彼の声96

2013年

5月31日

 機会を逸して、誰かは完全にやる気がなくなってしまったようだ。本当だろうか。嘘かもしれないが、言葉を記している。どうも違うみたいだ。何が違うのか。もう朝になっている。曇っているのだろうか。遅れている。それは毎度のことか。でも少しは改善したはずだ。やってみればいい。やっているのではないか。それはどういうことなのか。たぶんどういうわけでもない。またそれだ。以前と同じようなことしか記せない。もう何もかもが飽和状態で、新たな内容を導き出せなくなっているのではないか。しかし何もかもとは何なのか。いつもそれだ。何を記しても結局はそうなってしまう。何もかもとは何かをやる機会だったのだろうか。それは違うと思われる。でもそれがわからないままでは困るのではないか。現に今ここで困っているわけか。もう昼だ。ヘリコプターが上空で旋回しているようだ。嘘だろうか。ここからミサイル攻撃か。冗談だろう。すでに飛び去ってしまったらしく、また静かになる。眠ってしまうらしい。そしてどうなったのか。昼寝の時間はとうに過ぎ、さっさと仕事を終わらせて、今は夕方か。何をやろうとしているのでもなく、ただ言葉を記している最中のようだ。でももう少し何とかならないものか。実際には何もない。

 それらの何が本当なのだろうか。それらとは何なのか。それらの意味ではない。では何なのか。君がそこで何を考えているわけでもない。フィクションの中で誰が誰を助けようとしているわけでもない。相変わらず何もないということか。確かにそこには何もないらしい。それはいつものことだろうか。だがこれは何なのか。何がそうなのでもない。何が楽しいのでもない。しかし何を否定しまくっているのか。笑ってしまうだろうか。迷っているのかもしれない。生き残る必要があるとは思えない。なぜそう思うのか。しかしこの世界で何が生き残るというのだろう。投資ファンドの言う通りにしていればいいのだろうか。たぶん何かが違っている。君は何を疑っているのか。システムを疑っている。それは何だろう。投資して競わせ、利益を出させて、資金を回収する。その意味がわからない。だからそういうシステムを疑う必要があるらしい。そういう行為に携わっている大部分の人たちが気づいていないことを気づきたいのか。それは無理か。相変わらずコーヒーが苦い。濃すぎるのではないか。そういうことらしく、今日も眠れなくなってしまいそうだ。昼寝をしたのがまずかったか。資金の流通経路が増えただけのことだ。投資家を富ませるためによりいっそう負担がかかり、競争も激化する。それがグローバルスタンダードの正体か。

 ちゃんと説明しているのか。そんな説明では粗雑すぎ、それ以前の段階で説明することに失敗している。そんなはずがないか。でも会社としてはそれが当たり前のことだろう。投資家から資金を集めて活動し、利益を出してそれを投資家に還元する。そこにファンドが絡んでくるだけだ。より多くの利益を出させて、より多く回収するために日夜知恵を絞っているわけだ。それは極めて当たり前のことか。目的からすればやって当たり前のことをやっているわけだ。だがそれがどうかしたのか。どうしたわけでもなく、自然の成り行きだろう。しかしこの息苦しさは何なのだろうか。何だか馬鹿げていないか。だまされているような気がするのはどういうわけなのか。人は何のために生きているのでもない。そういう前提が間違っていることは承知しているつもりか。では何なのだろうか。何だか面倒くさい。すべては不毛な競争のための競争のような気がして、消耗戦のごとき様相を呈している。どんどん心が外れていっている。そこから遠ざかりたいのだろうか。たぶんだまされているのだろう。やらなくてもいいことまでやらされて、それをやり続けることが目的化していて、出口のない競い合いの中で疲弊していくわけだ。そういう成り行きから抜け出たいのだろうか。でも君がはまっているとも思えない。君はもとから部外者のたぐいか。でも君は神ではない。では何なのだろう。悪魔でも天使でもなく、そういう空想からはかけ離れた存在か。要するに何でもないのだ。どうでもよく、単なる言葉でしかなく、それがそこに記されているわけだ。


5月30日

 その件についてはまだ何も説明していないようだが、少しの遅れで済みそうか。でもまだ先月の段階だろう。ここで気を抜いたら元の木阿弥か。それでもかまわないのではないか。いつものことだ。そんな見解の他に何を語ろうとしているのでもない。またどうせ何も語れないからそうなってしまうだ。翌朝は曇っているようだ。昼には晴れるのだろう。そしてまた夜がやってくる。そんなことの繰り返しとなる。また何かが過ぎ去ってしまうらしい。何を感じているのだろうか。時の流れか。そんな成り行きの中でそう思っているのだろう。それだけのことだ。それ以外には何もなさそうだ。もう朝か。語る必要のないことを語っている。でも何が必要なのかわからない。無駄で無意味な記述が必要なのだろうか。そうかもしれず、それがないとまともに語る機会を得られないのかもしれない。おかしな具合だ。何がおかしいのでもなく、それは極めて当たり前のことかもしれないが、何となくおかしな具合に思われてしまうらしい。これは何なのか。どうも何も思い浮かばず、すべてが冗談と見なせば、それで何か感じ取ったことになるのだろうか。ごまかしのたぐいに違いない。そんなわけで相変わらず何も語れずにいる。どうかしているのだろうか。そんなはずがない。ただ無駄に言葉を記している状況に変わりはないようだ。こんなのではだめか。たぶんそうだ。呆れてものもいえなくなり、それでも何か記している気になるが、実際に言葉を記している。

 夕方だ。仕事を終えて一休みか。何だかわからないが、テレビを見ていたらもう夜だ。まともなことは何も記せない状況が続いているようだ。本当だろうか。たぶんそうかもしれない。今日はできないのかもしれない。このまま眠ってしまうのだろうか。蒸し暑い。ただそんな感じだが、冷房が寒すぎる。それもそれだけのことか。心がそこから外れている。なぜそうなってしまうのだろう。なぜも何もないからか。答えにも理由にもならない。やる気がしないのだろうか。誰かの政治パフォーマンスもマンネリ気味か。誰のことを指すのか。ニュースを見れば自ずと明らかになりそうだ。やはり寒すぎるので冷房は止めた。蒸し暑いのを我慢しよう。コーヒーは苦い。中国や韓国に遅れをとってはまずいのか。でも二言目には日米同盟がどうたらこうたらだろう。いつものワンパターンだ。みんな同じようなことしか言わない。呆れているのだろうか。あきらめているのかもしれない。いったい何がそうなのだろう。沖縄もさっさと日本から独立してもらいたいが、やはり経済がどうのこうので躊躇してしまうわけか。うまくいかないのはどこも一緒ということだ。夢のない人たちが夢のないことをやり、それでも夢について紋切り型的に語ろうとする。なぜそんなにくだらないのだろうか。そう思っているだけで、実際は違うというわけか。でも現実に押しつぶされそうになっているわけでもなく、まだ何とかなりそうな気配もしていて、政治とは関係のないところで何とかしようとしているのではないか。

 それは何だろう。娯楽か何かか。別にゲームにはまっているわけでもない。考えがまとまらない。そういうことでしかなさそうだ。だから何も解決していない。それでかまわないのだろうか。君にとってはそうなのかもしれず、誰にとってもどうでもいいことかもしれないが、また投げやりになってしまうのか。君は何に対して無責任でいられるのか。すべてに対してか。そのへんはわからない。ただつまらない。そう思っているだけだろうか。でも何がつまらないわけでもなく、何を求めているわけでもなく、他に何を否定したいわけでもないか。どうでもいいことかもしれない。すべてがそう思われるのはどうしてなのか。ただ嘘をついているのかもしれず、どうでもいいわけがなく、それも否定しなければやっていかれないのかもしれない。だからすべてを否定しようとしているわけか。そんなはずがない。これも冗談のたぐいに決まっている。だがそういう思い込み自体を否定したいのではなかったか。でも過去のことなどどうでもいい。そう思ってしまえば済んでしまう。君がそう思っていようと、他の誰かはそうは思わないのかもしれず、今日も何かを蒸し返している人もいるようで、しつこいと言えばしつこいのだろうが、執拗に何かを主張したい人はご苦労なことだ。別に君がそうなのではないが、誰もがそうであるわけではなく、特定の誰かがそうなのであり、君とは無関係かもしれないが、何となくそんなことを思ってしまう。しかしそこで君は何をどう思ったのか。それについては語らないのだろうか。それが何だかわからないまま、ここでの記述を終えようとしている。やはり理由などどうでもいいのか。


5月29日

 また眠ってしまうのか。すでに一眠りしたはずだ。でも深夜に目覚めるのはどうしたわけだろう。何だかおかしいか。何がおかしいわけでもないか。当たり前のことかもしれない。何かが一段落ついたわけでもなく、さらに何を語ろうとしているわけでもないが、何をそんなに否定しているのか。そう思われるのも無理はない。何かのついでにそう思っているのかもしれない。そんなことはあり得ないのに、そういうことにしておきたいのかもしれない。何がどう思われているわけでもない。でもちょっとおかしいか。何を記そうともしていないのに、勝手に何かを記しているではないか。それは誰の勝手なのか。少なくとも君ではない。もう夕方で、どうせまた夜になっても記し終えられないのだろう。眠ってしまうのかもしれない。こんな心境と精神状態で何を記せるというのか。そんな大げさなことでもないか。気軽に適当に言葉を記していれば、そのうち記し終えられるのではないか。何を見ているのか。見ていないのではないか。何も見ていない。見ないようにしているわけか。そんなはずがない。もうあたりは闇に包まれている。でも依然として頭の中は真っ白だ。本当だろうか。何だかどうにもならない。今日は無理だろうか。理由がないのがおかしいか。無理な理由がわからないまま、さらに言葉を記そうとしている。すでに終わったバスケットボールの試合を見ている。結果がわかっているのに見る必要があるのだろうか。その気はないらしい。馬鹿げているわけではない。

 チャンネルを切り替えようとしているのか。わからないか。気が散ってとりとめがない。何でもないようだ。どちらでもかまわないのではないか。無内容でもそうらしい。うかない顔してどこへ出かけるのか。まだ粘るつもりなのか。何となく気が進まない。つまらないままでもかまわないだろうか。あまりそれらしい内容にはしたくないようだ。これ見よがしであったり、利いた風なことは述べられないのだろうか。どうもそのへんが違うのだろう。わかっていないのかもしれない。本当にどうでもいいのだろうか。君の知ったことではないか。でもそう記してしまうと投げやりな気持ちが先行して、さらなる空疎を呼び込んでしまわないか。今がまさにその時なのか。そんなのはどうでもいいことだろうか。聴いている音楽も投げやりな曲に聴こえてくる。オリジナルはエリック・クラプトンか。さりげないキターの音色に耳を傾けながら、何を思うのか。そういう問いかけ方がおかしいか。何が気に入らないのでもないのだろう。別に力を入れているわけでもない。何に感動しているわけでもないか。では他に何を否定したいのか。そういうわけではないが、何かを否定しまくり状態で、それで字数稼ぎの最中なのかもしれないが、虚しくならないだろうか。別に誰を心配しているわけでもない。たださらにそうなってしまうだけのようだ。それが馬鹿げているわけか。でも何が馬鹿げているとも思えない。君は至ってそれらの行為を愉快に思っている。

 何も語らないままに事態は推移して、余裕があるわけでもないのに、劇場で演劇でも見ている人をテレビで見て、無駄に言葉を記しすぎていることに気づく。関係ないだろうか。確かにそれとこれとは無関係だが、何となくそんなことを記しながら、やはり愉快な気分となるらしい。まさかそれも冗談のつもりか。誰に問うているわけでもなく、自問自答の一環なのだろうが、妙におかしい。どうでもいいのはわかるが、とりとめがなさ過ぎないか。そういう印象を抱かざるを得ず、それもどうしたわけでもないのだろうが、やはり何だか虚しくなる。冗談でしかないのに、妙に気が抜けている。すべてがそうらしく、さらに言葉を記そうとしているのだろうが、何だかやる気が出ない。それでも言葉を記している現実が認め難い状況となるだろうか。別にそうであってもなくてもかまわないのではないか。ならば君はそれについてどう思っているのか。ならばではないし、すでに思っている内容が記されているのではないか。要するにどうでもいいと思っているわけか。そうに決まっているだろうが、それ以外にどう思えばいいというのか。逆に問いただしたくなってくるようだが、誰に向かってそうでもないし、何を問いただしたいのでもないのに、そんなことを記している現実を受け止める必要がありそうで、馬鹿げているのは言うまでもないとしても、それ以上に空疎でやる気がせず、頭の中が真っ白なまま、こんなことを延々と記している状況があるらしく、これはどうしたことなのか。今さら疑問など差し挟む余地はなさそうで、要するに怠惰の表れか。でも満身創痍でそんなことを述べているわけでもないのだろう。ではまだ余裕があるのか。


5月28日

 雨が降っている。何かがエンドレスで生じているようだ。それは時間か。宇宙のすべての物質が消滅したら、時間も消滅するのだろうか。空間はありそうだ。何もない空間があり続けたりするわけか。時間とは物質や物体が生成してから消滅するまでの間に生じるわけか。そんな認識でかまわないのか。よくわからないが、そうとしか考えられないような気がする。物質や物体が存在していて、そこで変化したり振動したり運動してくれないと、時間を計れないことは確かだ。でもそれがどうかしたのか。八十歳でエベレストへ登った冒険家の老人が、何か言ってなかったか。八千メートル級の山からスキーで滑降したいとか言ってなかったか。それと時間がどう関係するのか。彼に残された時間は後三十年ぐらいあるだろうか。体が丈夫そうだから、何もしなければ百歳を超えて生き長らえそうだが、冒険家だから死ぬまで冒険しなければならないのだろうか。そういえばヨットで太平洋を何度も横断していた人がいたが、彼はまだ生きているのだろうか。彼もすでに相当な高齢だったような気がする。まあ誰もがギネスブックに載ることを目指しているわけでもないような気がして、そういうたぐいの競争もシャレの範囲内で程々にしてもらいたいような気もするが、ああいうことをやりたがる人はいくらでもいて、世界のどこかで誰かが日夜新記録に挑戦中なのかもしれない。ご苦労なことだが、それと時間とどのような関係があるのか。

 まさか君もギネスに載るような新記録を目指して挑戦中なのか。それはないか。いつかノーベル賞をもらうつもりでがんばっているのでもないし、何だかわからないというのが、正直な実感なのではないか。これらは何なのか。たぶんよくわからない。わからないままでもかまわないのかもしれない。無理にわかろうとする必要はない。でもあるとき突然わかってしまってもかまわないはずだ。お前は意味のないことを延々とやり続けている。時間の無駄遣いか。でもそれで結構だと思っている。何を浪費しているとも思えないのだから、それはそれでそういう認識でかまわないのではないか。冗談を述べているのだろうか。何がそうなのかもわからず、たぶん何を述べているのでもないのだろうが、それがどうしたわけでもなさそうだ。だからそれが冗談なのだろうか。だが何も急ぐことはない。何に挑戦しているわけでもなく、新記録を目指しているのでもないらしい。すべては虚しい努力か。死ぬまでの暇つぶしにアスリート気取りな人もいるのかもしれず、富と名声ばかりに固執している人もいるのだろう。努力することが中毒となっていないと、ああいうことはできないか。人は何でもやりたがり、他人より常に目立ちたがる生き物だ。何か大げさな偉業を成し遂げてから、それを他の人たちに向けて誇り、発表したいらしい。成し遂げようとしている最中までもテレビ中継されていたりして、そういう行為に多額の金を出したがる企業もいて、それを見ている好奇心旺盛な皆さんに自社を宣伝したがるわけか。

 それに対して君は何か皮肉の一つも述べたがっているわけか。さあわからない。他に何の記すことがないからそうなってしまうのだろうか。いつものように何だかわからないが、他に何を記せば良いのだろうか。それは冗談の続きか。何が冗談なのかもわからないのに、そんなことができると思っているのだろうか。君は常に新たな冗談を繰り出すことに情熱を傾けているわけか。そんなはずがない。でも否定するほどのことでもなく、たぶん言葉を記すことに情熱を傾けていることは確かであり、それだからこうして記述を継続させようとしているのだろうが、そうすることが目的化してしまうと、内容が空疎となり、それでも無理矢理続けようとすると、自己言及のオンパレードとなるわけか。それでかまわないのだろうか。実際にそうなっていて、それを受け入れているのではないか。そんなはずがないと言い張るのは容易いことだ。また嘘をついている。だんだん面倒くさくなっているみたいだが、本当だろうか。何が本当なのか。わけがわからなくなっているだけみたいで、もう何も記すこともないような気がするようだが、なぜそんなことを記さなければならないのか。別にそのわけを知りたいわけでもないのだろう。だからわけがわからないのではなかったか。確か無駄に言葉を記している最中だったはずだ。でもそれで何を思い出したことになるのか。そんなふうに語るべきではない。それはわかりきったことらしく、何をわかりきっているわけでもないのに、そう記してしまうこと自体がおかしいのだろうが、おかしいついでにさらに言葉を記すとすれば、それはどのような言葉の連なりとなるのだろうか。まったく外れているようだ。


5月27日

 少し休んだ方がよさそうだ。でもこうして言葉を記しているうちは休んでいることにはならない。気休めにそんなことを記していると見なせばいいのだろうか。足がしびれてきた。頑なにそれを続ける気にはならないだろうか。画面を見つめすぎているようで、目も疲れてきた。もうそろそろ限界か。でも目覚めていることは確かだ。何かしらそこに記された言葉の連なりが表示され、それを見ながら何か思っているのかもしれないが、そんなことはおかまいなしに時が過ぎ去るしかないようで、限られた時間の中で何を成し遂げられるとも思えず、どうにもならない状況だと自覚しているのかもしれないが、それでも言葉を記しているわけか。何が滞っているわけでもないようだ。何となくそんな気がしてきて、他に何を思っているわけでもなく、この先で何が起ころうと、自らに何が返ってこようと、たぶん気に留めることもないだろう。すべてはその場の成り行き任せか。その時々で考え、行動するのだろうが、どんな結果を招こうと知ったことではないようで、ただそれに対処しようとするのだろう。実際はモグラたたきゲームの繰り返しか。良いたとえではないが、単純化すればそういうことになりそうだ。個々の事態に対処し続けた結果がそうなってしまう。まったくもって面倒くさいか。仕方のないことだ。ある程度は割り切って考えなければならない。でもやっていることは相変わらずだ。

 内心うんざりしているのかもしれない。嫌気がさしているのにやめられない。たぶんそうやって次第に心身共に消耗していってしまうのだろう。わかりきっていて割り切るしかないらしい。でもそのへんで記憶が飛んでいる。蛍光灯を点けたまま眠ってしまったらしく、気がつけば深夜だ。疲れているのはわかっている。だから何だと思っているのもわかる。ではわかっていないことは何なのか。それ自体がわかっていないというわけか。そこに何か不都合や不具合が生じているらしい。言語的な欠陥なのだろうか。そんなふうに見せかけているだけか。冗談か。すぐ冗談だと見なしてしまうところも欠陥かもしれない。それは言語的な欠陥ではない。理解が浅いのだ。もう少し深く探求しなければだめか。逃げているのだろうか。いくら言葉を弄しても的外れか。それは否めないところかもしれない。でも何とかしようとしている。それで何とかなっているとは思えないが、それについて考えていることだけは確かなようで、今もそうなのかもしれない。今でさえそうなのだ。昔もそうだった。またそうやって脱線しようとしているが、少なくとも考えている。それだけのことだ。そして逸脱しつつあり、思惑を超えた何かを探ろうとしている。意味不明だろうか。それでかまわないのではないか。そうやって無駄に問いを重ねながらも、とにかく考えているらしいが、もたらされているのはこんな空疎だ。何もありはしない。

 それではだめなのか。空疎ではだめか。しかし他に何があるのだろうか。嘘があり、言語的な欠陥と御都合主義が埋もれている。意味がわからない。そう記しているところで急ブレーキがかかり、嫌気がさしてやめてしまうのか。少し頭の中を整理しなければならないようだ。記そうとすると止めどなく無駄な言葉が記され、何を考えていたのかわからなくなる。君はそこで何を見つめているのか。言葉が記された画面ばかりを見つめていても、まったく状況を把握できないだろうか。把握しようとしているのか。まさかそのまま突っ走ってしまうのか。終わりまでそうしてしまった方が良いのだろうか。理解が浅いまま、どんどん考えていたそこから遠ざかっている最中だ。いったい何について考えていたのか。もう忘れてしまっている。その代わりに無駄な記述を続け、さらにどうでもよくなりつつあり、もうそれが止まらなくなってしまうのだろうか。そこで何かを感じ取ったらしい。そうしなければどうにかなっていたところか。そんなことはわからない。粗雑なやり方を選んでしまったらしい。だからそうなってしまうわけか。どうなっているのか。たぶん記述を終えてしまいたいのだろう。そんな成り行きを容認せざるを得ない。いきなりそれはないだろうか。でも成り行き的にはそういうことだ。冗談か何かだろうか。何でもなく、冗談以前の何かをつかみ取ろうとしているのかもしれないが、それが何だかわからないまま、さっさと記述を終了しようとしているみたいで、その続きがあるかどうかはわからないが、急に思い出す時もあるのかもしれず、そのときにでも改めて考えてみようか。とりあえずこうなってしまったら、ここでおしまいのようだ。


5月26日

 だいぶ遠回りしてしまったようだが、そんなことを思う必要はないのかもしれない。間違っているのだろうか。何がそうなのでもなさそうだ。相変わらずすらすらと空疎なことを記しているが、それは誰の独白なのでもなく、そこで誰が何を演じているわけでもない。単なる言葉の連なりだろう。そう思えばどうなのか。やる気を失うか。何をやる気だったのか。何もやる気ではなかったのかもしれない。では何なのか。いくら空疎な問答を記しても、たぶん何がどうなるわけでもないだろう。馬鹿げているだけか。相変わらず空は曇っている。数日後の今日あたりに雨が降り出すのかもしれない。それがどうしたわけでもないが、何となく湿度の高さを実感しているようだ。それもどうしたわけでもないのだろう。気晴らしに音楽でも聴いているのだろうか。関わっていることが的外れな見解をもたらし、それが誰の困惑を誘うわけでもないのだろうが、何となく奇妙な感覚に包まれ、おかしな雰囲気を空想しているのかもしれない。これが冗談の正体なのだろうか。うまく説明できていないようで、やはり的外れなことを述べているようだ。いったい何がおかしいのか。たぶん冗談ではなく、意味不明なのかもしれない。すべてが他人事に思えてくる。それではだめか。だめでも何でもそれが自然の流れだろう。そう思ってしまうのだから、それはそれでそういうことなのだろう。

 馬鹿げているのかもしれないが、やはり何かの冗談だと思うしかない。たぶんこの地球上にいるすべての人類が勘違いしているのかもしれない。そう思っていれば冗談でもかまわないような気がしてこないか。現実に馬鹿げていることは明らかなのではないか。どう考えてもおかしい。それが当たり前のことなのに、やはりおかしく思われ、冗談では済まないのに冗談でしかないと思われる。これはどういうことなのだろうか。欺瞞に満ちているわけか。でもそれでかまわないのではないか。それがないと暴力ばかりが行使されてしまうのではないか。それは正直な対応だろうが、物質的な損害を伴い、いったん破壊された物品の修復に多大な費用と時間がかかり、経済効率が悪いだろうか。そういう話ではないだろう。世の中の荒廃から芸術のたぐいが生まれ、人の心を打つような作品が出現したりするわけか。でも何だかそう述べていること自体が冗談のような気がして、本気でそんなことを述べているわけでもないような気分となり、やはり途中で脱線したくなり、また意味不明になりそうだ。どうでもいいことだと見なして、それで済ましてしまいそうになるが、そうなってしまうのも自然の流れなのだろうか。そういう成り行きを何とか別の方面へと受け流せないだろうか。しかしそうすることが何につながるのかわからず、人を欺く行為にも何らかの効用があるようにも思えてくる。

 冗談の続きで述べていることが、そんな何かをもたらし、別にそんなことを述べる必要はないのだろうが、たぶんそれに関して何か言いたげだったのは明らかなのに、その場で出てくる会話は当たり障りのない世間話レベルに終始してしまうのが、何だか滑稽に思われ、奥歯に物が挟まっているような物言いであることが明らかであるのにも関わらず、そのまま押し通されて、実際には丸く収まらないのに、その場が丸く収まったことになり、それで会合が終わり、そのまま何事もなかったかのように居合わせた人々は別れ、どうせまたどこかで陰口を叩き合っているのだろうが、何かを画策して仕掛けた側にとっては、何らかの挫折感が残り、このままでは済まさないと心の中で固く誓い、次なる反転攻勢の機会をうかがいながらも、表面上は平静を装い、たまに出会った時には軽く世間話をかわしながら、時にはおべっかを言い、何だかそのへんに違和感を覚えざるを得ないのだろうが、やはり大人の対応としてはそういうことになるらしく、何だかそうやって人間社会が成り立っていることを実感するわけか。雨が降ってきたようだ。そこに渦巻いている思惑から遠ざかるわけにもいかないようで、だからといっておもしろおかしく語る気も起こらず、先が思いやられるが、たぶん他人事ではなのだろう。面倒くさいが、関わっているのは確かなのだから、それなりに対応するしかなく、そういうことだと思うしかないらしい。どうもやはり冗談では済みそうにない。今さら誰彼を批判しても始まらないような成り行きというものがあるようで、すっきり解決するような問題ではないことを知る。


5月25日

 たぶんここからなのだ。さらに記すしかないらしい。つまらなくなってもかまわないのか。何を恐れている場合でもないか。少なくとも真実を述べているのではないか。時にはそんな嘘もついてみたくなるのだろうか。でも何を否定しているわけでもなく、すべては真実だと言い張ってみてもかまわないのではないか。フィクションの中でそうなっているのだろうか。そこで誰かが何かを強弁している。君がそんなことを空想しているのかもしれない。だからそれが冗談だとは思えないのか。そんなことはなく、すべてが真実であると同時に、すべてが冗談であってもいいのだろう。また時にはそんな嘘をついてみたくなるのだろうか。いつまで経ってもそんな案配で、暇つぶしに音楽を聴きながら、さらにそれらをかわして、まるで障害物をねつ造するかのごとくに、ブラウン運動のような動きを想像しているみたいで、やはりまったく意味をなさないようなことを述べたがる。疲れているのだろう。もう一踏ん張りだ。でも気合いだけが空回りして、どこへ進んでいるのかもわからず、右往左往しているうちに、出口が見当たらないことに気づき、焦りながらも強がりの言葉を探しながら、何となく虚しくなってしまうようだ。

 また停止信号か。電車がよく止まる。いつものことだろう。予定通りに着いたためしがない。また動き出したようだ。まったくいやになってしまうか。弱冷もこたえる。蒸し暑くて死にそうか。そう思っているうちは死にそうにない。外の方がだいぶ涼しいようだ。さっさと外へ出たい気分だ。でも叶わないのだろう。また気を取り直して記述を再開したようだ。何を語るのでもないのにご苦労なことだ。苦労している分には入らないのかもしれない。でも執拗で粘り強い域にまでは達していないのではないか。気のもちようだ。暑苦しい人がいなくなったので、ちょっと冷気が当たるようになったらしい。でもこんなことを記していていいのだろうか。何やら後退しているようだ。出発点に戻ってきたようにも感じられ、何の進歩もないようにも思われる。おかしいだろうか。たぶんそれも自然の成り行きなのだろう。何を語ってもかまわないのだから、こんな内容でもありなのだ。そう思えば開き直れるか。でもくだらない。それもそう思えばそうだ。それでかまわないのなら、そう思うしかない。何とかなる。何とかしようとしているのだから、そうなるしかないだろう。そしてこうなった。どうなったのでもない。

 蒸し暑さに耐えかねて、こんな具合となる。そういう理由でかまわないのではないか。その通りだと思えばいい。何となくそうなのだろう。何となくでもなければ、そうではなくなるのか。それでもかまわない。もう夜だ。夜だからどうだというわけでもないが、とにかく夜らしい。時間帯が夜でもかまわないということか。何がそうなのでもないが、とにかく夜だ。夜という言葉を循環させて、無意味なわざとらしさでも醸し出そうとしているのか。そんなのは不要か。でも紆余曲折の一環としてなら許されるか。別に誰に許しを請うつもりもないのだろう。なのにそれではまずいのではないか。笑ってしまうだろうか。何でもないのにそこに何かがあり、その何かについて語っているつもりが、ミイラ取りがミイラとなるように、何かの紋切り型に閉じ込められ、そこから逃れられなくなり、開き直ってそれの繰り返しを受け入れ、そういう人間を演じようとして失敗し、それがもとで正気を取り戻し、そんな物語を構築しようとしてしまうわけか。だがそれの何が物語に結びつくのか。そんな光景を眺めているだけの君に答える権利などないか。でも権利の話をしているわけではなく、語りたければ誰が語ってもかまわない世界に生きていて、そこであえて何も語ろうとしないならば、ただ周囲から無視されるだけのことではないのか。


