが、私の思い違い だったんでしょうか。

 I know you've been layn' back a long time (Carole King)

 I know you've been laying back a long time (Isleys)

  思い違いならこの辺なんですが、どうなんでしょうか?英語が苦手なので私には何ともいえません(たぶん私の間違いかな (笑))。また、次の文章はどちらが正しいのでしょうか?それともどちらも正しいとか?

 And thought you didn't always talk to me (Carole king)

 And though you didn't always talk to me (Isleys)
 
 

7月13日

 何だ、日本語変換システムをATOK12に変えたらNetscape Composerが速くなって使えるようになりました。要するに、デフォルトで入っていた仮名入力ソフトに問題があったようですね。こりゃ、ATOK12 と一緒に買った、Pascal Writeという安いワープロソフトが無駄になってしまいそうです(笑)。同じく、ついつい安いから買ってしまったPower Linuxも、Mac OSとは別のパーティションをハードディスクの中に分割して作るのが面倒くさそうなので、今のところインストールする気になりません。ああ、ソフトの無駄 買いをしてしまった。そういえば、以前買ったPC-UNIX用の日本語変換システムWnn6も使わず終いだし、近頃もったいないことばかりやっているよう な気がします。 

 それでもったいないついでなんですけど、DVDソフトも買ってしまって(笑)、さっきまで、このPowerBookにアンプとスピー カーをつなげて、音楽と映像を思いっきり堪能していましたよ。で、鑑賞していたものは、プログレ・ロックバンド(笑)のイエスの「ライヴ 1975」の VOL1、VOL2、それに「ライブ・イン・フィラデルフィア 1979」の3枚です。ひー、思いっきり古い、時代遅れだ〜。今から20年近く前の高校生の時に買ったLP3枚組のライヴアルバム「イエスソングス」以 来、まさかDVDの音楽ソフトで再びイエスに巡り会うなんて、なんだか変な因果です。そして、どうやら「イエスソングス」(1974)のDVDもでている ようなんですが、今回は店頭にありませんでした。本当は「イエスソングス」がほしかったんですよね。ライヴを見た限り、明らかに時代が下るにつれて演奏の クオリティが落ちてきているみたいです。でも、「ライブ 1975」VOL2の二曲目の「儀式」(RITUAL)での、ジョン・アンダーソンとアラン・ホワイト、それにクリス・スクワイアの三人が、一緒になって 狂ったようにドラムとパーカッションを叩いているところはみていて圧巻でした。 

 あっ、ここで話がいきなり変わっちゃいますが、HTMLのソースファイルをみるときに安物ワープロのPascal Writeが必要であることに今気がつきました。何だ、このソフトはまんざら無駄じゃあなかったのか(笑)。 

 それでまたまた話が飛んじゃうんですが、昨日はかなり偉そうなことを書いてしまいましたが(後で読んで赤面しちゃいましたよ)、なん だか歌詞の対訳には元の英語の歌詞も載せないと満足しない人がいるようなので、あわてて載せたのですが、これが、たとえば元の歌詞がスペイン語だとかフラ ンス語、あるいは韓国語などだったらどうなっちゃうんですかねえ、ちゃんと表示できるのかなあ?まあ、元の歌詞から対訳のいい加減さがわかる可能性がある わけだから、可能な限り両方載せた方が良いのかもしれませんね。 
 

7月12日

 今回は、ロブ・ギャラガー( R.Gallagher イギリスの詩人)のこの歌詞を紹介します。
GOLDEN FLOWER

 Money striving to tear us 
Trying to turn we into me 
Black and blue from the struggle 
Yet still my people no free 

 People wandering homeless 
Children can't find no bed 
Still despite all this madness 
There's a space in my head 

 Birds are flying high within the castle tower 
Chattering of the secret of the golden flower 

 Pirates ruling the nation 
Scoundrels thieving the sea 
See and blind hear and deaf 
Ignoring your mother's plea 
People laughing at murder 
Children coughing up lead 
Still despite all this madness 
There's a space in my head 

 Though the road may be rocky 
And the way selfdom sweet 
Let the sound of this music 
Help keep the weight off your feet 
People dying from hunger 
Children crying for bread 
Still despite all this madness 
There's a space in my head 

 written by R.Gallagher/C.Robinson/N.C.Weir/M.Talbot

ゴールデン・フラワー

金が俺達をひき裂こうとしている 
俺達をばらばらにしようとしている 
闘いで傷だらけになっているのに 
俺のなかま達はまだ自由じゃない 

人々はホームレスでさまよい 
子供達には寝るところもない 
こんなむちゃくちゃなことばかりでも 
俺の頭にはまだ余裕がある 

鳥は城の塔の中を高く飛び 
金の花の秘密をささやく 

海賊が国を支配し 
悪党どもが海を荒し回る 
見える者も見えない者も、 
 聞こえる者も聞こえない者も 
おまえの母の嘆願を無視している 
殺人は笑いの対象とされ 
子供達は鉛の咳をする 
こんなむちゃくちゃなことばかりでも 
俺の頭にはまだ余裕がある 

たとえ道は険しくても 
甘い道なんてそうあるもんじゃないが 
この音楽の響きで 
足の重みを少しでも軽くしてあげたい 
人々は飢えで死に 
子供達はパンを求めて泣いている 
こんなむちゃくちゃなことばかりでも 
俺の頭にはまだ余裕がある 

