資本論





第一章 貨幣と商品




 人類には太古の昔から、物を加工して道具を作り、作った道具を使って物を加工して、それを自身の生活や活動に役立てることによって、自分たちに都合が良くなるように生活環境を作り変えてきた歴史がある。それに伴って自分たちが生活していく上で必要な物を効率よく獲得する方法を模索してきたが、それを摂取したり使用しやすいように絶えずやり方を改良して、獲得した物を蓄えておく保存方法などに関して、保存に必要な建物などの作り方やその使い方に至るまで、自分達が使う物に関する取り扱いの方法を知識として社会の中で共有してきた。それらの知識を生活に必要な情報として他の人たちと共有して、それを他の人たちに伝達したり保存する方法として、音声や文字などを使って表現する言語を発明して、それを社会の中で共有して発展させ、それを使うことによって人と人の間で、あるいは人が群れて構成する集団内や他の集団との間で意思疎通を図り、その内容を文字で表現して石板や粘土板などに刻んだり、木簡や竹簡や紙などに記して、いつでも他の人にも閲覧可能な状態で保存して残そうとしてきたわけで、そうやって人類は情報を共有しながら、その歴史を通じて物を取り扱うための道具や機械を作って、それを進化させて、それを用いて物を加工して利用する技術と、その扱い方に関する情報を知識として社会に定着させるやり方を発展させてきた。そしてそのような技術や方法が活用される中で、物と物とを交換する際に用いる媒体として、貨幣という物の価値を示す情報を伴った媒介物が生み出された。
 人の活動や生活の中で使われたり費やされる物から、どのようにしてそれに関する情報が生じてくるかは、実際にその物が使用されたり消費される際に、その取り扱われ方が言葉を伴って人の脳裏に記憶されて、それを他の人も利用できるように言葉を伴って記録されて、その取り扱いとして使用法や加工のやり方や消費するやり方などが社会の中で人から人へと伝播する際に、情報となって流通するわけだが、人の意識が捉えようとする物体としての物には、その物を取り扱う経験の中で知り得た、物自体の性質や形や色や量や他の物との相互作用などの一般的な情報の他に、社会の中でその物がどのように作用して使用されて機能するかを示す情報も含まれてきて、それらの情報が社会の中で物に関する知識として記録され共有される。その物の作用や機能を示す情報の中には、まずはその物の存在を認識して識別するために必要な物自体の名称があり、それを何と呼ぶかに関して共通の名称がないと、社会の他の構成員がその物についての知識や認識を共有できない。また人々の間で同じ名称が共有されている物が社会の中でどのように使われて役立っているかを示す情報として、例えばそれが食物ならば直接食べることによって栄養を取ることができるとか、資源ならば加工して別の人工物を形作るのに使われる材料となったり、燃料として機器や機械類の動力や熱や電力などを生み出したりもするわけで、物に関するそのような情報が知識として社会の中で人々の間で共有されて活用されている実態があるわけだ。そしてそういった活用法とは別に、貨幣に関する知識としては、売買と呼ばれる行為の際に、物と同じ価値を示す数量の貨幣を物と交換できる等価交換のやり方が編み出されて、そういったやり方を活用して、貨幣と商品となる物を交換することによって売買が成り立ち、売買に関わった双方が各々の目的を果たすことができて、またお互いが主張する価格に関してなかなか折り合わなくても、交渉することによって双方の間で売買価格のすり合わせが行われて、妥協が図られる可能性が生じるわけだが、貨幣はその際に、貨幣と交換される物の量や質に関しての価値を決める指標となり、実際にその価格を担う数量の貨幣と交換されることによって、その物の価格や価値が決定して、売買に関わった双方が納得することで商品が貨幣と交換されると同時に売買が成立して、商品である物の所有権が貨幣を受け取った者の手から貨幣を支払った者の手に移ることになる。