5月24日

 相変わらず雨も降らずに曇っている。何を待っているわけでもないが、明日には雨が降るらしい。だから蒸し暑いのか。楽しいか。わざと思いとは関係のないことを記していると楽しいか。ただわけがわからない。そしてくだらない。そう思えば思うほど、自己嫌悪にでも陥るわけか。それも想定の範囲内かもしれない。何の驚きもない。では何ももたらせないのだろうか。そんな意味のない問いがもたらされている。そういうことならいくらでも何かがもたらされているのではないか。それで楽しいか。少なくとも苦悩しているわけではない。でも相変わらず道半ばだ。まともなことは何も語っていない。その場の気まぐれに流されているだけで、筋の通ったことを示せない。これはどういうことなのか。そんな問いかけが無意味なのか。でも意味のあることを語ろうとしているわけでもないのだろう。だから何も為さないのではないか。何かがずれているようだ。ボタンのかけ違えか。そういうことでもないのではないか。では何なのだろうか。何でもないでは済まないか。何も済むはずがない。実際にいつものこと以外は何も語っていない。

 眠たいのだろうか。眠たくなるような薬を飲んだ後だから、それは当たり前のことかもしれない。それにしても何も思い浮かばず、思いつかない。曇っているからだろうか。あるいは限界なのか。目を閉じるとそのまま意識が飛んでしまい、気づいたときには数分間眠った後か。でも相変わらずこうして言葉を記している。冗談みたいだ。本気になれず、まじめに考えられない。どうでもいいことなのだろうか。それはそうだが、そうでない時もあるのではないか。何とかしようとしているわけか。今がそうしている最中だ。また居眠りの最中だった。だから冗談なのだろうか。そうやって何事も短絡してしまうに限るか。冗談でもないのに冗談だと思い込むわけでもなく、それを冗談だと見なしているわけでもない。わざとそんなつじつまの合わないことを記しているだけか。でも何を合わせようとしても合わないのだから、それは自然の成り行きなのではないか。でもそうだとしたらどうなのだろう。まともな内容にならないだけか。それでもかまわないだろうか。

 不条理を容認すればいいのか。厳密には述べられないが、すべてを認めてしまえば楽になるだろう。でも同時に何も述べられなくなり、何かを否定したり肯定したりすることが、何かを述べていることになると気づき、そんなことでしかないと悟り、ますますつまらなくなってしまうだろうか。しかしこの世界の何がつまらないのか。すべての出来事が気に入らないのか。しかし何がすべてなのだろうか。そういう蒸し返し方が何かの予定調和を導いている。だから何も語れなくなってしまうわけか。それもおかしな論理だろうか。でもそれと何がおかしいのか。論理でさえないのかもしれない。何もそこから遠ざかれないが、意図して何を遠ざけようとしているのではなく、それを意識しているわけではなく、無意識のうちに何かを遠ざけようとしているとすれば、それを探ろうとすれば、それについて語っていることになるだろうか。意味不明だ。途中から何を語っているのかわからなくなり、それではだめだと思うようになり、それが嘘であることも自覚しつつ、何を語っているのかわからない状態を長引かせ、それで済まそうとしてしまうわけか。

 でもおかしいのではないか。完全にたがが外れてしまったようだ。頭の中で何かが暴走している。そんな表現で何を語っているつもりになれるだろうか。どうもわからない。でも困っているのではなく、わからないことを利用して、こうやってどうでもいいようなことを記しているのではないか。そういう成り行きに疑念を抱いているわけか。でもいくら疑問を感じても後の祭りだ。もうここまで記してしまった。これは何なのだろうか。今さらそれはないか。わかっているのにこれは何かと問うならば、わざとらしく何だかわからないと答えるしかないか。これは空疎だ。何かしら語っているのに、何も語っていないのと等価だ。価値などありはしないのに、等価だというのなら、そんな矛盾を楽しむしかなく、ますます図に乗って、さらなるでたらめが記される。そういうことでしかないらしい。でも楽しいのだろう。何か記されればそれでかまわないのか。それを読み返す必要はない。記す必要があるだけで、読む必要から解放されているのかもしれず、そんな御都合主義でかまわないのなら、もうこの先はすべてでたらめでかまわないはずか。そんなのはあり得ないか。それともあり得る状況が到来しているわけか。


5月23日

 居心地が悪いか。意気地がなく意地が悪いだろうか。似たような言葉を並べている。それで悦に入っているわけではない。してやったりとも思わない。ただ虚しいのか。空疎だ。それはわかっている。わかっているが、わからないこともあり、それを探ろうとしているのかもしれないが、たぶんわからないままだろう。でも不意に気づいてしまうこともありそうだ。では何に気づいたのか。たわいない空疎に気づいたわけか。それだけではない。朝は曇っている。雨が降るのではないか。君には関係のないことだ。それはいつも記している言葉だ。曲がってしまうようだ。でも無理にねじ曲げているわけではない。気に入らないのだろうか。だからそれに気づいたのではないか。でもそれでは意味がないだろう。他に何か重大なことに気づかなければ、そしてそれについて記さなければ、何やら内容のある文章とはならないだろう。でもそれを目指しているのだろうか。

 しかし重大なこととは何なのか。そんなものはどこにも見当たらないということが重大な事実なのだろうか。それはあり得ないことか。今にも雨が降ってきそうだ。そんな空模様を眺めながら、風を感じる。たぶんどういうわけでもないのだろう。疲れたらしい。疲れたわけを知りたいのか。何を知りたいわけでもなく、知ることもないだろう。たぶん何の前触れもなく、唐突に何かがやってくる。それは果たして出来事なのか。あるいは単なる言葉の連なりか。そんなものがやってくるわけがないだろうか。でもひらめいたはずだ。過去にはそういうこともあったらしい。それだけのことだ。それ以外には思いつかない。だから何を思いついているわけではない。しかしそう述べて何をごまかしているのだろうか。何も記されていないわけではないが、それらの空疎な内容はごまかしようのない。別にごまかしているわけではなく、あからさまにそうしているのではないか。

 確かにそうだ。しかしこの時間帯は何なのか。久しぶりに言葉を記している時間帯になろうとしている。昼なのにどうしたわけなのか。暇になってしまったのだろうか。たぶん何となく外れているらしい。忙しい時間帯から遠ざかってしまったのだろうか。たまにはいいのか。いつもそうなら申し分なしだが、そういうわけにもいかないだろう。どうせまたにっちもさっちもいかなくなり、苦境に陥ってしまうのではないか。それでも今はよしとしておいた方がよさそうだ。そうなったときに対処するしかないだろう。今の暇な時間帯を利用しない手はない。何とか少しでも先へ歩を進め、それが何かのたとえではなく、実際にそうだということを立証すべきなのか。馬鹿げているだろうか。でも当人はやる気のようだ。そういう成り行きに乗っかって、さらなる空疎がもたらされようとも、それを記してその先の時間へと進むだけだ。それでうまくいくはずがないと思われるなら、そう思っていればよく、意に反してうまくいったら喜ぶだけだ。それは冗談だろうか。

 しつこくまとわりつくハエが五月蝿いかもしれないが、ゴキブリも這い回っている。人もうじゃうじゃ蔓延っていて、世界中にいるらしい。成り行きとしてはそういうことらしく、シリア辺りではまだ殺し合っている。面倒なことだ。一方ヨーロッパ辺りの都市では、建物や通りを石で固めて景観を永続化し、観光名所となる以外に取り立てて役に立たず、そこに美術館や博物館や教会や宮殿やオペラ座などを配置して、人を周りから呼び込んでいる。ご苦労なことだろうか。文化とは何か。過去の遺産が積み重なったものなのか。それが正解ならどうだというのか。何か心地よい響きが当たり一帯に行き渡り、そこに暮らしている人たちは鼻高々ということか。何だか虚しくならないか。人は人が作り上げた廃墟の上で暮らしている。自ら築いたわけでもない過去の遺産を食いつぶしながら、何かの倒錯に耽っているのだろうか。倒錯とは何か。スノビズムを嗜好することか。たぶんそういう勘違いな人たちがいないと、高価なブランド品もその存在価値がなくなってしまうのではないか。要するに貧富の格差が厳然とあった上で、富める者たちだけに与えられる何かがないと、そういうステータスの獲得を目指す愚か者たちの立つ瀬がないということか。


5月22日

 とりとめのない思いにとらわれている。そんなふうに思っているだけかもしれず、本当は定かでないのだろうか。あやふやな気分だ。それも違うか。確かに梅雨の季節が近づいている。何も唐突ではない。でも事件ではないはずだ。何も起こらないわけではない。何かが起こりつつあり、実際に誰かが巻き込まれているのかもしれないが、そんなことはおかまいなしに、もう夕方だ。何だか拍子抜けか。何がどうなっているわけでもないが、相変わらずこんな具合だ。だめなのだろうか。何がだめなのかわかっているはずだ。何もないのだろうか。そんなはずがない。何かあるはずで、それについて語ればいいのかもしれないが、何となく語れないらしい。何も語れないわけではないだろうが、実際に語っているのはこういうことだ。空疎な内容だろうか。気が抜けているらしい。だめなのか。

 でも何がどうなっているのでもないだろう。すべては自然の成り行きで、人為的に逆らっても、たぶんうまくいかないのではないか。でも君たちは何に逆らっているのだろうか。市場経済の動向にか。でも神の見えざる手に従うつもりはないのだろう。そういう説明ではちんぷんかんぷんだ。説明になっていないのではないか。だから何を語っているわけでもないというわけか。いったい何を説明するつもりだったのだろうか。何となく違う。そう思われるだけのようで、取り立てて何を説明するつもりもなかったのかもしれない。たぶん何のことでもなく、世界経済について何か利いた風なことでも述べたかったのかもしれないが、述べかかった瞬間に腰砕けとなってしまったようだ。なぜだろう。急につまらなく思えてきたからか。

 それでかまわないのだろう。株価が上がろうと下がろうと、それは本質的な問題ではないのかもしれない。でも別に何が本質的な問題だと言い募るつもりはなく、すべては表層的なところで起こっている現象に過ぎず、それが何か意味するのかもしれないが、やはり興味を持つに至らない。たぶん人は今自身がやっていることについて、本質的な理解に至ることはないのではないか。その代わりに安易な代替物を求めてしまい、それが目標至上主義という短絡思考なのだろうか。何か達成できそうな目標を定めて、それに向かって努力してしまう。そしてそれを達成したり達成できなかったりして、そんなことをやっているうちに何かが過ぎ去ってしまうわけだ。時が過ぎ去り、誰もが自らの死に至る。虚しいことだろうか。そんなことを思っている余裕はない。何かをやり続けている間はそうは思わない。果たしてそうだろうか。そうでなければならないというわけでもないか。でもみんなそうやって老いてしまうのではないか。

 とにかく何かを成し遂げなければならないのだろうか。そんな思いにとらわれている人は多いのかもしれない。では君は何を成し遂げたいのか。言葉を記して、記しつつある文章を終わらせたいのか。そんなことなら容易いはずだ。現に今ここで記し終えようとしているのではないか。そうでなければ途中でやめてしまうだけだ。ではやめてどうするのか。しばらく考え込んでいるだろう。いつまでそんなことをやっているつもりか。何が問われているわけではない。問われていないことをあえて問いただそうとしているわけでもなく、それはいつものように何でもないことかもしれない。誰がどんなに釈明しても、穿った見方や捉え方はつきものだ。どうしても皆が納得するような答えを期待してしまい、本意でも本心から出たような意見を述べてほしいのかもしれない。そしてそら見たことかと言いたくなってしまうわけだ。どうせあいつはそんな奴なのだと見なそうとして、そういうレッテル貼りをやりたいわけだ。でもそれで一件落着なのだろうか。


5月21日

 たぶん曇っているのだろう。でも目は見えている。それは誰の目なのだろうか。賽の目か。意味がわからない。そこに誰かがいるらしい。架空の空間だろうか。そんなはずがない。君はどこかを目指して歩いているのだろうか。もう夜だ。君ではない。嘘かもしれない。何がそうなのか。何でそんなことを思うのか。眠ってしまったらしい。とりあえず今日はできない。そんなわけで翌日に何を記しているのか。依然として何も見えてこないはずだ。暗中模索というわけか。つまらない。文章になっていないようだ。何だかわからないのはいつものパターンか。何がどうしたわけでもなく、もう夜であることに気づいた振りをするが、そんな嘘がつまらないのか。ただわからないだけかもしれない。何かの勘違いなのだろうか。何かとは何か。それも違うのではないか。どうもおかしい。これもいつものことなのだろうか。おかしいままでもかまわないのかもしれない。なぜそう思うのだろう。わけなどわかるわけがない。でも笑っている場合ではないのかもしれない。

 雨が近いようだ。天気予報でも見たのか。それがどうかしたわけではない。何を考えているのでもない。ただそう思っている。思っているだけか。思わなければどうなるというのか。死んでしまうのか。誰が死ぬのだろう。誰もが死ぬのではないか。たぶんそうだ。死ぬから世代交代が進む。それだけのことなら、それは自然現象のたぐいか。誰かが本を読んでいる。それを見ている誰かがいる。そんな話だったのではないか。君は何を思い出そうとしているのか。本当にだめなのだろうか。何がか。何となくおかしいのはいつものことで、そんな成り行きになってしまうのもいつものことだ。つまりそうやって無駄に言葉を記しているわけか。その通りのようだ。

 救急車のサイレンが聞こえてくる。丘の上にある病院へと向かっているらしい。救急車がか。別にそこから物語とはならず、そのまま中途半端に意識が遠ざかり、何か別のことを考えようとするが、さっきまで何を考えていたのか。サイレンの音が聞こえただけだ。なぜわからないのだろうか。何もわかろうとしていないからか。人も世界もくだらない。またそんな思ってもいないことを記してしまうが、ただ漠然とそう思っているのかもしれず、それは危険な兆候だろうか。何を心配しているのか。とにかくこのまま記述を終えれば問題ないだろう。だいぶよそ見をしていたようで、またずいぶんと遠回りしながら、無駄に無意味な時間を費やしたあげく、さっきまで何を考えていたのか思い出せなくなり、それがどうしたわけでもないでは済まないのに、やはりそんなことを記してしまうのは、何の問題もないのだろうか。たぶんそういうのがくだらないのだろう。

 何とかしなければならないのに、こんな具合となってしまい、このままで済まないと思いながらも、やはり済まそうとしてしまう。何を憂う必要も感じない。何もかもが杞憂に終わる成り行きなのか。でも何を気にかけているとも思えず、また取り越し苦労を気にしているわけでもなく、窓の外に広がる夜の闇に興味があるわけでもないのだろう。それは字数稼ぎか何かか。何かとは何なのか。そういう何かの繰り返しが何かなのではないか。どうやら自家中毒気味に言葉を記しているらしい。しかしそれはわかりきったことではなかったはずだ。しかし何がしかしなのか。まるでそれはまとわりついて離れない何かのようだ。だから何かとは何なのか。そんな問い自体がだんだん無理になってきている。問う必要のないことを執拗に問い、やはりそんなことが執拗に繰り返されることに嫌気がさしているのかもしれないが、別にそれで気が滅入っているわけでもなく、ただ笑いたいだけなのかもしれない。そうなるしかないのだから、後はそういう成り行きを体験しながら、ひたすら笑うしかないのだろうか。あるいはそんな嘘をついていることを恥じているわけか。冗談だろう。そういうことにしないとやっていけないか。


5月20日

 晴れている。確かに晴れた日の朝にそう思う。思っているだけではなく、実際に晴れているのだから、それは本当のことか。でもそんなふうに回りくどいことを述べている。気に入らないのだろうか。でもそれは相変わらず晴れている。これから用事があるのでやる気がしない。今日は無理だろうか。今ここでやらなければそうなってしまうだろう。でも今ここでやるのは無理なのではないか。眠ってしまったらしい。さすがに今日は無理そうだ。確かに無理だが、できるだけ言葉を記しておくとしようか。悪あがきのたぐいか。通用するとは思えない。君も狂っているのだろうか。でも君は誰でもなく、フィクションに出現する登場人物でもなさそうだ。何の主人公というわけでもない。ならば狂っていても差し支えないではないか。しかし誰が狂っているのか。君ではないのだろうか。君が誰なのかが知りたいのだろうか。誰がそれを知りたいのか。そんなことを述べていること自体が狂っている証拠か。そんなわけで架空の存在である君は狂っているのかもしれないが、誰が狂っていようとどうということはない。何でもないことだ。

 とにかく歴史について語るのは虚しい。過ぎ去ったことでしかない。その内容がおもしろおかしいほど虚しくなる。どんなに語ってみても、それは過ぎ去ったことだ。今さらどうなるわけでもない。何かもっともらしい理由をつけて、語っていることを正当化しようとしても、そういう行為は虚しい。

 君はそれに何を付け加えようとしているのか。何となくそんな気がしただけかもしれない。君は何も答えていない。また面倒くさくなってきたようだ。このままではだめか。だめに決まっているだろう。さっきからしきりとよそ見している。でも嫌気がさしたわけでもあるまい。やりたい放題好き勝手なことをやりまくったあげくに尻拭いか。でも非難が君に向けられているとは思えない。その矛先は見当違いの方角を向いていて、どんな罵声が投げかけられているわけでもなく、沈黙が辺りを支配しているわけでもない。では何なのだろうか。また何でもないことなのか。具体的な事例が乏しい。そんなわけもないだろうか。なぜそんなところまでいくのか。行き先が不明確だ。それは言葉ではなく、何か他に記されているのかもしれないが、それは何かの痕跡なのだろうか。また白々しい嘘をついているようだ。なぜそうなってしまうのか。やる気がないならどうすればいいのか。やめたらいいと思われる。でも続けてしまうのだろう。コルトレーンもサックスを吹いている。それとこれとは無関係だが、それを聴いている最中らしい。やがて別の曲になるだろう。なぜなのだろうか。君がくだらないことを述べているから、それにつられてそんな記述になってしまうわけか。でもそれはフィクションではない。

 実際に記している内容がとりとめがないらしく、神がそう思っていて、そんな不在の神が何を思っても、誰の心に届くわけもないのだろうが、とりあえずは中途半端にここまで記してきたようだ。ここでやめた方がいいのだろうか。何をやめるつもりなのか。身勝手な人たちの話はその後どうなったのだろうか。でももう手遅れだ。誰も助けてはくれず、それどころか容赦なく非難されて、立つ瀬がないだろうか。面目丸つぶれか。それがおもしろいところなのではないか。いったん傾き出したらそんなものだ。しかしだいぶ増長しているようにも思われ、そのへんに危うさがあるのかもしれないが、当人はそれに気づいているのだろうか。それにしても判断は先送りされたようで、これから各方面に根回しして、勝てる見込みがついたら、改めて判断を仰ぐつもりだろうか。そういうやり方でかまわないのか。


5月19日

 無理に語ろうとすれば消耗する。無駄に神経をすり減らしているみたいだ。それでも語ろうとすればどうなってしまうのか。ここからどうすればいいのだろうか。君は何を思っているのか。何も思い出せない。話のつじつまが合いそうにない。それはいつものことだろうか。意味がわからず、とりあえずこうなっている。それはあり得ないことか。そうではない。何を否定しているのでもなく、すべてを否定したいのだろうか。だからそう述べている意図がわからない。わけがわからないままに、何を狙っているのか。それは無意識に問いかけてみなければわからないことだ。とりあえず何があり得ないわけではなく、現にこうなっているのだから、これはあり得る結果か。でもつまらない。かろうじて何かがつながっている。何かとは何か。意味か意図ではないのか。でも唐突につまらないと思う。そう思ったのは夕方のことだ。今がそうだ。でも今はもう夜だ。どこかで躓いているようだが、別に気にしなくてもよさそうだ。結局これはいつものようにどうでもいいことか。ドリップコーヒーでは満足できないのか。そういうことではなく、それもおかしな話だ。だがいくら画面を睨みつけても無駄だ。そこにはつまらないことしか記されていない。それが気に入らないというわけではないが、何となくごまかしのような印象を抱いて、自己嫌悪に陥ってしまう。でもこれが現実だ。何も頭にきているわけではない。時間が長く感じる。

 やはりかろうじてここまで記してきた。何のことでもないのにこうなっていて、それが何だかわからないままに、どうしても話を先に進めたいらしい。無理な話か。笑ってしまうのもいつものことかもしれない。近頃はこんな具合で特定の何について述べているわけでもない。積極的に語っていない。でも無理矢理語ろうとしているのではないか。そんなはずがないか。しかし何について語ればいいのか。それだ。それとは何か。それのことか。でもそれだけでは話にならない。またおかしな具合となってきたらしい。もういいのではないか。それでかまわないのだろうか。そういうことにしておきたい。しかし何を迷っている。別に血迷っているわけではない。でも君が笑っている。これが笑わずにいられようか。いやな緊張感で神経を尖らせているそうだ。またコーヒーを飲んでいる。小心者の集まりだからか。半信半疑でそんなことをやれば、やがてパニックに陥るのではないか。それが神の狙いか。でも想定内だとは思えない。でも制御不能になるのは火を見るより明らかか。それで笑ってしまうわけか。二杯もコーヒーを飲めば眠れなくなる。君たちは何を期待しているのか。本気で信じているわけではないのだろう。本当は誰も信じていないのかもしれない。それが真相か。何の真相なのか。そんなのは誰かの想像にまかせるしかない。

 また何かのでまかせか。何かと何なのか。そういう付け足しは予定調和を狙っている証拠か。まったく馬鹿げている。でもまだその途中の段階だろう。深みのある音だ。ちゃんとしたスピーカーから聴くとそうなるのだろうか。力が入らない。そのつもりなのだろう。わざとそうやっているのか。まだ野球をやっている。横目で見てもつまらないか。では控えめに見ればいいのではないか。何を見ているのだろう。関心がないか。そんなやり方ではだめだろうか。何か気になることでもあるのだろうか。何を刺激しているわけでもなく、大したことではない。メディアが繰り出す言動などたかが知れていて、びっくりするような内容など皆無だ。でもそれは本当だろうか。君は何を期待していたのか。そして何が期待外れだったのか。世界的に何かが狂っているようだ。たぶん各国ともに悪あがきの最中なのだろう。それが最後の悪あがきになるかどうかはわからない。でも悪あがきには違いなく、市場に資金を過剰に供給していること自体が、何だか何かの悪あがきのような気がして、その何かが最後になるかどうかは、今後の成り行き次第か。でも君はそうなってほしいのだろう。いつもの冗談かもしれない。たぶん大失敗となってしまった方が楽しい。後々が楽な展開となりそうだ。でもそれを目指しているわけではなく、本当は大成功となることを期待しているのではないか。そのへんが微妙なところか。


5月18日

 果たしてこのままでいいのだろうか。いいのであり、そう思っていても、このままでいられるわけがない。いずれどうにかなってしまうわけか。今も徐々になりつつあるのではないか。だからこうしてそんなことを記している。そしてそんなこととは無関係だろうが、数日後の今日は曇っている。今日も誰かが空を眺めているようだ。誰かが記しつつあるフィクションの中では、そういうことなのか。そうでなくてもそう記してしまうのだろう。だが何から影響を受けてそうなっているのだろうか。疑問に思うことではない。昼は晴れていた。もう今は夜だ。何を眺めているわけではないらしい。数時間前までは午後だった。今も時間帯としてはそうだろう。誰かを待っているのだろうか。わかっているくせにそれはないか。他に記すことがないのだろうか。でも何がどうなっているわけでもなく、何かの勘違いというわけでもないらしい。たぶんそうなのだ。そのまま待つとしようか。連絡して確認したらくるそうだ。数時間前には実際に来て作業中だった。また時間が前後しているのか。そのままでかまわないのだろうか。たぶんそういうことだ。何とか一通りこなしてもらって、結果として仕事がうまく回ってくれればいいとは思うが、現実にはそうはいかないらしく、文句を言いたい人は言いまくりで、そんな現状が気に入らないのはわかるが、まだ何も終わっていないはずだ。

 激しい雨に打たれて何を思うわけでもないが、それは作り話だったのか。実際にはあり得たかもしれないが、今ではない。昨日でもなかったはずだ。たぶんいつかそんな事態に陥り、困ったことにでもなるのだろうか。あり得ない。面倒くさいからそうなってしまうのか。とりとめがない。何も考えていないみたいだ。何が違うわけでもない。眠くなってきた。体がだるいか。様子を見るとしようか。何が起こっているわけではない。落ち着くはずがないのではないか。まだ何も考えていない。果たしてこのままでいいのだろうか。だからこのままでいられるはずがなく、やがてみんなおかしくなる。英語が公用語だそうだ。産業競争力を高めたいらしい。標準時間を二時間前倒ししたいそうだ。みんな浅はかなことを考えている。将来役に立つから英語を習うらしい。そういう短絡的な思考ではだめか。だめだとは思わないところが愚かしいのか。それでもみんな楽しそうだ。楽しいことは良いことか。たぶんそういうことなのだろう。そんなことに疑念を抱く君は邪魔な存在だ。ならばどうしたらいいのだろうか。さらに言葉を記せばいい。安易な考えだろうか。それしかないのではないか。でも何を語っているのでもない。語っているではないか。簡単なことだ。外れることはない。でもあくびが出る。しんどいのだろうか。

 あまりにも安易だ。自信がないのだろうか。自らを信じられなくなったらおしまいか。でもこの状況は何なのか。みんな馬鹿げている。君がそう思っているわけではなく、何となくそんなことを記しているだけか。誰の思いでもありはしない。しかし馬鹿げているのだろうか。何だかわからないが、馬鹿げているとしても、これでいいのかもしれない。馬鹿げたことを思い、馬鹿げたことをやっている。それだけのことだろう。それ以上はいいのではないか。何もやらなくてもいい。やっているのではないか。ただ言葉を記している。もういい加減にやめた方がいい。眠たくて仕方ないのではないか。呆れてしまう。まだそんなことを思っているようだ。何が記されているわけでもなく、そんなことばかり記している現状があり、それに呆れているのかもしれないが、それが思っていることの説明とはなり難い。くだらないのだろうか。心が揺れ動き、もうどうでもいいと思っているようだ。さらに空疎な内容が続く。それがいやならやめればいいのだろうが、やはりそういうことではないと思い、何も改められないまま、相変わらずそんなことを記している。しかしもう疲れたらしい。でもこの世からおさらばできないようだ。なぜそうなってしまうのだろうか。まだ何かあるのかもしれない。その先に何か待ち受けているような予感がしている。嘘だろう。嘘でもかまわないか。今はそう思い、これから違うと感じるわけか。


5月17日

 何か問題があるのか。たぶん何もない。あるとしても、それは他人事に違いない。君の問題ではないということか。君はただ待つしかない。それは勘違いだとしてもそうだ。勘違いしたままでもいいのか。かまわないだろう。幻想を抱いていればそれで済んでしまう。それは恐ろしい事態にでも結びつくのか。簡単なことであり、どうでもいいことでもある。どうということはない。それが思い違いの勘違いだとしても、そうなるしかない。そういう成り行きなのだから、黙ってそれに従うしかないのだろうか。今はそうだ。以前も将来もそうだろうか。それはわからない。誰にもわからないことか。君にはわかっているのではないか。その時が来たらわかることだ。まさかその時は死ぬ時か。それではもう遅すぎるではないか。もしかしたらすでに君に未来などないのではないか。ではそんな事実など知らない方がマシか。でも何が事実なのだろうか。たぶんそこに事実があり、それを真摯に受け止めなければならないのに、君はあえて知らないふりをしている。そんなことはないだろうか。何となくねじれている。そうなってしまうのだから、それはそれでそれとして受け止め、そういうことだと納得するしかないだろうか。しかし何の話なのだろうか。何が語られているわけではない。またそれだ。そんなふうにしか語れない状態が長引いているらしい。馬鹿げたことだろうか。すぐにそうやって逃げを打つ。

 理解できないことになるようだが、そう思われるのがいやなのかもしれない。だから冗談にしたいのだろう。しかしこれらの無駄な饒舌は何なのか。フィクションの中では何か語られているわけか。それらの何がフィクションなのだろうか。だから冗談ではない。何がだからでもないか。何だかおかしい。夜でしかないが、夜が何かを招き寄せているとも思えない。気のせいだ。でも何をわかろうとしているのでもない。誰がそれを知りたがっているというのか。どこに秘密が隠されているのでもないらしく、誰が何を隠そうとしているのでもないようだ。たぶんこれはゲームではない。わかりきっていることか。では独り言か何かだろうか。それはそういうことになりそうだが、そう思われてしまうと不服なのか。君がか。他の誰でもない。君はそれを明らかにできず、何をあらわにしているでもないだろうが、結果としてそれらの空疎な内容が明らかになったりするわけか。それらとはこれらのことか。でもそうやって先回りする必要がどこにあるのか。少なくともここにあるとは思えない。きっとそれは気のせいだろう。何でもかんでも気のせいにされたらたまらないが、それで片付けられるものならさっさと片付けたいところか。なぜそう思われているわけでもなく、君がそう思っているのでもないのだろうが、そんなことが記されてしまうのだから、あながち嘘というわけでもあるまい。そういう気にさせる状況や成り行きの中にいるわけか。