対訳:志磨真実

a joyfull noise unto the creator - galliano より 

  たとえば、ある時は、アフリカの飢餓地帯で栄養失調で死にかけている子供達の姿をTV画面上に映し出し、またある時は、 戦争で祖国を追われたバルカンの人々の悲惨な境遇を報道し、さらに国内では、山谷の日雇い労務者の仕事のない厳しい現状に同情してみせたりする。そして近 頃の流行りは、不況でリストラされた中高年の悲哀を思い入れたっぷりの演出(おじさん俳優によるナレーション付き)で伝えること。このような、いわゆる 「お涙頂戴」報道に欠けているものがこの歌詞の中にはあります。

Still despite all this madness 
There's a space in my head
こんなむちゃくちゃなことばかりでも 
俺の頭にはまだ余裕がある
 ジャーナリストは、良い意味でも悪い意味でも、基本的には傍観者だと思います。事件の当事者ではありません。自らが安全地帯にとど まることを選択できるわけです。つまり、「まだ余裕がある」のです。「戦場カメラマン」などという浪慢主義的倒錯は邪道です。単に、頭が悪い、で片づけら れてしまいます。この「余裕」を大切にしないとまずいんじゃないですかね。「余裕」のない人は、たとえば広島の高校の校長のように、国旗を掲げる掲げない などという取るに足らないつまらないことで自殺するはめに陥ります。噂の真相 8月号の Photo Scandal では、朝日新聞の房園茂記者のケイサツとの癒着体質(警察関係施設内で警察幹部OB出席による定年の慰労パーティを開いたそうだ)が糾弾されていますが、 これなど、取材対象との癒着によるジャーナリストの自殺行為として、日本国内での典型的な実例なんでしょうね。 
 
 

7月7日

  ついに、とうとう PowerBook G3/400 を買いましたよ。今日、J&P新町田店の中をうろうろしていたら、今なら1台在庫があります、という貼り紙が展示用の PowerBook の横に貼ってあったのを見て、速攻で銀行から金をおろしてきて思いっきり買っちゃいましたよ(笑)。 

  しかし、先週は、すぐ近くのメディアバレー町田店で予約できるかどうか店員さんに聞いてみたところ、もうすでに予約はいっぱいで、しかも一週間で G3/333 が2台と G3/400 が1台しか入荷していない状態だから無理だと断られてしまったのに、一体どういう風の吹き回しなのでしょうかねえ(笑)。たまたま予約のキャンセルとかが でて、タナボタ的展開だったのか、それとも、J&Pはメディアバレーにくらべて地味だから穴場だったのかなあ。それとも神様が物欲にかられたおろ かな私を憐れんで力を貸して下さったのか(爆笑)。 

  しかし、今さらながら高いですね〜、PowerBook は。当たり前ですけど。メモリを+128MB増設してもらって、それに消費税を含めると、合計で47万400円もの金額になってしまいました。こんなに多 額の金を使ったのは本当にひさびさですね。7年ぐらい前に半年間もパチンコ屋に通い詰めて80万近く負けた時以来です。はぁ〜、それにしても47万円のお もちゃかぁ〜、値段のことを考えるとめまいがしてきます。でもまあ、自分の愛車の改造に何百万もかける暴走族のおにーさんから見ればまだまだ可愛いもんな んですかね。比較する対象がおかしいか? 

  それで、PowerBook のおまけで店員さんから iMac Tシャツを2枚もらっちゃったんですけど、たとえば、このTシャツを着込んで電車の中でこれ見よがしに PowerBook で DVD の映画ソフトなんかを見ていたら、さぞかしカッコ悪いでしょうね。その光景を思い浮かべただけで赤面してきちゃいましたよ(笑)。でもMacマニアの方に は、是非この歩く広告塔状態をやってほしいですね、私は恥ずかしがり屋だから絶対にやりませんけど(笑)。 

  でも、PC事情に疎い人がこのマシンを使った場合、インターネット閲覧ソフトは絶対にIEを使うよりほかないですね。設定が最初からIEになっているのだ から、よほどの物好きでない限り、ファイルの中からNetscapeを探し出してそれを実行する人はいないでしょうね。私は物好きなのでそうしているんで すが(笑)、残念ながらエディタの Netscape Composer が遅すぎて使い物になりません。簡易エディタの Simple Text も扱えるファイルの大きさに制限があって使えないから、何か市販のソフトを買ってくるよりほかにマトモにする方法はなさそうです。 
 

7月7日

  しかし、近頃、日の丸君が代法制化とか憲法調査会設置とかいう、いわゆる村おこしならぬ国家おこしが盛んですね。自民・自由・公明の各政党の皆さんは、な んとか自分たちの権威を維持し、国民を国家に縛り付けておこうと必死なんですかね。それだけ国民の国家に対する求心力がなくなってきたといえるのかも知れ ませんが(大変喜ばしいことです)、たとえば、国旗国歌を使用してそれを強制する儀式を盛んに執り行うにしても、あるいは、憲法九条を改正して自衛隊を正 式に軍隊として認め強化するにしろ、結局それによってもたらされるのは、官僚を頂点とする公務員の人数や仕事が増えるだけですよね。完全に行財政改革に逆 行していますよ。まったく、税金どろぼうの天下ですね。しかも、儀式や軍隊によって国民を威圧し支配しようとする意図まで感じられます。まあ、官僚や政治 家の下僕として、目の前に人参ぶら下げられて馬車馬のように働いた、かつての高度経済成長時代が懐かしいおじさんたちは、せいぜい次の選挙では自自公のど れかに投票して、国民奴隷化計画に荷担してくだされば幸いですけどね(冗談ですよ(笑))。でも、国民を働かせてそこからいっぱい税金を巻き上げないと自 分たちの給料が上がらない人達ほど、今回の「国家おこし」に熱心であることは確かです。もう国債の発行による借金しまくり状態もそろそろ限界ですし、嘘で もいいから、何がなんでも景気が回復したと思わせておいて、なんとか金回りを良くしたいんでしょうけど、そのためには国家おこしで馬鹿踊りですか(笑)。 ま、どうなることやらですね(紋切り型)。 