 物のイメージは直接見ることによって得られる印象の他にも、その物の姿形を映し出す画像や映像などの視覚情報から得られるが、その一方で物の性質や働きやその取り扱いに関しては、文字や音声や数値や図表などを含む記号表現を用いることによって得られて、一般的には物に関するイメージを含んだ画像や映像などの視覚情報と物の性質や働きや取り扱いを含む記号情報が一体化して、さらには他にも味覚や聴覚や触覚や嗅覚などの視覚以外の五感から得られる情報も体験や経験として含まれてくるが、それらが物に関する知識として記憶や記録としてまとめられていて、その中でも思考の対象として理解できるのは、主に文字や数値や図表などの記号を用いて表現される情報であり、それらの情報を活用するには、その物を表現している文字や数値などの記号を用いて説明している文章や図式などの内容が視覚的にわかりやすく示されている必要があり、そのような表示がその対象となる物に結びつけられて、社会の中で他の構成員の誰もが認識できて理解できるようになっていれば、情報としての役目を果たしていることになる。それに関して例えばその物の名称、文字による説明、製造番号、製造年月日、所有者などの物に関連する記号的な情報が物に結びつけられた状態で、それが標識として機能するように記載されるのが、ラベルと呼ばれる一種の貼り紙であり、言語表現としてレッテルを貼ると言われることもあるが、そしてそのラベル上の記載でも物の価格が最も重要な情報として表示されているのが商品の特徴であり、大抵は商品の価格が誰にでもわかるように値札がついている状態で客に見せるわけだが、一方で商品の売買に際して使う交換媒体である貨幣にも、価値の大小を示して価格の指標となる数値が記されていて、売買に際して買い手が商品の価格と貨幣に記された数値の合計が一致するだけの額の貨幣を所持していれば、商品と貨幣との交換が可能になるわけだが、貨幣も現物で所持していてばそれは物の一種であり、紙に価格の指標なる数値が印刷されているのが紙幣であり、また金属片に価格の指標となる数値が刻印されているのが硬貨であるから、それらが商品に貼り付いている価格と同じとなるだけの枚数の紙幣や硬貨を合計で持っていれば、その商品と交換できるわけだが、実際に交換される貨幣の合計額が商品が体現している価値を示す価格となって、その数値が貨幣の価値となり、それ自体の素材が貴金属である金貨や銀貨以外では、紙幣の素材となる紙や銅やアルミなどの金属の価値とは、数値が示す価値が一致しない場合が多いわけだが、数値情報以外の情報としては、その貨幣が本物であることを保証する情報が記載されていて、それが本物であることが貨幣を発行している各国の政府や中央銀行などの機関によって保証されて、それが社会的に信用されている限りで、商品の売買を媒介する役割を果たすことができるわけだ。
 商品は売ることによって同じ金額の貨幣と交換されて、買うことによっても同じ金額の貨幣と交換されるから、商品を売ったり買ったりするには貨幣が必要となり、貨幣を得るには商品を売って得るか、場合によっては金融機関から借りる必要も出てくるが、もちろんタダで金を貸してくれるような都合の良い成り行きにもならないだろうから、借りるには担保となる資産や、継続的に収入を得られる当てが求められて、少なくとも社会の中で商品の売買が成立するには、商品の売り手と買い手と貨幣の貸し手と借り手という役割分担が必要になると共に、世の中に貨幣を流通させる主体として、貨幣を発行する政府と貸借を行う銀行などの金融機関が必要になってくる。商品の売り手と買い手と貨幣の貸し手と借り手の四つの役割も必要に応じてある程度は兼務できるが、売買や貸借において売る相手や買う相手や貸す相手や借りる相手がいないことには、売買も貸借も成立しないし、自身の経済活動から生じてこない商品を得るには、その商品を買うことによって得られて、また社会の他の構成員が必要な物資を売ることによって与えることができるから、そうやって社会の中で各人が必要とする物資を補い合うシステムが売買や貸借によって成立している中で、実際に売買や貸借という行為が機能しているわけだ。