 相変わらず何だかわからないが、とりあえずここまでやってきた。何がどうしたわけでもないのに、結果的にこうなっている。おかしいだろうか。何がか。たぶん何もそうではないのだろう。そんなところで言葉を記している誰かがそう思っているわけか。では君はおかしくないのだろうか。正気とは思えないか。疲れているだけかもしれず、いい加減に言葉を記して、その場を切り抜けたいのかもしれない。でもそれで切り抜けたとは思えないのではないか。でも実際に記述が進んでいるはずだ。これはどういうことなのか。無駄に言葉を記しているだけか。あるはこれも気のせいなのか。何だかわからないが、とにかくさっさとそんな状況から抜け出したいらしく、無意識がそうさせるのかもしれないが、淡々と言葉を記しているようだ。意味がわからないか。そんな心配は無用だ。その場から立ち去りたい気分となっているわけでもない。でも気分が昂揚しているとも思えない。何でもないことか。そういうことだ。延々とそういう状況が続いているのに、性懲りもなくそれを継続させようというのか。そうではない。たぶんそういうことだ。何とかなると思っているのであり、そういう楽観視によってそれらの状況が生まれ、君を苦境から救い出そうとしているのかもしれないが、誰がそうしようとしているのかといえば、それは君自身であり、神でもある。そんなのは嘘かもしれないが、君はそういうことにしておきたいらしく、それを否定しないで、自然の流れとして受け止めようとして、実際に受け止められているのかもしれない。それはすごいことだろうか。何でもないことだ。


5月16日

 何を卑下しているのでもないのだろうが、とりあえず今日もくだらないことにかかりきりか。空気を読めない。読むつもりもないのだろう。では文章でも読んでみたらどうか。そのまま技巧に走るのか。君に限ったことではない。他に何もなければそうなるしかない。何も開き直っているのではなく、自然とそうなってしまうのだから、致し方ないことだ。でもそんな言葉遣いで良かったのか。知ったことではない。何となくそうなってしまうのだから、そうなるしかないのだろう。心に余裕が感じられず、何でもいいからさっさとこなしてしまいたいのだろう。たぶん何をこなしているのでもないのだろうが、そうなってしまうこと自体は避けられず、それをどうこう言う筋合いはなさそうだ。どうかしているわけではなく、取り立てて目くじらを立てる気も起こらない。どうかしているのは君ではなく、社会の制度の方か。そんなことでもないだろう。やる気が起こらないのは今に始まったことではない。たぶんどうやってもこうなってしまうのだ。それをどうこうできるわけがなく、君もそんなふうにしか対処できないはずだ。だからこうなっているのか。きっとそうだ。でもそれでは埒が明かないだろう。それもそうであり、そうなるしかないのだとすれば、それが何を暗示しているとしても、結果からそれらの顛末を説明するのはおかしいだろうか。したければ説明すればいいのではないか。

 それは君に限ったことではない。誰に限ったことでもなく、世間ではありふれた成り行きなのではないか。そうだとしてもそれがどうしたわけではない。それではまずいか。まずいも何も、まだ何も語っていないのではないか。しかしそれに関して何を語ればいいのか。何もなければ何も語れないか。そういうことではないはずだ。それはわかっているが、それ以外があり得ないのであり、そればかりでは何もないことになってしまうか。矛盾しているのはいつものことだ。本当な語る気が起こらないのではないか。そのようだ。呆れているのではない。要するに何だかわからないということか。たぶんそうだが、本当はそうでないのかもしれず、そうでないのに、それについては語らないのだろうか。なぜなのか。面倒くさいからか。たぶんそういうことになりそうで、それではだめなのかもしれないが、結局はそうなってしまい、期待外れの肩すかしの連続となり、はぐらかしているのにはぐらかされ、どうにもならなくなって、そのへんで自滅しているわけか。いったい誰がそうなのか。なぜそうやってまともに語ろうとしないのか。冗談にもほどがあるが、ほどのない冗談となり、笑えないのに無理に作り笑いを装い、無理が祟って心身症にでもなってしまうわけか。それほどのことでもないだろう。どれほどのことでもなく、何がどうなっているわけでもなく、何はともあれ、至って健康を保っているのであり、いつもそれでかまわないと思う。

 正気ではない。君以外の誰かがそうか。何とも言えないようで、何について語ろうともせず、何かをごまかしながら、そのごまかしている当の何かにごまかされ、未だにこんな具合だ。まったくとりとめがなく、それを否定しているそばからそれを裏切り続け、結果的に何を否定しているのかわからなくなるが、ともかく否定しているわけだ。ところで君は何を否定しているのか。君自身の存在をか。それは昔からそうだ。今でもそうなのだろうか。今さら何を認めたいのか。君自身のすべてか。すべてがないから君は不在なのではないか。とりあえずそれがすべてでないことは確からしいが、何も確かでないことも確からしく、確かという言葉の意味を否定しながら、そこから何を主張したいわけでもないのに、何かの不完全性を悟り、後はいい加減に言葉を記すしかないと思い、そんな思いが間違っていることを認識しながらも、やはり一方ではわからないと思う。要するに何がどうなっているわけでもないということであり、何をどうしようと、それは誰の勝手でもなく、そこに何らかの制約があることは確かかもしれず、うまくいかないのは、その制約のせいだと思い込み、たぶんそうであってもかまわないのだろうが、何かが違っていることは確かであり、その違いを認識しないうちは、言葉を記すのをやめられないのかもしれず、そんないい加減な理由から記述を許していると思うや否や、何だか馬鹿らしく思えてくるだろうか。だが何が馬鹿らしいのか。そんなふうに語っていることがか。しかし本当に語っているのだろうか。


5月15日

 また深夜か。相変わらず眠ってしまう。あくびが出るか。いつもの通りだ。そして何かが違う。そんなのは嘘だろう。何もかもが自身に返ってくる。そう思うならその通りだろう。何という紋切り型なのか。君は知っている。それでもかまわないと思っている。確かにそういうことだ。よくわかった。そんなふうにしかできないのだ。興味がないのかも知れず、無理に知ろうとしていないのだろう。それは理由でも原因でもない。そう考えれば確かに無理がない。そう思っているのならその通りだと思えばいいわけか。でも何について述べているのでもない。具体的にはどうなのか。ますます意味不明になってしまうのか。そうならそうでかまわないのではないか。戯れ言に違いなく、記述そのものが戯れ事でしかなくなり、記せるものなら何でもよくなってしまう。本当にそれでかまわないのか。そうなることに躊躇があるわけか。積極的にそうなってはだめなのだろうか。何を懸念しているのか。たぶんすべてが冗談なのではないとしても、それに近いことを感じているらしく、何をやってもどうでもいいような気がしてきて、投げやりになりかねず、そんなふうに語っていること自体が馬鹿げているようで、また自らに行いのすべてが返ってくるように思われ、そんなことを夢見ていたのかもしれない。おかしいだろうか。冗談にもほどがあるか。要するに意味不明だと思われたいのだろう。それがおかしいのか。

 たぶんそんなふうに語る必要が感じられず、そうでは内容に思えてきて、それとはまったく違うことを語ろうとして、うまくいかずに途方に暮れてしまうわけか。わけでもない。わけもなく記述をねじ曲げようとしているのかもしれない。たぶんそういうやり方がおかしいのだ。そんなはずがない。何かが間違っている。そういうふうに思えば合点がいくだろうか。でもやめられないのだろう。いい加減に言葉を記したい。言文一致とはなり難く、両者がどんどんずれていくのが愉快でたまらないのか。言葉を記せば記すほど、思わぬところで思わぬことを記している現実に驚き、そこから外れていってしまうのが、当然の成り行きのように思われ、強引に軌道修正する気もなくなり、それでかまわないと思うより他はなく、極めて自然の成り行きのよう感じられ、さらに空疎になるとしても、それを続け、そのままどこかへ外れていってしまうわけだ。同じ場所にとどまることなど不可能か。そうなるしかないだろう。こだわりなどありはしない。そう思えば何とかなるだろうか。でも依然としてこんな状況だ。果たしてこれでいいのだろうか。そう思ってはまずいのか。別にかまわないか。何を語っているのでもないのだから、こういう成り行きになるしかないのだろう。

 何かがすんでのところで回避されているのか。でもそうなっているのではないか。何も避けられているわけではなく、避けようのない成り行きなのかもしれないが、未だにそれを心配しているようで、そうなってはだめだと思いつつも、現実にそうなっている事実を受け入れざるを得ないか。何だか馬鹿げているようだ。これは何なのか。何かが起こる予感なのだろうか。そうだとしても今のところは何が起こるか見当もつかず、起こったとしても気づかない可能性もあり得る。それでは予感でも何でもないのではないか。でも予感がしているわけか。わけがわからない。君のせいではなさそうだ。誰のせいでもありはしない。思い違いだろうか。そんな現状を否定するわけにはいかない。何が現状なのでもなく、フィクションの中で誰が語っているわけでもなく、君が何を構築しつつあるのでもない。腹が減ったようだ。たぶんそんなふうに語る必要がないのかも知れない。そう思っているうちにももうすぐそこまで来ている。何が来ているのだろうか。何がそうなのでもなく、呆れられているのでも呆れているのでもない。では何なのかと問えば、それは時間稼ぎの先延ばしなのかもしれないが、でもそういうふうな成り行きでしかないのなら、それはそれとして受け止めるしかないのかもしれない。真摯な態度になれないとしても、ともかくそういうことで、冗談の一つや二つやり過ごしてここに至り、何の感慨も得られないとしても、やはりそういうことなのだろう。要するにそうなるしかないわけか。


5月14日

 これは何だろうか。これがないから、これではないのかもしれない。また何でもないことなのか。たぶんそうだろう。雨が降っている。数日後のことだろう。相変わらずの日付だ。何というか、呆れてものもいえないだろうか。そういうことではない。ではもはや病気か。何もないから何でもないということか。そういうことだ。眠ってしまったらしい。疲れた。そう思ったら自然と意識が途切れた。本当だろうか。翌朝にそんなことを記しているわけか。作り話に違いない。そう思えばそうなってしまう。嘘だろうか。どうもうまくいかない。それも嘘だろうか。君が間違っているのか。君ではない。では何を否定しているのか。この世界はこの世界のままだ。それは寝て起きても変わらない。なぜだろう。何でもないからそうなってしまうのか。そうはならないと思う。そう思っていれば違う何かを見つけられるだろうか。何が違うのか。何も違わなければ困ってしまう。それも違うのではないか。たぶん何かが違うのだろう。いつもとは違う。まともな説明に至れない。それがいつものことだとは思わない。思わないことにしておきたい。冗談か。そうでもないらしい。無理にずらそうとして、不自然な言葉の並びを感じる。見ていてそう思うのだろうか。何を見ているのか。何も見ていないのではないか。君がそう思っている。架空の何かを見出そうとしているのかもしれない。戯れ言に違いない。おかしいのだ。

 たぶん何もおしまいにはならないのだろう。ここから続いてしまうのだ。なぜなのだろうか。理由がないのはいつものことか。ではこうなってしまう理由を考えなければならない。これでいいとは思わないのか。いったい何を目指しているのだろう。何も目指していないと言えば嘘になる。だからもうあきらめたらどうか。何をあきらめなければならないのか。こんなやり方では納得できない。誰がそう思っているわけでもない。これではだめか。なぜそう思うのか。誰もそうは思っていないからか。誰もいないが、すべてが存在している。それ以外はあり得ない。しかしそれはどういうことなのか。どうかしている。どうにもならないのにそれはない。そういうことだ。こういうやり方を改めなければならないのに、結局こうなってしまう。思い通りにいかないらしい。これでいいのだろうか。いいわけがないが、今はこんなふうにしか言葉を記せないらしい。何かを語ろうとするからこうなってしまうのか。まともなことを語りたい。それがだめなのだろうか。何がそうなのか。これでかまわないか。そう思わなければやっていらない。笑ってしまうがそういうことだ。だからもういいのではないか。いい加減でかまわない。でももう夜だ。今日も仕事に追われていたら夜になってしまったらしい。無駄に消耗しているのだろうか。そうともいえないだろう。それらの何が無駄なのかわからない。ただそう思っている。

 それだけのことか。何もそうではない。何も思わなくても結構だ。実際にそうだろう。でも何を肯定したいわけでもなく、皮肉ではない。ただそう思っているだけのことだ。何とかしなければならないわけだ。そんなはずがない。では何とかなっているのではないか。そうかも知れない。しかしこれは何なのか。この状況はどうしたことか。どうもしないのがこの状況だ。信じられないだろうか。外れているのは相変わらずだ。何がどうなっているのでもないのに、それでかまわないと思っているわけだ。たぶんそこには何もない。紆余曲折などありはせず、あるのはフィクションだけか。それもあり得ない状況だ。ひたすら空疎なことを述べている。どこまでもそうらしいが、別に気の病というわけでもない。それはかつて聴いたことのある曲か。そうだとしらどうだというのか。君はそれが何だか知っている。倦怠感というやつか。嘘だろう。たぶんそうだ。嘘に決まっているが、そんなことを今さら否定するには及ばず、わかりきったことに過ぎないのだろうか。でもそれは何を語ろうとしていないことに原因があるのではないか。語れないのだから仕方がない。実際にそうなのだろうか。あるいはまた君は嘘をついているのか。だからそうに決まっているだろう。そんなことはどうでもよく、どうでもいいからこうなっているのであり、それ以上でも以下でもなく、そのものだからこそ、君はそこから外れていってしまうのではないか。でも実質的にはどこから外れているわけでもなく、依然としてここへとどまり、ひたすら言葉を記している最中なのではないか。それが嘘なのだろうか。


5月13日

 きっと無理だろう。これから何をやろうとしているのか。もう今日だ。何を探しているわけでもない。ではそれは嘘か。すでに夕方になっている。もうすぐ夜だろう。まさかここから言葉を記すつもりか。記しているではないか。夕闇が迫っている。何もないが、西日がまぶしいか。もう雲に隠れかかっている。終わる頃には夜になっているわけか。何を終わらせようとしているのか。建設中のマンションを横目で見ながら何を思うこともない。人は大勢いて、その中の誰かが居住することになるのだろう。いつまでもこの世にいられるわけもなく、長く生きても後数十年でおさらばか。何も成し遂げられないまま、さっさと消えてしまうのだろう。しかしそんなことを思っている意識とは何か。君の内に何か心とか魂のようなものが宿っているわけか。それはわからない。何の実体もなく、脳の神経回路の中を電気信号が行ったり来たりしているうちに、そんなことを思っているようになるだけか。馬鹿げているだろうか。何がそうなのか。たぶん何もそうではない。たぶん君がそう思っているわけで、それがどうしたわけでもないのに、他に何もないから、そんなことを考えてしまうわけだ。別にそれがおかしいわけではなく、極めて当たり前の現象なのだろう。そして相変わらずそんなことを記している現状があり、何となくどうでもいいような気分となるらしい。誰かがフィクションの中でそう思っているのかもしれない。でもまたそれが嘘になる。

 辺りはだいぶ暗くなってきたようだ。今日はいったい何だったのか。ただ何かがあっただけで、それらを一通りこなしてきただけだ。他に何があるというのか。何もないから弱っているわけか。でもそれでかまわないのだろう。すべてはそんなふうにしかならないのだから、他には何もやりようがなかった。だからこうなっているのだろう。それはそうだが、何となく妙な感じがしているわけか。何もかもが簡単に事が運び過ぎるか。そうではなく、まだその途上で、これから何が起こるかわからないのではないか。でもそうなったらなったで、どうということはないような気がする。なぜそんなふうに思うのだろうか。理由や原因などどうでもいいのか。考えるのが面倒くさいようだ。まただんだん眠くなってきたらしい。疲れたか。そういうことらしい。もう夜だ。ようやくここへ戻ってきた。何を思っているわけでもないのに、何か思っているふりでもしたいのか。空疎だ。何もないのだからそれは当然のことだ。寝て起きたらまた深夜になる。これはどういう状況なのか。いつものことでしかないのかもしれない。何かを忘れているような気になり、必死に思い出そうとするが、何も思い浮かばず、たぶん途方に暮れているのだろう。まるで他人事か。でもこんな現状なのだ。まさかさらにその先があるのだろうか。

 それはあり得ないことか。だからこうなってしまう。しかしこれはありなのか。記す必要のないことを記しているみたいだ。膝の痛みが微かに残っている。慌ただしい日々の中で何を思うこともない。でも別に何もかもが遅れたままというわけでもなく、着実に何かが進行中だ。そういう感触はあるらしく、それほど急ぐ状況でもなく、何を待っているとも思えない。たぶん出来事が向こうからやってきてしまうのだろう。そしてそこで何かを体験して、何か思う。それが実感なのだろうか。でも相変わらず何を語っているとも思えない。実際にそうだから、それはそういうことなのか。どうもそうなっているらしい。感じるのはそんなことでしかない。別にそれがおかしいわけではなく、自然な感触なのであり、自然な成り行きになっているのかもしれない。何も思わないまま、そんな事態が進行してしまうのか。たぶんそうだ。それは人知を超えた成り行きか。ただ理解できないだけなのだろうか。そうかもしれず、それでもかまわないのかもしれない。目の前を何かが過ぎ去っていく。それはつかみ損ねた機会なのか。そう思えばそういうことになりそうだ。それがそこにもたらされていないとしたらどうだろう。何かの勘違いなのだろうか。そう思えばそうなる。案外そうではないのかもしれず、本当はできうる限りことをやり、その結果として努力が実り、何もかもがうまくいっている最中なのかもしれない。


5月12日

 まあこんなことなのだろうが、どうなのだろうか。どうというわけでもないか。また外れてしまうような成り行きの中で考えているのだろうか。何が前後しているわけでもないらしい。今は深夜だ。焦っても何を成せるわけでもなく、ただ何かを見失うばかりで、とても平静を保てない。しかし何なのだろうか。これは何なのか。この状況はどういうことなのか。ただのこれだ。こういうことでしかない。たぶん語ろうとしていること自体がおかしいのだ。静かだ。また音楽を聴いている。何もないのにこれは何か。いくら問いかけても無駄か。自問自答の枠内だ。でも至って正気なのだろう。何をどうしたいとも思わないのか。そういうことになりそうだ。何も語らなくても自然と言葉が記される。そんなのは幻想か。しかし昨日は疲れすぎたようで、少し息切れがしている感じだ。何となく未来が見えてこない。見ていないだけか。他に何を見ようとしているのか。とりあえず筋肉痛だ。まだ相当疲れている。そして何に気づいているわけではない。耳の奥で金属音が鳴り響いているのだろうか。なぜそう思うのか。きっと気のせいだろう。そんなはずがない。背中も痛むらしい。何も聴いていないのかもしれないが、それはきっと音楽だ。だからそんなはずがないと思っている。全然文と文がつながっていない。頭痛がしてくる。

 今日は何もないみたいだ。今日ではないからかまわないのか。実質的にはいつなのだろう。何とかしようとしている。そのへんでがんばっているようだが、無駄で無意味なことだろうか。何だかわからなくなり、何も語っていないような気になり、その先に言葉が出てこない。また停滞しているようだ。これで二日間何もやっていないことになる。たぶん何がそうなのでもないのだろう。ここからが問題なのか。あるいは何の問題もありはしないか。フィクションだろうか。語っているのがそうなのか。無理だ。無理なのだろうか。そんなことの繰り返しに違いない。そうだからこそこんな具合となっている。要するに何も語れないわけだ。そういうことか。どういうことでもありはしない。気まぐれに何を思うわけでもなく、そんなことを記しているだけか。それでかまわないのだろう。だからそういうことになっているわけだ。何でもないのにそうなってしまい、その何でもないことで苦悩して、わけがわからなくなり、それからどうなったのか。さらにこうなっているわけだ。吐き気がするか。強烈な体験ではない。何でもないことなのでそうはならない。たぶん限界だと思う。それだけのことであり、それだけだからこそ、何をどうしたらいいのかわからなくなる。だからそういうことだろう。

 誰とどこで出会っているわけでもなく、誰かが波間に散ることもない。それは何なのか。無人の荒野で何をやっているわけでもなく、部屋の中で記述の最中だ。たぶん説明になっていないのだろう。それを復活させてはまずいわけか。何がそうなのだろう。まだそんなところか。たぶんそうなのだ。語れないのにそうなのか。深夜に目覚めただけか。夕方から眠ってしまったらしい。いつものことだ。つけっぱなしのテレビは一定時間が過ぎれば切れてしまう。何を見ていたのか思い出せない。何も見ていなかったのかもしれない。それを思い出そうとしているわけか。気まぐれにそんなことを述べてみただけか。それもあるだろう。どこかで誰かが勝ったり負けたりしているらしいが、君には関係のないことだ。ただ眠いから寝てしまっただけか。今もまたそうだ。何だかわからないままにそうなってしまい、心が動揺しているわけか。やめておこう。やればやるほどはまり、きっかけを見失い、良くなる機会を閉ざそうとしている。だめになってしまうわけか。それでもやるつもりか。でも何をやっているわけでもなく、ただ言葉を記しているだけだ。それがだめなのだろうか。もしかしたらそれはノイローゼのたぐいだろうか。そうとまではいえないだろうか。でもそこまで来ているのではないか。何が来ているというのか。幽霊か何かだろうか。何かとは何なのか。またそういうやり方にはまっている。それだけのことらしい。


5月11日

 道路が渋滞しているようだ。そんな光景を人身事故の影響で停車している電車から眺めている。嘘かもしれない。今は動いているではないか。さっき眺めていたのがそんな光景か。時間が前後している。都合良くまとめられない。そんなことでしかない。人は簡単に死に、動物もそうなるだろうか。死ぬ時は簡単に死ぬのだろう。食い違いは食い違いとして、いろいろな不都合や不具合がありそうだが、止まった電車の中でわめいていたヤクザ風の老人も、今はどこかで何かをやっているのだろうか。電車が遅れて腹が立ったのだろう。あくびが出る。つまらない巡り合わせの果てに何を知るのだろう。会社の付属物と化しているスーツ姿の人々も人には違いない。一応はそうだ。電車の中でわめいていただみ声の老人も、部品の一つとして社会に組み込まれている。そんな捉え方ではいい加減すぎるか。別に何がそうなのでもなく、部品だろうと何だろうと関係ないか。少し眠ってしまったらしい。人々はどんな幻想を抱き、何をどうしたいのか。たわいない夢を見ながら永眠すればいいのか。何かをやる上で、何が前提となっているわけでもなく、不意におかしな誘惑に駆られ、何のためらいもなく、それを実行に移そうとしているだけか。またずいぶんと頭でっかちなことを語ろうとしている。

 そこには何もない。カラスが動物の屍に群がっている光景でも思い出すか。カラスにとっては当然のことをやっているまでで、それの何がおかしいわけでもないが、そのくちばしで死骸の目玉を穿り出している光景は、何だかぞっとさせるものがあるだろうか。戦場でどこかのジャーナリストが取材中に撃たれて死ぬのもよくある話か。人々はそんなところで殺し合いを演じていて、そんな映像を見ている誰かを戸惑わせるかもしれないが、カラスとそれとは何の関係もない。しかし君は何を語ろうとしているのか。もはやわからないでは済まないような状況なのだろうか。でもわからないものはわからないらしい。何と何が結びつくとも思えず、君が何を語っているのでもないことは明白かもしれないが、自らがそれを知り得る立場にはないらしく、少なくともそれを人道主義的な言説に結びつけようとしているのではないにしても、何だかかみ合っていない印象を抱く。まさかその続きがこれから実際に見られるのか。もう夕方だ。さらなる苦難が待ち受けていたわけではなく、滞りなく仕事をこなして、ほっと一息か。でも何もない。ただテレビを見ているだけだ。そして君は途方に暮れるわけもなく、さらに言葉を記すだけか。

 眠たいから無理なのか。たわいないことを記せばいい。風を集めて何をやろうとしているのか。青空をかけたいのか。そんな曲を聴いている。やる気が出ない。目が虚ろだ。話題が必要か。ネット上を探しまわっても何もない。ならあきらめた方がよさそうだ。コーヒーでも飲むか。気が変わるだろうか。果たしてそうなればしめたものだ。何が一息なのだろうか。どこかで何かに見とれていたらしい。宝くじにでも当たれば買えるのだろうが、今のところはちょっと無理だ。記述の方はまったく進んでいないようだ。やっぱり限界みたいだ。君は今までに何を見てきたのか。今日のところは思い出せない。不意に思い出す時もあるのだろうが、待てないか。ならばさらに無駄で無意味なことを記すとしようか。何だろうか。何を買うべきでもないのかもしれない。でもそれでいいのだろうか。すでに敗北が決まったわけではない。別に勝ち負けを決めるために買うわけでもないか。とりあえず何とかしなければならないだけのようだ。それだけのためだけに何とかしようとしている。何のためでもなく、何かのためでもない。それが何だかわからないから、そういうことになりそうだ。矛盾しているだろうか。わざとそうなのだから、それほどのことでもないか。おかしくなっているのかもしれないが、いつものことだ。要するにそんなことの繰り返しのようだ。


5月10日

 さらにできるとは思っていない。もうこの辺が限界だろうか。ため息が出る。取り立てて何が変わったわけでもない。うまくいかないのには馴れている。うまくいったためしがないと思っているのは違うか。結果的にうまくいっているのに、そういう気になれないはどうしたわけだろう。贅沢な悩みというわけでもないだろう。君は何か思い違いをしている。それはわかっているが、一方でそれでかまわないと思ってしまうのはどうしたわけか。そう思ってしまうのだから、それは仕方のないことだ。それもあるだろうか。何があるのだろう。その場の空気をつかみきれていない。そんなはずがないと思いつつも、そこからさらに何かを深めようとするが、途中でやめておいた方がよさそうだ。語るべきでない。だから語ろうとしないのだろうか。そんな問答がつまらなく思えてくるのはよくあることだ。しかし何なのか。何が問われているわけでもないのにこうなってしまう。また性懲りもないことになってしまうらしい。誰かが笑っている。きっと気のせいだ。

 他の何に馴れているわけでもない。馴れない何かに悪戦苦闘か。そういうわけでもなく、すべてにおいてそうなっているから、もう馴れていると見なしてもいいのではないか。転がる石のようなものかもしれない。それが何のたとえなのかわからないが、ともかくあっちでぶつかりこっちでぶつかり、順風満帆の時はそれと意識されず、苦しい時ばかりに苦しいと思い、そればかりが記憶に残るわけだ。そんなことでしかないらしい。何だか面倒くさいが、そんな精神構造なのだろうか。そしてすべてから遠ざかって、何を得たわけでもないと思う。馬鹿げた話だろうか。すべてそう思っているとも思えない。誰もそうは思わないか。だがそれもそういう成り行きの中で生成した精神だ。しかし何が精神なのか。またそれだ。自らが記そうとしている当の何かを疑う。また間違っているのだろうか。きっとそうだ。これが間違っていないわけがない。でも何となくこれでいいと思われてしまい、さらに続きを記そうとするわけか。だから馬鹿げていると思われる。

 でも何が当然というわけでもないだろう。こうなって当然だと思えばそれで済んでしまうが、実際はそうでない。そうでないからこうなっていて、こうなっていることから疑念が生じ、絶えず違うと思われ、そうではない可能性を探ろうとして、何かの迷路に迷い込み、そのへんで行ったり来たりしているわけだ。予定調和とはいえないだろうか。それが壊れかかっているのもその範囲内だとは思わない。思わないだけで、実際はそうなのかもしれないが、思ってしまえばそこで終わりか。だから無意識に思わないようにしているわけか。わけでもない。それでも意識は前へ前へと突き進もうとして、いたずらに何かを浪費しているのかもしれない。力の源泉を知らず、それを不問とすることで、限界から目を背け、何かをやり遂げようとしているのかもしれないが、実際にやり遂げたところでどうということはない。ただの結果がもたらされ、君は納得するしかないだろう。まだこんなところで右往左往しているわけだ。全然前へ進んでいないではないか。

 それは別に驚くようなことでなく、愚かしいことでもない。そうなってしまっているだけで、それによって君にどんな危害が加わっているとも思えない。ただの平常心を招いている。だからうまくいかないことを口実にすべきではなく、それで結構だと思うだけで、道が開けているわけでもないのに、強引に踏み込み、足を取られて転んでも、何食わぬ顔で起き上がり、何事もなかったかのようにその場を立ち去り、あとには何も残さず、奈落の底から遥かな高みへと駆け抜けようとしているわけでもないのに、何か大げさなことを成し遂げようとしている気になり、それが思い違いであることを承知しながらも、心のどこかでそうなることを期待しているわけだ。だがそうなるとはどうなることなのか。実際に君はどうなっているのだろう。みすぼらしい身なりでホームレスを気取っているわけではない。やはりたとえを思いつかず、そのへんで外れるしかないのだろうが、まだそこから遠ざかれずにいるらしく、遥か昔の出来事でしかないのに、未だにそれを思い出して、郷愁の念にでもかられるわけか。それは違うだろう。まったくそうではないから困ってしまうのか。何を思い出しているわけではないということか。実際のところはどうなのだろう。


5月9日

 たぶん間違ったことは言っていないのだろうが、そういう空気に逆らって物申したのだから、当然反発や非難が吹き出す。物議をかもしているわけか。でもそんなことは無視だろう。さらに言葉を記すつもりのようだ。もう夜が明けている。気のせいだろうか。何がそうなのかわからないが、たぶん気のせいだ。そう思うしかない。抜けている言葉を補えずに、先を記しているようだ。ここから先は予言の言葉か。冗談だろう。無駄に言葉を記す。他言無用というわけではない。意味がつながらないではないか。そこから遠ざかろうとしているようだが、それも意味不明になってしまうだろうか。そんなわけで相変わらずどうかしている。無理もない話か。無理だらけでつじつまが合わない。しかし何なのだろうか。知り得るのはそんなことだ。他に何もないらしい。だから要領を得ない。でもそこからさらに積み重ねてしまうのだろう。おかしな話だ。