  それにしても、つくづく国家は矛盾した存在です。人々を犯罪から守るために国家は存在しているにもかかわらず、一方では、その犯罪の原因となる通貨を独占 的に発行しておいて、そして現実に、金に困って犯罪におよぶ人々を絶えず生産し続けているわけですから。ま、ほとんど不可能かも知れませんが、世の中から 犯罪がなくなったときが国家がなくなるときかもしれません。ということは、国家主義者は国家を存続させるために自ら邪悪な犯罪者となるべきであって(よし りん、がんばれ!)、逆に、反国家主義者は倫理感溢れ理性ある模範的市民であらねばならないということか(爆笑)。それでは、国家がなくなったら通貨は誰 が発行するのか。『批評空間 II-22』に載っていた西部忠「<地域>通貨LETS貨幣・信用を越えるメディア」によると、「同意」「無利子」「共有」「情報公開」を原則とした通貨 を個人個人が発行して、それをお互いの信用に基づいて物や労働と交換する試みが、欧米の一部の地域ではだいぶ前から行われているらしいです。それが直接国 家を滅ぼす手段となるわけではないでしょうが、国家の存在に伴う最大の弊害である、物や金や信用の一極集中を散らす有効な選択肢となる可能性はあるので しょうね。 

  ああ、また、日付が7月7日なのに今はまだ7月6日だ、…まあいいや(笑)。 
 

7月6日

  Linux Japan 8月号の付録CD-ROMに入っていたVine Linux 1.1用のNetscape Communicator 4.08jを、これまで使っていた4.5jからダウングレードして入れたら、結構調子良いみたいです。使っていて気がついた不具合は、今のところ、この ページでリンクしているRobins Nestヘ行ったとき、ステータスバーに表示される日本語が文字化けする(JavaScript?)ぐらいで、あとは問題ないみたいです。特に、 まともなファイル操作ができるようになって本当に良かったです。 

  そして更に驚いたことには、なんとこのブラウザだとこのページのJavaアプレットが動きます。Win以外のOSで私の作ったアプレットが動作したところ を初めて見ました(笑)。 
 

7月5日

 どうやら、トルシエは本気みたいですね。もしかしたら私の買い被りかもしれませんが、パラグアイにぼろ負けしたスポーツニュースを見ながらそんな感じが してきました。彼は、欧米の清廉潔白な白人男性に特有な、宣教師的資質の持ち主だと思います。ようするに、サッカーの宣教師なんじゃないでしょうか。南ア フリカの代表チームを指揮していた経歴からもそんな雰囲気が漂います。たとえば、監督の地位にしがみつくための政治力(派閥やコネの利用)などとは無縁の 人なのでしょう。これが国内だけでやっているプロ野球とは違う点ですよね。もっとも、日本人が監督になっちゃうと、たぶん、自らの保身のために、大負けし ないような選手起用(特定の選手しか使わない)とか戦術(カウンター狙いの守り重視)とかをやるところでしょうけど。しかしこれで、シドニー五輪の出場を 逃した時点でのトルシエの首が濃厚になりましたね。でも、彼にしてみたら、この程度の国の代表チームの監督の座にしがみつくことによるメリットなど何も感 じていないでしょうし、彼の最優先事項は、自らの信ずるサッカーを選手たちに教える、ただこれだけなんじゃないでしょうか。それで結果が出なかったら責任 を取ってさっさと辞めて、次に巡ってくるかもしれない選手を指導する機会のために、今までやってきた指導方法や戦術に更なる改良を加えるためにいろいろ研 究とかをするのでしょうね。このような徹底性がトルシエにはあるように思えます。まあ、私の買い被りかもしれませんがね(笑)。 
 
 

6月30日

  何だか最近はいい加減なことしか書けません。と、こんなこと書いている途中から、じゃあ、今まではまともなこと書いてきたのか?という突っ込みを自分で入 れたくなってしまいますが、ともかく、今回も何を書いたらいいのかさっぱりわからずに書いています。明らかにテンション低いですね。精神的に鬱状態という やつですか。そう思えばそのような感じもするし、あるいは、そういう自分に対する勝手な自己暗示によって、テンションが低い原因が特定できたと思い込ん で、心の平衡状態を取り戻そうとしているだけかも知れませんし、まあ、それ自体はどうでもいいことなんですが、でも、そういうどうでもいいことをだらだら 書いていると、この様な文章をどこまで書いて行っても、結局それは単なるごまかしでしかない、という倫理的な罪悪感にさいなまれてしまうし、しかし今度は 逆に、なぜ罪悪感にさいなまれながら書かなければいけないのか、別に金をもらって書いているわけではないのだから、罪悪感など感じるすじあいのことではな いではないか、という偽善者ぶった自分の意識に対する反発まで発生してしまって、本当に心の中は収拾がつかなくなってしまいますね。でも、こんなことを書 いていると同時に、そのような心の状態と並行して、一方では、結構適当な文章の長さになってきたじゃないか、さあてこの辺で段落を区切るかな、といういや らしい計算も働いているわけです。 