それは一方で各人を労働という貨幣を得るための活動に導いていて、それが社会の構成員が社会の中で様々な役割を分担させられる要因ともなっていて、結果的に商品を生産して流通させて販売して消費する活動に人々の労働が関与することになるわけで、それは地縁血縁的な共同体の中で行われる無償の贈与や供与では得られない物資を得られる機会を人々に提供していて、それによって氏族的あるいは地縁的な繋がりのない集団の間での交易も可能となり、そうした因習的なしがらみのない商品を赤の他人から買ったり赤の他人に売ったりするのに伴って、そのような取引を安全に行えるようにするための制度を政府などの行政機関が保障する機運が世の中に生じてきて、その過程でひどい商品をつかまされたり、金を騙し取られたりする詐欺の被害に遭えば、騙した当事者を罰するような法的な措置も、政府などの行政機関に求めるような成り行きも生じてきて、そうした成り行きの中で売買や貸借に関する法整備が強化されると、それに伴って法律を人々に守らせる役割を担った警察などの治安機関や、法律を破った者を裁く役割の司法機関などの役割や権限も強化される成り行きが生じてきた。
 人が生きて暮らしていく上で必要となる物や情報やサービスの中で、情報は絶えず物やサービスに結びついて人の感性や知性を刺激して、大抵はその物やサービスに関する知識として情報が提供されて、その情報を参照する人にとって、それが必要か否かを判断する材料となり、それが物の消費や活用の仕方に関する情報となったり、サービスを受ける方法として提供されたり、さらには情報の中でも、例えば物が商品であれば、その商品の売買に際して、それを売ったり買ったりするのに適正な価格であるか否かとか、あるいは売ったり買ったりするのに絶好のタイミングであるか否かといったことに関して、判断材料を提供するのが情報であるなら、その人がそういった商売に従事している限りで、必要な情報となるわけだが、またそれとは別の方面でも、例えば買う側にそれを買えるだけの貨幣の蓄えがあるか否かとか、売る側に売るだけの十分な商品の在庫があるか否かといったことが情報として提供されるなら、売買の際にその情報が重要な判断材料となるが、さらに売買が成立するのに重要な判断材料となるのが、他の場所や他の時期において実際にどの程度の価格で売買されていたかが、商品の価格を決定する上で重要な情報となってくる場合もあるだろうし、実際に商品が他の場所や時期においてそれなりの価格で売買されている実績があると、それと比較してその場で売られている同じ商品の価格が妥当か否かという判断ができるようになり、それが社会的な申し合わせとして暗黙の同調圧力を形成して、実際に他のどこかで売買が成り立っている実態が情報として知らされていれば、その価格と比較して現状の価格がどうなのかが重要な売買に関する判断材料になるわけだが、またその商品が資源として採取されたり製品として製造された後に、その場所へと運んでくるのにかかった経費として運送費用が含まれる価格になるなら、その分だけ運送サービスとしての費用がプラスされた価格になるわけだが、さらにはその商品の保存状態が時間の経過と共に劣化を伴うなら、当然時間が経って劣化するにつれて商品の価格が安くなり、一定の時間が経過すればもはや商品としては不適切な品質になってしまえば、廃棄するしかなくなって、その商品を仕入れた業者の丸損となってしまう場合もあるだろうから、そういうことも商品を取り扱う際には知っておかなければならない情報となってくるわけだ。
 それが何であるにしても貨幣と交換できれば、結果的にそれが商品だと言えるだろうが、何が商品となるかは、実際にそれが売られているか否かで決まり、売り手には売る商品が必要になるにしても、少なくとも売り手はそれを消費する目的で必要なのではなく、売る目的で必要なわけで、その一方で買い手にとってはそれを使ったり消費する目的で買うわけだが、もちろん使うという目的の中には、それを売るために使うという目的も含まれてきて、買い手にとって商品は使ったり消費する対象となる中で、転売目的で買われるものも中にはあるわけで、そういう場合は買い手から売り手へと役割が変わるわけだが、それがどのような物や情報やサービスであっても、売り物となり実際に売買が成立するようなら商品と見なされて、売ろうとして結果的に売れなければ商品としての用を果たさないことになり、売れないままだと商品としては無価値で、貨幣と交換できなかったことになるわけだが、売買という行為の中で媒介物として機能する貨幣も、商品と交換できる限りで貨幣としての役割が生じてくるわけで、また一定のレートで別の貨幣と交換できれば貨