 簡単に説明したらどうか。何だかあくびの連続のようだ。説明する気が起きるのに時間がかかり、どうでもよくなってから説明しているわけだ。君はそこで何を説明しているのか。今はなぜそこまで至らないのだろうか。またあくびか。要するに眠たいのだろう。朝から眠い。夜もそうで昼もそうか。それは意味のないことだ。まだそこから先でやらなければならないことがあるのではないか。それはそうで、そんなことを記していること自体がその一部なのかもしれず、さらにどうでもいいことを記しいかないと、その先があり得ないことは十分に承知しているはずだが、なぜそうなってしまうのか。だからそれが冗談なのではないか。心が身体から外れている。幻想のたぐいなのだろう。しかしどうにもならない。これでは何を述べているのかわからない。

 何も記すことがない。そういうことなのか。でもそこから何か思っているわけだ。様々なことにも進化があり、絶えず戦術が練り直され、どこかで誰かが戦っていて、それが個人であれ団体であれ、何らかの変貌を遂げようとしているわけだ。まったくの冗談だろうか。何がそうなのか。そこで様々なことが行われ、結果的に何かがどうにかなってしまうのだろうが、誰が蚊帳の外というわけでもなく、すべての誰かが当事者となっているわけで、それに関して何かやっていて、関わっていることのすべてが己に返ってくる。その結果がこれなのか。要するにこんな世の中なのだろう。何が恐ろしいというわけでもなく、極めて当たり前のことであり、誰がどうかしているとも思えず。君もどうかしているわけでもないのだろう。ここに何かがあるだけか。その何かに関わり、その結果として何かがもたらされ、不満を抱いているわけでもないのだろうが、どうにもならない話らしく、あきらめることもできずに呆れているわけか。

 でもこうなっている事実は動かしようがない。いつもここから始めなければならず、ここで何がリセットされているとも思えない。疲れているわけか。それはあるだろう。無用なことを思い、何が必要とも思えず、理解できないことでもないのだろう。わかり過ぎるほどわかっているのではないか。他に何もない。何かあるすれば、それは他人が関わっていることだ。それだけで手一杯なのだろうか。またずいぶんと無駄なことをしているものだ。それが君の持ち味であり、取り柄なのだろうか。こうして言葉を記して、結果的に何かを知り、自覚するに至るわけだが、何がどうなっているのでもない。ただここに今があり、未来を夢想しうる何かをつかみかけているのかもしれず、結果的につかみ損ねても、それはそれでそういう経験として積み重なり、さらに自身が変化する要因となるのだろうが、きっかけは不意にやってきて、それと意識されないうちに目の前を通り過ぎ、見失うこともあるのだろうが、今は視界に捉えているのだろうか。たぶんそうでなくてもかまわないのだろう。待っていればいいのだ。


5月8日

 そこで何かを考えている。君が考えているのかもしれない。でも誰が君でもないだろう。君が誰でもない。誰もそこにはいないはずだ。今日も暑くなるらしい。笑っていられるのも今のうちか。またつながらなくなりそうだ。別に何をどう受け止めてもかまわない。冗談でもそうなる。そこから何を知り得るというのか。道に迷いに迷って、ようやくここにたどり着き、また性懲りもなく言葉を記す。それがどうかしたのか。どうもしないから困ってしまうのだろうか。静かだ。まるで隠れ家みたいか。実際にそうなのではないか。君はどうかしている。架空の存在なのだから致し方ないか。そういうことではなく、実際にどうかしているのではないか。でもそうだとしても、なおのことおかしい。やはりどうかしているのだろう。

 カーナビ通りに進んでくると、必ず目的地を通り過ぎてしまうのはどうしたわけか。夜なので曲がり角を見落としてしまうらしい。目的地の周囲を三周回って、ようやくここへたどり着いた。たぶんここへ車でくるのが二度目だから、馴れていないのだろう。これからもほとんどは電車でしか来ないだろうから、今のところはそういう成り行きになるしかない。だからどうだというわけでもなく、何をしにやってきたのでもないらしく、それが一番の謎か。謎でも何でもなく、くつろぎにやってきただけではないのか。忙しくて息が詰まりそうだから、こういう時間帯も必要なのかも知れず、それは単なる御都合主義かもしれないが、今はおいておこう。

 ともかくこれから何か語るつもりなのだろうから、それを架空の誰かがありがたく拝聴しているつもりになり、半ばごまかし気味に言葉を記すつもりのようだが、果たして結果はどうなることやら。こうなっているではないか。要するにこういうことか。要するにでも何でもなく、ただこういうことになっているわけだ。だからわけでも何でもない。相変わらずこの世界はどうかしていて、それにつられて君もどうかしている。そんなはずがないと思いたいが、別にそれでかまわないとも思っている。どちらでもいいのだろうか。そうかもしれないが、そうではないかもしれない。どちらなのか。どちらでもなく、どちらでもあるということか。同時にそうなら矛盾している。君はおかしい。それは以前からだ。そういう話の筋書きになっているのではないか。ならば今はフィクションについて語っているわけか。半分そうで、半分そうではないということかもしれないが、やはりどちらでもかまわないと思いたいようだ。

 何だかおかしいのはいつものことで、それがおかしくないと思えばその通りかもしれず、話のつじつまが合わないと見なせば、それもその通りなのかもしれない。要するに冗談なのか。たぶんそうだが、それがどうしたわけでもなく、ただそんな言葉が繰り返し記され、読んでいる人を呆れさせ、それからどうなるのか。そこから先は誰の想像にまかせたらいいのか。君は何も想像しない。それも話の筋書きか。そうに決まっている。でも安易な断定は禁物か。はるばる百数十キロ走ってきて、目的地近くで迷ってしまったのは、車がこれから廃車にされるのを嫌がってるからか。不意にそんなことを思いつくが、でもこれまでに何度も痛い目に遭っている側からすれば、致し方ないことではないのか。クーラントが漏れている表示が出ていたのをそのままにして、高速道路でオーバーヒートして、修理に出せば数ヶ月ほったらかしにされ、三度物損事故を起こせば、すべてこちらが百ゼロで悪いことにされ、数々の故障の度に辛抱強く修理に出して、キズへこみを直し、塗装し直して、だんだんきれいにしてきて、最後は引っ越して、品川ナンバーまで出世させたではないか。もういいのではないか。後は心置きなく成仏してほしいが、まだ何かあるのだろうか。


5月7日

 呆れているわけではない。逆に呆れられているのか。でも依然としてこんな状況だ。なぜ何もできないのか。暑すぎるのではないか。数日後は確かに暑い。また疲れてしまって、夕方から眠ってしまったらしい。そんなわけで結局は遅れてしまう。要するに無理なのか。遅れを取り戻すのはもはや不可能だということか。そのへんで粘り腰がなくなってしまったらしい。もうとっくに何かの限界を超えているのだろう。そう思えば納得がいくだろうか。それでもやれるうちはやらざるを得ない。また今週も用事や予定が立て込んでいる。ではまたさらに遅れてしまうのか。何でだろう。仕方のないことだ。あきらめるわけにはいかないらしい。だから無理だと思っている。馬鹿げているだろうか。そういうことらしい。そして空が曇ったまま昼になり、それからどうしたのか。依然として馬鹿げていると思っているわけか。しかしいったい何がそうなのだろう。しらばっくれるのも時間稼ぎか何かか。勘違いだろう。そんなことを思っているうちに夕方になり、夜になる。大して進んでいないようだ。またテレビを見ている。そんな暇はないのに、それがやめられないらしい。人はいつ死ぬのだろうか。それをやめた時か。変なこじつけだ。何となく正気を疑うようなことかもしれない。でもこれでかまわないのだ。こじつけはこじつけられ、おかしな気分をもたらす。それでかまわないと思うしかない。なぜだろう。

 煙草は完璧な商品だが、体に悪いそうだ。1セントで作って1ドルで売れ、しかもやめられなくなる。そして肺癌で死んだりする。確かにそれは完璧な商品だろう。自動車は完璧な商品だ。たまに交通事故で死ぬ人が出るからか。しかし何が完璧な商品なのだろうか。酒は完璧な商品だろうか。飲み過ぎると死ぬこともあるだろうが、煙草に比べたら死ぬ確率が低いだろうか。何を求めているわけでもなく、酒とも煙草とも無縁の日々を送っているわけか。スポーツは麻薬だろうか。そんなのは関係ないだろう。クライマーズ・ハイとは何か。君はその意味を知っている。ランナーズ・ハイの方が無難なのではないか。やはり誰が何を求めているわけではない。何ももたらされず、何を欲しているわけではない。ひねくれているわけでもないらしい。つまらないことを考えているのか。何かがまとまらず、どこかに散らばっている。言葉が記され、それを読み返す。山あり谷ありなのは当然だ。そういう起伏が地表面の一部をなしているのだから、道も自ずから上り坂と下り坂を繰り返す。何を見ているのだろうか。相変わらずのテレビ画面か。どうも何も見ていないようだ。夜の闇の中へ溶け込んでいるわけではない。また何でもないようなことを思う。固有名とは何か。誰かの名前を思い出したのか。足りないものを補うつもりはないらしい。

 残念がっている。がっくりと肩を落とす。テレビ画面上にそんな光景が映し出され、そこでゴルフをやっていることに気づかされる。気づく前にわかるはずだ。ゴルフ番組を見ながら言葉を記している。馬鹿げたことか。でも何がどうなったわけでもない。結果がわかっているから見ていられるのか。タイガー・ウッズが勝ったらしい。それをこれから見るわけか。冗談かもしれない。過去の歴史認識が何だかんだのといっている人もいる。どうでもいいことだろうか。そうに違いないが、そういうことを言わなければならない人にとってはそうではないのだろう。君にとってはどうでもいいことか。たぶん何が馬鹿げているわけでもなく、冗談でもないはずだが、しっくりこないのは当たり前のことで、過去の行為を正当化しようとすれば、そういうことになるしかないだろう。ではあまり正当化しない方がいいということか。でも正当化したい人はいくらでもいて、旧日本軍がやった戦争をやむをえなかったことだと主張したい人は、それを侵略と見なされるのが許せないらしく、盛んにそんなことを言っている。大変なことだ。そんなことはどうでもいいのだろうが、国家にしがみつきたい人にとっては、過去の汚点なのかもしれない。それを今から変えようとしているわけか。無理な話だ。別にそれが日本であってもなくてもかまわないのではないか。過去においてどこかの国が他国を侵略した話ならいくらでもあることだ。


5月6日

 何だか一段落しているみたいだが、でもそれで用事が一通り済んだわけではないらしい。何度見ても同じことだ。あくびが立て続けに出ているのに眠れない。何だろう。これもカフェインの作用なのか。つまらないからやめた方がいい。そして眠ってしまったようだ。また微妙なところか。何かをぶっ壊してしまったのだろうか。収まりが悪いようだ。そこからが問題か。ところで恐悦至極とは何か。関係ないだろう。わざと意味不明を装う。だめだろうか。そういうことだ。無理なのだろうか。疲れて眠ってしまったようだ。眠れないわけではなく、いろいろなことが立て続けに起こり、どんどん忙しくなってしまう。そして言葉を記せなくなってしまうのか。時間と暇がない。そんなことでしかないだろう。あくびが出る。それもそれだけのことか。金は使ってしまわないといけないらしい。貯めておくとたちまち目を付けられて、保険だの資産運用だのを勧めてきて、銀行がその金をむしり取ろうとしてくる。でもネットで物を買えば、今度は商品購入勧誘メールが洪水のように押し寄せてくる。不動産物件を物色すれば、たちまちブラウザの表示画面が不動産広告だらけとなり、自動車を物色すれば自動車広告だらけとなり、腕時計を買えば腕時計広告だらけとなる。正気の沙汰でないか。でもそれが当たり前のことらしい。

 何を考えているのだろう。数日後の雨音とともに誰かの声を聞いている。それもすぐに途絶えてしまったらしい。雨音は相変わらずか。君は知っている。誰を知っているというのか。そういう問いではない。そうではない。でも今さら何を否定しても始まらない。何も始まらないようだ。たぶん君は何かを知っている。今は夜だ。きっと明日のこの時間帯も夜なのだろう。そういうことではない。確かにそうだ。たぶんそれを語らなければならないのだろう。何かを語っているらしい。別にすっぽかしているわけではない。わざとらしく忘れたふりをしているわけでもない。では何を語ろうとしているのか。そんなことだ。他に何があるというのか。だからそういうことなのだろう。何かのバリエーションで行間が埋め尽くされるわけでもない。絶えず何かがどこかを通り過ぎようとしているだけか。わからないのだろうか。わかろうとしていないようだ。雨が止んできた。何もしないのにこうなってしまう。これが自然の流れなのか。それでかまわないらしい。認識が甘すぎるのだろうか。いったいどのようなことを予想していたのか。何も覚えていない。何がどうなっているかもわからず、焦るばかりか。そんなことはないだろう。何が違っているわけでもないらしい。ただ気づいていないだけか。

 もうこんな時間だ。そんなはずがない。たぶん君の勘違いだ。被害妄想か何かか。いったい何がそうなのだろうか。このまま続けてもかまわないのか。でも何を問いかけているわけでもなく、問いかけようとしているのでもないらしい。指先に刺が刺さって、微かに痛い。そんな気がしているだけか。何でもないことだ。何でもないから何とも思わない。ではそういうことにしておこう。意志の力でそうしているわけでもない。そこには何もないらしく、君が何を考えているわけでもない。ただわからない。この世界には何かが存在している。たぶんそれは妄想のたぐいだ。でもそこで停滞することもない。もう少し前進してみないか。空疎になってもかまわない。いつものことだ。別に鼻息が荒いわけでもない。積極的に何をやろうとしているのでもない。でも神はどう思っているのか。君は神ではない。ただそれだけか。日かに何が告げられているとも思えない。唐突に何を悟ったわけでもない。しかし何なのだろう。君がそこで何をしたというのか。ただ呼吸を繰り返しているだけか。そうしないと死んでしまうではないか。何か別のことやっているような気もするが、それが犯罪に結びつくわけでもないだろう。だから大したことではない。そう結論づけてもかまわないだろう。でも何を考えているわけでもない。でもそんなに否定して何をもたらそうとしているのだろうか。言葉の連なりに過ぎない。他に満足するような見解を述べたいわけでもない。


5月5日

 まだ何かあるだろうか。たまにそんなことを思いつくらしい。で今はどうなのか。何もそうではない。そうでないなら、それはどういうことなのか。それとは何か。くだらない思いにとらわれている。何がくだらないのか。たぶん何もそうではない。膝が痛いか。それは昔からだ。そんなわけで相変わらずつまらないことを考えている。わけもないのにそれはない。でも他の何に興味があるわけでもないらしい。いつものことであり、常にそうだろうか。これではだめか。これとは何か。そんな問答ではだめなのに、なおもそれを利用して言葉を記そうとする。すでに無理だろうか。それからほどなく眠ってしまったらしく、翌日の昼に続きを記している最中か。取り立てて何でもない。本当に何もないと思い込み、そこでやめてしまう。やる気がしない。そんなわけでもう夜になっている。いろいろ用事があったのだから、それはそれで仕方のないことだ。何がもたらされているわけではない。何かを見つけたらしいが、何かの勘違いだろうか。君にはそう思われてしまうようだ。おかしいだろうか。相変わらず何も語っていないが、確かに何か見つけたらしく、それはわかっているのに記述に結びつかず、今はスルーしてしまう。何だかおかしな具合だ。きっと気のせいだろう。いったいそう述べて何を打ち消しているのか。だからもういいのではないか。

 また性懲りもないことをやるつもりか。さあそれはどうなのか。君の知ったことではないとなると、いつものパターンだ。脱力感に包まれ、そのまま寝てしまう。疲れているのだろうか。死にそうか。それほどでもないだろう。たぶんそういうことだ。でもここから何か語らなければならない。なぜそうなってしまうかについてでも語るつもりか。わからない。まだやる気にならないようだ。何もまとまらず、何を記すべきか迷っているのでもなく、迷う以前の段階でつっかえている。なぜそうなってしまうのか。理由や原因などどうでもいいから、とにかく先へ進みたいらしく、要するに焦っているのだろう。でも何が要するになのだろうか。わかりきっていることだ。できないからそうなってしまうわけで、それがいいわけになっていないところが悲惨か。いったい何が悲惨なのだろう。使うべき言葉を間違えているのだろうか。どうも今日はだめだ。何が不条理なのでもないし、どこに不具合が生じているわけでもない。しかしこれは何なのか。なぜでもどうしてでもなく、こうなってしまう。どうにかしたいのだが、どうにもできないようだ。やはりおかしいのか。何がおかしいのか。無理に記述を継続させるべきでないということか。

 あくびとともに目覚め、何かをやらなければと思うようになり、また言葉を記しているが、今日はだめだろう。なぜかそうなってしまうらしい。そんなことはわかっているのに、何かをそこで告げているようだ。無性に叫びたくなっているわけか。まさか狼男というわけでもあるまいが、犬の遠吠えを耳にしているわけでもなく、こまくの振動を曲解したいのでもないだろうが、きてれつな表現で何かをごまかそうとしているのだろうか。何だかわからないままに今日が終わってしまうようだ。すべてが冗談から生じていることだとは思えない。ただ何を否定するわけでもないが、冗談とともに言葉が生じ、そんなことをそのまま受け流しているとも思えず、それらの現象をどう捉えたらいいのかわからない。大したことでもないのかもしれない。それはわかっているはずだが、とりあえずコーヒーを二杯飲んで、自ら眠れない状態をもたらしてしまったらしい。これも無意識のなせる業なのか。要するにそこから遠ざかれないのだろう。それがわかっているのに、真正面から何かを見据え、微動だにしないそれを遠ざけられず、精神的に参ってしまうわけか。でもそこからが問題なのだろう。そしてようやくここまで言葉を記してきた。いったい何を悩んでいたのか。わかるはずもないことをわかろうとしていただけなら、それはいつもと変わらない精神状態だ。


5月4日

 今日も晴れている。どうやらあてが外れているようだが、それでも強気なのだろうか。何かに乗り遅れているようだ。それでかまわないと思いつつも、内心焦っているのではないか。高架に蔦が張り巡らされ、緑を感じさせるが、自然現象なのだろうか。何が信用できないわけでもない。クラプトンのギターかもしれない。クリームか。あなたを愛している。そんな台詞の連続だ。誰かがどこかで歌っているらしい。幻想を抱いているのだろう。錆びた構造物を通り抜け、さらにどこか遠くへと去ってゆく。映像か何かだろうか。映像でも何でも、人は劇的な効果に感動して、その先を知りたがり、がっかりさせるような結末は望んでいない。でもそれで終わりとはならない。ただ何かを期待しているようだ。そうなってはならないことではない。そうなるべくしてそうなってほしいのか。でもそれでは予定調和の結末だ。だからそうならないように工夫を凝らさなければならないわけか。無理か。自然の成り行きに逆らうべきではないらしい。我慢の限界があるのかもしれないが、努力してもかまわないのだろうか。そうなるように努力すべきなのか。結果的にそうならなくても、やはりそうすることが肝心なのだろうか。またわけのわからない堂々巡りに突入か。呆れてものもいえなくなりそうだが、何とかこらえて、もうしばらくそれらの悪循環につきあってもらうとしよう。

 もうわかっているはずだ。察しがついている。どうせ無理なのだろう。でも何とかしようとしているわけか。あくびが出る。音楽を聴いていたらしい。途中の記憶が飛んでいるのだろうか。立て直す暇もなく、鈴木薬局の看板を通り過ぎ、何を思うこともなく、さらにどこかから遠ざかる。少し頭が痛い。だがそれについて語ろうとしているわけではなく、晴れた青空を仰ぎ見る。人はいくらでもいて、簡単に補充が利く。自分だけがすべてではなく、死ねば忘れ去られ、顧みられることはない。それで一向にかまわないのだ。そう思えば切なくなってくるか。でも未練たらたらというわけにはいかないのだろう。痩せ我慢や強がりを押し通し、見栄を張ろうとしているかもしれない。人が考えたり思ったりすることは似通っている。万国共通というわけでもないのだろうが、ありふれたことを思い、そう思っている自らがありふれた存在であることを悟り、安心するわけか。寺の周りに墓石の群れが立ち並んでいるように、生きている人も群れ単位で眺めれば、それがどうしたわけでもないことに気づかされ、何やら利いた風なことを主張している人がみすぼらしく見えてくるか。たぶん無駄遣いすべきなのだろう。しなくてもかまわないが、してみたところでどうということはないので、とりあえずしてみれば、自らの愚かさと虚栄心の馬鹿馬鹿しさに気づく。そんなはずがないと思いたいのか。

 朝日に照らされ、印刷された文字がまぶしく映る。眼鏡の広告のようだが、格好をつけているのだろうか。古風なとでも表現すればしっくりくるのか。的外れに違いない。富士山が見えるような位置ではない。でも戯れに辺りを見回してみるのだろう。まだ間に合うとでも思っているわけか。そんなはずがない。それらを何に間に合わせようとしているのか。でもやっつけ仕事というわけではない。見渡せば雪をかぶった富士山が見えたようだ。家並みに隠れてすぐに見えなくなってしまったが、久しぶりの光景のようだ。まあ男体山と浅間山も似たような形で、それがどうしたわけでもないのだろうが、どこでも東洋趣味のような曲がある。どこにいっても人が住んでいて、そこに暮らしがあり、柳宗悦のように、民芸とかを顕揚しなければいけなくなってしまうわけか。また富士山が見えた。しかしそこに美を見出していていいのだろうか。素朴な造形に美を見出して、言葉で装飾して、何やら説得力のありそうな文章に仕上げようとする。それで何かを再発見した気になり、爆弾でないものを爆弾に見立てて、文章の中で炸裂させたつもりになり、幻影に覆われた物を弄びながら自己満足を得て、そんなありもしない悦楽を思い描きながら、ささやかな幻想に浸るつもりのようだが、結局千利休あたりの茶道も、それらのバリエーションの中の一つと見なせば事足りるのか。しかしそれらの精神性を帯びた何かからもたらされた文化を、あからさまに貧相だと批判するわけにはいかないのだろうか。


5月3日

 確かに今は夜だ。でも夜だろう。それがどうしたわけでもないのに、戯れにそんなことを記してみるが、それがどうしたのか。またいつもの自問自答の展開に持ち込むつもりか。そうは問屋が卸さないだろうか。何のことでもなく、何がどうしたわけでもないが、ともかくそういうことだ。ここでちゃんとしなければならない。あるいはそうは思わないか。何がそうなのかわからないが、ともかくそういうことで、いつも思うのはそんなことではなく、たぶんどんなことでもない。要するに何も思わないわけか。わけでもないだろう。では何なのだろうか。君はおかしい。誰もおかしくないが、君がおかしいのではないか。問いかけても無駄か。そんなふうに思っている。誰が思っているのだろうか。きりがないか。そういうことだ。目が覚めたら深夜になっているようだ。昨日は何をやっていたのか。仕事をしていたはずだ。そして今日もそうだ。これからそうなってしまうだろう。たぶんわけがわからないのではない。それがどういうことかわかっているはずで、どうしてそうなってしまったのかもわかっている。ただ何でもないことなのか。そうかもしれないが、このまま続けるとしよう。どうせ夕方になったら眠ってしまうはずで、昨日は久しぶりに進みすぎたので、今日は停滞する日かもしれない。

 たぶん何も記すことはない。必要がないのに記しているわけだ。いつものことか。放っておけば明け方近くになる。ではこのまま途中で終わりか。そうかもしれないが、かなり疲れているようだ。何も語る気がしないのはそのせいか。もともと語るつもりはなかったのだろう。では何なのか。言葉を記すために記しているだけか。おかしなことだ。人は絶えず何かにとらわれている。それが君を苦しめているのかもしれないが、宿命なのだろうか。必然か。自然とそうなってしまうのだから、それはそれで仕方のないことだ。つまらないかもしれないが、つまらないなりに努力してしまうわけだ。そういうことの積み重ねが今日のこの事態を招いている。自業自得でわざと罠にはまっているわけだ。抜け出ることは叶わない。めまいがしてくるだろうか。実際にしているのではないか。何だかおかしいのだろう。いつものことだ。何を説明しようとしているのでもないのに、勝手に何か説明しているつもりになっている。まったくおかしな具合だ。でもこれが必然的な成り行きなのだろうか。意味がわからない。まさか無意識がそうさせているのでもあるまい。でも実際はそうなのではないか。頭の中で何かのスイッチが入っているのだろうか。壊れているのではないか。では恐ろしいことか。何が恐ろしいのか。

 無理をしているのではないか。当然そうだ。寿命を縮めているわけか。気のせいだろう。無理ではないからこうしているのではないか。馬鹿げている。無理も無理でないも、結果的にそう判断しているだけだ。やれないはずがないだろうが、あえてやらないわけにもいかないか。何だかわからない。終わりが近いようで、そうでもないようで、くだらなく思えてくるが、やはりそうでもないような感じもしている。どちらでもないのだろうか。心も気持ちも外れ気味だ。何だか変か。何かが変だ。いつものことかもしれない。切羽詰まっている気がしない。何でもないはずがないのだろうが、やはりわからない。いつまでもそんな具合か。はるばるここまでやってきたような気もするが、それもどうしたわけでもないような気もする。ただこうして無駄に言葉を記していることは確かなのだろう。いったいどうなってしまったのか。どうもしていないわけでもない。どうにもこうにも収まりがつかない。何かが辺り一面に散らばっている感じだ。だいぶ前に何かが炸裂した残骸が、散り散りとなって、模様か何かのように見えているだけか。でもそれを眺めているのは、君とは別人の誰かになるだろう。そういう意味不明な言い回しが余分なのだろうか。きっとそうだろうが、やめるわけにはいかないようだ。気がつけばまた外れかかっている。ボタンか何かだろうか。そういうたとえもありそうだが、どんなたとえも受けつけないように思えてきて、結局何もまとまらず、とりとめのないことを述べているだけとなってしまう。


5月2日

 それほどのことはない。夜の闇にまぎれて何をやろうというのでもない。さらに眺めているのだろうか。傍観者を演じているわけか。ありもしない事件に巻き込まれようとしているのでもない。そこには何かがあり、君を戸惑わせようとしている。それは違うだろう。フィクションの中で何を思うこともない。そういう話の筋書きというわけでもない。どうも確かな感触を得られない。これといったものに巡り会えずにいるわけか。退屈な問答だ。それは巻き込まれるような事件ではない。それとは何か。それではないからそれなのか。そうかもしれないが、依然としてそれではないようだ。たぶん事件ではないのだろう。空想しているのかもしれないが、ありふれた感覚だから、陳腐な話になってしまいそうだ。ならば何でもないと述べておこう。外れているのでもないらしい。外れようがないだろう。何を語っているのでもない。だからそう思われてしまうのか。でも外れに外れ、逃げに逃げ、なおも執拗にかわしながら、何が障害物だったのかも思い出せず、さらに前進しつつ横にずれ、もうどうでもよくなってしまうように思えてきたところで、そこから何を記すのか。君の願いなど聞き入れられるわけがない。いつもそう思っているわけだ。どこか抜けているような気がするのだろうが、逃げ道も出口も見つからず、迷路の中で右往左往しながら、相変わらずのていたらくだと思う。

 やはり何が見出されているわけでもないということか。怠惰な気分となっている。しばらくはそうらしい。いつまでもそうではないのだろうが、君はどこかで引き返すつもりだ。また出発点が懐かしく思われるのか。でもいつまでも郷愁に浸っている暇はない。すぐに取って返し、皮肉の一つも用意して、何かに臨むのだろうが、それは断じてゲームではない。参加者など誰もいないではないか。勝ち負けとは無縁だとは言い難いが、そんなことは二の次だ。とにかくやり遂げる覚悟ができているのに、なぜか途中で挫折しなければならず、そこでやめてしまってもかまわないのだろうが、おかしな具合になりながらも、中途半端に継続させなければならなくなり、そんな思いもよらぬ展開に困惑しつつも、なぜかそこで佇んでいるわけだ。わけもなくそうしているようだ。そうしている意味などありはしないか。それで何かわかったのだろうか。たぶんわかったのだろう。徒労にしか過ぎないのに、なおもその徒労を積み重ねるしか能がなく、そんな境遇に悲哀を感じているわけでもないのに、何となく虚しくもおかしく、おもしろくもつまらないのかもしれないが、結局そんなことはどうでもいいのだ。ともかく続けていればそれでいい。それ以上の何を望むのか。何も望めないからそうなっているのであり、そんな状態を受け入れざるを得ないのだ。嘘だろうか。

 でも相変わらず記述の最中で、気がつけばここまで来てしまったらしく、それがどうしたわけでもないのに、感動とは無縁の何かを抱き続け、それでいいと思っているようで、何だか馬鹿らしくなってくるが、そういうことなのだ。それ以外に何があるというのか。君にはそれがわからないようだ。絶えずそれとは何かと問い続けることしかできない。でも現状ではわかりようがないのだろう。だからそれ以上何を語ろうとしても行き詰まってしまい、無理に語ろうとすれば出発点に戻ってしまうわけで、要するに堂々巡りとなっていて、それが何かを長引かせているようで、長引けば長引くほど、記述が長くなり、いつまでも同じような内容が続くばかりで、何も進展せず、要するに話にならないわけで、だから物語とはなり得ず、それで何かを出し抜いたように錯覚する一方で、虚しくも思われ、そんな努力のすべてが徒労だとも感じられるのだろうが、なぜか愉快な気分でそんなことを語っている事実に気づき、正気とは思えない気がして、さらにおかしくなってしまうのだろうか。そんなはずがないだろう。君がどこかで逸脱していることははっきりしているようだが、他の何がそうさせているわけでもなく、この世界に自意識が存在していると思うこと自体が、何か居心地の悪さをもたらしているようで、それがこうじてそんな成り行きになり、時には苛立たせるのかもしれないが、やはりそれでかまわないのだろうか。