  しかし面倒臭いですね。なにがって、こんな自分にいきりたっていることがですよ。どうでもいいことなのに怒りがこみ上げて来る、何に対して怒っているのか わけがわかりませんよ。ああ、段落が変わったから、前の段落とは違う内容にしようと努力しているわけですね。それが面倒臭いんですか。わかりましたよ、書 いているうちに気づきました。この段落のテーマは「怒り」ですか。安易ですね。怒りによってテンションを上げようとしているわけですか。で、テンションは 上がりましたか。さあ、いまいち上がっていないような気がするんですけど、これを読んでいる方はどう思いますか、テンションが上がったように見えますか。 しかしテンション上げてどうするというのか、前の段落がテンション低かったから、それとは違う内容にするためにテンション上げようとしているだけだった ら、そんなもんで上がるわけがありません。ますますテンション下がっちゃいますよ。実際この段落はかなり退屈な内容に思えます。だいたい語り口が単調です ね。ああ、なんだかとうとう苦し紛れに知ったかぶりの意見が出ちゃいましたね。語り口が単調だなんて、何の根拠があってそう書いているのか意味不明です。 言葉が続かないものだから、なんとなくとりあえずそれらしいことを書いてみる。そしてそれに対する非難によって字数を稼ぐ。これもある意味ではいやらしい やり方です。ああ、この「ある意味では」というのが更にいやらしさを倍増させていますか。ごもっとも。しかし、こんなことを書いているうちに前の段落より 長くなってしまいました。あんまり長くなるとバランスが悪くなるから、この辺でこの段落は終りにしなければね。でもいいや、バランスが悪くなってもいい や。段落を区切るのが面倒臭くなってしまいました。ああそうか、段落を区切るのが面倒臭かったから、段落の冒頭で「しかし面倒臭いですね」と書いたのか。 やっとわかりましたよ。別に怒っているわけではなかったのか。私の勘違いでした。すいません。でも、他にも面倒臭い原因はあるんですよ。大体こんな文章を 書いていること自体が面倒臭いですよ。何でこんなに長々と面倒臭い文章を書いているんですかねえ。他にやることがないのかなあ。ようするに暇を持て余して いるわけですか。情けないなあ。他にやることがないのかなあ。ないからこうして書いているわけですか。しょうがないですねえ。ああ、今度は毎度お馴染みの 自己嫌悪ですね。結局こんなこと書いていると自己嫌悪に陥るだけなんでしょうね。わかりましたよ。もうやめて欲しいわけですね。でもまだ6月29日なんで すよね。日付を6月30日としてしまった以上、あと2時間は書き続けないと嘘になっちゃうかな。でもいいや、嘘でもいいや。面倒臭いからこの辺でやめま す。ああ、根気がないなあ。テンション低いや。 
 

6月29日

 今回は、『批評空間 II-22』の共同討議「世界資本主義からコミュニズムへ」の中から、柄谷行人のこの興味深い発言を利用して、適当に書いてみよう と思います。 
柄谷 マルクスは生産一般と価値生産を区別しています。物をつくることと価値をつくることは別のこと です。「市場経済」で考えているひとたちは、この区別がないんですよ。資本の本当のドライヴはいい暮らしをしたいなどという新古典派的な欲望の水準にはな くて、マルクスがいう守銭奴、貨幣蓄蔵者のほうにある。一切使わない。ただ貨幣をためている。交換可能性の権利の蓄積ですね。天国に宝を積んでいるのと同 じです。精神分析的にいえばマゾキズムのカテゴリーに入るでしょうね。資本主義は物欲の産物だと考える人が多いけど、それは資本主義の動機でもドライヴで もなんでもない。むしろ、物(使用価値)への無関心にある。
 この「天国に宝を積んでいる」「守銭奴、貨幣蓄蔵者」といえば(笑)、もうみなさんお分かりのことかと思いますが、そうです、世界一の大金持ち、われら がゲイツ君のことですよね(がんばれ!!ゲイツ君風表現)。ああ、そういえば彼は女装趣味だといううわさもありました。要するに彼は、自分が 女装した恥ずかしい姿を他人に見られた瞬間を夢想しながら性的興奮を覚える「精神分析的にいえばマゾキズムのカテゴリーに入る」人なんですかね(笑)。で も、もし彼がマゾだとするなら、現在進行中のマイクロソフト社の市場独占の弊害をめぐる司法省との裁判の経過(マイクロソフト絶対不利)は、もううれしく てしょうがないでしょうね。もっとボクとカイシャをいじめてちょーだいっ!てな感じ(カイシャはヤバいかもしれないけど、ボクそれがキモチイイ〜の!とい う倒錯)で、日々絶頂の毎日なんじゃないでしょうか(笑)。うむ、MS(マイクロソフト)はSM(サド・マゾ)の逆だ。要するに、M(マゾ)の方がS(サ ド)より偉いということか?ここで一句、ゲイツはマジでマゾ(おだじまん風意味不 明)。 