幣も商品となるが、そういう場合には金融商品となり、貨幣には貨幣であって商品でもあるという二重の役割と機能が生じてくるわけだが、他の商品についても商品と交換する際の指標となれば貨幣としての役割と機能を果たせるわけで、そこで何が貨幣として機能するかは、他の商品と交換する際の指標となれるか否かににかかってきて、たとえそれが貨幣として広く社会の中で認知されていても、例えばその国の政府の財政状態が悪化して債務が返済できなくなってしまうと、その国の通貨が貨幣としての信用を失って、国際的な通貨価値が暴落して、通貨安によって輸入品の価格の高騰などを招いて、その影響が国内経済にも跳ね返ってきて、連鎖的に商品の価格が高騰してハイパーインフレとなれば、さらに信用を失い、場合によっては価値を失った貨幣が商品と交換できなくなって、貨幣としての役割や機能を失い、代わりに他の何かが貨幣として機能する可能性も出てくるが、そういう場合は世界経済の中で覇権的な立場にある国の貨幣などが、その国の貨幣より信用が勝って、その国の貨幣に代わって使われる場合も出てくるだろうが、一般的にも経済力のある国の通貨が国際通貨として貿易などの決済に使われることが多く、自国の通貨価値が暴落して貨幣としての機能を果たさなくなった場合には、ドルなどの信用力のある国際通貨が自国の貨幣の代わりに使われることがある一方で、一般的な商品の売買に使われることはまずないにしても、貨幣に代わって貴金属の金が資産としての重要度を増す場合もあり、昔はその国の通貨の価値を裏づけて信用を確保するために、金と交換できる兌換を保障した貨幣が流通していた頃もあったわけだが、世界的な経済発展に伴って通貨発行量に見合うだけの金の量を準備できなくなるとともに、為替レートも変動相場制が主流となって、金との兌換は各国ともやめてしまった経緯があり、戦争による国土の荒廃や債務返済の不履行などによって、貨幣の価値を保証するその国の政府の信用が地に落ちてしまった場合などには、貨幣以外で何が資産価値を保証するかについては、貴金属の金に価値があるという信仰は未だに根強く、多くの人が金に資産価値があると思っている限りで、場合によっては金が貨幣よりも重要な価値の指標となりうる可能性もある。
 物に関して知る情報が、物の売買に関係する情報なら、主に物の価値や価格について知る情報となるが、それ以前に物を物と認識する上でまず初めに必要となるのは、物の名前であり、そう言われてみれば当たり前のように思われることだが、物には名前がつけられて、その物に固有の名前を設定することは、その物を物と認識するには必ず必要となる重要な約束事であり、まずはその物に対する命名行為がないと次の段階へは進めず、その物が何らかの名称を伴って認識された後に、その物の性質や由来や働きや、さらには他の物との関係や結びつきなどが言葉で説明されて、それが物に関する情報として物に伴ってくるわけだが、そうやって物に関する情報はそれについて説明される文字や画像や映像や音声などから構成されて、それを説明するということは、人が他の人に向かって説明することになり、説明によって人と物とが関係することになるが、さらにはその物を介して人と人とが結びつきながら関係して、そんなわけで物について説明される内容は、物が社会の中で利用されたり消費される際に、社会の中に存在する他の構成員にも共有される物に関する知識となり、その物が商品であれば、その商品に関する説明の中に、物の売買に関係する情報も含まれてきて、それが物の価値であり価格なのだが、その一方で物と交換する媒体として機能する貨幣にも、実際に商品と交換して売買を成立させる際には、物と交換できる別の物として認識されるが、そういう場合の貨幣は紙幣や硬貨などの現金となるが、直接交換するのではなく、クレジット決済や銀行の口座などから買い取り金額が振り込まれる際には、物であるよりは物の価格を示す数値的な情報が買い手から売り手へと伝達されて、結果的に売り手の銀行口座などの残高に数値情報が加算されて数値が増えるに過ぎず、端末である電子機器などから振り込みの操作が行えて、売り手から買い手へと商品となる物が受け渡される一方で、買い手から売り手へは数値情報が伝達されるわけで、さらに商品が物ではなく文字や映像や画像や音声やアプリケーションソフトなどのメディア情報であれば、その情報が何らかの物質的な記録媒体などにパッケージングされて物として受け渡される場合もあるが、それが情報であれば、ネット通信を通してPCやスマホやタブレット端末などに直接ダウンロードされて、売買は単なる売り手と買い手の双方による情報交換となるだけで済んでしまい、さらに商品が物ではなくサービスということもあり得るわけだが、そうなると買い手は売り手から貨幣との交換によってサービスを受けることになるわけだが、一般的に言えば人が行うサービスは労働の類いとなるが、場合によってはそれが人ではなく、機械が行うサービスというのもあるだろうし、例えば自販機から物を買うと、表面的には物と貨幣の交換となるにしても、部分的には金を払って物を受け取る機械的なサービスを受けたことにもなるだろうし、さらに機械自体の製造やメンテナンスには人が絡んでいるから、その部分に関しては人的な労働がサービスとして提供されたことにもなるわけだ。

 貨幣は価値の尺度として数値情報を伴っていて、それが価格となって商品の価値を決定しているわけだが、もちろん価格も時期や場所によって変動するから、一義的に決定しているわけではなく、価値の目安となる程度のことなのだろうが、売買は古くは貨幣を使わない物と物とを交換する物々交換が行われていたと想像することはできるが、そこから物の価格を決定するような貨幣と物とを交換するやり方へと進化した経緯については、それも想像の範囲内で考察することはできるだろうが、貨幣の価値はそれを売買に使う人や集団に信用されないと使われないし、古来より様々な物が貨幣の役割を担ってきた経緯もありそうだが、それ自体に価値があって、しかもそれが高価な希少価値であるという点で、貴金属の金や銀が高額の貨幣に使われて、それと比較してより大量に産出して安価な価値しかない銅が、より少ない価値を示す小銭の素材に使われて、また近年ではさらに安い硬貨の素材に銅より軽いアルミも使われる場合もあるが、貨幣の利便性は何よりも蓄積に適していて、時間経過とともに変質や劣化がしにくく、大量に蓄積しておけば、必要な時に必要なだけ取り出して使うことができて、しかも蓄積量が多ければ多いほどより高価で大量の商品を買うことができるが、さらに蓄積の利便性に加えて製造の利便性や使い勝手が追求された結果として、政府がその価値を保証する紙幣も登場してきた経緯があり、紙幣に価値の尺度なる数値を印刷すれば、材質に貴金属を使う必要もなく、より安価に製造できて便利で使いやすくなった反面、材質が紙でより安価になったから偽造もしやすくなり、印刷を複雑にするなど容易には偽造ができない工夫が求められるが、さらに貨幣の電子化や通信のネットワーク化などに伴って、貨幣をなるべく現物では使わずに、銀行口座などの数値情報への置き換えが普及して、物としてよりも情報として取り扱う方が、嵩張らないで飛躍的に圧縮して蓄積できて、しかもネットワークを介して瞬時に数値情報となって伝達できるから、たとえ貨幣を現物で持っていなくても、クレジットカードなどを使って買い物ができて、その場では貨幣を持っていなくても、買い手の銀行口座から売り手の口座へと商品の金額を振り込むことによって売買が成り立ち、物として貨幣を所有することに伴って生じる保存や運搬などの面倒な手間が省けて、数値情報である方が流通の面で遥かに効率が良くなったわけだが、その反面で商品が物であったり人自身も物質でできているから、実際に人が物を利用しながら生きている限りは、その生活には必ず物の使用や消費と共に人力で行う労働などのサービスも依然として必要となるから、生活の全てにわたって情報だけの利用で済ませるわけには行かず、しかも情報の蓄積や伝達には、数値情報を計算する電子機器やそれらを滞りなく動作させるシステムが必要となり、またそれに伴って数値データなどを蓄積して保存しておく電子的な記録媒体の製造と利用とメンテナンスも必要となり、さらには情報を記録媒体から読み込んだり、記録媒体へと書き込んだりするために、記録媒体へと数値情報や文字情報などを転送する通信技術とインフラが必要不可欠となるから、それらを取り扱う産業技術の発達が必要となってくるわけで、人が行う経済活動には、人が物の利用に関して得られた知識