5月1日

 取り立てて何を見ているのでもないが、どこかでそれらの光景を眺めているのかもしれない。夜になっても空は晴れている。工場の跡地が広い。コーヒーは冷たい方がうまいか。缶コーヒーには違いない。ありふれた光景を眺めていたはずだ。ゴルフ練習場か。高圧鉄塔もある。確かにありふれた光景だ。でも美的感覚とは無縁か。何を求めているのでもないのだから、美しいとかそういうのは関係ないはずだ。何もかもがありふれているわけでもないのだろうが、別に珍しい光景に巡り会いたいわけでもないか。観光気分に浸る気にはなれない。でも眺めているはずだ。雲に覆われた山を眺め、何も思わないのに、目に映る光景を記憶にとどめようとしている。そんなはずがないだろうか。何が見納めでもない。しばらく別のことを考えていたらしい。気を取り直して言葉を記すとしようか。それで何がもたらされるというのか。満ち足りているわけでも、欲望の虜となっているわけでもないだろう。何がほしいわけでもないか。どんなお宝を手中に収めたわけでもない。苦労していないということか。まだ風が強い。別にそれで困っているわけでもない。世の中には困っている人はいくらでもいて、困っていない人もいくらでもいるだろう。それで何か不都合なのか。相変わらず君は鈍感のようだ。

 何かからだいぶ遠ざかっている。距離的にそうなのか。まもなく電車がどこかに着くらしいが、やはり君には無関係だろうか。赤錆びたレールの上で、誰かがそう思っている。それは違うか。次があるわけではなく、それが何の次かなんてどうでもよく、ただどこかへ向かっている。言葉の連なりが物語から遠く離れ、虚無的な何かを指し示しているわけでもないだろうが、簡単にそこから外れてしまうわけか。そういうわけではない。執拗にこだわっているから、記述をやめようとしないわけだ。それも違うか。何が違うわけでもないのだろうが、わけもなくそんなことを思い、本当のわけを記しそこなっているのかもしれない。そんなわけでもないか。そこに何かの法則でも介在しているのだろうか。でも自然の成り行きのように思われ、要するに自然の法則にとらわれているのだろうか。法則とは人が見出すもので、自然に内在しているわけではなく、人の意識の中でそういう認識として結実するだけか。それは何かの方便か。意味が違うのではないか。意味とは何か。君は意味の意味を知りたいのか。たぶん意味の意味は意味に違いない。それは涙を流しながらタマネギの皮をむき続けるようなものか。たとえになっていないような気がするが、それでかまわないような気もする。要するに何でもないことか。それは違う。

 別に虚をつかれているわけではない。暗闇の中を人が通り過ぎる。通りには街灯がまばらか。自転車も通り過ぎ、何を想像しているわけでもないのに、頭蓋骨の形状を思い描く。海賊の旗か何かか。そんなことを思い出すまでもない。君には物語など不要か。なぜそれを物語らなければならないのか。歴史の中で埋もれた真実でも探し出すつもりなのか。でもそこで誰がどうしたわけでもなく、いろいろな人が生まれて死んでゆく。それだけのことなのだろうが、その中で興味深いエピソードでも探し出して、それを誰かが物語りたいらしい。時には事実を歪曲させてでも語りたいわけか。ひいきの主人公を物語の中で輝かせたいのか。でもそれではフィクションとなってしまうではないか。それが狙いか。国民栄誉賞のパフォーマンスも、演技のたぐいには違いない。涙ぐましい努力の賜物が、あんなふうに結実するわけだ。みんな喜んでいる。優等生のような物言いに感動している。ああいう儀式に酔いしれている。晴れの舞台で演じられる感動の儀式だ。あれが君とは無関係だとすると、君は他の何に感動すればいいのだろう。感動しなくてもかまわないのか。あれらのスポーツ的なものが凝縮した瞬間から、君の意識がどんどん遠ざかり、普通の何気ない何かを意識し始め、それに感動するわけでもなく、やり過ごすわけでもなく、ただ体験するばかりか。それでかまわないのだろうか。君がそう思うならそういうことだ。


4月30日

 平常心とは何か。別に意味を知ろうとしているのではない。でも知り得ないわけでもないだろう。しかし何なのだろうか。この感覚がおかしいのか。何がおかしいとも思っていないのに、それはないか。それとは何か。今度はそれか。今日は何もありはしない。周りにあるのは空気であり、夜の闇でしかないだろう。別に星空を眺めたいのでもない。今は冬ではなく、猫も死んでしまった。つながりがおかしいか。不意に思い出しただけだろうか。何かが引っかかっているのかもしれず、君が飼っていた猫でもなく、他に何を飼っていたわけでもない。今は夜だ。それだけのことでしかなく、何を持て余しているわけでもない。別にそれほど空気が重たいわけでもない。たぶん何とかしようと努力している最中なのだろう。あくびが出る。首を傾げるが、何がおかしいのでもないらしい。君は執拗に言葉を記そうとしているらしいが、そのことごとくが失敗に終わっている。そういうことならいつもそうだ。それが取り立てて楽しいわけでもなく、間違っているわけでもない。では何なのか。君自身が息絶えてしまうわけか。それはまだ先のことではないのか。何となくわからない。わかっているのにそれはないか。

 何かの前触れを感じ取って、そこから先で何が起こるのかわかってしまったらしい。そんなはずがないと思うが、運命とはそういうものだ。思いがけないことが起こり、戸惑うのはよくあることかもしれないが、たぶんそうなるのは前もって知っていたのだろう。それが起こったときにはそう思うしかない。明日は暖かくなるだろうか。そんな気配が漂ってくるが、それがどうしたわけでもなく、君はただ眠ってしまう。また考えるのが面倒くさくなったらしい。機会を捉えてそう思い、そんなふうに自らを誘導しているわけか。いったいどこへ誘うつもりなのか。奈落の底なら楽しそうか。たぶんそうはならず、ただのありふれた場所に過ぎないだろう。そんな予感がしてくるが、待ち受けている運命はどうなってしまうのか。軽くいなして、いつもの日常へと横滑りしてしまうだけか。そんな気がするが、そうでもないような気もして、また眠ってしまったらしい。強風が吹き荒れている。今日は寒い。今日というより数日後か。相変わらず日付が数日遅れているようだ。それはわかっていることだろう。わかり過ぎるぐらいにわかっているはずか。でもわかったところで何ができるわけでもなく、できることは言葉を記すことだけか。

 実際にそうしているのではないか。相変わらず風が強い。昼になってもそうだ。だめかもしれないが、一応は言葉を記しておこう。今現にそうしている最中か。でもおかしい。何がおかしいわけでもないのにおかしいと思う。無理にそう思っているのではないか。嘘かもしれない。何が嘘でもないのに、それが嘘だと思う。何が正しいわけではなく、何も正しいわけではない。でもすべてが間違っているわけでもないのだろう。疑わしいのではない。水をやり続ければ、植木鉢から草が生えてくる。実際に生えてきているではないか。夏みかんの種から芽が出たらしい。それは草ではなく、樹木か。正しい認識だ。でも興味がない。空は晴れ、新緑の季節らしい。興味を惹く出来事が何もないのにそう思っている。平常心ではいられないか。何を思っているわけではない。たぶん何が見出されることもないだろう。君は見ようとしていない。別に盲目ではないのに、外部を見るのが面倒くさいのだ。しかし外部とは何か。今さらそれはない。強引に意味不明な問いを発してもだめか。そうかもしれないが、ここはこういうことで、こんな感じでやっていくとしよう。あきらめが肝心か。でも何をあきらめているのでもないのだろう。何も変わらないのに、何かが変わったように思い込み、それで何とか平常心を保つつもりか。おかしなことだ。


4月29日

 何が君をそうさせているわけではない。何もしていないわけでもない。そういうことだ。そういうことでしかない。それは違うか。でも行き詰まっているようだ。そうらしい。時間的にはまた昼になっている。何かの気配を感じるが、それが終わりだとは誰も気づかない。しかし今さら何が終わるというのか。何がどうなっているわけでもないか。今のところはそうだ。今後何が起こるかわからないが、予感がしているのだろうか。それは何の予感なのか。この先何がどうなるというのだろう。君にわかるはずがない。何も見出せないだろうか。わかろうとしていないのだからそれでかまわないのだ。でもこの感じは何なのか。無意識のうちに何かの可能性を見出したのか。そんなはずがないと思いたいが、それが思い違いなのだろうか。ともかくそこで停滞している。もう夕方か。昼は相変わらず仕事の最中だった。何だかわからないが、たぶんそれでかまわないのだろう。わからないことはわからないままでいいみたいだ。無理にわかろうとしなくてもかまわない。放っておけば自然とわかる時が来るのかもしれない。少なくともその時まではわからなくてもかまわない。

 背後から夕闇が迫っている。そんな気がするだけか。すべては時が経てばどうでもよくなってしまうのだろうか。そうかもしれないが、それがどうしたわけでもなく、誰が何を語ろうとしているのでもないらしい。では君は何をやっているのか。ただ言葉を記しているだけか。そうではないだろう。何か考えているのではないか。でもそれもそれだけのことではないのか。たぶん何をどう考えても答えなど出てこないはずだ。それはまともな答えではない。君もわかっているはずだ。誰もわかりはしないことか。わからないのだからそういうことになる。もう夜だ。夜に何を思うのだろう。一般的なことではないらしい。ただの戯れ言を記しているわけか。そうとも言い切れないが、ともかく何とかしようとしているらしい。誰も助けてはくれないので、自分で何とかしなければいけないのだろう。なぜそうなってしまうのか。君にわかるわけがない。どうかしているわけでもない。外は暗闇の中だ。曇っているのだろうか。なぜそうなってしまうのかわからないが、意識がどこかで佇んでいる。そんなはずもないか。どうも喜怒哀楽とは無関係の感情がこみ上げてくるようだ。そんなのはあり得ないだろうか。

 虚しいのかもしれない。何だかわからないが、何かを思うのが億劫になる。何も思わないわけでもないのだろうが、遠くから飛行機のエンジン音が聞こえてきて、アメリカ軍の演習か何かとも思うが、たぶんそんなことはどうでもいいのだろう。何を知りたいわけでもなく、そんな感覚を捨て去りたいのでもないらしい。要するになるようにしかならないのだ。そういう成り行きに身をまかせるしかない。何がどうなっているわけでもなく、それでかまわないとも思うが、そんなことが気にかかるわけでもない。たぶんどうにもならないのだろう。それでかまわないと思っているのだから、そういうことになるしかない。それはすごいことだろうか。何でもないことでしかない。だからそれでかまわないのか。問うまでもないことだ。それでは何を記したらいいのかわからなくなり、途方に暮れてしまうのではないか。でもいつもの問答はいやなのだろう。無い物ねだりになってしまう。笑ってしまうだろうか。君がそう思っているのだから、そういうことでいいのではないか。どこまでも無い物ねだりの感情を引きずり、これではだめだと思うが、そんなことしか思わないようだ。しかし本当にそれではだめなのか。他の誰に尋ねているのでもないのだから、そんなことはわかりはしないのではないか。


4月28日

 何か深刻な状況なのだろうか。この世界のどこかではそういうことらしい。君の現状はどうなのか。テレビ画面上でボクサーがノックアウトした。君はまたコーヒーを飲んでいるようだ。缶コーヒーの方がうまいか。違う味がするだけだろう。何でもないようで何でもある。そんな感じだ。またでたらめでも記しているのだろう。もうあきらめてしまったようだ。音楽でも聴くとしよう。無意識がそうさせるのか。そんなはずがない。意味などない。そう思って差し支えないらしい。また笑みを浮かべ、何やら探し物らしい。だからそんなはずがない。もういい加減に意味不明はやめにした方がいい。そう思っているそばからこれでは、何となく寒気がするか。だからそんなはずがないと述べている。やる気を出さないとだめらしいが、ないものは出ようがないか。いったい何がないのだろうか。しらばっくれてもだめか。ではどうしたらいいのだろう。何が変幻自在というわけでもないらしい。うまくいかない時はこんなものだ。だからうまくいかないなりの何かを残しておかなければならない。

 それで正解だとは思えないが、思わず思い出すのはいつも通った道だけか。そう思うならその通りだ。でも相変わらず何の意味もない。だからそれで正解なのだろう。やる気をなくした時はこれに限る。あまりイデオロギーのようなものを出すべきではなく、もっと砕けないと何かを見失ってしまいそうだ。でもそこで何を砕こうとしているのか。氷か何かか。何かとはかき氷のことか。あり得ないことだが、急に食べたくなるだろうか。そんなふうに思わなくてもいいのかもしれない。嘘でもかまわないから、何か大げさなことでも起こらないものか。ちなみにこれがそうなのか。何がこれなのかわからない。たぶんなんでも当てはまるのだろうし、それは誰かの想像に任せるべきなのだろう。君はまかされていないわけか。どこかに委任統治領でもあるわけでもなく、それが何だかわからないまま、何を述べているわけでもないことに気づき、さらに何かを語ろうとしているようだが、要するにマンガチックなのだろうか。でもそれは君に限ったことではない。誰にでもいえることかもしれず、マンガチックにならないと話にならないのだろうか。

 少し何かを語りかけているだろうか。同じものが二つとないような何かを、君はどう語るつもりなのか。つもりではなく、実際に何か適当なことを語っている最中なのだろうか。それを確かめる術がないわけではなく、実際に読み返してみればわかることかもしれないが、いつも細切れの映像だけが記憶に残るだけで、決して一つのまとまった物語とならないところが、誰かの取り柄なのかもしれないが、それで何を述べているわけでもないところが、目下のところは致命傷か。そんなはずがない。そう思ってしまえばそういうことだ。だから思わなければいいだけで、かわすというより、何かが前方から飛んできたとしても、たとえそれがぶつかったとしても、たぶん君にぶつかったわけではなく、フィクションの中に登場する誰かと誰かの間をすり抜け、遥か彼方へと飛び去っていっただけのような気がして、やはりそれが何であるわけでもないと思うしかないのだろうが、実際にそうかもしれない。しかしそれで何を語ったことになるのか。別に何がおかしいわけでもないか。少なくともおもしろがらせているふうはなく、それをどう受け止める術もないようで、ただ何事もなかったかのように、画面に向かって言葉を記し続け、そんな意味のない作業を延々と続けているふうを装い、それから君はおもむろに立ち上がり、外へ出て、暗闇の中へと消えていくのだろうか。だからそんなはずがないと述べているではないか。


4月27日

 どうやらまたなかなか前進できなくなってしまったらしい。何となくそこで思いとどまってしまい、どうしてもその先へと言葉を記せなくなる。でもそれがどうしたわけでもないらしい。またいつものことだと思っているわけか。こうなっている。どうなっているわけでもないのに、結果的にこうなっているようだ。でも何が結果なのでもない。どんな結果でもなく、結果が出ていないからこうなっている。おかしいだろうか。たぶんおかしい。あくびが出たが、これが結果か。馬鹿げている。そう思うなら、たぶん馬鹿げているのだろう。また目が覚めてしまったらしい。どうも不眠症の兆候があるのだろうか。そんなはずがないだろうが、何だかよくわからない。でもこの辺でやめておいて、後は翌日に持ち越しのようだ。なぜというわけでもない。ただそんな感じがしただけだ。語ることがないのにそんなことを感じるらしい。

 なぜそうなってしまうのか。わからないが、とにかく考えごとをしているうちに眠れなくなってしまったらしい。久しぶりにコーヒーを夜に飲んだのが原因だろうか。何だかわからないが、もう少し言葉を記すとしよう。でも寒いから布団にくるまってしまうのか。迷っているうちにどうなるのだろうか。開き直ることはできないみたいだ。そして翌日は夕方から眠ってしまい、記述がままならない。またできなくなってしまったらしい。今月はうまくいかないみたいだ。まだ先月の日付で足踏み状態だ。できないものはできないような気がするが、意識は何かを必死に思い出そうとしている。何か語りたいことでもあったのか。正直何かを説明したいのだろうか。たぶんそうだが、思い出せないまま、また仕事の時間が迫っている。そうに違いないが、今日は朝から無風状態だ。何でもないことだ。風と記述は無関係か。でもそう記している。

 何が静かなのでもないらしい。君はそう思っている。他の誰がそう思っているわけでもない。とりとめがない。何かを忘れているのだろうが、どうしても思い出せない。もう昼だ。君は何かやらなければならないのだろうか。今さらそれはないか。ではどうしたらいいのか。自然の成り行きにまかせるとしよう。君に決定権はない。そういうことらしく、積極的には何もやる気にならないようだが、やがて決断の時が訪れたりするのだろうか。そのとき君は何を決断するのだろう。時がくればわかることだ。もしかしたらそんな時など未来永劫訪れないのかもしれず、このまま年老いて、何もしないままに、この世からいなくなってしまうのだろうか。そうだとしてもかまわないか。現状では何がどうなっているわけでもなく、今後ともそれは変わらない状況かもしれない。何もできはしないだろう。それでかまわないと思うしかないか。何を思っても仕方がないような気がする。

 また夕方になる。相変わらず何も思いつかない。批判する対象もない。この世界のシステムなどどうであってもかまわないか。そもそもそれの何がシステムなのか。水の循環がそうなのだろうか。海で蒸発して雲になり、上空で冷やされ、雨や雪や雹となって地表に降り注ぎ、川に流れ込んだり地下に浸透したりして、最終的にはまた海へと戻る。それがどうかしたのか。どうもしないのではないか。ならば金の循環はどうだろうか。売ったり買ったりして、貯まったり貯まらなかったりする金か。興味がありそうだが、説明するのが面倒か。戯れにそんなことを述べても意味がない。でも今までも意味のないことばかり述べてきたではないか。金は人の欲望の象徴だろうか。君は何か勘違いしているようだが、くだらぬ幻想を抱くのも暇つぶしにはなりそうだ。でもその幻想の中身が示されないのはどうしたことか。嘘なのだろう。幻想など抱く状況にはない。それも違うか。何が違うのかわからないが、何となくそれでかまわないと思う。考えるのが面倒くさいみたいだ。それではどうしようもない。


4月26日

 どこかで誰かが憲法を改正するだの何だのと語っているようだ。歴史の流れは脱国家なのに、政治家やマスメディアは未だに国民の目を国家に向けさせ、国家にしがみつかせようとする。それは当然で当たり前のことなのだろうが、あえて間違ったことを主張したくなる。真の自由とは何か。それは国家に束縛されない自由だ。国家が保障するような自由など不自由の極みだ。そんなわけでまたずいぶんと荒唐無稽なことを主張している。だからそれが今回の冗談なのだろうか。頭が痛くなってこないか。別にかまわないだろう。それでかまうはずがない。要するに語るのが面倒くさいのだ。そのへんで語れなくなり、眠ってしまったようだ。もう翌日の夜だ。

 どうも堪え性がない。コーヒーもそれほどうまくない。なぜだろう。そのままなのではないか。つまらないか。コーヒーはこんな味だ。喫茶店にでもいけばうまいコーヒーが飲めるのではないか。四角いお椀を眺めながら、何となくそんなことを思う。どんなことなのか。脱国家の実現など夢のまた夢だ。脱原発より実現不可能か。蒔絵師の繊細な作業が思い出されるわけでもなく、頭の中がこんがらがっているのでもないらしい。要するにまともに語れないだけか。語ろうとしているのは間違いないか。でも語れない。安易に語るべきではないのかもしれない。でも何を語ろうとしているのか。やはり面倒くさいのか。そういうことらしい。馬鹿げているが、それは夢ではない。では何なのだろうか。

 どうも答えが出ない。そして目を閉じればそのまま眠ってしまう。このままではだめそうだ。そしてまた目を覚まして、画面と向き合うが、たぶん何も出てこない。その代わりに無駄な言葉が記されるだけか。何がどうなっているわけでもなく、こういうことらしい。何も語れるはずがない。だからそういうことだろう。何を待っているのだろう。君が待っているわけではない。何を待ち望んでいるわけでもない。こんなふうに語っていること自体がおかしいのか。たぶん何も語っていないのと同じことだ。何だか妙な感じか。そんな状態が不可思議なのだろうか。どうやら君がわかるようなことではないらしい。要するにおかしいということだろうか。何となくそんな気がするが、この奇妙な感じがこの先も続くとなると、さらに気が変になりそうだ。

 作り話としてもかなりおかしいか。作り話になっていない。気分的にはそうなのかもしれず、何がそうなのでもないだろうが、とにかくそういうことらしく、意味不明気味にそんなことを記す。それでおしまいとはならないのか。そういうことだ。どうやらだんだん内容が空疎になっていく感覚だが、はじめから何も語っていないのではないか。また風邪でもひいたのか。君はそれでも夢を見ている気になる。果てしない夢だ。誰かがそんなことを語っていたらしいが、それはどういうことなのか。何だかわからないが、決まってそういうことになる。それが結果だろうか。君がそう思うなら、それは誰かがそう思っているわけではないことの証しか。そんなはずがない。図星かもしれないが、意味の通った言葉の連なりを記しているわけではないらしい。

 要するにいつまでもどこまでも果てしなくそういうことなのだ。そう記している意味がわからなくてもかまわないのだろう。何ともなっていないのに、何とかなりそうだと思い込んでいる。でもすかさず横道に逸れ、また停滞しているようだが、何とかまたここへ戻ってきて、さらに言葉を記して、どうやら終わりまで行ってしまうらしい。でも何を語っているわけでもないのも毎度のことだ。いったい脱国家の話はどこへ行ってしまったのか。あまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しく、話にならないようなことか。現時点ではそうだ。もしかしたらいつまで経ってもそうかもしれず、人々は未来永劫いつまでも国民であり続け、国家幻想から目覚めようとせず、相も変わらず愛国心だの何だのと、どうでもいいような観念の虜となるしかないのだろうか。そうだとしても、それは君自身の問題ではない。誰の問題でもなく、要するにそこには、実体のない架空の国民という概念がもたらされているわけか。なぜそう思うのだろう。


4月25日

 何でもないのにこれはない。孤独な雰囲気を漂わせ、誰かがどこかへ戻ってゆく。また疲れたのだろうか。そうではない。誰かがそこで眠ってしまったのだろう。何が見たくなったのか。何だかわからない。たぶん今は深夜だ。そしてどうかしている。何でもない。たぶん何でもないのにこれはないのだろう。相変わらずだ。思っていることとやっていることが違うらしい。それの何に興味があるわけでもない。それとはすべてのことか。しかし何が変わらなければならないのか。すでに翌日の昼で翌月になっている。この遅れは何なのだろう。もうやめろということか。でもそれが天啓だとは思えない。

 iPad miniをもらったので、記述もMacBook Proからそちらへ移行した方がいいのだろうか。でも片手でもちながら、もう一方の片手で文字入力だと、ちょっと時間がかかりそうだ。でも試してみるのも悪くない。気が向いたらやってみるとするか。果たして気が向くだろうか。まだ箱を開けていない。要するに気が進まないのだろう。必要に迫られないとやる気にならないのだろう。ならばそういう状況を強引に作ればいいか。今記しているこれをぶっ壊せばいいのだろうか。それもその気にならないだろうか。

 もう夜だ。今日も一日が長かったようだ。しかし答えが自然と出てしまうのはどうしたわけなのか。無意識のうちに考えているのだろうか。寒い。答えが何だかわからないではないか。なぜそれをはっきりと記さないのか。示せないのではないか。でもそれでは答えが出たことにならない。確か昼に何か思いついたはずだが、今はもう思い出せなくなっている。それはきっと気のせいだ。何でもかんでも気のせいにしてしまっては話にならないが、思い出せない以上は気のせいなのかもしれない。

 昔の大作家なら書斎にこもって、値段の高そうな万年筆で、原稿用紙に書き記したのだろうが、今はどうなのか。タブレット端末に記したのでは、自然と文章の内容も短く単純で簡単なものとなってしまいがちだろうか。頭を使わないと容易には解読できない難解な文章など無理だろうか。君のように意味不明でいい加減な無内容ならできるか。安易に自らの力量を謙遜したり卑下したりしてしまってはいけないか。しかしそれらの何が力量に結びつくのだろうか。いったい何が力量なのか。延々と記していることになっているのだから、別にそれが力量でもかまわないか。いい加減な力量だ。そんなことを思うのが面倒くさいのだろう。

 何だかやる気が出ない。それでも何とかするつもりのようだ。ここまで来たらそうなってしまうだろう。たぶんそうだ。でももったいぶったことは記せない。うまくいかないのはお互い様だが、誰と誰がお互い様なのかは記されない。また面倒くさくなってしまったのか。たぶんそういうことだろう。人は何をやっても人それぞれであり、有名だろうと無名だろうと関係ない。巨視的に見れば、ただそのへんでうごめいているだけだ。そこに何らかのこだわりを導入して、差異を際立たせ、個々の事例を良いだの悪だのと評価しなければならないのだろうが、それが思い上がりなのか。実際は何もそうではないのではないか。それはどういうことなのか。

 何だか気の毒に思われる。些細なことでけんかしたりすることがか。そうではなく、それら全般についてああだこうだと論評する人がか。それも違うだろうか。では何なのか。何でもないのだろうか。何がか。何がと問われてもにわかには思い浮かばず、果たしてそれは何なのか。果たさなくてもそれは何なのだろうか。何だかさらにわからなくなってしまうらしい。たぶん余計なお世話なのだろうが、批判するつもりはない。何だかわからないのに、批判しようがないだろう。それもそうだが、何かがブレーキとなっているようで、それ以降がしどろもどろとなって、自らが何を述べているのか、また何を述べたいのか、それがわからなくなってしまう。


4月24日

 もうこんなところまで来てしまったのか。何かが遅々として進まず、内心焦っているのかもしれない。でも作業とは何か。そういう逃げ方があったらしい。逃げていないのではないか。確かにどこから逃げようとしているのでもなく、現に逃げられないから、こんなところでこんなことをやっているわけだ。これはどういうことなのか。どこかの裏山で何かに遭遇していたりするわけか。それが熊か何かだったら危険だ。しかし何かとは何なのか。単なる付け足しの言葉としての何かか。意味不明に思われる。たぶん正気でそんなことを述べているのだろう。でも正気とそれとは何の関係もなく、たとえ正気でなくとも、その程度のことは記せる気がするだけで、だから何だというわけでもない。そんなわけでまた外れた気分か。心がそれを宿しているつもりの身体から外れているようで、それが君自身をある意味で救っているのかもしれず、なぜ救っているのかわからないが、突然響いてきた三味線の音色に驚いているわけでもなく、テクノにしてはいささか古い感性だろうか。今や誰も思い出せないアフリカバンバータというわけでもあるまい。プラネットロックはどこへ行ってしまったのか。ヤギ声のジョン・ライドンとのコラボはあるだろうか。

 もう三十年近く昔の出来事だったかもしれない。今やすべては散開してしまって、塵すらも残っていない。やせ細った芥川龍之介が木登りのようなことをやっている映像を見たことがあるだろうか。蜘蛛のようで気持ち悪い。でもそれは百年以上も前の映像なのではないか。他に何を思い出そうとしているのか。気まぐれにそんなことを思う。どんなことでもないのにそんなことだ。南国の海辺で、褐色の肌が水に濡れている。それだけか。話にならない。でもそこに言葉の連なりが絞り出され、話にならない話が展開されているような気になり、誰かを戸惑わせることもできずに、猿の惑星にいる猿たちがこちらを見ているようで、何かの幻影がそこから生じているつもりになり、ニコラ・コンテのあざとい音が君を安心させる。何もつながっていない感じがするだけか。

 わざと遠回りしていることになるのだろうか。遠回しにそれに気づかせるような成り行きにはなっていないようだが、どん欲に何を吸収しようとしているわけでもなく、どこかへ飛んでいってしまうような跳躍力など持ち合わせていないことにも気づき、やはりここにとどまって言葉を記すしかなさそうで、無駄な悪あがきだと思いつつも、どこかの街の貧相な夜景を眺めて、赤信号で止まり損ねて事故を起こしたわけでもないだろうが、何だか虚しい気分となって、そんな嘘も違っているような気もしてきて、そこから先に進めずに停滞しているようだ。果たしてこれでいいのだろうか。よくないとは思わず、いいわけでもないのに、さらなる何かの到来を待ち望み、何も来ないことにも薄々気づいているようで、要するに何かを待ち望んでいるふりでもしているわけなのか。でもなぜそんなふりをしなければならないのだろうか。

 君がそれを見出していないことは百も承知か。見上げれば夜空がまっぷたつに切り別れているわけでもないか。君は神の降臨でも待ち望んでいるのだろうか。意味不明か。天から舞い降りた神に何ができるというのか。そこで人々を救うことにどんな意味があるのだろう。人は単なる生き物でしかないのではないか。まさか本当にイスラム教徒はアラーの神しか信じていないのだろうか。それの何を冒涜したいわけでもない。何もできないから神の出現を待ち望んでいるのか。そんな人がどこにいるのだろう。どうやらさらなる冗談が繰り出されそうか。そうだとしても何がどうなるわけでもなく、それらはすべて言葉の連なりの一部となるだけか。実際にそうなっているのではないか。君はそれを認めなければならず、それ以外の何ももたらさないことも受け入れる必要もありそうだが、本当のところはどうなのだろう。それの何が本心から出てきたことでもない。だから冗談だと思い込みたいのか。何だか苦しい言い逃れとなってきたようで、この辺でおしまいにしなければならなくなる。本当だろうか。何がそうなのか。