  それで、ここで述べられている「貨幣」というのは、もちろん、物質としての紙幣や硬貨のことではなく、宗教としての資本 主義信仰の要である、未来における「交換可能性の権利」を持っていると信じられている、価値としての「貨幣」のことだと思います(今までの歴史からみれ ば、金持ちではないのろまな一般人の場合は、ひとたび恐慌や戦争等の社会的混乱が起こると、物と貨幣との交換ができなくなり、その信仰は脆くも崩れ去るら しい)。それは、ちょっとニュアンスがずれるかもしれませんが、まあ簡単に「資産」と言い換えても当たらずとも遠からずじゃないでしょうか。 

  そして当然のことながら、その「交換可能性の権利」を過剰に貯め込んだゲイツ君は、文字どおり「天国に宝を積」むがごと く、その大半を物との交換に使用せずに、「交換可能性の権利」(これを大量に持っていると権力の獲得に結びつくらしい)の保有だけで満足して、成功者とし て幸福な一生を終え、その魂は天国か地獄かに旅立っちゃうのでしょう(もちろん、地獄へ落ちろ!という怨嗟の声が一部には過大に渦巻いているでしょうけど (笑))。で、そのあと資産として残された莫大な「交換可能性の権利」がどうなるかといえば、今までの歴史からみれば、汚いやり口でライバルを蹴落としな がら多大な富を手にした石油王ロックフェラー、ダイナマイトの発明で巨万の富を築いた爆弾王(爆笑)ノーベル、あるいは一世一代で大富豪になった鉄鉱王 カーネギーのように、いわゆる財団(ロックフェラー財団、ノーベル賞財団、カーネギー国際平和財団など)というやつが設立され、今まで「守銭奴、貨幣蓄蔵 者」として人々に迷惑をかけ続けた当人に成り代わって、せめてもの罪滅ぼし(ロックフェラー・センター、ノーベル賞、カーネギー・ホールなど)として、世 のため人のために貢献しちゃうわけですね。これが究極のマネー・ロンダリング「本当のドライヴ」というやつです。 
 
 

6月23日

  市民運動は無力ですね。田中康夫が地元市民とともに反対運動をしていた、神戸の市営空港建設にともなう埋め立て工事が認可されたそうです。一方、徳島の吉 野川可動堰建設の是非を問う住民投票条例案も、公明党の裏切りで骨抜きになりそうです。でもまあ、無力と言っても、政府自民党や産業界と結託した保守勢力 にはない無力ですから、少しは救いのある無力なんじゃないですか。また、創価学会員の組織票だけの公明党よりは、はるかにマシな無力ですよ。なぜ無力なの か、それは自由だから無力なんですよ。組織による有無を言わせぬ強制や金銭的な利害関係がないから無力なのであり、自由なんだと思いますよ。これからも市 民運動は無力であり、自由であり続けて欲しいですね。ファシズムは御免ですよ(笑)。 
 

6月22日

  Power Bookの購入はもうちょっと待つことにしました。新しい機種が、以前ハードディスクを買ったことのあるTWOTOPあたりで発売されるようになった ら買おうかと思っていたんですが、今のところその気配すらないようなので、なんとなく買う気が失せました(笑)。やっぱ、ブランド物は予約とかしてうんざ りするほど待たされた挙げ句じゃないと手に入らないとか(爆笑)。 

  とりあえずはこのLinuxマシンと人のWin95マシンでいいや。本当は以前使っていたPC9821Xsを復活させてLANでつないだりしたいんですけ ど、設定とか難しそうだし、それに広いパソコン机とかを買わないと置き場所がないので、どうやら今のところPC遊びは一旦停止状態ですね。また物欲のテン ションが上がってきたら再チャレンジしてみましょう(笑)。 
 