の総体としての情報の活用と、得られた情報を世界的に流通させる情報ネットワークや、それを動作させる電子機器などの機械類や機械設備やそれらを設置しておく建造物や通信インフラなどを含んだ設備の稼働と保守管理などが必要となってきて、実際に人が情報やサービスを活用するためのシステムとして電子機器などの機械を利用する傾向を飛躍的に集積化させた結果が、産業技術の集合体として現代文明を実現しているわけだから、そのような情報の集積と伝達を利用して行われる情報化された貨幣の蓄積と活用にも、それを活用するのに使われる電子機器などの機械の技術的な傾向が顕著に表れていて、そうやって電子的に蓄積された貨幣の情報が金融資本にとっては投資の対象となり、それを利用してさらなる情報の蓄積と伝達を可能にして、そういった電子的な蓄積と伝達が投資する際には相乗効果となって経済活動を活発化させて、さらにそこから資本の蓄積と投資の利用を増大させようとする傾向が顕著に表れているわけで、物の生産と流通と消費と共に情報の生産と流通と消費が盛んに行われて、結果的にそういうことを行うサービスが活発化することになるわけだが、またそんなサービスに必要な人的資源と電子技術を情報技術の促進のために重点的に割り当てようとする傾向が、情報革命と言われる20世紀末から続いている産業構造の変容を招いているわけだ。
 20世紀末に起こった世界的なインターネットの普及に伴って、メディアが大衆と呼ばれる大ざっぱなカテゴリーに入る消費者に対して、ただ一方的に画一的な広告を提供するだけではなく、個々の消費者がメディアを閲覧した際の履歴を入手して、得られた情報を基にして個々の消費者の趣味嗜好に応じた商品広告を見せて、それまでよりも効率的に商品を買わせようとする工夫が凝らされた情報のコントロールが盛んに行われるようになり、それが消費を促進させる広告戦略として、検索サービスやソーシャルメディアなどと一体化して個々人に情報を提供する巨大IT企業の興隆を招いたわけだが、それ以前にもマスメディアの発達に伴って、売ろうとする商品の利点や魅力を強調して不特定多数の消費者に向かって買うように促す広告宣伝も発展してきた経緯があったが、商品の購入方法に関しても従来からある分割払いという購入方法によって、給与所得者などの継続的に一定の所得を得られる職業に就いている人なら、少ない金額を継続的に分割払いするやり方を利用できて、分割して払える分だけ金利を余分に上乗せされるから、一括払いよりは総額では支払う額が高くなるものの、比較的高価な土地や住宅や自動車などを、たとえ手持ちの資金が少なくともローン組んで、自動車なら数年にわたって、土地や住宅なら数十年にわたって少しずつ分割払いして行けば手に入れられると共に、継続的に支払いを強いられるから、その間は賃金労働を余儀なくされるのは当然だが、そうやって人を労働に縛り付ける面でも、商品の分割払いが資本主義経済を持続させる労働力を確保する上で有効に機能していて、またそのようなローンの支払いには金利が上乗せされて、その金利分の支払いが、ローンを組む際に資金を貸す銀行などの金融機関の収益となるわけで、手持ちの資金の少ない人にも金融機関が資金を貸して、高価な買い物をさせる方法が発達したことにより、その分だけ経済活動が活発化してさらなる資金の流通と資本の蓄積と活用がますます増大する傾向を招いたわけで、それに伴って資金の貸借から生じる負債も増大する傾向となり、もちろん個人よりは桁違いの資金を必要とする企業の経済活動においても、巨額の借り入れによって事業規模を大きくすることができるようになり、大規模に事業を手掛ける大企業が事業を拡大させる目的で巨額の資金を金融機関から借りる場合、当然それ相応の負債を背負うことになるわけだが、巨額の借り入れによって負債を絶えず増大させながらも、借りた資金の利子を払い続けていれば、一定の期間が経過して資金の借り換えが可能なら、その分だけ返済を先延ばしにできて、もちろん手持ちの資金や資産を担保に入れて借りるわけだから、それ相応の倒産するリスクを背負って事業を継続することになるにしても、株式の発行なども絡めて、手持ちの資金や資産だけでは実現できない大規模な事業が、金融機関から巨額の資金を借り入れることによって可能となるわけだ。