4月23日

 まだまだ追いつきそうにない。まともに追いつくには後数ヶ月かかりそうだ。そう思っておけば冷静になれるだろうか。別に焦る必要もないか。こんな感じなのだから、後は淡々と言葉を記していればいい。たぶん何が君をそうさせているわけでもなく、君自身に問題があるわけでもない。すべてはよくあることか。何かの不具合を解消できないだけだ。何もわからないのなら、そこで何を語ることもない。ただ黙って辺りの景色を眺めていればいいのか。現にそうしているのではないか。それは何かの錯覚だろうか。あるいは思い違いか。君がそうさせているのだろうか。誰が何をさせているわけでもない。とりあえず作り話の中ではそうだ。でもそうではない場合などないのだろう。だから君がそうさせているのではないか。思い通りの展開なのではないのだろうが、とりあえず今は何かを語る時間帯だ。本当にそうなのだろうか。嘘だとしたら語らなくてもかまわないのか。電車が鉄橋を渡っている。そしてどこかへ向かって進んでいるわけか。君の行く手には何も待ち受けていないはずだ。手持ち無沙汰か。何の関連性も感じられず、つまらない気分でそんなことを思うが、そんなこととはどんなことでもなく、結局何を思っているのでもないらしい。それでは話にならない。その通りだ。

 作為的な雰囲気に慣れすぎている。でも何が自然な流れだとも思えない。こんな時間にも人が大勢いるようだ。なぜそうなってしまうのか。でも何が鬱陶しいのか。そう思うのが自然な流れなのだろうか。意味をわかろうとしているのではない。理解できないままの方がいいのではないか。何をわかろうとしているのでもない。わかり得ないわけでもないのに、興味が湧かず、何も模索できない日々が続く。そう思えば事足りるのだろうか。ただ理解できないだけか。単にそこから意識が遠く離れているのではないか。それはどういうことなのか。やはり理解できない。何を記そうとしているのか。意味不明な言葉の羅列というわけでもないのだろう。

 だんだん語るのが面倒くさくなってくる。何でもいいのではないか。目を閉じてしばらく考えているようだが、ただ眠たくなってくる。眠ってしまえばいいだけか。それにしてもよくわからない。わからないならやめてしまえばいいのに、これがやめられないらしい。たぶん語りが中途半端なのだろう。そのへんで考えていては埒が明かない。先回りしようとするからおかしくなる。すべては何らかのエピソードだ。話にならないからといって、強引に作り話をねつ造する気になっていないか。ではどうしたらいいのだろうか。そのへんであきらめて、こういう水準で言葉を記してゆけばいいのか。実際にそうしているではないか。そうなっているから、こんな具合となっているわけか。いい加減な気がするが、やはりそういうことらしい。

 今回はどうもうまくいかないようだ。限られた時間内で何を語ろうとしているわけでもなく、ただひたすら逃げているみたいだ。語り得ないようで、考えあぐねているようでもあり、結局のところどうにもなっていない。外は夜だ。外でなくてもそうだ。コンビニで漫画でも立ち読みしていればいいのだろうか。他に何をやれるのか。音楽を聴いているようだ。意識が遠くなる。眠っているみたいだ。君はそこで何かを見出したらしい。この世の果てはどこにあるのだろう。ここにはないのだろうか。それを見つける旅をしているわけではない。とうにどこかを通り過ぎている。どこかにある岩山のてっぺんで、何かの儀式が行われる。封禅の儀か。ここは泰山ではない。みんなどこかでバトルをやりたがっているようだ。そうやって自らの内に破滅を呼び込み、スリル満点の何かを体験したいらしい。君はそこで何に媚び諂うつもりなのか。考えがまとまらない。まとまりようのないことを考えているだけだろう。だからそのへんでやめておくべきなのか。


4月22日

 何だかわだかまったまま、それでもかまわないような気がして、そのまま今に至っているみたいだが、本当にいいのだろうか。何がそうなのかわからないままではないか。でもたぶんそうなのだろう。本当に不思議な気分だ。どこかで時限爆弾でも炸裂したのだろうか。でも君はテロリストではあり得ない。たぶん自爆テロでもない。やり方がおかしい。その通りだが、そうなるしかないらしい。能力不足なのかもしれない。このいやな感じが抜けるまでまだしばらくかかりそうだが、とりあえずはそういうことなのだろう。君はまだ死んでいない。何かの爆発で吹き飛ばされたわけではないらしい。でも気を抜くとヤバそうだ。要するにそんな感じなのかもしれない。それがいやな感じの正体か。必ずしもそうとばかりは言い切れないが、用心しておいた方がよさそうだ。何でもないのにそれはないが、やはりそういうことらしい。

 どうせまたおかしな事態に持ち込もうとしているのだろう。必ずしも運に見放されたわけでもないだろうが、運がいいとは感じられず、これも一つの運命なのだろうが、何だかすっきりしないようで、どうやら何かの終わりが近づいているのかもしれない。蓮實重彦によれば、ゴダールは交通事故に遭ったことによって、自殺することの失敗に成功したらしいが、君の場合はどうなのか。とりあえず何のたとえにも至らないようで、ちょっとわからない。どうなってもいいような気もするが、どうにもならないような気もして、それでかまわないような気もする。たぶん結果的にはどうにかなっているのだろうが、それは君の思惑通りでも思い通りでもなく、単なる偶然の巡り会わせによって、何やらおかしくも摩訶不思議な状況になっているのかもしれず、それがいつまで続くのかわからないが、とりあえずはそんなふうにして、さらなる記述の機会を得ているのだろう。

 しかしどうしようもないといえばどうしようもない状況だ。果たしてそれでかまわないのか。そしてまだその先の成り行きが待ち構えているのだろうか。どうやら変化せずにはいられないらしく、変わっていってしまうのだろうが、それが何を意味するのかは、今のところはよくわからない。どうにもならないようでいて、どうにかなっているようで、それでもおかしな具合となっていて、君にはどうすることもできず、それでもどうにかなっているのだろうが、やはりどうにかしようと思っているのだろう。それはどういうことなのか。馬鹿なんじゃないだろうか。でもそう思ってしまえば終わりだ。だから何だというわけでもないが、あきらめたらいけないということか。しかし何をあきらめようとしているのか。でも何が救いになるわけではない。何を描いているわけではなく、それは絵ではない。社会から切り捨てられたと思うのは、まだ偏見がある証拠だろうか。だが対象とは何なのか。

 画家が描く対象は千差万別だろうか。何が正しいわけでもなく、何が間違っていたわけでもない。これから間違うことが重要なのか。でもそう述べてしまうと、何が間違っているわけでも、これから間違うこともないだろう。そうではない。そうでなくても何でもない。とにかく簡単な二項対立の構図は無効だ。たとえ画家が社会の底辺でうごめく人々を描いていても、それは何でもないことであり、他の誰かがルオーに似ていようと、そうではないと思うだけだ。底辺でうごめいていようと、上辺でもがき苦しんでいようと、そんなのは問題ではなく、その場その場で役割を担ってしまうということだ。底辺の役割と上辺の役割との間にどのような差異があるというのか。底辺から上辺を非難しても、それは無効だ。そこに役割があると思い込むのも無効か。では何があるというのか。要するにそこで誰かがうごめいているということか。そう思えばルオーもたわいない。どうせそんなのは嘘だろうが、そこで何が時限爆弾となりうるのか。たぶん冗談でそんなことを述べているのだろう。何かが違っているようだが、何が違っていようとかまわないのではないか。


4月21日

 この時間帯では無理だろうか。久しぶりなので何とも言えない。違うのだろうか。わからないが触らぬ神に祟りなしで、へたにつついてやぶ蛇にならないように注意しなければならない。何のことなのかわからないが、本当は知っているのかもしれない。具体的にはどうなのか。君には関係のないことだろうか。まあそれとなく気づく程度でかまわないのだろう。しかし何が時限爆弾なのか。それが何のたとえなのかわかったような気がするが、たぶん君の勘違いだ。でもそれでかまわないのだろう。君はそんなふうにしてわかったつもりでいたいらしい。本当はわからなくてもかまわないのだが、とにかくわかったつもりになって、それで爽快な気分といかないまでも、焦れったい感じを少しでも軽減できれば幸いだ。

 何について語っているわけでもないのに、そんな気でいるようで、大事なことを忘れているのかもしれないが、かまわず進んで、それ以上の何かを得たいのだろうか。でも結果的に何を得ようと、それ満足することはないのだろう。いったい誰が満足するというのか。君はそこで何に満足しているのか。そこにもたらされた結果に満足しているのか。さあわからない。そうでもないようでいて、そうでもあり、そうでなくてもかまわないような気でいるようで、でもそうであってほしいのだろう。あるいはそんなのは嘘か。嘘であってもかまわないか。そうやって無駄に言葉を記して、何をもたらそうとしているわけでもないが、結果的には空疎な感じがもたらされているのかもしれず、やはりそれでかまわないと同時に、何となく物足りなさを感じるのだろうが、どうでもいいことか。

 何かを軽くいなしているようだ。いなしているのではなく、こなしているのではないか。感覚がずれているのかもしれない。少しの違いか。でも何が違っているのでもない。何も違わずに、ぴたりと合っているようで、でもそれが正解ではないような気がする。しかし正解でなければ何なのか。間違っているということか。何が間違っているというのだろう。眠たくなってくるらしい。君はそれでもかまわないと思いたい。フィクションの中でそう思っているようだ。またそんな嘘をついてみるが、誰がついているのか不明のまま、一方でそれは嘘ではないようにも思えてきて、もはや何かが崩壊寸前でいることに気づかず、気づいたときには手遅れで、手の施しようのない状態となっているのかもしれず、打つ手もなく、手詰まり状態で、絶望感に苛まれ、そこから先の展開を予想すれば、答えは自ずから一つとなってしまうわけか。でもわけでもないだろう。

 また何かの冗談が作用して、ありもしない状況を思い浮かべ、顔面蒼白になった我が身を空想してみるが、それ自体があり得ないことだろうか。しかし何なのだろうか。何でもなければそんなことは空想しないのではないか。でもそんなこととはどんなことなのかわからない。身の破滅が刻一刻と迫っているのは確かだが、もしかしたらそれが今から数十年後になるかもしれず、それでは刻一刻とは言わないのではないかと思うが、何も言っていない現状をふまえると、そんなのは当たり前のことであり、無意識のうちに嘘八百を言い立てている自らに気づくはずもなく、フィクションの中ではそうかもしれないが、別にそれからそれを構築しようとしているわけでもなく、それとはありもしないフィクションのことであり、そうだとするとそれはやはり嘘になるだろうが、何となくそのへんで馬鹿げた思いにとらわれ、いったい自分は何をやっているのかと自問してみるが、それに答える気などさらさらなく、さっさとやり過ごすのがせいぜいで、何がそうなのかわからないまま、そんな宛もない意味不明な成り行きが終わろうとしている。


4月20日

 何だか眠い。仕事疲れか。深夜に起きたようだ。やはりここから言葉を記すつもりか。たぶんまともなことは何も記せないだろう。でもはじめからそれはない。では何を記すつもりなのか。何も記さないと記してみる。つまらない冗談だろうか。そうかも知れない。別に満天の星空でもない。冬でないから星が輝かない。空気が澄んでいないわけか。別に何を見ているわけでもないだろう。また何だか外れた気分か。仕方がないだろう。同じことであり、同じ思いを同時に共有している。誰と共有しているのでもなく、君自身が複数の思いを複数の意識で共有しているということだろうか。そんなことはあり得ないか。どうもわからないが、いつかこんな状況から抜け出せるのだろうか。いつかとはいつなのか。まさか死ぬまでこんな状況なのだろうか。その可能性も否定できない。あくびが出てきた。でもこだわるべきではないのだろう。いったい何にこだわっているというのか。そういう問答を続けることにではない。では何なのか。何かにこだわっているのだろうが、それが何だかわからないという逃げが必要か。それではだめなのではないか。だめでもかまわないだろうか。よくわからない。どうでもいいことみたいだ。そういうことにしておこう。

 昼だ。まだ季節は春のようだ。別に早く夏になってほしいわけでもないだろう。語る必要のないことを思い浮かべ、何だかどうでもいいような気分となるらしい。本当は何を思っているわけでもなく、それが嘘だとしても、何を思っているわけでもないと記すしかなさそうだ。現にそうしているではないか。無駄に時間を使い、空白を言葉で満たし、それから何を思うのだろう。それからがないのかも知れない。やはり語っていることは空疎そのものか。でもそれらの空疎が君を活かしているのではないか。そんなはずがないか。とにかくそこから離脱しなければならないのだろうか。できればそうしたいところかもしれない。できなければどうなるのか。虚無の虜となってしまうわけか。それも違うか。どうも何を語ろうとしてもしっくりこないようで、すべてが違っているのかもしれない。まさかそれも違うのだろうか。しかしそれでは何も語れないのではないか。果たしてこれで語っていることになるのだろうか。さあどうなのか。もう月の終わりになろうとしているのに、大して遅れを取り戻せずにいるようで、そのへんが悩ましいところかもしれないが、なおも言葉を記そうとしているわけだろうし、とにかく行くところまで行かないと、突破口や出口などを見出すには至らないのではないか。

 出てくるのはそんなありふれた結論か。でも何を絞り出しているわけでもなく、絞り出している途中で、おかしな具合となり、あらぬ方角へ飛んでいってしまうのであり、何が飛んでいってしまうかは不明のまま、とにかくさらなる何を記そうとしているらしい。それは君に限ったことではないのだろう。それとは何でもなく、それでしかなく、それ以外の何でもないのだろうが、そうやって無駄に言葉を記すことしかできないようで、窓の外で風に揺れる梢を眺めながら、風が吹いていることを確認するにとどめ、それが他の何を意味するわけでもないことを悟り、そんなどうしたわけでもない光景の中で、時折鳥がさえずり、虫が飛び交い、春であることを実感しているわけか。わけでもないだろう。やはりそれ以上の何かを導き出さなければならないわけか。何がやはりでもわけでもないだろうが、何もない平和な状況がいかに退屈であるかを実感しているわけでもなく、ただ満たされた思いに近づいているのかもしれず、何に満たされているのかといえば、それは空疎に満たされているといえばしっくりくるわけでもなく、虚無に満たされているといっても、それは違うと思われ、それ以外の何に満たされているわけでもなく、たぶんすべてに満たされていると思うのは正解なのかもしれないが、だから何だと問うわけにもいかず、何でもないからすべてに満たされているに過ぎないのかもしれない。別にそれが正解でなくてもかまわないが、不正解というわけでもなく、その両者を超えているのがすべてであり、要するにすべてとは全体のことなのだろうが、そんなことは当たり前だといえばその通りである。


4月19日

 果たしてここから始められるだろうか。記述の続きか。眠ってしまったらしい。いろいろあって疲れてしまったのだろうか。そういうことになる。深夜だ。また今日も忙しい。おかしいように思われる。何かがそうか。いつものことではないのか。たぶんそうだ。もう夕方だ。すぐに夜になってしまう。それでどうしたのか。ついているわけでも運がいいと思っているわけでもない。疲れて少し横になりたい気分か。またそのまま眠ってしまうのだろうか。何だかわからないが、目を閉じて、その後はどうするのだろうか。何もわかっていないようだ。さらに疲れてしまいそうな気配を感じる。なぜなのだろうか。そのまま永眠したい気分か。永眠ではなく冬眠だろうか。今は冬ではない。もうすぐ暑くなる。暑くなったら不快か。汗をかいたらなお不快だ。別にサウナに入っているわけでもないか。そんな脈絡のないことを述べても無駄だ。もうここまで来てしまったようだ。のどの奥が痛いから久しぶりに風邪でもひいたのか。まさか鳥インフルエンザか。そうならもう死んでいるのではないか。中には死なない人もいるらしく、発症しない人もいるみたいだ。

 君の場合はどうなのか。何でもない。風邪ではないのかもしれない。ではこれから何をやろうとしているのか。今は言葉を記している最中か。他に何をやろうとしているのか。他がないのかも知れず、気が抜けている。相変わらず何も思いつかず、何やら危機意識が欠如している。なぜそうなってしまうのだろうか。君自身がそれを求めていないのではないか。そうかもしれず、成り行き次第でどうにでもなると思っているのではないか。今も何かの予感がしているようだ。しかし危機感とは何だろう。それも予感の一種なのだろうか。これから危ない橋を渡ろうとしているわけか。そうは思えないが、流れに逆らっているわけでもないらしい。でもそれは何の流れなのか。問うべきことではないのだろうか。ふと外を見れば、夕焼け空に雲が浮かんでいる。窓からそれを眺めているらしいが、意味不明だ。どうやら答えに窮して、どこかへ外れてゆこうとしているみたいだ。そういう流れだったのではないか。確かにさっきはそうだった。また横になりたくなり、休んでしまうらしい。でも後ろがつかえているのではないか。そのへんが何だかおかしい。

 風が吹いている。何と戦っているとも思えない。でも実際には戦っているのではないか。返答に窮しているわけではない。何を問いかけられているわけでもないか。いつもの問いなら答える必要も義務もないはずだ。では何なのだろうか。しばらく考え込んでいるようだが、答えなど出てくるわけもなく、いくら考えてもわだかまりなど解けるわけもない。なぜそうなってしまうのか。わかるわけもなく、何をわかろうとしているのかもわからない。何だかおかしいことだけは確からしく、そんな感覚で何をどうしようとしても、うまくいくはずがないだろう。でもうまくいかなくてもかまわないのではないか。なかなかうまくいかないから、そんなことにかかりきりとなってしまうのであり、そんな状態を保ちながらも、そこから抜け出す方法を模索することで愉快な気分がもたらされ、そんなことをやっている過程が、君自身そのものなのだろう。そこから安易に結論へ至ってはならないのであり、可能な限りそこへとどまり続け、そこで絶えず何かを実感する必要があるのかもしれないが、そんなのは嘘偽りか。なぜそう思うのか。なぜも何もなく、ただそう思っているだけか。あるいは思いもしないことを記しているのだろうか。そうかもしれないが、そうではないのかもしれない。どちらでもいいのだろうか。あるいはその時々によって変わるのか。


4月18日

 心地良いというわけではない。起承転結なんてどうでもいいことなのか。何を狙っているわけでもないようだ。不意に音楽が聞こえてくる。わざとらしいのだろうか。グーグルまでがそうらしい。何に気づいたわけでもない。何もないということでもない。では何を記すべきなのか。今記しつつあるこれか。通路の真ん中で誰かが首を傾けながら佇んでいる画像だ。やはり何がもたらされているわけでもないらしい。何が見出されているわけでもなく、それに関してどう思っているわけでもない。でもとりあえず言葉を記している。静かになる。外では風が吹いている。不安な気持ちを押さえ込み、そんな気分とはおさらばしたいと思う。それは違うだろうか。たぶん違っている。違うはずがない。どちらなのか。どちらでもかまわないのではないか。その通りだ。そんな心地なのだから、それはそういうことでしかない。まだだいぶ余裕がありそうだ。

 少し休みたいのだろうか。何かに近づきつつあるのだろう。そういうことらしい。少しずつ接近して、ついにはそれをゲットしたいのだろうか。そうではない。何を否定したいのか。意味不明な何かか。あくびが出る。その気もないのに言葉を記している。つまらないのだろうか。やる気がしないらしい。いつものことだ。今日は無理なのだろうか。たぶんそうだ。夕方になったら考えるとするか。もう夜だ。いろいろと出来事が過ぎ去り、その末にたどり着いた境地でもないが、とりあえずここに至ったようだ。取り立てて何もない。少し見た映画の話はどうなったのか。どうやら船の中の話は冒頭のことで、そこから延々と彷徨が始まるらしく、結局何もしないまま最後までアメリカを彷徨っているだけのようだ。だから『(階級関係) カフカ「アメリカ」より』ということなのか。解説を読むと、どうやら正式には『失踪者』ということらしい。階級関係とは船の中での船員と機関長と船長との間のいざこざにまつわる上下関係のことなのか。でもそれは冒頭部分のことで、その船でヨーロッパからアメリカへ渡った少年は、アメリカで何もせずにただ彷徨うらしい。

 これが漫画の『バガボンド』の主人公である宮本武蔵や佐々木小次郎あたりなら、剣術修業という彷徨う理由が一応あるにはあるが、ここでの少年は理由も目的もなく、ただ彷徨っている。それだけの話のようだ。そして最後は行方知れずになってしまうわけか。無論それが最後ではなく、そこで話が終わっただけのことで、その後少年がどうなったわけでもなく、どうせまだ彷徨っているのだろう。たぶん普通の商業映画なら、そんな内容では成り立たず、何かしら事件に巻き込まれたり、謎解き探偵ごっことなったりして、とにかく人の興味を惹くための話題が提供されなければならないが、ここではそうはならない。ただ会話があり、移動があり、他に何もないようだ。でもそれが妙にリアリティを伴っていて、普通の商業映画に見られるとってつけたような事件の方が、逆に作り話そのままのように思われ、冒頭の船内でのいざこざなどは、とってつけたような不自然さをまとっているのに、そして台詞の棒読みのような演技なのに、どうもそれがリアリティをもってしまう摩訶不思議な感じなのだ。これは何なのか。

 また途中で精神的に耐えられなくなって、見るのを放棄してしまったが、また暇を見つけてその気になったら続きを見るとしよう。たぶん人は何かの目くらましを周囲に張り巡らされていて、メディアによる誘導によって、様々な紋切り型へと誘われているのかもしれず、それが良いと思い込まされ、実際におもしろいと思ってしまうのかもしれない。それは何やら喜怒哀楽の過剰な表現であったり、途方もない大げさな事件に巻き込まれたり、主人公が何か特別な能力者であったり、その力を利用してとてつもないバトルが始まったり、まさにそういうことのインフレーションを見せつけられて、普通の感覚が麻痺してしまっているのだろうか。だがそれはどのような感覚なのか。何気ないことの繰り返しが現実そのものだということか。それだけではない。たぶん人と人とが会話する時、そこにはぎこちない演技が伴っているのであり、とてもスムーズな運びとはならず、ゴツゴツとした齟齬が感じられ、焦燥感やら疑念やらが生じながらも、かろうじて意思疎通を図ろうとしているのであり、たとえそれがどのような結果を生まなくても、とにかく延々と強いられるようなことなのだろう。


4月17日

 朝の空は曇っている。このまま雨が降ってきそうだ。別にそう願いたいわけではない。それほど寒くないのに電車の中ではみんな厚着だ。中にはTシャツ一枚の者もいるではないか。人によって厚着と薄着の落差が激しい季節なのか。よくわからない。でもすべては正気の範囲内なのだろう。別に気が狂った者が電車に乗ってくるわけでもないか。車内で暴れ出したりしないだろう。あるいは爆弾が仕掛けられているわけでもなさそうだ。他人の気を惹きたいのだろうか。帽子を目深にかぶり、目を閉じて居眠りのふりでもしたいのだろうか。スマホでメールチェックの最中かもしれない。あるいは暇つぶしのゲームか。文庫本を読んでいる。貨物列車を追い抜き、北へと向かっているようだ。それがどうかしたわけでもない。ビルが建ち並び、その中でおびただしい数の人々が働いている。冗談のような光景だ。目立とうとすることなど馬鹿げている。蟻の巣の中で忙しなく動き回っている蟻のようだ。だからすべてが冗談なのか。そう思えばそういうことになりそうだが、別にそんなことを思う必要はない。腕のしびれが治らない。どこかがいかれているのだろうか。でもいかれていようと何だろうと、そのままどこかへ向かうしかないようだ。そんな定めなのか。別に定めというほどのことでもない。大した運命でもなく、ありふれた成り行きの中の一つに過ぎない。それでもかまわないと思う。

 電車の中が混んできた。しばらく記述が中断してしまいそうだ。残りは夕方からでも記すか。何が出てくるわけでもない。月並みなことしか語れない。音楽を聴いているようだ。いつの頃からわからないが、朝起きると腕がしびれている。また貨物列車を追い抜いてゆくらしい。早朝によく見かける光景だろうか。一心不乱にゲームの最中だ。漢字検定の勉強でもしたいのか。駅に着けば貨物列車が止まっていて、その横を別の貨車が通過してゆく。苛性ソーダでも運んでいるのか。塩化第二鉄はなぜか港から陸送だ。貨車だと危ないのだろうか。苛性ソーダも漏れれば危ないだろう。製造している場所によって、貨車か陸送か都合が別れるのか。ガソリンなどはどちらもありそうだ。漫画も読んでいる。傘の用意をしている。天気予報でも見てきたのだろうか。それはクオーツのクロノグラフだ。値段が安い。エンド・オブ・アジアを聴きながら、日本はいい国だと思っているわけか。半分はそう思うのか。誰が思っているのだろうか。そうではないのかもしれない。君がそれを知っているはずがない。ゲームに飽きたら音楽でも聴くらしい。あくびが出る。そんな光景を想像しながら何を思うだろう。また何かの繰り返しなのだろうか。そういうことになりそうだが、それが何を意味するわけでもない。腕のしびれが治ってくる。

 少し前に缶コーヒーを飲んだ。ガムでも咬んでいるのか。他人がやっているゲームを覗き見か。またあくびが出る。相変わらず文庫本を読んでいる。今は眠っているらしい。中刷り広告に目を留めるが、興味がなさそうだ。何かが傾いてくるが、何とか持ちこたえている。何を我慢しているのか。耐えるまでもない。そのうちやめてしまう。いくらでも予想できそうだ。住宅地が増えてくるようだ。郊外に出たのだろう。ゴルフの練習場もあるらしい。緑色のネットが目を引くが、すぐに通り過ぎる。パット・メセニーを聴きながら、何かの郷愁に浸っているのだろうか。必要のない装飾に目を奪われ、無駄遣いをしてしまうらしい。何に敏感でいる必要があるのだろう。老人の最後の悪あがきにも困ったものだが、晩節を汚している自覚などありはしない。みんなそうだ。誰もが思い通りのことをやりたいのであり、好き勝手にできないことを呪い、復讐心に凝り固まって、さらなる盲目状態へと突き進んでいくわけだ。そして心に余裕のある人なら、それを許容しなければならず、黙って見守るしかないのだろう。さらに曇ってきたようだ。やはり雨が降るのだろうか。くだらぬ範囲内で何を思ってみても無駄か。あまり気にすることもないのだろう。気にする素振りを見せながら、そんなことを思うのもいい。本気になってはいけないようだ。だからすべては冗談の範囲内なのか。そうではないとしても、そう思うしかなさそうだ。


4月16日

 それは語るべきことではない。では記すべきなのか。あるいはどちらもだめなのか。どれも違うだろう。すべては語るために存在しているわけではないが、この世に存在しないものについて語るのも一興だ。でも本当にそう思っているわけではなさそうだ。大したことではない。独り言のたぐいだ。老いた歌手が『塩の歌』を歌う。塩田での過酷な労働で稼いだ金で、子供たちを学ばせて、自分よりマシな職業に就かせたい。そんな歌だったはずだ。虚しいとは思わないのだろう。誰もがそう思いながら、我が子の教育に金と情熱を注ぎ込み、医者だの弁護士だの、あるいは有名人だのになってほしいと思う。ありふれているだろうか。そういう人も中にはいて、実際にそうなって鼻高々になっている人もいるだろう。自分の子供がテロリストにでもなったら絶望してしまうか。でも別にそうならなくてもかまわない。他人事だからか。人それぞれで、そういうたぐいの競争に勝ち残れるのは、ほんの一握りの人たちに過ぎない。でもそれでかまわないのだろう。人がどのように生きていようと、それがどうしたわけでもない。

 人は他人と同じような夢を見る。それだけのことだ。他人と同じように感動して、喜びを分かち合いたいのだ。メディアが提示したものを受け入れ、それがいいと思い込み、その中でやっていることを応援したがる。でも中にはそういうのを見ると腹が立つひねくれ者もいるだろう。君はそれらを馬鹿にしたいのか。単純なことではない。ひがみ根性か何かか。そう受け取られてもかまわない。本当のところは何なのか。本当でも何でもないから、関係ないか。たぶん本当は関係があるのだろう。関係があるからそう思う。では何と何が関係あるのだろうか。それに関して今こそ真実を語らなければならないか。冗談のようだ。そういうことではないのかもしれない。たぶんそうだ。君はそれに関して何を知っているというのか。本当のところは何も知りはしない。そういうことにしておきたいのか。でもそんなふうに言葉を記していくと焦れったくなる。もっとちゃんとはっきりしたことを述べられないのだろうか。それがわかれば苦労はしないか。ではわからないのだろうか。まったくわからないわけではない。

 何かが違っていると思い、その思いが言葉の連なりとして記されることを願っている。そして説明しなければならないらしい。結局は語らなければならない。何かについて。ごまかしようのない言葉で。でもなぜ果敢に語ろうとするのか。無理なのに。語れば語るほどその身を滅ぼすだけか。そんなはずがないと思う。語らないでいるより語った方が精神衛生上好ましいか。そういう目的で語るわけでもないのだろうが、とにかく語ろうとしている。この世界には何もないのに。すべてがまやかしなのに。だからそんなはずがないと思っている。でもそんなふうにして語ることに語っているだけでは埒が明かない。わかっていることだ。わかっているのにそうなってしまう。でもどういうわけでもないのだろう。要するに語りそこなっているのだ。あるいは語り得ないことについて語ろうとしている。それもそんなはずがないか。たぶんそうではないのだろう。そうではあり得ないから、なおのこと語ろうとしている。でもそこから先は思い込みの世界か。全然前へ進んでいないのではないか。実際は何もない。それで正解なのかもしれない。君は何もないのに語ろうとしているわけだ。