6月20日

 どのように終わればいいのかわからないんだよね。どうすれば気持ちよく終われるんだろうか。後腐れなくきれいさっぱり終えることができたらどんなにうれ しいことか。このところこんなことばかり考えています。決断だろうね。いったん始めたものを終わりにするのにはそれなりの決断が必要なんだろうね。勇気あ る決断、断固とした決断、言葉にすればそれ風の決断はいろいろあるんだろうけど。でもいやなんだよ。女々しい奴だからね。決断を実行しないんだよ。実行で きないんだ。勇気がないんだ。断固とした態度とは縁遠い奴なんだ。決断とは無縁な奴なのさ。嘘だよ。これを始めた時には決断したじゃないか。何を決断した んだっけ。記憶にないね。嘘だろう。真っ赤な嘘だよ。じゃあ、真っ青な嘘というのはあるのかなあ。話を逸らさないでくれよ。誰と話をしているんだい。知ら ないね。もう一度言おう、話の腰を折らないでくれよ。だから誰と話をしているんだ。君だよ。君と話をしているんだ。決断を実行しない君と話をしているん だ。架空の君と話をしているんだ。真っ赤な嘘というのはそういうことを言うんだ。ありえない話を勝手にでっち上げているだけだろう。なんだ、そういうこと か。ありえない話が真っ赤な嘘なのか。では、真っ青な嘘とはなんだ。それは嘘のヴァリエーションのひとつなのか。つまらないな、発想が陳腐だよ。真っ青な 嘘の話はやめよう。では、どんなお話しが君の好みなんだい。勇ましいお話しかい?イノチガケってやつかな?わからないね。実は何を話していいのかわからな いんだ。いや、違う。こうやって中身のない話をしているんだ。いや、これも違う。話をしているんじゃない、書いているんだよ。何を?中身のない話を書いて いるんだよ。すごいじゃないか、一応結論が出たじゃないか。何がすごいのかまるでわからないけどね。それは嘘だよ。また嘘かよ。もう嘘にはうんざりだよ。 嘘はやめろよ、嘘は。嘘の話はするなよ。だから話しているんじゃなくて書いているんだよ。だから嘘の話を書くのはやめてくれよ。何が嘘なんだ。知らない ね。そういうことか。そういうことだ。だらどういうことなんだ。だから知らないね。そればっか。そういうことだ、そればかりだ。そればかりではいやなの か。いやだ。ではどんなのがいいのかな。勇ましいお話しかい?それはさっきのパターンじゃないか。そういうのは退屈だ。ではどんなのがいいの?それもさっ きのパターンだよ。そればっか。そういうことだ、言葉は循環する宿命なのだ。それ何なの?モーゼの予言か?知らないね。さっきからそればっか。そういうこ とだ。いったん始めたものはなかなか終わらない。終わりにするにはそれなりの決断が必要だ。でもいやなんだよ。決断ができないんだよ。女々しい奴だから ね。勇気ある決断ができないんだ。断固とした決断ができないのさ。嘘だろ?嘘だよ。いやに率直じゃないか。しかし、自分で自分が嘘つきであることを認めた 君は、果たして本当のことをしゃべっているのだろうか。違うよ、しゃべっているんじゃなくて書いているんだよ。誰が?いったい誰が書いていると言うんだ い?だから言うんじゃないんだ、書いているんだよ。何を?嘘の話だよ。それが嘘なんだよ。なぜわかる?君にそれがなぜわかるのかわからないよ。そうじゃな い、わかるわからないの問題ではなく、実際に現に今ここで書いているんだよ。それがどうした。どうしもしない、ただ、こうやって書いているから終わらない んだ。すごいじゃないか、一応話に結論が出たじゃないか。何がすごいのかまるでわからないけどね。それは嘘だよ。また嘘かよ。もう嘘にはうんざりだよ。そ ういうことだ、言葉は循環する宿命なのだ。それ何なの?ヨハネの予言か?知らないね。さっきからそればっか。そういうことだ。いったん始めたものはなかな か終わらない。終わりにするにはそれなりの決断が必要だ。でもいやなんだよ。決断ができないんだ。女々しい奴だからね。嘘だよ。 
 
 

6月15日

  しかし暑いなあ、なんでこんなに暑いのか。自分の感覚から言うと、関東周辺の気候って、暑いか寒いかのどちらかしかないような気がするんですよね。ちょう ど良い過ごしやすい気候というのが、一年を通してほんのわずかな期間しかないような感じです。ああ、でも、寒い時期も少ないですね。そうです、年がら年中 暑いんです。冬でも暑い!何とかしてくれよ、この暑さを。と、こんなこと言ってみてもどうなるわけでもないでしょうけど(笑)。やっぱ、白クマ君か、それ ともビーバー・エアコン?この世の暑さも金次第ってことか?でも、大阪とか行くともっと暑いのかなあ。べつに行く予定はないけどね。何それ?ファンキー・ タイムか(意味不明)? 

  それにしても今日は何を書いたらいいんだろう?わからないな。たとえば、コソボやカシミールや朝鮮半島とかの地域紛争については、もう何もトキメかなく なったな。いろいろ地域事情や歴史的な紆余曲折があったにしても、結果的には、国家に操られた馬鹿どもが無益な殺し合いをやっているだけだよな。実にくだ らないね。今回の戦争に関するニュース報道からはこんな感想しか出て来ないね。戦争賛美の漫画で商売しているよしりんも、ちょっとあてが外れたかな (笑)。 

  それでは、盗聴法案とかはどうか?たとえば、私が盗聴されているとして、インターネットで、海外のHページで無修正画像とかを閲覧した場合、それがプロバ イダーを通してケイサツに筒抜けになっちゃうってことですかねえ(笑)。ひー、はずかしー。こりゃあ何としても、次の選挙では、盗聴法案に反対している政 党を勝たせなくちゃいかんな(爆笑)。Hページで楽しんでいる皆さん!次の総選挙では、しがらみのない方は迷わず自自公以外の政党の候補者に投票しましょ うね(笑)。自分の恥ずかしいプライバシーを他人に知られるくらいなら、麻薬捜査なんかどうでもいいぜ。とまあ、この程度の関心だよな。 
 

6月14日

 日の丸、君が代、 どうして国家というものには 、こういう儀式に使う小物が必要なんですかね。 さらに、 天皇を含む皇室の皆さんなんて、 そのものずばり、 儀式用の人間です(笑)。 こんなものいらないんだよね、 本当はさ。 もういいかげん ヨーロッパの国民国家の真似事(国旗・国歌)だの、 ヨーロッパの王族の猿まね(皇室)だのはやめてほしいよ。 結局それらは、「和魂洋才」とかいう、 原住民のルサンチマンの醜い折衷主義なんだよな。 たとえば ワールドカップとかオリンピックとかは、 国旗・国歌なしで出場したらさぞかしカッコイイと思うぜ(ホントか?)。 そして、 たとえば、オリンピックの表彰台で、自国の国歌を聴きながら掲揚される自国の国旗を見上げて感動にむせび泣いているどこぞの国の馬鹿に、 横から思いっきり罵声を浴びせてやるんだよ。 

てめえ、ハタ坊かよ!!

 (…そんなこと叫んでも意味不明だよ。) 
 
 

6月8日

  今回は、『ミシェル・フーコー思考集成 II』(筑摩書房)の中で、フーコーのすごい予言を見つけたのでそれを紹介します。 
  未来のなんらかの文化の目から見れば ― その文化はおそらくすでに近くに迫っているのだが ― 、われわれは、決してじっさいには発音されたことのない以下の二つの文、有名な「私は嘘をついている」と同じほど矛盾していて不可能な二つの文を最も近く まで近づけた人間たちだということになろう。その二つの文とは、「私は書く」と「私は狂う」というものだ。われわれはこうして、「私は気狂いだ」という文 を、「わたしは獣だ」、「私は神だ」、「私は記号だ」に近づけた他の無数の文化や、はたまた、フロイトに至るまでの十九世紀のすべてがそうであったように 「私は真理だ」という文に近づけた文化と肩を並べることになろう。そして、もしその文化が、歴史のことが分かる識別力をもつとすれば、狂人となったニー チェが(それは一八八七年のことだ)、自分は真理だ(なぜ私はかくも賢く、なぜ私はかくも多くのことを知り、なぜ私はかくも良き本を書き、なぜ私は運命な のか)と宣言したこと、そして、それから五十年もたたぬうちに、ルーセルが、かれの自殺の前夜に、『いかにして私は私の本の何冊かを書いたか』のなかで、 体系的に対にされた、自らの狂気と自らのエクリチュールの手法の話を書いたことを、思い出すことになろう。そして、ひとはおそらく、われわれが、長い間、 叫びとして、恐れられてきたことがらと、長いこと、歌として待望されてきたこととの間に、かくも奇妙な親近性を認めることができたことに驚くことになるだ ろう。

― 1964  25「狂気、作品の不在」石田英敬訳 ―

これにどのような論評を加えたらいいのか適切な言葉が見つかりません。さしあたって、 

 みんにゃあ!発狂しながら書いてるかい(爆笑)!

とでも叫べばいいのでしょうか。やはり、私にはふざけることしかできないみたいです。 

  でも、どこぞの流行作家のセンセイなんかは、正気で、発狂したあとのニーチェとおなじことを思っているかも知れませんよ(笑)。やっぱ、そういうひとは、 「私は気狂いだ」という文を「私は真理だ」という文に近づけた、十九世紀のヨーロッパ文明から多大な影響を無意識の内に受けているわけですね。ようするに 時代遅れということですか(笑)。 

  では、「私は書く」と「私は狂う」という二つの文を最も近くまで近づけた、現代の文化に属する人間たちのひとりである、レーモン・ルーセルの「エクリ チュールの手法」とはどのようなものなのか、別のところでフーコーは次のように説明しています。 

  しかしルーセルは自殺する直前に、おまけの罠を一つ仕掛けておいた。ルーセルの作品の魔法は彼自身の内にしか宿ることがないように見えたのだが、彼は自分 がこれらの驚異的な物語をいかにして書いたか、「打ち明け」て見せたのである。それは説明であるとともに、同じことを試してみたいと思う人のための助言で もあった。歌の歌詞でも広告でも、あるいは一枚の名刺であってもなんでもいいが、まずそこから一つの文を選び出す。次にそれを音声上の要素に分解し、その 要素から他の単語を再構成して、話の横糸にするのである。『アフリカの印象』と『ロクス・ソルス』に現れる顕微鏡レベルの奇跡や無益な機械仕掛けは、すべ て言語的素材の解体と再構成の産物でしかないのであり、その素材は、空中に投げ出され、霧のように飛び散った後、厳密な意味で「種々雑多」と形容しうる様 々な形象に沿って、降り積もるのである。しかしルーセル的な雑多さというのは、決して想像力の気まぐれではない。自分が語るものの内部において、全能性を 伴って確立された言語の偶然なのである。そしてここに言う偶然とは、単語同士のありえない出会いを、ディスクールへと変容させる方法以外のものではない。 言語の偶然に対する関係を前にしたときの巨大なマラルメ的不安が、ルーセルの作品の半分をつき動かしているのだ。 

  これと別の半分、描写部分についてはどうだろうか。実を言うと、それが描写しているのは仮面や下絵、図像や複製ばかりである。それは分身についての言語な のだ。そして、あらゆる驚異的な物語の生み出すのが二重化された言語についての不可能なイメージであることを思うなら、この二つの部分で実際に問題になっ ているのが、ちょっとした鏡仕掛けによってひっくり返され二重になった、ただ一つの同じ形象であることが理解できる。 

  おそらくルーセルには、もっと他の秘密もあるのだろう。しかしどんな秘密の場合もそうなのだが、財宝は隠されたものではなく、目に見える障害物であり、厳 しい防護手段であり、くねくねした回廊そのものである。迷宮がミノタウロスを作り出すのであって、その反対ではないのだ。現代の文学は私たちにそう教え続 けている。だからこそ現代文学はルーセルの作品を解読するのであって、同時にルーセルの作品も、現代文学を読むことを正当化してくれる。それらのメカニズ ムはソレルスが言うであろうように、互いに相手を「遡って」いくのである。 

―  1964  26「なぜレーモン・ルーセルの作品が再刊されるのか」鈴木雅雄訳  ―

これについても何ら適切な言葉をつなげられません。ただ、これを読んでレーモン・ルーセルに興味を持った方は、以下に同書に載っている彼の小説や参考文献 をいくつか示しておきますから、探して読んでみてはいかがでしょう。そしてさらに、小説家志望で現代的作家たらんと欲している奇特な方は、これらを読ん で、せいぜい「現代的作品」とやらを、発狂しながら書いて、そして、ルーセルにならって自殺でもしてみてくださいね(笑)。 
 