 何かがあると思っていること自体が大間違いか。でもそこで幻想を抱かざるを得ない。この世界には何かがあり、その何かで充満している。それはわかっていることか。要するに何かとは何でもかまわないのだ。冗談でそんなことを述べていてもかまわない。冗談でなくてもかまわないのだろう。君はその何かを何かのままに据え置き、延々と何かについて語っているわけだ。そして絶えず何か違っているような気になり、その違っているという感覚が君を惑わしているようにも感じられ、そういう意味のない疑念から離れられない。でもそれで何か語っているような気になるのはおかしいのではないか。実質的には何も語っていないのに、それで済んでしまっていること自体がまやかしのたぐいか。要するにそれでもかまわないと思いたいのだろう。かまわないわけではないのにかまわないと思い込みたいのだろう。それはどういうことなのか。あるいはどういうことでもないのか。たぶんそのどちらでもあり、その都度どちらか一方を利用しているに過ぎず、そういうごまかしのやり方が自然と身についてしまったのかもしれないが、それでかまわないのだろうか。要するにそういうことだ。それはうまい対処の仕方なのか。君はそう思って悦に入りたいのだろうか。だから述べているすべてが冗談だと思われてしまうわけか。


4月15日

 寒いだろうか。確かに寒い。朝は寒いが、昼になると暖かくなるのかもしれない。だがもう昼を通り越して夜だ。いつものように紆余曲折を経て、ここにたどり着いたらしいが、何を反省したいのでもない。いきなり反省も何もないだろう。まったく脈絡がなく、要するに記述する内容など何でもかまわないのか。そういうわけでもないらしい。では何なのか。どうでもいいように思えてくる。それだけのことか。それだけではだめなような気がする。また何かの逡巡が始まっているようだ。でも覚悟はあるのだろう。何の覚悟なのか。気まぐれにそう述べてみるが、何のことやらわかりはしないか。そういうことだ。何かをやり抜く覚悟のようだが、それが何だかわからない。わかっているくせにそう述べてしまい、後には退けなくなってしまうわけか。だから何がそうなのか。たぶん何もそうではない。現実には何もなく、何を語っているわけではないのだろう。またそれだ。もういい加減に覚悟を決めたらどうか。さらにおかしくなるのはいつものパターンか。

 もういいのではないか。いい加減でかまわない。覚悟などもとからありはしない。何かにかかりきりなのはわかるが、そのかかりきりのこれがこんなふうになってしまっては、もはやどうにもならないのではないか。実際にどうにもなっていないようだ。何か他に語ることがあるわけでもなく、無駄に言葉を記すばかりのようだ。そんなわけでまた否定的な気分となるらしい。うんざりしているのだろうか。まったく人は何を考えているのか。君が空想しているようなことではないのではないか。人は人であり、動物の一種だ。でも本当はそうでないと思いたいわけか。やっていることはくだらない。君は何をやっているわけでもない。いつもありふれたことを考えている。また自己否定の無限ループに迷い込んでいるのだろうか。

 でも社会は社会としてあり、その中で疎外感に苛まれている者は、復讐心にかられて、爆弾テロでも起こそうとしているわけか。それも人が陥りやすい何かか。何かとは何か。わからないから何かなのか。人は世界中で彷徨っている。君は人ではないからわからないのか。人でなければ誰なのか。君は君自身なのだろうか。どうやらそれ以外ではあり得ないようだ。誰かが紡ぎ上げようとしている話にならない話の中では、そういうことになっている。時にはそんな嘘でもついてみたいのだろう。意味不明なところが気休めになりそうだが、そこから盛り返すわけにはいかないのか。だんだん音が小さくなってくる。でも何があり得ないわけでもないだろう。少なくともわざとそう述べているわけではないらしい。では自然の成り行きなのか。そう思っておいた方が気楽だ。

 人はそれらの光景を眺めている。それらとはすべての中の一部なのかもしれないが、例えばその中の一つがテレビ画面になるだろうか。君が思い通りに事が運んでいると思っている時間帯に、テレビでは国会中継でもやっているわけか。それとこれとは無関係だろうが、作為的に何かを演じようとする時、決まってテレビ画面上で何かが演じられ、それに気づいたときには、すでにだいぶ時間が経ち、過ぎ去った何かを思い出しているうちに、たぶんどこか興味を惹くような場所を通り過ぎているのかもしれない。それを今から取り返そうとしているわけか。そんなことではない。そうならないから、現実が目の前に迫ってきて、もたらされた選択肢の中から何かを選ばなければならなくなるわけか。それも勘違いのたぐいだろうか。本当に興味がないわけではなく、中には積極的に語りたい内容もあるのかもしれないが、今は意識の射程に入っていないらしい。いつも範囲外に逸れていってしまい、そこから外れて、何も思っていないと思い込み、そのついでに語ることがないと思う。だから何を思っているわけではなく、たぶんそこから遠く離れたいのだろう。


4月14日

 また少し昼に記そうとしている。夜になったら眠ってしまいそうだ。疲れているのだろうか。たぶん待っているのではないか。間があいているわけか。やがてそうではなくなるだろう。また疲れるようなことをやらなければならず、実際に疲れてしまう。そんな予感を抱いて、これから何かをやるのだろうか。たぶん何もできない。何をするわけでもないか。やるに決まっているだろう。とりあえず今はこんなことを記しているのではないか。ではそんなわけでようやく事態が呑み込めてきたようだ。ただ無駄に言葉を記している。そんなはずがないと思っているのかもしれないが、実際はそうだ。なぜそうなってしまうのかと言えば、時間が中途半端だからか。考えている時間がなく、何かを思いついている時間もない。とても冗談だとは思えないが、何となく投げやりな感じでそうしているのかもしれない。

 またどこかで外れてしまうのだろうか。人は楽しむために映画を見たり、漫画を読んだり、テレビを見たりしている。たぶんそういう行為の何も批判されるような筋合いではないのだろう。それでかまわないのだ。別に馬鹿にされるような行為でもない。でも例えばゴダールやストローブ=ユイレの映画を見るとはどういうことなのか。君は蓮實重彦の書物を読んで何を思っているのか。別に優越感に浸っているわけでもないだろう。そのへんがよくわからない。人とは違う感覚や理解や知識を我が物としたいわけなのか。でもそれでは優越感に浸りたいのと同じことなのではないか。やはりうまく説明できないようだ。もしかしたら誰も人並みでかまわないとは思っていないのではないか。できれば他人より秀でた何かがほしいのだろうか。それ以外にどんなことを思いつくだろうか。何がすごいものに遭遇して、感動したいのだろうか。要するに宝探しのたぐいか。それは王羲之の書を自分の墓にまで持ち込んだ唐だか清だかの皇帝と似たような感覚か。でも果たしてそういう感覚を肯定していいのだろうか。

 ハリウッド辺りの観客動員数数千万人だか数億人だかの大ヒット映画を馬鹿にして、それで悦に入りたいのだろうか。それでは単なるひねくれ者か。でもなぜ君はゴダールやストローブ=ユイレを馬鹿にできないのか。斜に構えてジャズなどを聴いている場合ではないか。そういう語り方では何の結論も出てこないような気がする。特定の作品や人物や国や地域に関して、何かふざけた意見を述べようとすると、決まってある疑念がわいてくる。そんなことを述べている君はいったい何なのか。何様のつもりなのだろうか。そのへんで何か配慮でも怠っているのだろうか。褒めたり賞賛したりしなければいけないということか。安易に攻撃してはまずいか。ふざけた言い回しで馬鹿にしたりすることをおもしろがっているとしたら、そういうのを改める必要があるだろうか。その気もないのにそれはないか。

 そのへんは何とも言いようがなく、これからもいい加減な言い回しを用いて馬鹿にして、それでおもしろがるのかもしれない。たぶんそれでかまわないというか、それがないと記述を継続できないのかもしれない。その程度のレベルなのだろう。自己嫌悪に陥ってしまうか。そうならないうちに記述を終えてしまいたいが、まだ分量が足りないだろうか。足りても足りなくても、そんなのはかまうことはなく、自己満足に浸れればそれでいいのかもしれないが、疑念は疑念としていつまでも残り続け、その都度以前と同じような疑念を抱くしかないようで、まったく進歩がないのだろうか。そのへんもよくわからないが、おおよそわかるような疑念ではなく、わざと答えにたどり着かないような配慮の中で、それらの記述を継続したいだけなのかもしれないが、果たしてそれでいいのだろうか。それも答えの出ない疑問か。出そうとしてないのだから出しようがなく、何らかの結論に達しようとしていないのだから、そのまま続けていくしかない。


4月13日

 何が見えているのだろうか。用を成さない。君はそれらを見る。風景を眺める。何かを空想しているようだ。雨がやんで寒くなる。もう夜だ。すでに何も見えない。暗闇だから見えない。画面を眺めているらしい。雪が降っている地方もあるらしい。惹き付ける対象を知らない。まだ何も見えてこないようだ。何を見ているわけでもない。まだ見ているのだろうか。夢でも見ているのか。つまらない物を見ている。時が経っているのだろう。歳月を経るとすり減ってしまうらしい。でもそこで何が積み重なっているのだろうか。神経をすり減らしているようには見えない。台詞の棒読み状態か。そんなふうに見えている。でもわからないか。要するに見ることができない。

 まだ夜だ。たぶん何を語っているのでもない。それでも何を語ろうとしているのか。君がそれを知っているわけではない。わからないのだろうか。たぶんそうだ。それについてどう語ればいいのか。語れないのだから、それが実感であり、現実なのではないか。だからどうしろというのか。どうにもならない。別に恐ろしいことではない。気分が最悪なのでもなく、ただ語れないだけか。簡単に語るわけにはいかないのだろうか。どうしても語れないようだ。なぜなのか。面倒くさいからか。それではいつものパターンではないのか。また気持ちが逸れていってしまうようだ。

 何が気に入らないわけでもなく、どういうわけか知らないが、何も記せない。記しているではないか。確かにそうだ。空疎な内容を記している。何について語っているわけでもないのに、それはないだろうか。なくはないのではないか。実際にこうなっている。途中で映像を見続けられなくなり、ここに至っている。なぜなのか。何か恐ろしいものでも見たような感じなのだろうか。何の変哲もない白黒映画のたぐいだ。だがすぐにそれが違うことに気づく。台詞を棒読みしているように思われるが、語り方が尋常ではない。切羽詰まっているというか、ただならぬ緊張感に満ちている。どうも何かが変化しているような気がする。映画的な何かを削ぎ落としているわけではない。

 『タイタニック』という世界的に大ヒットした映画を見たことがあるだろうか。SFXを駆使していたり、ラブロマンスあり、スペクタクルあり、波瀾万丈の物語ありで、まさにこれでもかのてんこもり状態で、人々の関心を惹き付けていた映画だ。でも君はそれを始めから終わりまで通してみたことはないだろう。テレビでやっていたのを数回細切れでちらっと見ただけだ。興味がないのだろうか。たぶん情報のたぐいとして知っているに過ぎず、それ以上に見たいとは思わなかったはずだ。ただハリウッド映画の紋切り型が凝縮されているだけの代物だからか。それはどうなのか。同じように船の中が舞台となっているのに、途中で見るのをやめてしまった白黒映画は、たぶんそれらの紋切り型がいっさいないのではないか。要するにその手の映画らしい約束事が何もないから、途中で恐ろしくなって見続けるのが困難となってしまったわけか。原作がカフカなのはわかる。切羽詰まった会話がカフカの小説そのものか。でもカフカの小説などまともに読んだことがないような気がするが、たぶん短編を二三読んだに過ぎず、君が読んで恐怖したのは、カフカの影響受けたブランショの小説だったのではないか。

 でも何かの本質を捉えているとはこのことだと思われる。何もないのにすごい。これはどういうことなのか。見ている者が打ちのめされてしまう。何もないのになぜだろう。たぶんそこに映像があるからだ。そしてむき出しの台詞があり、君の精神に突き刺さってくる。見ていて居心地が悪くなってきて、見ていられなくなり、途中で見るのをやめてしまう。たぶんヒーローや超人が登場して、敵と大げさで壮大なバトルを繰り広げているような映画なら、安心して最後まで見ていられるのだろうが、やはりそれが子供騙しでしかないことに気づかされるような、本当に何もないのに、映像と台詞ですべてを満たしたような白黒映画だ。そんな代物を見せつけられて、ただ恐ろしいと思う。


4月12日

 何かをつかみかけてくる。そんな思いで何をやる気でもなく、さっさと横になる。また眠ってしまうのだろうか。ここ数日蛍光灯を点けたまま眠ってしまって、目が覚めるとまぶしい。なぜか天井を見上げながら、たぶん何も思っていないのだろう。明日は雨が降るらしい。夜には降っているかもしれない。そして相変わらず言葉を記すのが面倒くさい。風が強い。昨日から強風が吹き荒れ、寒くなっているようだ。何を思い出したのだろうか。確かに雨が降ってきた。雨音を聞きながら音楽を聴いている。上の空か。コーヒーでも飲みたいのか。何をまくしたてているわけでもなく、見損なっているとも思えない。意味がわからないのは毎度のことだ。君は待てないのだろうか。何を待っているのか。雨ならすでに降っていて、夜もやってきている。他に何を待つ必要があるのか。

 何も待つ必要はないのだろうか。でも実際に待っている。ぼやけた画像だ。意味をなさない言葉の並びを眺め、ため息をつくしかなさそうで、それの何が冗談でもないことを知る。くだらないことなのだろうか。すべてではない。でも政治家は別のようだ。また競争か。競争に勝ち抜くためにこの国をどうにかしなければならないと考えている。もっともらしいことだ。自国を他国より優位な立場になるように事を進めるために、今すぐにでもTPP交渉に参加したいわけだ。ごもっともなことだ。なぜ正しいことしか主張しないのか。そういうところが気に食わないのだろうか。

 なぜつまらないのだろうか。いつものように理由などいらない。そこに理由などあるはずなく、あるのはただ言葉の連なりだけだ。でも理由の他に何があるのか。理由がなければ文章にならないか。二酸化炭素の他に何を吐き出しているのでもない。窒素があるだろうか。ダークマターなどは吐き出せないか。まだそこまで語っていないはずだ。冗談の他に何を語っているというのか。またしてもそれだ。いつまでもどこまでもそうなってしまい、とりとめもなく、何を思っているのでもないらしい。急いでいるふうも見当たらない。決して語るようなことではない。だから何なのでもなく、意味がわからなくなるだけのようだ。そして弾けてしまい、石ころのように散らばる。それは何のたとえでもなさそうだ。

 たぶんどのように語ることもないだろう。語れないのだ。そんなことを語りたいわけではない。空は青い。雲に遮られなければ青いのだろう。昼間の晴れた空は青い。映画が物語で汚染されているように、人の暮らしもテレビドラマのように展開したりするのだろうか。君は何に感動したいのか。楽しいことではない。何がそこで語られているわけでもない。たぶん批判しているのではなく、感動しているのかもしれない。

 誰かが頭を抱えて画面の前に座っている。君はそんな光景を想像しているわけか。そうではないような気がするらしい。まるで冗談か。眠くなり、屋根を叩く雨音が眠気を誘っているような気になる。しばらく横になるとしよう。そのまま眠ってしまうかもしれない。また起きて言葉を記す。少し楽になっただろうか。たわいないことだ。いつの時代でもない。果てしない世界だ。また夢でもみていたのだろうか。何の必然性も感じられず、さらに語ることの馬鹿らしさを感じているとも思えない。目の前には空間が広がっていて、何が君を惑わしているわけでもないことを知って、そんな嘘をついてもかまわないと思う。相変わらず何がどうなっているわけでもない。相変わらずの雨だ。何がそうさせているのでもない。閉じた世界ではない。そう思い込めば、何を不思議がることもないか。でもまだここで疑念を振り払えない。そう思ってもかまわない。


4月11日

 当たり前のことだが、やろうとしてもできないことがあるらしい。どうしても何かから跳ね返されてしまう。どこかへ意識が弾け飛んでしまったのだろうか。寝て起きて、何だか朦朧していて、夢から覚めていないようだ。そんな気がするだけではないのか。実際にはそんなはずがない。別にそんなことを記すまでもないことだ。とにかく何を語ろうとしているのでもないらしい。今までに記してきたすべてをどうしたいのか。そのすべてを否定したいわけでもないだろう。では何なのか。部分的に何か思うところがあるのだろうか。微妙な言い回しがしたいのか。全然微妙ではない。なぜそう思うのだろう。語っている気がしないみたいだが、さらに言葉を記そうとしているらしい。おかしな事態だ。何がおかしいのだろうか。何もおかしくないところがか。それでは話にならないではないか。ただ面倒くさいのか。何がか。言葉を記すのがか。だから話にならない。おかしいのは話ではないのだろうか。言葉を記そうとする動作がおかしいか。そうではないような気がするが、実際はそうかもしれない。でもまだ内容に至らない。何をみているのだろうか。停滞しているようだ。記述が滞っているということか。でもかまわないか。ちょっと書物を読んでみる。何かきっかけがほしいところか。でも理解できない。実感がわいてこない。君は何を語ろうとしているのか。やはり不必要なことを考えている。君とは関係のないことだ。だが誰もそんなことは思っていないのではないか。それはなぜだろう。なぜ話にならないのか。逃げているわけか。ごまかしているのかもしれない。何が怖いのだろう。嘘で塗り固めるわけにはいかないらしい。でも真実とは何なのだろう。冗談ではないことは確からしい。

 また翌日になってしまった。そしてさらに翌々日だ。どうしても言葉を記している途中でいやになってしまう。もう夜だ。確かに夜だ。それだけか。真夜中らしい。やる気がしない。当然のことだろう。何だかとりとめがない。何を考えているのか。違うのではないか。何が違うのか。何となく待った方がよさそうだ。横道に逸れてからだいぶ時が経つ。何が馬鹿げているのだろうか。何もそうではない。言葉を排して何を導入したいわけでもない。でもそれはおかしいのではないか。確かにおかしい。そろそろ安倍ちゃんも行き詰まりか。まだそうではないだろう。でも終わりが近そうだ。なぜそう思うのか。今回は予感が外れているのではないか。さあそれはどうだろう。でも内容に至らない。

 何もできずに数日がたってしまったらしい。昼は仕事やっていたではないか。それだけのことらしい。何がおかしいわけでもなく、迷っていただけか。内容が空疎なので自己嫌悪に陥っていたのだろうか。そんな気がしてならないが、気を取り直して空疎な内容でも言葉を記すとしよう。そういう時はそういう時だ。自嘲気味に語ってもかまわない。それだけのことらしい。他に何ができるのか。何もできていない現状か。

 だいぶおかしくなってきた。何がおかしいわけでもないのに、そう記さざるを得ないところがおかしい。これが小説なら、主人公が何らかの行動に出るわけか。実際には小説でも何でもない。昨日は何をやっていたのか。何もやっていなかったから、こうして意味のないことを延々と記しているわけか。しかし何をやっているのだろうか。今は言葉を記している。記述を遅れを取り戻そうとしている。それが浅はかな考えだ。でも何を考えているわけでもない。またそんな嘘をつくが、嘘でないとすれば何なのか。何を蒸し返そうとしているのでもない。どこかで何かが外れている。そんな意味のないことを述べてもかまわないようだ。ボタンが外れている。それを思い出すが、何でもないことだろう。意味もなく、馬鹿げたことだ。どうかしているようだが、何がそうなのでもなく、やはり馬鹿げたことのようだ。そういう状況が気に入らないわけだ。でもそうなってしまう。そういうことでしかない。だからもうこの辺で区切りを付けた方がいいだろう。それが無難なやり方だ。


4月10日

 だいぶ調子を崩してしまったようで、今のところは何も語ろうとしていないが、どうしてしまったのか。他に語るべきことでもあるのだろうか。たぶんそうではない。何を繰り出したいのでもなく、頭の中から何の芽が出ようとしているわけでもない。春は植物が育つ季節か。蜂も活発に飛び回っている。また今年も刺されるのだろうか。夏は憂鬱な季節だ。でも夏が巡ってこないことはない。それは当たり前のことだ。でも暑いのは嫌いだ。どうせ何もできない。そう思っているとは思えないが、何もできないのに、結果的に何かやっている場合もある。そういう場合がほとんどか。君は何を狙っているのか。別に今日で何かを終わらせたいわけでもないのだろう。終わらないから言葉を記しているはずだ。そう思って差し支えないが、何ともまだるっこしいことだ。具体的に何を述べているのだろうか。それがわかればこの焦れったさも解消するはずだが、解消しないから焦れったいわけで、どう述べても意味不明と紙一重となってしまい、ため息が出るばかりのようだ。それも違うだろうか。何だか面倒くさくなってきて、わけがわからなくなり、何をやっているのでもないことに気づく。またいつもの昼だ。昼休みに何を記そうとしているのか。たぶん何かを記しているはずで、その内容がこれだろうか。これとはこれのことか。そういうことになりそうだ。

 偉そうに指図したいわけでもないのだろう。君はそこで外れてしまうだろう。すでに心が外れているようだ。興味がないのだろうか。植木鉢から雑草が生えてくる。それを引き抜くつもりがない。なぜだろう。単に引き抜くのが面倒なのか。水を与えなければ枯れてしまう。それは曇ってきたようだ。夜になれば雨でも降るのだろう。そんな気がしてならず、別に気にするほどのことでもないのだろうが、気がつけばそんなどうでもいいことを記している。だから外れているのか。俄には信じ難い。意味がわからないのは毎度のことだが、わかったところで何がどうなるわけでもないだろう。他人と意思疎通がうまくいこうがいくまいが、別に気にするようなことでもない。人が生きていることに何の意味があるのだろう。別に爆弾テロで多くの人たちを殺傷したところで、たぶん世の中を変えることにはならない。それが目的ではないのかもしれず、ただ騒ぎを起こしたいだけなのかもしれない。でもそうすることに生き甲斐を感じているとも思えない。やはり面倒くさいのか。それ以上は考えられないのかもしれない。何が面倒くさいのかわからないまま、さっさと別の話題にいこうか。いくわけもないか。世界がテロを求めている。そういう勘違いなら許してくれるだろうか。何が許されるわけでもない。とりあえず君は伸びすぎた爪でも切った方がいい。

 そして何を思うのか。思うまでもなく、無造作に言葉を記す。そんなのは嘘か。嘘でも勘違いでもなさそうで、単なる戯れ言に過ぎないのかもしれず、事態を深刻に受け止められないようだ。冗談みたいか。でも冗談で人が殺傷されてしまうわけか。時としてそういうことになり、北朝鮮みたいにギャグの一環で核実験やミサイル発射をやっているところもあり、まるで精神異常者のように強がりしか主張できなくなっている。ああなったらおしまいか。とりあえずとなりの中国の政治体制が崩壊したら、その道連れで北朝鮮も消滅するだろうか。最後は核爆発でも起こして自爆するのではないか。そうなったらどうだというのか。そんなことを空想しても何になるわけでもなく、どうでもいいことでしかないか。何も見えてこないようだ。意味のないことを述べてようとしていたらしい。でもそんなことしか思いつかないのだろう。いったい君は何を思いついたというのか。もう夜だ。いつものように昼は仕事をしていて、そのとき何か思いついたかもしれないが、今はもう覚えていない。見せ物の中に真実はない。嘘と虚構の織りなす何かが君を惑わすが、いったんそこから目を背ければ、すぐに忘れてしまうか。そこでは何が語られているわけではなく、何を語ろうとしているのでもない。すべては過ぎ去った時間の中で起こった出来事に違いないが、君はなぜそれらを覚えていないのか。思い出す必要がないのだろうか。そんなはずがなく、たまに思い出すこともあるのだろうが、思い出されるのはつまらない出来事ばかりか。時にはそんな嘘をつく。


4月9日

 未だ何も語っていない。気のせいだろうか。きっとそうかもしれない。落ち着いているみたいだ。どうかしているのだろうか。どうもしていない。何でもないのだろうか。本当にそうか。人は誰でもそんなことを思っている。そういうことにしておこう。さらに夜が続く。眠たくなる。躓いているのだろうか。神は何を思っているのだろう。君は神ではない。誰も神ではない。だから何を見通しているのでもないらしい。先のことはわからない。問題でもあるのだろうか。誰の問題でもなく、君の問題でもない。では問題ではないのではないか。それが問題か。たぶんそんなことはないのだろう。人は世界のどこかで生きている。人でなくても生きているわけか。たぶんそうだ。誰も気にもとめない。そんなことでしかないだろう。そんなことでしかない。ではあきらめるしかないわけか。だから何をあきらめるつもりなのか。言葉を記している。関係ないだろうか。たぶんそうだ。おもしろおかしい話には飽きているのだろうか。そうかもしれないが、他に何があるというのか。何もないからそれが問題となってしまうが、本当に何もないのだろうか。だからたぶんそうだ。そこでは何も話題とはならない。本末転倒ではない。どこでも諍いがあるらしい。そんなことはよくあるパターンなのだろうが、それにしても滑稽か。でも馬鹿げているで片付けるわけにも行かず、何とか事を丸く収めなければならないようだ。

 教育とは大人のいいわけのようだ。何かやっているように思われたいらしい。何もやっていないわけではないが、何かをどうにかしたいらしい。たぶんその程度のことなのだろう。何も真剣に思い悩むようなことではない。どのみち避けては通れないことか。何かいいわけが必要なのだ。組織の内部で不平不満をぶつけ合い、何かもっともなことを言っているような気になり、たぶんその場は丸く収まるのだろう。そういうことでしかない。でも実際の仕事はどうなのか。それとこれとは話が違うか。何が違っているわけでもないのだろう。そんなふうに思われたいだけか。要するに事の本質から限りなく遠ざかろうとしている。納得し難いのだろう。それはそうか。そんなふうに述べるなら、その後はどうなってしまうのか。こうなっているではない。中身のないことを延々と述べている。何だかわからなくなり、このまま終わりまでいってしまうのかもしれない。そんな気がしているようだが、ここから立て直すことは不可能か。立て直すも何も、これでいいのではないか。そう思っていればいい。たぶん今日は何も語れない。過去のことさえ思い出すのが億劫だ。眠たいのか。そうではないが、ただ空疎な感じがしている。それでも人は何かをやりたいらしく、やりたいことの一つが言葉を記すことか。別に義務感にかられているわけでもないだろうが、こればかりはどうしようもない。

 制御不能に陥っているのだろうか。何がそうなのか。理解できないか。理解可能なことではない。理解するつもりもないらしい。では何なのかといえば、それは何なのだろうか。何でもないわけではなさそうだ。さらに無駄に言葉を記そうとしている。それだけのことだ。でもだけではないと思っているのだろう。どこからか何かが漂ってきて、心配したり楽観したりするらしく、そこから疑念でも生じて、何か思索の奥行きでも感じ取るわけか。意味がわからないか。どこかで死体がワルツを踊る。わざと意味不明気味に言葉を記してみるが、その先はどうなっているのだろう。まだ夜だ。いつまでも夜ではない。しかし今は夜の時間帯だ。そういうことだろう。どういうことでもないが、とりあえずはそういうことらしい。何かを空想しているのだろう。でもすべては技術的な解釈で事足りるのだろうか。そうとばかりも言っていられないか。しかし自らの所有物としての作品の価値などたかが知れている。君はそれらがどこへ向かって開かれているのかを確認しなければならない。なぜそんなことをやりたがるのか。そう思っていた方が何かと便利なのだろうか。何が便利なのか。何か思索に使い道でもあるのだろうか。そうではない。ただ人がやるわけではなく、やらせられるわけでもなく、やってしまっているわけでもない。では何なのか。やるのが面倒くさいだけか。それもそうだ。なかなか勤勉にはなれないらしい。すぐに怠けて、手遅れになるまで放っておかれる。そんなことの繰り返しから何が生まれるのだろうか。


4月8日

 何も語っていないわけでもないのに、語っている気がしない。そして相変わらず理由も原因も見えてこない。こうなっている理由や原因を知りたいのだろうか。何も語ろうとしないからか。そういうことにしておこう。もう夜だ。取り立てて何もないが、そんな嘘をつきながらも、何か企てているようで、それを記すことで、何か述べているような気になりたいだけかもしれない。たぶん思い込みだろう。そんな思い込みの中で何を語ろうとしているのか。あまりにも唐突に他人の意見など挿入するから、調子が狂ってしまったのだろうか。そんなはずがない。たぶん何かをわかりかけていて、それをうまく表現できないだけのような気もするが、それも気のせいなのだろうか。誰がそこでおどけているのでもない。そうやらまだ冗談の続きの中で言葉を記していたいらしい。その方が気楽なのだろう。でも気乗りしない。もうどうでもいいのだろうか。何を投げ出そうとしているのか。人には言えない事情でもあるのか。でも何が秘密なのでもないのだろう。それ以上に何があるわけでもなく、別に何かを超越しようとしているのではない。相変わらず何も述べていないのではないか。そう思えばそんな気がしてくるが、それでかまわないというわけでもないか。今回は少しまともに語りたいような気になっている。