*レーモン・ルーセル『いかにして私は私の本の何冊かを書いたか』、パリ、ジャン=ジャック・ポーヴェル社、1963年。 

*レーモン・ルーセル『アフリカの印象』、岡谷公二訳、白水社、1980年。 

*レーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』、岡谷公二訳、ペヨトル工房、1987年。 

*アラン・ロブ=グリエ『新しい小説のために』、平岡篤頼訳、新潮社、1967年。 

*ミシェル・レリス『ゲームの規則  ビフュール』、岡谷公二訳、筑摩書房、1995年。 

  しかし、どうせこれらを読んでも、おそらくは、大半の人達は、フーコーが次のように批判する読み方しかできないでしょうね。 

  この迷宮の中で道を見定めるために残されたものはほとんど皆無であって、例外としてレリスの語ってくれるいくつかの驚くべき逸話があるにすぎない。たしか にこの言語が秘教的なものだと考える怠惰な仮説もあることはある。難解なテクストには秘伝を伝授された筆者をあてがってしまえ、というわけだ。しかしこう 考えてみたところで私たちは少しも先に進むことにはならないし、ルーセルが狂人で典型的な脅迫神経症の兆候を示していたとか、ジャネが彼を診察したが治す ことができなかったといった事実を知ったところでやはりどうにもならない。狂気か秘伝伝授か(おそらくはその両方か)、そんなことはすべて、今日の言語そ のものを巻き込んでいるこの作品の役割について、私たちに何も教えてはくれないのである。今日の言語を巻き込んでいるとともに、そこから自分自身の光を受 け取っているこの言語については。 

― 「なぜレーモン・ルーセルの作品が再刊されるのか」 より  ―

ここで批判されている読み方こそが「人間の顔をした文学」愛好者の読み方だと思います。 
 
 

6月2日

  盗聴法案が衆議院を通過したようですけど、これはガイドライン関連法案についてもいえることですが、これだけ各方面から反対の声が上がっている(らしい) にもかかわらず、次の選挙でこれらの法案を成立させた側が国会の過半数を占めて勝利しちゃったらどうなるんですかね(笑)。反対していた政党やマスコミの 皆さんは、毎度お馴染みの選挙に敗北した責任のなすり合いの内ゲバとかをやるつもりなんでしょうか。そうなると醜いですねえ、辛いですねえ。もういいん じゃないかなあ、そういうのは。まあ御用マスコミの皆さんの妨害・歪曲工作や忘却キャンペーンや世論操作は当然あるにしても、なんとか次の選挙では、一致 団結してこれらの法案の是非が主要な争点になるように努力して欲しいですけど、それでも負けたときは負けたときで仕方ないんじゃないですか。世の中はそう いうものなんだとあきらめましょう(笑)。 

  しかし、自民党内にも法案に反対している議員(田中真紀子や栗本慎一郎)がいるんだ、と盛んに取り上げるマスコミ関係者っていやな感じだよね。やっぱそ れって争点ぼかし工作なんだろうか。 
 

6月1日

  しかし何なんですかね。昨日NHKのクローズアップ現代でやっていたんですけど、この就職難の時代に、厳しい就職活動の末にやっと入った会社を仕事がいや になってすぐ辞めちゃう大卒の若者が多いと嘆いていて、それに対して、企業側も、すぐ辞めちゃわないような根性のある若者を獲得しようと、あれやこれやい ろいろ工夫しているようなんですけど、どうなんですかね、良識ある日本国民を自認している皆さんにとっては、このような状況は大変嘆かわしいことなのかも 知れませんが、どうも私は、キムタクの競馬のCMと同じセリフを吐きそうになってしまいます(笑)。 

  いいじゃないか! 

  いやなものはいやなんだから、辞められるうちにさっさと辞めればいいじゃないか。辞めたくても辞められなくなったらおしまいだぜ。仕事に対して、やる気や らやりがいやら目標やら夢やらを持てだってえ?馬鹿こくでねえ!やる気なんかなくてもいいじゃないか、やりがいなんかなくてもいいじゃないか、目標なんか なくてもいいじゃないか、夢なんかなくてもいいじゃないか。そもそもそれらを抱く対象が間違っているんだよ。じゃあ何に対してやる気やらやりがいやら目標 やら夢やらを抱けばいいのか?決まってるじゃん!競馬だよ、競馬(笑)!キムタクも踊りながら叫んでいるぜ!! 

  Get your dream ! 

  そういうことだ。がんがん競馬に金をつぎこめ!足りなくなったらサラ金から借りまくれ!人生はギャンブルだ!一世一代の大勝負だあ!ほとんど可能性がゼロ に近い一獲千金を夢見るんだ!これこそが男のロマンだ!遊び半分や気晴らしなんかで神聖なる競馬を汚すんじゃない!やわな心の軟弱者は即刻競馬場から立ち 去れい!でも、こんなものにマジになったらおしまいだぜ、破滅だ、自己破産だ。そうだ!競馬は男(オス)の美学だ!キムタクも歌っている! 

  競馬〜競馬〜美しい! 

  そういえばこんなのもあったっけ(笑)。 

  メスと呼ばないで〜アハ! 

  すいません、私は競馬やったことないんです。