 机上の空論か。政治家が主張するような内容か。なぜそれがリアリティを欠いているのか。まだ何も述べていないではないか。そういうことだ。何か先走っているみたいだ。実質的に何がどうなっているわけでもない。ではごまかしのたぐいか。そうかもしれず、まともに語りたいなどと表明してしまったことを後悔している。冗談だろう。人はいつも悲劇と喜劇の間で生きている。そんなことはないか。でも笑っている。何が滑稽に思われるのか。真面目に働いているのがそんなにおかしいだろうか。たぶんそうだ。おかしいに決まっている。詐欺師の人生なら物語の題材としてうってつけか。芸術家の生涯というのはどうだろう。詐欺師とあまり変わらないか。しかし何に興味を持たなければならないのだろうか。別に興味などなくてもかまわないか。でも何だか普通に生きていると次第に居心地が悪くなる。つまらない日常の中で息が詰まりそうになってしまうわけか。漫画でも読めばいいだろう。あるいはテレビでも見ていればいいのだろうか。そうではないのだろうか。たぶん違う。働いているのなら、そのまま働き続ければいいのではないか。どうせそのうち年老いて働けなくなる。そういうことでしかない。つまらないことで悩む必要はない。実際につまらないと思うなら、つまらないままでかまわないではないか。

 つまらないこともつまらなくないことも、同等に必要なのだ。時にはそんな嘘をついて気休めとすればいい。気休めになるだろうか。ならないなら、ならないままでかまわない。そこで誰が何をやっているわけではなく、おかしくなっているわけでもない。でも何かがおかしいか。たぶんおかしくてもかまわないのだろう。他に何を肯定したいのでもなく、そのおかしさと戯れているのでもない。ただ夜景を眺めている。何の変哲もない風景だ。何が蔓延っているわけでもなく、虚無とともに沈黙しているわけでもない。では何なのか。何を説明したいのか。説明しすぎて、説明に飽きてしまったのか。そんなはずもない。まだ説明が足らないのではないか。それどころか何かを説明し損なっている。間違っているのだろうか。何が違っているのか。相変わらずの空疎だ。中身がない。だから強がってみせる必要もない。このままでかまわないと思う。そういう成り行きなのかもしれない。少なくともここではそうなっていて、そういう状態に満足することはないだろうが、受け入れざるを得ない。ここまで言葉を記してきたのだから、そういう気分でいることを正当化したいのか。そうではない。意味がない。理由もない。ただそんなことを記している。それだけのことか。本当にそうなのだろうか。でも何だか味気ないか。そういう無味乾燥状態を保ちたいわけでもないのだろう。あまりにも殺伐としすぎているだろうか。それも違うか。わざと間違えている。


4月7日

 たぶん何も見ていないわけではない。それ以降が不明だ。何かが深淵より来る。それがどこかに届いたメッセージなのだろうか。世紀末はとうの昔に通り過ぎてしまった。また数十年後を期待するしかなさそうで、それを見届けるまでにはこの世にいないような気がしないでもない。しかし今の君はどの段階にとどまっているのか。何を根拠にそんな見方を示しているのだろう。そう述べている意味も意図もわからない。また文章の迷路にでも迷い込んだつもりにでもなっているわけか。そうではない。言葉を記すのに難儀しているのだろう。無理なのはわかっている。書物でも読んでいたのだろうか。その通りだ。今度は映画でも見るらしい。DVDが明日送られてくるそうだから、この狭い画面で見ることになりそうだ。わからない。なぜ書物を読んで映画を見ようとしているのか。暇つぶしか。暇などないはずだ。では何なのだろうか。別に行き詰まりを打開するための算段ではないのだろう。そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。本当のところは何なのだろうか。蓮實重彦の『ゴダール革命』を読みながら、『ストローブ=ユイレ コレクション 2 (階級関係) カフカ「アメリカ」より』を見ることになるわけか。

 理由がわからない。理由などないのかもしれない。アマゾンのレビューには

ゴダールの本というより蓮實重彦の本。
彼の文章が好きな人にはたまらないだろう。
嫌いな人には逆の意味でたまらない。
「何も書いてない」というのが、通読後の私の感想だ。
文章量に比して、情報量が少ないのだ。
だいたい、このハスミという人は、「斜見」という字を当てるべきヒネクレ者で、
「~というのは間違いだ」「~ではない」と、考えうる限りの堅実で常識的な意見を
にべもなく切り捨てた後で、半分正しく半分デタラメな著者独自の意見を
独断的に述べて読者に刷り込むという、優れてゴダール的な人物なのだ。
真正面からゴダールを論じたい人は別の文献を当たった方が良いだろう。

という率直な感想も寄せられていた。

 自分にとってはどうなのだろうか。たぶんゴダールの映画はヤバいのだろう。でも未だかつて彼の作品は一つとして見ていない。というより自分は映画ファンではない。愛好者でも何でもない人間が『ゴダール革命』を読んでいる途中だが、でもやはりゴダールはヤバいと思われる。たぶん実際にヤバいのだろう。そしてこれまでに蓮實重彦の書物を何冊か読んだ限りにおいて、今の自分が蓮實を批判するのは身の程知らずのように思えてくる。たぶん上の意見のように、彼を率直に批判できる人は幸せ者なのだろう。自分には蓮實重彦もゴダールとは違う意味で、かなりヤバい人だと思われる。たぶん彼はちゃんと語っているのではないか。ちゃんと簡潔に黒澤明やヒッチコックやフェリーニやスピルバーグやコッポラを批判しているのではないか。ちゃんと語れることはすごいことだ。それに比べて君はちゃんと語れていないのではないか。そういうことらしい。言葉の操り方が不十分なのだろうか。そうかも知れない。しかし考えさせられる。映画とは何なのか。そんなふうに考えてはまずいのだろうか。

 何となく映画に関しては人の限界が見えてくる。君には必要のないことだ。映画など不必要だ。では漫画でも読んでいればいいわけか。楽しみとしてはそういうことかもしれない。でも映画にも様々な種類があるだろうし、漫画も同様なのではないか。では何なのか。必要であるかないかなどという問いそのものが間違っているわけか。でもそう問わないと文章になりづらいのではないか。しかし文章にするために間違った問いを発してもいいのだろうか。やはりそのへんがわからない。ゴダールのように映画を撮るとはどういうことなのだろうか。なぜあんなふうに撮らなければならないのか。それも間違った問いのような気もしてくるが、どうもこの先ゴダールの映画を見る機会など訪れないような気がしてくる。実際『ゴダール革命』を読んでいるのに、なぜかストローブ=ユイレのDVDを購入してしまう。これはどういうことなのか。要するに蓮實重彦が推奨するゴダールの次は、浅田彰が推奨するストローブ=ユイレなのだろうか。でも何だかわからないままだ。これでかまわないのだろうか。そういうことにしておきたいらしい。とにかく一度映画を見たいと思っていることだけは確からしい。


4月6日

 突然何も見ていないことに気づく。指先を傷つけてしまったらしい。それでも何を見ているわけでもないようだ。唐突にそう思う。意味がわからないだろうか。しばらく静かにしておいてほしいのか。さらに意味を失いかけているようだ。なぜこうなってしまうのか。遠くを見つめるまなざしに気づき、それが映像でないことを知る。誰かが空想しているようだ。想像する。午後のひと時のことを覚えているだろうか。何でもなく、そこでは何も動いていない。どういうわけかそうなってしまうらしい。ここから逃げ出したいのか。それが違うとは思えない。しばらく意識が遠ざかる。何をあてにしているのでもなく、この世界に何を与えようとしているのでもない。これは誰の台詞になるのか。不特定多数の人の中から、それに見合った何かを探し出そうとしているのでもないらしい。しかし何かとは何なのか。それが何かの決め台詞であることはわかっている。要するにまた嘘をついているのだろうか。そうやって何かを長引かせている。何もないのにそれはないとも思う。本当に何もないらしい。そういうことにしておきたいのでもない。

 時間が差し迫っているとしても、何を待っているわけではない。すでに何かが到来した後から何かを思っているようだ。もう手遅れだと思っているわけか。忘れているのだろう。君は何に間に合わなかったのか。どうしていつも遅れてやってくるのか。取り返しのつかない事態に遭遇する。それで楽しくなってしまったのだろうか。君にはそれがわからない。誰にもわからないのかもしれない。そう思って差し支えないようだ。相変わらず何を語っているのでもなさそうで、ただ言葉を並べて悦に入っているとも思わず、そうでないからそういうことを記しているわけか。ますますわけがわからず、意味不明気味になってきたようだ。君はそれを読めてしまうのだろうか。何を読んでいるのかわからないのに、そういうことではないといえなくもない。おかしな言葉のつながりを感じているらしい。しかし何を述べているのかわからないままだ。自身でそう思っているのだから、それは確実なところかもしれないが、いったいこれは何なのか。これとは何か。ただ何そんな言葉が反復されているだけかもしれない。

 早く脱出しないと、さらにはまってしまうだろうか。別にそれが狙いとは思えない。虚無が誰かに襲いかかっているとも思えない。世界が君に何を期待しているのでもない。ではそこには何が見出されているのか。それもありだと思っているわけか。たぶんそれに関しては何も考えていないのだろう。今はそう思うしかない。君が何を理解しているとも思えない。何に間に合ったわけでもなく、誰を追い越したわけでもなく、通りかかった場所で何が起こったわけでもない。通り過ぎた場所すら思い出せないか。それが何を意味するのか。画面上には相変わらず言葉が並んでいて、何を思い出したわけでもないのに、それ以外の何かを読み、それについて思うこともなく、ただ闇雲に駆けっているわけでもないだろうが、何かに躓いて転んだとも思えない。そこで見受けられた動作とはどんな関係があったのか。それらの光景は何だったのか。別にスクリーンに映し出された何かではない。ただひたすら外れているのだろうか。相変わらず外れているらしい。性急に事を運びすぎているのか。そんなわけでもないだろう。

 なぜかその先で見慣れた光景が映し出され、夢ではないことに気づく。君は寝ている間にどんな夢を見たのか。それ思い出せないのは、忘れているからなのだろうか。そうに決まっているか。しかし何について述べているのかはっきりしないまま、ここまで言葉を記してくると、何だか変な感じになっているみたいだ。その道はかつて通ったことのある道か。通い馴れた道ではなさそうだ。そこで何に魅せられているのでもない。たぶん君は何かを見出そうとしている。それについて語っているのではないか。今まさに語っている最中なのだろうか。そう思うならそれが何かを具体的に明らかにしなければならず、今こそわかりやすい説明が求められているのではないか。そんな気がしない。残念ながらそれは的外れなのだろうか。でも何も思わないわけではないのだろう。何かと戦わなければ物語になり得ないわけではなく、そんなやり方を目指しているとも思えず、ただひたすら何かを明らかにすべく尽力しているわけでもない。では何なのだろうか。単なるごまかしのたぐいになってしまっているのだろうか。そう述べてしまうと、ますますわけがわからなくなってしまうか。でもここまで何かについて語ってきたことだけは確からしい。なぜそう思うのだろうか。


4月5日

 別に何を語りたいわけでもない。誰かがそう思っている。本当なのだろうか。でも何が冗談というわけでもない。とりあえずここでこうなっている。どこまで行ってもこうなるしかない。わけがないのだから、それは仕方のないことだ。すでにこうなっている。映画の中の主人公とは違うはずだ。何かを盗んで人を殺して追われる身となり、街中で追っ手に撃たれて死んでしまうわけか。作り話としてはよくあるパターンに違いない。君の場合はどうなのだろうか。昼間はいつものように仕事をしていた。それだけのことだ。それとこれとの間にはどのような違いがあるのだろうか。別に違いを見つける必要はないか。たぶん人それぞれであり、どのように生きて死んでもかまわないのではないか。別に大げさな物語の中で生きる必要などないか。君は確実にそこから外れている。そこに何があるわけでもなく、取り立てて語る必要のない出来事に取り囲まれながら生きている。それではだめだろうか。

 たぶんここに至るまでの間が長過ぎたのだ。長い時間の中で確実に何かが埋もれていったはずだ。忘れ去られてしまったのだろうか。君はそこで何を忘れているのか。誰が問われているのでもない。すべてがバラバラになってしまったのでもない。では何を語ろうとしているのだろうか。それはそもそも君が生きている時間ではない。物語の中では時間が止まっているのだろうか。わけがわからないようだ。旅はまだ始まったばかりか。でもそれは何の話なのか。漫画の中での殴り合いや殺し合いはその後どうなったのだろうか。人が描き出そうとしてもがいているのは、何かの幻影に他ならないが、それらすべてを他人事だと思ってかまわないのだろうか。たぶんそうに違いない。空想の産物には痛みが感じられず、君を戸惑わせるには至らない。この世は至って平穏だろうか。語っている地域にもよるだろう。君はまだそこに至ろうとしていないのだ。

 外れているだけではだめらしい。そのついでに何か思わなければならない。しまったと思えば納得がいくのだろうか。そこで何を驚いているのか。巧みに何かを避けているからか。どうかしている。気持ちが退いている。とても積極的に発言できない。本当にまだ至っていないのか。至らない原因は何だろう。寒いからか。それに関して思いもしないことを思う。嘘をついているだけだろう。実質的にはそうだ。何か覚えていないか。さっきまで眠っていたらしい。そんなわけでまた遅れてしまうわけか。あり得ない話だ。なぜそうなってしまうのか。そこから以降が覚えていない。何について語っていたのか思い出せない。語っていなかったのかもしれない。それでかまわないか。作り話になっていないようだ。うまくいかないようだ。もう翌朝だ。とりとめのないことを思っていたのかもしれない。疑念を抱いている。そんなことでしかないだろうか。焦る必要がないのだろうか。なぜ焦らなければならないのか。

 やはり記述が停滞している。どうしても前に進まないらしい。他人事なのだろうか。すべてがそうかもしれないが、それでは何も語れない。何もないのだから語れるはずがないか。何か面倒なことになっているのだろうか。ただ仕事が忙しい。やるべきことが立て込んでいる。そういういいわけでかまわないのか。そう思うならそれでかまわないのではないか。焦る必要はない。どうせできないのだから、空回りするばかりだ。時間を逆戻りすることは不可能だ。でも何だか違うような気がしている。そういうことではないような気もしている。そうならないように語る必要があるらしい。何かを変化させる必要がありそうだ。気持ちか語り口か言葉の配列か。そういうことではないとすると、他に何か思いつかないか。黙っていたのでは話にならない。でも沈黙が辺りを覆っているらしい。鳥のさえずりが聞こえてくる。何も思いつかないついでに、どうせなら失敗し続けていてもかまわないのではないか。唐突にそんな気がしてくる。他に何もないのだろうか。いつの時代でも人は簡単に死に、すぐに忘れ去られる。


4月4日

 何が冗談なのでもないのだろう。なぜそれを理解できないのか。それは君自身の問題ではないからか。だから冗談になる。要するに面倒くさいのだろう。語るのが面倒くさくなり、何だか退屈な気分となって、それから何を思ったのか。何か思っているはずだ。面倒くさいからその思っていることを記さないのか。確かに言葉は言葉であり、そこに記されているのは言葉の連なりに違いない。それがどうしたわけでもなく、何となくそれでは退屈だと思うが、それは君の問題ではない。誰の問題でもないか。でもそれでは問題とはならないのではないか。だから何の問題もないというわけか。それでは冗談だろうか。冗談でも問題でもなく、それはただの言葉の連なりだ。そう思うならそういうことになるだろう。別にそれでもかまわないか。とりあえず言葉が記せればそれでかまわないのではないか。笑っているのだろうか。確かにそうだ。

 また嘘でもついているのだろう。気になり出したら止まらない。こだわっているのだろうか。何にか。すべてにか。またそれだ。すべてはすべてをはぐらかす。それでは話が前に進まない。何か勘違いしているのではないか。何だかまたよくわからなくなったらしい。あくびが出る。これらの停滞は何なのか。君の人生とは無関係か。誰の人生でもないだろう。フィクションの中で誰かの人生が繰り広げられていて、それに関しては無関心を装い、闇の中で何かを眺めているようだが、それがどうしたわけでもなく、ただ面倒くさいような気がするのは相変わらずだが、何のことでもなさそうだ。語っている気がしない。実際に語っていないのではないか。たぶんそうだ。謎だ。何が謎なのかわからないか。でも説明するのが面倒だ。それでは文章にならない。でも言葉を記している。何とかしたのか。結果的に何とかなっているのではないか。そういうことだろうか。問われるまでもないことか。でも問いかけている。ひたすらそうだ。気がつくとそうなっている。

 納得し難いようだが、納得してもかまわない状況だ。それは嘘か。なぜそうなってしまうのか。やはり面倒くさいのか。でも躊躇している。迷っている。このまま続けても大丈夫なのか。続けているではないか。冗談のような継続だ。まったく馬鹿げている。そう思うが、誰に同意しているわけではなく、ただそう思っているに過ぎない。ではなぜそう思うのか。理由を説明できないのは不器用な証拠だろうか。それとも言葉遣いの問題か。要するに何なのか。それを問えない立場にあるのかもしれない。それはどのような立場なのだろうか。人としての存在がたわいないように思えてくる。薄っぺらくて軽すぎるのだろうか。誰もがそうなのではないか。昔からそうだったのかも知れない。でも何でそんなことを述べなければならないのか。すべてが空疎だからか。君は理由を求めているのだろうか。誰かがそうかもしれないが、特に君がそうだとも思えない。誰もがそうなのだろう。そうなって当然のような成り行きの中で生きている。

 だからたわいない。安易にそんなことを述べている。ではそこから外れることはいいことなのか。何から外れようとしているのか。常道からか。でも軌道から外れた列車のようではない。相変わらず説明できない。何をどう説明したらいいのか。それに関してではなく、どれに関してでもなく、すべてがそうなのでもない。言葉の組み合わせの可能性に挑戦しているとも思えない。しかし憂鬱で退屈だ。つまらぬこだわりが介在しているわけか。そうかもしれないが、それでは埒が明かない。どうにもならずに記述を放棄しそうになっている。でも何とか踏みとどまり、さらに言葉を記すとすると、それはどうなってしまうのか。眠気が急に襲ってきて、記述がままならない。きっと疲れているのだ。気疲れと肉体的な疲労がピークを迎えているわけか。頭をぐるぐる回してみるが、一向に良くならず、あきらめてしまいそうになる。もうあきらめてしまってもかまわないのではないか。機械はだんだん劣化してきて、あちらこちらが故障し出して、もういつ止まってもおかしくない状況だ。それとこれとは関係ないだろうが、君もそろそろ眠った方が身のためだ。


4月3日

 別にそれほど調子が悪いわけではない。ただ寒いだけか。それも違うか。では何なのか。何でもないのか。そうやって何かを長引かせている。もう無理だからやめておいた方がいいだろう。そして夜になり、いつものように苦いコーヒーを飲みながら、何を考えているのかわからなくなる。また横道に逸れてしまうのか。そうに決まっているではないか。だからもういいのではないか。虚しくなるか。何がそうでもないだろう。放っておけばどうなるというのか。こうなっているのではないか。おかしいか。何がおかしいのか。それがわからないところがか。たぶんおかしいのだろう。おかしいに決まっている。だからおかしいのか。どうも同じ言葉が延々と記されているようだ。そろそろ無限ループにならないうちに抜け出るとしよう。放っておくと気が変になりそうだ。

 何かの病だろうか。言葉の病か。冗談ではない。一向に進まない。やはりおかしいのか。今日はおかしな気分だ。いつもとは違うか。そんなはずではなかった。君はそこで何を見ようとしているのか。いつもながらの夜の闇か。そうではない。では何なのだろうか。いつも見ることのできる光景なら、ただやり過ごせばいい。見慣れた光景でしかない。別に感動したいわけでもないのだろう。何に感動することもない。たぶん失敗しているのだ。見ることに失敗して読むことにも失敗している。そのついでに言葉を記すことにも失敗しているのだろうか。でもそれがどうしたのか。今ここで記しているこれは何なのか。これが失敗の賜物だとは思えない。だから冗談なのだろうか。意味がわからなくなり、やはりそんなことはどうでもいいことだと思えるようになる。要するにその種の自問自答にはきりがないということか。まったく馬鹿げている。

 だからもうやめた方がいいのだろうか。やはり君は何を見ているのか。それは単なる白黒写真のたぐいなのだろうか。そのへんがわからず、理解できないところかもしれないが、何をわかろうとしているのでも、理解しようとしているのでもないところが、何だか意味不明なところなのかもしれないが、何かのスクリーンの表面上で、誰かが首を傾げながら新聞を読んでいる光景に出くわしたとしても、たぶんそれが何を意味するわけでもないのは自明の理かもしれず、そんな光景にこだわること自体が無意味なことかもしれない。いったいそこで君は何を語ろうとしているのか。問題を解決するために語ろうとしているわけか。そうだとしたらどういうことなのか。ありふれた行為になるのだろうか。でもそれ以外にどう語ればいいのか。君は嘘偽りについて述べているようだ。そんな間違ったことを語るのはおかしいか。でもそれの何が間違っているのだろうか。別にそうは思わない。たぶんそれも何かの冗談だろう。

 誰に似せようとしているのでもない。それは誰の文章でもなく、誰が何を記そうとしているのでもない。時にはそんな嘘をついてみるが、一向にしっくりこないようで、何も語っていないような気になるのだろうが、それが勘違いであり、思い違いなのだろうか。そしてあきらめてしまうのか。でも語ることや言葉を記すことをあきらめてしまったら、その先に何が待ち受けているのだろうか。君自身の破滅か死か。だから冗談ではないと思うのだろうか。でもそんなことはいずれ誰の身にも訪れることであり、どうということはないのではないか。ではここでは何が問題となっているのか。冗談か何かか。またそうやってすぐに問題から目を背け、背を向けながら遠ざかってしまうことが問題なのか。だからすべてが冗談だと思われてしまう。本当に冗談なのではないか。たぶんそれでもかまわないのだろう。そういう言葉の連なりに接すると苛立ってしまうのかもしれないが、今はそのへんが限界なのだろう。まったく何も思いつかない。


4月2日

 今は君は何を考えているのか。何か考えを巡らしている。それは違うだろう。取り立てて何を考えているわけでもないようだが、現状を何とかしようと思っていることは確からしい。本当に君が思っているのか。別にできないことをやろうとしているわけではない。そう思っていないとあきらめてしまうか。それで何をあきらめたことになるのか。それはできないことだろうか。何ができないのか。できないわけではないが、やり通すには長い時間がかかりそうだ。気が遠くなるほどの長さか。たぶんそうだ。いつまで経っても成し遂げられない。そう思いながらそんなことをやっている。それでかまわないのか。ある程度のところで妥協した方がいいのではないか。それもそうだ。でもそれに従うつもりはないのだろう。頑固なのだろうか。何を批判するつもりはない。でも気がつけば批判しているわけか。こだわらなければかまわないのだろうが、本当にそれでかまわないわけではなく、どうせこだわってしまうわけだ。結局のところそれはつまらぬこだわりに違いない。

 そう思って差し支えないようだ。限界は見えている。自ずからそうなるに違いない。要するに馬鹿げたことをやっているわけだ。そう思っておいた方が無難か。でもそうなっている以上は、やはりそれを続けてゆかなければならず、現状を追認してしまうだけか。それでは何ももたらせないだろう。でもかまわない。それは独り言の範囲内で考えていることだ。疲れて眠ってしまったらしい。いつものことでしかないか。また後退局面か。立て直すことなど不可能に近い。それでも続けようとしている。何とかなるだろうか。そう思っているわけか。笑ってしまうか。誰かが深夜に行列を作っているらしい。何かを買うためにご苦労なことか。君はそれとは別の書物を買って、少しずつ読んでいるはずだ。いつ読み終わるかわからないが、たぶん読んでしまうのだろう。それだけのことか。読んで何か感想でも思うのか。冗談だろうか。何がそうなのか。この状況からは判断し得ない。だからそうなってしまうのか。

 まったくの意味不明だ。何を述べているのでもない。朝が寒すぎるのか。そうかもしれないが、何か中身のあることを述べる状況にない。そうかもしれないが、何を判断しようとしているのでもなく、記述を続けるか否かは、その場での気分次第になるだろうか。それで何を記せるというのか。気持ちだけではだめだろうか。何も語れなくなっている。考え過ぎなのだろうか。いつもの軽やかな感覚とは無縁だ。だからあきらめた方がいいのだろうか。空疎なことを書き記してもかまわないと思えば、それなりに続けられそうだ。ならばそれでかまわないではないか。こんな感じでいいわけか。そういうことになる。できないのだから、できないことを追い求めることはない。実際に何を述べているのでもなく、すべては作為の中にある。自然なことではない。何が自然でもなく、作為こそが自然から人が与えられた動作だ。そうやって文明という何かをねつ造してきた。でもそれが何だか把握できていない。そういうことではないのだろうか。でたらめな見解を述べているのかもしれない。

 でもまだその先があるのだろう。何にとらわれているのでもなく、早朝の寒さに耐えている。そんな具合でここまで言葉を記してきたらしいが、相変わらず何を述べているのでもない。そんな感覚ではないらしい。どうかしているのだろうか。たぶんそういうことになる。何となく心がそこから外れているのは致し方ない。それでは済まないのかもしれないが、そういうことにしておきたい。寒いのだからどうしようもないか。また眠ってしまいそうだ。この時間帯にそれはないか。君が何を語っているとも言い難い。ついでにそう思われる。何かのついでなのだろうが、何のついでなのか。それはどういうことか。そんな問いがおかしい。疑問に思っているのだろうが、その答えを求めているわけではなく、ただ問いかけたいだけで、誰に問いかけているのでもなく、問いかける対象を特定し難いのだろうか。そんなことではない。どんなことでもなく、そういうことでさえない。それではだめか。だめだからこうなっているわけだ。


4月1日

 ようやくこれか。でもここから進まない。仕方がないだろうか。何もないからこうなってしまうのか。それでも言葉を記している。何も思いつかないのは仕方のないことだ。でも何とかなると思っているはずだ。楽観しているらしい。いつものようにおかしい。冗談のような気分だ。できないのにそれはない。できていないのではないか。それでどうするのか。ここからが思案のしどころか。そんなはずもない。もう朝だ。ここからどうするつもりか。やる気がしない。ではまたいつもの問答が始まるわけか。でも別に苦し紛れでもないだろう。なぜかそんな気配を感じている。何とかなると思っているらしい。

 先が読めないのではなく、読む必要がないからそうなってしまうのではないか。でも書物は読むつもりなのだろう。それとこれとは無関係か。たぶんそうだ。相変わらず中身が何もない。明け方の空は薄曇りのようだ。カーテンを閉めたまま出てきた。でもそれが何を意味するわけでもない。やはりそんなことはわかりきっているだろうか。要するに字数稼ぎのたぐいか。何だかわからないが、結果的にはそうなってしまう。語るべきでないことを語ろうとすれば、そうなって当然だ。しかしこの世界は相変わらずどうなっているのだろうか。何がもたらされているわけでもなく、人や国家同士が意地の張り合いを繰り広げ、何となくそんな感じになっているようだ。でもそれで北朝鮮がどうなるわけでもないだろうか。アホくさいだけのようだ。

 軽やかなピアノの調べを聴きながら、どうでもいいと思っているらしい。まもなくどこかへと向かうつもりだ。いつまでもそんなことを語っているらしい。もうすでに向かっている途中だろう。いったいその先で何を語りたいのか。何か忘れていることがあるだろうか。しかしなぜ意地の張り合いをしたいのか。気がつけば日が昇っている。何を躊躇しているのか。腕がしびれている。人はくだらないことにかかりきりのようだ。でも別にそう思わなくてもいいだろう。そこから何らかの作品が生まれるのだろうから、それについて何か語ればいいだけだ。良いだの悪いだの、気に入らないだの気に入っただの、そんなことを語っていれば時が経つ。

 でもそれ以外に何を語ればいいのか。自然現象について語ればいいのだろうか。天気予報のたぐいか。明日は晴れるだの雨が降るだの、そんなところだろうか。それが気に入らないなら、他に何があるだろうか。そんなことを考え続けると、次第に何かに近づいてゆくだろうか。いったい何に近づくのか。それは自らの死か。またそうやってずれていってしまう。たぶん何か模索している最中なのだろうが、やはりそのへんがうまく表現できないところかもしれない。

 人はそこで何か考えているのだろうか。世の中でうまく立ち回って成功したいのだろうか。それは誰もが思うところだ。うまくいくやり方を模索して、それを試し、うまくいかなかったらまた模索して、そんなことの繰り返しが延々と続き、そんな試行錯誤が人類の歴史を形作ってきたのだろうが、そんなことには興味がないか。そういう大局的なことではなく、個々の事例について何か語らなくては暇つぶしにならないのかもしれない。でも何が暇つぶしというわけでもなく、それ以上の価値を担うようにしなければならないのではないか。でも面倒なことはいやか。軽くいなして、面倒なこと避けながら、適当にいい加減に語ろうとすると、たぶんそうなるしかないのだろう。

 自らを卑下することはない。すべてが大したことではないのだ。人によってはすべてが大事だと思うかもしれない。たぶんそうなのだろう。そう思っていないと、大事な何かを見逃してしまい、よくなるきっかけをつかみ損ね、うまくいくこともいかなくなってしまうだろうか。でもその場その場で判断できるだろうか。実際にしているのではないか。別にすべてをその手中に収めようとしているのではない。それほど欲張りでもないか。でもできうる限りの幸運をつかみ取りたいのだろう。それでは欲張りと同じではないか。要するにそういうことだ。何かもっと慎ましい生き方をできないものか。それは冗談だろうか。そうやってわざと何かをずらそうとしているわけだ。